Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20040229-1) 「わたし」 発、「わたし」 宛のウィルス付きメール、発信者は誰?

下記 (20040227-1) の記事を読み返すと、整理したつもりだったが (7)、(8) が おそろしく わかりにくい( おまけに どちらも (7) という番号が付いていたので、これだけは直しておいた)。

やはり、僕の頭の中で 一度に いろんな方向に連想が飛んでいるので、こういうことになる。「クイズ」 の前に、やはり 「発信者名が偽装 (偽造) されたメール」 の実物を ご覧いただくべしと考えた。以下、「私」 発、「私」 あて、しかし本当の送信者はまったく別人で正体は不明、の例をお見せしよう:
(1) Return-Path: <kenm@tka.att.ne.jp>
(2) Delivered-To: tka.att.ne.jp-kenm@tka.att.ne.jp
(3) Received: (qmail 15710 invoked from network); 28 Jan 2004 13:06:49 -0000
(4) Received: from unknown (HELO smtp2.att.ne.jp) (10.10.15.10) by 10.10.15.95
with SMTP; 28 Jan 2004 13:06:49 -0000
(5) Received: from tka.att.ne.jp (YahooBB218123132139.bbtec.net [218.123.132.139])
by smtp2.att.ne.jp (Postfix) with ESMTP id 3FFC2271A0
for <kenm@tka.att.ne.jp>; Wed, 28 Jan 2004 22:06:47 +0900 (JST)
(6) From: kenm@tka.att.ne.jp
(7) To: kenm@tka.att.ne.jp
(8) Subject: test
(9) Date: Wed, 28 Jan 2004 22:06:25 +0900
(10) MIME-Version: 1.0
(11) Content-Type: multipart/mixed;
まず、普通にメール・ソフトの画面に見えるのは、(6), (7), (8), (9) である。これ以外の情報は、例えば MS-IE では 特別なことをしないと見えない (特別なこととは、「そのメール」 の 「プロパティ」 の 「詳細」 を見る。これでようやく、上記に類する情報が見える)。
この4項目だけだと、間違いなく これは 僕が 僕自身に送ったメールである、かのように見える。

ところが、(5) を見ていただきたい。発信サーバ名を青字にしておいたが、これは真の発信者が僕を偽装した (6) の、メール・サーバ名が そのまま出ているだけである。問題は赤字のところ: これが真の発信者で、表示の アドレス [218.123.132.139] は、本当に YahooBB 管理下のアドレスである。念のため tka.att.ne.jp は [165.76.15.223] で、まったく別。これで、発信者が 「わたし」 を偽装しているのだと決まる。この真の発信者は YahooBB の会員であるか、あるいはその会員を語る (その会員のパスワードなどを盗んだ) 人物であることは間違いないが、その個人を特定できるのは YahooBB の管理者だけである (この日付・時刻にこのアドレスで接続していたユーザはただ一人だけで、そこからのメール送信が確認されるだろう。そこまではサイト管理者は保存しているはずである)。問題はそれが盗用されたものなのか、どうか、それは実世界を調査しなければわからない。仮に盗用されたのでなければ、この善意の YahooBB 会員の機械が ウィルスに感染していて、不特定多数に 不特定の 「偽装発信者名」 で ウィルスをばらまいている途中である、ことになる。もちろん、僕を狙い撃ちする悪意の人物を仮定することはできるが、僕個人を敵視する人物で こういう芸当をする人物がいることは、やや考えにくい)。

なお、転送経路は、まず最下段の (5)、次に (4), (3), (2) と流れる 逆向き表示である。最後に最上段、(1) には Return-Path というのがあって、これは 「このメール宛先不明」 時の 「未達通知」 を出す先である; これも、偽装された発信者 僕自身になっている。

ウィルスがメール発信者として僕の名前を使う経路は、2つ考えられる: (1) そのパソコンのアドレス帳に僕の名前がある (つまり、ウィルス感染者は僕の知り合いである)。(2) 最近 見たインターネット履歴の中から、メール・アドレスが明記されているものを拾い出す。このどちらであるかは、わからない。

このメールには、ウィルスが添付されていた。
受信側の僕、つまり 真に AT&T サーバにつながっている僕には、AT&T サーバから 「ウィルス受信しました; 削除しました」 という通知が来た。

従って、送信側 YahooBB では、送信メールのウィルス・チェックをしていないことになる。
もし、この場合に YahooBB 側が 送信メールのウィルス・チェックをしていればどうなるか: それは YahooBB さんの考え方、または技術次第で、このメールの真の送信者に警告するか、それとも 「偽装」 された送信者である僕に警告してくるか。常識と技術のある管理者なら、真の発信者に警告するだろう (何しろ、明示された発信者名には他社のサーバ名が書いてあるのだから、それが発信者であるわけがない)。

が、世の中、まともなプロバイダばかりではない。
発信者が 「わたし」 に偽装されていて、「わたし」 の知らない他人に このメールが送られている場合、「わたし」 には わからない。
1月末からの この (.ZIP 添付型の) ウィルスでは、世界 数ヶ国のプロバイダから、「あなたの発信したメールにウィルスを検出しました」 という警告を ありがたく頂戴した。宛先不明での 「未達」 通知も、ずいぶん来る。ったく、もう、真のメール発信元と、偽装発信元サーバ・アドレスのチェックくらい、してもらいたい。これは 上の例では (5) をチェックすればわかることなのだ。

が、それでわかったこと: 「わたし」 を発信者と名乗るウィルス発信は 今も続いている。世界中の 「わたし」 が、うんざりしているわけである。周囲に聞いたところ、この 「わたし」 は多くない。どうも このウィルスは、感染先の 「アドレス帳」 より、ホーム・ページ上に 「メール・アドレスを公開している」 者を発信元と偽装する傾向、ないし可能性がある。


(20040227-1) 悪意のメール、多少 整理した解説

昨日 (下記) 書いた記事には3つの話題が混在してしまって、集金詐欺 「公開」 前のマクラが理解しにくかったと思う。そこで、もう一度 「メール」 に関わる 「悪意ある行為と技術」 を、整理しておきたい。
思いつくままに、列挙しよう:
(1)
メールにウィルスを付けて発信する。
(2)
それに感染したパソコンが、持ち主の意図と関係なくウィルスをばらまく (善意のウィルス発信、つまり 被害者 = 加害者)。そのばらまき先として、ウィルスは そのパソコン上にあるアドレス帳を使う。
(3)
メール発信者を他人に偽装する行為。
(4)
(3) の発信者偽装は、(1) のウィルス発信者の常套手段である。
(5)
(3) の発信者偽装は、(2) で感染したウィルス自身が同じことをする。これによって、感染経路の追跡を混乱させる効果がある。
(6)
いわゆる詐欺メール、迷惑メールも、同様に (3) の発信者偽装をすることが しばしばである。これは、発信元が個人であることを隠して、あたかも公的機関?からの支払い要求であるかのように装う意味がある。
ここまでが基本、である。
まとめると、ウィルス発信という悪意、それを自己複製させ再配布させる行為、あるいは詐欺を目的とする場合にも使われる 「発信者を偽装する」 技術。基本的には、それに尽きる。これを基本として、実にさまざまな・複雑な現象が起こる。以下、続けよう。頭の体操、読者は頭痛がするかもしれないので、その場合は また ゆっくり お読みくださいな。
(7)
さて、(2) で あるパソコンに感染したウィルスは、そのパソコン上にあるアドレス帳を見て、片端から 自分自身のクローンを発信して行く。その際、送信先はアドレス帳のまま、発信元の名前は、そのアドレス帳にある任意の1つを取り出し それに偽装する。この結果、送り出される (ウィルス付き) メールは、不特定の (偽装)発信者名で、不特定の受信者あてになる。
たまたま、この偽装発信名と、送信先とが 一致してしまうことがある。事実 わたくし (を偽装した) 発信で、わたくしに、ウィルスが届いたことが数回ある。

