Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20020905-1) パソコンの 「日割り単価」

例えば、一家4人がくらすアパートまたはマンションが、多少高いが、仮に賃貸で家賃 15万円だとする。1ヶ月に 15万円なら、一泊 5000円になる。そう考えてみると、なるほど、ビジネス・ホテルや 「ウィークリー・マンション」の価格設定というのも うなづける。「アパート、マンション」では保証金を取って入れるし、ほぼ恒久的な収入が見込める一方、ビジネス・ホテルやウィークリー・マンションではそれがないから、同じ値段なら面積を狭くして、面積あたりの売上総額を上げようとする。これが、いわゆる 「経済観念」の一種だと、僕は考えている。

類似するのは、個人の自営業であれ会社であれ、確定申告の際の 「減価償却」というやつだ。仕事に使うトラックでも営業車でも、今年買ったからその値段は今年の経費にする、というわけではない。車の寿命は例えば5年として、単純にやれば買った値段の 1/5 を毎年の経費に算入する。つまり、150万円の車を5年償却すれば毎年の経費 30万円。毎年この金額が 「経費」に上がるから、毎年その分の税金は安くあがることになる。
これはパソコンでも同じで、現に僕の確定申告では 「パソコン一式」が減価償却中である。ただ、困ったことに、それが 「どの」 パソコンのことなのか、僕もわからない。ひょっとすると、最近 火を落とした Pent-III 450のことなのか、あるいは その前のやつなのか。いずれにしても、税理士事務所がそうしてきたので、それはプロにまかせてしまえばよい。

それで、パソコンというのは、早ければ3ヶ月もすると 「古く」なる。パソコンの買い替えは、どうあがいても 5年以内にやらざるを得ない。最新のパソコン1台買ったら、次に買い換えるまで 「一日いくら」になるのだろう? 単純計算をしてみよう:
買った値段 事実上の償却期間 年あたり単価
30万円 3年 10万円
20万円 3年 6.6万円
15万円 3年 5万円

僕の 「新機」 つまり Fax受信機・TV録画機は、おおよそ 15万円かかっている。こうして計算してみると、ふむ、3年使えば1年あたり5万円、月で割れば 4千円ちょっとですか。一日あたり、140円くらいになるのかしら。
もっとも、ブランドものでないパソコンは、メンテに手がかかる。部品の相性がどうの、ドライブを取り替えるのソフトを入れ替えるの、そういうコストは計算に入っていない。まして、24時間接続のインターネットや、電話:Faxの ISDN、部屋のエアコン、それらすべてを支える電気代など、計算に入っていない。最新の電気代請求書は2万円超。2万円台は過去数回経験したけど、その中でもこの夏が最高額だった。諸悪の根源は、パソコンの発熱を心配した結果の、エアコンである; が、エアコン止めて Pentium 90MHzを死なせたことのある僕は、エアコンを止めることができないのだ。そういえば、今年はそのエアコン自体を取り替えた。その請求書が、まだ来ていない。


(20020904-1) フロッピーの寿命、CD-Rの寿命

「文系」の大学研究者たちの世界では、時間の流れが遅い。「あの」 話題で論文が出たのは、例えば 20年前。それはある研究者の恩師の論文で、教え子の 「私」は、当時の恩師の年齢になるころ、ふたたびその問題を蒸し返す、あるいはそれをさらに検討する、といったパターンが考えられる。

「文系」であっても、大学研究者ともなると、手書き論文ではすまない。20年前 「ワープロ」と呼ばれた機械を最初に使いはじめた人たちの中には、新しいものをおそれない、新進の 「文系」 大学研究者たちがいる。もちろん、その分野が例えばロシア語、朝鮮語、中国語となると、80年代の日本語 「ワープロ」はまったく無意味なものだったけれど、それでも 「文系」 ちゃきちゃきの研究者たちは、最初は 「テレタイプ」端末に 「ミニコン」で、「その」 言語をローマ字化して入力、解析、分析、統計取りなどをした時代がある。そういう作業自体は、日本語分野でも 30年前から行われていて、当時は 「コンピュータを使った 『計量言語学』」などと呼ばれたことがある。余談だが、万葉集に朝鮮語の痕跡をほとんど発見できないことは、この 1970年代 「計量言語学」の (ある意味)成果でもあった。

それから 20年、30年が経過した。その間、研究者たちは 「ワープロ」から 「パソコン」へ、「パソコン」は DOS、Apple ][ などを経て Windows 3.1、System 7 へ、さらに何度も変遷してきた。20年の間、彼らは、しばしば膨大な過去の蓄積を持っている。その 「蓄積」は、多くフロッピー・ディスクになっている。

結論を急ぐと、その 20年間に保存された大量のフロッピー・ディスクたちは、今では劣化して、読み出すこと自体が不可能になっている。もう3年前か、1980年代のフロッピー・ディスクにある古い論文が読めない! という騒ぎにつきあった。読めないものは読めない。これは、フロッピーという磁気媒体自身が古くなって、もう消えてしまったんですよ、先生。

日本語では 「石の上にも3年」という。苔むす灯篭は寺の伝統の象徴である。アメリカ語には、「転がる石にコケはつかない」というのがある。古いロック・グループの Rolling (Roling?) Stones というのは、「俺らはコケのつかない、いつも新しいグループだ」という意味の、実は何とも教訓くさい名前なのだ。

フロッピーには、コケがむす。媒体に菌類のカビが繁殖しないとしても、経験的に、磁気記録媒体は おおよそ5年くらいで記憶を失いはじめる。昔、40MBくらいの SCSI ハードディスクが、目の前で 「ぼろぼろと」 壊れて行くのを目撃したことがあるが、あのディスクも5年めだった。まして、「消耗品」であり 「ぺらぺらの」 フロッピー・ディスクにおいておや。

磁気記憶の媒体それ自体は、物理的に、確実に劣化する。その劣化が進み物理的に読めなくなる前に、つまり正常に読み出せるうちに読み出し、新しい媒体にコピーを移行する必要がある。幸か不幸か、パソコン・ソフトのライフ・サイクルは短い。パソコン自体が、5年 「もつ」 例も少ない。Windowsの例では、1995, 1998, 2000, 2001 と、激しいペースで変化し、そのたびに 「1ランク上の」 ハードウェアが要求されてきた。遅くても3年後には、パソコンそれ自体を買い換える必要が生じてくる。
パソコンを買い換えたら、それを機会に、すべての蓄積データをその機械に吸い上げる。これで、過去のデータの物理的劣化は救われる。ただし、Windowsなどの場合 それ自体がとても 「不安定」で いつ壊れるかわからないので、少なくともコピーは2ヶ所に保存する。その手順、つまり 「常にバックアップを保存する」作業を続ける限り、「転がる石にコケはつかない」。バックアップとは、物理的にフロッピーを保管することではない。そんなフロッピーなど捨てて、「中身」を新鮮な磁気媒体にコピーすることに意味がある。

それでも − 問題が残る。
消える前に旧媒体からデータはコピーした。ところで、この大事なデータは、1985年に発売されたソフトでのみ、正しく読める; このソフトは、1988年に 「ディスコン」 つまり 販売中止になっている。それは、MS-DOS上でのみ動作した ・・・
これは、どうしようもない。
だから、大事なデータ・ファイルは、必ず、単純な 「テキストだけ」の状態で保存する。この 「テキスト」に、例えば日本語と、ある種のハングルの文字コードとが混在していたとする。その場合、この 「テキスト」は、そのままでは永遠に (大事なところが)文字化けする運命にある。だから − ある種の処置を行う必要がある。その処置とは ・・・ その点こそが、僕が数年前、たとえ営業ベースであっても なんとかしたいと考えていた点だった。が、それは 「営業ベース」にならなかった; つまり、それで生計は立たない。それに要する手間に対して生計を維持できる報酬を要求すれば、「法外な」要求になった。結果として、大事なデータは研究者自身に、自分自身で 何らかの手段で処置し保存していただくしかないというのが、僕の結論ではあった。

「フロッピー」は、既に過去の遺物になりつつある。
それに対して、CDは劣化しにくいはずである。ふむ。
研究者の一人は考えた。では、フロッピーはすぐ消えてしまうから、CD-Rで保存すればよいのではないか。
僕は答えた。CD-R だって、劣化しますよ。日向に CDを放置してごらんなさい、板が波打ってきて、ドライブそのものが壊れるかもしれないから。日陰に保存すればいいかって? だって、CD-Rの光反射面それ自体、何年 もつか、わかりませんよ。

CD-Rに対する僕の不信は、長い間、「CD-Rで書かれたディスクが、昔ながらの CD-ROMドライブでは読めないケースがある」 点にあった。これは事実で、僕の前の機械 Pent-III 450 の CD-ROMドライブでは、CD-Rディスクを読める確率は おおよそ 1/2 だった。
今では 「単なる CD-ROMドライブだけ」 というパソコンは少なくなったが、しかし この実績は、CD-Rディスクの記録面が かつての CD-ROMに対して 何か異なることを意味している。しかも − CD-Rディスクが 「一度は書ける」のである以上、「一度書いた」後に、さらに劣化をはじめることを疑うべきではないか。
CD-R メディア 一般の寿命は、まだわからない。が、「昔ながらの CD-ROM (読むだけ)」ドライブでも読めないケースが出ている以上、おそらく − 直感的に − あるいはフロッピーより早く劣化する可能性もあると、僕は感じている。

じゃ、DVD-R、DVD+R、DVD+-RAM なんかどうだというと、はて、ねえ。こいつら、しかし CD-R 以上に気まぐれであろうと予想するのは、僕だけだろうか?


(20020903-1) パソコンの現在、うちの CD-R(W)の現在

インターネット上でこんなことを言う必要もないのだが、現代のパソコンでは、フロッピー・ディスクが意味を失っている。いま現在、例えば原稿をどこかに納品するとして、その手段は まず例外なく電子メールだ。一昔前なら、フロッピーに原稿を入れて郵送 (あるいは人が運ぶ)だった (もっとも、今年春の岩波書店への最終入稿はフロッピーだった。あはは)。もう一昔前、翻訳でメシを食うと決めた女性たち (?) の投資は、電話と Faxにささげられた。高かった Faxの機械で完成原稿を送ると、受け取った側はそれを人が見て、手作業で写植の植字か、「進んだ」ところでは DTPにかけていた。それが、おおよそ 15年から 10年前の話。

最近のパソコンでは、フロッピーを省略するケースが増えてきた。パソコン OSそのもののインストールが 既に CD-ROMから行えるようになっているので、フロッピーはいらないのだ。フロッピーがなければ どうやって他の機械とデータ交換をするかというと、もちろんネットワーク。「原稿」を電子メールで 「よそ」 に送ることができる以上、それより近いところにある機械 (自宅、自社内) 同士で、データ交換ができないはずがない。

今年の春だったか、友人の結婚パーティーの写真をデジカメで撮ったら、全部で 8MBくらいになった。こうなると、フロッピーなど役に立たない。「一昔前」なら、MO (ディスク)の出番だった。でも、彼は個人のメールを使っているので、はて、8MBを彼のサーバが受け付けてくれるかと問い合わせたら − 現状では電話モデムなので 8MBはつらい、CD-Rに焼いて郵便で送ってくれときた。彼の機械はノートだが、CDドライブは CD-Rがついている。彼の感覚では、CD-Rが 昔のフロッピーなのだ。

CD-Rという 「書ける CD」の、板のお値段、ご存知だろうか。2日前、自家用の CD-Rが不足したので パソコン家電屋さんに行ったら、安いのは 10枚で 298円だった。CDの表裏さえ表示のない完全な 「バルク」。あんまり不安なので、ブランドものにした。Maxellが 10枚で 498円。実は百円ショップでは、そのショップのブランド名の入った 「2枚入り」を 100円(あたりまえ)で売っている。別の百円ショップでは、おいおい、Sonyブランドを1枚 100円で売っていた。

僕の CD-Rドライブは、やや 「数奇な」? 経過をたどっている。
Cylix 550MHzに USB 1.1 でつないで、「4倍速」書き込みができた。それ以上は実験していない。Cylixの電気を落として、「新機」 Pent-4 1.6GHzにつないでみた。ただし USBは遅い 1.1 のまま。OSが Windows XPなので、「ドライバ」層は既にインストール済み。そこで問題が起こり、XPは 「高速 USBデバイスが 低速 USBにつながっている。これでいいのか」と聞いてきた。選択の余地なし。とにかく、動かす。「4倍速」で書き込めない。何をやってもだめ。IDE側 ソース・ドライブからの読み出しが間に合わないという。まさか。IDEは HDD DMA ATA-133。Cylixのときは ATA 33だったのだぞ。結論的には、XPに用意されている高速 USB 2のドライバの問題だと思われた。仕方がないので、CD-Rは Celeron 1.0GHz USB 1.1、Windows 2000につなぎ、「4倍速」で書くことにした。「8倍速」あたりから USB 1.1 の限界のようで、エラー・リカバリーしながらかろうじて動く。安全域はやはり 「4倍」速。
技術的な説明: XPにインストール済みの 「高速」 USB 2 のドライバ層は、「低速」 USB 1 に出会ったときの対策がなされてないのだろう。おそらく、USB 2 を期待して CPUパワーをそこにささげる; それをやると、データ送り元の HDDからの転送自体が、たとえ DMAであっても阻害される。最近の CPUはメモリ・アクセス自体が常に 「バースト」なので、それが動いていると、CPU動作に割り込んでくるはずの DMAさえ動作しない結果になる。結果として 「IDE-DMAの読み出しエラー」(間に合わない) となる。
しかし 「4倍速」とは、音楽データ1時間分 つまり 600MBの書き込みに 15分かかる、という意味である。「1時間 -> 15分」の対比では感動的だが、密度の高い動画では実際には 「1倍速」程度でしかない。(DVDのデータ密度は、時間あたり CDの数倍になる。つまり、DVD 1枚分のデータを CD-Rに書くと、CD-R 5枚以上が必要になる) これは、耐えがたい低速だ。CD-Rで 5枚も6枚も書き込み検証しながらやっていたら、現実には1晩もかかってしまう。
迷ったが、同じ CD-RWドライブについている IEEE 1324 のコネクタ、それにつなぐ電線を買った。問題はこれで解決。「4倍速」さえできなかった 「新機」 Pent-4 1.6GHz で、ほうほう、「24倍速」が問題なく書き込める。USB 1 の問題は、やはり XPのドライバが悪いという結論だ。しかしそれでも、映画1本、何枚もの CD-Rに書くのは面倒くさい。

