Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20030530-1) 売上 十億、みいり は7千万、あなたには いくら さしあげましょう?

「取らぬ狸の皮算用」 と言う。
多国籍巨大メーカーの半導体部品、それを扱う日本の商社。顧客候補は国内のまた大手電機メーカー、わずか数社。1件まとまれば十億、商社の取り分が7%として7千万。商社が商談をまとめるためにはソフトウェア技術者が必要で、その技術者が顧客側技術者たちを相手に教育活動をする必要がある; ごていねいなことに、1件まとまれば その顧客側技術者たちを1週間、イギリスにご招待、現地で教育が行なわれるという。もちろん 「我々」も同行して。ベアトリックス・ポッターやブルームズベリーの絵本でも買って帰る機会があるかもしれない ・・・ なんて。

「我々」とは、僕が所属する側の会社で、そこには水野さんという便利な技術屋がいる (英語でアメリカで仕事してたでしょ? この半導体部品の導入にはオペレーティング・システムとソフトウェア階層構造の知識が必要ですね。そういう教育活動で食っていたころもある。これは絶好のアテ役だ)。で、7千万のうち、いくら 「我々」に払うの? もし、顧客との 「十億」の商談成立しなかったら? その間、商社 社内に行くのか 客先への売り込みに同行するのか、その僕の給料、出るの? それとも、「他社」に出るので給料 上乗せしてくれるの? 商談成立したら、ちょっとでもいいけどボーナス出るのかしら?

「夢」なんて、語るべきものと 語るべきでないものがある。今は週に数日 無給で営業サポートに出て、2ヶ月後に商談成立したら 「俺には 700万くれ」なんて、言っている余裕がないのだ。その間が、食えない。まして商談成立しなければ、なおさら食えない。「一獲千金」の夢は、語るべきでないものに属す。僕の昨年度所得は 200万にすぎない。

でも、イギリスは行ったことがないなあ ・・・
アメリカにいたとき、フランス人たちと、互いに外国語である英語で仕事をしたことがある。イギリス人に言わせると、僕の英語は 「アメリカ訛が強い」そうだ。あのころは、日々の仕事は現地人とアメリカ語で、ほんの数回 韓国人と朝鮮語で、フランス人と英語で、ごくまれにやってくる日本人と日本語で話しただけ。現地の日本人社会とも まったく 出会うことがなかった。20代の韓国では韓国人に 「化ける」ことばかり考えていたが、30代のアメリカでは いかにしてアメリカ人たちと対等にケンカするか、そればかり考えていたような気も、する。現地訛が強くなるのは、当然である。


(20030528-1) 日記: 「ハリ・ポタ」 第4巻

イギリス版の原文を読んでいるうちに つまらなくなり、そのうち 読者である僕には恩師の大作原稿がとびこんで来て、ハリーとロンは占星術の星図を作りかけたまま、数週間 時間が止まった。再度 読んでみると、ロンの星図には親友とのケンカが予言され、ハリーの星図にはハリーの 「死」が予言されている。このうち ロンがハリーに一時は絶交宣言するのだとは聞いているが、ハリーが死ぬわけがない点は、子供でも予想することだ。ただし、その 「死」の予言で そろそろ新展開をしてほしいところだが、このシリーズでは 本題は後半 1/3 か 1/4 に至るまで出てこないのも、第3巻までによる類推ではある。

ハリーの白いフクロウが行方不明になっている。ブラックのところに送って以来、作品の中でも もうずいぶん長く言及がない。ハーマイオン (ハーマイオニー)は 「屋敷しもべ妖精 (第2巻までの訳語)」 解放委員会バッジを作って、その会員募集に走るのかしら。「奴隷解放」運動には 「奴隷」自身の解放要求が必須である 「常識」的な点を 作者はどう処理するつもりなのか、今のところ見当がつかない。ハーマイオンのペットの猫 「クルックシャンクス」は ハリーらの星図作りを 「監視」していたが、主人が帰るとその膝に収まる。この猫の性別がオスのようにもメスのようにも読めるが、こいつは今後も主人に代わって ハリーとロンを 「監視」する役割をはたすのだろうな。ここまで、636ページのうち 198ページ。厚さで、総 39mm のうち 12mm に達したところ。そろそろ、背を折り返して左片面も読める程度になってきた。