(8)
ところで、上記で使われた (盗用された) アドレス帳に、既に古くなったメール・アドレス (実在しないアドレス) が含まれているとどうなるか?
この場合、ほとんどの場合 「未達」 の通知は (偽装された) 発信者あてに届く。つまり、「私が送信した覚えのないメールが、配達不能といって私に戻ってくる」。 なお この 「未達」 通知は、宛先のサーバ自体が既に存在しなければ、(A) 真の発信元サーバから (偽装された発信者である わたしに) 届く。一方、宛先のサーバは存在するが 「既にそのような受信者はいない」 場合は、(B) 宛先側サーバから届く。そのいずれの場合にも、「未達」 通知を送り返す先は (送り返すなら)、「偽装された発信者」 宛である (なぜなら、真の発信者の名前は書かれていないから、返信するなら 明示された発信者名しか 相手はいない)。

上で 「ほとんどの場合」 と書いた理由は、メール・サーバ あるいは ウィルス検出ソフトが明晰な場合、(A) のサーバの場合で 戻し先が自分の管理下のユーザではないと気が付けば (偽装発信名であるとわかれば)、被害者である他人に通知する必要はないと考えるからである。が、偽装名が同じサーバ管理下の名前なら、やはり 「未達」 通知は出る。そもそも、メールを発信する時点で 「発信者名の偽装」 をチェックしていないようなら、「未達」 の通知でもチェックするはずがない。
(B) のサーバでは、ほとんどそのチェックは できないだろう − 厳密には、メールに明示された (偽装)発信者アドレスと、一方 必ずわかる真の発信元サーバの IP アドレスを対照すれば、「それが本当にその発信元サーバの管理下から発信されたものかどうか」 は わかる。が、その調査はネットワーク上のトラフィックを増やすので、多くのサーバ管理者は いやがる。そもそも、偽装発信者名での発信を許してしまったのは 発信側サーバの責任であるから、受信側が その面倒まで見てやる必要はない、とも考えるにちがいない。
ここまで、理解していただけただろうか?
メール発信者名の偽装は、原理的には、発信側サーバ段階で排除できる − はずである。が、既に 30年の歴史を誇る?メール発信プロトコル SMTP には、そんなことは想定されていなかった。「インターネットは善意で運営される」 という前提で はじまったことは、ご存知の方も多いはず。メール発信プロトコルが SMTP である以上、その上に自前で そういうチェックを追加するのは、サーバ (プロバイダ) の負担が大きい。だから、発信者名を偽装したウィルス配布、発信者名を偽装した詐欺メールなどが、今でも可能なのだ。

一方、発信者名の偽装には無力でも、プロバイダ内部では 「当プロバイダを経由するメールに ウィルスが含まれていないか」 は、簡単にチェックできるようになった。有料のところと無料のところがあるが、このチェックは − 最新のウィルス登場後 数時間ないし数日のタイム・ラグはある、その期間を別にすれば − 信頼してもよい。ウィルス付きメールが届けば、警告と同時にウィルス削除済みでメールを送ってくれる; 「わたし」 がウィルス付きメールを発信した場合には、「わたし」 に警告し、送信先にはウィルスを削除したうえで送ってくれる。

そこで、このウィルス・チェックと偽装発信者名メールの関係が、もう1つ 複雑になる。このあたりから 「頭の体操」 は 迷路か、あるいはキャロルなみの論理問題の様相を示しはじめる。(念のため、キャロルとは 『不思議の国のアリス』 の作者で、数学者で、要するに論理学屋さんである。映画では省略されたが、「ハリポタ」 第1巻にも、ハーマイオニーが 「5本の瓶の問題」 を解く場面がある; この場面は 第4巻、スフィンクスの謎の場面でも触れられていて、「ハリポタ」 に 「アリス」 の影響が決して小さくないことを物語る)

で、いくつか 「問題」 を思いついた。ここ1ヶ月近く、友人のパソコンが .ZIP 添付型のウィルスに感染して以来、プロバイダからの警告、未知のプロバイダからの未達通知など かなり来ている。それらを ながめながら、これはキャロル的な問題だなあ ・・・ などと感じているのだ。
が、今夜はやめる。
この週末は忙しいので、「問題」 は週明け、3月になってから、また ゆっくりと書くことにする。


(20040226-1) 集金詐欺メールの受信、2度め、公開

フジ TV の Web ニュースが、携帯あて 「なりすましメール」 の記事を流していた。基本的には TV ニュースの Web 版らしい。この 「自分自身が発信者で、自分あてに送られてくる」 迷惑メールの撃退法として、「発信者ドメーンを制限」 して受信せよ、と言っていたが、どうにも いい加減。発信ドメーン、さらに発信者にフィルターをかけて受信拒否しても、では 「わたしを発信者と偽装して他人に送られる迷惑メール」 はどうなるのだ。同じニュースの中でも、受信者の友人を発信元と偽装して 第3者のアドレスを教えてくれというメールが来た、というインタビューがあった。

この 「発信者の偽装」 は、つい最近の ウィルス (.ZIP 添付で来るタイプ) で大量に出たようなのだが、携帯だとその受信経路も、たしかに わからない。そんなものは、使わないに限ると、僕は決めている。

と思っている間に、同じ ニュースの後半に、また携帯相手の集金詐欺メールの話題が出た。その犯人は少年を含む集団だが、これは捕まったという。

そういうところへ、また別の集金詐欺メールが、僕にも届いた。以下、全文を公開する。前回の詐欺メール受信 (2003.9.21 ) は初めてだったので あちこち 「通報」 したが、今度は面倒なので ここでの公開だけにする。
注目点は、発信元サーバが "xxxx・・・" と一応 偽装?されてはいるが、それが so-net.ne.jp の会員だと漏れている間抜け (この発信 IP は本当に so-net である。ただし その会員がパスワードを盗まれている場合もありうる)、文面が短いこと、集金 「依頼」元 が不明である点などである。なお、一般論として この種の金銭回収には、本物であれば 「紙」 の郵便で 内容証明+配達証明 付きが来るはずである。念のため、ここに書かれている Web サイト?の名前も、僕は知らない。まず架空だ。文面も、詐欺としては幼稚な類型である。読者は、ここに見えるアドレスその他に手を出してはいけない; 手を出すと、今度は 「あなた」 が 「カモ リスト」 に載って、それが流通して 別の詐欺のターゲットになるおそれがある。僕あてに これが来たのは、公開 Web ページに僕のメール・アドレスが書かれているからだろう:
Return-Path: <info@Representative.com>
Delivered-To: tka.att.ne.jp-kenm@tka.att.ne.jp
Received: (qmail 16061 invoked from network); 26 Feb 2004 17:15:37 -0000
Received: from unknown (HELO smtp1.att.ne.jp) (10.10.15.9)
by 10.10.15.95 with SMTP; 26 Feb 2004 17:15:37 -0000
Received: from xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx (p6f95c3.tokynt01.ap.so-net.ne.jp [219.111.149.195])
by smtp1.att.ne.jp (Postfix) with ESMTP id C3EE8153AB
for <kenm@tka.att.ne.jp>; Fri, 27 Feb 2004 02:15:36 +0900 (JST)
MIME-Version: 1.0
Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp
Content-Transfer-Encoding: 7bit
From: <info@Representative.com>
To: <kenm@tka.att.ne.jp>
Subject: kenm@tka.att.ne.jp様
Message-ID: <20040226171536.C3EE8153AB@smtp1.att.ne.jp>
Date: Fri, 27 Feb 2004 02:15:36 +0900 (JST)
X-Mozilla-Status: 8001
X-Mozilla-Status2: 00000000
X-UIDL: 1077815737.16064.pop1.att.ne.jp,S=2101