が、まだ DVDを 「書く」 機械は買えない。高いから。安いので 4万円の手前。このあたりで、「書き込み一倍速」が復活する。「DVD 1倍速」の書き込みとは、つまり1時間の映画の DVDを書くのに 1時間、2時間ものは2時間かかるということだ。
TVを録画する先が ハード・ディスクだという製品は、ふえてきた。録画を直接 DVDに書いてしまうのも、ある; ただし これは DVD-RAMと呼ばれるもので、既存の 「DVDビデオ再生機」では読めない。読めるのは 「DVD-R」 で、これを書くのは 「一倍速」しかない。なかなか、面倒くさい。ちなみに、「書ける」 DVD の板そのものは、市場で1枚 800円くらいになってきた。昔、SVHSのビデオ・テープが、そのくらいの値段だったっけ。


(20020902-1) 日本語 「アクセント」 論の盲点

ある人が、東京方言の 「をわたる」 (橋を渡る、アクセント (2)) と、「しをわたる」 (端を渡る、アクセント (0)) のちがいを理解できるかどうかは、その人が 「日本語」 のアクセント・システムそのものを理解しているかどうかの、良い指標になる。「端、アクセント (0) 」は、「助詞がつくとアクセントが変わる」のではない; この単語自体が、「それに続く付属語を道連れに、付属語ごと高い音に移動させる」のであって、それが 「端」 という単語の属性の1つとしての 「アクセント」なのだ。つまり日本語のアクセント系は、「その単語の中のどこに高い音の位置があるか」(だけ)ではない; 広い意味で (膠着語といわれる) 膠着部への影響力のある・なしが、日本語のアクセント系の、不思議な属性である。僕も、知っている限りの言語で、こうした例は日本語だけにしかない (類似するものとしては、せいぜい中国系各語で、場合によって声調が変化するくらいのものか)。また、このアクセント系が関西語に存在するかどうかさえ、僕は確認していない − というのは、関東・東京アクセント系は金田一京助の国語辞典で明瞭になったのだが、関西語について この点に言及したものは、過去 49年 ただの一度も見たことがないからだ。僕自身、関西には7年の滞在経験があるのだが、その当時は朝鮮語に忙しくて、関西現地語の観察どころではなかった。ついでだけれど、朝鮮語でも慶尚道方言には日本語と類似する高低アクセントがある。つまり、音節の高低で意味が異なってくることが、ある。しかし、「膠着部を道連れにする」パターンがあるかどうかは、僕は知らない − それ以後 僕は 「専攻」 分野が文学に移動したので、言語そのものは理解の回路になり、観察の対象本体ではなくなった。

余談だが、N国人にとって N国語は、誰もが必ず一家言を持つ分野でもある。N国人は、ほぼ例外なく自分を N国語のエキスパートだと考えている。つまり、日本語のネイティブ・スピーカーである日本人は、自分の母語である日本語を知り尽くしていると、たいてい考えている。この確信はトシをとるほど強化されるようで、じじいの 「正しい国語」論ほど困るものはない。まして、「橋」と 「端」のアクセントのちがい、この2語のアクセントの本質的なちがいなど考えたことのない素人じじいは、以上のような僕の得意の説明にかちんと来るらしい。まだ 20代前半だった僕が、生意気にも飲み屋でこの説明をしたことがある。隣に座っていたじいさん、本気で腹立たしいようだった:
それはイントネーションの問題でしょ、イントネーション!
イントネーションというのは、例えば 「橋を渡る? それとも端を渡る?」 という句単位の、例えば語尾の上がり下がりでしょ? たとえ語尾が上がっても、東京方言で 「をわた」、「しをわた」。この語尾イントネーションの場合、「高低」2段階を越えて、無限・無段階の音程差が考えられる。それは 「句」の意味 (叙述か、疑問か、勧誘か)の問題で、広い意味で統語論に属する。一方、日本語の 「アクセント」問題とはあくまで 「高低」2段階による単語の意味分別 (「橋」か 「端」か) の問題であり、かつ、素人じじいが理解を拒否する 「膠着部への影響力」の問題なのだ (これは、広い意味で語彙論の一部かもしれない)。

だから、「橋を渡る」と 「端を渡る」は、日本語の 「アクセント」系そのものの理解の、重大な指標になる。関西語に 「アクセント (0) 」 が存在するのかどうか、関西で日本語を教えている友人に聞いても、明確な答えは得られなかった。


(20020830-1) 「うち」のアクセントと、日本語でいう 「アクセント」

友人からメールあり、関西方言で 「」 は女性語、同じ関西で 「」 と発音するとやや卑俗な、「あんた」 に対応する言葉になるそうだ。ついでに、この単語の分布は多く関西だが、しかし千葉県の一部にも見られることまで、調べてくれた。
なるほど。千葉の一部に見られるなら、僕のいる東京都 東北端は、近い距離にある。僕が書いた 「あくまで関東型」 の 「うち」 とは、関西語では 「卑俗」 になるという 「」 のほうである。

ところで、金田一京助の国語辞典をご存知だろうか。書名はたしか 『明解国語辞典』 で、現在は息子の金田一春彦が代表になって 『新明解国語辞典』になっている。が、京助時代の辞典と、息子になってからの辞典には、大きな改悪(?)がある − 京助辞典には、見出し語ごとにアクセントが表記されている。もちろん、「標準語」またはその周辺でのアクセント、つまり関東型アクセントである。
このアクセント記号は、丸の中に数字が書いてある。ここでは便宜上 (1) (2) ... と表現する。例として 「はし(箸)」 は アクセント (1) 、「はし(橋)」 は アクセント (2) である。つまり、このアクセント記号は まず 「高い」点を示す:
」、箸、アクセント (1)

」、橋、アクセント (2)
ところで、「橋」 と 「端」 の違いをご存知だろうか。東京方言では、こうなる:
をわたる」、橋を渡る、アクセント (2)

しをわたる」、端を渡る、アクセント (0)
一休さんのとんち話で 「この はしを わたるべからず」 は、このアクセント (2) と (0) を意図的に混同することで、可能になる。アクセント位置の表現に (0) を発明したのが、金田一京助辞典の長所だった。アクセント (0) の単語は、それに続く付属語の高さを道連れに、すべて高いまま維持させる。多くの 「日本語」論、「方言」論に欠けているのは、この認識だ。東京の女の子語にみられる 一人称単数の人称代名詞 「うち」 は、このアクセント (0) である。アクセント (2) だと、彼女らの場合も 「家(家庭)」の意味になる ・・・ と思われる。

蛇の足:
ご参考?までに、僕の母語、静岡県 遠州東部の方言は おおむね 「関東型」だが、ただし 「端」と 「橋」は完全に同一である; これは文脈で判断する以外に区別がつかない。一休さんの故郷も、おそらく同じパターンで区別がないのだろう:
しをわたる」、橋を渡る、アクセント (0)

しをわたる」、端を渡る、アクセント (0)

(20020827-1) 一人称単数の人称代名詞 「うち」、ただし子供語

関西弁とは異なる。関東語の 「我が家」、「我が社」、「我が職場」を意味するそれとも、異なる。ただし、語源は同じだろう。ここ2,3年の間に気がついていたのだが、話題にする機会がなかった。そうこうしているうちに、街で偶然、やはり小学校低学年と見える (知らない)女の子の発話を聞いた。これで、この語がうちの(当家の)子の特殊方言ではないと確信した。

この単語は、主として女の子が使う一人称の、それも単数の人称代名詞である。旧世代は 「うち/家/内」 の連想から複数、または英語の (our) home/house を連想する可能性があるが、話者たちにその意識はない。その証拠に 「わたしの家」 を、彼女たちは 「うちんち」 と言う。長い間、「うちんち」と 言われるたびに 何かおかしいと感じて、そのたびに僕は単に 「うち」 と言い直していた (正しい日本語を教えているつもりだった) のだが、街角で、未知の女の子が友達に 「うちんち、おいでよ」 と語りかけているのを聞いて、僕はバンザイした。「うち」 とは、一人称単数の人称代名詞で、ただし女性語かつ子供語である。ただし 「子供」はやがて大人になるから、地域と場合と世代と環境によっては、あるいは既に 二十代で 「一人称代名詞の うち」 が存在するかもしれない。また 「女性語」とは限らず、男の子も同じ意味で使っているかもしれない。

以上、21世紀初頭、東京都内の振興住宅地、より正確には足立区と葛飾区の境界線上での言語現象の1つ。

「そういえば」。
小さな女の子が、自分を 「あたし」 と呼ぶのを (一人称代名詞の 「あたし」を)、最近 聞いたことがない。考えてみると、あるいは もう 10年以上 聞いていないかもしれない (それ以上さかのぼると、僕は日本にいない時期。最後に聞いた明瞭な記憶は 1979 または 1980年、20代の女性の発話。その後 1982年の東京 青山のオフィスで聞いたかどうか)。TVのドラマは別として、生の声で、生きた女の子の声で、だ。「うちの」 子の小学校でも − そういえば幼稚園でも − あらたまった場所での女の子のそれは、みんな 「わたし」 だった。男の子の公式のそれは 「ぼく」、女の子は 「わたし」 ・・・ 「わたしは、xxx が、できるようになりました」。「あたし」は、旧世代の観念上の卑語になりさがったのかもしれない。

この子たちは、迷子になったとき、自分をどう呼ぶのだろう。「おじょうちゃん、お名前は?」。
仮に、女の子が二人、ケンカしている; 大人が仲裁に入ったとする。「あのね、うちはこうこう、なにそれなの」。「そうじゃないの! うちはこうこうなにそれって言ったのに!」。「うち」は、一人称単数の人称代名詞である。「国際化」ではないが、関西語の影響だろうか。クラスにも必ず一人や二人、関西からの転入組がいるようだから。しかしアクセントは あくまで関東型である。


(20020822-1) 子育ての記(?)

上の子が7才:2年生なのだが、最近になって 「幼児」 からの変化に驚かされる。0才が1才になるころ、1才が2才になるまで ・・・ つまり0才から7才までは上の子の体験で予想がつくのだが、しかし上の子の変化は常に新しい体験になる。

まず、身長。120cmを越えつつあり、マクドナルドの遊び場に入れなくなった。「あ、あと 3cm」、「あと 2センチ」と言っていたのは1学期まで。先週、ついに越えた。これは、「もう子供の遊び場に入れない」という 本人のプライドにも関係する。つまり、「越えた」 ことが本人にとって喜びでこそあれ、悲しみではない、つまり 必ずしも否定的ではないアンビバレンスの (僕にとっては)観察体験だった。おそらく彼女は、「もうだめよ」 と言われたくてしかたがなかったのだ。「幼児」 が 「幼児」 ではなくなる一瞬だったのかもしれない。

体重。だいぶ前に 20Kgを越えている。0才(1才)に軽い嫉妬を示し、だっこしてくれとは、今も言う。しかし 20キロ超の子供を抱き上げるだけならともかく、本とゴミとあらゆる雑貨で踏みつけ道しか残っていない僕の部屋から、抱き上げて寝床まで運ぶには、相当な労力を要する。恋愛初期なら、40Kgの (現在の) かあちゃんを抱き上げてベッドに運ぶ努力もいとわなかったのだが、今となっては 40Kgを抱き上げることはできない。20Kg+のその娘をだっこして寝床に運ぶには、「ヨーソロ、ヨーソロ」 状態だ。運ばれる側もそれを承知している − つまり、自分はもう幼児ではないことを、当人は理解している。なんたって、マクドナルドの遊び場には もう入れない。

体臭。俗に 「子供って、とってもいい匂いがする」 という。これは、幼児期の人体の新鮮な匂い、つまり、おしめとくそしょんべんを含めて、体内・体外の雑菌と人体自身の排泄物の匂いが一体になったものをさすのだろう。動物である人間が この 「におい」 を不快に感じたら、子供はみんな殺されて種は滅亡する; つまり、本能的に人は 「赤ちゃんのにおい」 に好意を感じるようプログラムされているらしい。この 「におい」 に、僕も慣らされてきた。
が、変化がある。7才の子には − もう、あの 「あかちゃん」の においは、ない。むしろ、親に似てものぐさ、長めの髪をろくに洗わないので 「頭がくさい!」 と僕が叫ぶ; 彼女はしぶしぶ、母親の手を借りて風呂場に行かされる。おならをしても、冗談ではすまないようなクサいのをすることがある。7才の人体は、大人に近い。おっぱいこそ まだ ふくらんでこないが、だっこしても その 20Kg+ のボリュームに圧倒される。そういえば ・・・ 父親による娘への性的虐待が問題になるのは、しばしばこの時期だ。父親の性のターゲットになるのは、それを強く拒絶できない 「ある」 時期の少女たちである。

ごく・ごく・端的な話をしよう。
彼女は、少し前まで、パソコンの 「マイ・コンピュータ」の DVDを ダブル・クリックすることで、目標とするアニメが出る、と理解していた − はずだった。
が、TVがパソコンで見え、その録画ができると知り、その録画と、録画を再生する手順を知った。それらの手順は父親が教えている。ところで父親は、その録画のあるディレクトリを Windows Explorer でいつも表示している。
ある日、彼女は言った: 「もっとある (はずだ。おかしいな!)」。
彼女は、つまり7才は、TVキャプチャ・ボードについてくる 「再生」メニューに出る一覧表と、僕が見ているディレクトリ表示との差に、気がついたのだ。そう。「再生」メニューには、録画した回数分のメニューしか出ない。しかしそのディレクトリ内には、実はメニューに対応する 「中身」= MPEG画像の一覧表が見えている。僕は その 「中身」の一覧表を見ている; 彼女には 「録画」歴のメニューしか見えていない。それを、7才は 「もっとある (おかしいな!)」 と言った。

