Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

ハングル工房 綾瀬店 ホームへ
Mail to home master: Ken Mizuno


(20020613-1) はじめて聞いた 「君が代」

遅い出勤前にラーメン屋でラーメン食ってたら、ラジオが鳴った。あ、そうか、内閣総理大臣が行きたいと言った、「16強」に入るかどうかという日本の試合だな。日の丸が乱舞するのは知っているが、ラジオでは 「君が代」が聞こえた; 驚いたな、こんな元気な声の 「君が代」は、はじめて聞いた。仕事先に行くとまたラジオで、連続2点が入ったらしい。こんな 「君が代」聞かされると、1年半前 小学校の入学式で、必死に 「君が代」拒否したのが ばかばかしくなってくる。

ただ、数日前ビールを買いに行った酒屋でも、おとといだったか別のラーメン屋でも、TVは野球をやっていた。世の中の変化に、頑強に抵抗するおじさんたちがいる。

夜の TVは、WC 一色だ。問題の韓国 「16強」入りかどうかは、ずいぶん待たされた。野球なら、まず各球場の経過報告、その後に特定球場の録画がはじまるのだが、今度のサッカーは気を持たせる: 既に終わった試合の結果を語らない; 番組の筋立てに従って、「韓国はどうなったのでしょう」とえんえんと続くのにはまいった。不思議なことに、韓国の会場での 「愛国歌」は、大阪の 「君が代」より元気がなかった。「国歌」に対する日本人と、アメリカ人と韓国人のあり方のちがいだ。アメリカ人も韓国人も、それは儀礼にすぎないのに対して、大阪の 「君が代」にはイデオロギー抜きの明るさ、従って 「ある」不安を僕が覚えたのは事実だ。

道頓堀に跳び込むのも、大スクリーンだけで競技者のいない競技場に跳びこみ踊るのも、僕には 「犯罪」だとは思えない。それの、何がいかんのだろうか。彼らがちんちん露出して踊ることと、限りなく明るい声で 「君が代」を歌うこととは、別問題だ。問題は、道頓堀に跳びこみちんちん露出することの是非と、「君が代」の関係にある。前者を問題にする TVは多いが、後者を問題にする TVはない。前者は不当で、後者は正当なのだろうか。あくまで明るく元気な声で 「君が代」を歌い、そして、管理された競技場で、道頓堀で、跳びこまずちんちん露出しないのが善良な市民なので − あろうか?
今の時点では、その関係がよくわからない。

WC自体は、まあ、誰でも予想する 「つまらない」結果になるだろう。
「16強」の左右 8チームの1つに日韓それぞれが配分される (のかどうか、僕は知らないが)として、8チーム中 最後の1チームに残るには3試合、仮に各試合の勝敗確率を 1/2 とすれば、その3試合に生き残る確率は 1/23 = 1/8。従って 双方がそうやって生き残り対戦する確率は ( 1/8 * 1/8 ) = 1/64 になる。1/64 は、確率論としては 「まだまだ可能性あり」のような気もする。が、それは別の言い方をすれば、「WC 64回のうち、1回しか起こらない」対戦でも、ある。
それでもそれが起こったら − ま、めでたくていいじゃないですかね。


(20020609-1) 「トンネルと越えるとそこは魔法空間」である 「千と千尋の神隠し」

絵本で充分に予測できたというか、絵本通りだったのだが、「トンネルと越えるとそこは魔法空間」である 「千と千尋の神隠し」は、その意味で読者を裏切っていない。2年生の女の子が 「ちょっと涙が出ちゃった」という、銭〜婆との別れの場面は、大人が見ても多少 涙が出そうなシーンではある。「トンネルを越えると」という点は、絵本の時点でも強く強調されていて、ラスト・シーンは完全に冒頭に回帰してたちまち終わる。

「ハリー・ポッター」と 「千と千尋」のちがい − 「トトロ」以来、こちらは 非現実世界が創作的であることだ。もちろん、イギリス文学は当方 知らないから、「ハリー・ポッター」のさまざまな冒険も、あるいは創作的なのかもしれない。が、あの Wizardの世界は、Unixという OSを作った人たちを そう呼ぶ伝統(?)があるくらい一般的、つまり既存の架空世界であるのに対して、「トトロ」は その 「トトロ」自体が創作的 「伝説」である点、考えてみれば、それが僕に何かしら 「違和感」を与えていたのかもしれない。

日本側のもう1つの特徴は、非現実空間に入ってから後も、「社会」的事件に対する ある種の訴えがある点だ。「トトロ」では 「大人にはもう見えない」トトロや猫バスそれ自体、その延長の 「平成狸」では自然破壊への露骨な告発、「千と千尋」でも、河川の汚染という、まるで環境保護団体の主張みたいな内容が、プロッティングに重要な意味を持つ。主人公が 「限りなく善良」なだけである点も、日本側の際立った特徴である (ハリーは、そうではない。彼はエリートの一種だ。善良であるばかりではなく、「悪」を代表する学校教官への疑念を強める過程が描かれる。最後になって、その教官こそ味方であることがわかる点、多少興ざめだが、いずれにしてもハリーとその仲間は 「善良」なばかりではない)

架空の空間であるはずなのに 「現実がちらついている」から面白くない (面白くなくなる)朝鮮文学一般 − そういう認識が、朝鮮・韓国文学 研究者の間では共有されてきた。しかし、あるいは、それは日本の現代の流行であるのかもしれない。子ども向けのたくさんの創作絵本が、実は 「環境を美しく、地球にやさしく」みたいな主張を盛りこんでいて、その 「教育的」な意図がこの世界を 「面白くない」ものにしているのかもしれないと、思った。「星の王子様」のような観念の一人歩きは、ここにはほとんど見られない。

が、「千と千尋」は、(あるいは、だからこそ)トンネルの前後の現実と非現実を、あからさまに提示する。おそらく、露骨な 「環境保護」キャンペーンであることを避けたかったにちがいない。
非現実空間で出会うボーイフレンドであり竜であり川の神である 「ハク」。その実名が記紀の神々風であること、それ対する千尋のせりふが 「すごい、神様みたい」。現実に戻るとき 「決して振り向いてはいけない」と言われることなど、解説をすれば黄泉の国から帰るイザナギへの忠告でもある。しかし千尋は振り向かない。「本歌取り」はハリーのチェス、千尋のそれ。

「顔なし」を導いて銭〜婆への電車に乗り、湯婆の店に戻り両親を取り戻す千尋の姿が、いつの間にか湯女の和服から現実のTシャツに戻っている。種明かしは既に絵本にあって、電車に乗るためのたらい船に乗るとき、彼女は湯女の着物の下にTシャツを着ていたのだった。そのための伏線が、数ヶ所に張ってある。仔細に こまやかな、とても日本的な、作品構成だった。


(20020608-1) 「ハリー・ポッターと賢者の石」

DVDが安かったので買ってみた。このテの話は、うちのかあちゃんにも 「うけ」がよい。
「怪力乱神を語る」のは近代文学ではない。読者の期待を決して裏切ることのない、読者の期待する結末に導いて行く作品を、専門用語で 「通俗」作品と呼ぶ。その意味において、「ハリー・ポッター」は 「近代」作品でもないし、「通俗」そのものである。それにもかかわらず (または、それ故に) 話はそれなりに面白かった。

まず、ハリーは、伝説の父母のもとに生まれた、ある運命を担う主人公である。この設定からして、作品は 「近代」作品ではない。近代文学とは市井の 「普通の人」を主人公として、その内心の葛藤を主たるテーマとするものをいう。「ハリー・ポッター」には主人公の葛藤は見られるが、その解消は、文字通り魔法の世界のハリーの特別な立場から、超自然的な力で行われる。この連続が、面白い。おとぎ話のおとぎ話らしい展開の中に、現代的な、10才前後のハリーと友達とガール・フレンドとの葛藤も、期待も、裏切りも存在する。技巧面では、高い。ある意味、「前近代的なテーマを近代の技巧で表現した」作品でもあった。

映画が現代のイギリスではじまる中で、読者 (視聴者)を前近代に連れて行く手段として、蒸気機関車の引く列車が登場した。ロンドン駅、幻の 「9 3/4番線」から出発する。そこからが魔法の国だ。魔法の国の1学期が終わり、一時帰省するために、再び同じ汽車に乗る。作品はつまり、汽車に乗って魔法の学校へ、汽車に乗って現実に帰る構造である。魔法の国の冒険の中に、「チェス」が出てきた。これはおそらく、「不思議の国のアリス」(正確にはその後編、「鏡の国」)の連想で正しいだろう。

その一方で、悪の魔法使いに殺されたハリーの両親、それへのハリーの思い、10才前後の友達との友情、やはり幼いけれど生意気でガリ勉の少女との信頼関係などが語られて、特にこの少女はすてきだった。架空の・隔離された空間で、「近代」らしいそういうものが語られることで、この作品は成功したのだろうと、思う。

同じような、「トンネルと越えるとそこは魔法空間」である 「千と千尋の神隠し」、これは明日 新宿で見てくるつもりでいる。


(20020606-1) 夏の季節感はパソコンのファン

また夏になる。夏の準備に、2台のパソコンの冷却ファンを取替えた。

過去ほぼ 10年の間、パソコンの冷却ファンのトラブルには悩まされてきた。1つは、12Vファンに 24Vだったかが供給されていて、よく回った代りに、半年後に異音を出しはじめた。また1つは、電源からのファン吹出し口がパソコン内部にあり、それがフロッピー・ドライブを故障させた。また1つは、CPUファンが劣化して停止、CPUの熱でファン自身が溶解し、その熱でハード・ディスクが壊れた。また1つは、電源に付いているファンが性能劣化して、ないに等しい状態となり、CPU以前に音源ボードが熱暴走した。やむをえない、背後のスロットから風を吹出すファンを付けた。また1つは、メーカー出荷時に公式 「ファンレス」だったが、やはり夏には熱暴走したので、結局これもスロットから吹出すファンを付けた。「ファンレス」は Fax受信機でもあるので、24時間 電源を落とせない。幸い 「公式」ファンレスで発熱は少ないので、いちばん小さい、静かなファンにした。ただし 「ファン」である以上、必ず劣化する。公称 20000時間 = 24時間 x 833日 動くと言われても、実際 360日後にはかなり劣化しているのだ。Fax機は今年が3度めの夏。ファンは消耗品と割り切って、故障する前に取替えた。1年間 動き続けたファンは、惜しいような気もしたが、その場で捨てた。

当家の夏は、パソコン ファンの取替えとともにやってくる。「ファン」単体の商品には 「公称」何時間という耐用期間が書いてあるが、安い機械の CPUファンなどは、事実上 半年も持たないものがある。僕の Pent-III 450は、CPUメーカー 「純正」ファンが付いている。これはまだ生きている。しかし安物電源装置のファンは死につつあり、音源を暴走させた。「空きスロットを放熱穴として使う」スロット型ファンを、消耗品と割り切って使うようになった。これも、古いのは惜しいが捨てる。

なんだか 「三味の糸」みたいな話になってきた (三味線奏者は、ヒマさえあれば 「糸」を張り替えるのだそうだ。「1の糸」が切れたら、残りは2本。「2の糸」が切れたら、残りは1本しかない。オーケストラのソロ・バイオリンなら、弦が切れてもコンサート・マスターが貸してくれ、以下、順送りでバイオリンは回ってくるそうだ。でも、常にソロである三味線は、切れたら終り。かみさんに 「もったいない」といわれつつ、三味線奏者は毎日 「糸」を張り替える。ちょうど、車のライトの片目が切れたとき、「残りはあと1つしかない」; その1つさえ切れたら、あとは真っ暗闇の中を走るしかない恐怖感にも、似ている)。

USBの CD-RWドライブを買った。
韓国人と結婚した友人の 「結婚記念パーティー」の写真を、彼に届ける必要があった。圧縮しても 9MB を超え、彼は電話のモデムなので、はたしてメールで送っても受信できるかどうかが問題だった。結局、彼の要求で CD-Rに焼いて、郵政省メールで送った。使い道はそれだけで、ドライブは今は遊んでいる。


(20020605-1) 日記の断片、2題

子どものころ、小学校には 「田植え休み」があった。現代の東京には、ない。そういう季節らしい。しかし、学校の週休2日制にともなって、なぜか運動会が 「春季大運動会」になった。「春季」と断っている以上 「秋季」があるのかと思ったら、6年生は 「小学校最後の」 かけっこだという放送があった。子どもたちの世界にも、変化が起きつつあるらしい。1年生は、2ヶ月前まで幼稚園児だった子たちだ。その子たちも、一周 100mほどのトラックの直線部分を駆ける。僕が子どもだったころ、田舎の小学校の校庭は一周 200mだったのだが。女の子はおっぱいも大きくなりつつある5、6年生が、狭いカーブの 100mを駆ける。平面トラックは、国際標準 一周 400mでもカーブはきつい。東京の小学校の校庭が実は 一周 100mほどしかないことを、再認識した。半日 見ていたら、日に焼けたらしい。翌日の職場でそう言われた。

人づてに紹介された、ある有名人がいる。その方からメールをいただいた。「韓国」に関連する著書が数冊ある。その方が、あえてメールを送ってくれた理由は − 知人の Webサイトが2年ほど放置されている、それを 「仕事」として請け負うなら どんな条件で可能かと。
残念だが、僕は適格でない。そういう Webサイトは、おそらく、主として 「Webらしい、見栄えのする」ページ姿を求めているのだ (ろう)。見栄えのするページ・デザインをする女性なら いくらでもいる。でも、そういう人は、まずハングルなど読めない。知っている限り、有能な Webデザイナーでハングルの読める人はいないのだ。僕自身の 「デザイン」能力は、「この」 日記ページで明らかだ。都内の朝鮮・韓国関連の本屋さんに数件、数軒つきあったことがあるが、どれも不調に終わった。仕事と、その対価が数千円か、数万円か、数億円かという問題でもある。今度も、おそらく それに尽きる。その事情を説明して、返事をさしあげた。なんだか悲しいけど。


(20020529-1) 読書録(?)