あなたが支払いを延滞している下記サイト運営者より、あなたの氏名調査・所在調査
及び集金代行の依頼がありました。このkenm@tka.att.ne.jpの電子メールアドレスか
ら氏名調査・所在調査を行い、平成16年3月7日(日)までに正式な関係書類を持参
の上、あなたの自宅に訪問致します。


----------------------------------------------------------------------------------

■依頼日時 :平成16年2月26日(木)23:32
■調査対象 :kenm@tka.att.ne.jpの電子メールアドレス使用者及び契約者
■調査理由 :自動延長システムによる利用料金の発生と滞納

----------------------------------------------------------------------------------

依頼者からの情報

■登録日時 :平成15年8月23日(土)23:43
■登録ID  :kenm@tka.att.ne.jp
■SITE名  :GALGAL
■商品名  :銀行振込後払い会員180日パック
■期間   :自動延長システム180日
■料金   :¥36,800
■延滞利息 :年利14.5%

----------------------------------------------------------------------------------

支払い窓口

■E-mail  :infosiharai@fastmail.gr

----------------------------------------------------------------------------------

わたしの 「自宅に訪問致します」 って?
おう、どうぞどうぞ。詐欺の現行犯で逮捕してあげます。念のため、「現行犯逮捕」 は 警察官でなく 一般人が行なってもよい。事実、最近のコンビニ強盗で、その実例があった。ただし、相手が強盗だと、捕まえようとした正義漢が殺された例もあるけどねえ。

それにしても意味不明なのは、「kenm@tka.att.ne.jpの電子メールアドレス使用者及び契約者」 の 「契約者」 の意味である。「誰」 と 「誰」 の契約関係だというのだろう。「SITE名」 から想像されるのは エロ・サイトだが、普通そういうところは クレジット・カード番号を入れさせると思うのだけどね。

詐欺の金額がささやかなので、こういうのにはハイテク警察も手を出しにくいだろう。いっそのこと、もう1桁、あるいは2桁上げれば、事件性も高くなると思うのだが。


(20040225-1) 日記: 「危険な Web サーバ設定」 の仕事

職場での、「擬似」 ルーター 「設定」 のための 「擬似」 ホームページの作成は、意外に手間取っている。

特に問題になるのは、最近の http サーバは そのサイトの 「セキュリティ」 にきわめて厳格で、例えば 僕自身の 「ホームページ」 から、同じ機械の上にある他人のホームページを引用することはできない。
もちろん、"http://www...." というフル・パスでリンクを貼ることはできるし、他人のページを 自分の 「フレーム」 の中に表示することもできるのだが、自分自身の 「ホームページ」 以下に、直接 「隣のユーザのページ」 を持ち込むことはできない。

その制限を ある程度 越えて行動できるのが CGI で 例えば、僕の 「この」 タバコ・ページの実体は、実は http サーバの管轄外 − アクセス許可外 − にある。従って、この CGI を経由する以外に、「この」 ページは誰にも見てもらえない (本当の HTMLソースは誰も見ることはできない)。それは、一時 悪意の読者からのいたずらがあったので その対策として 今でも そのまま使っているだけである、これを使えば、(その気になれば) 「同じ機械 (サーバ) の上にある他人のページ」 も、制限はあるが勝手に盗用することができる。だからこそ プロバイダ 一般は CGI に警戒心が強く、多くはユーザ作成の CGI を許さない。レンタル・サーバでもこれは同じで、有名なところでは IIJ など、貸切レンタル・サーバの上でさえ CGI を禁止している。こうした CGI で 「よそ」 のデータ・ベースでも公開されたら、後が大騒ぎ、刑事事件になるおそれがあるからで、ある。

その CGI でも、「できない」 ことがある。
端的には、「機械ごとリセットする」 こと。
これが 一般に可能であると、大変なことになる。無数のプロバイダ上で、無数のユーザがそれぞれホーム・ページを開いていて、そこに不特定多数・無数のアクセスがある一方、その中の 「ある」 ユーザが CGI で 「機械ごとリセットする」 行為をするとどうなるか − なかなか恐ろしいことになる。だから、一般に http サーバ、つまりサーバ上の httpd つまり 「ホームページを見せてくれるプログラム」 は、どんなユーザ (ホームページの持ち主) にも、その権限を与えない。

一方、「擬似ホームページ」 で 「設定」 をさせる、インターネット家庭側ルーター (の中で) はどうか。あれは、「そのルーター自身の LAN側、WAN側」 それぞれの IP アドレスさえ設定させる。そこに必ずボタンがあり、「これで確定、リセット」 させる; あとは数秒後に、変更後のアドレスに再度アクセスしなさいと。

初期の商品ルーターでは、これは 自前のプログラムで 「ごりごり」 作成していただろう。現代では、できあいの httpd の設定で すませる。つまり、「この機械ではそういう危険な動作を許すかどうか」、別の言い方をすると root つまり システム管理者の権限で 「擬似ホームページ」 を見せ、その権限で 「自分自身の設定」 を変更した上で、自分自身をリセットする!

こんな危険な 「ホームページ」 を、http サーバ 一般が 許すわけがない。マニュアルにも、この機能は特別なことをしないと動かない; 我々はこの機能をマニュアルに記載しないことにした ・・・ などと書いてある。
うーむ。困ったぞ。


(20040224-1) 「ハリポタ」 第4巻、あと少し

1年以上 持ち歩いてきた 「ハリポタ」 の第4巻、ようやく仇敵との 「決闘」 から帰ったら、今度は 信頼する 「闇の魔法からの護身術」 の先生 (片目・片足のムーディ) が 俺こそ 仇敵の最も忠実な下僕だと言い出す; それで明らかになるのは、ハリーが 「トーナメント」 の中で (作品としては幼稚とさえ思わせた) 幸運が続いた理由なのだが、それがまた その場で ひっくり返されて、このムーディがニセものであることがわかる。ここからは、例によってダンブルドア校長との対話となり、前後関係が説明されて行く。

ここで、距離の大きな、長いスパンでの 「謎または伏線」 と その 「解決」 が 1件 示されている: 第1巻 (映画第1作)、ハリーが はじめて (魔法の)「杖」 を買うとき、杖屋のオリバンダーは、その杖と対になる もう1本こそ 仇敵のそれであると語っていた。決闘の間におこった不思議な現象を、ダンブルドアは その点から説明する; 2本の杖の芯には、同じフェニクスの羽が入っている; しかもそのフェニクスとは、第2巻 (映画の第2作) での対決で ハリーを助けに来た そのフェニクス、校長室で今 その瞬間に ハリーの膝にとまっているフェニクスの Fawkes である。

「決闘」 の最中、不思議な現象が起こる間にも、ハリーは フェニクスの歌声を聞いている; これが 第5巻、the Order of the Phenix につながることが予感されたのだが、なるほど、校長の説明で 謎 (伏線) たちの深い入れ子は1つ浅くなった (解決した)。

この巻は、残すところ 30ページを割っている。600ページ中 500ページまで限りなく冗長なおしゃべりが続いたのに対して、収束はきわめて速い。Cedric の死の責任が ハリーに帰されることはなさそうだ。そうなると、これは第3巻で ロンの内面に衝撃がないに等しいのと同じで、この作家の 重大な問題かもしれないとも、思う。
が、前半 500ページの執拗かつ冗長なおしゃべりに対して、残り 30ページは 「いさぎよく」 切り上げる − それが 「もの書き」 の技術であることを、作者は知っているようにも見える。
しかし別の言い方をすれば、推理小説の最後の謎あかしを、作者が最後に とうとうと述べているだけ、のようにも感じられる。