7才は、もう幼児ではない。
そろそろ、「コンピュータ」 の基本構造、つまり CPUと メモリと ディスクと ディスプレイ、キーボードの関係を教えておくべきか、という気もする。実際、TVのアンテナ線とビデオ、赤・白・黄の信号線の関係を理解できない じいちゃんに、彼女は 「じゃ、説明するよ!」 と教えることができる。
しかし、ただ − こないだ 彼女が 「ケータイ、どこにあるの?」 と言うので 「コンピュータの上」 と答えたら、彼女は 「ない」 と言う; 「あるじゃないか」 と示したら、彼女は抗議してきた: 「コンピュータの上だったら、ここでしょ、ここ!」。「ここ」 とは、液晶モニターの上の辺だった。
そうか。だから、7才にはそろそろ 「コンピュータ」と 「ディスプレイ」、キーボードとマウスの関係を教える必要があるわけだな。


(20020821-1) 夏休みはくたびれる

いや、「いずこも同じ」 かもしれない愚痴で、子供の夏休み期間というのは くたびれる。父親はいつもと同じように、平日は仕事に行くのだが、週末になると状況が異なる。なぜか、夏の週末は疲労コンパイしたあげく、月曜をむかえることになる。1才を迎えた子は 「いつものように」 保育園に行っているので、問題は7才:2年生の夏休みだ。

なぜ 「疲れる」 のかを、考えてみた。夏だから、盆踊りだ 花火だと、行事がある。それだけなら、「夏」 以外よりやや頻度が高いだけだ。そこに、じいちゃん・ばあちゃんちへ行きたい、田舎からくる おばちゃんたちにも会いたい、海にも山にも連れて行ってやれないから、その代償のように トイザラスでも行ってみる ・・・ やはり 頻度の問題なのだろうか? じいちゃん・ばあちゃんちに 「お泊り」 するのも 「休み」期間に限られるので、頻度が高い上に 「お泊り」 帰りの出迎えが平日にまたがるせいも、ある。

6月末に買ったパソコンは、大幅な 「静音」化作業、つまり冷却ファンの回転をかなり落としたにもかかわらず、そこそこ。ただし、おそらく 一度 配線をショートさせたことが理由で、アナログ的にきまぐれ。LANの通信不能は代替ボードを用意した。電源断とリセットが動かないことがあるが、かと思うと気持ちよく動くこともある。
それにもかかわらず、FAXと DVDと TVの録画は よく動く。機械の目的はその3点なので、いまはそのまま。


(20020812-1) お日様、ひな菊、とろけたバター

友人からメール、韓国と日本では、DVDの 「リージョン・コード」は 2と3で異なるのが正しいそうだ。ただし、初期の再生機はそんなものを気にしない、あるいは無視するので、マニアはそれでアジアの映画を見るのだそうだ。
今となっては、僕は平気 − なんと言っても、DVDドライブは2台もある (DVDが見れるパソコンは2台ある)から、それぞれに振り分けてしまえばよい。見るだけのドライブなら、1万もしないで買えるので、大型 (いわゆる 「タワー」型ケースの)パソコンの人は パソコン1台に DVDドライブ2台にすればよろしい。たいてい、過去の遺物である 5" フロッピーの穴があいているはずなので、そこに入れよう。

技術的には、「リージョン・コード」は ドライブ側のファームウェアが見るらしい。Windows側の表示では、これは4回 (5回?)まで変更できる。が、その回数をこえると、そのドライブを他の機械に持っていっても 二度と変更できなくなる、という。ということは、変更歴は ドライブ内にある、ということで、電気を切ってもそれを覚えているなら、不揮発性メモリ。ならば SRAMか Flashになる。しかし SRAMでは、記憶が 「揮発」しないためには電池が必要なので、従って 「私はどのリージョン・コードの DVDを再生する」という記憶は、ドライブ内の Flashということになる。Flashは、素人では書き換えができない。パソコン 「自作」派は、Flashに書いてある パソコン BIOSを書き換えることがあるが、それはメーカー提供 (ソフトウェア)ツールがあっての話だ。Flashの内容を自力で変更できるアマチュアはいない (プロでも、僕はごめんだ。Flashチップの型番調査、中身の解析、書きなおして、Flashの型番にあわせて再度書き込みなんて、パチンコの 「裏ROM」 以上の手間だ。もっとも、300万か 500万円ほどくれれば、請け負ってもいいが。1000万要求するのは暴利に属する)。

買ったばかりの 「新機」の LANが故障した。兆候がいくつかあったが、省略。LANチップ自身は健全だと Windowsは言っているので、故障はおそらく LANチップ外側のライン・ドライバ側だ。LANでは、この故障が歴史的・経験的に一番多い。が、過去4代のパソコンはすべて LAN内蔵 (マザーボード組み込み済み)で、これの故障は初めてだ。朝、かあちゃんがメールをチェックした時は動いていた (受信歴がある) のに、午後、TVの番組表を見ようとしたらインターネットにつながらない; ハブの LEDが消えている; ケーブルの断線でないことを確認して、あわててパソコン屋に走る; 「バルク」の LANボード 780円; あんまり不安なので、ブランドもの もう1枚、1280円; 夜、780円をスロットにさしてみた; 動いた; このボード、何のことはない、故障したマザーボード上のチップと まったく同じものだ。「おしゃれなベアボーン」は、これで2スロットを使ってしまった − 買ったばかりの機械の故障、メーカー修理に出せって? 冗談。何日かかるかわからないのに、いま現在、今日この瞬間に使っている機械を、出せますか。修理に出すには、外とのつながり、特にプライバシーやパスワードに類するものをすべて消さなければならない。そんな手間は、かけていられません。

DVD問題はすっかり解決したが、どうも いじくりすぎたのか、Pent-IV 「おしゃれなベア・ボーン」はあれこれ問題が出てくる。「お日様、ひな菊、とろけたバター、 この機械をブランドものに変えよ!」
蛇の足: コンピュータ社会で Wizard という言葉は、かつて Unix技術者をさしていた。その後、MicroSoftさんが 「Windowsの」 ソフトウェア設定ツール一般を Wizardと呼んだ。Wizardは 省略形で Woz。これはかつて、Apple II まで Appleの共同経営者だった Steve Wozniac (綴りは正しくないかもしれない) の愛称でもあった。
おそらく、社会の表面に 「パソコン」が現われたとき、Appleの伝説が再生した。その延長上に、Unix技術者が Wozになった。その影響下にある現代の子どもたちは、Woz つまり Wizard/Witch を思い出した。『ハリー・ポッターと賢者の石』の背後に、僕はそんなことを つい考えてしまう。
なお Wizardは、韓国版 Windowsでは ma-bop-sa =「魔法師=魔法使い」と訳されていて、あんまり面白くない。

(20020809-1) まだまだパソコン移動中

6月の末に 「新機」のベア・ボーンを買い、組み立て。その後1ヶ月にわたって、徒労に終わった DVDの動作試験 − 新しいドライブに取り替えて解決。余った DVDドライブの使い道を考えているうちに、僕自身の専用機の買い替えに走り、そこへの 「日用」移行の、まだ途中。が、一般的には もう終わった。残っているのは、「日用」しないハードウェアの接続の類だけだ。
FAXは、6月の 「新機」で すでに 24時間稼動している。一方、僕の 「専用機」は 僕一人のものなので、まだ 「熱」の問題などいくつか抱えているが、「日用」ベースでは問題がなくなった。結局、パソコンを1台 (ベア・ボーン)を買ったら、2ヶ月の間に連鎖反応的に2台、限りなく 「自作」に近い作業をすることになった。

その間、「新機」のために 9800円の 「TVチューナー、ビデオ・キャプチャ」ボードを買った。これもそこそこ動く。ただし、録画した結果は悲しくて、「最高」の MPEG2でも DVDの品位には遠く及ばない − まあ、地上波のアンテナ線録画なので、それはしかたがないとしても、しかしライブ表示 (普通に TVを見る)は録画よりはるかに鮮明なので、結局は 「録画」エンコードつまりハードウェアのお値段の問題なのかもしれない。

DVDの DM (電子メール)がいくつも届くようになった。その中には、韓国映画のソフトもある。ちょっとのぞいてみたら、あらら、音声 「韓国語」、字幕 「日本語」だけだそうな。なるほどね。「リージョン」コードは同じでも、日本と韓国で売るソフトの内容はちがうわけ。
ぶっちゃけた話、韓国映画の俳優の一言一句は、僕もすべては聞き取れない。英語の 「ハリー・ポッター」でも、字幕に出ない役者のうめき声、字幕にない間投詞など、英語には 「専門意識」がないので聞き流せるけど、これが韓国の映画となると話は面倒になる。せめて、日本の映画で国内向けの日本語とその字幕の関係 − くらいの韓国製映画の韓国版 DVDがほしい、と、思ってしまう。いや、韓国内の DVD Webサイトに発注すればいいのかな?


(20020805-1) パソコンの移行は面倒くさい

僕の 「日用」マシン、Pent-III 450MHz mem 64MBから、Celeron 1GHz mem 128MBへの移動、意外に また面倒くさい。CPUは一見 「格下げ」だが、マザーボードの実力は格段に異なる。ましてハード・ディスクは 10GBから 60GBに広がるし、DVDまでつけて正常動作する。

面倒くさいのは、「自分用」に用意しインストールしてある、たくさんのソフトたち、それに、いくつもの周辺機器の、再インストールにある。旧機から素直に 「Upgrade」インストールすればすべて引き継いでくれるはずだが、僕はそれを過去数回 (Win 95から Win 98へ、Win 98から Win 2000へ) 拒否して、いつも 「まっさらな状態へのインストール」を選んできた。それでないと、「Upgrade」そのもののバグにつきあわされるからだ。

今度は、本当に面倒くさい − メールの過去歴つまり受信メールの蓄積の保存、その上でメール・ソフトとして Netscapeの再インストール。そのためには、圧縮ソフト WinZipを事前にインストールし、旧機で圧縮したのを新機で展開、その上に Netscapeの再インストールをする手順になった。去年の夏、ウィルス対策で忘れた手順でもある。
この他に、ソフトだけでも、IMEの辞書の移動、通常使うエディタの移動、FTPの移動、Telnet、SSH、画像処理ソフト、LHA、「アレア」ハングル、コンパイラ、MS Officeセット。まだまだ出て来るにちがいない。そう思えば思うほど なかなか手が出ない。今日やっと、メール歴の保存・移行までやったところだ。メールは当分 「2台」が並行するので、「新機で読んでもサーバ上に残し、旧機で読むとサーバ上から削除」にする。最後の切り換えの瞬間に、これをまた反転することになる。もちろん、その間の矛盾は、最後の瞬間の手前で解消する − 手順を踏む − しかないのだな。

この他に、周辺機器たち − プリンタ2種、USBの CD-RW、デジカメのメディアの読み書きドライブ、スキャナ、マウス。同じことは、どうせ − 子どものために用意した − DVD/TVチューナー/キャプチャ用マシンにも、やらなければならん。うう、面倒くさい。だから、パソコンなんか きらいなのだ。


(20020801-1) 今日の流行日記

DVDの音とび解決のために買ったはずの 新しい 「おしゃれなベア・ボーン」は、全部で 13万円ほどかかった。DVDが落ち着いたので、ビデオ・キャプチャ ボードというのを探したら、なんと 9800円というのがあった。TVチューナー付きなので、とにかく TVがパソコン画面に出る。かんじんの 「キャプチャ」は、まだ試していない。

「ついでに」 僕自身の機械の更新に、4万5千円。CPUとメモリは手持ちですませるつもりだったが、つけてみると まったく動かない。あわてて秋葉原に走り、Celeron 1.0GHz、つまり店頭にある最低限の CPUと、安全のためメモリ PC133 CL3 128MB。しめて1万円強。これ以下はもう売っていない。これも動かないかと思ったが、ボード上の ICチップなど抜き差しをくりかえしたら、動いた。「おしゃれな」機械では相性が悪かった 前の DVDドライブも、この機械では問題が (まだ)出ていない。「再生途中で Pause、1時間以上放置」もパスした。今夜は 「再生したまま ディスク末尾まで行かせ、そのまま朝まで放置」の実験をすることにする。

テストは、相変わらず 『ハリー・ポッターと賢者の石』。そのうち、早い時期の章で、帽子が 「寮」を決めてくれる場面; 一人だけ、プロッティングの中で孤立した女の子が出て来る: スーザン・ボーンズ。「ごく普通」の女の子の像であり、悪の巣窟でもない、ハリーの入る寮でもない、他の 「普通の」寮に入るのだが、彼女は その後のプロッティングには ただの1度も出て来ない。こういう 「話の構成の上での忘れ物」は、よくある。しかし、「ごく普通の女の子」像であるだけに、なんだか気になってしまった


(20020728-1) 流行の渦中の私生活

久しぶりに 「トイザラス」に行った。0才用のつもりの積み木 100ピースは、やはり7才が面白がっている。考えてみれば、「子ども用」ブロックの LEGOだって、僕は大学生のころ自分で買って遊んだのだっけ (それは うそではない。朝鮮近代文学専攻のつもりの大学生は、時に学生生活を放棄して、幼児用のはずの LEGOや、もう少しトシが上がるが Nゲージの機関車を買って喜んでいた)。

商品販売側の指定する 「該当年齢」は、あんまりアテにならない。言い換えると、おもちゃの類の 「該当年齢」は、適当なチューターがいて はじめて意味を帯びるような気がする; たとえば 「3才」用のおもちゃは、その兄か姉が関与してはじめて、「3才」に期待する反応を得られるのではないか。そんなことを考えた。上の子は3才前後で自転車を買ったのだが、補助輪付きで乗るには親の指導がいった。まして、2年後?に補助輪を外したときは、親の指導なしには、絶対に乗れなかっただろう。最年長の子には、必ず親がいる。それ以下では、「上の子」による 「指導」が期待されている。たしかに僕自身、「長男」ではあるが末っ子は、自転車を姉に習った。