近所の書店で、中公文庫 大野晋 『日本語はいかにして成立したか』 を買った。「あとがき」は 昭和55年=1980年、それに 2002年の付記がある。
この本には、「神代文字」にも言及がある。要するに、みんな偽書と一蹴する。僕に言わせれば、「偽書」と一蹴しても 「偽書」擁護派はびくともしない。擁護派には言語史の基本的な知識がないので、大野晋が一蹴してもカエルの面にしょんべんなのだ。

「偽書」擁護派から、(その方の 「研究」している文字と)朝鮮語のハングルとの関連性を聞かれた。そりゃ、あるかもしれない。ないかもしれない。が、15世紀先端科学の成果であるハングルと、「神代」の文字とは、時代がちがう。類似するなら、「神代」はでたらめである。類似するわけがないし、関連するわけがない。関連があるなら、それは 「語るに落ちる」 偽書の告白である。

もう1点、おどろいたことがある。擁護派は、そのホームページ上に 「橋本」8母音説をどう思うか、と書いている。そのことを言ったら、ご本人はおっしゃる:「僕はその説に反対なんですよ」
幾何学で、三平方の定理に 「反対なんですよ」とか、ニュートンの万有引力の法則に 「反対だ」、化学では元素周期表に 「反対する」と言う人に会ったことはない。たとえ自分は理解しなくても、アインシュタイン後の相対論に 「反対する」という人も、まあいない。イギリスにあったという 「地球平面協会」(大地は平面であることを信じる人たちの団体)は解散したそうだ。もっとも、人は猿から新化したのではないと主張する団体は、まだあるが。

「講壇歴史学」という言葉がある。この世界の話題は、さむらいの時代に限られる。戦国の誰と誰がどんな関係で、どんな戦をした、その姻戚関係がどうの、と来る。経済史は決して出て来ないし、それを支える社会の構造も生産者集団のことも忘れられる。まして言語史など意識の外なので、春日の局も北条政子も同じような言葉をしゃべって、同じ 「歴史」のわずかな前後関係でしかない。おそらく、「神代文字」を本気で議論する人たちは、「明治以前はみな同じ『昔』」だと思っているんじゃなかろうか。現代は 21世紀、ハングルは 15世紀、「神代」は紀元前後の数世紀で、その時間的な距離が、頭にない。そして、500年で言語がどの程度変化するか、1500年でどの程度変化するものなのか − まあ、きりがないので、やめよう。

翌日は、倉橋由美子 『よもつひらさか往還』 を買った。この作家は、日本にめずらしいタイプだ。『パルタイ』以来の幻想手法が、最近はまったく 「幻想」そのものになっている。

僕の仕事は、旧職に復帰といきたいところだが、あらら、ソース・コードのない、C言語によるソフトウェア、それをディスアセンブルして繕うという、とんでもないことになってきた。指にケガしたときのガーゼと薬、それに裁縫用の糸と針で、運動会のテントを繕っているような気分だ。


(20020520-1) 日記の一種

仕事先で、「著書持ち」の方と知り合った。ありがたいことに、僕の助手役である。いわゆるパソコン本にすぎないが、ふむふむ、この分野であれば読者は多い。無名の著者のはずだが、出版社は 9000部を刷ったそうだ。韓国短編集の 2500セットとは、そこがちがうな。

また別の方とも、同じ仕事先で知り合った。この方はホームページを開いていらっしゃる。それを見て、実は困った − いわゆる神代文字である。ご本人を含むささやかな (と思われる)団体を代表してのホームページで、その聖書的な 「原典」引用を含んでいる。これを拝見した感想を、ご本人にどう伝えてよいかわからない。

神代文字とは、日本の 「記紀」以前、万葉仮名以前から存在している (いた)という文字のことをいう。
古来、いや正確には日本の近世以来、「神代文字」はいくつも 「発掘」されてきた。その典型的・かつ最も近代的な類型は朝鮮語文字、つまりハングルの模倣で、例えば 「○ト ○| ○丁 ○-ll ○亠」と書いて 「あいうえお」と読ませる。「神代」に発明された文字にしては、あまりにも合理的でありすぎ、あまりにも露骨な朝鮮語の模倣なので、これは誰でも笑ってすませる。が、それがまったく独創的な記号系だったらどうだろう。文字とは、記号の一種である。たとえば、本多勝一の 「カナダ・エスキモー」に出て来る、西洋人宣教師が発明したエスキモー文字。今度知り合った方の神代文字は、外見上これによく似ている。きれいに五十音図ができているのは、「偽書」の証拠にはならない; 五十音図は明治期に発明されたものではなく、江戸期に既に存在するそうだから、それが 百年や二百年前のものであっても驚く必要はない。文字が基本的に幾何学模様の絵であることも、「偽書」の証拠にはならない; 幾何学自体、ギリシャ以来の神代から存在するから。

神代文字たちの本質的な欠陥 (「偽書ではない、本物だ」と主張する上での弱点)は、それらのほとんどが、5母音である点にある。
日本語の古語なり、言語学を多少学んだことのある方はご存知の通り、「上代」(記紀の時代、万葉の時代、あるいはそれ以前の時代)の日本語には8母音が存在した (または、存在したことが推定される)。最近その道のプロから話を聞く機会があったのだが、記紀・万葉の時代には、それが既に失われはじめていた; つまり日本語が5母音に収斂して行く時代が、万葉仮名の時代であるという。(このあたりの事情は、大学国文科の古典専攻か、あるいは教養課程の言語学一般でも、一応習うはずではある。僕自身は、朝鮮語のついでに、周辺知識として習ったような気がする)

「記紀」以前の歴史以前の文字、つまり神代文字が存在するなら、その文字は (仮にその文字が表音文字なら)、何かしらの形で母音を表現しているはずだ。その母音数は、少なくとも8個あるだろう。神代文字たちがどれも美しく 「5母音」に統一されているところを見ると、作者たちは 「上代日本語は8母音」であることを知らないと思われる。悲しいけれど、その程度の知識を持たずに言語史を再構築することは、できない。神代文字を本気で 「普及」しようとしている人たちの善意は疑わないが、それが 「善意」にすぎて、基本的な知識を仕入れる意志さえ持たない以上、「善意」はどこまでも 「お遊び」なのだ。邪馬台国探しであれば自由な空想も可能だが、相手が言語史では、素人の僕でさえ こうして否定できてしまう。悲しいけれど、神代文字は おそらく存在しない。

話は 「神代」のことなので、想像は自由に飛翔可能だ。ただ、それを本気で復元されるなら、それを表音文字で復元されるなら、どうか、音声学、そのサブカテゴリーである音韻論くらいの知識は仕入れたうえでなさってくださいな。(なに? 現代音とは異なる神代のオトだって? ええ。神々は時代が古いから、おそらく類人猿でいらっしゃる。従って、現代人と異なるオトの言語をお持ちだったのですね。ならば、神代文字が5母音である必要はないのです。類人猿なら、3母音くらいでいかがでしょうか。あるいは、イルカのように高周波での会話だって可能だったかもしれません)


(20020513-1) 携帯メールを実用に供する例、3つ

第1の例: パソコンはその場にないが、ヒマで困るような状況、例えばつまらない職場の会議の最中に、静かにメールを書いている姿。採集?された実例には、発信地が学校の職員室?とも思われるものもある

第2の例: 携帯で電話すればいいのに、電話代が高いからとメールで代用する例。
どちらも、パソコンより 「携帯世代」の行動だという。特に後者は、昔々の 「ポケベル」の先にあるのかもしれない。

第3の例: 遅刻しそうな場合、適当な相手に急ぎメールを送るとき。携帯が 「圏外」であっても、短いメールの入力に充分な時間を要するので、地下鉄の中でゆっくり書いて、外に出たら送信する。こういう場合、しかし 「充分な時間」がかかりすぎるのを避けるため、または面倒くさいので、ひらがなだけのメールになるという。

すさまじきもの、昼吠く犬と携帯メール。

最後の 「急ぎ」ひらがなメールで思い出した。
それなら、ローマ字だけでハングルのメールも送信できる。復元可能な・機械的な原則によるローマ字なら、これをさらにパソコンに転送して ハングルに復元できる。ふむ、通信環境の中で 「中間コードとしてのローマ字化」を、かつて 「提唱」したのは僕自身ではなかったか。そのための「ローマ字化/復元」 ツールも、僕自身が作ったのだっけ。うーん。しかし、携帯の上ではそんなことできない。パソコンと携帯の連携でいいなら (携帯に届いたローマ字ハングルのメールをパソコン上で復元するなら)、5年以上も前に解決ずみなのだが。

・・・いや、Java Applet対応の携帯なら、そうか、携帯自身の上でローマ字本文を解析、画像に変換するアプリが作れるかもしれないなあ。いや、もう誰か作ったかもしれない。少なくとも、JavaScriptによるそれは実例があるので (ローマ字書きの本文を、ブラウザの上で=JavaScriptでハングルの画像に変換する)、それを携帯用 Native Javaに移植するのは簡単かもしれないけど。
ただ、Java Appletが動くような 「しゃれた携帯」はごめんだと、よろこんで 「老人モデル」を買ったのも僕である。

また思い出した。
携帯でローマ字ハングルのメール以前に、「カナその他よせあつめ型 擬似ハングル」、その昔 笹本さんという人が言い出したので 「笹本ハングル」と僕が呼んだ、こんなハングルもどきもできる、はず:
    ニ
    ○ト 口ト ○   ○|   人-ll 人ト
     L  Lニ 匸                 ○
           ○
ったくもう、こんな 「擬似ハングル」生成ツールを作ったのも、僕自身である。ただ、悲しいことに、この程度の幅(1行の長さ)も、携帯画面では確保できないのだ。


(20020506-1) 連休明け − ところで携帯メールは実用になるか?

連休を 「家族サービス」で過ごしたとは言い難い。くたびれた。

1ヶ月ほど 「サラリーマン生活」をするので、携帯を買った。その実用度は 「緊急の用」の発生頻度に比例するわけだが、今のところ僕自身の忘れ物を かあちゃんが知らせて来ただけで、その他には ろくな 「用」がない。まあ、用のないのが緊急手段の存在価値である。

ところで、携帯を端末とする電子メールが 「実用」になるのかどうか、日がたつにつれて懐疑的になってきた。会社に届くメールを携帯に転送している・という人には出会うが、逆に、パソコン発信メール一切拒絶という人もいる。まして、そのまた逆の 「携帯・発」のメールには、一度もおめにかかったことがない。

基本的な原因は、「文書交換」のための端末機としては、「携帯」の機能が極端に貧しいことにある。だいたい、メール本文の長さの上限 512バイトなんて、これでは、パソコンで一度受信したものを携帯に Forward (転送)すると、転送情報ヘッダだけで 512バイトを越え、本体は読めない。従って 「携帯への転送」は 「受信サーバから直接」、「内容にかかわらず無条件」に転送するしかない。それでも、512バイトに収まるメールというのは、よほど内容のないメールだ (512バイト=全角256字: これは原稿用紙 10行以上になるはずだが、しかし実際には5行くらいしか届かない?)。まして、「添付」はきれいさっぱり削除される − 削除されないように 仮にできるとしても、しかし携帯の上で その 「添付」を読む手段はない。

はじめは、携帯メールでは 「入力」が面倒だから、それで充分なのだろうと想像していた。ところが、「入力」方法を読んでいたら、とんでもないことになっていることに気がついた。おいおい、電話の12個のキーだけで、あらゆる文字を入力しろというのね。

ここから昔話になる。30年以上前から、アメリカでは、電話の12個のキーに ABC, DEF, GHI, JKL, ... というアルファベットが書いてあった。ある種の入力手段であることは承知していたが、おいおい、こんな前世紀の遺物に、2002年に出会うとは。
とにかく、面倒くさい。こりゃ、たまりませんわ。その上で、日本語ではそれを 「漢字」に変換する作業が伴うのだ。こんなの、誰が使うんだ。
僕自身、冗談じゃないので、携帯それ自身の 「電話帳」への 漢字入力を放棄した。この入力方法で、本当にメールまで発信する人がいるのだろうか? 事実、過去に一度も、僕は 「携帯発信」メールをもらったことがない。

かくして、僕の結論、携帯本体の 「メール」ほど役に立たないものはない。実際に役に立つのは、おそらく、携帯を通信回路として使うパソコン (ノートでも、モバイルでもいいけど)上のメールだろう。これなら、internetと切り離された世界でも、文字通り 「無線」通信環境になり、メール本体のサイズ制限もない (なぜなら、「携帯」はモデムにすぎず、メールそのものはパソコンに到達するから)。ただし、それが 32Kbpsとか 64Kとか、それ自体が 「前世紀の遺物」的速度であるのは、もうどうしようもない (だからこそ DoCoMoさん、FOMAとかいうやつの売りこみをしようとしてる)。

去年、見た。「携帯を使う」のではない、「携帯」それ自身につけて使う外付けキーボード。折りたたむと電卓くらいの大きさになる。こいつで、メール本文の作文ができる。笑ってしまった。でも彼、「携帯自身」を発信元とするメールを実現したかったのだね。今、やっと、彼の切実な気持がわかるようだ。

究極の 「携帯」の姿 − 「モバイル」程度のサイズのキーボード、これで、家庭用電話のハンド・セットの大きさになる。メールの作文にはこれを使う。「携帯」本来の 「電話」は、このキーボードをわっしとつかみ 「もしもし」とやればいい。これで、何がいけないの? アメリカでは、そういうのを売っているそうだけど、DoCoMoさん。