ただ、坂口安吾も言っているのだが、ダメな推理小説とは、読者の知らない事実を作者が最後になって持ち出し、読者には合理的推理が不可能であるものを言う。安吾はこれを、読者に対する裏切り、詐欺だという。
その意味において、「ハリポタ」 は 読者を裏切っていない。第4巻の激しい・とうとうたる・執拗・かつ冗長なおしゃべりは、それら 「事前の知識」 つまり 「伏線」 または 「謎」 を与えるつもりだった、らしい。事実、空中ハンドボールのワールド・カップの長話は、ほとんどすべて 「にせムーディ」 の行動の説明に帰結する。つまり、これらは 「短距離 (この巻内) の 謎 - 解決」 の関係をなしている。ただし、おしゃべりがすぎて、この巻ではついに説明されない、「どこかに消えてしまった」 話題がある: 新聞記者のリタ・スキーターと、ロンの兄たちの問題。舞踏会の夜、雪の校庭に突然 花園があらわれた問題など、忘れられた話題がある。残り 30ページの中で説明されるのか、あるいは さらに第5巻への伏線なのかは、僕は知らない。


(20040223-1) 「フランス語なんか 今から間に合うわけがない」

30年前とは言わないものの、僕の場合 25年くらい前からの話だ。
大学卒業するのは、決して望んだことではなかったから (いつまでも学生でいたいシンドローム、ですな)、卒業するについては 「次」 の 「学校」 を探さなければならない。大学の次は、常識的には大学院である。そこで困った − 普通の (文系の) 大学院なら、大抵は 「2つ」 外国語の試験があるのだ。1つは英語、もう1つは、当時専攻だったのが朝鮮語なので それがあればクリアできるのだが、しかし そうは問屋がおろさない。当時流行の 「比較文学」 専攻の大学院入試に、中国語はあったかもしれないが 朝鮮語はなかった。中国語は、知らない。では英語と、少しでも習ってみたのはフランス語か。しかし − 秋か年明けの入試に 「今からフランス語なんて間に合うわけがない」 という思いが先に走る。かくして毎年そう考えながら、僕は大学4年生を3回、在学 都合6年という結果になった。

これには2つ おまけがある。
(1) たしか同じトシの後輩が、僕に毒づいてきた: 「あんた、毎年 同じことを言ってるじゃないか (だからお前はダメなんだ)」。事実 彼は、将来の職業をかけて (何語をやったのか知らないが) 第3外国語 (第1:朝鮮語、第2:英語) を覚えて、さっさと大学院に行き、今でも大学教官をやっているらしい。もっとも 彼は専攻が言語学だから、第3、第4・・・くらいの外国語は当然のこととして要求されていたのだけれど。

(2) もう1つ おまけは、その後 20年近くたってから聞いた: 問題の 「比較文学」 専攻は、今では朝鮮語で受験できるようになったそうだ。もっとも、このタイトルを持つ専攻は今では流行の外で、学生も日本人は少なく、韓国からの留学生ばかりになってしまった・かのように見える。東京外大から東大の比較文学に行った人もいるが、そろそろ2年、この人の音沙汰も聞かなくなった。



職場で、とんでもない 「仕事」 ができてしまった。
Linux を使った、構内ネットワークの中継専用プログラム。現場では そのために専用の機械を1台 用意してきたので、この機械を 「擬似ルーター」 と呼んできた。このプログラムと機械は それを含むシステムの 「おまけ」 だったので、当方の職場では 「ともかく動けばよい、動作さえ確実であれば」 と、わたくしが 「専門外」 を承知で作ったものである。

それから約1年。今度はそれ自体を 「商品」 にするという。「商品」 である以上、「設定は あんたら、Linux の操作で適当にやってね」 ではすまなくなった。「擬似ルーター」 とはいえ、専用の弁当箱大の箱に収まる 単独の機械である。
インターネット・ルーターのたぐいを買った人はご存知だと思うが、そのルーター自身、買ってきて電気を入れると、特定の IP アドレスを持っている; そこでパソコンのブラウザで、例えば http://192.168.1.1 とかいったアドレスにアクセスすると、ルーターの設定画面、つまり 「擬似ホームページ」 と言えるものが出る。それを作れと、職場は わたくしに のたまうのだ。

まいった。
まわりに雑談を仕掛けると、好きな人は多い。人によっては ものすごく親切に教えてくれようとするので、それに本気で頼ると こちらの負担にさえ、なる。過度に踏み込まず、適当な距離をおいて雑談に応じてくれる人がいる。彼の話によれば、その種のアプリケーションに うってつけなのが、最近 流行の PHP という言語なのだそうだ。ふーん、またフランス語か。1週間で仕上げろという要求に対して 「今からフランス語なんて間に合うわけがない」。それはわかった。でも、どうしようもない。20年 使いなれた C 語で、ごりごりと書かざるを得ない − その意味で、つまり 腕づくで大変な労力を要することを承知の上で、あえてそれを選択するのは、ある意味 「若い」 証拠なのだろうかと考えてみたりはするが (いや、負け惜しみだなあ)。

ただ、幸いなことに、C 語による文字列操作は慣れている。たとえば 「この」 CGI、つまり 時には朝鮮語もロシア語もウズベク語も画像で表示する 「タバコ」 CGI は、「ローマ字を解析してハングルに復元する、またはその逆をする」 ツール群の末裔で、これらはすべて C である。C で文字列を操作するのに必要なサブ・ルーチン群は、既に 10年近い実績を誇ってしまった。それらを流用しつつ、「擬似ルーター」 の 「擬似ホームページ」 まではできた; が、これで1週間を消費した。このあと、まだまだ細かい処置、調整、自動的なマシン設定と再起動!がある。
やっぱり、「1週間」 では無理だったなあ ・・・

藤子・F・不二雄のタイム・マシンものに、「急速学習機」 が登場する。ある時代のある地域に、ある必要によって急行するとき、その時代の その土地の言語を含む背景知識を 急速に脳に注いでくれる装置だ。主人公たち (つまり男の子と女の子のセット) は常にそれを使って、移動先の時代の、その土地の住人と会話する。こういうものがある便利でよい。ただしマンガの説明でも、これは その任務の間にのみ有効で、任務を終了すると忘れてしまう; よって この知識は 主人公たちの受験には まったく貢献してくれない点が問題なのだそうだ。


(20040220-1) 「ナイーブ」 という日本語の意味

うちのトイレには (いや、どこのトイレでもそうだろうけど)、トイレット・ペーパーが パッケージごと置いてある。ある日、そろそろ その 「在庫」 が切れるころ、かあちゃんが補充してきた。そのパッケージをみると、ん? 横文字で Naive Lady と書いてある。はあ? 何のこっちゃ。

この 「ナイーブ」 という日本語は、1970年ころの週刊 『プレイボーイ』 なんかのグラビア・ページにも登場していたのを、今でも覚えている。高校生は、素直に、その文脈から 「感じやすい、敏感な、かわいらしい」 に類する形容詞であろうと考えた。それは日本語として、現在でも強固に安定した意味で使われるようである。ご丁寧に、それを 原語 (アメリカ語かしら、元はおフランス語かな) で書く、その場合も、日本語文脈の中では あくまで日本語の意味で使われるようである。発音自体は、アメリカ人も 「ナイーブ」 と発音するのは聞いたことがある。だから なお始末が悪い。

が、その後 英和辞典を引いてみた。アメリカ人社会の中でこの単語が使われる文脈も、まあ何度か経験しただろう。例えば、僕の作文で恐縮だが こんな風に使うのが正当だろうと思う:
Those who are naive to internal structure of computers should not use this function. You must be aware of the results when you use it. We strongly recommend that you do not attempt to use it unless you are very sure what will happen when it is called.
(コンピュータの内部構造に詳しくない者はこの機能を使用するべきではない。使用する際は、その結果 起こることを理解していなければならない。この機能を呼び出したとき何が起こるかを充分に理解していない限り、これを使用することは決して推奨しない)
英和辞典には、たいてい 「未熟、無知、うぶ」 という訳語が出ている。例えば 「この職場環境には まだ慣れないので」 というときの 「慣れない」 が naive である。 So, I was naive at the community, here − 「この世界には慣れないものですから」 − 自分のことを naive と言う場合は、かなり卑下を含んだ表現だろう。他人のことを言うなら、言われた相手への同情、あるいは弁護のニュアンスを読み取っていいような気がする − Because he is naive to this kind of things, we should take some ...

