Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20040131-1) 「網膜剥離」 のうんちく − 日記

「ハングル工房」 とは何の関係もない話題なのだが、僕のトシ (年令) や知人・恩師・先輩の 「トシ」、それに 「トシ」 に関係なく出るのも、「網膜剥離」 で、ある。

有名なのかしら、その世界を知らないので恐縮だが、TBS の Web news サイトで、若い日本の女優が網膜剥離で片目失明したと記者会見、という記事を見た。今日の僕の 「手術」 の前に、医師もそれを話題にした; ま、それを話題にして 患者が怯えることはないと 医師も承知の上だから。

TBS の Web 記事では、「1万人に一人」 と書かれていた。が、それは 「放置して失明」 に至る率だろう。僕の職場環境 (人口 20人前後) でも、僕を含む3人が網膜剥離を経験している。一人は 「近視の強い人は常に (筋肉的な) 緊張が続くので」 常に検査が必要なケース。一人は役員で、放置した結果 剥離が進み出血まで見られたケース; これは手術に入院 数日を要した。もう一人は僕自身で、剥離の兆候が見えたので医師の絶好の練習?対象になり、2年ほど前か、一度 手術している。僕自身は (たとえ老眼になっても) 「強い近視」 に 「左右 かたちんば」 な視力の持ち主なので、その意味で 第1のケースと同じ。この人口比率は、ざっと 50% くらいになるのではないかしら?

2度めの 「手術」 なので、恐怖と緊張は少ない。前に 処置したところ以外にも軽い兆候が 「同一眼」 内にあり、それを押えるという。この 「手術」 とは、剥離点を中心として同心円上にレーザー照射し、その剥離点周辺を 「焼き」、固めてしまう。結果として 「そこ」 は 「盲点」 になるが、その 「点」 が視界の中にあるとは限らない。実際 僕の場合、前回・今回とも視界外にあり、視界が狭くなる症状は それとは別に (「老化」 の一部として) 出ている。網膜剥離の問題は、剥離点を起点として 網膜全体にそれが広がる = 失明、という問題である。だから、視界外でも 「手術」 がいる。

「2度め」 なので、余裕があった。「こんな小さな機械だったんですね」 と言うと、医師は、いや、実はパソコンと同じで、そっちの大きな機械が本体なのだと言う。ん? おう、これか。自作型のパソコンとちょうど同じサイズ。冷却ファンが激しく音を立てている。その箱から光ファイバー・ケーブルが出て、巻いてある: おおよそ 3m くらいだろう。その先に、医師がのぞきこむ双眼の接眼レンズ、患者の眼前には三角プリズムがある − これは、一眼レフ・カメラの逆だ。つまり、医師は 双眼 = 立体 3次元 ファインダーをのぞき、照準を決め、トリガを引く; トリガ つまり 引き金を引くと、レーザーが患者のその位置に照射される。これを、「剥離点」 周辺の円状にくりかえす。

ふだん (といっても、通例1年に1回) の検査では、瞳孔を開く目薬が両眼に与えられる。「瞳孔を開く」 と、「暗いところから明るいところに出た」 ときの 「まぶしさ」 が、数時間も続く。何もかも まぶしく光芒が出るので、仕事はできない。
「手術」 では、瞳孔を開く目薬が なんと2回 与えられた。その上で、患者側 接眼レンズを使う都合だろう、「表面麻酔」 の目薬が与えられた。
「検査」 後は数時間で正常な視界 (輝度) が戻るが、「手術」 後は − そうだな − 10時間もかかっただろうか。ただし 「手術」 では 対象となる (今日の僕の場合) 右眼だけなので、左眼は正常なままである。その意味で、職場で聞いた 「網膜剥離の手術なんか、うちの奥さん、2時間もしないうちに帰ってきて 元気に お料理してた」 というのは、ウソではないと思う。

なお、瞳孔を開く薬品が完全な効果を示すまで 30分 (待合室で ハリポタの英文が読めなくなるまで)、手術自体の所要時間は 10分前後。医院での会計精算まで、総1時間。ただし、開いた瞳孔が正常に戻るのに 要する時間は、「検査」 では数時間、「手術」 では 10時間と見ておくのが、よい。「近視の強い」 人は、少なくとも 「年に一度」 は 「検査」 する必要がある。(30才以上の友人たちよ、あんたら みんな近視だろ。願わくば 近所になじみの眼科を作って、「年に一度」 検査されよ)