余談: 携帯が、本来 「電話」の使えなかった聴力障害者にとって有効な交信手段になっていると、いう。つまり、画面に情報が出るから、「声」で通信する必要がないのだと。しかし、老人性難聴で障害者手帳を持っている僕の母親に、携帯のメール発信は無理だ。コンピュータのソフト屋である僕が使えないものを、その母親が使えるわけがない。
ちょうど、TVでそんな番組をやっていた。聴力障害者の例では、なんだ、CRTに画面表示をしているではないか。事実、画面の一部には普通の電話があったような気がする。それなら 「携帯」である必要はない。その他の美談では、聴力に障害のないばあさんに、中学生たちが携帯でサポートする、つまりオト、コエで通話するのだそうだ。「聴力障害者に救いの携帯」説は、まだ疑問の余地が多いと思う。


(20020428-1) 翻訳集は出たが −

現代韓国の短編翻訳集が本になってきた。が、不思議に感動がない。

学生だったころ、腐っても 「公」 のおカネである自治会費とか、朝鮮語講座の会費とかで出版をしたころは、そうではなかった。自分の書いたものが 「活字」になったのを見て素直にうれしかったし、親にも見せた。親は また えらくはしゃいで、息子のそれをコピーして職場で配布したという。それが回りまわって、高校生の読書感想文になって返って来た、という楽しい思い出もある。

今度はいけない。「初校」以後、「再校」の有無を疑う一方で次々と字句修正を求められ、編集者と攻防戦をした。げんなりしている。できあがって来た本は、装丁が多少きれいなだけで、決して我々の意表をつくような本になったわけではない。あたり前だが。攻防の結果がおおよそ維持されていることを確認すれば、あとは、「うれしい」ばかりではなかった記憶が生々しいので、あんまり見たくない気持になった。仕上ってきた本は、訳者一人あたり2冊ずつだという。おいおい、これじゃ少数の友人にも配れないじゃないか。興味のある方は、下記をどうぞ。作品の選択に特徴があり、おそらくこの類型は 「韓国」ものの訳集としては初めてだろう。上巻に 90年代、下巻に 80年代がまとめてある。特に 90年代の作品は、「政治」好きなこの業界では異色の作品ばかりである:
岩波書店、『現代韓国短編選 (上・下)』、三枝壽勝 他訳
2002.4.26、ISBN4-00-022722-X C0097 (上巻)、¥2000+税
2002.4.26、ISBN4-00-022723-8 C0097 (下巻)、¥2000+税
http://www.iwanami.co.jp/ の 「今月の新刊一覧」に、とてもラフな紹介がある。
これを前後して、僕自身は (朝鮮語と関係のない)サラリーマン生活がはじまった。9時間拘束、立ちっぱなしの講師役で、初日は疲れはて、幸い翌日からは3連休。ところが、子どものアトピーが再発してひどく悪化し、おまけにノドが腫れているというので皮膚科と小児科をハシゴする。医者に覚えてもらえる患者であることは、よいことなのか悪いことなのか。翻訳集のなりゆきがショックだった(?)のか、僕自身も微熱。それをおして連休の子どもの買物につきあったりして、連休明けは悲惨なことになりそうだ。

僕が担当する いくつかの Webページの更新が とどこおっている。関係各方にお詫び。「あいつ、いつ俺のところ 修正してくれるんだ」と思っていらっしゃる方、しばらく お時間くださいな。


(20020424-1) 警察の留置場、弁護士センター

記録を見ると、もう5年になる。弁護士会の当番弁護士センターに通訳人の登録をして、ときどき呼出しがくるようになった。過去2年の間にやや頻度が落ちたのは、この仕事には憂鬱な面が多いので、僕も避ける傾向にあったことと、本職のソフト屋の仕事に午後から拘束されることが多かったせいもある。
それでも、数えてみると 計33回、留置場の 「接見」に行っている。

警察が誰かしら 「被疑者」を捕まえると、取り調べをする。48時間以内だったかに、被疑者は検察に送られる (送検)。それから1日だったかの間に、検察は裁判所に対して 「拘留請求」をする。この請求はまず 10日間。ここから取り調べは本格化し、1晩、2晩ではすまなくなるので、裁判官は被疑者を呼び出して 「拘留審問 (だったか訊問だったか)」をする。この段階で、犯罪の 「疑い」があれば、裁判官は 「拘留」の許可を出す。その際、裁判官は被疑者に問う: あなたは弁護士と相談したいか。被疑者が Yesと答えると、弁護士会のセンターに連絡が来る。センターでは 「当番弁護士」を呼び出し、被疑者が外国人であれば、そこに通訳がつく。被疑者は拘留審問のあと護送車で警察署内の留置場に戻ってくるので、弁護士と通訳はその署のロビーで待ちあわせる。裁判所は地裁、つまり都内には1ヶ所しかなく、警察の留置場は都内全域にあるので、護送車はバスのように都内を回る。数分で終わる拘留審問のために1日かけて運び、留置場に戻るのは夜になる。それから飯を食わせるぞ、風呂に入らせるぞと、1時間も待たされることがある。

警察官が 「人並みに」 敬語を使うということを知ったのは、驚きだった。彼らは、弁護士に対しては、とても礼儀正しい。聞けば、弁護士とは裁判官・検察官と同格なので、階級社会である警察署では当然敬語を使ってもらえる地位なのだった。
弁護士の 「特権」もある。弁護士が留置場に行くと、土日祝日も関係なく、昼でも夜でも被疑者に会える。これを 「接見」という。これに対して一般人は平日の午後4時までだったかに 「面会」できるだけだ。しかも、一般人は 「15分」だけ。弁護士の接見は無制限だ。さらに、被疑者 (の罪名)によって 「接見禁止」になることがあるが、それも弁護士だけはフリーパスになる。

さて。
今日も、昼すぎにセンターから電話が来た。弁護士と待ちあわせは7時。留置場に行くと、だ風呂だで、8時すぎまで待たされた。ひまな時間、弁護士と雑談といっても、やはり過去に経験した外国人事件の話になる。

おおよそ9割以上が、ノー・ビザないしオーバーステイ。最近は警察がある種の基準を用意しているようで、オーバーステイ2年?未満で余罪なしの場合は入管に早送り、もう刑事立件はしないらしい。逆に2年(?)を越えていると、余罪がなくても刑法犯として立件する。「余罪」のない場合、あとは自動的で、拘留 10日でさっさと起訴、起訴時点で 「拘留」は 「拘置」になり、公判までの期限は2ヶ月なので その期間内に裁判がはじまり、裁判は1時間で判決が出て、初犯ではまず執行猶予、保釈と同時に入管が待ちかまえていて、入管に収容される。
オーバーステイで捕まった当人たちは、たいてい心理的に不安定な状態にある。日本の刑事訴訟手続きを承知している人はまずいないし、弁護士を警戒する人もいる。接見の最初は、必ず 「私はあなたの側に立つ人だ」という説明、それから、最長 20日の拘留、起訴、裁判、入管送りと強制退去 ・・・ といった近未来予測の説明になる。

とても健康的でかわいい女性、土方仕事をしていたが、韓国には子どもが待っているという。いつか捕まるかもしれないという不安は、誰もが持っている。捕まって、ああ、これで帰れるんだという安心感も、多くは共通している。韓国エステの手入れで捕まったおねえさんもそうだった。

ハンドバッグ縫製工場の従業員が、手入れか、公園か、無銭飲食かで捕まった例に数回 出会った。1例はその工場主自身だった。仕事の後始末、未回収金を誰が回収してくれるか、未払いの賃金を工場主から取ってきてもらいたい。記憶をたどって思い出す電話番号、半数は通じない。通じても、「俺らもみんなノー・ビザなんだ。警察に行くわけにはいかん」と言われては、どうしようもない。未払いの賃金を取りに行って経営者と乱闘になり通報されたケースでは、4回だったか接見に行った。学生ビザが出る直前に、勤め先の新聞販売店から 「横領」でつきだされた例もある。集金がうまくいかず、引き延ばしているうちにそうなったと。これは朝日新聞。

これで 「憂鬱」にならなかったら、おかしいでしょう?
でも、僕は、警察側、検察側 取り調べの通訳はやりたくない。そんなことに手を貸す気はない。法廷 (公判での) 通訳も、今もやりたいと思わない − たとえば、微罪+オーバーステイの青年、裁判は開廷から判決まで 45分、傍聴席には若い女が一人だけ。裁判官、判決の後 「このあと、あなたは入管に収容され強制送還になると思われます」と説明してくれる; これを、法廷通訳人は通訳しなければならない。「それを俺の口から通訳するのか」、それはいやだと、思ってしまう。たった一人だけの傍聴者が、仮に妊娠している可能性に思いが至るとき、これは俺にはできないと思う。退屈で自動的に進む法廷、そこに朗々と響くのはプライド高い、髪の長い女の通訳の声だけという あの体験で、僕は法廷通訳への登録をやめた。

しかし、警察/検察での取り調べ通訳については、2つの面がある。
この立場の通訳には、2つの類型がある。1つは、警察官/検察官以上に、勝手なオドシをするタイプ。これは事実上やくざだ。もう1つは、朝鮮語/韓国語(に限らないが)の研究者で、大学教官への就職予備軍。彼ら(彼女ら)の中には、収入源と割り切ってこの通訳をする人がいる。僕の同窓生にも、いる(いた)。
この2つの類型を比べるなら、後者がはるかに 「良心的」ではある。彼ら自身にとっても、「生きた」言語体験の絶好の場でもある。
その意味であれば、僕は彼らがそれをやるのを否定しない。僕自身、頻度的にも報酬面でも より 「まし」かもしれないそれに、誘惑を感じないわけではない。

しかし。
刑事事件では、通訳も最終的には 「どちらかの立場」に属する。警察/検察側の通訳を、弁護側が忌避・排除するのは当然である。僕は、弁護側の通訳なら、事情の許す限りつきあうつもり。従って、警察/検察での通訳は、できない、または拒否し続ける。
これが 形式上 「中立」なのは、裁判所に登録する 「法廷通訳」だ。しかし、あの 「強制退去、傍聴席にはただ一人 若い女、唯一朗々と響く通訳の声」のシーンが記憶にある限り、僕は裁判所の通訳 (法廷通訳)は、まだ いやだと感じ続けている。


(20020420-1) 手の込んだ、間抜けなウィルス

なかなか手の込んだウィルス (らしい) ものが、メールで届いた。以下、発信元とタイトル、それに 「本文」の全文をご紹介申し上げますです:
発信元: as1203 <as1203@hanmir.com>
タイトル: Worm Klez.E immunity
本文の全文:
Klez.E is the most common world-wide spreading worm.It's very dangerous by corrupting your files.
Because of its very smart stealth and anti-anti-virus technic,most common AV software can't detect or clean it.
We developed this free immunity tool to defeat the malicious virus.
You only need to run this tool once,and then Klez will never come into your PC.
NOTE: Because this tool acts as a fake Klez to fool the real worm,some AV monitor maybe cry when you run it.
If so,Ignore the warning,and select 'continue'.
If you have any question,please mail to me.
このメールは OutLook型 HTMLのようで、その「ソース」を見ると、本文の後に延々とプログラム・コードらしいものが続いている。これが、おそらく 「手の込んだ、間抜けなウィルス」で、メール総量は 128KBもある。
上の本文を、要約しよう:
Kという名前のウィルスは悪質で、ウィルス検出ソフトに対する回避能力を持っている。
私どもは、このおそるべきウィルスを逃れるための無料ソフトを開発した。
同封のソフトを実行すれば、それだけでウィルス K は避けられる。
注意: このソフト自身はウィルス K 「もどき」なので、ウィルス検出ソフトは騒ぐかもしれない。
警告が出たらあわてず騒がず 'continue' しなさい。
質問のある方は mail to me へ。
あのね、K がウィルス検出ソフトをすりぬけるなら、K 「もどき」も同様にすりぬける べきじゃないの? 間抜けな 「一言余計」だ。
英文そのものは、おそらく英語圏の非ネイティブ英語スピーカー、しかし英文自身は一見自然なので、現地経験が長いと見る (原文 下から2行め、ignore が Ignore と大文字になっているところ、完全なネイティブなら小文字のままか、単語全体を大文字にするか、別の強調をするだろう。NOTE は大文字になっているあたり、英文マニュアル経験あり。"maybe cry" は ネイティブのプロなら "may cry" と書くのじゃないか。この他、ピリオド . とカンマ , の後に空白が入っていない点、プロによる英文文書ではない)。
だいたい、本当にそういうソフトなら、公開サイトで配布すればよい。見知らぬ不特定多数のメール・アドレスのリストを作って それぞれに送りつけるところが、ウィルスのウィルスらしい (しかし最近のウィルスらしくない)幼稚なやり方だ。

さて、これを www.hotmail.com に転送してみた。困ったことに、hotmail ご用達 McAfeeは、ウィルス検出してくれない; というより、本文に添付されている、あやしいプログラム・コードを認識していない。理由は3種類考えられる:
(1) まだこのウィルスが認知されていない。これなら、McAfee/hotmail の対応遅れ。
(2) 発信元から発信される時点で、「添付」の手順 (文法)が誤っていて、受信側では中身が認識されない。これなら、ウィルス作成者の間抜け。
(3) 僕から hotmailへの転送時に、ウィルス本体が脱落した (いや、128KB 送信に充分な時間はかかったと思う。送信済みファイルの 「ソース」を見ても、ウィルス部は含まれている)。
いずれにしても、Worm Klez.E immunity というタイトルのメールを 開いてはいけません。特に、パソコン買ったままの状態で、OutLook (Express) をそのまま使っていて、しかも 受信メール一覧の下に 「プレビュー」が見えている人: 「プレビュー」とは 既にそのメールを 「開いた」のと同じなので、とても危ないです。
ウィルスさん、間抜けで実際には動作しないこと (上の (2) のケースであること)を、祈りたい。

