Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20031030-1) DVD その後 − 何もせず

ときどき 「ここ」 を読んでくださるらしい方からメールをいただいた。
DVDの 「リージョン・コード」 を無視させるソフト。配布元は既にリンク切れになっているが、純然たるフリー・ソフトなので 自分が あなた (水野) に供給することもできると 言ってくださる。
ありがたい申し出。しかし、二の足を踏む。配布元がリンク切れということは、作者が 「ヤバイ」 のでそうしたか、あるいはそのサイトが トラブルをきらって そうしたか、だろう。

いくつか、予備知識:
「5回まで」 書換え可能というとき、「今まで何回、次は何回め」 という情報は、DVDドライブ自身の内部の、不揮発性メモリ (おそらく、まずフラッシュ・メモリ) に記録されている (その証拠に、ドライブを取り外して 別の機械に持って行っても、「そのドライブ」 のその記憶が復元される)。
「リージョン・コードを無視する」 ソフトは、パソコン側 (DVDのドライバ層ソフトウェア) で、まず、この記憶におかまいなく、DVDドライブに 「知らぬ顔」 で指示を送ってみる; その指示に従って ドライブが動作してくれれば、それでよい。が、ドライブ側の ファームウェア自身が、「俺は既に5回 書換えられた; 最後に選択されたものしか再生する意思はない」 という態度を取る、可能性がある。そこで、今度はドライブのファームウェア つまりドライブ内ソフトウェアの書換え、ということになる; 業界の意図に逆らって、世のあらゆる種類の DVDドライブのファームを、いったい誰が用意するのだ。予想だが、ドライブが新しければ新しいほど この傾向は強くなっているはず。

実は、そこで ソフト屋の 「経済観念」 が動作する。いろんなことをやってみる労力・対・新しいドライブ1台 買ってしまう値段と − そして それこそが、DVD に 「リージョン・コード」 を導入した業界のねらいであることは わかっているのだが、現実問題として、「徒労に終わるかもしれない」 労力を、それに捧げる意思が、僕にはないのだ。

だから、電気屋さんに行ったとき、ドライブの値段を見てみた。今なら、もう ¥5,000 くらいでドライブは買えるのじゃなかろうかと期待しつつ。
ところが、驚いた: 「ない」 のだ。もう、DVD-ROM、単に DVDが読めるだけのドライブそのものが、店にない。あるのは Combo と呼ばれる DVD-ROM + CD-R/W の複合機能ドライブが最低限で、これが ¥9,000台。あきれた。
通販で探してみたら、単純 DVD-ROM ドライブ、¥7,000 の手前、たった1種類だけが発見された。風前の灯火。希少価値。

なんで、こんなバカなことになったのだろう。

なお、「業界」 が 「リージョン・コード」 などというのを導入したのは、まず 「アメリカで買った映画の DVDを、日本に持ち帰って 見られたくない」 からである。カリフォルニアで買った DVDソフトは、アメリカ国内販売の再生装置でないと、見せないつもり。日本でソフトを売るときは、吹替えの別言語 = 日本語と、字幕が付く。その作業が終わって 「正式」 公開するまで、日本でアメリカの映画を見てもらいたくない; 見られると、日本の業界の収入が減る; 「著作権保護」 の一面は金銭に関する業界の権利 「保護」 であるから、である。
ただし、最近 ふえてきた ¥1,500 DVD のシリーズなどの場合、「吹替え」がない。それでも、字幕は英語と日本語が用意されている。要するに、「業界」 は その 「商域」 専用の商品を作って、客を拘束したい。それに 「吹替え」 まで入れるのは面倒 = カネがかかるから、いっそのこと 字幕追加だけですませる。それが、安い DVD ソフトたちである それも、まあ哲学の一種かもしれない。『風と共に去りぬ』 の英語を英文字幕で見れば、わからんわけではない。安いから それも許せる。逆に、ディズニーさんなど吹替えなしでは商品にならないので、思い切り高い値段を付ける。ジブリさんなども、用もないのに おフランス語の吹替えなど付けて (「千と千尋」、あれは、英語以前にフランスの映画祭に出したから、フランス語ですませたのですな) ディズニーなみの値段を付ける。さらに余談だが、センとハクは当初 ブトワイエだが、どこから チュトワイエになるのか、僕もよく見て (聞いて) いない

どうでもよいが − 忘れていたが、「日本」 と 「ヨーロッパ」 は、DVD のリージョン・コードは同一で、2である。「ハリポタ」 の DVD をロンドンで買うと、フランス語、ドイツ語が入っているだろうか? 実は、ハーマイオニーのフランス語が聞きたくなっている。この2つの 「地域」 は、「充分に遠い」 のだろうか (だから、同じでかまわないと考えられたのだろうか?)。
さらに どうでもよいが、「ハリポタ」 原作の第4巻には、フランス語訛りの英語をしゃべるフランス人や、ブルガリア?訛りの英語が出て来る。もし本当に この第4巻まで映画化されるとしたら、はて、ロンドンで売られる DVD の フランス語 (やブルガリア語?) の吹替えは、どうなるのだろう? もっとも、音声は英語だけ、その他は字幕だけで逃げるという手はある。
ちなみに、「ハリポタ」 映画 (DVD) の第1作は 「英語」 と 「米語」 が区別されている (Philosopher か Sorcerer か) が、第2作からは区別がなくなっているはずである − 第1作でも、ちがいは そのキーワードだけだったから。


(20031025-1) 「東南アジア」 版 DVD が読めなくなった

クレジット・カードで生活費を一時補填してきた甲斐あって (?)、その おまけの サービス・ポイントが貯まっていた。¥14,000分、Tower Record の商品券に替えた。今日は池袋に、上の子を連れて行った。商品券で買ったのは、『リロ & スティッチ』、懸案だった 『ポカホンタス』、それに 「ハム太郎」。商品券では 「おつり」 をくれないので、¥1,000 単位で端数は現金。結果として 商品券はまだ¥5,000も残っている。

帰ると、上の子8才はそれを見たい。一方、下の子2才は 今は 『千と千尋』 ばかり見ている。上のは、日本版 DVD ドライブを持つ Windows XP で見ているが、下のは 東南アジア版 DVD ドライブを持つ 僕の Windows 2000で 香港版を見ている (これでも 『千と千尋』 は (当然) 日本語が出る)。しばらく それで放置した。

おおよそ3時間後か。
あら? 上の子 XP では 『ポカホンタス』 が、2000では 「ハム太郎」 が出ているではないか。おかしい。僕の Windows 2000では、DVD ドライブの 「リージョン・コード」 を書き換えないと 日本の DVD は読めないはずなのだ。

