Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20030329-1) 「飽きた」、「飽いた」 の後日談 (2)

今度はいつもの友人からのメールで、以下の通り:
村史陽編『大阪ことば事典』1979 講談社(1984 講談社学術文庫)p.14には
  アク【飽く】(動)大阪弁では「飽きる」とはいわない。
とあって、大阪近辺で26年暮らした後、東京へ来て23年経つ私の発話生活「もう飽いた」と符合します。
まいったなあ ・・・ 「言語のドーナッツ現象」 もくそも なくなってきてしまった。
では、なぜ僕はその大阪で、それを聞いた記憶がないのだろう: いろいろ考えてみるのだが、まだ整理がつかない。30年前の 実証調査をすることはできないし (いま現在の調査なら可能だが)、いずれ僕一人の 「内省」に頼ることになるので、急ぐこともない。今日のところは、上のメールをもらったことだけ。


(20030327-1) 「飽きた」、「飽いた」 の後日談

職場では、30代の2人、50代の2人、都合4人に聞いてみた。「ナノハにあいたらサクラにとまれ」 を理解していたのは、50代の千葉出身の女性一人だけで、彼女自身は 「飽いた」とは言わないが、当然のこととして 「飽きた」の意味であると考えていたそうだ。いわゆる 「理解語彙」と 「使用語彙」の差だ。

一方、驚くようなメールをいただいた。僕と 「恩師」の一人を共有するという、大学教員の方からである。彼は言う: 「どこかで似たような話を聞いたことがある」 ので調べてみた、それは次のところに触れられているという:
柴田武 『柴田武にほんごエッセー1 』, (1987年,大修館書店)
その95ページ、 「わらべうた,唱歌などの地域語」
それによれば、「ちょうちょ」の作詞は 1874年、作者は名古屋生まれで、本の著者は 「名古屋方言が反映したか,あるいは当時標準的書きことばが上方語を土台にしたものだったため,そちらの影響かもしれない」 と言っているそうだ。
この場合、「上方」という言葉から 「上方漫才」を連想してはいけない。「上方」 とは 「上の方」、つまり文明、文物と言葉が常に流れてきた、流れの上流側を意味すると解すると、どんぴしゃ。19世紀の前半、詞の作者が生まれたころ、名古屋には 動詞 「飽く」が生きていたのだろう。名古屋と京との距離を、逆に京から西にたどったその先にも、おそらく この単語が生きているだろうと考えるのが、「言語のドーナッツ現象」の立場だ。

この方からのメールには あと2つ、「表現としては逆の意味であるはずなのに 現代では同じ意味しか持たない」 例が指摘されている:
・「とんだことでございます」 と 「とんでもないことでございます
おう!
さすが、プロ。こういう例がすぐに出てくるところが すごい。大学教官たちというのは、ダテに大学教官をやってるわけではないのだと、再認識してしまった。


(20030326-1) 日記 − 「飽き飽きした」ラーメン屋で

まさか、僕だけが知らなかったのかもしれない、その可能性もあるな、と思って、「飽きる」と 「飽いた」の問題を 職場の青年に話してみた。「青年」と言っても、彼はもう 30代の後半になる。いきなり 「田舎、どこ?」と聞いたら、新潟だそうだ。で、「ちょうちょ、ちょうちょ、ナノハにとまれ、ナノハにあいたらサクラにとまれ」 の意味、知ってる?と聞いたら、知らない =3 という。そうか。新潟は 「関東」なのだ。野蛮な関東に、都の古語は届かなかった。彼は知らない。
しかし、彼は言う: その童謡の詞自体は、明治の初期の作ではないのかと。そうだろうな。おそらく、その当時の作詞者の 「教養」、つまり擬古語だ。「童謡」の中でも 「古典」に近いものには、例えば 「いらかの波と、雲の波」、そこまではわかるが、以下は記憶に耐えないくらい擬古語が連発して、とても意味の取れないものがある。つまり、「ちょうちょ」自身が、そういう時代の産物なのだ。僕は偶然、その擬古語が擬古語ではない、言語のドーナッツ現象の 「ある」位置に生まれ育ったらしい。だから僕は、幼稚園のころから 「ナノハにあいたらサクラにとまれ」 を、ごく自然な言葉として理解し、それが僕の母語となった。ただし 「いらかの波」以下の詞は、思春期以後の学習を必要とした。