「流行」の 「渦中」にいる僕は、DVD問題が解決した新機種の後、まず自分用のパソコンの差し替えに走る。
販売業者 S1のサイトに、「ベアボーン」 機種名 P の安売りが上がった。Pの 「メーカー」は、S2。DVDがやっと動いた機種の、別モデルだ。ただし Pent-III以下。そこから詳細情報の取得に走ったが、気が付いてみると S1 は既に 「在庫ゼロ」だった。しょうがない、メーカー S2を見ると、やや高い。が、他に代替候補がない。結局、S2のモデル更新在庫整理に発注をした。ついでに、HDDを1つ。しめて4万5千円 − まあ、そんなものか。CPUとメモリは手持ちの流用で行く。パソコン1台 4万5千円なら、かあちゃんも許してくれるだろう。ただし、今となっては1週間程度で CPUの買いなおしに走る可能性は高い。それで、「しめて6万」 程度に落ちるであろうという予測。


(20020727-2) わたしは流行の渦中にあるらしい

「流行」とは、パソコン雑誌のことだ。この類型は、ざっと3つくらいか: (1) 最新型 (ブランドもの)パソコンを追うパターン、(2) 最新ハードウェアを追う 「自作」型、(3) Excel、Wordといったソフトのあんちょこ型。

今年の夏前から異常に (2) の類型が目立ちはじめて、一時は 「静音」 パソコン 「自作」が、かならずどの雑誌にも乗っている。ここ1週間くらいは、出遅れた雑誌が似たような記事を上げているが、出遅れた分だけ おざなりになってきた。

6月、僕は自分の機械たちの空冷ファンを、夏に備えて取り換えた。雑誌では今年は 「静音」が流行のようで、店頭のファンの品揃えでも、必ず騒音レベル 「何db」と書いてある。それから、この1ヶ月、僕は激しく 「流行」を追って来た。

この世界は、昔で言えば、日曜大工に工作機械を買いこむ 「マニア」に相当するだろうか。僕自身の Windows 98機を買ったのは 99年らしい。そのときは、ハードウェアそのものは 「日曜大工」が面倒だったから店に頼み、中の ICセットや電線のつなぎ方を多少チェックしただけだ。
それから3年。「パソコンの箱を開いて中をいじる」ことのできる人は、次第に減ってきた。そのくせ、一方ではパソコンの 「自作」趣味というのが 世の中の前面に現われはじめて、パソコン雑誌の一角はそれで埋められる。もちろん、秋葉原の電気街も、そういう客で成り立つ。日曜大工には、一面 「家族の目」がある; よくも悪くも、一面 「尊敬」され、一面 「おとうさん、またコンピュータ こわしちゃった」 にもなる (一昨年だったか、上の子が七夕の短冊に書いた: 「こんぴゅうたが こはれませんように」)。

DVDのドライブ交換で、この夏の大仕事は終わった(かな?)。パソコン、電源、ファン、マザーボードと CPU、IC たちの銘柄にも、ずいぶん詳しくなった。やれやれ。

韓国内からの DM (電子メール)で、DVDソフトの宣伝。異常に安い値段が付いているのに、驚いてしまう。昨日、北千住のビデオ屋さんに韓国もの DVDの棚があったが、これだと日本のお値段レベルそのものだ。


(20020727-1) DVD、『ベンハー』

『風と共に去りぬ』 でも笑われたが、今度は 『ベンハー』 を買った。旧友が征服者としてやって来、再会、友情確認、しかし裏切られ拘束、無期限の戦闘船のオール漕ぎ、そこから征服側ローマに 「凱旋」し、再びイェルサレムに戻ろうとするところまで。「奴隷:罪人:船漕ぎ」 の身分に落ちたベンハーが、3年後に栄養状態の良い筋骨隆々の姿をしている点だけが、この映画の問題だな − とは、19年前に見たときの印象と 大きな変化はない。ただし、かつて韓国の映画館で 「1回限り」で見たときより、細部はとてもよくわかる。

とか何とか言っていたら、0才が 39度の熱だ? Pent-IV CPUも 子どもも 放熱の原理は同じであることを最近 確認しつつあるのだが、今夜はまだ面倒になりそうだ。


(20020726-1) DVD、くやしい、うれしい

くやしい; うれしい; 裸の DVD-ROMのドライブが届き、旧ドライブと差し替えた。差し替える前に、旧ドライブの振る舞い方をおさらいして、ドライブ交換後の比較に備えた。

交換後。
何の問題もない。再度設定もいらない。その指示もない。再生中に Pause し、そのまま翌朝まで放置。まったく正常。あたり前のように、ごく普通に動く。なんてこった。

過去1ヶ月、何のために 「プロの」 検証手順を踏んだのか。結論は限りなく 「相性問題」 に近かったが、ドライブ1台分の金額を考えて、できれば まわりの処置で正常化させたかったのに。
ともあれ、結論はそうだった。

手持ちの DVDソフトは、もう見たくない。


(20020723-1) DVD、字幕と音声の距離、その他

昨日だったか、駅前の本屋さんで、韓国人の女の子 (たち)が、『千と千尋の神隠し』の DVDをつかんで、店員に質問していた − これは英語の字幕が出るか、韓国で見れるか。店員、面倒そうで、困ったあげく意を決したように 「いえ、すみませんが、できません」の一点張り。要は、知らんことは答えられん。

DVDの 「リージョン・コード」は、韓国・日本ともに2、らしい。従って、これは韓国の機械でも再生できる。ブラウザ自体のメニューは日本語だったりハングルだったりするが、それは再生ソフト側の話。ディスク自体は、使える (はず。現に、韓国映画フリークたちは 日本の DVD再生機で韓国の映画を見ている)。

音声が何語で字幕が何語かは、ソフトのパッケージに書いてある。「千と千尋」の場合、字幕は日・英・仏、声は日本語とフランス語だけだが、その日本語はステレオ2チャンネルにサラウンド6.1チャンネルと、けっこう複雑。この複雑さが 「ハイテク」 普及の障害になっていることが、なぜ作る側に わからないのかと思ってしまう。

さて、字幕と音声の 「距離」のこと。
「ハリー・ポッター」は、デフォルトで 「音声英語、字幕日本語」だったので、まず 「音声日本語、字幕日本語」にしてみた。あらら、字幕と声が、ぜんぜんちがうじゃないの。
次に、「音声英語、字幕英語」にしてみた。ほう。ほぼ完全に一致する。まれに間投詞などが省略されることがあるが、基本的に字幕は単純にシナリオ通り、役者のしゃべっている通りではないか。

次に 「千と千尋」。デフォルトは 「音声日本語、字幕なし」。日本語字幕を出してはみたが、よく見ていない。多少、あるいは とても、簡略化されていたような気がするが、もう一度 見てみないとわからない。
酔狂で、「音声フランス語、字幕フランス語」にしてみた − ふう。こりゃ困ったわね。「ハリー・ポッター」の日本語みたいに、しゃべってるフランス語と字幕が、ぜんぜんちがうわ。こういうの、「語学」にとって有効なんだろうか、無効なんだろうか? 少なくとも 「ハリー・ポッター」の 英語の 「音声・字幕一致」はとてもわかりやすかったので、こういう 「音声・字幕不一致」は、語学では そうとうな実力がないと ついて行けないのじゃないかと思った。事実、僕は字幕とちがうフランス語が聞き取れない。

韓国映画の DVDで、字幕 Korean、音声 Koreanでは、どんな具合なのだろう。申し訳ないが、韓国の DVDは持っていないのでわからない。

余談2つ。
どうしても DVDの音にノイズが発生する・ことがある。あらゆるテストはしたし、復旧する手順もまったく不安定。とても気まぐれ。これ以上は もう 「ドライブとマザー・ボード(またはチップ・セット)の相性」 しか考えられないという結論に達したとは、まだ言いきれないのだが、結局、この機械に合わせて売っているドライブを注文してしまった。ま、これで障害が出れば、今度は 「どなり込む先」があるわけで − しかし、高いなあ。DVD-ROMの市場価格 ¥9,000前後。「専用」ドライブはそれより ¥3,000も高い。この値段だと、市場では DVD-ROM/CD-RW の 「コンボ」ドライブが買えるかもしれない。

7才の上の子、もう 「幼児」とは言えない2年生の夏休み。
「生意気ざかり」というのだろう。 「誰かに似ている」 と思った ・・・ 考えてみたら、DVD 「ハリー・ポッター」に出て来る ハーマイオニーの、日本語のしゃべり方だった。


(20020722-1) 『千と千尋の神隠し』の冗長さ

DVDが出て、秋葉原は 「それ一色」 と言ったら言いすぎだが、DVD屋さんが ほぼ そうだったのは事実だ。予約してあったので、上の子 7才を連れて買いに行った。

この映画は、長い。アニメのくせに、2時間1分 かかる。
何か、不思議だった。気がついたのは、1つ1つのプロットが、とても長い、または 「ゆっくりと」進むことだ。1つのプロットの長さは、おそらく 『ハリー・ポッターと賢者の石』 の2倍から3倍くらいになる。言い換えると とても 「ていねいな」描写が続く。早送りすると、それで 「普通」の展開ペースのように見える。「ハリー・ポッター」は、早送りでだいたい 「一覧」機能をはたすが、「千と千尋」は 「2倍速」か 「3倍速」 早送りがないと 「一覧」にならない。
同じこと − 各プロットの異常なまでの長さ、遅さ − は、「もののけ」でも感じていたことだ。あるいは、このシリーズ、または監督の作品の特徴の1つなのかもしれない。

いえ、つまらない話で恐縮。

韓国の 「キョーボ文庫」 つまり韓国最大の書店からの eメール、夏休み特集。小学生相手の 「マンガにも名作がある」欄には、逆訳して 『センとチヒロの行方不明』 が出ていた。「行方不明 haeng-bang pul-myeong」 か。ふむ。それ以外に訳しようがないのだな。


(20020719-1) そして まだ おしゃれなベア・ボーンと 『ハリー・ポッター』

「おしゃれなベア・ボーン」(以下、「機械C」)は、相変わらず良くなったり悪くなったり。DVDが時にノイズを発生するのは、熱ではない。実験した限りでは、ドライブそのものが悪いか、あるいは 「チップ・セット」との 「相性」だ。この他に、『ハリー・ポッターと賢者の石』に付いてくる (事実上、いやでもインストールすることになる) DVDブラウザがバグだらけで、再生中に機械を 「スタンバイ」に落とし 再び上げると 暴走して、殺すしかなくなる。一般論として、僕は 「普通のユーザがやりそうにない」 過酷なテストを (もう3週間も) くりかえしているので、この程度の障害には驚かない; もっとも、相当に いやになってるのは事実だが、いずれマシン・リセットで正常化することは間違いないので、この辺で 「もう、いい」ことにする。

そろそろ実用稼動させないと、今は僕自身の機械 (機械A)と モニターを共用するしかない 旧 FAX受信機 (機械B)の扱いが面倒だ。機械Cに FAXソフトを乗せた。数年前の製品なので、その後の最新 Service Packというのをさらに乗せた; が、これも異常動作する。一度削除し、再度オリジナルのインストール。何の問題もないようなので、これで実用段階とする。(なお、Win 2000でも Win XPでも、Windows自体に MicroSoftさんの FAXソフトは付いている。が、これはモデムつまりアナログ電話を必要とするので、僕は使っていない。僕は、ISDNルーター つまり TAのシリアル・ポートを FAXに使っている)

ありがたいことに、機械Cは 「スタンバイ」に落ちた後、FAXに電話がかかって来ると、正常に稼動する。かつての機械では 「スタンバイ」からの復帰に時間がかかりすぎて、通話元の FAXが接続エラーに落ちていた。「Pent-IV 1.6G、Win-XP、HDD 7200回転流体軸受」では、その時間内に正常復帰してくれる。ただし、その後 FAXの実際の (現実の) 受信はない − FAXなんて、過去の遺物になりつつある。が、おかげで機械Bは、無事 24時間 offにすることができた。

DVDの 「音」は、発売元 香港、キティちゃんの 「キーボード、マウス、スピーカー」セットのスピーカーで鳴っていた。これが あまりに貧しい音を出すので、秋葉原でブランドものを買ってきた。Sonyさんの 「おしゃれな」のが欲しかったが、多少キンキンした音がする。同じ値段で やや大きい、Rolandの別ブランドらしいのを買った。¥7,000。
『ハリー・ポッター』の悪役 (と誤解される)スネープの声が、これほど重厚な低音だとは思わなかった。

『ハリー・ポッターと賢者の石』の中で、重大な疑問(?)が出てきた: ハリーは、11才の誕生日を前に大量のフクロウ便の攻勢を受け、それがついにハリーの手に届かないので、ヒゲのハグリッドがやって来る。ハグリッドが手製のケーキと (また)手紙を携えてやって来るのだが − その場でハリーはロンドンへ、そこで買物をすませ、9 3/4 番線へ。汽車は、ホグワーツ校 新入生専用便だ。
つまり、「ホグワーツ・エクスプレス」は年に一度の特別列車なのだが、ハリーは 「誕生日おめでとう」とともに入学準備の買物に、そしてそのまま特別列車に乗っている。つまり − ハリーの誕生日は、入学式直前にあたるのだろうか? たしかに、いとこのダドリーと前後して、誕生日をすぎたから (それぞれ)どこの学校へ、という準備が進んでいるのはたしかなのだが、
では、他の 11才の魔女・魔法使いの子どもたちは、いつ、その 「手紙」を受け取ったのだろう。ハリーだけが、誕生日ぎりぎりの境界線上で、急なフクロウ便とハグリッドの訪問を受けたのだろうか − まあ、そう解釈すれば、大きな矛盾はなくなるのだが。


(20020716-1) おしゃれな 「ベア・ボーン」は若い女にこそ似合うのだ

IDEにつながる HDDと CD/DVDのチャンネル (「プライマリー」と 「セカンダリー」)を入れ替えたら、DVDの動作はすっかり落ち着いてしまった。こんなことなら、最初からそうすればよかった ・・・ DVDを 何時間 Pauseのまま放置しても、再開すれば素直に動く。あとは さらに1晩放置、同様に 「停止」で数時間、1晩、放置する実験だけだ。
もしこれで 「安定」なら、問題は、単に マザーボードとドライブの 「相性」だったことになる。それだけなら、「他人に勧めてもよいか」は、多少 点を上げてもいいな、などと考えはじめてみる。が − やはり、小さなケースに収めるための放熱の問題、冷却ファンの騒音とその全面交換、特に、電源装置まで開けて 一部 破壊的にファンを交換した点など、とても 「一般に」勧められるものじゃない。
積んであった雑誌をながめていたら、1つ前の ほぼ同じモデル (ベアボーンの)で、同じように電源ファンを交換した記事がある。ふむ、この筆者、女性である。「おしゃれな」ベア・ボーンは、なるほど。しかし、「オーバークロック」などより こういう問題にこだわるのは、大変女性的な繊細さである(?)ことを確認した。「おしゃれな」機械だけに、内部の無骨な機械と電線をいじる女の人は、まあ、すてきだ。

電車の中でまた雑誌をながめていたら、EPSONの通販で、Pent-IV 2.2GHz、DVD+RWにビデオ・キャプチャまでついて 15万円、というのがあった。がっくりする。やっぱり、できあいのマシンのほうが安いなあ ・・・

Windows XPで ハード・ディスクの 「共有」を設定してみたら、ユーザごとの認証・許可もなく、隣の Windowsたちから読めてしまった − Windows 2000では、こうはいかない。2000だと、「どのユーザに、読み・書き・更新を許す・許さない」を詳細に設定しないと、隣のマシンからは覗けない。XPはあくまで 「簡易型」マルチ・ユーザ、2000は腐っても 「完全な」マルチ・ユーザであることを 確認してしまった。

で、こいつは 24時間 Fax受信機になるんだっけ。ビデオ・キャプチャ? うん、8mmビデオの復元には、まず 8mmビデオの再生装置が必要なのだが。それから、リモート・デスクトップだっけ?