僕自身は、Netscapeのおまけについてくるメール・ソフトを使っている。幸か不幸か、Netscapeのメーラーをねらってくるウィルスは、まだ ない。今までのところ、僕は平気で開いて、そのソースをみて 「あらら ウィルスね」が続いているが、でもそのうち、Netscapeでも 「開いた瞬間から感染」するケースが出て来る可能性も、ないではないなあ ・・・ はは。
追記/思い出したこと:
そういえば、僕自身のプロバイダ AT&Tでも、4月15日から、会員あて/会員発メールのウィルス・チェックをはじめた。もし、このプロバイダを経由して送受信されるメールに既知のウィルスが含まれていれば、ウィルス削除して復旧、復旧できなければ削除した上でその旨を通知してくることになっている。その通知は来ていない。
従って、もしこれがウィルスであれば、AT&Tにも未知のウィルス、hotmailでも同様に未知。ただし、hotmailがこの 「添付」自体を認識していないところから、これはどうもウィルス作者自身の 「間抜け」である可能性が高いような気がする。

(20020419-1) 誕生日

僕の部屋にはホワイトボードが掲げてあって、僕自身、妻、子(上の子)の近未来の予定が書いてある。例えば、僕のパスポートはいつまで、彼らのはいつまで、車の運転免許の更新時期、アパートの契約更新時期、次の車検はいつ ・・・ といった項目が。
ホワイトボード自体も古いし、部屋のホコリとタバコの煙を吸って、古い部分は黄色ないし褐色になっている。
7才=2年生が言った: 「ねえ、これ、いつから書いてあるの?」
うーむ、おまえちゃん、生まれる前からだから、10年くらい前だな。

10年前、僕は今より正確に 10年若かったな ・・・ あたりまえ。そもそも、かあちゃんと結婚する目的でこのアパートに引っ越したのだから、正確には 1993年、しかし僕は誕生日前だから 40前だ。しかし/ただし、39才の誕生日とは 「40年めの人生の初日」のことである。
この関係は、7才も理解している。私は7年めの人生を歩いていると彼女が言うと、僕は 「8年めだろ」と注記する。7才、一瞬考えてから うなづく。7才0ヶ月は8年めの1ヵ月め、7才1ヵ月は8年めの2ヶ月めである。7才の知能で、それは理解できることなのだ。

僕は、10分ほど前に 「49回めの誕生日」を迎えた。50年めの人生の初日である。悲しいな。でも、上の子は昨日、僕の誕生日のためにチョコレートを買ってくれた。下の子は0才なので、知らない。それらの母親は、子育てで それどこじゃない。はは。

僕の生まれは4月19日。それで何か思いつく人は 朝鮮近代/現代史に、強い関心のある人だ。上の子は、なんと3月1日。これも、朝鮮/韓国の歴史上の日付に敏感な人にはすぐわかる、おそるべき偶然だった。下の子は0才、この子が、あるいは8月15日に生まれる可能性があったが、幸か不幸か 16日だった。

まあ、どーでもいいですけどね。


(20020417-1) 「年寄りモデル」の携帯を買った

来週後半から、新人サラリーマンたち相手の 「講師」をやるので、「講師」もサラリーマンなみの拘束時間になる。やや不安なのは自宅の事情で、ともすると 「熱を出す」 上の子がパニックの引き金になりかねない。また携帯電話、考える必要が出ていた。

数日パンフをながめて当たりをつけてから、店に行ってみた。見当をつけてはいたが、だいたい予想した範囲。「しゃれた機能はいらない、電話とメールだけ」 の (余計なもののない、やさしい)「年寄りモデル」 はないかと言ったら、お兄さん、「あ、年寄りモデルは、それ」 と来た。あはは、なるほど。しかしそれでも、わからん機械だねえ。メニューの立て方が、悪い。すべての機能がツリー状に分岐していればよさそうなものだが、実際のメニューは 「やさしいメニュー」、「複雑なメニュー」の別立てで、その 「やさしい」方からしか到達できないものと、両方から到達できるものがある。ビデオのリモコンでも、Windowsの設定操作でも同じだが、概念の切り分けとそれへの到達経路がすっきりしない。Windowsのように、ある機能に到達するのに複数の経路があるかと思えば、ビデオのように 「あるボタン」1つしか なかったりする。何をもって 「やさしい」と考えるのか、「形容詞」では難しいから 「飾り言葉」と言い換えよう、と来た かつての学校文法を思い出してしまった。「理解できるかどうかは、概念を理解するかどうかなんです」と、かつて言語学の教官の言葉を思い出す。機能が多くて複雑であればあるほど、「意味はわからなくてもよい、やさしいボタン」が、実は あってはならない。必要なのは、概念の的確な説明だ。それさえわかれば、ビデオの録画予約も6才、1年生で できるのだから。最近のパソコンのキーボードにも、実にたくさんの 「余計な」ボタンがついている。

ともあれ、通話、発信者番号の通知設定まですませた。i-Modeの設定ができない。あらあら、契約翌日の朝9時以後か。早めにすませないと大量のジャンク・メールが届くというのだから、困ったわね。

いつもはうたた寝している時間に携帯のマニュアル読んでいたら、冗談でなく本当にめまいがする。こりゃ、本当に 「老人モデル」買ってよかったぞ。これでフル機能 10冊もマニュアルがついてたら、冗談じゃないわ。TCP/IP上の i-Modeを 「やさしく」説明してくれるマニュアルだけは、読みたくない。

ところで、僕あてのメールをこの携帯に転送すると、ほとんど読めないことがわかっている。さらに、韓国発のハングルのメールは、その上に文字化けするだろう。「老人モデル」なので Jpeg画像のハングルも読めない。さて、「転送」をどうしようかと考えているところ。みなさん、どうしてらっしゃるのだろう?


(20020415-1) 首都高

友人が東京出張で、日曜に一泊した後は1日ヒマだという。僕の近況、彼の状況など、久しぶりに会ってみたい。学生だったころは、そういう友人に会うと、ホテルのロビーで何時間も話をしたものだっけ。
今度は、僕は 「新車」を買ったが、この2ヶ月でその必要が希薄になっていた。まだ 「慣らし運転」もすんでいないし、都内を暴走?することにした。

この車では初めての首都高。午前、いやはや、4Kmを1時間かかる渋滞で、彼を 40分も待たせてしまった。以後、都内見物を兼ねて、自宅まで首都高をぐるぐると。帰ると、上の子も帰ってきたので、こいつも乗せて夕方には羽田空港へ。羽田への接近・離脱の環境が 香港、ロサンジェルス、ソウルかシンガポールみたいになっているのにおどろいた。

その都内 「暴走」の間に彼と交わした会話は、韓国の現代の小説、月末に出る翻訳集の作品のこと、訳者のこと、研究者たちのゴシップ、古日本語の8母音の話、日本語のアクセント論と関西と関東の混交またはアクセント系の崩壊など、まあ、「言語・文学」系の話題が多い。そこに7才が割り込んできて、まあ楽しい一日ではあった。

彼は言う。車は他人の運転で乗るに限ると。
彼自身、関西から東京まで自分で運転して、ツマ子をディズニーランドに運んだことがある。東名から首都高に入る経路の狭さが怖かったという。まあ、それは僕も怖かった。が、今では僕がその 「現地」在住で、この地方の道路事情に慣れている以上、僕が運転してまわるしかないのだな。

彼は、ミッキー・マウスの JALで帰った。その写真が、当日夜の間にメールで届いた。迅速。40代に入ったばかりの元気な研究者。50前の僕は、はは、こんな感想文なんか書いている。


(20020413-1) TVのある部屋で、小鳥と子どもを飼ってはいけない

去年、20年以上前の恩師に呼ばれて、そのお宅のパソコンのセット・アップにおつきあいした。そのとき、タバコを吸いにベランダに出たら、小鳥がカゴにいた。
水野: ふうん、小鳥さん、ベランダでよかったですね、TVのある部屋に置くと死んじゃうから。
恩師: あ、やっぱり TVと関係があるの?
水野: 小鳥は、人間の大人に聞こえない 15KHzくらいの騒音で、心身不協和を起こして死んじゃうんです。
恩師: ふうむ、しばらく様子がよくないのでベランダに出しておいたのだが、
TVの 「音」とは別に、ブラウン管そのものから出る発振音がある。伝統的な TVの走査線は 515本、この倍数で 5K、10K、15KHzの 「音ではない」が 「耳に聞こえる」振動がある。音楽の調音の基準が 440Hz A音で、1オクターブ上がるごとに倍々になってゆくのはご存知の通り。3オクターブ高いところは 3520Hz、その上は 7040Hz。ジェット/ターボの 「キーン」音が最後に聞こえなくなるのは、音が消えるからではなく、人の耳というセンサーの感度の限界を越えるからであって、「オト」そのものが消えるのではない。聞こえなくなっても、「オト」は続いている。本当に消えてしまえば、飛行機は落ちる。「聞こえない」ことと 「オトが消える」こととは、別である。

聞こえなくなる限界は、人による。音楽 CDの上限が 20KHzになっているのは、それが 「どんなに耳のよい人でも、もう聞こえない」周波数だからだ。普通、難聴のない大人で、15KHzは聞こえない。一方、TVのブラウン管は、たとえスピーカーの音を消しても 15KHzの発振音を出している。この 「音」は、小学生か中学生?のころまで、僕にも聞こえた。大人になっても、「隣の部屋で TVがついている」ことが 「気配」でわかるのは、スピーカーの音ではない、ブラウン管の発振音が 「音としては聞こえないまでも、体のどこかで感知している」 からだろう。

一般に、ヒトの幼児は、この 「可聴域」が広い。小学生から中学生くらいの間に、大人と同じくらい狭くなる。言い換えると、「子どもには大人に聞こえない音が聞こえている」。小鳥もそうで、小鳥のさえずりが高音域であることから、これは誰でも想像できる、はず。コウモリとなると極端だが、同じヒトの間でも多少ずつ ずれがある。他のヒトとずれが大きくなると 「難聴」と呼ばれ、またトシをとると 「老人性」難聴になる。

以下、僕自身 (の子ども)の実体験である。
あばあちゃん、子どもを寝かしつけようとしている。子どもを抱っこして、TVを見ている。0才児は ぐずぐず、寝ない。なんだか苦しそう。
僕が気がついて、TVを消してみた。子ども、すうっと表情が変化し、安らかになる。眠りそう。おばあちゃん、また TVをつけようとする。僕が止める。あばあちゃん、不満、子どもは寝ようとしている、このまま寝るだろう、わたしは TVでも見たい、何が悪いのかわからない、止める僕を無視して、TVをつける。子供、またぐずぐず、苦しそうな表情に。僕が TVを消す。子ども、再度安らか。おばあちゃん、安心して、また TVをつける。僕が怒る。しかし おばあちゃん、理解できない。TVのオトがうるさいなら、音を小さくすればよい、こんなに小さな音にしてるのに、僕が怒る理由がわからない。おばあちゃん自身、不機嫌になる。スピーカーのオト消してもだめよ、ブラウン管からオトが出ているので、消すしかない。その場は子ども寝て、おばあちゃん去ったからすんだが、おばあちゃんは理解していない。
これは 10年ほど前に離婚した前の妻の、母親である。その時 部屋にあった TVは、古い、画面が丸い伝統的なブラウン管だったが、もうリモコンがついていた。しかし、現実として聞こえもしない 「オト」が赤ん坊を苦しめているなどとは、おばあちゃんには想像もつかないことなのだ。自分に聞こえる 「オト」と、自分以外の人に聞こえる 「オト」が ちがう なんて、常識の範囲を越えている。
おばあちゃん まだ若く、50代。「老人性難聴」の気配はまったくなかった。
この子は、とても敏感だった。あるいは、伝統的な 「丸い」ブラウン管の、15KHz近辺のノイズが高かったのかもしれない。

数年後、(現在の妻から)現在の 「上の子」が生まれた。この子も、寝ずに ぐずぐず することが多かった。TVは、Sonyのトリニトロン管 (円筒形の)になっていた。TVを消す。あんまり変化がない。伝統的な 「丸い」ブラウン管なら、消せば、あれほど ちがいがあったのに。
このちがいの理由は、わからない。子ども自身の可聴域がちがうのか、ブラウン管のノイズ発振(振幅)レベルが低いのか。どちらも考えられる。3才くらいで聴力検査をしたし、難聴のおそれは高くない。だとすると、ブラウン管の特性か。

次、去年 生まれた子、3ヶ月ほど施設に行っていたが、これは当人の理由ではない、家庭の事情だ。この子が、また ぐずる。施設にいる間も、大いに ぐずったそうだ。TVを消してみる。変化は、ほとんどない。一度、精密に観察するつもりで実験してみたが、TVの電源投入、電源断で、わずかに反応がある。が、すぐ原状に復帰する。この子がそうなのか、TVのノイズ・レベルなのか、ぐずりは別の理由だ。

従って、トリニトロン管だと、15KHzあたりのノイズ・レベルが低いのだろうか? まあ、それならそれで、けっこうな話だが。


(20020411-1) 都内に住むのもよしあしだ

東京には 「東京12チャンネル」という TV局がある。「ポケモン」のピカチューもここでやっている。この放送局には、やたらにアニメの新作が出る。去年のクリスマスで、上の子が要求したのは 「パワーパフガールズ Power Puff Girls」 だった。そんなの、駅前のファンシー文具のおばさんも知らなかった。かろうじて、輸入もののアクセサリー屋さんに、数点あった。原作はアメリカ、スーパーマン的な数人の少女が空を飛ぶのかどうか、調べてみようと思っているうちに (視聴率が悪かったのね) 中止になってしまった。
今度は 「七人のナナ」。国産。少女が魔法で7重人格に分裂して、元の1人と残りの6人がいろいろ衝突しつつ、みんなまとめてセーラームーンみたいに変身して悪と戦う?らしい。ったくもう、少女趣味が悪と戦うパターンはいつも同じだ。でも、ともするとロリータ的変態趣味を持ち出すセーラームーンより、ましかもしれない。

