Ken Mizunoのタバコのけむり?

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Ken Mizuno

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(20030629-1) 「アメリカ」 その他 / 旧ソ連圏

古今東西、言語一般、文化全般の生きた百科事典 (辞典) であられる昔の恩師から質問を受けた。僕が 「アメリカ」 生活歴があることから、「アメリカ」、この場合 USA つまりアメリカ合州国 (「合衆国」は明らかな誤訳である。念のため。なお、この指摘は 1970年代に本多勝一が している: その著書名 『アメリカ合国』) に関する入門書の類を、僕の視点から挙げよ と おっしゃる。以下のように返信した:
うーん、古い文庫で 『アメリカ サラリーマン事情』とか、『遼子のために』シリーズとか、日本人のアメリカ体験を書いたもの。いま手元に発見できたのは
朝日選書 81 『アメリカの小さな町から』加藤秀俊
で、これは僕のいた Iowaの、すぐ隣の町の大学周辺の話ですが − 「アメリカの ど田舎」の白人社会の典型でしょう。場所が場所なので なつかしい。

「サラリーマン事情」は、ジャンボ機のフラップの設計チームに参加した技術者の一家の話で、これも白人社会の現場のルポです。

有名な 「遼子」シリーズは、小学生だった遼子が親の留学についてアメリカへ。今では遼子は大人になって 東洋とアメリカの子育て比較論(研究?)など書いていますが (有吉遼子。「遼子」シリーズ自体の著者は母親で、名前はたしか加藤恭子:『星の王子様』の訳文があるはず) ・・・ この遼子さんの本がまた つまらない本で、して、ねえ。遼子のパパが死んだときの話が、やはり母親の 『伴侶の死』ですが、これは帰国後で、そのために遼子が留学中のアメリカから一時帰って来る時期。父親は生物学、発生学の研究者で、遼子の写真に 「わが発生学の最良の成果」というキャプションがついていたという、つまらない逸話が出てきて、シリーズは終わりになりました。
恩師の、「何をいまさらアメリカ」への関心は、定年退職後に発生したようではある。そもそも、言語学者でありつつ 「朝鮮語学専攻」であるにもかかわらず、「朝鮮などという狭い空間に閉じこもってはいけない」と、常に強調していた方である。事実、氏の関心はロシアに始まり その少数民族言語とスターリン言語学に刺激された面があると思われる; 政治では悪名高いスターリンは、「言語」論では しかし多言語つまり民族語の対等を教えていた。その結果 ソビエト連邦には 「公用語」が存在しなかった。ただ、現実的にロシア語が宗主国の言語として通用しただけだ。政治的には連邦のまったく 「衛星国」たちが、言語面では現地語を維持した; ただし、しばしば文字改革が行われて、伝統現地文字のキリル化が行なわれてはいる − 例えば モンゴルがそうだった。北朝鮮は希少な例で、現地語を現地文字のまま維持したが、それにはまた複雑な背景がある。
ある時期、シベリアの朝鮮人集団が、ソビエト政下で組織的に東欧に移住させられたことがある。例えば、僕も国名を忘れたが、最近のアフガンでの戦争でアメリカに中継地となる空港を提供した その北側の国。そこも元は遊牧民族の世界で、そこに大量の朝鮮人が移住させられている。こういう組織的大量移住があると、現地の人口構成比は大きく変化する。恩師の世界は、そういうところに広がっている。国立大の定年をむかえた後、その広い意味での 「ロシア」と同じ程度に 「アメリカ」も知りたいと、おっしゃる。

「朝鮮・韓国」趣味では とうてい追いつけない世界でも、ある。


(20030616-1) ビデオのレンタル − 『ムーラン』

ディズニーの 『ムーラン』 を見た。

ご存知のように、彼女の名前は 花木蘭。「ムーラン」 は 標準?中国語の音らしい。香港で買った Video-CD があるのだが、さすがに中国語1チャンネル、広東語1チャンネルの字幕なしでは 僕もわからなかった。子どもを連れてゆく いつもの書店の2Fがレンタル・ビデオ屋になっているので、そこで日本版の DVDを借りてみた。

話は誰でも知っている内容 − のはずだが、「誰でも」の一人である僕には、意外な点が いくつか あった。まず、ムーランは、貧しい家庭の娘ではない。地元でも名を知られた 名家 (ファ家) の娘で、ただし 嫁に行けない 自己主張の強い少女である; 万里の長城を越えて侵入した敵に備えて、予備兵の召集がある; 喜んで自分が応じるという父をあざむいて、ムーランは男装で召集に応じる; 予備軍の訓練を男に化けてクリアするころ、正規軍が敗退したらしく、臨時の予備軍に出陣命令が出る。敵に遭遇し、ムーランは機転をきかせて、敵の背後の岩山に大砲を打ち込み 雪崩を起こして、敵は壊滅したかに見えた; が、ムーランはそこで負傷し、隊長から はじめて 「お前を一人前の兵士と認める、お前には借りができた」 とお墨付きをいただいた直後に倒れて、女であることが露見する。掟によって 「女」は処分しなければならないが、隊長は 彼女を単に放棄する; 「これで借りを返した」と、隊長は都に凱旋して行った。