(20020715-1) ある友人の結婚式でのスピーチ

行ってみたら、あらら、しゃべるのは新郎側で僕一人、新婦側で女性一人だけだった。

「公式の」 宗教儀式ではない、単に 「結婚記念パーティー」。既に同棲していて、双方の両親も既に会ったのだったか、これから会うのだったか。彼は神戸、彼女はプサン。彼は語学マニアで、10年ほど前から広東語にコっていた。それから北京語に首を突っ込み、それから、国内の外国人社会と接触する間に、韓国料理の店なのかでアルバイトしていた彼女に会った。久しぶりに電話が来て、なに? 結婚するって?
語学マニアだけに、彼の韓国語獲得ペースは速い。職場でも、それは有名らしい。
えーと、水野と申します。
まず、プレゼントに何を持って来ようかと さんざん考えたのですが、やむを得ない、岩波書店 『現代韓国短編選』。4月に出たばかりで、韓国の短編小説が 13本 入っています。そのうち、3本が私自身の訳文です (不思議なことに、ここで喚声が上がった)。説明はこれからします。それから、えっと、今お菓子でも買いに行ったようで − 見当たらないのですが − うちのちびすけから、お二人にそれぞれキャラメル 一箱ずつ (ここで失笑が流れたのは、まあ期待した通り)。

さて、Mさんと私は、知り合ってからちょうど 10年です。当時 私は現在のかあちゃんと結婚したばかりで、その必要から広東語の短期講座に習いに行った; そこで Mさんと知り合ったのでした。Mさんは既に広東語をかなり理解していて、うちのかあちゃんを語学の実験台にする人でした。私自身は、当時 既に朝鮮語/韓国語は 20年もやっていたのですが、広東語についてはゼロでした。

ところで、こうして 「国際結婚」をした場合、当事者は相手の言葉が さぞかし上手になるだろうと、「普通の」方はお考えになるでしょう (ふむ、という表情が流れる)。が、ちがうんです (一同、意外な表情に変化する)。
専門意識がちがう。(朝鮮・韓国文学に 「専門」意識のある)私の場合、結婚 10年、かあちゃんが子どもを叱る言葉や、「レイキウ・めいめん・あー」といった程度の言葉なら、わかるんです。でも、それ以上はだめです。
その類推から行くと、Mさんは既に広東語を教えてさえいらっしゃる。そういう人が (韓国人と結婚したこのケースで)、はたしてご夫婦の家庭内言語が韓国語になるかどうか、うーむ、どうでしょう、ね。
ま、ともあれ、(二人にむかって) これからも よろしくお願いします。
「おめでとうございます」とは、言い忘れた。ま、それはいいや。スピーチが終わるやいなや、司会の女性 (これは M氏の広東語の教え子)から 「面白い話をされるんですね」と言われた。「スピーチ」一般で、ほめられたのははじめてだ。
続いて、新婦側の友人のスピーチがあったが、これは (悪いが)僕もぜんぜん聞いていなかった。

おまけがある。新婦が日本で通っている学校は専門学校で、日韓の同時通訳科らしい。その同級生、つまり若い韓国人の女の子たちが、ざっと 10人くらい いたか。この子たちの担当教師が、 ・・・ 驚くなかれ、『現代韓国短編集』の訳者の一人なのだ。訳者名の中にいくつも彼女 (先生) の名前を発見して、彼女たちは喜んでいた。やはり、この世界は狭い。
問題(?)は、彼女たちが、学校の専攻・目標通りの就職先をみつけることができるかどうか。その中で 「オンニ」と呼ばれている新婦は、らら、在学中から日本人と結婚しちゃった。「あなたたちも、いい人みつけて捕まえなさいよ」と言った僕の言葉は、まあ、空疎だが、その場で他のジョークも見つからなかったし、よしとする・ことにする。


(20020714-1) まだやってる 「自作」もどき

「自作」、実は単に 「ベア・ボーン」のキット・パソコン Pent-IV 1.6GHzの状況は、何度も行ったり来たりしている。買ってからもう3週間。この帰趨に注目しているという友人がいるが、それを言うなら、「こんなものを勧めることはできない」に 尽きる。買うなら、「売り」機能がすべて検証済みのブランドものに限る。DVDの鑑賞、TVの録画など考えるなら、「ベア・ボーン」なり 「自作」なり、自前の試行錯誤より、やはりブランドものがよい。ブランドものなら、1モデルや2モデル古くても、確実に 「売り」機能は動作する。「ベア・ボーン」または 「自作」では、その機能(たち)そのものの検証、障害、試行錯誤とその復旧に、数日または1週間単位を必要とする。それにかかる費用と時間と労力たるや おそるべきもので、ある。

例えば、DVDドライブからの読み出し 「DMA」が動作するかどうか。それが 「Pause」1時間の後に正常に再開するか。再開しなかった場合、どうするか。そんなことしているうちに、発熱が心配、ノイズ・レベルがどうの、放熱フィンの大きさを計っていたら道具が基盤に触れてショートしてすべて御破算、最初からやりなおし。今日は、IDEの第1チャンネルと 第2チャンネルを、HDDと CD/DVDで入れ替えてみた。これで、再び DVDは DMAで動き出す。以後、再び同じ 「検証」が続く。こんな作業、誰が他人に勧めるものか (いや、イソップの尻尾を失ったキツネのように、勧めるべきかもしれないけれど)。
「通」のためのレポート: 通常 IDEの第1チャンネルには HDDを、第2チャンネルには CD-ROMをつなぐ。各チャンネル内での Master/Slaveはどうでもよい; 僕の機械では、第2チャンネルにつないだ CD/DVD-ROMが、DMAで動作したりしなかったりして、そのためにこの2週間ほどを消費した。今日、その IDEの元コネクタを、入れ替えてみた。あらら、きれいに DMAが動作する。この現象は、前の機械でもそうだった。ただ、前の機械では 詳細にチェックしていない; CD/DVD-ROMの個性問題 (マザー・ボード側との 「相性」問題)は、考えられる。
『ハリー・ポッターと賢者の石』は、飽きた ・・・ プロッティングの仔細なところまで、動作検証でつきあった。子どものアニメ。これも内容的に貧しくて、何十回も見る気になれない。『風と共に去りぬ』: ふむ。またこれか。『風と共に去りぬ』の後半、見て 決して 「楽しくない」場面が続く。このまま朝まで放置するのが、今夜の 「仕事」。朝になったら、DMAはまた動作異常を起こすかもしれないが。

韓国もの映画の好きな人には、「自作」パソコンと安物 DVDドライブをお勧めしてよいのだが − それは 広い意味で 「皮肉」に属する。


(20020710-1) 本当に日記に戻って − 「偽書」 / スキャナ画像 / パソコン 「熱」 続き

友人の Webサイトが、中世の 「偽書」を話題にしている。まるで、5月に僕が 「知り合った」 「神代文字」普及サイトの話の延長みたいだ。僕が見る Webサイトの主たちと、僕のサイトを見る読者とはラフに一致する、つまり 「小さな、狭い社会」なので、まあ、暗黙のうちに影響を与えあっている面はある。

別の友人から、「お中元」をもらった。中元・歳暮というのは恩師・仲人相手におくるものだと思っていたのだが、彼はきちょうめんに、毎年何か送ってくれる。今回は 「そーめん」だった。

友人から 『朝日』の (現代韓国短編集の)書評のスキャナ画像をもらった。驚いたことは、新聞紙面のコピーなのに、まったく 「裏写り」のない 鮮明な画像になっている。どうやって画像を取ったのかを問いあわせたら、「裏技」がある: 新聞など紙の裏側の影が見えるものは、スキャナにかけるとき、まずスキャナに紙を伏せて置く; スキャン面は下側。その上から黒い背景を与えてしまう; 例えば、充分に黒いゴミ袋のビニールなどで、覆うのだという。「裏写り」は背後が白いから黒く見えるので、背後が黒ければ、スキャナの自動絞りがそれに応じて調整される。機械にもよるが、これで裏写りはほとんど解消されるという。それでも影が出るのは、さらに Adobeなど使ってコントラスト調整で消す、と。
ちなみに、彼はこれを、古書の撮影で発見したらしい。昔なら 「マイクロ・フィルム」にするための撮影機材を持ってフィールドに出かけたものが、現代ではノート・パソコンと携帯型スキャナになるのかもしれない。

昨夜は、相変わらず 「自作パソコン」、実は単にキットの 「ベア・ボーン」いじり。ちょっと大きな改造(?)で、空気流の方向を 「自然の摂理」に合う 「下から上へ」に切り換えた。
ついでの作業が多くて、午前0時に はじめ、終了は5時。「キット」は結局 大幅に手が入って、ざっと次の変更を加えたことになる:
・本体ファンを、熱センサ付き可変速に交換。背後に排気。
・CPUファン、メーカー純正 「吹き下し」型をヒート・シンクごと捨て、「静音」「吸い上げ」型に。
・電源装置を解体してそのファンを 「静音」型に交換。これでノイズ・レベルが大幅ダウンした。
・「チップ・セット」という名前の ICチップの、ヒート・シンクを交換、大型に。
・HDD、CD/DVD-ROMへのケーブルをフラットから丸型に交換。小さな箱の中の空気流に影響が大きい。
この他に、漫然とキットを組むと 「とぐろを巻く」ばかりの 箱内ケーブルの類を、大幅に整理した。以上の作業で、機械自体の発する輻射熱がすごく減った (熱は3つのファンで素直に流れ出て行くような)ので、この際、放熱用に開けてあった FDDの穴、背後の PCIスロットの穴も閉じた。基本的には 「慣れることのできる程度」のノイズ・レベルを確保できた、かもしれない。

問題の 「DVD再生・停止・放置」後の 「音とび様のノイズ」は、まだ理由がわからない − ソフトの問題なのか、まだ 「熱」が関係するのか。
ところで Windows XPは、「あと 20日以内」に登録をすませろを言ってくる。そうだったわね。このソフトも、面倒なソフトだ。

台風6号、関東を直撃するらしいが、風向きが変化してきた ・・・ と思ったら、東京湾横断道路の対岸を抜けて行ったそうだ。


(20020707-1) 日記 − パソコン 「可変速ファン」、DVD 「音とび」 まだ

画像が汚くて恐縮、わたしのパソコン、やっと本棚の一角に収まった。温度可変速ファンに換えたら、最低温度でも多少ノイズ・レベルは高くなったが、このファンの雑音分布は素直なので、慣らされることを期待することにする。ふさいだ FDD穴の温度は 38℃、ケース本体ファンは 温度センサの位置によって動きが変わるので、これから試行錯誤。百円ショップで買った 「足型」温度計の、温度「球」の横に温度センサを付けてある。

問題は、「可変速」になる 「温度」域だが、これがまた微妙で 28℃ - 35℃ の範囲だ。この温度域で、毎分 1,450 - 2,900 回転に変化する。梅雨明けで室内温度も上がったし、パソコンの足元は 確実に 「最高」温度域になる。どうしたものか。

もう1点、冷却ファンによる風の流れだが、多少不自然になった: 背後のファンで空気をケース内に吹きこみ、空気はパソコンのマザー・ボード上をめぐった後、熱くなって放熱穴から出てくる。写真に見える側面の他にも、ケースの 「下面」に穴がある。どう考えても自然の摂理に反する方向なのだが、これでないと どこかに 「流れのよどみ」が生じるようで、不安でしかたがない。今は放置する。

現状で、『ハリー・ポッター』と 『風と共に去りぬ』、さらに子どものアニメを何本か、連続 数十時間の再生にも耐える。唯一、「Pauseボタン押したまま」で 70分後、音とび類似症状が発現する。この症状は、発現すると決して治らない。ただし、電気も切らず Windowsを 「再起動」すると、治る。これが、過去一週間の確認事項 − 我ながら何をやってるんだか。


(20020705-1) 日記 − DVD 『風と共に去りぬ』 / 新パソコン 「熱」 実験

僕が DVDを買ったのは、駅前の電気屋さんに 『風と共に去りぬ』 が ¥2,000未満で出ていたからだ。迷ったあげく、ソフトを買った。ソフトは、ハードウェアを必要とする。だから DVDドライブを買った。再生開始の直後と、章移動の直後に激しい音とびが発生するのは、Cylix 公称 550MHz、実力で 250MHzといわれる CPUのせいだと思われた。

だから、いっそのこと 「この」 24時間稼動 Fax受信機であるパソコンごと、取りかえることを考えた。機種を決め、部品を買い、組立て、いくつかのトラブルを経て、Pent-iV 1.6GHzの新機は アイドル時の排気温度 40℃、閉鎖した FDDスロットの温度 34℃。現状のノイズ・レベルは、「ファンなし」に小型ファンを追加した旧機より、かすかに低い。