2才を排除し、調査した。うおーう。裸の DVD ドライブは、「何語圏」 のパソコンの装着されるか予測できないから、その 「リージョン・コード」 は 「5回」 まで変更できるようになっている。その 「5回」 を、消費し尽くしていた。「今後変更できる回数」が、0になっている。こうなる:
(1) 最初の実験で 「リージョン・コード」 2 つまり 「日本」
(2) 次に 韓国・香港版 DVD を見る都合で、「リージョン・コード」は 3 に変更。
(3) 次に誰かが、そのドライブに 「日本の」 DVD を入れた。マウスは親切に 「Yes」 を指すようにしてあるから、どんどんやると 「リージョン・コード」 2 に戻る。これで 「変更」 3回。
(4) 当然、僕が再度 「リージョン・コード」 3 にする。
(5) 最後に2才児が、「ハム太郎」 を入れた。「リージョン・コード」 は 2 に戻る。これで5回。
従って、このドライブでは、もう 韓国・中国・香港・東南アジアの DVD は再生できない。困ったことになった。
それにしても、驚いたのは 2才児がその (5) の操作をしてしまったことだ。マウスが勝手に 「OK」 ボタンを指すようになっているので、それをどんどんやると、(5) の操作は完了する。驚いた。あきれた。困った。この2才児は、その程度の知能 または マウス操作の条件反射を手に入れていることになる。

さて、どうしよう。
Windows 2000 に入れてある DVD ドライブ (既に日本版しか再生できない) は、XP ではマザー・ボードとが相性が悪い。従って、この2台の入れ替えでは 問題解決できない。
2000は既に 「日本版」 専用になったので、XP を 「東南アジア」 専用にすると、しかしそれは、僕の仕事用のマシンが 彼らの映画鑑賞機になることを意味する。そりゃ、いかん。

結局、DVD ドライブ内部の firmware、なかんづくその 「リージョン・コード」 の記録部分をハッキングするか、さもなければ DVD ドライブ自身を買って来るか。前者は、仕事なら数百万円を要求するだろう。つまり、現実的に数ヶ人月を要する解析なので、現実的と思われない。要するに、こうなったら DVD ドライブを買ってくるしかないのだわ ・・・


(20031021-1) 最近の 「接見」 例

先日 (下記) のタイトルが 「殺人犯」 なんて、あんまり生々しいので、それ以後の例を書いておこう。つい最近である。

当番弁護士への FAX 通知では ノー・ビザだけが容疑に挙がっていたので、これは常に出会ってきたケースだ。その多くは、ノー・ビザ集団の中でだけ暮らしてきたので、いざとなると 「誰も助けてくれない」、つまり、周囲もみんなノー・ビザの人たちばかりで、この人たちが のこのこと警察の留置場に 「面会」 に来るわけにはいかない; 来れば、面会者の 「身元」 確認があり その場で 面会者自身が留置場行きになるのだから、誰も手を出せなくなる (だからこそ、当番弁護士という他人が、「接見」 に行く意味/必要がある)。

この最近のケースは、幸いだった。ノー・ビザ滞在 既に8年、違法滞在自体は刑法犯と同等だが、裁判を経て多くは執行猶予、その 「釈放」 とともに入管の役人が待っていて、入管に収容、強制送還になる。それ自体、被疑者自身が充分に理解していたし、年令的にも落ち着いていて、取り乱すことがない。
さらに幸いだったのは、当人には合法滞在の知人がいて、その電話番号も正確に記憶していた。弁護士と通訳は一時 接見室の外に出て、その場で電話、その知人はふたつ返事で 「明日、行く」 と言ってくれた。ほっ。

カネがないのは明らかなので、弁護士会の補助制度で、当面 当番弁護士がそのまま契約関係になる見込み。その間に、親族に近い知人の支援があれば、留置場内の当人には大きな支えになる。当番から起訴前 補助制度で契約関係になった弁護士は、起訴後もそのまま国選弁護人になることができるそうだ。その際 「通訳」 は交替するが、大丈夫、合法滞在の支援者がいるし、一般人の 「接見禁止」 も付いていない。弁護士が必要を感じれば、その場に その知人を連れて行くこともできる。実は初日の接見でも、通訳はほとんど必要がなかった。

これだけ 「安心して」 留置場を去ることのできるケースは、初めてだった。今まで、被疑者の言う知人の電話番号は 十中八九 不正確で、残りの一二は 通じても 「俺らもみんなノー・ビザだ。どうしようもない」 − 「誰か合法滞在者はいないのか、さもなきゃ日本人の知り合いはいないのか」と、電話で押し問答をしてきた。二つ返事で、「明日 行きます」 という返事が得られたのは、この6年の間 はじめてだった。

違法滞在者への 「支援」 を、快く思わない人たちはいるかもしれない。が、どのような犯罪の被疑者にも、弁護を受け正当な防御を行なう権利がある。事実 今日のニュースでは、「日本人を偽装して」 中国から入国した一家が現在は入管に収容されているが、その一家の母親は 日本国籍が確認されて 「就籍」 が実現した、というのがあった。こうなると、一家の子らには 「日本国籍」 が発生する。「偽装」 つまりニセのパスポートで入国したこと自体は犯罪だが、しかし 「日本国籍がある」=「日本人」 を入管に収容する根拠は、根底から失われる。配偶者には、その資格によるビザ取得の権利が発生するだろう。弁護士たちの活躍が期待される場面だ。

一般に ノー・ビザの外国人は、みずから入管に出頭すれば、入管は強制送還の手順に入る。その 「送還」 費用を当人が自力で負担できれば、当人は飛行機で 快適に帰国することができる (帰国後の、本国での取り調べは また別だが。しかし どこの国も、自国民の帰国を拒否することはできない − たとえパスポートが失効していても)。当人が費用を負担できない場合、定期便の船を待つ間、入管の収容所に留め置かれることになる。
街で 警察官の職務質問に出会い、それでノー・ビザが発覚した場合は、最近ではそれが短期なら、警察は直ちに入管送りにするらしい。が、そのノー・ビザ滞在期間が 「ある」 年数を越えると、一度 起訴、裁判を経ることになる。この 「不公平」 は 弁護士の間でも話題になっているが、今はそういう経過をたどる。

いずれにしても、違法滞在の末は、人道的に特に主張するべきこと (と有能な弁護士) が存在しない限り、入管に収容、その先は自費で帰国か 定期便待ちかになる。一番つらいのは、警察に捕まった場合の 取り調べから裁判が終わるまで、次に この「定期便待ち」 の収容期だろうと思う。その期間の間に、知人や親戚から支援が得られるか、どうか。仮に裁判後に 「自費帰国」 の費用を 知人・親戚が負担してくれるだけでも、当事者には大きな救いになるはずだ − もし 「あなた」 がノー・ビザ滞在なら、必ず、合法滞在者、または信頼できる日本人の電話を 正確に記憶しておくこと。
わかりましたね?