その僕でも 「飽き飽きした」と言う; 決して 「飽い飽いした」とは言わない。もう 飽き飽きしている仕事帰りのラーメン屋、それでもそこに通うのは、店の兄ちゃんと顔見知りになっているからだ。今日は何を食おうか、決めたらビール1本もね。まるで昔の喫茶店みたいに、僕は 「ハリポタ」を取り出して読む。兄ちゃん、僕のそれは承知している。
でも、この数日、店の雰囲気がおかしい、アメリカがイラクに攻め入ったその日から、兄ちゃん、とても機嫌が悪い。開戦前夜まではフセインの影武者がどうのと言って喜んでいたのに、いざ攻め込んだその夜から、店の TVは、限りなく くだらない番組だけを写している。おそらく、客にからまれたのだろう。TVは今は、決してニュースを写さない。何かが おかしい。しかしラーメン屋は経営を続けなければならない。僕は、その店でラーメン食って、ハリポタを数ページ読んで、帰る。イラクは、いや、アメリカは、再びベトナム戦争の泥沼に突入するのだろうか。ベトナム干渉を決めたのはケネディ、それを引き継いだのはニクソンだったろうか。今度は、アメリカさえ世襲政権だ。北朝鮮の 「世襲」と、不謹慎かもしれないが おもしろい対比の関係になってきたような気が、しないではない。もちろんイラクも、首都防衛の精鋭部隊はフセインの息子たちなのだという。


(20030325-1) 「日本語論」 − 「飽きる」 と 「飽く」 − 飽いた 「ハリポタ」

僕はそれを、30年近く 「僕個人の方言」なのだと思っていた − または誤解していた。僕は子どものころから、何かに 「飽きる」と、「もう飽いた」と発話してきた。つまり僕の母語では 「飽きる」の 過去形が 「飽いた」、連用形が 「飽いて」 だと、僕は考えていたのだが、大学1年からは専攻が 「言語」系で、言葉の変化を 「現象」として捉える習慣を作ってきた。「個人的な方言」という表現自体が、「言語」を 「現象」として把握する言語屋さんの考え方だ。その大阪で大学1年になった僕の周辺には、「飽きる」の過去形を 「飽いた」と表現する者がいなかった。それから 10年以上すぎてから、関東に移動してからも、青年たち、子どもたちを相手にする場合、「アイタ」では通じない、「アキタ」と言わなければならないことを、何度も経験してきた。だから、この 30年、僕はそれを 「僕個人の方言」の1つだと考えていたのだった。

ところが。
仕事の行き帰りに駅前の商店街を通ると、線路下のそこには童謡が流れている。数年前に商店街が模様替えして以来、年中やっていて、音痴の童謡歌手、小生意気な少年・少女歌手の声だったりするので げんなりするのだが、今日は、なぜか 「ちょうちょ」 がまともな声で、音程もだいたい文句をつける必要もない程度の声で流れていた ・・・ ちょうちょ、ちょうちょ、ナノハにとまれ、ナノハにあいたらサクラにとまれ =3

「ふと気がついて見ると」、そうなのだ。今まで、気がつかなかった。「飽いた」は、僕個人の方言ではない; これは古語の残骸なのだ。古語または擬古語では、「飽きる」は 「飽く」である。動詞の型 (かた、type) そのものがちがうのだ:
書く書かない書きます / 書いて / 書いた書く時書けば書け書こう(書かう)
飽く飽かない飽きます / 飽いて / 飽いた飽く時飽けば飽け飽こう(飽かう)
飽きる飽きない飽きます / 飽きて / 飽きた飽きる時飽きれば飽きよ飽きよう
僕は 18才まで、遠州つまり大井川から西、浜名湖から東の空間で育った。俗に言う 「言語のドーナッツ現象」、つまり かつての文明中心地であった都から全方向に 「首都の言葉」が伝播して行き、数百年後、都からほぼ等距離にある 例えば 浜松と 広島? で同じ時代相の言葉が生きていることがある; そういう例が、この地方ではけっこう発見されるのだ。そうだったのだ。僕が何かに 「飽きる」とき、 「飽いてしまう」のは、京に都があったころの言葉の残滓、残骸なのだ。だから、都に近い大阪では、既にその残滓は駆逐されていた。野蛮な関東にまで、この言葉は伝播していなかった。現代標準語では 「飽きる」となった動詞は、元は 「飽く」 四段活用だったのだ。現代の文語には、その残滓として、慣用句だけが残っている:
・「あくまで」 XXX する
・「あくことを知らぬ」 探求心
・ XXX を求める 「あくなき」 たたかい
おもしろいのは、現代の慣用句では 「あくまで」 と 「あくなき」 が、(本来は)否定と肯定で正反対の関係であるにもかかわらず、今では同じ意味になっている点である。こういう一見 不合理な例は、実は朝鮮語にもある; ある、というより、外国人の目には、かなり目立つ。むしろ、そういう例こそ、外国人には発見しやすいのだが − 悲しいことに今この瞬間、いい例を思い出せない。が、西洋の学者たちも同じようなことに気がついていたらしくて、彼らのことわざには "Grammar yeilds (to) Usage" というのがある。「文法は慣用に道を譲る」のだ。