DVDのドライブを買ったはいいが、ソフトが 『風と共に去りぬ』 1枚では、ハードウェアの検証には充分でない。それでミニモニの 「ひなまちゅり」を買ってみたのだが、ソフトは貧しかった。しかたがない、ちょっと、上の子をパソコン画面に張りつけておくソフトを買ってみたい。『トトロ』以下の宮崎ものは、どれも高い。『火垂るの墓』は安いのが出ていたが、話が暗いし どうしようかと迷っているうちに売りきれていた。で、要求は 「七人のナナ」。調べてみると、おいおい、5200円だって?!
高すぎるぜ。それも1回限りの販売で、売れれば続きが延々と出るのかな。売れなければ、どうせ中断するに決まってる。

でも、いいや。ここ3ヶ月のデジカメ画像の印字で、インク・カートリッジを発注する必要がある。カートリッジは 4000円未満、これに同居させてしまえば 1万円未満ですむ。これなら、かあちゃんの節約闘争の隘路でごまかせるぞ。で、注文した。

でもね、おまえちゃん、こんなマイナーなアニメばっかり追っていると、大きくなってから友達と共有できないぜ。現在の 40代、「ひょっこりひょうたん島」ならほぼ全員が共有できる。50前後なら 「ちろりん村とくるみの木」が共有できる。「鉄腕アトム」も、「8(エイト)マン」も、「スーパージェッター」(流星号、応答せよ)も、まあ共有可能な範囲だろう。でも 「遊星少年パピー」、「マッハ GO GO GO」となると、きわめて懐疑的。東京では放映されても、全国化していない。僕自身 田舎で育ったので、東京出身者の子ども時代のそれは、知らないものが多い。現代の 「5レンジャー」も、その一種かもしれない。
おまえちゃん、「東京の子」の地を行くつもりかね? 東京に住むのもよしあしだ。

DVDソフトを買うなら、「千と千尋の神隠し」が正解だったかもしれない。ま、そのうちに。


(20020410-1) 文学研究室の LANと Windows 2000、顛末

行ってきた。
Windows 2000上でのユーザ・アカウント問題は、既に事実上 解決されていた。幸い、既存の Win 98たちの 「ユーザ名」はすべて同じで、サーバになる 2000側では、そのユーザは Power Userになっていた。この際、「セキュリティなし、Windows 98時代と同様に」 Adminグループへの所属まで付けただけ。

僕自身、わけがわからないので苦労してきた (動かなかった) 「Windows 2000上のプリンタ共有」も、不思議なことに問題なく動いた。ま、「動けばいいや」が世の常識で、それ以上 拘泥することもない。

この他に、ウィルス検出・予防・駆除ソフトである McAfeeが、「インストールできない」という問題を起こしていた。販売元のサポート電話が混雑していて、30分ほど待ち続け、ついにサポート担当者と話をした。30分も 「スピーカー」モードで電話をつなげっぱなしにするところが 「プロ」だなと、変なほめかたをされてしまった。
まじめな話、ウィルス駆除ソフトの McAfeeの、「いま現在」 市場に出ているバージョンは、ある状況ではインストールできない。これは、McAfeeが MicroSoftと近いがゆえに使っていると思われる機能の一部が、最近の MicroSoftの 「セキュリティ」対策の中で排除されたしまったことに理由があるそうだ − つまり、「ウィルス駆除」ソフトは 「ウィルスそのものに限りなく近い」ソフトウェアなので、MicroSoft側の最新のセキュリティ対策の中で、McAfeeのインストールそのものが排除されてしまったのだと、サポートのお兄さんは言う。販売元のホームページに、その、さらに対策がある。電話しているその場でそれを呼び出し、この問題は解決。もっとも、「ウィルスに限りなく近い」 「ウィルス対策ソフト」のインストール後、Windows 自体の 「再起動」ができなかった; 画面が真っ暗なまま 数分も待つ不安を想像されたい。幸い、強制的な電源 off/on の後、正常に動き出した。しかしまあ、こんなソフト、好きじゃないね。

もう一度整理すると、
(1) ウィルス駆除ソフトである McAfeeの現在市場版は、
(2) Windows Update で最新版に更新ずみの Windows上では、
(3) インストールができない。原因は、McAfee自身の機能が 最新の 「セキュリティ」対策で排除されるから。
(4) 故に、McAfeeの販売元は、そのホームページでそのまた対策を配布している。この対策を施すと、インストールはできる。
(5) ただし、その直後、マシンは再起動できなかった。
なんだか、バカみたい。もちろん 「プロ」としては、(5) の後に 強制的な電源 off/on、それに続いて ScanDisk つまりディスクの健康チェックをしていることは言うまでもない。「ばかばかしさ」は、しかしどうにもならない。ご参考までに、MicroSoftが運営する無料 Webメール・サービス http://www.hotmail.comでは、受信済みメールのウィルス・スキャンを McAfeeがやっている。

もう一点、2台の IBMのノート型で、機械によって、モデムの電気的な特性が異なるケースに出会った。ある機械では、うまくつながる。ある機械では、電話そのものはつながるが 「いざデータ交換」で こける。
動きを観察していると、ISDN交換網の末端で再度アナログ電話線を構内に展開する場合の、電圧または信号レベルに問題があるようだった。その最末端で電話、FAX、モデムが共存すると、電圧降下でまずモデムがこける。IBMブランドのノート型では、あるモデルはかろうじて通信可能、あるモデルは 「ごくまれに通信可能」という状況。ISDN TAで、アナログ側に供給する電圧レベルが手抜きというのは、ISDN登場初期に出た問題だった。都心から郊外に移転した大学構内で、同じ問題が起こっているように見える。


(20020409-1) Windows 2000と 室内 LAN、または 「ユーザ」という概念

また大学教官の話だが、研究室にある数台のパソコンには各国語版の Windowsが乗せてある。そのうち1台が、Windows 2000にさしかえられた。それから問題; 室内にある Windows 98たちから、この機械のファイルが見えない; メールも動いたり動かなかったりする。Windows 2000のインストール自体は、猛者、つまりパソコンに恐怖感を持たない 元気な同僚がやって行ったらしいが、こんなに 「不安定」なんじゃ Windows 2000自体が信用できない、どうしよう、という状態にまでなった。

幸い、仕事先からは自宅勤務の許可をもらったし、久しぶりに研究室の様子を見てこようかと、段取りをした。その間にも、「こう動かない、どう動かない」というレポートが入って来たのは幸いだった。これは、救急車の中から刻々と患者の様子が伝えられてくるのを聞いて、医者が診断に見当をつけるのに似ている、と思った。だいたい見当がつく点こそ、彼らにとって僕の利用価値ではないか。事実、思いついた点がある。まず、それだろう。

Windows 2000は、XPより 「古い」のではない。XPは 2000の格下げ版であり、ただし ちょっとしゃれたソフトがおまけに付いている、というだけだ。
XPが 2000より 「格下」であるのは、そのユーザ管理にある。XPでは、ユーザ資格が 「管理者」と 「その他」しかない (のだそうだ)。それに対して 2000では、きわめて厳格なユーザ管理が行なわれる。つまり、ログオンするときの名前1つで、Windows 2000はまったく異なるふるまいをする。それは XPでも同じはずなのだが、2000では 「管理者」が、個々のユーザのすべてにわたって、全項目を手操作で 「設定」する必要がある。つまり、Windows 2000は 「腐っても完全なマルチ・ユーザ」システムなのだ。

通常、「Windows 2000 インストール済み」機では、機械は、ユーザ名もパスワードも入力することなく立ち上がるように設定される(最初の電源投入後、わざわざ設定してもよいが)。このときの ユーザは Administrator または それに属す特権ユーザになる。最初の電源投入時に、少なくとも、ユーザの名前 (「わたし」の名前)を聞かれるだろう。たいていそれが、特権ユーザ名になる。所属は当然ながら Administratorで、そうしておかないと、新しいハードウェア (例えば高速 USB、DVD、デジカメなど)を買ったとき、それに付属するソフトをインストールできないハメになるから。

パソコン単体の Win 2000なら、それだけで問題はない。が、同じ環境 (同じ部屋、1本の電線で LANにつながっている環境)に他の機械があり、既存の Windows同士の間ではファイル交換 (共有)をしていた場合、そこに Windows 2000の厳格なユーザ管理が介在してくる。
いま、仮に僕の部屋に Windows 98が3台あると仮定しよう。すべての Windows 98は、パスワードなしで立ちがり、次のような 「ユーザ名」を持っていると仮定する:
1台目のユーザ名:Ken Mizuno
2台目のユーザ名:Mizuno
3台目のユーザ名:Mizno
この 正確な 「ユーザ」名を覚えている人は、めったにいない。そんなものは、Windows 98までなら、まったく問題にならなかったから。ご参考までに、この「ユーザ名」は、「マイコンピュータ」の 「プロパティ」に出る。

さて、その中に、Windows 2000が参加した。当然、既存の機械たちとファイル共有を考える。ところで、2000をインストールしたとき、「私」の名前を
4台目のユーザ名:水野 健
と入力したとする。このユーザは、常識的には Adminに属する。

さてさて、インストールされ立ち上がった Windows 2000は、他の3台の Windows 98たちを認識する。2000側のユーザ名が何であれ、2000から 98上の共有ファイルを見ることはできる。Win 98は、「見ている人」のユーザ名なんか関知していないから。
ところが、既存の Win 98から 2000のファイルを見ようとすると、見えない。パスワードを要求されるならまだしも、「共有」にしたはずのものが、まったく見えないのだ。

理由は、こうだ: インストール直後の Win 2000は、ユーザ名として 「水野 健」と 「Administrator」、それに 「Guest] の3人しか知らない。「知らないユーザ」に、Windows 2000がそのファイルを見せることはない。

その先は、概念としては汎用コンピュータや、unixのユーザ管理と同じだ。ただし、Windows NT/2000のユーザ管理は、GUIベースでありながら・おそろしくわかりにくい。「コントロール・パネル」の 「ユーザ−とパスワード」。その先の 「高度なユーザ管理」の 「詳細」と来ると、普通の人はお手上げになる。これは、ユーザの責任ではない。

お手上げになっても、適切な指示があれば、上の例では Ken Mizuno、Mizuno、Miznoという 「3人のユーザ」を作成し、それに適切な (面倒であれば Adminの)資格を与えてやれば、2000はそれを認識する。Mizunoからのアクセスには読み書きを許すが、Ken Mizunoからのアクセスには 「見せるだけ」という設定もできる。「完全なユーザ管理」とは、個々のユーザに対して こういう細かな 「資格/権限」設定ができるかどうかに、ある。
ただ、すべてのパソコン・ユーザに 「それをやれ」とは要求できない。だから 2000は当初から 「企業向け」という但し書きがついた。XPはそれを大幅に手抜き、または格下げをした。

知人であり友人であるこの大学教官は、修士論文は量子力学、さらに朝鮮近代文学に転向したという経歴の持ち主なので、それを理解できる素地はある。が、もう 40年近い昔の話だから、マルチユーザ環境での 「ユーザ管理」はご存知ない。若くて元気な同僚は、「コンピュータ」=「パソコン」と思っている人で、失礼ながら 「パソコン上に同時に存在する、複数の異なるユーザ」という概念自体を理解できるかどうか。今、「猛烈に勉強中」だそうだが、「コンピュータ」=「パソコン」の感覚である限り、「同じコンピュータ内に存在する複数のユーザ」という概念を理解するには、時間がかかる。何と言っても、量子力学で修論を書いた人以外、周囲はみんな朝鮮の言語・歴史・社会学といった 「純然たる人文」系なのだ。


(20020408-1) 近況 − 翻訳集 「再校」 / ひなまちゅり / 小学校の外国人比率

「最終だ、最終だ」と言いつつ、韓国現代短編集の 「再校」がまだ続いている。今度こそ 「最終」にしたいね。このまま、印刷所に行ってくださいな。「最終」校正の3ヶ所、電話で終えた。

週末に子供をつれて本屋さんに行ったら、「本」ではない DVDの買物になった。「ミニモニ」の 「ひなまちゅり」。お値段 2000円未満なのだが、かけてみると なるほど、2000円未満の内容だわねえ。上の子は2年生。クラス替えなし、同じ担任、ただし校長と教頭が異動した。女の校長+男の教頭というパターンで、この地方では定型になっているのかと思った。

この地方での、小学校の外国人比率に驚いている。上の子の隣の席は、中国の男の子だ。「学童保育」には 同じクラスの韓国の女の子がいて、さらに1年生にまた韓国人が現われ、その子の入学式に 「2年生」は歓迎に立っている。
この環境に限れば、小学校の外国人比率は、アメリカ全体での 白人:黒人の比率を越えるかもしれない。ただし、アメリカ下町のある地域での 「白人:非白人」比率には届かないかもしれない。

久しぶりに仕事は 「自宅勤務」になった。家庭の事情を知っている仕事先からの、好意でもある。あと2週間は基本的に自宅。その後には、まったく別の新人研修の講師に出る。


(20020407-1) 「アレア」ハングルの 「堕落」 (2)

インストール・ソフトの最初から文字化けするので、「可能性が高い」と期待しつつ 「Windows 2000上で ハングルだけのユーザ」を作成し (その上に 「アレア」をインストールしてみようとし)た。
そこで、気がついた − なんとまあ、バカな期待をしたものかと。

途中を省いて、結論を先に。日本で売っている Windows 2000で、純然たる韓国版 Windows用のソフト (のインストール・ソフト)は、文字化けし、これを回避する手段はない