そういうわけで、下の記事の 「パソコンにナイーブな読者」 とは、Windows なら 「エクスプローラ」、Mac なら Finder も使ったこともない読者のことである; 許されよ。だが、大事なデータ (文書であれ写真であれ) をパソコンに保存する以上、この程度の知識は得ておいて ほしい。
ご参考までに、Windows は Mac の模倣品なので、今でもそれを 「フォルダー」 と呼ぶ。パソコンが MS-DOS だった時代、また現在でも Unix (Linux を含む) では 「ディレクトリ」 という言葉で、同じものを表現している。例えば、下の記事の その フォルダの写真群を 仮に そっくりそのまま僕の Web サイトに置くなら、そのフォルダ (ディレクトリ) 位置は
WindowsC:\photo\2003\030816
Web http://www.han-lab.gr.jp/~mizuno/photo/2003/030816
という関係になる。


(20040219-1) 「マイ ドキュメント」 の怪、またはデジカメ写真をどう整理・保管するか − パソコンにナイーブな読者のための Windows の扱い方

左の図、こんな画面を見たことがないなら、あなたは 「パソコンにナイーブな読者」 である。

一部、僕自身のプライバシーを含んでいるので、画面 右側の枠は 「詳細」 表示にして、実際の写真の姿が見えないようにした。その代り、写真 1枚1枚のデータそのものの詳細なサイズと、絵では欠けてしまったが 撮影日付・時刻が見えている。この他に、「アドレス」 欄に C:\photo\2003\030816 と見えていることに注目されたい。この名前は 僕の子の昨年の誕生日を意味し、その日に撮影した写真が この 「フォルダ」 の中 (または 「下」) にまとめてある。左の 「フォルダ」 枠にはその他 いくつかのフォルダが見え、それらの名前には 多くその日付に関連する字句が追加してあるのを 見て取っていただけるだろう。また、仮に日本語システムが死んでも読み出せるように、ここに到達する 「パス」 名は すべて半角英文字だけにしてある。
なお この絵は Windows 2000 の場合で、Windows-XP では多少 見え方が異なる。Mac の場合では、少なくとも System-7 までの Mac "Finder" では これと酷似した表示が出ていた (そもそも Windows は、そのころの Mac を模倣した製品なのだ)。

このフォルダに直接見えているのは、デジカメから取り出した 「生」 のデータである。多少とも加工を加えた画像は、cooked というフォルダの下に置いてある。



研究会に出席後、当日の写真を 幹事以下 数人に配信するとき、少し困ったことがある。この数人は、パソコンの Microsoft Word で論文を書いたり 韓国の 「アレア」 で書いたりしている人たちなのだが、そのすべてが 「パソコンのエキスパート」 ではない。多くの場合、彼らは 「マイ ドキュメント」 と呼ばれる 「Windows できあいの」 フォルダに文書を保存しているらしい。困ったことに、この 「マイ ドキュメント」 フォルダは、実は (ハード・ディスク上の) どこに実体があるのかわからない; 僕自身 「整理」 は自前で行なうことを大前提としてパソコンを使っているので、この9年 (つまり Windows 95 以来 現在まで)、Windows を新しい機械にインストールするたびに、「マイ ドキュメント」 のアイコンそのものを消してしまって来た。結果として、この 「マイ ドキュメント」 の実体の所在や、それから どうも特殊な振る舞い方をするらしい この 「特殊な」 フォルダの扱いで 障害が出て質問を受けても、答えようがないことがある。

最近の例では、つい先日の集まりの写真を .ZIP にまとめて、ただしプロバイダの制限で 10MB は送れないので、2分割して送った; 2分割して送った前半を 「マイ ドキュメント」 上に解凍すると前半が正しく読めるそうだが、2分割 後半を再度 解凍して展開すると、前の半分が見えなくなってしまうという − これは、まったく謎だ。

「マイ ドキュメント」 は、まず 「HDD上の、実際にどこにあるのか」 が 大変わかりにくい。わかりにくいので、数年内にパソコンが死にそうになったとき、次の機械に移動させる際に、「どこから それらのファイルを取り出したらよいのか わからない」 という重大な障害になる。だから、僕は こうしている:
(1) 「マイ ドキュメント」 そのものを消す。(その後に これが何かの 「保存」 メニューに出て来ても、決して使わない)
(2) 「マイ コンピュータ」 の中の適当な ハード・ディスク上で 「エクスプローラ」 を開く (そのドライブにマウスを合わせ、「右」 クリックで メニューの中にそれが出る)。
(3) そのドライブの 「エクスプローラ」 が出たら、そこに (この場合) photo という名前のフォルダを作成する。
(4) 以下、そのフォルダ以下、適切な分類、階層化をしつつ (サブ・フォルダ群を作成しつつ) そこに それぞれ分類されるファイルを置いて行く。
(2) で はじめて 「エクスプローラ」 が出た瞬間、その見え方は 上の絵とは だいぶちがうだろう。が、そこにあるたくさんのメニュー項目の選択・調整で、僕自身は 上の絵の姿が もっとも簡潔で使いやすいので、それで使っている。写真の場合、「縮小版」 表示が威力を発揮する。が、写真以外では、文書1つ1つの詳細情報の出るのがよい。それが上の絵の表示。

ま、それを読者に強制する意思はありません。
しかし、「マイ ドキュメント」 の奇妙な振る舞い方に出会ったら、やはり大事な写真や文書は、自前で整理する方針を取ることを お勧めしたい。この作業は 上の (2), (3), (4) で できる。所在不明の 「マイ ドキュメント」 より、自分の責任で作成したフォルダ、それ以下 自分の都合で作成した サブ・フォルダ構成のほうが、はるかに分かりやすいはず。「この」 パソコンが死にはじめたとき、次の機械に救い出して行く (転がる石にコケはつかない) ためにも、そうすることを 強く 勧める。


(20040216-1) 読書録、日記の後始末

「友人で先輩で 「師」 の一種でもある元大学教官」 の発表は、日・朝・中の 「笑話」 のありかたを並べた、普通の意味で (つまり比較文学で言う専門用語ではなく) 「比較」 したものだった。広い意味での 「笑い話」 には、日本では 江戸期の 「艶物」、「枕絵」 に類するものが大量にある。同じように、中国にも多い。が、不思議なことに、朝鮮にはそれが極端に少ない − そのあたりの問題を提起してきたのが、たしかに ここ数年の彼ではあった。

「笑い話」 とはいうが、政治的な皮肉・諷刺を伴うものは、危険が伴う。結果として 「笑話」 の大部分は 「シモ」 の話になる。1940年前後まで京城帝大で英文学を教えていたらしい西洋人教官による英文、朝鮮 「民話」 の類の紹介にも、要約: 「紹介にあたって、しかし最も紹介したいものは活字にできない。これは読者の道徳観に反することが理由である。ここで紹介するのは検閲を通るものだけである」 とあって、彼の収集した話の大部分が 「シモ」 の話であることが示唆されている。