(20030527-1) 日記 − 恩師の大作原稿

「その方向に足をむけては眠れない」 大恩ある恩師の原稿とはいえ − いや、そういう大家 (たいか、です。おおや ではありません) の原稿だからこそ、私的編集者としては やりがいがある。とはいえ、大家が国立大を定年退職した後に、「論文」ではない 「思うことを片端から連ねた」、しいて言えば ある種の 「随筆」なのだが、「随筆」と呼ぶには あまりにも 「重い」。その専門分野 つまり朝鮮語の、現代語を例にとって、言語学で使われる あらゆる種類の術語をぽんぽん出しながら、47本の例文、その例文のいたるところに 「注」がついて、その 「注」の数は 235個。本文のまとめには、その 235個の 「注」が再度 分類されて登場するので、これら 「注」へのリンク・ボタンは おそらく 500個を越えるだろうと思われる。まさか、200個、500個の リンクを HTMLのソース上に手書きしたわけではない。何段階かを経、その各段階で小さなフィルター・プログラムを書いて 「変換」操作をする。Word原稿で 日本語、朝鮮語、IPA、大量の注 ・・・ これらを一応 「機械的に」 処理するために作った 「小さな」プログラムは6本、その各段階の結果をさらにエディタの 「一括置換」に何度もかけて、その間に作成された中間ファイルはざっと 60個くらいかな?

これが、やっと完成段階に入った。僕の側は 「注」へのリンクの しらみつぶしチェックをする。その間、筆者ご自身は再度 全体をながめていらっしゃるはずで、あと数日か。そこまで行くと、かなり読み応えのある記事を Webに上げることができるだろう − ただしこれは、あくまで 「言語」論に興味のある人にしか わからない部分が多い。想定される読者は、大学院生程度で言語学専攻、それも主専攻が朝鮮語である人であることになっている。何度も言って申し訳ないが、この記事は カタコトの朝鮮語で足りている人には 役に立たない。大学院生でも、この分野と筆者の関心を理解できない人には、無意味な記事に思えるかもしれない。それは、筆者自身が承知している。それでも書く; 書きたい。それを 「表現の意思」 あるいは意欲とも言う。その 「表現」欲求こそ、一昔前であれば 「文学」が 「文学」であるための必須条件だったのだが − 今は 「文学」のほうが変質しつつあるようにも見えるけれど。


(20030521-1) 未知の相手へのメールには 自分の名前を書きなさい

時々もらうメールがある。あて先は 多く han-lab@orcaland.gr.jp で、このサーバに同居する han-lab.gr.jp の管理者2人に 転送されてくる。
その中でも一番多いのが、「ハングルを出したいのですがどうしたらよいのですか」 だ。「そういう内容」なのではなくて、たったその一言だけしか書いてなかったりする。はっきり申し上げておくが、自分が誰ともいわず、相手が何者なのかもわからず、「教えてください」とだけ書けば、自動的に懇切丁寧、手取り足取りの ご案内でも届くと思っているのだろうか。常識を疑う。

また よくあるのが、「友人の韓国人がパソコンを買うことになりました。ハングル文字はどうするのでしょう」に類する質問。今度のは 「友人が」 「パソコンを買う」のではなくて、「買うことになりました」とあった。これが意味不明で、この人は友人である韓国人のために 「わたしが」 買うことになったのか? しかしそれなら、もう少し現実的で切実な質問になりそうなものだが、メールはただ それだけ。結局、これも 「どうしたらよいのですか」と同じで、さらに悪いのは、自分でトライする意思はまったくないようだ。聞いた話を右から左に 韓国人に伝えればよいと思っているのだろう。失礼ながら、それじゃ無理よ、と、皮肉で返信を返した。相手の正体がわからないまま。