僕が、漠然とした、しかしどれほどバカな期待をしたか 白状しておこう − 言語系が ハングル 「だけ」のユーザ (つまり、入力も出力も 「韓国語」に設定したユーザ)を作れば、まるで韓国内で売っている Windowsと同じように、ハングルのアイコンが現われる ・・・ ことを、暗に期待していた。なんと愚かな期待だったろう。考えてみれば、日本語ベースの Windowsでハングルが読み書きできるからといって、だからといって、言語系がパタンと変われば Windows基本ツールの名前やそのアイコンが ハングルに変化するわけが、なかったのだ。

もちろん、部分的には、これは変化する。言語系の設定 (入力ロケ−ルの設定など)では、その場でダイアログがハングルに変化する。以後それは保存される。が、それは言語系ダイアログの中だけの話であって、Windowsのデスクトップにある 「マイコンピュータ」だの 「ごみ箱」だのといったアイコンやその名前までハングルになるわけではない。つまり、日本版 Windows自身の基本は (Windowsのファイル名や アイコン上の名前などを含めて)あくまで日本語コードであり、それを基本的に特定のフォントで表示するので、たとえ、あるユーザのロケ−ルが完全に 「韓国語」であっても、日本版 Windowsの日本語表示が文字化けすることはない。裏返すと、たとえ あるユーザのロケ−ルが完全に 「韓国語」であっても、個々のソフトが 「多国語対応」しない限り そのソフトではハングルの入出力はできない (文字化けする)。

韓国の国内向けに出荷された、アプリ用、Windowsへの 「インストールソフト」は、(たとえ 「インストールされる」ソフト本体が多国語対応であろうがなかろうが)「多言語」 非 「対応」なのだ。CD-ROMから自動的に起動されるとき、眼前のユーザ最前線の言語環境を調べることなく、それが 「ハングルの」Windowsであることを期待している。表示されるのはハングルの文字コードそのもので、それをハングルであると (OSに対して)明示しないので、日本版 Windowsは (ユーザ・ロケ−ルが 「韓国語」であろうがなかろうが) 日本語のコードと理解して、結果として文字化けする。
いや、より正確には、「インストール・ソフト」自身が 「多言語対応」していれば、「眼前のユーザ最前線の言語環境」を調べる必要さえなく、みずから正しい文字を表示すればよいことなのだ。
よって、「日本で売っている Windows 2000で、純然たる韓国版 Windows用のソフト (のインストール・ソフト)は、文字化けし、これを回避する手段はない」。

思い出したものが、ある。
System 7 当時の Mac OS。Mac OSとは、正確には System 8 以降の用語だが。
あの時代の Mac OSでは、OS内部の 「システム」と、OSの上で走る 「アプリケーション」の両者について、デフォルト言語系を決めることができた。このそれぞれの言語系を随時 切り換えるフリー・ソフト (名前は Script Changerだったか Script Switcherだったか、自信はない。Scriptとは、この場合 Mac用語で言語系を指す) があったので、今回の Windows インストール・ソフトのような文字化けは回避できた。

Windowsでは、これができない?
できない。少なくとも、普通のユーザができあいの Windowsツール (コントロール・パネルなど)を使って、OSの 「デフォルト言語系」とその 「フォント」を変更することは、できないようだ (いや、日本語の中で、フォントだけなら変更できるのだが)。

レジストリと称するデータ構造をいじくってやれば、似たようなことはできるだろうと (常識的に)想像するのだが、それは 「普通のユーザ」にできることではなく、僕自身 「普通のユーザ」にすぎない。Windowsの内部を熟知した人が、かつての System 7 のような Script Switcherでも作ってくれればよいのだが − 望みは薄い (薄くなければ、とっくの昔に公開されているだろうから)

まだ残っている調査事項:
(1) Windows 「画面」のプロパティで、「日本語」の 「システム」フォントは選択できる。ただし Macのような 「システム/アプリ」の2階層ではなく、実に仔細な選択項目があるので、はて、普通のソフトの 「インストール」時点でのフォント選択という項目が発見できるかどうか。発見できても、ではその 「フォント」に外国語 Gulim (kul-lim) を指定できるかどうか。指定できても、文字コード系の (ソフト上の)解釈で化けないか; なんだかばかばかしくて、調べる気になれない。
(2) Windows 2000の 「ハングルばっかり」環境は、OSのインストール時点でないとできない (その瞬間であればできる) という可能性がないではない; が、日本で買った Windows 2000パッケージで、Windows自体のインストール時に 「言語系」に 「韓国語」さえ指定すれば、「マイコンピュータ」や 「ごみ箱」というアイコンの名前までハングルになるのかどうか、とっても懐疑的。おひまな方はいませんか? もしもできたら、それは大発見です。
じゃ、どうするの?
(1) N語版 Windows 1つに対して、1台のパソコンを用意する。これですっきり。パソコン同士の間は LANでつなげばよい。
(2) 多少不便だが、「OS切り換え起動」ソフトで、複数版 Windowsの切り換え起動。
(3) 問題のソフトの 「日本版」または対応版を使う。または 「待つ」。
結局、「解決できない」ことがわかっただけ。日本語で、こういうのを 「徒労」という


(20020402-1) 「アレア」ハングルの 「堕落」

まさかと思った。
韓国の有名なワープロ・ソフト (ただし実際には MS-Officeなみの統合パッケージ)「アレア 2002」。Windows 2000の CDに入れたら もちろんインストール・ソフトが自動的に動いたが − おいおい、なんだ、これ: 文字化けしてる。これじゃ、かつてのうぞうむぞうの韓国製ソフトと同じじゃないか。この 「2002」は、1998年以後のいくつかのバージョンを統合し、一部互換性に矛盾の出ていた点をすべて吸収・解決した版だというのが触れこみだった。それが、インストールの一発目から これだ。確かに、パッケージには 「ハングル Windows」用と書いてある。このソフトらしくない表現だと思ったのだが、あららあ、インストール部分をできあいの (ソフト屋むけ)パッケージですませてしまったのねえ。

パソコンが英語しか表示できなかったころ、そのパソコンの画面にハングルを表示し・入力できたのが、「アレア」だった。それ以来、Windowsになっても 「アレア」は、Windows自身が英語であろうが日本語であろうが (中国簡体であろうが繁体であろうが)、完全な動作をしてきた。この会社が一時解散騒ぎを起こしたころ、そこから離脱したグループが作った別の会社のソフトは 「韓国 国内版」と 「日本版」とが別になったが、再建された 「アレア」自身は、あくまで 「英語版 Windowsでも動作する」、従って何語版 Windowsであっても完全な動作をしてきた。それが、2002最新版で裏切られるとは、何てこった。

「アレア」の基本的な構造からいって、このソフトはインストールさえしてしまえば、何語版 Windowsでも、必ず動く。(もし動かなければ、過去の 「アレア」のファイルがまったく読めない/追記修正できないことになる; それはあり得ない)
従って、この 2002版の問題は、インストール・ソフトそのものにある。この (ソフト業界むけ商品である)ソフトには、「多国語」の考慮はない。従って、韓国内に出荷されたそのソフトを使えば、Windows自身が ハングル・ベースでない限り、インストール最初のはじめの画面から文字化けの嵐になる。まさかそんなことはないだろうと思っていたら、裏切られてしまった。
売っている側は、それは各国対応版を出すと言うかもしれないし、あるいは 「各国」版なんか 事実上 営業上の必要がないのかもしれない。しかし、前の版まで、「アレア」のインストール・ソフトは、自前だった。何語の Windowsであれ、正常にインストールできた。営業あるいは財務上の努力なのだろうか、2002版で、その努力を省いた。悲しいな。

今後の対策
Windows 2000では、ユーザのログ・オン設定で、日本で買ったパッケージでも完全な 「ハングルだけ」の環境にできる・のだそうだ。その環境内で、この 「アレア」インストールが正常に出る・可能性がまだ高い。そのためには、Windows 2000に 「ユーザ」を一人追加して、その環境設定をする。これは僕もまだやってない。この 「ユーザ」は、Admin資格にする。で、ないと、他のユーザでログオンしたとき、使えないかもしれない。
ただし、これでだめなら、日本で売っている版の Windows 2000では いずれ だめ。
Windows XPでは、さて、どうでしょう。「多言語」面では 2000から省略された部分があるのだが。
Windows 2000と XPで、既に実験された方がいらっしゃれば、教えてくださると幸い。
これでだめな場合は、販売元が 「日本向け」版を作ってくれるのを待つ。あるいは、当方でも OS切り替えで 純然たる韓国版 Windowsを用意するか、それだけの目的で機械を1台用意する。

なぜ 「アレア」が必要か
前世紀、つまり 20世紀の韓国におけるデータ蓄積の (おそらく) 90%以上、その中でもワープロ/DTPの面を持つデータ・出版物の 95%、さらに大学・大学院の言語文学系の論文では限りなく 100%に近い率で、データは 「アレア」のファイルで保存されている。「言語文学系」がそうである理由は、擬古文、古文字にある。1930年代、ほんの 70年前、20世紀前半の朝鮮語原文にさえ、現代のハングルにはない文字がある。それを使えるのは、歴史の中で (DOS/Windowsでは)唯一 「アレア」だけなのだ。たくさんの 「アレア」亜流が登場しては消えて行った理由も、そこにある。「擬古文、古文字」を放棄したとき、「アレア」の生涯は終わる; ただし、20世紀の間に蓄積された大量の文献はどうなるか。「アレア」は、いつかその生涯を閉じるとき、その責任を取る必要に迫られる。


(20020329-1) 「外国語版」 Windowsたち

東京と奈良に、大学教官の友人・または知人・または先輩がいる。一人は朝鮮近代文学、一人は日本の古典文学。
奇しくも、この二人に 「外国語版」 Windows用のソフトを扱う必要が生じた。東京ではおととし以来、奈良では今年の春。どちらの場合も、韓国製 and/or 中国製のソフトを使う。

この課題は、僕が (分野こそちがうが) 一応 「コンピュータの専門家」なので、見当が付く。

東京の場合、当初 専用ソフトを使って、「複数の Windowsの選択起動」をやってみた。
それ自体は できた。が、予後がよくなかった。何かの拍子に、起動自体ができなくなる。まして Windows 95、98の初期なので、例えば日本版 Windowsが動かなくなると、他の Windowsへの 「選択起動」までおかしくなる。

ネを上げた教官、ついに − 僕というコンサルタントの助言を入れて − Windowsの種類ごとに、1台ずつ機械を用意する結果になった。それが去年の春だったか。彼の場合、日本版、韓国版、中国簡体版、中国繁体版、台湾(繁体)版、結局5台。すべて 「省スペース型」と、日本語版はノート。研究室に5台のモニタを陳列する空間はないので、それは切り替え機で対処する。1台 10万円前後で BTO (まだ存在した 日本Gateway) の 「オフィス型」を2台、「完全な英語版」モデルで購入 (つまり英文キーボードつき)、それを完全フォーマットした上で、中国版の Windowsを乗せて行った。韓国版は中古を1台5万円、同じように作業した。その他は既存の機械ですませる。幸い、既に構内ネットワークが生きているので、この5台の間でのファイル交換には問題がない。そのころには Windows 98SEが出ていたので、一部はそれに差し替えた。
これで、中国製のソフトは中国版で。日本版 Windows上での動作 「不安定」からは解放された。ただし、ソフトそのもののバグはどうしようもないので、それでも落ちることがあるそうだ。しかし少なくとも、それが他の Windowsに影響を与えることはない。

奈良では、今年になって中国の巨大な漢字辞書ソフトを動かしたという。動かした環境は不明だが、彼の 「日記」にも、ソフトが落ちて Windows自体も危険な状態になったという。
そういう話なら、東京と同じことはできないか。と、彼に返事を書こうと思いつつ書けないでいたので、ここで話題にすることにした。

問題は、今では Windowsが 2000 あるいは XP になっていることだ。この場合、XPはあまりアテにできない。考慮するのはむしろ 2000のほうで、その設定 (Windows起動時の言語系)によって、ほぼ完全に 「N語版」にできる 「はずである」。困ったことに、僕自身はそれを検証していない。僕の機械はいまだに Windows 98 または 98SE の3種切り替え起動。かあちゃんの機械は FAX受信機でもあるし、面倒なので Windows 2000の日本版だけ。これで中国・台湾・香港・韓国の情報は取れてしまうので、それ以上は何も手をつけていないのだ。

疑問の1は、Windows 2000の処女インストールの段階で、指定によって、中国・台湾・韓国セットと 「完全に」同じものになるのだろうか? 2000は NTと同じマルチユーザなので、ユーザ設定によって (少なくとも見かけは)「完全なN語環境」にできることまでは わかっている。処女インストールの段階で、黙って上げればその環境で立ち上がるようにできることも、わかっている。だが − それは 本当に、中国・台湾・韓国で売っているものと同じなのだろうか? そこがわからない; わからないことは検証する必要がある。MicroSoftさんの過去歴からすれば、検証の結果は否定的である可能性がある。「検証」するためには、それぞれの現地で売っている版を買ってきて、対照調査してみる必要がある。

ならば、どうせ 「現地で販売されてるのを買う」 必要があるのだから、そんな検証なんかやめて、「N語版 Windows 1つに対して機械を1台」が早いではないか ・・・ しかし − もし 「そんな必要はない。日本で売っている Windows 2000 1つで、すべて OK」だというなら、それはムダな投資になるわけで ・・・

ソフト屋の業界用語で、「枯れた」 ソフト、という表現がある。この表現は 1980年代後半、あるいは 1990年ころ発明された。大方の想像に反すると思うが、「枯れた」ソフトとは、バグが出尽くして安定している、まったく信頼してもよいソフトのことを言う。ただしその裏にはもちろん、大方の想像通り、「枯れてしまった」ので、もう余命はいくらもないと予想してもよい。

パソコンのソフトが 「枯れる」ことは、ない。一太郎も Wordも 「枯れる」のに抵抗して、どこまでもアンモナイト的、マンモス的 定向進化を続けている。いずれ、絶滅の時期がやってくる。そもそも、Windows自身、Mac-OS自身が 「枯れる」ことを拒否して、無限に巨大化をくりかえす。これの 「検証」をただのユーザがやる義理は、確かに、ない。