(20031018-1) 「殺人犯」

話の性格上 − つまり当事者のプライバシーがあるので、「すぐ」 には書けない。が、前回の呼び出しから 数ヶ月が経過したので、もう よいだろう。

最近はめったに なくなった (あっても、平日は僕が外に 「出勤」 するようになったので、断らざるを得ないことがある) のだが、弁護士会の 「弁護士センター」、つまり 当番弁護士センターから電話が来て、当日 通訳に出れるかという問合せ、つまり呼び出しがある。警察に拘束された人 つまり 「被疑者」が これから取調べを受けるが、それについては裁判官による 「拘留」 許可が要る。警察署から護送車というバスで裁判所へ; そこで 裁判官から 「拘留質問」 を受ける。その際、裁判官は 「あなたは弁護士に会いたいか」 と必ず聞く。答えが Yes であれば、また被疑者が外国人であれば その旨を添えて、弁護士会の当番弁護士センターに連絡が出る。センターでは当番弁護士と、該当言語の通訳リストから通訳を選んで呼び出す。以後、弁護士は通訳と連絡をとって、被疑者が 「拘留」 されている警察の留置場に 「接見」 に行く。
(用語は、起訴以前なので 「容疑者」 ではない 「被疑者」、留置場での拘束は 「拘留」、弁護士が留置場の被疑者に会うことを 「接見」 と呼ぶ。起訴後は、「拘留」 は 「拘置」 になり、「被疑者」 は 「被告人」 となる。「容疑者」 という言葉や、「嫌疑」、「容疑」 が法律用語であるかどうかは僕も知らない)

前回は、行ってみると、弁護士が受け取っている FAXには、「殺人」 とある。
今まで、ノー・ビザ とか 「詐欺」、「窃盗」 というのには何度か出会った。「詐欺」とは新聞の集金がうまく行かず、生活も苦しくて集金した分も店に戻せないまま、店主に告発された例。「窃盗」 は 韓国から遠征してきた暴力スリもあったが、単に無銭飲食になって逃げたら捕まった; 捕まってみるとノー・ビザが発覚した、というケースもあった。

「殺人」 は、こうだった − 前から反目があったらしい、働いている店の近所で、若いのとケンカになった; おじさん、若くて元気な相手に素手では勝ち目がないので店に戻り、適当な 「武器」 として アイス・ピックを持ち出した; その結果、若いのは死んだ。
おじさんといっても、僕と同年代である。しかし、相手が死んだ以上、これは実刑は避けられないだろう。おじさんの滞在資格、つまりビザの有無は、僕も もう (本当に)忘れた。「人が死んだ」 経過が、ビザの有無よりはるかに重要なのだ。

当番弁護士の任務は、通例 最初の接見の 「1回限り」 である。場合によっては、その当番がそのまま弁護士契約をして、通訳も同じ人物で続けることがあるが、僕の場合、せいぜい3回の接見までで、それ以後は起訴、国選弁護人に移行していった。
(国選弁護人は、裁判所が弁護士会にその人選を求める。と同時に、通訳は裁判所付きの通訳に交替する。通訳でも、弁護側、警察・検察側、それに裁判所付きでは立場が異なる。国選弁護人が採用される場合、通訳は裁判所から派遣される − つまり 通訳も 「国選」 の一部で公費負担になるわけだ。僕が、「人の運命に宣託を垂れる」 裁判所の通訳を拒否し続けてきたことは、かつて − 何度も − 書いた。まして、「人を有罪に追い込む」 ことを目的とする 警察・検察側 通訳をする気は、ない。つまり僕は 「弁護側」 通訳はするが、それ以外を拒否し続けているわけだ。なお、通訳報酬がもっとも良いのは、警察・検察の、留置場内 取り調べ通訳であるらしい。ここには、あやしげな在日2世+がしばしば登場するらしいが、しかし一方、食いつなぐことを目的とする 言語系 修士・博士浪人の研究者が 「仕事」 と割り切って介在することもある。彼らの多くは、「警察の通訳」 をしていることを 隠しているように見える。唯一、僕と大学在学期の重なる女性で 今は大学教官に納まった人と、「留置場、取り調べの通訳」 の可否をめぐって議論したことがあるだけだ)

「殺人」 で、おじさん、その後 どうなっただろう。
こうして刑事事件になると、周囲は 「手のひらを返すように」 去って行くことが多い。おじさんには内縁の妻がいた。おそらく、彼女の努力、または逃亡によって、おじさんの処遇は大きく変化したはずだ。
しかし、それにしても、人が死んでいる。執行猶予はあり得ないだろうから、どう転んでもおじさんは服役中だろう。問題は、それが3年か、15年かだ。それが決まる過程、つまり裁判の過程を見ていなければならないのだが、僕は その 「被告人を懲役X年に処す」 というせりふの通訳を、したくない。人の 運命に宣託を垂れるその・単なる通訳行為を平然とできる人が、僕には信じがたい。その通訳には しばしば女性が目立つが、男性で 「法廷通訳」 で生活していた友人がいることも また事実だ。かつ、だからといって、法廷に立つ通訳の彼を 信用しないわけではない。しかし僕自身は、その場での自己内部の矛盾を解決できないから、拒否し続けているわけだ。


(20031017-1) みずぼーそー

2才の子が、保育園に行ったら その場で小児科/内科に行かされたようで、「みずぼーそー」 と言われて帰ってきた。ふむ、確かに その手の本に書いてある通りで、昨日・今日あたりがピーク。全身に ところかまわず (髪の毛の間にも、ちんちん・たまたまの裏側にも) 湿疹・水疱が出て、それがたちまち破裂して ウィルスをまきちらし、その破裂痕は かさぶたになってゆく; それらは、並行動作する、つまり初期の湿疹様の水疱、その破裂期、かさぶた期が全身に同居する。湿疹発生のピークが、発症後4日後の昨日・今日だが、その後の かさぶた期をすべて終えるには2週間ほどかかるのだそうだ。

与えられた薬も、かゆみ止めの飲み薬と、破裂前後の 「水」 つまり ウィルス叢に対する塗り薬の抗生剤、だけ。まったく 「教科書通り」だ。発症のごく初期、それと知らずに 上の子の アトピー用 「ステロイド」剤つまり 「副腎皮質ホルモン」剤をつけてみた; 一見 効いたように見えたが、が、そんな手入れでは追いつかない速度で湿疹が出現し水疱になる − なるほどね。こりゃ医者だって、「嵐が通り過ぎるのを待つ (待たせる)」 しかないわ。

そういうわけで、僕が編集者である恩師のページの更新は停止中。師は、「水疱瘡は子どものころにやってしまうのがよいです」、それを乗り切れと言ってくださる。

突然の 「流行」 があるようで、同じ保育園で、既に5人だそうだ。医者から 「治癒証明書」、その文面で 「完治」 し 他への 「感染のおそれはありません」 という文書にハンコをもらうまで、保育園には入れてもらえない。

問題は、湿疹/水疱・破裂・かさぶた化の最終段まで、かさぶたが落ちるまでは痛そうだなあ ・・・ 湿疹のピークは越えつつあるが、かさぶた期のピークは さらに数日から1週間後になるはずだ。やれ、やれ。

上の子のときは、0才の近所の子が発症したとき、母親はすかさず うちの0才には 「8000円」 の予防注射に走ったらしい。今度は、うちのが その 「近所の子」 になってしまった。あはは。


(20031016-1) Unix 補足 バカ話

Unix という名前の補足をすると − 興味のある人は必ず知っている話だが、1960年代のその開発初期には、Multix という名前の OS の開発が進んでいたそうだ。Unix という名前には、恐竜かアンモナイトのように肥大し巨大化して 結局 商用化 以前に絶滅するに至った Multix の 「向こうを張る」 意図が、当然あった。
この他、Unix という言葉は 既にあちこちで商品名に使われていたらしく、最近 (10年くらい前)では Marantz とかいう (音楽)ステレオ ブランドが Unix というラジカセを売っていて、インターネット・サーバに 「20年ものの OS」 Unix が再び脚光を浴びはじめたころ、コンピュータ・メーカーたちに 「貴社は何ゆえに当社の商標 Unix を盗用するや」 といった内容のハガキが届いたそうだ。これは 「ハガキ」 で届いたそうで、内容証明郵便ではなかったらしい − つまり、マランツさんは それで市場に名前を再度 売り込むことが目的で、商標権を本気で争うつもりではなかったのだろう。
Multixは絶滅したが、同じように 定向進化を続け、肥大化し、やがて絶滅するだろう パソコン OS は、今も存在する。
一方、Unix それ自体は、AT&T が長い間 権利のすべてを保有していた。それは やがて 他社に売られることになり、今でもその権利を買った側が Unix の支流を相手に訴訟を起こしている話は、時々、まだマスコミに出る。