(20040128-1) 知人の機械へのウィルス感染 − 日記

新聞にも出たそうだ。
新種のウィルスで、めずらしいことに .EXE の添付ではなく .ZIP の添付で来る。ついでに、このウィルスは (おそらく OutLook Express の) アドレス帳を見て、発信者のアドレスと "Return Path" も 偽装するらしい。ここ3日、20通前後のそれが検出されている (検出しているのは プロバイダの AT&T。最近はほとんどのプロバイダがこの種のウィルス検出・削除チェックをしてくれる) が/ので、幸い僕に被害はない。

が、気分の悪いのは、発信者が 「僕」 だと書かれ、従って "Return Path" つまり配達不能時の通知先も僕になっているのがある; この場合、感染したパソコンに僕の名前があり、同じアドレス帳に 「過去の」 (既に消えた) メール先がある場合、「配達不能」 通知も僕に来る。さらに、発信者が 「僕」 なので、プロバイダのウィルス・チェックからは 「お客様発信のメールにウィルスを検出しました」 と警告が来、さらに 「配達不能」 通知が来、さらに 受信したメールにも 「ウィルス検出」 レポートが来る。

転送経路の詳細を見ると、ふむ。発信者を 「僕」 に偽装した真の (直接の) 発信者は、Yahoo BB の、どうも (実は 親しい) 友人らしい。夜、電話してみた。やはり、2日ほど前、仕事先からの添付で .ZIP があったので開いてみたという。決まり。その翌日には これは 「既知のウィルス」 になったようで、幸い僕には すべて プロバイダからの警告付きで来た − しかし、それにしても、発信者が 「わたくし」 で 不特定の相手に送信されていることを思うと、気分がよくない。まして、「わたくし」 発 「わたくし」 宛だと、経路上のメール・サーバから 送・受信 とも警告が、さらに未達メールではその警告が 「わたくし」 に来るのだから、わずらわしいこと この上ない。

今日の夜になると、プロバイダからの警告 「お客様発信のメールにウィルスを検出しました」 は来なくなった。つまり、ウィルス・チェックのソフトが、「偽装された発信者名」 くらいは排除するように変更された − ような感触。

友人には、とにかくウィルス感染チェックせよと言ったら、それは承知していた。ついでに、プロバイダ段階でのウィルス・チェックをさせよと、強く勧めておいた。
しかし こんなウィルス、広い意味での 「愉快犯」、やはり許しがたい。


(20040127-1) プリンタとマウスの故障 の てんまつ − 日記

「写真」 を出す HP のカラー・プリンタに しばらく異常が出ていた − 例えば、テスト印刷に白い線 (印刷されない ドット・レベルの 「行」) が出る。これはもう寿命かと あきらめていた。が、「写真」 の印刷には支障がなかったので、「完全に壊れる」 前に 親戚 (姉ら) のために、うちの子の写真を出して送ったばかり。

ちょうどそこで 「カラー」 インクが切れて、カートリッジを交換した。交換後のテスト印刷には、あら?、カラー部分には 「白い線」 が出なくなっている。ふうん。前のカートリッジは インクの出口や 信号接点など、へたに 「お掃除」 したから かえって (カートリッジ側が) 壊れていたのかしら。
テスト印刷では、まだ白黒部分に 「白い線」 が残っていた。では、これを取り替えてみようか。HP のカートリッジは高い (白黒 ¥3,000 くらい) のだが、プリンタごと取り替えるかどうか、そのテスト費用だと覚悟?して買ってきた。
結果: 白黒部分からも 「白い線」 が消えた。つまり、プリンタの故障ではなかった。
結論: カートリッジの注意書きにある通り、「その」 部分に 「触ってはならない」。触って 「お掃除」 すると、カートリッジの 「その部分」 が壊れる。なぜそうまで脆弱であってよいのか ・・・ 「インク・カートリッジ」 は消耗品だから、だろう。このメーカーの製品では、印字ヘッドとそのインクが一体になっている、つまり 「印字ヘッド」 自身が カートリッジに内蔵された消耗品なのだ。故に、これを へたに 「お掃除」 すると、そこが 「壊れる」。
かくして、我が家の HP カラー・プリンタは まだ 「寿命」 に至っていないことを証明した。問題は 「本体は安いがカートリッジは高い」、つまり 印字ヘッド自体がカートリッジ側にあり 使い捨てである点が、このメーカーのプリンタでは問題であるにすぎない。
なお、Epson、Canon などでは、「印字ヘッドはプリンタ本体にあり、インク・カートリッジはインクだけ」 である。ただし、これら日本メーカーの製品でも、個々の 「色」 カートリッジは けっこう高い。それも 「日本の」 メーカーらしく、そのカートリッジの構成 (5色か、7色か8色か) が ころころ変って、とても ついて行けない。1年後には その機種のインク・カートリッジが入手できなくなるかもしれない; だから (それも理由の1つになって) 僕は 今も HP なのだ。