放棄された彼女は、あのマスコットのミニ竜とコオロギとともに、雪崩の下から復活する敵の姿を目撃する; それを追跡して都まで; 都では皇帝のもとに凱旋する隊長、そこにムーランは 「敵はすぐそばに来ています!」と報告するが、相手にしてもらえない。隊長が激戦の証の ひしゃげた剣を皇帝に捧げる瞬間、「敵」のカラス?がそれを奪って行き、宮殿は修羅場と化す; そこからが、ムーランの活劇 クライマックスで、日本の忍者もののような、ジブリの 「猫」 で言えば 猫の国からの脱出劇のような決闘場面が展開される。最後の解決は、「そしてお前は国を救った」という皇帝の言葉でムーランは解放される。

この意外な活劇の後、彼女は自宅に戻る; 「あんな娘はめったにおらんぞ」という皇帝の示唆を受けた隊長は、ファ家を訪ねる; ムーランの、「どうぞ、いっしょに夕食を」というせりふで映画が終了するのは めずらしいが、ハッピー・エンドであることは、ディズニーの作品一般と変わらない。(念のため、これは、ムーランが淡い恋心を抱いた隊長との、縁談による終了を示唆している)

で。
『ムーラン』 どころか、もっともっと昔の映画 『ベン・ハー』 を思い出した。
ベン・ハーは、カエサルに滅ぼされた王国の王である。ただし 王国を滅ぼすには時間がかけられていて、ベン・ハーとカエサルは幼時の思い出と友情を共有している; 話は その二人の再会、つまり王国の崩壊、カエサルの入城から はじまった。
そしてベン・ハーは戦闘船の 漕ぎ奴隷に身を落としたうえで、そこで戦闘船団の長に発見され、ローマに凱旋する; その間のベン・ハーには いくつもの超自然的な力が働いていて、さらに彼はイスラエルに戻るが その過程の長い説明 (と たくさんの超自然的な幸運) ・・・ しかし、いずれにしても、帰る先は 貧しい家庭ではなく、没落しても かつては王家であったその家である。ベン・ハーの場合、そこに 「ユダヤ」ではない 「キリスト」への帰依というモチーフが強く示されるが、いずれ 主人公は 「ごく普通の人」では、ない。ベン・ハーのヒロインは ユダヤからキリストへの帰依を導く 「もと奴隷」の女性であって、それが作品の最終的な主張であろうとは思うのだが、それも今はどうでもよい。

重要なことは、ムーランであれ ベン・ハーであれ、その出自 / 家庭環境が 「普通の民・百姓」ではない、ある程度以上の 「名家」であること (ベン・ハーなど その極限にある)。
同じ (はやらないが) ディズニーの 『アナスタシア』の場合も、ヒロインの アーニャ、つまりアナスタシアは、ロシア王家の正統的な子孫が、いかにしてその祖母を発見するかという物語だった。

ディズニーには、結局 「白雪姫」が必要なのだろうか? 「ムーラン」は、彼女個人の意思の描写ではすてきな女性に仕上がっているが、彼女が名家の出身である点において、これは どこまでも 「白雪」のバリエーションにすぎない。少なくとも、これが American Dream つまり 「どんなに貧しい家庭の出身であっても、努力次第で社会的身分の上昇を勝ち得ることができる」夢を 語っているとは、思えないのだ。
似たような作品では、まだ見ていないが 『ポカ・ホンタス』 がある。しかしこれは、最初から彼女はインディアンの酋長の娘である。それは、やはり 「白雪」のバリエーションにすぎないのではないか。そこに、西洋文明と既存の現地の文明の衝突があることは わかっている。が、そのまた続編で 彼女がロンドンにまで行く(?)話は、結局 「現代アフリカ、未開の土人がニュー・ヨークでどう行動したか」といった作品たちと、それほど変りはないのじゃないかと、見ない前から 否定的なことを言いたくなってしまう。