日・朝・中の 「笑話」 の対比の中では、やはり読んだばかりの倉橋由美子 『老人のための残酷童話』 を思い出した。閻魔大王の妻の病気、その医者、その 「落ち」 の扱い方などが、自分自身が老人である倉橋とそっくりなのだ。が、研究会は 「朝鮮文学」 を扱う会なので、とりあえず その印象を共有してくれる人はいなかった。結局、「朝鮮」 から定年で解放された 朝鮮文学の大家は 中国に目をやり、僕は 倉橋由美子だのハリポタだのを読んでいるわけだ。



ハンダごてでヤケドした8才は、ヤケドがまだ完治しない。明日あたり 患部に カサブタが出来てくれれば、まず安心。当初 手近にあったビールで冷やし、オロナイン付け、次には抗生剤に移行しているのだが、それが かえって 「急激な悪化、急速な回復」 をさまたげているように見えるのは皮肉な話。
2才半の下の子、男の子は、相変わらず 「トトロ」 に張り付く。筋書きはもう覚えているようで、コマに乗って (傘さして) 空を飛ぶトトロが 「がおーっ」 と叫ぶ場面で、トトロに唱和する; この場面、お姉ちゃんも 「まだ がおーっが出ていない!」 と就寝拒否したことがある。ちがいは、どうも男の子の 「がおーっ」 唱和が、お姉ちゃんよりだいぶ激しい点である。男も女もあるものかと考えてきたのが父親のイデオロギー?なのだが、事実として 下の子の 「がおーっ」 は、本気で唱和する; あるいは、トトロ自身より激しい声で応じるのだ。「男の子」 は、あるいは本当に 女の子より 「激しい」、場合によっては 「粗暴」 な面さえ示すのかもしれないと、最近は感じ (あるいは予測し?) つつあるところだ。

ただ、2才や3才で 「映像 (+音声)」 を、大人と同じように見、聞いて理解している点 − その点だけは、僕には今も理解を超える現象である。そもそも、子どもは出生以後 1年くらい、0才の間は ようやく母親の 「顔」 という映像と、その声を認識する過程にあったはずだ。そんな幼時が、2才半では 「トトロ」 に張り付く。その急速な成長、認知・認識能力の発達のプログラム - Pre-Programmed - に、今でも信じられない思いがある。しかし、2才半は 「トトロ」 の 「がおー!」 に唱和する。


(20040213-2) 読書録 and/or 日記

倉橋由美子の 『老人のための残酷童話』 は、牽牛と織女の話が 「老人の性」 を含めて純然たる童話、もう1作 ややグロテスクな 「老いらくの恋」 というのがあるが、創作童話としては決して成功していないような気がする。巻末の地獄めぐり観光旅行の話は、結末の 「落ち」 がお粗末で、マンガの藤子・F・不二雄や西岸良平よりずっと陳腐だった。この人は 「作家」 なので、マンガ家でもその程度のオチを書いていることを、おそらく知らないのだ。もっとも、作家のトシを考えると、たしかに今からマンガを読めと言っても無理かもしれない − しかし、友人で先輩で 「師」 の一種でもある元大学教官は、定年前後に 「ある」 必要を感じて、少女マンガ(さえ) 渉猟していた。実は明日、定年後の彼の考えが示される (だろう) 発表がある。

「ハリポタ」 第4巻を持ち歩きはじめて、もう1年をすぎただろう。ようやく、4人の代表選手による最終競技の結末に至って、残った二人、つまりハリーと Cedric が美しい友情を発揮して優勝カップを ともに抱えて凱旋しようとした瞬間、冒頭の、仇敵が用意していたワナに連れ去られたところ。ハリー出生後の悲劇と同じ 「緑色の」 光が走り、Cedric は死んでしまう。この巻の話の運び方からすれば、Cedric の死がハリーの責任に帰されその追求をめぐる長い話に突入しそうなものだが、もう残り (全 600ページの) 100ページを割っている。この残りページ数では、やはり (経過説明の必然的な結果としてではなく) 何か (作者の) 勝手な説明で この巻を閉じるしかないだろう。
いま現在、墓石に拘束されたハリーの面前で 仇敵が石の鍋の中から復活する姿を見る、その場面まで。この週末の間に続きを読むかというと、おそらく No だろう。

おおよそ、この第4巻の、日本語で言えば 「結構」 の不首尾は おおい難い。既に第5巻が出ていて その翻訳が もうすぐ出るそうだが、はて、どうなのか。最終 第7巻は既に書かれているというから、作者は今 最後の 第6巻を書いているのだろうか。いずれ、第3巻から見られはじめたこの不首尾 (Ron のペットがハリーの仇敵の手先で、それがペットに化けていたこと; それを知った Ron の内面の衝撃がほとんど表現されていないこと)、第4巻自身の 本 (話) の構成自体の冗長化など、指摘するべきことは多い。第5巻はまだ見ていないが、これを 美しくまとめて行くのは、難しいだろう。第6巻ですべてをまとめ、既存だという第7巻できれいに収束させて行くのは、至難のワザでありそうな気がする。

処女作がそのまま出世作で古典になった例としては、『風と共に去りぬ』 がある。この 「風と共に」 の場合にも、少なくとも数ヶ所に技術的なミスが発見される (例えば、スカーレットの内面描写をしているはずなのに、その間 「材木屋の ケネディ氏は こう思いました」 とか書いてある)。それは、作品全体の構成の中で、数ヶ所の 「瑕疵」 にすぎない。だから、「瑕疵」 が必ずしも作品の価値を落とすわけではない。

が、「ハリポタ」 第4巻には まいった。あまりにも漫然とした話題展開が続く (続いてきた) のだ。
イギリスでのロケで作られた映画の第2作の後、アメリカ人監督は帰国してしまった。理由は 「イギリスには充分長く住んだ、子どもの教育問題もあるし」 ということだったそうだ。第3作には、別の監督が決まったらしいことまでは聞いたが、その後を僕は知らない。乱暴に予測してしまえば、「ハリポタ」 の映画は、第2作で終りになるのではなかろうか。ダンブルドア役のじいさん俳優も死んだし、ハリー当人役さえ、これでハリポタは降りると言っているのを TV で見たような気がする。
結局、「ハリポタは古典になるか」。正直なところ、僕は否定的になりつつある。


(20040211-2) 倉橋由美子と 娘の火傷 − 日記

倉橋由美子の 『老人のための残酷童話』 が気になって読みつつあるが、ふむ、これは純然たる創作集のようですね。「20年前」 の出版だという (本の腰巻にそう書かれている) 『大人のための残酷童話』 は、ほぼすべて グリムその他のパロディだったのだが、今度の 「老人のための」 は、僕より 20年?ほどトシの多い作者の、独自の素材を、老人でなければ思いつかないだろう扱い方をしたものである。冒頭の 「図書館」 を食い尽くす老人の話など、大学研究者であったこともある (かもしれない) 作者以外に、こんな素材を思いつくとは思えない (ご参考までに、16年前までの僕のアメリカ生活は アイオワ州である。倉橋由美子は、その同じアイオワの州立大だったかの、文芸創作科というところに留学した人だ)。

「老人のための残酷童話」 では、しかし 「童話」 といえるのは 今のところ 「牽牛・織女」 の1つだけである。姥捨ての話も、たしかに 「残酷」 かもしれないが、「鬼」 になりたい若い女の願望が表現されていて、少しも 「残酷」 ではない。「牽牛・織女」 だけが、さらに 「残酷さ」 を捨てた 「童話」 化 していて、ただ1つだけ、「子どもの童話」 では扱えない 「老人の性 (セックス)」 を扱っている点だけが、「子どもの童話」 と異なる。その 「性」 の扱い方が 僕には少しも 「残酷」 とは思われない。つまりこの本は、「残酷童話」 流行の後、そんなこととは関係なく やはり作者自身を表現したものである。「老人の性」 とは言っても、それは 子が成長期をむかえ 夫婦の 「性」 が生活の前面から後退して行く時期の (まだ若い) 夫婦にも似た面がある。その意味で、これは 「ぜんぜん残酷ではない」、ただの 「大人のための幻想的、つまり童話」 にすぎないと思った。
この作品で、本は既に後半に入っている。以下、特に注目するべき作品があればレポートするが、おそらく この本は それ以上に衝撃的な内容を持っているとは思えない。