すっかり 「飽いて」 放置してあった 「ハリ・ポタ」第4巻のイギリス語原文を、また持ち歩きはじめている。私生活では 例の恩師 (ははは)がアメリカに遊びに行ってしまったので、その間はヒマになったからだ。
この第4巻、やっと箒乗りハンドボールのワールド・カップが終わった。ハリーの視点からの 「事実上の1人称」 描写は、仇敵マルフォイ (とその一家)の登場とともに復活してきた。考えてみれば、既刊の3冊でも、マルフォイの登場によって はじめて物語は面白くなりはじめる; 「読者」 は 「限りなく不快な態度を示す」マルフォイの登場で 「はらはら しはじめる」。言い換えれば、そのことによって作者は読者を離さない。「ハリ・ポタ」シリーズを支えているのは、その意味でマルフォイである。この 「限りなく不快な態度」を示すマルフォイの描写の見事さ (素直に読めば、「こいつがまた出てきた、こんな場面、早く終わってくれ」と思わせるほどの うまさ)、と同時に、それ自体が、作者には 「ハリーの視点による事実上の1人称」 化の契機になっているようで、結果として、マルフォイの登場によって、「ハリポタ」は近代的な心理劇の様相を帯びてくる・ようでもある。

ただ、それにしても作者のおしゃべりは長い。まるで、「朝 起きて、私は歯をみがいて顔を洗い、それから顔をタオルで拭いてからパジャマを脱いで服に着替えると、学校のランドセルに筆箱とノートを入れて、それからホグワーツの学用品の杖がないことに気がつきました ・・・」 みたいな、子どもの作文を大人が極限まで引き伸ばしたような面がある。再婚後の安定した心理で書いたというこの巻の長さが そのせいなのか、一面そんな気もする。だとしたら、はあ、文学作品の生産にとって作者の心理的安定もよしあしか、などと皮肉を言ってみたくなる。


(20030323-1) 日記 − 「韓国版」 ハリポタ / DVD / IDE / Ice Age、吹替えと字幕

先週だったか、4月には3年生になる子が、また友達を連れてきた。なぜか 「ハリー・ポッターの韓国語版」が話題になって、不思議だったが 僕の機械で見せようとしている間に、この友達は 「おかあさんが韓国人」 なのだとわかった。うちの子が母親の広東語を聞き取るように、この子はやはり母親の朝鮮語を聞き取れるらしい。

機械に DVDをかけてみると、どうも変だ。音とび、章単位ジャンプの不自然さが目立つ。横でみている 「友達」は、それでも母親と同じ言葉を聞き取っていたようだが、僕は納得がいかない ・・・ この機械で、クセの強い DVDドライブであることは承知しているが、前には問題なかったのに。
結論的には、韓国版 Windowsを乗せるために、機械に System Commanderというソフトを乗せる、そのためにフロッピーが必要になったので (今まで付けていなかった) フロッピー・ドライブを付けたとき、僕自身が、おそらく自分で、IDEの1と2を入れ替えたらしい; 「らしい」というのは、この種の日曜大工の悪い面で、「ついでだから、ここは本来こうあるべきだ、そうしておこう」と、余計な作業を、僕がやったと 「思われる」のであって、既に記憶から失われているからだ。いずれにしても、「この」 DVDドライブは IDEの第1コネクタにつながないと DMAが動かない。DMAが動かないと、大量のデータを CPUがソフト的にドライブから読み出し (PIOモード)、さらにそれをデコードして描画・発声させるという2重の負荷が生じるので、1GHz級の CPUでは音とびや画面の 「不自然な動き」が発生する。今は 従って、IDE 1 が DVD/CD-ROM、 IDE 2 が ハード・ディスクになっている。一応、これで問題はない。