マウス。
正確には Logitec の トラック・ボールなのだが、この 「左ボタン」 が消耗していたらしい (chattering が激しかった)。少し前、近所のパソコン屋で同じものを探したが、ない。しかたがないので、普通のマウスで代用していた。が、気に入らない。
ようやく 秋葉原で同じものを見つけた。「新品」 の マウス (いや、トラック・ボール) は、「人間の手で操作する」 ものだけに、「肌触り」 が問題になる。ま、こんなものだったかしら、当初は。
マウス (トラック・ボール) のボタンは、業界では micro switch と呼ばれるタイプのスイッチである。伝統的には、このスイッチの寿命は長い。例えば、工場の現場で使われるロボットの腕が 「ある位置に至った (故に 「もう腕を引っ込めよ」 という指示になる)」、「自動ドアが完全に開いた、故にこれ以上 開く動作はするな」 という所に使われる。Windows マウスの 「左ボタン」 には、それと同じ品質のスイッチが使われていたはずなのだが、僕の自宅用 マウス (トラック・ボール) は、かなり激しいチャタリングを示した。同じ製品の一代前のは、今でも職場で使っている。何の問題もない。Logitecさん、製品の世代交替の時、スイッチの品質を落としたのだろうか?

ともあれ、僕のマウスは、ようやく今までと同じ トラック・ボールに戻った。


(20040124-2) 極限まで私的な − 日記

8才、3年生の娘の靴のサイズが、母親と同じになってきた。こないだ母親に買ってもらった 300円の ヒモ結び型を扱いかねて、今度は父親と。2000円手前のお値段のついているのが 必ずしも気に入らない。結局 店の前に並んでいる安売り物で、950円。親の経済事情は知っているが、それを考慮したとも思えない。要は 「当人の気に入ったものがよい」 というのが、父親の方針。「ヒモを結ぶ」 タイプの靴は、実は父親自身 中学か高校まで苦手だった。父親自身、使っているのは 今でも 「子ども用」 の運動靴 24.5 cm である。

2才半が、驚いたことに 標準サイズの LEGO で遊んでいる。組立てブロックおもちゃの LEGO には 類似品もあるが、LEGO 自身には 「幼児用」 と 「大人でも遊べる」 標準サイズの、2サイズがある。標準サイズは突起の径 5mm だが、「幼児用」 は その倍である。僕は その 「幼児用」 を買ったことがない。現在の8才が この標準サイズ LEGO を扱えるようになったのは、もう幼稚園のころではなかったか。もっとも、3月生まれの (現在の) 8才が幼稚園3才で LEGO を扱えるようになったのと、既に2才半になる弟と、それほどちがいはない。

「ハリポタ」 第4巻の原文を、もう1年も持ち歩いている。やっと、総 600ページ超の 500ページを越えたところ。この巻 冒頭で 仇敵が画策をする場面があるが、ようやく 500ページあたりでハリーが 再度その夢を見て、校長室に駆け込み、そこで再び 「夢」 の中の裁判を傍聴?している場面。ようやく、例によって 「巻頭の謎」 が解明されて行く段階に至ったらしい。が、この第4巻には、大きな不満がある。第3巻での 「謎」 の処理にも疑問があったのだが、第4巻では展開はさらに散漫になっている。いずれ時間ができたら、その議論は 蒸し返したい。

眼科への定期検診 (使い捨てコンタクト・レンズを買っているので)。ちょうどその前日に、ハリポタの本の下半分がセピア色に見え、「ん?」 と思って 視線を移動させると、「下半分」 の境界線が移動する; つまり セピア色は内出血の一種、「まちがいなく循環障害の症状」 だと医師は言う。医師はその場で瞳孔を開いて観察したいと言ったが、今日 それをやると 患者としては都合が悪い。週明け月曜の朝にした。
年末年始の子どもの肺炎騒ぎ、それに続いて ばあちゃんの 「骨伝導」 携帯の不成績、そんなことが僕の 「心労」、あるいは それをトリガとする疲労に結びついているのかもしれない。事実、疲れたとき 特有に発生する 「痔」 の症状が出ているので (あはは)、その意味で いま僕は 「疲れている」 にちがいない。