Linux は、「Unix 互換 OS」 であって Unix ではない。厳密には、その 「核」 部分を完全に自作した人が Linus さんという人で、自作なので AT&T の権利を犯すことがない。しかも彼はそれを無料で公開した。GNU という無料ソフト普及団体がそれに合流して (だいたい、GNU (グニュー、と俗に読まれる) というのは GNU is Not Unix の略語だそうで、こんなふざけた言葉遊びもめずらしい)、現在の普及に至ってしまった。GNU は、ソフトウェアは無料であるべきであるという主張を持ち、その配布したものは さらに どこにでも配布し、配布の際に改変することさえ認めているが、ただし そのソース・コードの添付配布を義務付けている。現在では、商用 (有料) OS のコンパイラさえ、大半が GNU に置き換えられた。GNU のソフトはタダなのに営利目的になぜ使えるか − 商品とともに GNU を無料で配布することは、GNU も認めているからだ。ただし、特殊なケースで特別な版がほしい場合があり、しかも将来のメンテナンスを考えると、営利側つまり企業側も 組織である GNU と相談することになる。GNU は、おそらく 「ある」 範囲での商談をするらしい。そして、商用 Unix-N 用、リアルタイム OS-V 用、リアルタイム OS-Q 用、という GNU コンパイラが作られ、企業側からの補助金が取れれば、GNU という 「組織」 が維持できる。どうも、そうらしいのだ。ただし GNU はその場合にも、ソース・コードの公開を義務付ける。だから GNU のコンパイラ1つ手に入れれば、どこの誰でも、コンパイラのすみからすみまで調べて、最終的にはコンパイラを自作できることになる。現代の Unix ないし Linux 技術者の多くは、それによって育成される (またはみずから育成=独学する) ことになる。だから、Unix (Linux) には、「手取り足取り」 の案内本がない。だから、ある意味において 「熟練ソフトウェア技術者」 または プログラマ は、Unix/Linux 文化の中で 「経験とカン」 に頼る部分が出てくる。つまり、現代の 「熟練技術者」 は、(ロボットで置き換え可能な) 溶接工でも配管工でもない、ソフトウェア技術者だということになる、かもしれない。

Linuxは タダである。そこで動くコンパイラも GNUなので、タダ。営利目的でそれを使っても良い ・・・ そうなると、営利目的で これを使わないテはない。事実、工場の中に入る制御用コンピュータたちの − 半数になるだろうか、25% か 75% か は 僕もわからないが − かなりの部分は、Linux化しつつある。
ところが、意外な 「伏兵」 がいた。ソース・コードを出したくないメーカーさんたち。

こういう図式である:
工場の中で動くロボット自体、またはそのロボットたちを制御するコンピュータを作るメーカーがある。このメーカーたちが、そのコンピュータ単体 (ボード) を作ることはない。その種の単体 コンピュータ・ボード たちは、多くは名もない中小企業から (あるいは台湾あたりから直接) 納品されるのだが、その 「中小」 にこそ 「熟練」 Unix 技術者がいて、顧客=納品先である大メーカーのアプリ開発部隊に対して、時には 手取り足取り プログラミング指導をすることもある。完成したロボットまたはロボット制御機は、最終末端である工場、現場で稼動することになるのだが、その前にメーカーの管理職は考える − 末端最終製品の上に、ソース・コードがあってはならないと。
それは、両面である: (表) 製品はメーカーの責任で動作する。客先にそのソース・コードを見せる必要はないし、変に改変されても困る。(裏) 製品にそのソース・コードが含まれていたら、他社に当方のノウ・ハウを教えるようなものである (リバース・エンジニアリング つまり メクラ状態からの解析さえ現代では犯罪視されるのに、何でソース・コードを付ける必要があるのだ)。

この 「ボード」 には、出荷時点で たいてい何か OS が乗っている。それが Linux である場合、そのソース・コードは公開配布しなければならない。たとえ誰も理解できなくても、配布する限りソース・コードを付けなければならないのだ。これに、困ることがある。
だから、Linux ソース・コードの配布は 「中小」 から納品先大企業への配布段階にとどめて、末端最終製品からはそれを削除したケースは、多い。現実問題として、ロボットやその制御機には ハード・ディスクなどなく、いきなり ROM あるいは Flash ROM から立ち上がる場合、巨大なソース・コードなど入れておく余地はない。
僕自身の周辺でも、その例がある。その例では、Linux のソース・コードの所在を教えて、メーカーの責任で削除させる方針を取ったという。その Linux 上で動く現実のアプリケーション、つまりロボットやその制御の論理系は メーカー自身のものなので、それは放置した; が、それがまさに、そのメーカーのノウ・ハウである。

メーカー内部の管理がいい加減であれば、その重大なノウ・ハウは、製品のどこかに ソース・コードのまま残っているかもしれない。それは 「ハッキング」 してみる価値がある(?)。例えば 「ADSLモデム」 と称して出荷された Yahoo BB の箱は、実は (単純モデムの在庫が切れたのだろう; 単純モデムとして動作するよう設定した) ルーターであったという話がある。これなど、パスワードさえ破ればルーターとして動作するだろうし、ひょっとして 「ルーター」 として動作する ソース・コードでも 見つかるかも知れません。おひまな方は、いかが?


(20031015-1) Unix, 文書整形言語, CGI

毎晩こんな駄文を書きたくなるのは、「頭脳が疲れて」 いるからである。
ここ数ヶ月、古い恩師の朝鮮語教材の Web 化を進めていて、それが習慣になってきたのだが、私生活 (? この場合 家庭と職場 のことだが) がバタバタして、それに手が付けられない。それでも この時間帯 (午前0時から4時くらいか。職場から帰って、一休みした後の時間帯) は習慣的に目が覚めてしまうから、ついキーボードに手が出る。

それなら、「世の中の役に立つ」 恩師の文書の処理を進めればよさそうなものだが、しかし (1) 他人の書いたものは、勝手な変更がしにくい。「えいや」っと 多少いじることはあるが、既に僕の 「専攻」 ではない 「言語」 プロパーの文書なので、へたに いじると (内容的に) 「壊す」 結果になる。これは意外に神経を使う。
それに加えて、(2) 言語屋の原稿には 文学研究者の雑文と顕著な差がある − つまり、外国語の (きわめて)精密な解説なので、そのほとんどが 「表」 になっている点。これは、「論文」 一般にそうなのだが、文学屋の書いたものは 駄文の連続、言語屋の書いたものは 用例とその分析の 「表」 に終始する・ことが多い。だいたい、「文学」研究者の書く雑文ほど、文面の上で 「駄文」 の多いものはない。これは 「人文科学」 とはいえ、「科学」 には ほど遠い面がある。それに対して、言語屋はあくまで 「科学としての」 言語学である。例えば、こんなことを思い出してほしい −