一応 正常化した DVDの再生。それで改めて 「ハリ・ポタ」 第1作の映画を見てみた。
音声の朝鮮語と 字幕の朝鮮語は大きく異なるが、ふむふむ、たしかに 「吹替え」音声のほうは 「音だけ」で話を読者(視聴者)に理解させなければならないので、そこそこ自然な言葉になっている。それに対して字幕のほうは − 日本の洋画の字幕でもよくあるように − なんとも言いようもない、「これで何が悪いのさ」といった感じの訳語だけだ。ま、それはそういうものかもしれなくて、だからこの字幕が役に立ったのは、「ハーマイオン」を彼らが何と呼んでいるのか聞きあぐねて字幕を見たら だった − そのくらいだった。

ただ、その数日後、ぐずって寝ようとしない1才半の子守で "Ice Age" を見ていたら、ん、もっとすごいね。アニメであるせいかもしれないし、しゃべるのが動物なので、「口」と 「声」を合わせる必要が少なかったのかもしれない。吹替えと字幕とは、まったく別の原則で訳されている − 「字幕は字数と表示時間の妥協から生じる瞬間劇」なので省略がつきもの、といった程度の差ではない。まったく異なる、異質の訳文なのだ。これを 「吹替えを聞きながら 字幕を見て」 いると、原作の流れ、吹替えの言葉の流れ、字幕の翻訳の流れと、3つのマルチ・タスクになる。面倒なので − 結局画面を見つつ吹替えを聞き流す程度、字幕はじゃまだが、まあ出しとけ、ということになる。主たる聴取者は この場合 1才半。この程度だと言葉はどうでもよいので、そのうち、寝た。


(20030320-1) 戦争ですか

昔、海の向こうから 戦(いくさ)がやって来て、夏の陽射しの中に父がいると、森山良子が歌った。沖縄の地上戦で失われた父親、という詞だった。「ざわわ、ざわわ、ざわわ、広いサトウキビ畑 ・・・」

「坊や、大きくならないで」、お前が 大きくなると 戦に行くの。これも 35年ほど前、ベトナムの長い戦争が続いたときの歌で、これも森山良子で聞いたが、男の声によるバンドの録音も聞いたことがある。

「もう泣かないで坊や」、あなたは強い子でしょ、「あなたのパパは強かった。いつも、やさしかった」。戦いに行くその日まで、きっと生きて帰ると、固い約束をして出かけて行ったのよ。これも森山良子。もちろん、「坊や、大きくならないで」と対をなす、アメリカ側兵士の家族の歌である。

日本の時代区分で 「60年安保」と 「70年安保」の大きなちがいは、「70年」には、こうした極限まで 「個人の」感情を語る、少女趣味一歩手前の歌が歌われたことだった。60年安保で死んだ樺美智子だったか、彼女は組織動員されたデモ隊員だった。五木寛之の 『内灘夫人』は 60年安保の余韻を伝える作品で、金沢郊外、内灘海岸の米軍射爆場の残骸が出てくる。
一方、70年安保で死んだ高野悦子は自殺で、その日記 (書名は 『20才の原点』だったか) には、大学闘争の中での恋とその失望が書かれていた。70年の彼女は、「ざわわ、ざわわ」、「坊や、大きくならないで」、「もう泣かないで坊や」の延長線上、あるいはその予定線上にある。そして、こうした少女趣味一歩手前の反戦運動は、「ただの感傷」と紙の表裏をなす関係にあった。

この種の 「感傷」の痕跡は、朝鮮を扱った 『イムジン川』 の訳詞にも見えている。「イムジン川」 の原語は 「臨津江 ()」 で、その訳し方そのものに難癖をつける必要はない。が、臨津江は 1953年の休戦協定での南北境界線であり、この歌は北側で作られたものである; その原詞には、こうある − 。ところで、この部分の日本語訳は、驚いたことに 「わが祖国、南の地」 なのだ。当時、在日朝鮮人からは 「祖国」 という単語への強い感情が強調されていた。ところが、この詞の訳者は それをどう誤解したのか、休戦ラインの南側にすぎない同じ 「祖国」 の地を、「わが祖国」 と訳した。この愚かしさ。その訳詞で歌ったのは、「フォーク・クルセーダーズ」 というグループだった。これは韓国大使館の抗議で発禁になったそうだが、その後 他のグループが録音をしている。その録音では、さすがに 「ふるさとは、南の地」になっていたが。