旧機の画面 16ビット色に対して、新機は 32ビット色。それでも、音とびしない。画面の動きも充分にスムーズなので、コマとびも出ていないように思われる。残るのはその実力に対応する発熱で、これはまだ数日かけてファンと空気流の実験が残っている。80mm 温度センサ付き可変速ファンを固定する 3 x 30mm のビス・ナットは、8本セットで 80円。4つの 「L金具」は1個 20円。

それでも 時に発生する 「音とび」は、マシン・リセットできれいに解消する。結論的に、これはハードウェアの問題ではない。おそらく、再生ソフトの中の 「ある」ステップを通ると、そのバグで何かが壊れるのだ (まず Pauseする; 次にそれを 「最少化」する; ある時間以上を経過した後に再び再生をはじめると、音にノイズが走る)。以後は不安定に音がおかしくなる。この問題は、機械の電気を切らずにリセットすれば解消する以上、ハードウェアの熱問題ではない。ソフトウェアの問題だろう。ソフトウェアの問題は、ソフトウェアを取りかえるなり Updateするなりで 解消できる。

『ハリー・ポッター』には あまりにも飽きたので、一度は友人にさし上げた 『風と共に去りぬ』をまた買った。が、仕事先に置き忘れてきたらしい。くやしい。


(20020704-1) まだまだパソコンのけむり

正面から見た 「顔」 の大きさが 185 x 205mm、白い化粧箱の 「おしゃれなベアボーン」は、一般論としては完成した。機械自体の発するノイズ・レベルも、既存の Fax専用機 (本来はファンなし、ただし背後のスロット上に小さな排気ファンを追加) より、既に下がっている。
これに満足しないのは、僕の完全主義だ。まだまだ・いじれる。ファンを温度センサ付き可変速にすれば、深夜2時、4時まで 「静か」と言える機械になるだろう。温度が上がればファンの回転が上がって騒々しくなるだろうが、それは DVDの映画を連続再生するときで、従って映画自体のオトも大きいので それでいいのだ。

ハードウェア・つまり・機械の 「立ち上げ」は、そんなものだ。Win 2000のまま 単に新しい機械に移行するなら、これで最終段階になる。しかし、今度は Windowsそのものをさしかえたので、その現実 「運用」に入るまでには まだ数週間をかける必要があると、踏んだ。Faxをその間 放置するわけにはいかないので、専用機を復活させた。
これで、24時間稼動は Fax受信機と 「エージング中」の新機。この他に、僕が帰ると火が入る僕の機械がある。

この1週間、秋葉原を歩き回ったので、ついでにいろいろ買った。LANの 10/100 スイッチング・ハブを買ったら、パソコンも ADSLルーターも 「いきなり 100Mbps」で動きはじめた。10Mで残っているのは ISDNルーターで、これは既に 「電話の着信記録」を見る以上の意味がない。もっとも、LANが 「構内」 100Mbpsでも、外への ADSL回線は 1.5Mなので、あんまりご利益はないのだけれど。

新機の DVD の音とびが、熱のせいか 別の理由なのか、また、音とびの再現手順を特定する必要もあるので、また今日も 「ハリー・ポッター」。あんまり飽きてきたので、声も字幕も英語にしてみた。生意気な女の子 ハーマイオニーの名前は、英語字幕では Hermione だった。ふむ。ふむ。日本語吹き替えで一番印象が異なるのも、やはり彼女だ。結末でハリーと敵が対決する場面も、寮ごとの得点発表のどんでん返しも、日本語吹き替えとは印象が ずいぶん ちがう。まあ、「原語で見る (聞く、読む)」 ことの意味は、そもそも そういうことなのかもしれない − わたしは文学作品の翻訳者でもある/だからこそ 「原語で読め (見ろ)」と言いたくもあるのだが。


(20020702-1) おしゃれなパソコン、いやになってきた

「DMAモード」が動くかと思えばまたノイズが出るし、「静音」ファンを買ってくればかえって耳につく音を出す (ノイズの物理的音圧レベルと、「耳につく」雑音分布パターンとは別である)。機械自体の発生する熱と、その熱を排出するためのファンの物理音、あれを変えたり、これを換えたり。24時間稼動の Fax受信機のはずが、Faxはもう 100時間ほど お休みになっている。
パソコン雑誌も、いよいよ夏の 「静かに冷やす」記事が続く。たしかに、夏前に用意した機械が秋まで稼動すれば、自然に壊れるまでは使える保証にはなる。だからこそ、僕も今度は夏前に買ったのだけれど。

アメリカに行ったころ、車のオイル交換を自分でやってみたのを思い出す。エンジンの下のねじを緩めると、黒いオイルが漏れはじめ、えい、と抜くと洗面器(?)にオイルが流れ出る。もちろん、手は真っ黒になる。再びねじを締めて、新しいオイルを上から入れる。翌朝、車の下を見る。漏れている。数滴の油が、駐車場のエンジンの下に落ちて、黒い点 (または面)ができている。毎朝、気になる。仕事中にも、油漏れが気になる。24時間それを気にしている。なんだか、病気だ。自家組立て・調整のパソコンなんて、これに似ている。同じおカネを払って、できあいのを買ってくればいいのに − 事実、こういう試行錯誤で、「自作」は ブランドもの (メーカーもの)より ずっと高くつく。この程度のパソコンなら、全部そろって 10万円、消費税込みで 10万をわずかに越えるだけではないか ・・・

友人からメール。
『朝日』 の書評に、韓国の短編集が出た。評者は日本の女性作家。彼女が衝撃を受けた(?)という引用部分は、僕の担当作品である; が、引用部分は、実は別の女性訳者の校閲を受けた部分だ。精神疾患を起こした 「妻」が、夢遊病的に料理をする場面なのだが、「料理」の描写に 「女性」(実は主婦でもある)の手が入った。ふうん。おもしろい偶然なのか、必然なのか。彼女の手が入ることで、確かに訳文が正確になったのは事実だった。
『毎日』、『読売』、『朝日』、一応3紙に書評が出たらしい。ただし 『読売』は僕は見ていない。


(20020701-1) おしゃれな XP、第3日

DVDがどうしても 「DMAモード」になってくれないので、ケーブルが悪いのかと 秋葉原に買いに行った。この際、フラット80線ケーブルを丸くまとめてある、ATA-66 以上の 「高級」ケーブル、それも、同一ケーブル上に2つのドライブを想定しない、「1台専用」を2本。HDDも DVDもそれぞれ交換した。それでも DVDは 「DMAモード」にならない。えい、ものは試しに、DVDを 「スレーブ」設定してみる; あらら。できちゃった。

これで、DVDの 「音とび」類似ノイズがきれいに消えた。驚いた。
Pent-IV 1.6GHzでも、(1) PIOで DVDをしこしこ読み出し、(2) 音のデコード、(3) 画像のデコードを並行して行なうのは、負担が大き過ぎたことになる。(1) が DMA になると、CPUは (2)、(3) に専念することになる。

ケーブルのせいでは、おそらく、ない。この機械では 「どういうわけか」 第2の IDEケーブル上で、「マスター」に DMA が割り当てられないのだ。こういうのを 「バグ」と呼ぶ。面白いことに、IDEの電線上には 「マスター」がなくてもよい。「スレーブ」だけでも動作する。「スレーブ」で DMAが動いてくれれば、ユーザとして、それで言うことはない。

なお、DVDドライブ自体は通常 ATA-33で、「高級」ケーブルは必要がない。CD/DVDのデータ転送レートなど、実はその程度なのだ。この機械で、では ATA-33 ケーブルのまま 「スレーブ」にしたら 「DMA」がちゃんと動くかどうかは、調べていない。動いたものはそのままでよい; これは 日曜大工パソコンの鉄則である。

話のついでに、この2日、CPUファンと ケース・ファンの風の方向を変えている。できあいのキットでは、CPUファンは下向き吹きつけ、背後のケース・ファンは後向きに排出。いま現在、CPUファンは上向き吸い出し、背後のケース・ファンは外部の空気を取りこみ、前方のフロッピーの穴に向けて排出している。これで、フロッピー穴=排気口の気流温度は 34℃。今夜はこれで終夜テストになる。機会があれば、いずれ写真で説明しよう。
まだ 2つのファンのノイズ・レベルが高いので、数日かけて 「静音」化を試みるのだろうと思う。

(それにしても、『ハリー・ポッターと賢者の石』には、世話になる。これが 「正常動作のレファレンス・ディスク」になっている。ハリーとロンとハーマイオニーとネビルとマルフォイ。すっかり覚えてしまったぞ。「ロン」と 「ロナルド」が同じ名前であることまで、7才に教える機会になった。これを − 『シュリ』 でやってもよかったのだけど、はは)


(20020630-1) おしゃれな XP 組立て第2日レポート

朝 − といっても僕の朝は午後の早い時間なのだが −、7才が 「ハリー・ポッターが見たい」 と言いだした。おいおい、おとうさん、機械をまだ組み立て中なんだぜ。DVD-ROMを CD-ROMとして使い動作することまでは確認しているので、あわてて DVD再生ソフトの CD-ROMを入れてみる。が、あ、まだオトが出ないんだっけ。そっちが先だ。裸の機械についてきた CD-ROMで、「チップ・セット」と、関連する 「音」 と 「ビデオ」 ドライバをインストールする。連続して、DVD再生ソフト。さらに続いて 『ハリー・ポッター』 の DVDを入れると、こいつは さらに独自の再生ソフトを乗せてくる。ともかく、DVDの 『ハリー・ポッター』が見え・聞こえるのが先だ。無事、動いた。1時間弱、彼女にまかせる。途中で止めるには、「一時停止」ボタンを教えておく。これを押すと、DVDのドライブ自体がやがて回転を止めるのには驚いた。CPUチップの温度は 42℃+、ほとんど問題にならない。これなら、徹底して 「静音」ファンにしてもいいではないかと − ここまでが 「午前」 (僕の 「午後」 早い時間帯)。

夜、眠れないという7才に、そんなら DVDのビデオでも見てろと、続きを見させた。
いやな現象に出会う。音に、ノイズ。特定の章の冒頭で、「音とび」に類似する現象が出る。記憶では、この部分に この障害が出たことはない。今まで それに気がついたことはない。ただし、この機械でこのディスクを再生するのは初めてなので、「記憶」にあるのは 別の機械の話だ。離れた前後の章では この現象が出ない (きれいに音が再生できる) ので、これは DVDメディア自身の 内部の ばらつきかもしれない。あるいは、別の機械では 「音とび」のせいでそれに気がつかなかったのか、しかし ・・・

「機械」が変わったので、ハードウェアの 「相性」 問題があるらしい。CD/DVD-ROMが、どうしても 「DMA」にならない。しかし、「DMA」でなくても、CPUの能力自体がそれに追いつかないのだとは到底 思えない ・・・ と、ろくでもない 「思惟?」をくりかえしつつ、日曜日は終わりつつある。


(20020629-1) おしゃれな Pent-IVは XP

どうして、こんなバカなことをしたのだろう。

僕は、DVDの音跳びしないパソコンをほしいだけ、だったはず。だから、CPUとその周辺の必須のハードウェアだけ取替えて、今までとまったく同じソフトで、よかった、はず。CPUが変われば、マザーボードもメモリも冷却関係も、時期的にはハードディスクも、すっかり世代交替ずみなのは、しかたがない。僕自身、ソフトウェアは いま現在の Win 2000のまま使うつもりだったのだ。それでないと、アプリ・ソフトなどの一切の再設定が、面倒で しかたがない。

「魔がさした」 というのは、こういうのを言う − 裸の機械を買うので、その際には Windowsの 「OEM 版」が安く買えることになっている。ところで、どこかで聞きかじった内容の中に、XP Pro版なら 「リモート・デスクトップ」 が使えるというのがあった。つまり、「わたし」は別のパソコンの前にいて、そのパソコンの中で窓を開くと、その窓は隣の (あるいは インターネットのむこうの) パソコンの 「デスクトップ」そのものになる。わかりやすい類推では、例えば 「インターネット」のブラウザで特定のホームページを開いてみると、それは 「ある」パソコンの画面そのものである、と。
実は、それができると、24時間 Fax受信機 兼 DVD再生機の管理が とてもやりやすい。「同じ家庭の中」であっても、僕の椅子で僕のモニタとキーボードでパソコンいじるのと、「わざわざ」 FAX/DVD機の前に移動するのとでは、勝手がちがう。だからこそ、電気を入れたら最後 入れっぱなしで放置する 「Fax受信機」なのだ。「手許で」、ISDNの設定も ADSLの設定もすませることができ、2m先のその機械を参拝しに行く必要のないのが、「構内ネットワーク」だったではないか。

Windows XPの初期インストールが終り、自動的に 「最適」 800ドット画面で立ち上がったのを見たとき、「誤った」と思った − 俺は、こんなものに興味があったのではなかった。見慣れないデスク・トップ、飼い馴らしたことのない版の Windows、そのインストール直後の姿。
Intel 「純正」ハードウェアではないので、まだ画面もその程度、音も出ていない。それは付属の CD-ROMから適用インストールするのだが ・・・ 疲れた。それを済ませてから再度動作チェック、さらに Windows Updateが待っている。こんな仕事は、もう飽きた。「リモート・デスクトップ」が OEM CD-ROMの中のどこにあるかなど、既に興味を失っている ・・・

ご参考までに、かかった費用と買ったもの一覧を上げておこう:
本体 いわゆる 「ベアボーン」(ケース+電源+マザーボード+ファンと小物) ¥53,800
CPU Pent-IV 1.6GHz (ファン付き 35dB) ¥17,800
メモリ DDR PC-2100 CL 2.5 256MB ¥5,800
HDD 7200回転 流体軸受 80GB ¥12,980
Windows XP Pro+ OEM ¥21,000
消費税 ¥5,569
ここまでの合計 ¥116,949

反省点は、「DVDの音とびしない機械」という要求を、大きく越えている点にある。「本体」も 「おしゃれな」ケースなので 相場の倍値。DVD再生には Celeron 1GHzで充分、HDDも、24時間エンドレスで映像キャプチャでもするのでなければ、この半額になる。まして MicroSoftさんに2万円も払う必要はなかった。メモリだけが異常に安いのは、これが 「相場」そのものなのだ。