思い出した。
TVのアニメの 「ポケモン」。ピカチュー以下のポケモンたちも 「進化」する。多いのは、僕の知っている限り3代めに進化したのがある。あるいは、もう4代めがあるかもしれない。はて、200匹も越えたポケモンたち、「進化」の結果 1000匹くらいになると 絶滅の危機に立たされるだろう。いや、いや、もうあれは絶滅したような気もする。


(20020328-1) 韓国短編小説集、ほぼ最終レポート

韓国の現代小説集は、やっと 「初校」が終わったらしい。「らしい」というのは、編集者からいろいろな問い合わせがあったからだ。別の言い方をすると 「ここは読みにくい、ここは訳語がわかりにくい、ここはこう変更してくれ」という要求が山ほどあって、その1つ1つに訳者代表が答える一方、代表からは個々の担当者にも問い合わせをして来るからだ。原文は読めないが 「日本語」の 「商品」としての品質 「だけ」を問題にする編集者と、原文からの訳文作成しか考えていない個々の訳者たち、その中間に立つ 担当者の苦労は、まあ、想像に余りある。そのあたりを、編集者も 訳者も 納得させながら中間に立つのは大変だったろうな。この人自身、過去 20年近く 「その」世界にいるので、まあ、今回は 「中に立たせて」おいて、訳者たちは ああだこうだと言っている。一番 苦労したのは、おそらく この人だったろう。

出版社名は、ある友人の憶測には反していたらしい。岩波書店。一流出版社であることは事実で、既に4月の新刊予告が出たそうだ。時間的に、もう 「再校」はないだろう。よくも悪くも 「一流」出版社の編集者とは何をやる人たちなのか、よい経験をさせていただいた。彼らは、出版される文面の 「品質」だけを考えている。皮肉を言えば、それが翻訳である場合、原文の表現がどうであれ、訳された日本語の文面が 「商品」としての価値を備えているかどうか、それ・だけ・が問題らしかった。同人誌でもない、自費出版の勝手な内容でもない、あくまで 「商品」である出版物としての 「価値」である。「皮肉」と言ったが、それは確かに、読むに耐えない翻訳本を買った後にやって来る 僕自身の後悔を想像すれば、決して 「皮肉」ばかりではない。「編集者」の存在がそれに大きくかかわっていることを、これほど思い知らされたことはない。同じことは、角川でも三省堂でも起こっているはずだ。

全 13本の、1980年代と 90年代の韓国の短編小説集。そのうちの3本の訳者名が僕になる。もちろん、これ以外にも僕は関与したし、逆に他の訳者が僕の担当分にも関与してきた。それらを含めて、訳文の最終責任は名前の出る訳者にある、ことになった。訳者名が僕になる作品については、僕なりの 「こだわり ko-jip」を振りまわす。それは、誰もが同じ思いを体験しただろう。ま、それもやっと終りだ。上下2巻の翻訳集になる。その間の事情は、最終代表 東京外大 三枝教授名で 「解説」が出るので、興味のある方はお楽しみに。


(20020315-1) 『風と共に去りぬ』 で思い出したこと

映画の後半は、細部のプロッティングが 「原作」(小説、ただし読んだのは訳文)と異なるが、おおむね正確。「原作」を読んだ方は気がついたかどうか、この小説は 「技術的」にはいくつか瑕疵がある; つまり、人物たちの内面描写が恣意的で、スカーレットの内心を語ったかと思うと、次の文では相手の内心が書かれていたりする (これは、小説の訳者も気が付いている。気が付いたうえで、へたな書き換えをしないところが、おそらく訳者の良心の一種だ。いわゆる翻訳調の訳文だが、数十ページも がまんして読むと全6冊読まされることになる、そんな類型の 「良い」訳だった)。
そういう 「瑕疵」にかかわらず、確かにこの作品は 「名作」なのだと思う。だからこそ 1939年のこの映画も、原作を大きく離れるわけにはいかなかったろう。

この作品で、もちろん映画にも出て来ない (説明されない)、解説本でも触れられることのない ある 部分を思い出した。
南北戦争に敗れた南部。アトランタにも 「北」の政治体制が敷かれ、黒人奴隷は 「解放」される。「解放」とは、白人の家庭に居残った黒人奴隷の場合、給料をもらう使用人の身分に変化することを意味する。アトランタにも、「北」の白人家庭がやって来る。そこでも、子供は生れる。だが 「北」の白人たちは、黒人の使用人など使わないか、使っても黒人に子供を抱かせることは・決して・ない。一方スカーレット自身は奴隷制南部の地主の子として生れ、彼女自身、黒人の乳母に育てられ、黒人の母乳で育っているのだ − その点に、不思議な衝撃を覚えたのを、今でも忘れない。その周辺に、KKK団の発祥の背景がある。KKKは 「北」体制への抵抗勢力として生れ、スカーレット周辺の (戦争で)生き残った男たちのほとんどが、それに関与する。材木屋もアシュレもレットもミード医師も、テロの後スカーレットとメラニーのいる家に帰って来る。KKKについては何の説明もされないが、映画でもこの 「テロ」後の場面が大きな意味を持っている (早い話、スカーレットの第2のだんなの材木屋はそれで死ぬ。アシュレは重傷。そのアリバイをなじみの買春宿で作ったのはレット)。

そのあたりは、現在も Deep Southというそうだ。1970年ころ、本多勝一というジャーナリストがその取材で黒人の車に乗せてもらったら、すれちがいざまに銃撃されたという。巻頭に、車のガラス上の同心円の銃痕の写真がある。20世紀の KKKは、既に変質している。


(20020314-1) DVDレポート

公称 550MHz、実力は 250MHz級といわれるパソコンで、DVDはなんとか動く。もっとも A面はどうにかクリアしたが、B面はディスク面をずいぶん お掃除しても、立ち止まりが激しい。さてどうしよう。

『風と共に去りぬ』の映画は、A面までは想像以上に 「原作」に忠実だった。インターミッションをはさんで B面になると、一方では 立ち止まりながら、一方では原作とちがう展開が目立つ。今夜のところ、スカーレットが材木屋と再婚し、材木屋の商売に口を出すところまで。


(20020313-1) 当面の僕の課題たち

(1) DVD
駅のガード下、安売り電気屋さんに、DVD (ソフト)が並んでいた。ワーナーのシリーズが、多くは 1800円、安いのは 1240円なんてついていて、あらあら。数日ながめていたのだが、ものは試しだ、『風と共に去りぬ』 を買ってみた。ソフトを買えば、ハードウェアが必要になる。つい、仕事先からドライブを注文してしまった。
買ったのが 『風と共に去りぬ』 だという点に、仕事先では失笑を買ったが (えーやないか)、この作品、訳本では読んだが映画を見ていないのだ。
さて、550M Cyrics(?) だったか、ATA 33の接続と 810チップ内蔵のビデオで DVDが動いてくれるかどうか。やってみなきゃわからん。ま、だめなら、別の機械を考えるさ。はは。
余談だが、「ワーナー」の綴りは Warner、これは 「ウォーナー」と読むべきじゃないのかしら? talkは 「トーク」、walkは 「ウォーク」、workは 「ワーク」で wormは 「ワーム」。ただし 「ねじ歯車+平歯車」で減速する 「ねじ worm」は、今でも 「ウォーム(ギヤ)」と呼ばれる。コンピュータのコンパイラの 「警告」メッセージ warning を 「ウォーニング」と読むソフト屋にも、出会ったことがない。ま、そういう 「歴史的な事情」で、Warner兄弟は 「ワーナー」なんだろうけれど。

(2) 8mmビデオ
1年近く、8mmビデオのカメラが故障したままだ。このカメラがまた唯一の 8mm再生機でもあり、面倒なので VHSにコピーしていないものがある。多くは、上の子の幼稚園時代の映像だ。そろそろ手当てしないと、このアナログ 8mmのテープが永遠に再生できなくなる。さて、どうするか。「ハイテク」の自然な発想としては DVDに焼きなおすことだろうけど、それには面倒な準備が要る。まだ放置している。明日届く DVDドライブも、「読む」だけで 「書く」能力はない。

(3) ワープロ・セット 「アレア」 2002
2ヶ所から入手してあるこのソフト、さて、どうしよう。僕の Windows 98SE-J は残 3GB。そこに乗せてみるか。遊んでいる時間がない。と言いつつ、明日からは DVDで遊ぶのだが。

(4) 韓国版 Windows XP
去年の夏、CirCamだったか CirCumだったかにやられて、韓国版 Windows 98が正常に起動しなくなっている。このさしかえには絶好の機会なのだが、ところで XP は 1GBのパーティションに収まるのだろうか? OSの切り替え立ち上げのメカニズムが面倒で、これも放置してある。

(5) 車?
はは。エンジンが主の指示なく止まることはない。それだけ。「新車」の 「1ヶ月後」検診にも至らないうちに、もう不満いっぱい。ま、「ベンツ」でない限り どうせ不満が出るに決まってる。もちろん、僕は 「ベンツ」でも絶対に満足しないことも、わかっている。
どうでもいいが、「メルセデス」とは、ドイツの女性名だ。ドイツ女性は、一般に騒音レベルが高いのだろうか − まさに どうでもよいが。

(6) 翻訳集の第2校?
これが あるかどうか、正直 疑っている。出版社の社内で、おそらくすませるのではないか。仮に僕が出版側なら、これだけ手間取る著者 (訳者集団)を相手にする以上、細部は勝手にすませてしまう・かもしれないと、そんな気がする。


(20020312-1) 「自分の訳したものは自分の創作」か

一般論として、「翻訳」は 「第2の創作」だということになっている。これは、次のいくつかの点に要約できる (ただし、よく検討したわけではない。今、思いついたまま列挙する):
(1) (直訳の不可)
学校の語学の課題ではないので、訳文は 「これで何がいけないの」という直訳ではいけない。それでは、商品としての 「翻訳」にならない。直訳が日本語として不自然で、しかも原文は原語文脈の中でごく自然な表現である場合、何か別の表現・訳語を用意せざるを得ない。特に、原文が原語の中では常套句で、しかもその直訳が日本語ではきわめて不自然、といった場合に、どうするか。
(2) (最少の訳注)
作品中に、原語の文脈の中では公知の用語が出て来ることがある。韓国の現代作品でいえば、「4.19」とか 「3.1」とか、「第N共和国」とか。これらを、どこまで明示して 「訳注」とするか。ある層の読者を想定して、その読者層を訳注の要・不要の基準とするか、あるいは 「地の文」中に (ひそかに)説明するか。
(3) (語順と句構造の入れ替え)
原作が西洋語である場合、語順はそもそも語学の一部なので、訳文つまり日本語になったときの語順は まるで異なる。だからこそ その世界では、ある訳者の原稿に他人は手を付けられない。かと思うと、その一方で思い切った文面の入れ替え (語順、句順)という校閲作業がありうる。朝鮮語/韓国語の場合、これが微妙な問題になる。ある訳者は、原語の中にある副詞の位置さえ変更してはいけないと考える。一方、西洋語からの翻訳を想定して、それを平気で変更する訳者がいる (例えば 「私はよくその店に行く」 と、「私はその店によく行く」)。
「句構造の入れ替え」とは、例えばこんな場合だ: 「昨日彼女が悪口を言ったその店の主人の息子は」 と、「その店の主人の息子のことを、彼女は悪く言っていたのだが」と。ここまで来ると、論争になる。ついでにこの例では、後者について 「昨日」が「省略」されている。これは、几帳面な訳者には許せない 「脱落」だし、それ以前に文章構造を変えることが許せないにちがいない。几帳面でない?僕のような訳者は、前後の文脈から明らかに 「昨日」なら、そんなの平気だったりする。
(4) (文体の維持)
原文がミーハーなら、訳文もミーハーでなければならない。原文が荘重な文体なら、訳文もまた荘重でなければならないだろう。どちらともいえない 「普通」の文には、通常、その作家のその作家らしい面がある。それをまた文体とも、個性ともいう。それを、訳文の上に反映させることができるのか、どうか。
この半年、翻訳集の訳文の検討は、そんな作業のくり返しだった。かつて この集団は、作品集のすべての作品について、その全文について全員の検討を重ねたという。今回は僕もそこに参加して、似たような作業の一部をやった。が、僕自身の (3) 語順と句構造の入れ替えをするやり方、かつ (4) 文体の維持 の主張と、既存のメンバーのやり方は、必ずしも一致していない。言いかえると、僕の訳文の1つは徹底的な書き換えに会い、1つは 「これはそういう (意訳の多い)訳なのだ」という あきらめにも近い評を受け、1つは、初校の〆切間際に校閲者に一任することになった。実は、主宰者であり、知人であり友人でもある大学教官の基本的な態度も、「翻訳は第2の創作」が 「翻訳もどき創作(ごっこ)」になることを警戒するところにあった。

ま、難産だったけど、初校は終わった。最後の1つは 「一任」したので、さて、どうなって来るのかな。予定がやや遅れているので、4月にはまだ書店に出ないだろう。


(20020310-2) 「妊娠すると街の妊婦の多さに驚く」法則

経験者は、おそらくご存知。子供を持った人の − おそらく − 半数以上が経験すると思うのだが、妻が (または あなた自身が)妊娠している間、街を歩いても電車に乗っても、やたらに妊婦が目につく。子供が生れた後は、小さい子供と母親の姿が、めったやたらに目につく。世の中には、これほどたくさんの妊婦、これほどたくさんの子連れが 歩いているとは、自分が当事者になってみてはじめて気がつく、そういうものらしい。ちなみに、この種の友人たちとの共通点にはもう1つ、街で 「うちの子より小さい子」を見たとき、その子がおおよそ何才・何ヶ月くらいと、だいたい見当がつく点がある。これは、父親より 母親が、より精密な観察をする。父親は、子が3才、5才となってくると観察がアバウトになってくるのに対して、母親は、おそらく子が 20才近くになるまで精緻な観察を続ける・かもしれない。もっとも、「母親」だっていろいろだから、例外はあるかもしれんけど。