それは余談だ。
ところで、さらに 30年ほど遡ると、日本では 「父よ、あなたは強かった (カブトも焦す炎熱を ・・・)」 という 「軍歌」がある。
衝撃を受けた。この詞の意味は、森山良子の歌った 「あなたのパパは強かった、とてもやさしかった」と、同じではないか。時代的に、詞の文脈は戦争を鼓舞しているにすぎないが、しかし その背後に 「夫を、父を失った」家庭の事情を示唆している。20世紀前半の日本では、表現には そういう複雑な経路が必要だった。

現代の戦争は、1m単位の精度で当てる 3000発のミサイルで開始されるのだそうだ。その精度で地下シェルターに当てたら、50人だったか 500人だったかの一般人が死んだ。パパ・ブッシュは それであわてて戦争を終結させたが、息子は美しいパパの夢を実現させるのか。一説によれば、息子は、敵を何千人殺そうがパパの夢を実現させるのだとも、いう。


(20030314-1) 日記 − 『天空の城 ラピュタ』 と "The Independence Day"

TVで、ジブリさんのシリーズ中 『天空の城 ラピュタ』 をやっていた。パソコンの録画予約をかけておいたので、夜9時に はじまってから8才が目撃、TVの前に移動させたら、作品完結する前に眠ってしまった。

この作品は、古い。『魔女の宅急便』 や 「トトロ」 よりだいぶ前、まだ作家の観念の展開がおそろしく複雑で、それを漏らさず語ろうとするので、長い。このモチーフは一番古い類で、「ナウシカ」 以後、ほとんど最初かもしれない。素材は 「紅の豚」(?)に酷似するが、「豚」は見ていないので どちらが先かは僕も知らない。

いずれにしても、古い作品ほど話は複雑な展開になる。これは おそらく、商品としての売りやすさに関わるだろう; 複雑な観念の展開を切り捨て、さらに幼稚な勧善懲悪の図式 (「ラピュタ」のヒロインは、失われた王国の子孫。その対をなす主人公の男の子は、予定された通り、ヒロインの敵を倒すまで、危機に決して倒れることがない)も捨てて、思い切り単純化したのが 「トトロ」なのだと思う。そのかわり 「トトロ」は、既存の民間信仰というのか、あるいは素朴な 「子どもは純真」信仰に依存する。その後の 「千と千尋」は、これは異郷訪問譚にまで落ちてゆくが、その一方で素材は 「いろんなものの寄せ集め」になって行く。

周辺の話題として、「ラピュタ」は、もちろん 『ガリバー旅行記』に出てくる 「飛ぶ島」である。ジブリのラピュタは、その崩壊 700年後のことである、ことになっている (年代的な計算は、アバウトでよければ、合う)。
手塚治虫の漫画でもそうだが、似たような人物があちこちの作品に出てくる: 手塚のヒゲオヤジと同じで、ラピュタのじじいは油屋の 「かまじい」になる。若いヒロインと主人公の関係は、かまじいが 「愛じゃよ、愛」と言ってみせるのと同じで、ラピュタでは海賊の頭目のばあさんが2人の関係を見守る。まだ勧善懲悪劇である 「ラピュタ」では、敵を倒す前と後で、少女と少年の顔の描写が変化する (子どもっぽかった2人の顔が、決意の後、勝利の後には大人の顔になって行く)点は、印象的ではあった。

作品自体は見たことがないと思っていたが、2時間を越えて子どもが眠ったころから、つまり、ラピュタの上でヒロインと敵が対決するあたりから、かつて見たことがあるのを思い出した ・・・ あの作品か。僕がまだ、朝鮮近代文学を専攻としていた、おそらく 1970年代の後半だろうか。