この上に、さらに 「27dB」という単独の CPUファンが税込 ¥7,839、それから − あほみたいだがケース・ファンの排気の方向を変える (いわば)煙突を発見、これが税込 ¥3,424と変に高い。結果として、13万円くらい使ったのだなあ、この、たたけば凹むようなパソコンに ・・・

「白(いの)がいい」と子どもが言ったから、このセットになったのだった。7才の女の子がそう言った 「おしゃれなベアボーン」。高い買物だ。


(20020627-1) 「音圧レベル」の うんちく

音の 「高低」が、「振動数が倍」で 「1オクターブ上」になることは、たいていの人は知っている。つまり 「Nオクターブ上の音」の振動数は 2N 倍である。例えば A音 440Hzの上の A音は 880Hz、その上は 1.760KHz、4オクターブ上だと 440 x 24 = 440 x 16 = 7.060KHzになる。文字通り 「指数関数的」に数値が上がって行くのに対して、人間はそれを 「倍々」としか感じない。この上限 (人間の耳に聞き取れる周波数の上限、つまり 「可聴域」の上限)は おおよそ 20KHzで、これが現在の 音楽CDの規格の根拠で、ある。以上は前座。

一方、その音楽 CDでもそうだが、「音量」(音圧)は dB (デシ・ベル) という単位で表現され、これも指数表現なのだそうだ。「音圧」が物理的に 「10倍」になると、さっき 40dBだったのが、今度は 50dBと呼ばれる。40dBは恋人同士の甘い言葉のやりとり、50dB は かなりうるさいパソコンの冷却ファンの音。ステレオなどでは、あまり音量 (音圧レベル)を上げると、機械が壊れたり人の耳が壊れたりする。だから、音楽 CDの規格では 90dBが上限になっている。
70dBは地下鉄の電車の中の騒音レベル。意外に誰も気がつかないのが、飛行機の機内の騒音レベルで、これはおそらく 80dBくらいになる − 信じられない方は、飛行機の中で、ウォークマンでも MP3でもよいので、ヘッドフォンで聞いてみるとよい。ボリューム一杯 あげても、クラシック音楽の静かなパッセージなど ほとんど聞こえない。地下鉄電車内の騒音レベルは激しく変動するのに対して、飛行機の機内の騒音は高いレベルで非常に安定している (安定していないと、飛行機は落ちる)。だから、機内は一見 (一聴?) 「耳が慣れて」、「静か」なような気がするだけだ。ここまで、予備知識。

さて。
少し前の 『週刊 ASCII 』 によれば、メーカーもの (ブランドもの)のパソコン本体が発するノイズは、(そのほとんどは空冷ファンとハード・ディスクの回転音なのだが) 平均して 40dB 前後なのだそうだ。ふむ、そんなものかもしれない。それに対して、この号の 夏前 「ベア・ボーン」特集は、なんとそれら 「自作もどき」 ケースたちのノイズ・レベルを計測している。こういう計測をする雑誌は多くない。この雑誌だって、いつもそんな計測をしているわけではないので、鬼っ子的な記事である。
その中で3台、メーカー H の製品だけが 43+ dB になっていた。ふむ。これならいいか。この程度なら、なんとか騒音を押さえこむことができるかもしれない。
また別の雑誌には、Pent-IVか その互換チップか、それぞれに付ける 「CPUファン」自体のノイズ・レベルが上がっていた。この2つを総合する:
・「ベア・ボーン」本体の発するノイズとは、機械本体に付いている電源と冷却ファンのノイズだ。これが 43dB
・CPUを買うと付いてくる 「メーカー純正」 CPUファンのノイズは 35dB
・CPUとは別に、市販の 「CPUファン」の中で最も静かなのは 27dB
・ハード・ディスクの回転音のレベルは、モノによる。
CPUファンとハード・ディスクの音は、ケースを閉じてしまえば押さえ込める。問題は、それを最終的に 「外に」 はきだすファンのノイズだ。おととしの夏 買った、「熱センサ付き、回転速度可変ファン」は、最低で 14dB、最高で 29dB、ということになっている。寿命は4万時間というから、まだまだ (1夏使って、まだ 24H x 60日 = 1440H)。はは、大丈夫かなあ ・・・


(20020626-1) 何かから 「解放」されたい

月並みな表現なので、月並みに 「家庭」や 「職場」から解放されたい願望だと解してくださって、かまわない。事実、僕は 「家庭」にも 「職場」にも飽きているので、それをせめて救ってくれるのは − みずから救い出そうと努力できるのは − それら 「日常」から離れることのできる、例えばパソコンとそのソフト作成だったり、Webページ作りだったりするわけだ。例えば、Fax受信機として 「24時間」パソコンを稼動させる積極的な理由は何一つないにもかかわらず、3年前には 「ファンなし」機を買って組み立ててみたり、今度は DVD再生機でも買えばいいのに・あくまでパソコンの買い換え・組み直しで応じようとするところなど、僕が 「日常」にいかに 「飽きて」いるかを物語る。

「日常」に飽きている症状は、例えば、もう5年も前から放置してある (作る気もないのに買ってある)、(普通は子どもが買って組み立てる)プラモデルの山にも示唆される。「レアもの」である YS-11だの V-107だの、スペース・シャトルを背負ったジャンボ、DC-10、「オリエント・エクスプレス」の機関車と客車2両のセットなど、処置に困るものがある。このうち 「オリエント・エクスプレス」など、一度は組立てかけて、家庭の別の事情でカンシャクを起こして破壊してしまったので、5000円も払って、ない在庫を探して買い直したものなのだ。「子どもの」プラモデルを大人が組立て、「おもちゃ」と言えないまでに完成させる趣味が、世の中には存在する。しかし、その世代は既に老年化していて、現在その世界の主流は 「大人のコスプレ」 プラモデルになっている。その流れに抗して、今から 「工芸品」まがいのプラモデル作りをする意志もない。そんなことをしても、我が家の家計には何の貢献もしないのだ。同じ浪費をするなら、ベア・ボーンのパソコンでも組み立てている方が気が楽だ。

「おたく」の世界は、意外に広いのか狭いのか、同じような倦怠の中にある世代がいるらしい。何かの雑誌に、全長 90cmほどの飛行船のラジコン機が出ていた。ディズニーのアルミ風船と同じ、ヘリウム・ガスのカセットで浮かばせる。「室内専用」というのは あたりまえで、こんなもの、公園で飛ばせば風に流されて行方不明になるだろう (小学校の体育館で飛ばすには、限りなく面倒な PTAとのお話をさせられるにちがいない)。同じように、「大人の科学」シリーズが売れているそうだ。今日 (子どもの)オモチャ屋をのぞいたら、双発機の電動ラジコン機があった。1万円の手前。地上を滑走して離陸するという。こんなものを買っていると、仕事帰りのラーメンとビール代がなくなってしまう。

「解放」を求めることが 「逃避」であってはならないとは、知っている。「解放」というのは、例えば開高健の 『夏の闇』 に出て来る、スイスの湖でブラック・バス(?)を釣り上げた瞬間の解放感。この作品で、唯一の明るい瞬間だ。だが、僕は釣りを知らない。釣り上げた魚を放してやるなら、魚に痛い思いをさせることはない、いっそのこと釣らずに放っといてやればいいのに、と思う、僕は無粋な読者にすぎない。しかし、「大人」の 「解放」感というのは、いずれ その程度のものなのか。「大人」は、いずれ・決して 「何か」から 「解放」されることのない存在なのだろうか −

なんて、考えた。そういう僕を、「哲学者」だと言った職場の同僚が、いる。


(20020623-4) 「映像」の実力

友人に言われたことだが、その家庭では 中学生も2才児も DVDの 「ハリー・ポッター」に張り付くそうだ。当家では、かあちゃんが興味を示してしまい、その反動で7才が拒絶行動を取っていた。
が、日曜日、たまたま DVDを かけっぱなしにしておいた (24時間稼動の Fax受信機だから、それでいいのだ)。冒頭の因縁話をすぎ、9 3/4番線あたりからだろうか、7才がやってきた。あらら、興味しんしん、ながめてる。結局、しまいまで見た。「ハリーは、お父さんもお母さんも殺されたんだ」 という僕の説明で、映画は冒頭から見なおした。結局、全部見たのだな。豚のしっぽも見たので、動物園のヘビも見たはずだ。
豚の尻尾。ハーマイオニーという素敵な女の子=ガリ勉の魔女。鏡の国のチェスも、実は この映画自身の中で伏線が張ってあった: 「閲覧禁止」の図書は未検討だとハーマイオニーが言いに来たとき、ハリーとロンはチェスを打っている。

気の早い7才、「ハリー・ポッターの次の DVD」を買えという。そんなの、まだ作ってる最中だそうだぜ。

職場の読書家によれば、「ハリー・ポッター」シリーズの各巻は、すべて汽車に乗って魔法の国へ行く冒頭と、汽車に乗って現実に帰る末尾で終わるそうだ。仮想空間。そういう一貫性を見せる作品も、めずらしい。ただ、「ガリバー旅行記」の各巻も、長い航海の後に自宅に帰り、それに飽きたころ再び航海に出るというパターンで繰りかえされる。あるいはそれが、イギリス 「前近代」文学の特徴なのかもしれない。


(20020623-3) 10万円の機械は発注した

Webを調べているうちに、H、S、Tのうち Tでのみ 「流体軸受け 7200回転」のハード・ディスクがメニューに上がっていた。それでも 「ベア・ボーン」の販売元の見積りより わずかに安い。それでディスク容量は倍なのだから、議論の余地がない。考えていてもしょうがない、「新しい機械」を買う気持の準備もくそもない。えい、「発注」ボタン押しちゃった。まあ、そんなもんだわ、世の中なんて。


(20020623-2) モチーフ − または動機 − の喪失

僕が自分自身、困っている問題がある。「ハングル工房」の 「ハングル工房」らしい仕事をする意欲を、失っているらしいことだ。

例えば、HTMLつまり 「ホーム・ページ」そのものを基本的には日本語で作成し、そこにハングルを混在させたい場合。これは、MicroSoftさんのソフトでページを作成し、MicroSoftさんのブラウザでそれを見る限り、既に実現されている。問題は、MicroSoft製品以外の環境が、世の中には存在することだ。例えば Netscapeでそのページを見ると、ハングルは悲惨な文字化けをして見える。

これを解決するには、ページ自体は日本語で、そこにハングルは 「画像」として挿入する方法がある。この 「画像」の自動作成自体は、既に友人が作成し、公開している。この問題は、しかし僕に言わせれば、Webページを 「公開」する前に、事前に (ページを作成している)手許で作業をした上で、アップロードの際には そのページ本体と 「画像」の両方ともサーバに転送しなければならない点である。これは、少々面倒くさい。彼の ハングル画像自動作成ツールは美しいが、処理後のこの操作は自動化できない。結果として、彼と充分に近い関係にある僕自身、彼のツールを使った日韓混在ホームページというのを見たことがない。

これに対して、僕は CGIによるハングル画像の自動表示を考えていた。つまり、世の中の たくさんのホームページたちには アクセス・カウンタとか 「掲示板」とかがよくあるのだが、これは 「サーバ上で動くソフトウェア」である。それを、Web上では CGIと呼ぶ。誰であれ、適切な指示があれば自分のページのカウンタや掲示板を持てるので、難しいことではない。僕は、「ホームページそれ自体は日本語、その中にハングルを表示したい部分だけ、特定の記号でハングルのローマ字表現を用意しなさい」という CGIを作りたい; そうしておけば、ページ作成の手許では ハングルはローマ字、いざサーバに上がると それは日韓混在ページに見えるのだ ・・・ と。

このソフトの原型は、既に5年以上前にできている。友人が使ったのも、同じ論理だ。ちがいは、それが 「ページ作成の手許 (パソコン)で動くか、サーバ上で動くか」にある。サーバ上で動いてくれれば、手許でのページ作成は今までと同じ、ただ、ハングルを混在させたい部分だけをローマ字にしておけばよい。

問題はいくつか。
いわゆる 「自作 CGI」を、まったく認めないサーバ (プロバイダ)がある。僕自身の AT&Tも そうだ。が、サーバには、直接のプロバイダを経由した上で han-labを使ってくれればよい。朝鮮文学研究会のページなど、本当はすべてのページに 「原語」 を表示したい。それが射程内にあったからこそ、研究会のサイトも han-lab傘下に置いたのだっけ。

今日、再度その実現を 「検討」してみようと思った。
驚いた。2000年の春、つまり もう2年も前に、僕自身がそれを一度 「検討」し作業しかけた痕跡がある。あのとき、既にそうだった。僕に、その仕事を推進させる 「何か」が、既に欠けていた。

僕の 「意欲」を 「そいで」いるのは、何なのだろう? MicroSoftさんが MicroSoft製のソフトだけで完結する 「混在」環境を既に実現してくれたからだろうか? 世の中には、MicroSoftさんの製品だけで統一することにプライドを感じている人もいる。そういう企業もある。だから、僕は 「意欲」を失っているのだろうか? しかし、MicroSoft製品で社内を一貫させた企業内から、あるいはそういう個人の方から、ハングルまたはハングルを混在させたメールあるいは情報を いただいたことはない。

あるいは − この世界の中で、日本語とハングルを混在表示する/させるという需要、それを本当に必要としている人たちというのは、ひょっとして 「星の数を分母とする」 程度の数しかいないのではなかろうかと、
僕はペシミスティックな思いにとらわれてみる。「日本の」パソコンに 「ハングルを実現/表示する」というハングル工房本来の夢は、何だったのだろうか。少なくとも、ワールド・カップ騒ぎの中では、その必要は認められない。


(20020623-1) 10万円の機械を買いあぐねている

僕の生活そのものが 「憂鬱」な・せいでもある。10万円弱で Pent-4 1GHz級のパソコンが買える − 正確には、モニタと DVDとフロッピーを除いた部品セットが買える −、今日現在の生活事情では、無理ではない金額なのだが、なぜか悶々とするばかりで 「買いに」走る 腰が上がらない。