あるいは、『ムーラン』 のただ1つだけ 印象的なところは、皇帝のせりふかもしれない − 例えば、予備軍を召集せよと言ったら正規軍の将軍はいわく、「私どもだけで充分に」; が、皇帝は言う: 「コメ1粒で天秤が傾くように」、兵は一人でも多く集めておけと。また、宮殿を襲った 「敵」の 「ひざまづけ」という脅迫に、「山は いかなる脅迫にも頭 (こうべ) を垂れぬ」 と答えるところなど、ディズニーの主・客層であるアメリカ国民には、充分に 「東洋的」な、「哲学的」な せりふであるのかもしれないとは、思う。


(20030609-1) 「あんた、職業の選択をまちがったよ」

父、つまり僕の父親が若かったころ − つまり僕はまだ子どもで その父には職場があったころ − 父は職場で、しばしば そう言われたそうだ。何をまちがったのか: 彼の職業は当時 中学の理科の教師か、あるいはその後に事務職に異動してからのことなのか、もう定かではないが、そのころ父には ある 「特技」 があった; 「旅行のコンダクター」。職場はいずれ 「学校」だったので、「学校」では しばしば生徒を連れて、あるいは職員だけで、「旅行」がある。『時刻表』 という名前の出版物を頼りに、何人の団体がどこまで移動するのに、乗り換え各点でどの程度の時間がかかるか、それを累計して、従って朝何時に集合、どんな経路でどこまで、どの観光地で何分、そこから次へ何分、最後に宿に収まり 点呼し 部屋分けし、翌朝までの宿側との交渉・段取りなどを、彼は一人で受けて処理していたらしい。同僚から 「水野さん、あんた 職業の選択を誤ったよ」と言われて、彼は常に満足していた。小説の時代で言えば、松本清張の 『点と線』、つまり時刻表を駆使して完全犯罪が可能かどうか、探偵が検証して行く作品の時代でもあった。

いや、別の言い方をすれば、日々の 「職業」に彼は飽きていたにちがいない。その中で彼が何か 「おもしろい」仕事を発見したのが、この 『時刻表』 いじりではなかったか。この 『時刻表』 いじりは、家族の旅行にも適用された; 従って その妻 (僕の母)に言わせると、「お父さんと行くと、乗り換えは何分以内だ、汽車が駅に着く前から 早く、早くとせかされて、とてもゆっくり旅行なんかしていられない」と、なかなか大変なスケジュールを組んでいたようだ。

中学あたりで僕がカメラを覚え、中央線の D51 の撮影に出たときも父は同行し、現地まで、さらに現地での移動手段と宿の手配までは、父が担当した。息子が中学生くらいで それも現地での撮影ロケ地の選択、それによる遅延があり、その結果として予定変更などは、父の処理にまかせることができた。D51の引く列車のスジは中学生が把握しているが、その撮影のために移動する算段はその父親がやったわけである。だから、あの父との中央線 SL撮影行は、僕は行きと帰りの経路を記憶していない (家は 東海道線の静岡と浜松の中間点。ここから 当時 中央線 D51 稼動域の中津川周辺へは、東京回り、名古屋回り、飯田線あるいは富士川を遡る路線の4種類がある。行きは名古屋経由だったが、帰りはまったく記憶にない。新幹線は既に存在しているが、それに乗ったかどうか記憶がないのも不思議だ。少なくとも帰りは夜行列車だったようで、そうなると名古屋回り、東京回り、あるいは飯田線を下ったか 富士川沿いに下ったのか、まったくわからない)
父との、父が息子一人を連れて旅行したときの、ほぼ唯一の美しい思い出でもある。ご参考までに、僕の中学時代とは 計算の上で ( 1953 + 12 = 1965 ) + 1 = 1966年からの3年間である。

いま 「50代」に入った僕は、24年前の恩師の Webページ作成に忙しい。「編集者」としての作業である。それ自体は、限りなく 「面白い」と言えるし、一面では前世紀の遺物であっても、この先 10年、20年単位で残るものを作っているのは、事実だ。過去 20年、「言語学」の世界にも 「はやり・すたり」がある。が、「師」の世界は そんなものに何の興味も示さず、「我が道」を行く。

が、そこで思い出した: 「あんた、職業の選択をまちがったんじゃないの?」
そうかもしれない。この 「編集」作業で収入を得られるなら、これほど ありがたいことはない。が、「編集者」たちは、「好きな」仕事ばかり やっているわけではない。それが職業である以上、「編集者」たち一般は とんでもないミーハー本を日常的に扱わざるを得ないだろう。その退屈さは、おそらく、僕が日常的に扱っている 前世紀の遺物的なソフトウェア・システムと同じか、それ以上のものであるにちがいない。