脈絡もなく (いや、何らかの脈絡があるにちがいないのだが)、思い出したアメリカ映画がある。「SF」と呼ぶには その 「S」 つまり Scientific な部分があまりにも幼稚で駄作におちた "The Independence Day" (邦題も 「インデペンデンス・デー」)。あの最後近くで、巨大なエイリアンの円盤に対して、セスナくらいしか操縦したことのないパイロットがジェット戦闘機で、空中静止して円盤の 「穴」にミサイルを打ち込む場面があるのだが、その 「円盤」が、ジブリの 「ラピュタ」宮殿の印象そのものなのだ。ただし、ジブリのラピュタは話の核心そのものであるのに対して、この映画では幼稚な 「コンピュータ・ウィルスの送りこみ」 とその脱出劇があるだけで、「円盤」の核心はあいまい・不明なままである。

"Never Ending Story" の、白い竜に乗ったアトレイユの姿が 「千と千尋」のそれになったことは、まず疑問の余地がない。が、ジブリの 「ラピュタ」が、「インデペンデンス・デー」の円盤になったとは、やや言いがたい面がある。が、「インデペンデンス・デー」の駄作ぶりを考えると、まあ、作者は相当な2流で、2流作家が日本の 「ラピュタ」くらい見たことがあっても不思議はないのだけれど。


(20030310-1) 日記 − ミサイル 3000発

東京は 「春の嵐」がはじまったと思ったが、ちっとも 「春」にならない。たしかに気温は上がって来たと思ったら、明日はまた8度前後だそうで、気温もまた下り坂になる。
− こういうの、春の嵐って言うんだぜ。これが終わると春なんだ。
− それは昨日 聞いたよ!
そうか、同じ話ばかりするのは、「老人の繰り言」という。俺もトシをとったなあ ・・・
その2年生も、1年間の学校の 「図工」の作品を持ち帰ってきた。そうか、学校の先生も転勤が決まっているころだ。3/1 生まれの子なので、8才をすぎた翌月には3年生になる。2年生の3学期は、もう2週間しかない。新学期がはじまるころには、また戦争か。

「ハリ・ポタ」に失望、あるいは飽きたので、ふと買ってみた本が 江畑謙介 『最新・アメリカの軍事力』(講談社現代新書 1594)だった。なんて 「時宜を得た」本だろう。つい先日のアフガン戦争のやり方が、よくわかった。前の湾岸 - イラクでのそれも、基本的にはその線上にあった。極少数の地上部隊、1発数千万円のミサイルがステルスに運ばれ、GPSで誘導されて、最終段では地上の特殊部隊の指示で目標を1mの精度で破壊する。ユーゴだったか、ミサイルを正確に2階?に当てたら、そこは中国大使館だったという、あの精度だ。「おもちゃ」としてはたいへん高価な、「使用回数ただ1度だけ」の高精度コンピュータ・システムたち。それを、今度は緒戦で 3000発 使うって?

高校のとき、世界史の教師が − 彼は 「左翼」にはほど遠い人物だったが − 言っていた: 「軍隊というのは、何物をも生産しない」、浪費するばかりの困った存在だと。アフガンで証明された 「安全な」戦争手段 (自国の兵隊を一人でも死なせたくないハイテク手段)は、他のどこに流用できるものでもない − そういえば、地下資源の開発に核爆弾を使うという実験をアメリカがやったことがあるが、あれは、爆破後の汚染が強すぎて中止になったのだった。


(20030309-1) 日記 − 朝鮮語(論)サイト

「今となっては」、「身内」の話題に属するので書きにくい。
が、「身内」といっても、それは学生時代の 「師」と学生、その 「学生」の そのまた後輩との関係で、親戚・姻戚関係の 「身内」ではない。

このページ (僕の 「日記」) の読者はご存知のように、僕には 「言語」面で 「師」と呼びべき方が二方ある。一方は関西、一方は関東である。どちらも、相当な有名人に属する。お二方とも大学を定年退職されて数年、まだまだ逝去される様子はなく (はは =3 不謹慎な)、まだ 20年以上にわたって活動を続けられるで・あろう。