2000年、ボンネット上で彼女はご機嫌

2002年、もうボンネットには乗れない車
さて。
僕が困ったのは、「車」が 「新車」になったとき、よく似た現象に出会ったことだ。この車は、事情あって 「選ぶ」ことができなかった; つまり、たまたま在庫整理に出た旧モデルの新車が1種だけだったし、他を探している余裕がまったくない; 親が 「子を選べない」のと同じで、この子(いや、車)の出来も器量も能力も、あるがままに受け入れなければならなかった。まるで、新生児の子守りをしてるみたいだ。この車で街に出ると、おいおい、これに類する車が やたらに目につく。このタイプの車が、これほど流行しているとは思わなかった。「今・はやり」の ミニ・バン。その中で、売れずに困っているメーカーのそのモデル。困ったことに車は子供とちがい 「成長」することがないから、「新車」で買ったとはいえ、こりゃあ中古に出すときの残存価格は期待できないな。

思い出した。中学生だったころ、はじめて父に買ってもらった自転車。変速機がついていたが、なんだか飾りがごてごてついていた。友人の 27インチ 簡素なスポーツ型自転車と較べると、どうにもこうにも 「ださい」製品だった。この自転車は3年後だったか、先輩にあたる人から正統派のツーリング型を1万円で買って、廃棄した。つまり、「新車」がいつも最善だとは限らない。僕が、「車」も決して 「新車」を求めてこなかったのも、おカネのせいばかりではないのかもしれない − なんて、負け惜しみ。

「新車」は、背が高いので見かけはすごく小さく見える。しかし、全幅は前の車と正確に同じ 1690mm、室内幅が 25mm 狭い。この差は、ドア内部のビームのせいだ。これは 「中型」タクシーのサイズである。ただし、全長は 30cm 近く短く、これが 「小さい」印象を強調している。一面、かわいい。これで、後姿がごてごてしていなければ、いいんだけどね。新モデルはそれを 「改善」しているが、どうも基本デザイナーのセンスに問題があるようで、かえって 「ダサ」くなっている。ま、いいや。エンジンさえ死ななければ。


(20020310-1) トトロの文学作品としての精査、その後

「古典的な」手法、つまり日本の古典作品を考証する手法をそのまま 「となりのトトロ」 に適用する彼の調査は、峠を越えつつあるように見える。作品の年代設定に矛盾がないこと、画面に見える小学校での教育漢字の配分、「トトロの森」といわれる現地の行政史の中で、上水道事業と井戸の関係、結核の療養施設とその地理上の位置とその終息時期、それらがおおよそ見事な一致を見せることが、彼の 自称 「与太話」 調査の中で明らかになってきた。
残念なことに、彼は日本の古典専攻だ。だから、これは余技または趣味の世界になっている。しかし − この程度まで調査をすませれば、学生の卒論としてはスーパー級、修論としても、周辺を固めれば充分に通るのではなかろうか。唯一の問題は それが 「文字で書かれた」文学ではなくて、「アニメ」映画であることだ。

実は、(幸か不幸か 「文学」作品の蓄積の絶対量が少ない) 韓国では、「文字による」文学作品は 「研究し尽くされた」感があり、以後は新作の発掘か再解釈しかない、みたいなところがある。もちろん、それは日本の万葉研究だって同じだが、人口と研究者の比率から来る研究者の絶対数、韓国内での 「研究」の実質的な蓄積期間 (つまり 1945年以後のわずかな期間)を考えれば、韓国が同じ状況に至るのは早かった。それ以後、「実は」 脚光を浴びているのが、「非 文字による」文学、つまり映画やマンガの世界だ。植民地期から解放後にかけてのマンガ史とその歴史的な位置付け作業が、いま韓国では行なわれつつある; それが、将来ある研究者のタマゴたちの課題にもなっている。しかしこの国のマンガ史には、やがて (再び?)日本のアニメの海賊版時代がやってくる。「トトロ」も、例外ではない − チョンノの夜店で 大・中・小のトトロのぬいぐるみが買えたのは、ほんの5年か、3年前か。それを裏返して、日本のアニメの実作業が韓国に発注されるようになり、その中から、韓国オリジナルの作品が生れつつある・らしい、というのが、韓国の現状でもある。


(20020305-1) トトロ/経営危機/仕事/「趣味の」仕事

どうも、大学教官の友人というのは、よくも悪くも 「偏執」的な面がある。
昔、今では忘れられつつある 「パソコン通信」というのがあった。実は、「ハングル工房」という言葉もそこで生れた。その当時、最大手だった Nifty-Serve。その中でさらに経過は省略して、あの時代に 「となりのトトロ」の作品論をやりかけたことがある。

「パソ通」は終焉したが、その時代からの友人で、子育てで また 「トトロ」を精査しはじめた友人がいる。アニメ映画 「となりのトトロ」の画面をよく見ると、月単位で必ずカレンダーが画面の一角に出て来るそうだ。そのカレンダーに見える月・日・曜日を詳しく調べると、「昭和30年代」のどの年とも矛盾する、ただし、矛盾しつつも 「昭和30年代」の範囲に収まるらしい。さすが、書誌学とは言わないまでも、国文科の大学教官。子育ての合間に (いや、わかってます、大人は大人の興味でも動員しないと、子育てなんかやってられないのだ)、そういう調べものをする。

翌日また見たら、彼はさらに調査を進めている。トトロに出会う姉妹の父親の名前、その父親の年齢または世代、従って おねえちゃんになる さつきと 妹のメイの出生年代と、実に微細な検討段階に入ってきた。興味のある方は、次を参照されたい。古典的な方法による文学研究者が 「となりのトトロ」を俎上にのせたとき どんな検討をするものなのか、これは一見の価値がある:
りーち道楽亭 の さらに 「やまのべ通信(気まぐれ日記)」
僕の仕事先の経営危機は、小康状態に入った。訴訟騒ぎ以前に、相手方と事実上の和解に至ったという。奇妙なことは、一説によれば この相手方は 「当方」の株主でもあるという。なんか、変。例えば過去に、債務 (あちらの債権)の放棄に代えて 「当方」の株主になってもらった・というようなことでもあれば、変な言い方だが 「敵対的な株主」の存在も不可能ではないのだけれど。でも、それ以後も取引が続いて、ある機会に強引な取り立てに及んだというのが、どうも解せない; いずれ、この時期、どこの会社でも経営側はせちがらい。経営者自身はともかく、その直下にある 「総務」レベルがヒステリックな騒ぎを起こすことはよくあるので、おそらく今度もそれだろうと、まあ考えておくことにする。
バブル崩壊後 10年、いろんなことが起こる。13年前 僕が社員だった会社も、昨年アメリカ側本社の身売り再編があり、それにともなって日本法人も全面改組された。

「仕事」そのものは 「忙しい」。バブル崩壊初期、現象は 「同じ忙しさ、ただしおカネの回転は遅く、小さく」なる傾向が見えていたのだが、この 10年の間にそれが定着した。仕事が遅れると、たちまちカネ回りが悪くなる。金曜に急に電話が来て、月曜は出張。それをすませた火曜日は、「遅れ」気味 つまり 経営危機に直結する最終段階の仕事に戻るが、まだまだ楽観できない。しかしこれをクリアしないと、わたしも会社も 生活の危機がやってくる。世の中、大変。

おカネを目的にはできない 「趣味の」仕事、つまり現代韓国の小説集の翻訳は、また別種。編集者さんの 「勝手な手入れ」のチェックを、2本終えた。これもまだまだ、訳語の機械的な正確さと 「日本語としての」自然さの間で、数日揺れる。ただし 「数日」以上の余裕は、時間的に、ない。


(20020303-1) おなかが痛〜い / 編集者の善意

7才の誕生日をすぎた上の子、週末に じじ・ばばのところでよく食った。コロッケ大のとんかつ2切れ、ごはんをのり巻きにして一杯、それから大きなケーキを一人で2切れ。さらに ばあちゃんからは お菓子セットを1袋。
帰ると、半分 眠りながら 「おなかが痛〜い」。そりゃそうだわ。うんち出れば、また気持よくなるよ。
この子の振るまい方は、スヌーピーに出て来る (下の子を限りなく愛する) チャーリーにも、(下の子を敵とみなす) ルーシーにも、似ている。スヌーピー または文学作品の世界は 実際には象徴の世界だから、現実はいつも両面がある。あたしは 両親のたった一人の子供であり続けたかったというルーシーと、下の子が生れて大喜びのチャーリーと。

韓国の現代短編小説の訳集の校正は、意外に面倒になった;
編集者さん、驚いたことに勝手に手を入れている。この 「手」は、彼が訳文の 「生硬さ」に不満を感じ、しかし放置するのは惜しいと思った部分 (作品) に集中しているように見える。たった1例だが、テキスト全文にわたってパソコンで一括置換を行なっているものがあり、そりゃかまわんのだが、「校正」は 「紙」に赤ペンでやるのだから たまりませんわ。当方も、元原稿をエディタで検索し、全面復旧に及ぶ。
動機は、わかっている。善意だ。石頭の大学教授をカシラとする集団には、こういう 一見いやがらせ的作業が必要かもしれない。事実、問題の一括置換以外の部分にも、ひそかに変更されている部分がかなりあり、数を問題にするならその半数は妥当なものだ。問題は残りの半数で、これに悩む。意図せず 「日本語として」不自然だが、しかし 「自然な」訳語にして原文を裏切ることになるか、ならないか。まだ、しばらくはこれが続く。訳文は正確、しかし 「日本語として」不自然な場合に、あくまで・どちらの立場を貫くのか、ね。
ともあれ、この訳集、おもしろい経過をたどりつつある。出版は4月で、もう目の前。今ここで選択した結果が、活字 (というか、現代の DTPだが)になる。


(20020301-2) 上の子の誕生日

3月1日は、上の子の誕生日だ。1年生の 「早生れ」で、7才になった。

おそろしい・と、思ってしまった。
「上の子」は、いつまでも赤ちゃんの延長上だった。ところが、去年の夏には弟が生れた。6才と0才を、いやでも比較することになる。上の子も、こんな赤ちゃんだった。でも、もう6才、いや7才だ。7才の誕生日とは、実は 「8年めの人生の初日」でもある。8年めの人生を歩きはじめた一人の子供が 「赤ちゃん」であることなど、あり得ない。

言語の前提となる音韻系が完成したのは、この子の場合 3才だった。そのあたりで、母音5つ、子音 10+の 「日本語」音素系が完成している。以後、統語の完成 (単語の羅列を越えて 文法的な 「文章をしゃべる」)は、6才前後だったと思う。ここまで来ると、外国人である母親に日本語を教えるか、あるいは外国人の発話を日本語ネイティブとして再解釈するようになる。

意味論へ。
7才の誕生日のプレゼントに何がいいかと聞かれ、ただし 「あれはあったが、これはない」という条件がついたとき、彼女は 「なんでもいい」 と言った。「どれでもいい」とも、「どうでもいい」とも言わなかった。「どうでもいい」と言ったときの、背後に流れる否定的なニュアンスを、7才の誕生日をむかえる子は理解している (から、避けたと思われる)。「どれでもいい」と 「なんでもいい」とは、前提が大きくちがう。そろそろ、ネイティブの日本語スピーカーとして、対等な関係が発生してきたような気がする。


(20020301-1) 4月まであと1ヶ月

あたりまえで恐縮。一般論として、4月は新学期、その他はおおむね新年度、学生もサラリーマンも、しばしば変化のある時期だ。

この1ヶ月が、僕には大きな峠になる。
まず、経済事情。仕事先の経営危機から1週間。社員は社員で不安を抱えているが、僕を含む数人の 「契約社員」には、最近 働いた分の 「給料」もらえるか、という問題がある。時期的にも、仕事の いわば 「〆切」に重なった。なかなか動いてくれないソフトを抱えて、最終段階。こんな時期に経営危機なんて、ねえ。
給料出てくれないと、買ったばかりの車のローン、初回の引き落しから払えない、あは。

4月になると、年末に施設に預けた0才の子が帰ってくる。母親は育児パニックぎりぎりの線上にいたのだが、年末にその線を越えて、この子を施設に預けた。その時から4月の保育園の準備をはじめていた。それまでの3ヶ月、週末ごとに自宅に引取り、かあちゃんの 「子育て」再・慣熟運転。週末ごとに、僕は環七を半周して送り迎えするのだが、これでエンジン死んじゃうのではたまらない; だからこの2ヶ月の 「車」騒ぎだった。頭金払って、もう現金はないぞ。

4月には、今週ようやく初校が届いた翻訳集が出る。まだまだ、前門の営業検閲、後門の研究者検閲、門の中では 「原文と日本語の距離」問題、言い換えると 「意訳・つまり・どこまで創作もどきの作文が許されるか」という苦しみが渦巻いている。これほど難産の翻訳集もめずらしい − 「素人」の趣味の翻訳なら、原文の読みちがいも、誤訳も、訳文の稚拙さも問題にはならないのだが。この苦しみも、遅くとも3月中旬には終わる。

この翻訳集、作品選びだけは、出版屋さんも 「ものすごく よく考えられていることは わかった」と言った。朝鮮・韓国ものの本にある両極端、つまり 「ミーハー、その対極の政治論」の両面と、さらに別の世界を含んでいる。80年代、90年代の作品集、つまり旧世代の知らない世界の作品集なので、それだけでも話題になるかもしれない。それが、仮に 「読むに耐える」程度の日本語になっていれば、まあ出る価値ありだと − そのあたりが、僕も 「どちらかというと営業側」なのかもしれない。


ハングル工房 綾瀬 ホームへ この文書の先頭へ Back