9才前の娘 (4年生になる前の8才11ヶ月) に、ヤケドをさせた。
きっかけは、彼女が学校の教材を組み立てて持ち帰った 「懐中電灯・兼・アラーム ブザー」 で、この配線を まず父親がハンダ付けの模範を示し、次には彼女自身にハンダ付け実習をさせるつもりで、ハンダごてを持ち出したことにある。教材は、被服ムク線の被服を剥いてプラスチックの端子に巻かせ、その端子を金属端子の横にあるピンに差す構造になっていた。問題はこの 「金属端子 + 露出ムク線巻きつけ端子」 の接触が悪い点、つまり 構造的な精度が低い点にある。結局、まず1ヶ所のプラスチック端子を捨てて、ムク線を直接ハンダ付けした。が、これがけっこう面倒で、端子の素材が悪いのだろう、ハンダが素直に流れない。これでは、夜 10時前後、今夜のうちに課題は達成できそうにない。とりあえず今夜は、この1ヵ所で終りにする。

そうこうしているうちに、彼女は立ち上がる。部屋が狭いので、通電したままのハンダごては、床の灰皿の上に置いてあった。これを、彼女は足に引っかけた。あらら、コテのヒーター部に触れたのだろう、IC 工作用の 15W とはいえ、そりゃ熱い。コテのサイズの水ぶくれができた。

考えてみれば、この子が 「火傷」 を負ったのは、これがはじめてだ。かつて 父親のくわえタバコ、それに触れて瞬間的なヤケドをしたことはあるが、本当に 「火傷」 と言えるのは これがはじめてである。

うむ; これで、「ハンダごて」 に懲りてくれなければいいのだけど。一方、「付きゃいいや」 ですませてきた父親のハンダ付けも、やはり安全を期して 正しい 「こてスタンド」、温度調整機くらい用意しないといかんか ・・・ 東京郊外で今夜の電源電圧 102V、ハンダごて 15Wで IC 工作用の糸ハンダは たちまち 「銀玉」 を作ってしまう。うーん、予想外の課題だ。


(20040211-1) 「求人」 広告、または無償ボランティア求めます

次の条件を満たす方:
・自分で自分のパソコンを管理できること (ファイルを行方不明にしてしまうような人はだめ)
・コンピュータのプログラム言語を、少なくとも1つ自由に使えること (1つ使えればよい; 2つめからは類推がきくので; 言い換えると、C 言語と JavaScript と Perl あたりが、当面の課題になる)
・HTML 文書を自分で作成できること。いわゆるホームページ作成ツールを使用している場合は、その最終生成物である HTML 言語による文書を、手操作で修正できること。
・朝鮮語/韓国語を、ある程度 自由に読み書き、聞き話せること。
・できればその他の言語、例えばフランス語、ドイツ語、北欧、スラブ各語やエスペラントの知識があれば最善。
・自力でインターネット・サーバを構築する必要はないが、そのサーバ構築にあたって 作業してくれる人に 正確に、的確な指示を出せること。具体的には、http サーバと クライアント (端末 = パソコン) の関係、http サーバと CGI の関係などを理解していること。
・もちろん、作成した HTML 文書を 自力でサーバ上にアップロードし、その管理ができること。
・他人の Webサイトを管理することもあるので、その秘密を守れること。
これだけ並べて、これを 「無償ボランティア」 でやれ、というのは無理かもしれない。実は僕自身、最近は恩師のページ 「編集者」 の役割にアップアップしているので、どなたか一部を引き受けてもらえないかと思っているのだが ・・・

一方、友人の弁護士が数人いるが、その世界では 彼らの関与する集団訴訟の、弁護団同士の連絡と 情報提供を兼ねたホームページ作成、という課題が進行中、または進行予定だそうだ。ここでも問題になるのは、大量の文書の処理、時には画像化ないし PDF化、その際の技術面での支え ないし助言。
この場合も、原告団は社会的弱者の集まる集団なので、報酬は期待できない。ただし弁護士たちは それぞれの事務所にそれなりの機器を持っているので、手伝うならそれらの機器は使わせてもらえるだろう。ただ、その世界はその世界で、やはり ある程度以上の法律知識が必要かもしれない。
今のところ、弁護団の中でも ハイテク知識 豊かとみなされている友人が 内部で提案・検討などをしている段階らしい。

さて、どなたか いませんか?


(20040208-1) 「古典」、または子どもとの対話、それに 「SF」

8才11ヶ月 (小3) の娘に与えた 父親の説明:
誰でも大人になるまでの間に、必ず読む、そういう本とかマンガとかがある。(父親、手近に見える本を指差して) この 「クモの糸」とか、「走れメロス」 とかね。マンガだと (手塚治虫の) 「火の鳥」。
3年生の間、この子は あまり活字の本を見ていない; 学校では わざわざ 「読書」 の時間を用意して、その時間は何を読んでもよいことになってるので、自宅から本を持って行く; その本が、実はジブリの絵本 (絵にあらすじ・解説のある本) だったりするので、いわゆる 「活字に親しむ」 のに貢献するかどうか、多少 疑わしい面もある。この1年、毎月 父親が買ってやる約束だったのは、実は月刊の少女マンガ誌2種である。当人は3種ほしがっていたのだが、3冊めは自分の おこづかいで買わせることにした。結果としては、この3冊めは お菓子に化けた。

しかし、それ以上に この子はたくさんのマンガを読んでいる。もちろん、父親の蔵書?と、父親が常に買ってくるマンガの本である。言い換えると、この1年、父親自身 活字の本をろくに読んでいない。ただし買ってくるのは、コンビニに寄ったついでに発見する 藤子・F・不二雄の SF もの、手塚治虫、西岸良平 といったものばかりで、傾向がきわめて限られている。さすがに 古谷三敏 「レモン・ハート」 となると子どもにはつまらないようだが、しかし 藤子・手塚・西岸 は 完全にこの子のレパートリーの一部を構成するに至った。西岸良平の 「三丁目の夕日」 に至っては、父親の蔵書は 41巻までだが、実はその後の 42-44巻まで出ていることを、今日 彼女から知らされた。

ところで、扱いに困るのは、手塚治虫だ。手塚治虫には、本の解説にも よく書かれているように、「白手塚」、「黒手塚」 の両面がある。「鉄腕アトム」 はともかくとしても、それ以後の彼には 「ブラック・ジャック」 という微妙な世界の作品がある。ここまでは どなたもご存知だろう。が、その先の 「奇子 (あやこ)」 という作品をご存知だろうか。これは ・・・ この作家にしばしば見られる 「近親相姦」 というモチーブ、ないしは素材を 露骨に扱ったもの、つまり奇子は近親相姦の結果 生まれ、幽閉され、幽閉された中でさらに近親相姦の当事者となり、最後には悲劇的な結末に収束 (または拡散) する、僕自身の知っている限りで もっとも悲惨な内容の作品である。これの亜流というか、これに類する作品にも しばしば出会う。この亜流にあるのが (あるいは) 「ブラック・ジャック」 で、一連の 「ブラック・ジャック」 の中には ジャック自身の生い立ちとその親族の関連や、ピノコ出生の経緯が説明されたものがある。作家自身が医者であるだけに、生々しい外科的な処置の問題、そこにジャック自身、あるいはピノコ自身の出生談が関連付けられるのだから、読むほうはたまらない。もちろん こうした外科的・解剖学的な話題のすぐ横には性欲の扱いが控えていて、たまたまコンビニに出ていた1冊は ただひたすら それだけを追う 性的なヒロインとそれに翻弄される主人公、その背景にはまた SF としての人間の 「冷凍保存」、さらに例によって近親相姦がからむのだから、これはたまらない。かくして、コンビニで見つけた 父親の未知の手塚作品たちの中には、家に持ち帰れない、職場の引き出しに死蔵せざるを得ないものがある。(「奇子」 は、自宅の 「蔵書」 の中にある。が、幸い ゴミに埋もれていて、現在は発見できない)。