今日 来たメールは、一流大学の研究室から。当研究室の Webサイトが完成の運びとなりました、つきましては あなたの管理する某サイトへのリンクの許可をいただきたい、担当者。学生発信らしいが、何か自分を、役人かなにかと勘違いしている。「担当者」って、何のことだ。「完成」しつつあるサイトのアドレスがあるので見せてもらった。なるほど、直接の知り合いもいるし、僕と恩師を共有する教官もいる。が、無名のメールを 未知の相手に送りつける神経が − 少なくとも僕には理解できない。未知の相手に手紙を出すとき、普通は自分の名前を書いて、ごく簡単に自己紹介 20字でもいいから (長すぎると迷惑だ) やってから、用件を切り出すのじゃなかったっけ? 日本では。それがないのは、過去 50年、役所からの郵便物だけだった (いや、脅迫状というのもあるだろうが、僕はもらったことがない。キサマ 危険人物につき殺してやるぞとか、お前の家族を誘拐するぞとか、もらってみたいね。うちには身代金を払う余裕はないから、家族は殺しなさい。その代り、あなたを発見して殺して八つ裂きにするまで僕は追跡をやめないだろうが)。

未知の相手へのメールには、自分の名前を書きなさい。「あなた、誰?」なんて返事を返すのはもう ごめんだ。先日それをやったら、ご本人は 今度は han-lab の掲示板に私的情報を書き込んでくださって、それへの警告でまた面倒になった。結局、Web上に出た この方の私的情報は ばっさり削除する 「ことになった」。

メールは常に私信。掲示板は不特定多数に見える公開の場所で、ただし匿名が可能だ。その区別くらい 「常識」だろうと思う。僕あてに 名なしでメールを送る方は、代りに掲示板に質問を書いてください。掲示板には、私的情報を掲げてはいけません − やっぱり、それは、僕は 「常識」だと思うのだが。

今後は − 名なしの質問メールは、掲示板に転送することにしようか? ただし、掲示板の読者には 「またか」と うんざりされることになるか。そのあたり、次の機会に考えることにしよう。


(20030520-1) この 「日記」が2週間も休みになっていた理由

こんなことをやっていた:

hanmann i sesa jasokkhan nima


tl tuo mommanani nunmuri nane
つまり、文字であるハングルではなくて、その文字から仮定される現実音を転写する IPA (International Phonemic Aなんとか) を、Web上で表示する必要があったので、はて、困った。困りつつ、ブラウザによって 「フォント」指定ができたりできなかったり、指定できても 「その」フォントが 「端末」であるパソコンに乗っていなければ何の意味もないので、結局 標準英文字以外はすべて 「画像」化するより他にない。その 「画像」作成作業と、それから、その画像を 「その場」で表示するための、CGI の修正。この CGIは この 「日記」の CGIとほぼ同一なので、これができると同時に、この 「日記」の機能も (一応)強化される。
ご参考までに、上のハングルと IPAは、CGIで変換される前の HTMLでは おおよそ次のようになっている:
//han-manh-eun i se-sang ya-sok-han nim-a//
//IPA;hanman[eu]n i sesa[ng] jasokkhan nima//

//jeong-eul du-go mom-man ga-ni nun-mur-i na-ne//
//IPA;[tsh][eo][ng][eu]l tu[g]o momman[g]ani nunmuri nane//
つまり、// ・・・ // で囲めばまずハングル画像に変換、//IPA; ・・・ // と囲めばその中の [ ] の中だけが画像に変換される、と。
これで問題解決かというと、多少 問題が残っている:
(1) MS-IEで、「表示」の 「文字の大きさ」を 「中」にすると、これはだいたい ぴたりと収まり、「文字」と 「画像」は画面上で区別がつかないほどになる。
(2) が、その IEでも 「文字の大きさ」を 「小」なり 「大」なりにすると、文字の大きさは変化するが 「画像」の大きさは変化しないので、上下サイズががくがくしてしまう。
(3) その IEでも、プリンタに印字すると、「文字」は TrueTypeできれいに出るのに、「画像」は 「画像」でしかないので、そこだけ貧しい。
(4) IEでは、HTMLの上での指定で 「画像」の上下位置、つまり IPA [] や [] のわずかな位置調整ができるのだが、Netscapeではそれが効かない。つまり、Netscapeでは画像の上下位置ががくがくしてしまう。
てなことを、この2週間やっていた。