高校のころの、英語の文法教科書を覚えていますか?
あの種の本の構成は、全巻を通して一連番号 (章立て、§立て) がついていて、本文を書く前から、複雑・詳細な目次が完成している。これは、「書きながらその先を考える」 文学屋のやり方とは、まったく対照的なものだ。

Unix という OS は、その名前の通り、本来は Uni- つまり 「一人で独占できる」 程度の ささやかなシステム、という意味を帯びていた。その Unix 開発初期には、AT&T 社内での予算獲得のために、「文書整形システム」 である・という触書きが付いていたそうだ。その実現が、Unix に 付いてくる (今では付いていないかもしれない) roff、troff といった 「文書整形言語」 である。これは 現代に例えて言えば、HTML の文書整形機能、Word や 一太郎といった 「ワープロ」型 目次 自動作成機能に、プリンタ制御機能 (2重打ちによる太字化、斜体、肩付きあるいは下付き文字といった) を加えたものだと考えて、ラフに よいだろう。
その後 Unix 上には、TEX とかいう 変な名前の 文書整形システムが現われて、roff など忘れられてしまった。この TEX は DOS にも移植されて、その上で朝鮮語、ロシア語 ・・・ を扱う機能が追加されたりしたので、パソコン 「もさ」 級ユーザには記憶があるかもしれない。

現代の HTML語は、おおよそ それらに近い機能を持っている。ただし、その機能の多くは、いわゆる 「ホームページ作成ソフト」 では実現できないか、仮にできても、およそ使い物になるものはできない (うそだと思ったら、Word で文書を書いて、それを 「HTML形式で保存」 してごらんなさい。およそ信じがたい、巨大な、中身を見ると 限りなく汚い − 醜悪な − HTML言語になっている。それだけ複雑なことをしながら、そのくせ 「行間」 の空き具合を調整できる 「ホームページ作成ソフト」 にも出会ったことがない。例えば 「この」 日記は、行間 「150%」 である。新聞社のホームページの例では、『毎日』 は これと同じくらいの行間で 「読む」 に耐えるが、『読売』 は行間の空白ゼロで、よみにくい (ただし、記事の量は 『読売』 が多い。しかし 読みやすさと 記事の量は 関係がない。行間を詰めれば通信データ量が節約できるわけでもない)。

だから、僕は HTMLを 「すべて」 手書きしている。これは面倒だが、C言語でゼロからプログラムを書くのに比べれば はるかに簡単で、あえて例えれば BASIC語で 「百人一首」 を片端から表示する程度の 「プログラミング」 に近い。HTML も BASIC も同じ 「インタープリタ言語」 だから、その場でデバッグできる。もっとも、ハングルや IPA を画像化するところは CGI エミュレータを通すので、その意味では 「コンパイラ言語」 に近くなってくるのは事実だが。

いずれにしても、わたくしの職業は コンピュータのソフトウェアである。その職業を離れてまで コンピュータをいじりたくない − それは、1989年まで 僕の かたくなな態度でもあった。が、それが 「時代の波」 である。そのころから、再び 「朝鮮語を いかにしてパソコン上に実現するか」 という話題にとびこんだ。そして、今。

しかし、仕事を離れてまで、「コンピュータ言語」 の一種である HTMLをいじるのは、時にはつらくなることがある。まして、動かないコンピュータをどうやって動かすかと終日 苦労した後に、家に帰れば 子どもが熱を出していたりすると、さすがの わたくしも くたびれる。
そういうわけで、恩師の古い教材には、先週末から手が付いていない。しかし、あと少し(?)。ほとんどは定型、機械的な操作ですむようになってきたので、少しずつ進めよう。文書の性格上、外国語と IPA の処理に CGI の改修が時々必要になるが、それはまさに 「職業的」 に慣れた C で済ませてしまう (僕の CGI はすべて C である。その結果、「CGI の存在を忘れさせる」 程度の処理速度が得られることは、同業者には自慢したい; ただし その高速な CGI が、大量の 「画像」 呼び出しを生成するので、その http 上の通信が遅くなるのは − はは、しょうがないね)


(20031014-1) 人はなぜ 「子ども」 の話をしたがるか、または 名前とは何か

「パソコン」 の 「自作」本、という新しいジャンルが、出版の世界では生まれている。もちろん 「自作」 だけではない、悪い意味での 「ハッキング」 つまり 「裏」 の世界の入門書や、あえて 「怪しい」 コピー技術 (著作権法上 違法になるという CD や DVD のコピー) というジャンルもあるのだが、この 「怪しい」 世界のほうは、パソコン以前から警察電波の盗聴ものや、爆弾の作り方など、50年も前から存在している。が、「パソコン自作」 というジャンルは、新しいもの好きのパソコン部品情報から出発して、1つの 「新しいジャンル」 として成立してきたように思える。

例えば − 記憶に残ったのは、そんな 「電気」系 雑誌の編集者だった人が、定年退職したのか 中年退職したのか、その退職後に本を書いた; パソコン自作の記。ふむ、電気系の雑誌編集者らしく、知識は一応ある。学生時代の専攻は、おそらくアナログ時代だったろう。退職前に、「自作」 に興味を持ったが 機会がなかった。では、退職して時間もできたし、それでは俺が 「自作」 をやって 本にまとめてみよう ・・・ 部品とケースの選択にはじまり、組立て後、恐怖の・期待の・電源投入。それから Windowsのインストールがはじまり ・・・ それから今度はビデオがどうの、また改造がどうのとなるのは お決まりの線上なのだが、ん? なんでまた 「お嬢さん」 が出て来るのよ。

著者の娘の名前が、実名で出て来るではないか。書きぶりからすると、著者はどうも この子に、小さいころからハンダ付けなんか 教えていたらしい。そのお嬢さんが、最近はまとまった作品を作るようで、テーマに事欠いて 「お父さん、何か作るものない?」 と聞いてくるのだそうだ。あのねえ、パソコン自作の手記でしょ? なんで あんたの お嬢さんなの? お嬢さんを自作なさったのは認めるが。

なんとも唐突で、娘の名前を書きたくてしょうがない。っはあ。その名前、ちょっとしゃれた、しかしどこにでもある平凡な名前だった − 例えば 由紀子とか 真紀子とか そんな名前だった。でも、それが親バカ、「それが一番 よい名前」 だと信じて名前を与えるのが親なので、そこには必ず・ひそかに 「俺の子の名前はこうなんだ、いいでしょう」 という気持が込められている。まして、「パソコン自作」 の中に唐突に出てくるのだから。

結局、この本で印象に残ったのは、お嬢さんである。著者のパソコン自体、何のことはない、ただのでかい箱に部品がごてごて付いた、当人が自己満足するための機械としか思われなかった。ただ お嬢さんが出てくることで、この本は他と異なる 「文学」?化した。文学? うーん、現代の私小説かな。