最近 流行しているらしい、コンビニ相手の 旧世代マンガの復刊。そのおかげで、「火の鳥」 は2種を補充した。昨日、ゴミの山の下の方にあった 1968年刊の2冊を、8才が発見し 指摘してきた。前から気が付いてはいたそうだ。刊行当時の定価¥180、僕はそれを¥1,000くらい払って買った時代のものだろう; 紙が変色し、折り曲げれば破壊しそうだ。パラフィン紙がかけてある。僕が買った当時、古本屋が そのパラフィン紙をかけて店頭に並べていたと思われる。下の子 (2才) に触らせれば たちまち破壊にいたるだろうから、隠しておけ、と指示した。それが 「黎明編」 と 「未来編」 である。

「SF」 そのものとしては、藤子・F・不二雄 の (最近出た コンビニもの復刊) のほうが、純粋に 「SF」 らしい面を持っている。特に その 「タイム・マシン」 ものには、周辺事情を調べた末の作品であることがよく表現されている。
その 一方 手塚治虫は、「SF らしさ」 には興味がないように見える。手塚の場合、それを承知の上で、例えて言えば 「精神科医があえて展開してみる妄想の世界」 という面がある。それが、しかし 「藤子は 「浅い」、手塚は 「深い」」 と言える根拠にも ならない。

中国ではどうか。
古いものを集めた 中野美代子編 (正確な書名を忘れたが) 「中国怪奇談集」? がある。ただし その中には 「古く」ない、天安門事件にあたっての中国政府側 公式発表文などが含まれている。「古い」 ものには、水・金・火・木・土・天・海 の各惑星の文字などが記述されていたりする。その意味で 「SF」 として成り立っていた。
余計な話だが、これも書名は忘れたが、中野美代子自身の創作集があり、ここには中国西域の王国で 「歓喜仏」 の世界、つまり性交渉の姿を描く世界が現われる。この人の世界は、倉橋由美子の世界にも似ている。倉橋には 「大人のための残酷童話」 などがあったが、数日前 今度は 「老人のための残酷童話」 という本が書店に出ていた。

朝鮮・韓国?
これは、その世界が得意の人がいるので、それにまかせる。少なくとも韓国では、藤子・F・不二雄型の SF は成立していない。むしろ、この 10年前後の間に、中国型、荒唐無稽型 SF を 20才未満で成功させた例があるそうだ。

西洋。
「ハリポタ」 それ自身が、伝統的な観念の上に 「荒唐無稽」 型 SF として、近い将来 完結するのだろう。この世界では、SF は 「童話」 の姿を取っている。そもそも 「ピーターパン」 それ自身が 現在でいう SF であったのだろうと、僕は考えはじめている。

では、純然たる Science Fiction はどうなるのだ? その発祥地はアメリカだと思われるのだが、残念ながら 僕は 興味も知識もない。アシモフの世界が Thunder Bird や Star Treck につながっていることは わかるのだが、ただし それが 映画 "The Independence Day" という駄作につながっているのも事実ではある。同時にまた、アメリカ USA の 「SF」 が、一般論としてグロテスクなばかりの方向に向かったのも事実なのだ。


(20040207-1) 1週間の 「日記」 − またはフランス語なまりの英語

先週末の眼科の 「手術」 後、今週は めずらしく 「他社」 の商品 (ソフトウェア、ある リアルタイムOS) の教育セミナーを聞きに行った。月曜から金曜、朝9時から夕方5時まで、びっしり予定が埋まっている。講師は カナダ白人で、フランス語なまりの英語でしゃべる。他の受講者は 理解しているのかいないのか、Any question? と きても オシの集団になる。やむを得ない、結局 第1日は僕が一人で、アメリカ英語を思い出しながら あえて 「浮き上がった」 存在として 質問をくりかえす。

2日めからは、元気のいい他社の青年が一人、少しずつ声を出しはじめた。やや、救われる。
5日間、結局 講師と英語で言葉を交わしたのは二人だけ。もっとも、受講者の大半は 既に知識があるので 話題は理解していたし、僕自身 同じような 「講師」 側を つとめた期間も長い。講師の補助役のつもりで 説明を補足させたり、擬似通訳の特権で 当方に焦眉の課題などについては そこそこの説明を引き出し、正確な説明を受けたが故に 正しく失望を感じていたりも した。

それにしても、僕には アメリカ滞在歴3年半、のべ6年?の経歴があるとはいえ、それは 1988年までのことだ。そりゃ もう、16年前のことになる。つい昨日のことのように思えるが、トシをとると 「時間の流れが速くなる」。コンピュータ関連の資料は今でも 日本語訳が信用できないので 必ず英文原文で読むことにしているが、最近は台湾との英文メールに接することが多くて、その いわゆる 「中国英語」 − つまり時制がない: 過去・完了・現在または未来・意志の区別がない、または ごちゃまぜ、西洋語の主語・述語の観念のない構文、人称や単数・複数の区別もない − に慣らされつつあった。だからこそ 一昨年 「ハリポタ」 の正調イギリス英語を見たときは とても 「新鮮」 に思えたのだが、今度はまたちがう。講師が POSIX を [poziks]、resource を [rizo:s] なんて発音をするのに気がついたのは、2日めくらいだったか (フランス語の場合、母音にはさまれた s のオトは [z] になる)。その一方 offten 「しばしば」 は まるでアメリカ語で、本当に文字通り [often] と発音していた。おそらく 彼は vihicle 「乗り物/交通手段」 を [vi:haikl] と発音するだろう。念のため、我々が日本で習うのは 正調イギリス式 [vi:kl] である; アメリカでレンタカーを返すとき、カウンターのお姉さんに "Do you have your びーはいくる (to go home) ?" と聞かれたことがある。また講師は、フランス語には ない [h] 音を明瞭に発音している。その意味で、彼は正しくバイリンガルである。

この講師は、生活語ないし母語はフランス語だと言っていた。職場は既に 15年、英語。その会社のオーナー自身は中国系である。彼は ほぼ完全な英仏バイリンガルなので、僕が彼の姓 Last name をフランス語風に発音してみせても、「おう、その通り!」 とほめてくれただけで、ちっとも驚いてくれなかった。少しは喜ばせてあげたかったのだが、彼の生活空間ではバイリンガルが当たり前なので、少しも驚くべきことではなかったらしい。別の言い方をすれば、アメリカ人 (外国語をまともに習ったことのない、「国際性」 に欠けるアメリカ人) ではない彼は、日本語も 多少は覚えようとしているようだった。

さすがに、疲れた。
1週間、ついに帰り道で 「ハリポタ」 第4巻を開く気には ならなかった。慣れない朝出勤、終日 「集中しないと聞き取れない英語 -> 疲れる/眠くなる -> さらに聞き取れない」 の悪循環だったので、そこから解放された後に英文の本など見たくもなかった。金曜の夜は、さっさと寝た。

土曜日。
朝 一時的に目がさめたものの、再び昼すぎまで寝る。3時、先週の眼科の手術後の検査に行き、そこから帰ると またチューハイあおって寝た。起きたのは 夜 10前。予約しておいた パソコン TV 録画の "The Load of the Rings" が まだ走っている。23:39、CD-ROM 3枚半を要する録画が やっと終わった。これを CD-ROM に掃き出さないと 子どもの録画空間を圧迫するが、まだ疲れているので放置する。


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