いずれにしても、日本語フォントの標準的な英文字 [g] と、IPAで使われる [] のちがいなど、おわかりだろうか? この他に 「標準」英文字にはない [] や []、 [d] − [koda] など、「どうしても画像化せざるを得ない」もの。それらを理解していただければ、この2週間の作業は まあ 意味があったとは言えるのだが。


(20030506-1) この 「日記」で朝鮮語を話題にしなくなったわけ

理由は簡単で、「話題」にするまでもなく 他で 僕自身の頭が充足してしまっているからだ。

更新のペースは速くない。が、朝鮮語専攻だった僕が、その朝鮮語の恩師の原稿を Webページ化する作業をはじめてから、まず 師ではない 「僕自身が」 朝鮮語を話題にする必要を感じなくなった。次に、定年退官後のその師の精力的な執筆状況にあきれた; この方の話題・執筆で、とてもじゃないが ついて行けないほどの量の原稿が出てくる; それも、ハングルと日本語だけなら簡単なのだが、キリル字や IPA つまり厳密な音声記号が大量に出てくるので、まずそれらの処理 キリル字は JIS全角漢字セットにも 「ロシア文字」という触れ込みで存在する。が、それはほとんど使い物にならない。IPAについても同様で、Windowsの 「世界のあらゆる文字フォント」を動員すると それらしきものが出る; 「師」の原稿は、Wordでそれらを駆使して作成されている。一般論として、「2言語」どころではない 「多言語」環境は、原則として HTMLの守備範囲を越えている。MS-IE では一見それができそうなのだが、しかし そのためには 「読者」側の準備が必要で、しかも、それでもなお 「出ない」文字が残る。MS-IE以外のブラウザでは なおのこと。結果として、これらはすべて画像化せざるを得ない。その 「画像化」処理がある、次に、この 「画像化」されたさまざまな 「文字」の自動処理を考えるのだが、今はそこに至っていない。いま現在、実験的に、この師のページに次に上がる 「朝鮮語 小説テキストの断片たち、その横文字転写、厳密な音声記号、詳細な注釈とその問題点の指摘」 記事の Web化を、個々の画像作成とともに進めつつある。これが 「完成」公開に至るまで、おそらく 今後数週間を要すると思うが、その元原稿の執筆自体は2ヶ月以上かかっていることが わかっている。今から数週間後 「公開」にこぎつけたとき、この記事を面白いと思う読者は、おそらく 朝鮮語 (あるいは 「韓国語」)のエキスパートだと言っていい。申し訳ないが、朝鮮語(韓国語)のカタコトしかできない方には、その記事の意味がわからないにちがいない − しかし そういう方には、次の記事を見ていただきたい:
http://www.han-lab.gr.jp/~kanno/
その中のさらに
「朝鮮語トレーニング」 ・・・ 発音の訓練
「朝鮮語ドリル」 ・・・ 文法の訓練
「あなたは」 この2つの記事 (の問題たち)をクリアできるだろうか? 「トレーニング」の発音問題をクリアできなければ、残念だが あなたは朝鮮語はあきらめた方がいい。
「ドリル」をクリアできない人は、多いだろう。しかしこれをクリアできなければ、韓国の出版物は正確に読めないはずだし、韓国人を相手に朝鮮語で現実の交渉ごとはできないだろう。ぶっちゃけた話、韓国から記事を送ってくる日本の新聞社特派員たちの半数は、この 「ドリル」をクリアできないだろう。

というわけで、Web上での 「朝鮮語 (韓国語)」の話題は、こうした記事の 「私的編集者」としての僕の役割によって、いま現在は充足してしまっている。だから、僕自身がそれを話題にする必要を感じないのも事実だし、その余裕がなくなってしまったのも また事実だ。
「余裕がなくなった」。それは事実だ。しかし、今は、この 13年 − 13年前 パソ通時代にはじめて 「ネットワークの中でのハングル」を話題にして以来、僕のやりたかったことの多くの部分を、かつての 「恩師」がやりはじめている。残っているのは − 文学だ。