人が 「職業選択」を誤った可能性は、常にある。が、どうであれ 「職業」が 「職業」である以上、そこに日常的な 「退屈」は避けがたい。父は ある時期、無報酬の 「旅行コンダクター」に ある種の喜びを見出した。僕は、少なくとも今は、「職業」外の、前世紀の遺物であるが故に今後も 10年、20年のオーダーで生き残るだろう かつての 「師」のページの 「編集者」役をつとめている。


(20030605-1) 日記: 「初版本」 趣味のジレッタンチズム

「ジレッタント」 または 「ディレッタント」 というのは、「好事家」と訳す。
昨日の 「日記」を見た恩師は、メールをくださった − その本なら俺は初版本を持っている; その他にも文学屋の欲しそうなもの、いくつか; あなたにやってもいいと思っていると。ありがとうございます。でも、僕はもう 「研究者」ではないし、いただいても死蔵になるだけ、ジャンクの山に埋もれてしまう。それなら先生、高くても買いたいプロに売りつけたほうが、おカネになります、数十万円で売ってその一部をわたしにください − とまでは書かなかったが、そんな返事をさしあげた。

師の 進行しつつある Webページの1つが また完成段階になってきて、一方 仕事も 遅れてはいるが 一段階はクリアしたので、余裕ができたのかな? 「ハリポタ」第4巻を また ながめてみた。あらら、ハーマイオンの 屋敷しもべ妖精解放運動バッジの説明の途中で、行方不明だった白いフクロウが帰って来た。話の展開は このあたりは ハリーの一人称に近く、その意味では本来の話法が戻ってきた。が、この限りなく 「水増し」の印象の強い第4巻は、(この 「日記」じゃないが) 余計なおしゃべりが多いのが特徴で、推敲すれば省略されるか 大きく短縮されるような 細かいハリーの心理・行動が、こと細かに描写されてゆく。やはり これは、相当にヒマ − または余裕のある − ときでないと読めない作だ。「ハリポタ」は 結局 第4巻で、ある意味 「変質」しつつある。もっとも、さすがに この巻の 1/3 ほどの位置になると、フクロウが帰って来て そのブラックの手紙の内容あたりから、この先の展開が示唆されてきた。ただし そこで章変え。当分は、まだまだ 作者のおしゃべりを続けるつもりらしい。人格に変化をとげるらしい ネビルの様子も、気を持たせる書き方になっている。ここまで 203/636ページ。

なお、白いフクロウ Hedwigは she と表現されている。これ、メスなのかね。たしかに、せっかく苦労して手紙の返信を持って帰ったのに、ハリーは不機嫌、おかげでフクロウもご機嫌 悪く 翌朝には言うことを聞かないあたり、「女」の描写ではある − 作者自身も女だけれど。


(20030604-1) 日記: 十億円と子供の帽子の経済学(?)

「当たれば売上十億、あなたにはいくら さしあげましょう」は、ほぼ完全にボツ。ギャンブルはいやなので、ここ2ヶ月は月6万くらいの おこづかい増収を期待したのだが、それもボツになった。おまけに、先月はカゼをひいて欠勤数日、今月の収入は通常より5万円も欠損が出るので、これは困った。(誰か、今月中に5万円 くれ)

先日の日曜日は、子どもの小学校の運動会だった。小雨の中を 「決行」したものの、午前のうちに 「中雨」くらいになって主催者はビビったらしく、プログラム変更、その日は 「おどり」の類だけで 弁当も食わせず全員下校; 残った 「かけっこ」の類を火曜日にやり直すことになっていた。

火曜日、子どもが学校に行く前、「帽子」が見つからない。運動会の 「赤白」帽子だ。当人が、母親にせまる:
隣のコメ屋で買うか、探して遅刻するか、どっちにする?
これは、一種の脅迫である。「隣のコメ屋」とは、学校指定品を扱う雑貨屋である。
なるほど、「みつからないのは 『ない』のと同じ。再度買うか、それとも時間と労力をかけてジャンクの山から探し出すか。しかし、いま緊急に必要なら買ってくる」 − それは、僕自身の経済観念であり、8才:3年生はそれを忠実に学習していた。小さなパニックを 小さな おカネで解決しようとしてきた僕のザンキの念たるや、想像されたい。
幸い、母親はしぶった。子どもは3分後、帽子を発見して、無事 運動会に行ったようだった。

みつからない本がある。時々、子どもたちがジャンク本の山を崩すことがあり、その中から 「なくなっていた」本がみつかることがある。ここ数日の例では、岩波新書 中野好夫 『スウィフト考』 が出てきた。それも、再びジャンクの中に埋もれて行く ・・・
訳 岩波文庫 『春香伝』は、21年前に処分したのかしなかったのか。復刻再版が一度は出たことは知っているが、それを買った記憶は、ない。古本市に出会うたびに探してみるのは事実なのだが、これも発見して買った記憶がない。