この程度の 「ベア・ボーン」と CPU、メモリ、HDDの組み合わせでは、どの店で買っても値段は変わらない。あえて選べば、まとめて数百円の差が出るかもしれないが、いつもの通販店には この商品がない; あっても、ここは送料を取る。「いつもではない」 店には在庫があるが、これも送料を取る。面白いことに、製造元 (正確には販売ブランド元)の Web通販では、送料を取らない。「推奨」パーツのページまであって、ここですべてそろってしまう。なら、それで注文してしまえばいいではないか ・・・ それにもかかわらず、腰 (指?) が上がらない。通販なら数日で届く。秋葉原の 「いつもではない」 店に行けば、即日 持ち帰れる。何をためらっているのか、自分でもよくわからない。そうこうしているうちに、子どもの、はやらない・言わんこっちゃない・予定より半年も早く放送中止になるらしいアニメの DVDが届いて、Cylix 550は悲しくも 音とびしながら再生してくれる。実は、音とび以上にコマ落ちが出ているのだが、それは人間の目が充分に慣らされているだけだ。おそらく、これが改善されると、二度と古い機械には戻れなくなるにちがいない。

「改善される」ことに、何の抵抗を感じているのだろう。自分でも、よくわからない。冷却ファンと騒音レベルの調整に、長い 「戦い」が続くだろうと予想されるから、それが憂鬱なのかもしれない、が。


(20020622-1) WC 韓国の試合を TVで見た

別にサッカーに興味があるわけではない。日本が負けて (日本での騒ぎは)事実上終焉を迎えた後、「義憤」を感じて 「僕が」 韓国戦を見なければならないと感じたわけでもない。ただ、偶然それが土曜の午後だったこと、0才も7才もその母親も昼寝して、そういえば韓国戦の時間だなと思って TVを見たら、商業チャンネルは全滅、一応 「原則的」な NHKで中継をやっていたので、見た。

結果はご存知の通りで、説明する必要もない。が、僕におもしろかったのは、選手同士が脚をからめると必ず反則、そのくせ、相手の選手の腕や服をつかんで妨害するのはまったく問題にならないらしいことだった。ふむ。これは 「日本的」スポーツの発想ではないな。昔 北朝鮮のサッカー・チームも、それで (日本人には)きらわれたのかもしれない。

NHKの画面に、観客特別席の金大中夫妻が映っていた。数分後、Webのニュース・ページを見ると、TBSはまだ更新されていないが、毎日の速報には韓国の準決勝行きが出ていた。と同時に、金大中の (長男に続いて) 次男逮捕のニュースもある。

しかし − 「16強」どころか 「4強」にまで韓国が進出することなど、誰が予想しただろう。TVの画面に映る観客の姿は、がっかりするほど、「熱狂」には ほど遠いものだった。やっと会場が沸いたのは、延長 15分 x 2回の後、双方5回の PKごっこ、それも5発全部を韓国が入れた後、最後のキックをした当人がガッツ・ポーズをしてからだ。その瞬間まで、韓国人たちの誰も、韓国が 「4強」入りすることなど予測していなかったにちがいない。


(20020622-2) 僕の、過去 10年のパソコン8台

10年前まえ、僕は 「私生活」では決して 「パソコン」を持つまいと考えていた。それは 「仕事」の道具であって、私的に使うものではない。コンピュータを自宅において ああだこうだソフトをいじるのは、ごめんだったのだ。

事情が変わったのは、サラリーマンをやめてからだ。サラリーマンをやめると、すべての情報は自前になる。かつては 「会社」が与えてくれたものを、すべて自力で手に入れる必要がある。ちょうどそのころ、現在のかあちゃんと知り合った。彼女の田舎は香港、彼女の両親に挨拶するついでに、386SXを買ってきた。これが、僕の 「最近 10年のパソコン歴」 の最初のモデルになった:
(1) 386SX, 4MB, HDD 256MB, 英文DOS, 本体 「ノートブック・サイズ」の、しかし いわゆるデスク・トップ
(2) 486SX, 英文 DOS, ただしその後日本版 DOS/Vに差し替えた。
(3) Compaq Pent-90, 発売当時 Win 3.1、ただし僕が買ったとき Win 95への差し替えセットが付いて、在庫処分に出ていた。数ヶ月後、3万円台になっていたのはショックだったが。
(4) AMD 133, 秋葉原 T-ZONEの店頭ブランド。これがかあちゃんの専用機、また 24時間 Fax受信機の原型にもなった。
(5) Pent-III 450, これが現在の僕の機械。
(6) Cylix 550, 現在 我が家の Fax受信機、24時間稼動。公称 「ファンレス」で完全な 「冷却ファンなし」だが、現実問題として夏前には熱暴走した。これに 30cm扇風機、熱センサ付き回転数可変ファン、「1年限定 使い捨てファン」と入れ替えを続けて、現在に至る。
この他に、「番外」が2つある:
(7) Mac LC475, 買った当時から HDD 80MBという、信じ難い機械だった。でも、Ethernetも Netscapeも、遅いけれど正常に動いた。
(8) Pent-90 ミニ・タワー, 冷却ファンが熱で溶け、余った熱でハード・ディスクが破壊するという経験をさせてくれた。
次の候補は、「DVDを素直に読める Pent-4 1G級」か ・・・


(20020619-1) FAX/DVD 「専用/兼用」マシン候補

Fax受信機で 24時間稼動、そのついでに DVDビデオ再生機を兼ねる機械の候補を探して、その見積りを Webでやってみたら、あらら、
・Pent III または Celeronで7万円台
・Pent 4 または Athronで9万円台
ということになった。どちらも、「マザー・ボードだけ」ではなく、それにケースと電源、電線セットが付く いわゆる 「ベア・ボーン」。それに CPU、メモリとハード・ディスクまで追加してのお値段だ。DVD-ROMドライブ自体は含まない (これは、もうある)。フロッピーもいらない。ただし最近は LANも USBもついている ・・・ という構成だ。これに DVD-Rだの、ビデオ・キャプチャだのを言いはじめると、このお値段ではすまない。それより、「24時間稼動」前提の騒音レベルと耐久性を考えると、部品交換 − 主としてファン交換と放熱加工の工賃または工具代 − で、上のお値段に2万円くらいは上乗せを考えておく必要がある。世の中、なかなかきびしい。最近の流行は 「おしゃれなベア・ボーン」だそうで、ピンク、赤、紫、黒または豹か虎皮模様のケース。なんだか、問題の本質とは離れたところに 「流行」があるのは、「流行」の 「流行」たるゆえんか、などと考えてみる。僕は、A4のバインダーがぎりぎり入る (ように作った)本棚の1段を捧げて、そこに機械を1台 収めようとしているのだが。

WC 事実上の終焉翌日、駅構内の本屋さんの平積みから、あやしげな 「韓国語」入門書かあんちょこか、その類の本が消えていた − 僕の予言は、当たるなあ。うれしくも、悲しくも。


(20020618-1) やっと WCが終わった

ゲームはまだ続くが、あのヒステリックなラジオ中継を聞かなくてよくなった。
「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」 より、まだひどい。いったい、ボールが今どこにあるのかさえ伝えない 「中継」など、愚かしいにもほどがある。当人は目の前に見えているから結構だろうが、ラジオでは声しか聞こえない ということを、アナウンサーが理解していない。伝えているのは、アナウンサー自身の興奮だけだ。時間が迫ると 「まだまだ、今までの成果を生かしてがんばろう」と精神訓話 (誰にむかって言ってるのだ)。試合終了数分前からは、「あと何分、あと何分」としか言わなくなった。ボールはどこを転がっているのだか。あんなアナウンサーをよく使うものだな、と感じていた。

韓国が意外な勝ち方をしたので、これも大変だ。ただ、日本が負けた以上、日本 「社会一般」での 「韓国」への 興味は、急速に冷えて行くだろう。それはけっこう。ろくでもない・怪しげな 「語学」の入門書(?)たちも、すぐ店頭から消えて行くにちがいない。


(20020617-1) パソコン、文学/映画、夏の課題

毎年この季節、パソコン雑誌は夏のモデルとその発熱対策の一色になる。特に 「自作」(何が 「自作」だ、部品を集めて電線つなぐだけじゃないか と思うが)パソコンの世界では、発熱/冷却と 「静音」化対策が花盛り。
「静音」対策は、冷却ファンの騒音対策に尽きる。究極の対策は 「ファンなし」で、これは昔から言われてきた。が、今年の夏の 「ファンなし」モデルは、驚いたことに Cylix 533MHz。おいおい、そんなの、3年前と同じじゃないか。うちの Fax受信機は、おととしの春 Cylix 550になっている。それが夏には熱暴走したからこそ、「ファンなし機に 30cm扇風機」、「熱センサ付き回転数可変ファン」、さらに 「1年限定、ファンは毎年取替え使い捨て」と、僕は/我が屋は苦労してきたではないか。今さら3年前の Cylix 533なんて、人をバカにするにもホドがある。

今となっては、先端 CPUは 2GHzクロックで動作する。これを半分に値切っても 1GHz、その程度であれば、DVDは正常に動作する。今、僕の抱えている問題は、3年前の ファンなし 550MHzでは、DVDに深刻な音とびが発生することだ。DVD、つまり TV/ビデオの代用品である以上、それはいつも 「即」使える必要がある。「パソコン」では、電源投入からの手間が現実的でない。あえてパソコン使うなら、この際 24時間生きている Fax受信機をそのまま使えばよい。だからこそ、Fax兼用機 550MHz、そこに DVDが同居し、それが音とびするという深刻な問題を抱えている。

結論的には、2002年夏現在では、533MHzをこえる CPUで 「ファンなし」パソコンを実現する手段はない。他に Crusoeとかいうメーカー/モデルの CPUがあるが、これはどうも単品部品を売らないようで、あるのは 30万円もするノートだけだ。我々 (いや、私)の課題は、とりあえず 10万円前後でパソコンを用意し、それには DVDが同居し、その機械を 24時間稼動させる点にある。この3年の体験から、冷却ファンは、24時間 x 360日は稼動する。そのファンを選べば、限りなく 「静音」化できることまではわかった。いわゆる 「ベア・ボーン」を、店頭で組立てまでやってもらえば、面倒な電線取りまわしは避けられる。さて、それで、10万円前後に収まるか。3年前の 「ファンなし」 550MHzは本体8万+、それにメモリ、ハード・ディスクで 12万円ほどかかったか。今年は、1GHzくらいに 「静音」ファンの組みあわせで行くか? さて、かあちゃん、うんと言ってくれるかな (もっとも、3年前にも彼女の同意は得ていない)

DVDは、ビデオの一種。ビデオは、映画。映画は、広い意味で 「文学」の1分野である。「トトロ」も 「もののけ」も、「ハリー・ポッター」も、すべて DVDに集約するのが現時点での理想ではある。

「千と千尋の神隠し」の DVD予約販売には、「DVDプレーヤー」のおまけ付きセットがある。仮にこれを買ってしまえば、DVDは既存の TVで見れることになる。それならそれで、いいのかもしれない − ただ、我が家には我が家の事情がある。親が寝ている耳元で、DVDを鳴らされてはかなわない。だからこそ、そんなの 「あっちで (コンピュータで)見てこい」と言えるための DVDなのだ。DVDプレーヤー 「おまけ」付きセットは1万6千円。DVDが音とびしないためのパソコン/Fax受信機が 10万円なら ・・・ はて、何が 「経済観念」なのか、わからなくなってくるのだが。


(20020616-1) 前近代作品の誘惑、その他

新作のビデオ/CD (DVD) のお値段がおおよそ5千円前後であるのに対して、「ハリー・ポッター (と賢者の石)」は 3千円の手前になっていた。だから買ってみたのだが、これの最大の読者 (視聴者)は、うちのかあちゃんである。彼女に、それがこれほど合うとは思わなかった。一方、小学校2年めの上の子は 「ハリー・ポッターには興味ないんだ」と、冷淡なこと この上ない。
おそらく、もう幼児ではない7才と、やはり幼児ではないその母親との間に、ある種の確執がある。かあちゃんが興味を示してしまった 「ハリー・ポッター」に、7才はある種の拒否を示す。話の内容を理解させれば興味を持つかとも思ったが、ハリーの出生をめぐる因縁話の冗長さに、7才は耐えられない。「森ちゃん、大きくなったら (興味を示すかなあ)」 と言う母親のせりふに、まあ同意しておく。
前近代作品の面白さは、「近代」作品の要求する、読者の現実の生活に反映する内省と葛藤、それがない点にある。前近代作品は、それを見ても 「あくまで娯楽」であり、読者を攻撃することがない; 読者の実生活への反映を求めない。虚構はあくまで虚構のままであり、虚構は 「単なるお話」でしかない。その作品を見た (読んだ) ことによって、読者の人生観が変わるようなことが、あってはならない。それが 「前近代」作品であり、また 「通俗」作品の一面でもある。
ともあれ、「この話で仕事しないなら (この話の映画を作らないなら)、あなた (映画の監督)をきらいになっちゃうから」と子どもに言われて作品化に走ったという、映画監督。その逸話に反するようだが、我が家では 読者は母親で、子どものほうは興味を示していない − もっとも、イギリスの魔法使いの話だから、文化的な背景への理解度が かなり影響しているのは事実だが。

USBの CR-RWドライブの使い道に、「音楽 CDのコピー」があることに、今ごろになって気がついた。オリジナルの CDをコピーして、車の中で使うというテがある。この他に、上の子の幼稚園卒園の記念 CD-Rを バックアップするという使い道もあった。この2つの作業で、コピー・ソフトの使い方という Know-Howも手に入れた。「最低」 4倍速以下には下げられないソフトで、3枚ばかりコピーをしてみた。まあ、こんなもんかね。ブラームスの交響曲3番が、コピーでそこそこの音を発してくれる。時折、片チャンネルに 「音とび」があるが、オリジナルとの正確な対照検査をしている余裕も、ない。まあ、ブラームスの3番なんて、「通」の間では 「通俗」そのものなのだけど。
チョン・キョンファさんの一連の録音は、とりあえず1枚だけコピーを試みた。「コピー・ソフトの使い方」 Know-Howが判明する前のコピーなので、今のところ どうとも言えない。


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