いま 「この瞬間」 の僕は、後者の師だけに、深く関わりつつある。その 「関わり方」は、過度であるかもしれない。が、朝鮮語そのもの、「言語」としての朝鮮語、その朝鮮語を Web上でどう扱うかという課題について、これほど有意義な、生産的な課題を与えられたのは、過去 数十年の間に、本当に はじめてなのだ。当分は、僕の私的なソフトウェア生産労力は、この方のホームページ実現に割かれるだろうと予想している。「いま」 現在、見た目に派手なものはない。が、この先、続々と記事が上がって来ることが予定されている。「ネットワーク社会」が変化する速度に対して このサイトの記事更新 (追加)は とても遅いかもしれないが、しかし1年後をご覧になられたい: 1年後、このサイトは 「素人にはわからなくてもよい、しかし研究者とその卵たちにとって、絶対に無視できない」 重要な参照先になっているだろう:
http://www.han-lab.gr.jp/~kanno/: 百孫朝鮮語学談義 − 言語についての菅野裕臣の覚書
このサイトのオーナーは、コンピュータ技術の上では 「素人」である。が、オーナーが展開しようとしている話の内容は、1980ころから 20年+、日本の朝鮮語研究者たちを代表する氏の立場から発信する、きわめて重要な話題たちである。当面、僕はその技術担当者をつとめる。オーナーの関心からいって、「ミーハー」的な話題は完全に無視される。それにもかかわらず / それだからこそ、「研究者による、研究者のための」 サイトが実現される。

関心のある方は、注視されたい。そこには、表には現われないが、「かつて朝鮮語専攻、朝鮮近代文学で卒論を書いた」 学生で、現在はソフト屋をやっている、僕には 「後輩」とも思える青年も関与する。

いま、ある明確なゴールがある; そのとき、そのゴールに至るために、手弁当であっても参加してくれる元 「学生」がいる; 先生は、幸せな方だと思う。それは、しかし 「学生」だった彼らをどう扱ったかという、先生のかつての ありかたの結果でもある。

僕の 「夢」は ・・・ 実は、関東と関西に分かれる 「二人の師」を、同じ http://www.han-lab.gr.jp の中で論争させてみたかったりする。が今は、関東に在住される方のそれに忙しい。


(20030304-1) テグの地下鉄は韓国国産だろうか?

韓国の自動車も地下鉄も、日本からの技術導入ではじまったことは、一応 誰でも知っていることだ。地下鉄は 1970年代、ソウルの1号線ではじまり、電車そのものが日本製品だった。

1990年代のはじめころ、僕はサラリーマン生活をやめて 「自営業」になった。ソフトの開発が主たる分野だが、おカネになれば何でもやるつもりで、「翻訳・通訳」業も掲げた。そのころの 「翻訳」の依頼の中には − たしか − 新幹線電車と、地下鉄の新型車両の (発注・公募の主は韓国 「鉄道庁」) 「入札仕様書」 の仕事があった。つまり、「これこれ このような仕様の電車を何台、何本 購入するので、以下の仕様をよく見て、汝ら業者、入札せよ」 という文書である。先行する訳文、つまり他の人が前に作成した訳文も見せてもらったが、はは、ひどいね、 が読めなかったのね、「上下機器」 なんて訳してある。これは 「床下機器」 である。この種の誤訳が、少なくとも2つ。しかし 「上下機器の取り付け位置は運転台から少なくとも2m後方に」 という指示では、入札する業者 (この場合、総合商社だが) も困ったろう。僕の印象では、金泳三時代の韓国新幹線の入札は、このでたらめな訳文で、意味の取れない仕様書で、日本の商社は入札に負けた。

ところで、その当時、つまり ほんの 10年前にも、新幹線とあわせて地下鉄電車の国際入札があった。つまり そのころまでは、地下鉄電車も日本から納入された可能性がある。もちろん、時代的には 「VVVFコンバーター」などという わけのわからん電子機器が搭載された、最新型である。鉄道車両の寿命は最低でも 20年、長ければ 50年を越えて使われるので、「10年前」とは 「ほんの昨日のこと」に属する。
たしかに、あのときの 「入札仕様書」 には、客室の内装に 「難燃性素材を使え」と書いてあった記憶はない。

の地下鉄の放火・火災で、日本の TVには地下鉄関係者が出た。日本では 「難燃性素材」を使っているので、あれほどひどく燃えないはずだと、言っていた。ふうん。ほんとかね。一般に 「難燃性」 素材は 「燃えにくい」だけで 「燃えない」のではない; しかも、いざ燃えると猛烈な有毒ガスを出すという。つまり、本当に火が出ると 「難燃性」素材こそ人を殺す最大の要因になる − と、僕はかつて習ったことがある。本当に・ぜったいに燃えないためには、ガラス質繊維を使うしかないはずだ。