(20040124-1) TV 録画の勝手な配布は 「著作権」 と衝突する − 日記

先に申し上げておくと、「著作権」 の実体は ラフに2点:
(1) 著作物の配布にかかわる権利 つまり 多くは 著作物の配布に際して金銭的利益を得る権利
(2) 著作者の人格権、つまり みだりに自作を利用されない権利
もう1件、「枕」 の冗談、しかし本気の問題としては、「街の写真屋の多くは、そこで撮った写真のネガを返してくれない」 ことがある。これは面倒で、
(1) 写真の著作権はその撮影者にある − これが写真屋の論理。客にネガを渡して、よそで印画されたら つまらない、と街の写真屋は考える。
(2) もちろん、その写真を 「著作物」 と考える (芸術写真ですね) なら、そこには著作者自身の人格権が関係するだろう。街の写真屋の論理は この点どうなのか、僕も知らない。
(3) 写真に写された人には 「肖像権」 がある − だから本来、街の写真屋のウィンドウに、「わたしの知らない間に」 わたしの写真が出たら、断固抗議すべきである; もっとも、当事者たちは かえって喜んでいる傾向があるけど。
このあたりから、問題が出て来る。
例えば、ある研究会に出席した; そこで写真を撮った; その日の研究会の様子を Web上に公開する; そこで、「みんな そろって撮影」 した写真を 研究会のホーム・ページに上げたいのだが − はて、困ったことに、そこに自分の姿 (または顔) が出るのをいやがる人がいる (理由はいろいろ: 自分はブス?だから、自分の顔が不特定多数の読者に さらされるのがいやだ、ストーカーのおそれを避けたい、ここに出席したことが バレるとまずい、自分はスパイである ・・・ 等々)。だから、この場合は、写真を 「判読」 できないところまで縮小して、人数を数えるのが限界、個々の 「顔」 はとうてい見えない状態で公開せざるを得ない。



さて、本題。
知人であり、当方は 友人でもあると考えている、最近だいぶ有名になってきた大学研究者がいる。彼が、なんと NHK 教育 TV の、10分間の解説番組に出た。韓国の現大統領をめぐる複雑な周辺事情を、彼らしく、なかなか 「初々(ういうい)しい」 姿で解説、表現していた。事前にこの情報を仲間うちから もらっていたので、もちろん録画した。10分間なので、「ビデオ CD レベル」 の録画で 100MB ちょうどくらいに収まった。100MB というのは、ADSL 1.5Mbps (実効 1.0Mbps) でも 800秒、つまり 14分くらいでダウンロードできる大きさである。条件のよい 「光」 環境なら その 100倍の速度、つまり8秒でダウンロードできてしまう (通信速度のちがいというのは、そのくらい極端なのだ。くどいようだが、1.5M ADSL で 14分、100M 「光」 なら8秒)。

ちょうど、その情報を見落としたという また別の大学研究者の友人が、自分の掲示板で 「再放送はないのか」 と言っていた。なんだか義憤?を感じて、じゃ 僕の録画を han-lab のどこかに置いて、出演者自身の許可のある人にだけ個別に通知、ダウンロードしてもらおうかと考えた。だから、出演者自身に、その旨 通知、了解を求めた。

来た返事: 出演者自身がそういうことをやると、NHK 側の 「映像権」 の問題が出て来て面倒なことになりそうだ。だから、俺に振らないでくれ。
なるほどね。了解。忘れてた。「番組」 の著作権者は NHK なのだ。が、そこに表現されている彼の解説または主張は彼自身のものであり、そこには彼の著作権も人格権も含まれる。問題は、「番組」 の著作権者である NHKさんが、いわゆる 「映像権」 に かなり うるさい点である。深夜の NHK TV の無意味な映像放送にも、必ず NHK のロゴが埋め込まれている。あれは 「このチャンネルは NHK だよ」 と知らせる 「親切」 であると同時に、その映像の 「盗用」 を困難にすることが目的の1つであることを、NHK の当事者自身が言っている。

問題の 「番組」、一応 「書誌」 を書いておこう:
2004/01/22 NHK 教育 TV 22:50 - 23:00
視点・論点 』− 「韓国大統領の苦悩」 木村幹
CD、レコード、ビデオなどの録画、コピーは、「あなたの個人的な楽しみの範囲内で」 自由です。でも、それを不特定多数に配布してはいけません。まして、それを営利目的で行なう場合には、著作権者から猛烈な攻撃を受けることになるでしょう。