では、僕の子の名前は 「森(もり)」 である。生まれた病院で 「上野のモリ」 だと説明を誤ったので、ハガキをくれて 「杜」 と書いてくれた人がいる。「森」 くんは 有名な ムツゴロウ 畑正憲 の孫に いるそうだが、男の子だと思われる。han-lab が 同居している orcaland のスタッフにも 「森(しげる)」 さんが存在する。
下の子の 「麦(むぎ)」 に至っては、0才で保育園に入園早々、近所に 「麦ちゃん」 と呼ばれる女の子がいることがわかった。まして、聖書の 「1粒の麦もし死なば」 が連想される (し、事実 親は 聞き手がそれを連想することを期待した) ので、日本全国に同じ名前の子は たくさんいるにちがいない。実際、あれは 「芸名」 だったかもしれないが、1970年ころ、ベ平連のビラに署名があり、その名前が 「麦」 だった。僕はその当人からビラをもらったのだが、あれは 「芸名」ではない 彼の本名だったかもしれない。
「上野のモリ」 で 「杜」 と復元してハガキをくれた方は、その同じ教養を動員して、男の子を 「櫂 (かい)」 と名付けたそうだ。うー、役所の人名補助漢字に含まれることも、当然 調べたわけですね。しかし、これは僕も、ルビなしでは読めなかったろう。

失礼しました。
しかし、娘よ、願わくば 「森」 さんと恋愛して結婚するなんて言わないでくれ。姓も名も 「森」 では、あまりにも まぎらわしい。僕が最も信頼するフリー・ソフト作者の一人も、森さんという (僕の子の名前は、実はこの方の姓に由来する?)。また 40代で小学校教師をやめて 外大の朝鮮語学科に入学し、東京の文学研究会にわざわざ出て来た女性も、ご主人の姓で 「森」 さんだった; 幸い彼女の子はお嬢さんなので、この子とうちの子が恋愛関係になるおそれは − 原則的に − ない。

いつもの余談で、「泉」 さんと 「泉」 さんが恋愛して結婚した。夫婦とも 「泉」 では具合が悪いので、妻側が家裁に要求して改名、「花子」 さんになった話を、友人から聞いたことがある。
言語屋には冷たいことを言う人がいて、「名前には 「意味」 がない」、よって 自分の名前を言うときは明瞭に発音せよと、教壇で語る人がいる。そう、「名前」 とは、識別記号にすぎない。その単なる識別記号に特別な思いを込めるのが、世の親たち一般なのだ。
(親が その特別な思いをあえて切ったのが、数年前?の冬季オリンピック、そこで活躍した女性 Peekaboo である。これは 「名前」 ではない。何かの時にパスポートが必要になって、そこで父親が とにかく 「何か」 名前を書く必要に迫られて、それが名前になったのだそうだ。日本の 「名前」 でいえば、そうだな、「べろべろばー」 なんて名前に当たるか。当人は、今ではその 「名前」 が気に入っていると、新聞には書かれていたけど)

ただ、その名前=識別記号の最たる例のコンピュータの名前にも、凝る人たちがいる。東京の某有名 (いや、有名だが2流と言ったら当事者が腹を立てるだろう) 大学の、おそらく Proxy の名前で、hepburn というのがあった。この他には chiaki、kilimanjaro なんて名前が見つかる。今のところ、uzume, masako, nene (one), yodo, kasuga といった名前には出会っていない。僕自身が 会社員だったころ付けた各コンピュータの名前には、noah, yodo, yoko などはある。一般論として、西洋人の名前のほとんどは聖書に起源があるので、コンピュータ名にそれが出ないのが不思議な気がする。上の hepburn も、実は女優の姓なのか 「ヘボン式」 のヘボンさんのことなのか、わからない。その周辺に deneuve とか andrews とかがあれば前者だが、chomsky とか mayer とか出てくれば後者、しかし 調べた限り (これもハッキングの一種ですな) では、hepburn 1つしか発見できなかった。底を割ってしまうが、この大学名は X学院大学である。関係者は 既に気が付いたはずですね。

危険な余談: あなたのサーバに、masako, kiko, michiko, nagako といった名前を付ける勇気のある方はおらぬか? 長くてもかまわなければ、hironomiya, akishinomiya, ... といった名前を付けてもかまわない。現在では、法的にこれは規制できないので、残るのは右翼さんで かつ 「IP 逆引き」 のできる一派だけである。いかが? ただし、diana というサーバ あるいは Proxyも、僕は今まで見たことがない。ron, harry, hermione なども同様である。ただし bloomsbury は出版社が使っている可能性がある。それでも wendy とか jane とかは、見ていない。peter も pan も、まだ見ていない。

そういえば、インターネット上のサーバ (機械) ではないが、ソフトウェアの名前または商品名で gnome, basilisk、mandrake といったものがある。どれも、「ハリポタ」 第2巻 に出て来る用語である。これらは、みんな Linux上のソフトだったような気がする − つまり、Linux/Unix の世界では、Wizard(ry) と 「ハリポタ」 が、暗黙のうちに合意ができているみたいに 見えるのだが。


(20031013-1) 「子ども」 の言語獲得過程の現在

近所の主婦と雑談する機会があって、僕自身の現在の認識を説明する結果になった。彼女は、僕が朝鮮語を解することを知っているが、パソコンは持っていない。いわゆる在日の女性で、彼女の二人の子どもたちは 上が3年生、下が1年生; 上は うちの上の子と同学年である。僕の子らと彼女の子らとの共通点は、母親が 「外国人」 である点、非共通点は 彼女の子らは2年ちがいだが、僕の子らは6年 (学齢予定では7年) ちがう点である。が、この4人の子どもらは、生活の現場、具体的には保育園や小学校で平日の大部分をすごし、その「母語」 が日本語となることが、まずまちがいなく予想されている点は共通している。学齢で同年になる上の子たちは、だいたい3才で日本語の 「5母音」 が安定・確立したことが (僕によって) 観察されている。また、主婦はかつてアメリカ留学経験があり、日本に戻り、結婚後は数年の間 夫の韓国の実家との関係から、朝鮮語による交渉にも耐えてきた、つまり ある意味 Tri-Lingual であり、その程度の意味であれば 僕自身も Tri-Lingual である点も共通している。ただし、音声学/音韻論と言語獲得の過程については、僕のほうが知識は多い。学齢 3年生で同じ 「上の子」 たちは、既に 「母語」 が完成したと見てよい。彼女の下の子も 既に 小学校1年で、これも 発達心理過程の 「甘えたがり」 を別にすれば、言語的には 日本語のネイティブ・スピーカーとして完成しつつある。従って 問題/話題は、僕の下の子 2才の、現在の言語形成の状況・段階である。この子は、1才後半から2才の手前まで、ろくな言語音を発さなかった。そのことが、親 (僕) の心痛を引き起こしたことも、また事実だった。
「上の子」 はね、初めての子だから、「お、すごい、おう、こんな言葉をしゃべったね」 と親は喜んだでしょ。
だから、「下の子」は それに比較される。おかしいなあ、おねえちゃんは このころ こんな風にしゃべったはずなのに。
男の子だから言葉が 「遅い」 という話はあるけど、親は心配するよね。でも、それはしょうがない。このごろは それらしい単語をしゃべるし、ま、だいたい正常に発達しているらしいよ。
実際、この子は、2才の誕生日をすぎてから、父親が 「言語音」 とみなせる オトを、いきなり単語として 「 Atta ! 」 と発音してみせた。何か求めるものを発見したときの発話だ。この他に、この1ヶ月の間に いくつかの単語を発音して見せた。今となっては (父親は) 個々の単語を覚えていないのだが、それらを並べてみると、日本語の5母音 /a, i, u, e, o/ のうち、/a, i, u, o/ までが網羅されていた。まだ欠けているのは、母音 /e/ だった。音声学でいう 「母音三角形」の、もっとも 「あいまい」な位置にあるそれである。数日、それを観察した。が、意図して観察している間は、被観察者はなかなかそれを発しない − ところが、つい今日、「あめ (飴)」 を、この子が発話していることに気が付いた。ほーお! /a m e/ だ。この言葉を教えたのは、おそらく、6年半 年上の姉、3年生である。
この経過、類推で行けば、やはり この子も 「3才」 で 「5母音」 が完成するにちがいない。少なくとも言語獲得の各ステップの中で、母音の獲得 (無限のバリエーションの中から オトを 「5つ」 に切り出し 認識する能力) は、2才半で 「完成」 への兆候を見ることができる。