で、の燃えた電車は、日本製なのだろうか、それとも その後の韓国内ノック・ダウンか、あるいは再度 国産化された製品だったのだろうか? 仮に日本製であっても、たしかに、「仕様書」 に 「内装は難燃性」と書いてなければ、メーカーは難燃性素材を使わないだろう。入札で勝つために、条件内でコストを限界まで切りつめるのは常識だから。
どちらにしても、どれであっても、結果は同じ; つまり、その電車の内装が 「難燃性」であろうがなかろうが、火が出れば人はみんな死んでしまう。

ただ、1つだけ ・・・ 韓国内での、乗客の防寒着の素材問題は、ある。「ポリエステル 100%」のおそろしさ。ふかふか・ぽかぽかのほんわかした、あるいはほわほわに赤い毛の出た女の子たちの防寒着。瞬間的に乗客の衣類に引火し、それが椅子に、内装壁材に移り、そしてそれらが燃え出すと、次は 「難燃性」内装材がガスを発生しはじめる ・・・
放火された電車つまり火元より、対向側電車の乗客に死者が多いという。もちろん窒息はあるとしても、「難燃性」素材から発生した有毒ガスこそ問題ではなかったかと、ふと − 考えてみる。


(20030301-1) 日記 − まりともり / 母音交替 / 子どもと携帯 / DVD

今日は、上の子の誕生日である。それとはほとんど関係がないと思われるが、彼女は めずらしく友達を家に連れてきた。3年生までの 「学童保育」で知り合ったらしい、よく聞いてみると友達は3年生で、1学年上である。「学童保育」は3年生までなので、うちの子が4月から最後の1年、連れてきた子は今月で 「学童」から去ることになる。

で、その子は、携帯を持っている。お母さんに電話してみる。通じないね。でもそのうち、そのお母さんから電話が来る。その間に うちの子の誕生日のケーキを買いに出たりしたのだが、この子自身はケーキもいらないという。晩御飯前に何か食べるとしかられるのかな。

DVDの 「千と千尋」を、「見る?」と言ってみると、見るという。話は知っているようだが、うちの子が見飽きているらしいのに対して、とてもよく見ている。
その隣では、僕が恩師のホームページをいじり、おい 「ハリー・ポッター」の原文の1冊目の本 知らないか とか、やっている。1才半の子が出てきて、またにぎやかになる。友達を気遣ったうちの子は、(DVDの画面に重なった) 「マウス、じゃま?」とか やっている。夕方6時半、「千と千尋」の結末まで行ってから、僕が 「これ、フランス語も出るんだぜ」とか何とか、銭〜婆と千尋の場面のフランス語と、日本語字幕を見せたりした。お母さんからの電話で決まった6時半すぎ、僕の車で彼女を送り返した。

何が言いたいかというと、「携帯」を持っている子どもは、これで2例目であること。うちの子には、それがうらやましいことであるらしい。自分専用の携帯を持ち歩く子どもは、確実に、親が外で働いている子だ。今日の子もそれである。でも、パソコンや その DVDの操作は、うちの子の独壇場だ。

現代の、子どもを含む 「ハイテク」事情。
放課後に親との連絡を確保するための、携帯。携帯を持っている子がうらやましいらしいうちの子には、時々 (例えば日曜日の教会学校に行く時などに)、僕の携帯を持たせることがある。
でも、パソコンと DVD。この年代では、それはマウスの操作への慣れと、ソフトのボタンの位置を知っているかどうかだ。それらも 「慣れている」かどうかという表現で まとめられるだろう。
今日うちに来た子、自宅にパソコンはないのかな。その意味で うちの子が 「優位」に立つが、しかし うちの子は 「携帯」を持っていない点で立場が逆転する。

なんだか、つまらない 「近所づきあい」の 「見栄はりごっこ」のような気もする。
が、今日の子は、名前を 「まり」ちゃんと言う。うちのは 「もり」ちゃんである。互いに 「まり」、「もり」 と呼び合っている。言語屋さんはすぐに気がつく通り、mari と mori は ただ1つの母音交替にすぎない。それが、この二人の関係に作用しているのだろうか?
余談だが (前にもどこかに書いたが)、「となりのトトロ」のやさしい怪獣トトロと、その後の作品の悪霊タタラとは、 ToToRo / TaTaRa の母音交替にすぎない。