しかし 「文学」は、「朝鮮・韓国」に 「のみ」 こだわっていても、得られるものは多くない。また別の、友人であり知人であり先輩であり これも定年退官したばかりの朝鮮近代文学の大家は、定年直前に台湾に留学し、定年後の現在は上海にいる。「朝鮮」研究者の 「視野の狭さ」が、過去 20年以上 問題になってきたのだが、いまようやく、大学を定年退官した人たちが、「朝鮮」だけに限らない、いま一歩 広い世界に踏み込みはじめている。

僕? あは。「ハリポタ」と、イギリス童話? その先には 「ガリバー旅行記」、そしてその 「ガリバー」は実は とんでもない政治的主張を込めた作品である、つまり典型的な 「諷刺」作品であることは常識であって、あいかわらず朝鮮近代諷刺論、ガリバーとの対比、ついでなので 「ハリポタ」も 「ピーターパン」も、一応は視野に入れておきたいと考えているのは事実なのだが ・・・ しかし わたしゃ 「研究者」ではないので あしからず。


(20030504-1) 日記 − 連休とは困ったものだ

一応 「訂正」しておくと、「ハリポタ」 第2作の映画の女子トイレの 「嘆きのマートル」は、綴りが Myrtle だった。『銀河鉄道999』の謎の女性はカタカナで 「メーテル」、おフランス語の 「先生」は (多分) Maitre にアクサン記号付きなので、末尾の [ r / l ] が異なる。このちがいは重大なので、女子トイレのマートルと メーテルは別系統の名前なのだろう。

「ハリポタ」第2作の英語を聞いてみたら、第1作より 「米語」臭が強いような気がした。ロケ地も原作もイギリスなので、第1作では俳優も 「アメリカ風」を抑える傾向がはたらいたのだろうか。第1作ではそもそも表題が 英・米で異なる ( Philosopher と Sorcerer )し、字幕さえその単語が変えてあった。俳優の発話まではチェックしていない。第2作ではそれがない。一方、英語の音と英語の字幕のずれが大きくなっている。仮に第1作では 「英・米」でせりふを変える(あるいは別の声優を使う?)必要があったとしても、第2作ではその必要がなくなった。結果として、俳優たちの発話はアメリカ語そのままで残ったのかな、と、どうでもよい詮索をしてみたりする。

連休だというのに、事情があって家族そろって旅行はできない (いや、できたって、混雑する道路はごめんだが)。退屈でクサるのは8才、3年生だ。土曜日は上野で 「クレヨンしんちゃん」の映画、日曜は − うーむ、学校の絵の具がきれいになくなっているので、セットごと補充に銀座に出た (学校の指定のセットが、近所の店にない; 画材を指定する教諭のこだわりを示すのだろうが、よしあし。東京の田舎の公立学校なのに)。「日本で一番大きい文房具屋さん」だと 「伊東屋」に連れていったら、なるほどね、ありました。そのフロアから見物を兼ねて各階を見ている間に、「水彩」色鉛筆のデモ、そこで3年生は塗り絵をはじめる。結局 千円+、ドイツ製の水性色鉛筆セットを買わされる。(子どもの雑誌に、ときどき 「水塗り絵」というのがある; 水溶性の塗料で点々が印刷してあって、それを濡れた筆でなぞると色がのびて 「塗り絵」になる。水溶性色鉛筆は、その 「芯」がこの塗料になっている。ラフに描画し、その上を濡れた筆でなぞると、のびる; 使い方によっては、ある種の効果が期待できる。「使い方次第」である点、エア・ブラシにも似ている。僕自身は色盲なので、その世界に踏み込むことができなかったが、一応興味はあるわけだ)

ハラがへって、大通りの向かいのスシ屋に入る。銀座のどまんなかで寿司という度胸は父親にはないのだが、8才はまあ思い切りよく 「とにかく はいろ!」ときた。にぎり盛り合わせ¥1,500まではよかったが、父親のビールと子供の納豆巻き、イクラ巻きで値が上がった。頼みもしない 「お通し」に、サービス料がそれらの 10%、さらに消費税がついて、結局五千円札が1枚消えた。ふむ。しかし、たしかに子供は満足したぞ。