一方、子音。
これはまだ めちゃくちゃだ。「ごみ (芥)」 を 「もみ」 と言う。子音については 外国人である母親も敏感なので 矯正を試みるが、あまり効果がない。おそらく子音は、2才+にとって 「母音=響き」 の延長上にある; だから、有声の [] + 母音 /o/ と、有声の [m] + 母音 /o/ は、2才児には同じものであるにちがいない。

これらを含めて、日本語の音韻系の完成は、上の子の場合は3才あたりだった。俗に 「男の子」 は言葉が遅いという。「 Atta !」 がやっと2才+で出たあたりも、それに符合する。
あとは、おねえちゃんと この子: 弟との、個別の差異だ。事実、おねえちゃんは興味を示さなかった文房具、家電、ビデオ、カメラ、自動車に飛行機に ・・・ という差を見ていると、あるいは本当に 「男と女」 はちがうのかもしれないとも − 一応 考えてはみる。


(20031007-1) 飛行機を落とさないためにはどの程度のコンピュータが必要か

最近は その 「仕事」 がなくなったので、話す機会がない。たいへん 「専門的」 な印象を与えるタイトルを付けたのだが、それは 10年前くらいなら、例えば仕事で韓国に行って、その場で話題にしたかもしれない、そういう話題でもある − そういう 「仕事」 というのは、「リアルタイム OS 」 に関する具体的な講義・解説で、もちろん僕が朝鮮語でしゃべる、そういう 「仕事」だったからだ。最近、その機会がなくなってきた。日曜日 (下の記事で) 「リアルタイム OS の世界なら」 と書いて、それを思い出していた。

「レーダー」 をご存知ない方は少ないだろう。空港であれ軍事基地であれ、富士山頂の気象レーダーであれ航空管制設備であれ。あの大きな レーダーの 回転体は、おおよそ4秒で1回転する (ただし、富士山頂あたりになると気象条件が厳しい。よって、この回転体 全体を大きなプラスチックのドームで くるんでしまう。しかし、ドームの中では、あのレーダー・アンテナが 24時間 くるくる回転していることは、同じだ)。レーダーは回転しながら、現在の方向に特定の周波数の電波を送る; その方向に何か 「物体」 があれば、反射波が返ってくる。ついでなので、航空管制システムの場合、発見した相手は何者なのか、応答を求める。航空機からは、自機の正体を明かす返事が返る。この返事が返らなければ、航空機側の故障、その空域に入ってはならない (この応答設備を持たない、迷い込んだ) セスナの類か、あるいは国籍不明機ということになる。

余談だが 「ステルス」 というのは、このレーダーからの探照波を 「あさっての方向」 に反射して、レーダーの方向に返さない; ゆえにレーダーでは発見されない (または発見されにくい) ものをいう (だから、あんな奇妙な格好をしているのだ。あの場合、飛行機の推進効率を犠牲にしても、「レーダーに発見されない」 ことを優先しているわけである。だから 「ステルス」 の燃費は、おそろしく悪いはず。軍事目的だから、それを平気でやる)。アフガンでもイラクでも 「まず先に」 ステルスが使われて、その後に大々的な爆撃となるのは、まずステルスが 敵の通信網中枢に急襲をかけ、それが破壊されて はじめて、後続の大部隊が安心して爆撃に出ることができるからだ。

(対米戦争中に、日本軍もレーダーは知っていた。「電波探知機」 と呼ばれたが、日本軍はついにそれを実用化できなかった。どうでもよいが、この時代の日本軍の飛行機には 「無線電話」 さえなかったことをご存知だろうか? 実用にならない 「制式」 通信機は付いていたが、使い物にならないので、実際の空戦では 指揮機と僚機の間では、直接 視認可能な間は手振り・羽振りで指示が出た。それ以後は、空戦は個々のパイロットの名人芸に依存した。有名な撃墜王 坂井三郎の手記の中には、「使い物にならない」 ゼロ戦の通信機そのものを機体から降ろしてしまい、ついでにアンテナ線もその支柱も切り落としてしまう場面が出てくる)

さて。レーダーの回転は、一般に 「4秒で1回転」 である。
そのレーダーからの発信、その反射波の受信は、非常に 「狭い範囲 (角度)」 で行なわれる。それでないと、外部に余計な電波を照射し、余計な受信に悩まされることになるから。つまり、レーダーは 非常に 「指向性の強い」 電波を扱っている。
この 「指向性」 の範囲は、ラフに 角度で 1°と、いま仮定する。一方、アンテナの回転は4秒に1回転、つまり 1秒に 90°回転する。従って、レーダーが角度で 1°回転する時間は 1/90 秒。これは いずれ 「ラフ」 な仮定なので、これをもう一度 ラフに、「レーダーの指向性の範囲を通過する時間は 1/100 秒」 と、仮定し直す。
さて、そうすると、角度で 1°を回る時間は 1/100 秒。この 1/100 秒の間に航空管制システムは飛行機を発見し、その飛行機に対して 「お前は誰だ」 と問い合わせ、その問合せに飛行機が応じてくれなければならない。この 1/100 秒というのは、実は どうということもない。1980年代のパソコンでも、余裕まんまん。1/100 秒 = 10 ms (ミリ・セカンド) で、この程度なら、8ビット・マイコンで充分に処理できる程度にすぎない。

が、富士山頂の管制レーダーが北東を向いている、ある瞬間がある。この方向には、成田・羽田に発着する相当数の飛行機が発見されるだろう。「ある」 1°の範囲内には、10機くらいが存在することはあるかもしれない (成田を離陸、一度 太平洋上に出た飛行機は 反転して東京・埼玉境界の航空灯台上を通過することがある。逆も同様。その周辺には、太平洋上、房総から東京湾を渡り羽田に進入、またその逆経路で離陸する飛行機も、羽田発 北に、南に向かう飛行機もありうる)。
一方、同じレーダーが南東を向いている瞬間には、伊豆・遠州灘上の空路を通過する飛行機が発見される。これらの飛行機は、レーダーに対して 「横切る」 方向に移動しているので、狭い 「指向性」 の範囲を 「あっという間に」 通過して行くかもしれない。

僕は、それらソフトウェア処理の具体的な 「実装」 に関わったことはない。が、それを実現するための 「リアルタイム OS 」の販売、開発元の技術者だったことがある。その延長上でこんなことを知ったのだった。そのころの主流は、CPUは 68040級、これは 1990年代初期の Macintosh程度のコンピュータだった。それが、航空管制の中枢にあった。

現在のパソコンは、当時の Mac 68040 級の、おおよそ 20倍以上の能力を持っている。それは事実だが − その先には ソフトウェア的な 「スケジューリング」 問題がある。つまり ・・・
例えば、Mac 68040 の 20倍の能力があっても、Windows XP では − 僕の観察した限りで − 複数の 「タスク」 が同時に走るとき、その 「タスク・スイッチ」 は毎秒 10回程度にすぎないように見える。その結果、TV録画の動画が 「もこっもこっ」 と動く。こんなものは、使えない。

その 1/20 の能力しかなかったはずの Mac 68040級が、なぜ航空管制システムに耐えたか。それが、「タスク・スイッチ」 のスケジューリングである。ある事象 (例えば飛行機発見) があるとき、1/10 秒も待たされたら飛行機は行ってしまう。1/100 秒でも、レーダーは 1°回転してしまうから、次は4秒後で行方不明になるだろう。が、飛行機発見の瞬間にその処理を開始すれば、個々の処理は直ちに終わる。この場合の 「瞬間」 でも 「待ち」 時間が存在するが、しかしその 「待ち」 時間は、10/1,000,000 秒単位、つまり 数十マイクロ秒になる。「リアルタイム OS とは そういうものですよ」 と、韓国で説いて歩いたのが、だいたい 10年前くらいの僕だったのだろうか


(20031005-1) Norton の 「ウィルス駆除」 に行って来た

「身近」 なところで、MS-Blaster に当てられて、その 「駆除」 をしてもらったが 続いて Soap とかいう変なやつが来て、こりゃ しょうがない、Norton 買ってきてもらって 「駆除」 してもらうしかない、その指示をしたケースで − それが うまく行かないらしいので、結局 予定通り 行って来た。

結論的には、こうなる。
Norton は、確実に ウィルスを検出していた。だから Windowsが立ち上がるたびに 警告を出してきた。削除を指示しても その 「アクセスに失敗しました」 と来る。それが問題だった。
「アクセスに失敗」 していた理由は、結局、それが起動時の Windowsの 初期プロセス (または 「タスク」) として 「登録」 されていて、それが終了していないのか それとも 「起動時の初期プロセス」 は いつまでも 「動作中」 になっているのか、どちらか。

産業用 リアルタイム OS の世界であれば、ディスク上にあるプログラム (もの) と、メモリ上で動作している プロセス (タスク) とは別物で、ディスク上のプログラムは単に物理的な 「もの」 だが、メモリ上にあっては 「走って (生きて)」 いる、つまり人格を持って行動する; だから 一度メモリに乗って走り出すと、産業用 OS の世界では タスク (プロセス) は 積極的に終了する・または・させられない限り走り続ける; この際、そのプログラムは 「自分はどこから来たか (ディスク上のどこにあったか)」 は、どうでもよろしい、つまり 「走っている」 プログラムはメモリ上にあるのであって、自分はハード・ディスクからメモリに上がって来たか、それとも自分は ROM上で走っているのか、そんなことはどうでもよろしい; プログラムとは、メモリ上で動作するものなので、メモリ上で動作しているプログラムの 「元」 がハード・ディスクにあろうが なかろうが、ハード・ディスク上でそれが削除されようが ディスクがクラッシュしようが、それは どうでもよい; つまり 「生きている」 姿 「だけ」 が問題なのだ。

だから、例えば/仮に飛行機の航空管制システムの上で、誤って ディスク上の制御プログラムを削除してしまっても、そのプログラム (プロセス) がメモリ上で 「生きて」 いる限り、管制システムは動作を続ける。逆にそのプログラムに問題がある場合、(飛行機は止められないから) 「今のまま」 動作している間に ディスク上のプログラムを修正して、その後に 「生きている」 プログラムを (飛行機が落ちない程度の わずかな) 一瞬 停止させ、修正版を再度ディスクからメモリに 「上げ直して」 動作させる、という手順を取る。それは、きれいにシステム・リセットであってもよいし、問題のプログラム単体停止の上で、再度 「修正済み版」 の 「ロード・アンド・ラン load & run 」 であってもよい。

Windowsでは、その点が根本的に異なるらしい。
Windows 起動時には、一連の − たくさんの − 「タスク(?)」 が起動される。そのタスクたちは、Windowsが動いている限り (何の操作もしなければ) 「動作中」 と扱われる − ようである; Windowsでは、「プログラム」=ディスク上の 「もの」 と、「動いているソフト」 が同一視されるようで、「動いているソフト」 は ディスク上から削除できないらしい (例えば、Wordで文書を作成中に Word自体を UnInstall しようとすると どうなりますか? 困りますよねえ)
だから Windowsでは、「動作中」 の プロセス=タスク=プログラム は 「削除」 できない。メモリ上のプロセス=タスクと、ディスク上の 「プログラム」 が、密接に関連付けられているらしい。

その延長上で、Windows起動時 (電気を入れた直後、リセット直後) の一連のタスクは、いつまでも 「動作中」 つまり 「削除できない」 らしい; だから Nortonは、そこにウィルスを発見し 「削除」 を試みるが、その 「削除」 ができない = 「アクセスに失敗しました」 となるらしい。

どうしたか。
Ctl-Alt-Del で、「タスク・マネージャ」 を呼び出す (Windows 2000)。その中で、ウィルスと思われる 「タスク」 を特定し、これを強制的に 「終了」 させる。その上で (ここでリセットしてはいけない。そのまま再度) Norton の ウィルス・スキャンを起動して、発見させ、削除させる。ウィルス・タスクは 「終了」 しているので、そのファイル (プログラム) は削除できる。それを確認してから、再度リセット (「再起動」)。これで、ようやく Nortonの 「ウィルス警告」 が出なくなった ・・・

一応 心配した点は、「Windows 起動時」 の一連のタスク起動指示の中にある 「タスク=プログラム」 の本体を削除して、Windows自身が正常に上がって来るかどうか、だった。「マイコンピュータ」 の 「プロパティ」 だったか 「管理」だったか の中から、その 「(ウィルス起動) 指示」 を削除できるものは削除した。が、複数あった ウィルスまたはその痕跡の中には、削除できないものがある。おそらく 「レジストリ」 と呼ばれる 意味不明のデータ構造体との関係だと思われるが − それは僕にはわからない。
いずれにしても、Windowsは、その直後、一度 「起動」 に失敗した。再度起動で、一見正常に上がるようになってきた。
ともあれ、Norton の 「ウィルス警告」 は出なくなった。

それにしても − Windowsというのは困ったソフトだ。アメリカでは、要約 「ウィルスにやられるようなソフトを売った責任を取れ」 訴訟が、カリフォルニアではじまったそうだ。市場の9割を独占するソフト屋が こんなものを売っている。「困ったソフトだ」 という以外に、それ以上の形容詞さえ発見できないでいる。

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