だから、僕も 「わたくしの個人的な楽しみの範囲内で」 保存することにしますか。「個人的な楽しみ」 を友人・知人と共有するために、あくまで 「個人的に」 コピーしてあげることがあります。また、その 「保存」 場所は、わたくしの自宅のパソコンとは限りません。わたくしの管理する Web サーバ上にそれを保存することには、どこの誰も抗議することはできないでしょう。

と いうわけで、彼の 10分間の 解説番組 録画を 「公開」 することはできない。が、「あくまで個人的に」 コピーしてさしあげることはできる。コピーの手段としては、CD-R なども考えられるが、「個人的」 に 私的サーバからダウンロードしていただくのが早い。面識または書面識のある相手に限れば、NHK さんからの攻撃も排除できるだろう。
そういうわけで、この 「ビデオ録画」は 「私的に」 扱うしかなさそうだ。一人でも要求があれば用意するので、要求される方はメールをください。


(20040120-1) デジカメの功罪 − 日記

今年は半月遅れで出した (返信した) 年賀状は、もちろん デジカメ写真に多少の文面を付けたものだった。実は、当初 「インクジェット」 用 「官製」 年賀ハガキを用意してあったのだが、なぜか 「紙質・プリンタ・画像」 の相性が悪いようで、「官製」 ハガキは事実上廃棄、市販の 「マット」 ハガキ用紙にきりかえた。
返信・発送の一騒ぎが終わると、今度はかあちゃんが香港あてに (時期は これから旧正月なのだ) 10枚前後を要求してきた。今から再度 印刷するなら、じゃ、ピカピカの写真用紙のハガキにしようぜ; そうしてみると、あらら、仕上がりが全然ちがう。これなら、最初から これにすればよかった。

半月遅れの年賀状に、姉の一人は 「写真が小さくて よく見えん! 写真を送れ」 という、めずらしい、携帯電話発のメールを送ってきた。ふむ。そうか。では、実験に、じいちゃん・ばあちゃん用の写真を印刷してみよう; そこそこ。実はプリンタに一部 故障が出ている (これはもう、プリンタ自身の寿命らしいと思われる) のだが、不思議なことに 写真の印刷には支障がない。先日の (下記)「骨伝導」 携帯の実験のついでに、じじばばにはその写真を置いてきた。

ふと、ところで俺んちの写真 (の保存) はどうなってるかと、気がついた。あらら、2002年の夏以来、紙に 「印刷」 したものがない。「画像」 自体はパソコン上に二重に (僕の機械と、ツマ子用の機械に) 保存してあるので、それで安心してしまい、「自家用」 の印刷を放置していたようなのだ。とりあえず、2003年の夏、それに 2004年の年賀状になった画像群を 「印刷」 してみる。
2002年の夏と同じバインダー (2つ穴の いわゆる 「ファイル」) に綴じてみると、ずいぶん ちがうわねえ ・・・ まず、2002年のは 紙自身の変色が激しい。僕は色盲なので インクの 「色」 の変化がわからないのだが、おそらくツマ子ら (色盲率は男子 20人に1人、女子 400人に一人; ツマは色盲ではないので、色盲遺伝の特性として 娘は色盲ではない; 息子には色盲があり得ない; これは 「娘」 を介して 50% の確率で隔世遺伝するものである。故に 我が家で色盲は僕だけである) には、色の劣化が見えるにちがいない。「紙」 自体にこれだけの変色 (黄色くなっている) がある以上、インクの色の劣化も、同じように進んでいるはずなのだ。



「デジカメ」 のもたらした 「効果」 の1つは、「それを自分自身で紙の写真にする」 点である。その際に使われるのが、今では1万円で買えるインク・ジェット プリンタなのだが、それには2つの問題がある:
(1) 用紙自身が、1年か2年で変色する。
(2) プリンタ・インクも、そのころには同様に変色しているだろう。
だからこそ、プリンタ業界では 「染料系」 インクか 「顔料系」 インクか、という商戦が展開されてきた。いずれにしても、「劣化」 はする。銀塩写真の 「百年プリント」 が話題になったのは、おそらく 1970年代の後半。つまり、「カラー写真は 10年で色が消えて見えなくなる」 と言われ、そのウワサが事実であることが確認されつつあったころ、写真業界は 「百年プリント」 を打ち出してきた。

現代の 「デジカメ -> インク・ジェット プリンタ」 の経路では、「カラー写真は 10年」 どころか、4年か5年で 事実上 画像 「読み取り不能」 になるのではないか。100年前の写真が現代では美しい 「セピア色」 に変色しているのに対して、インク・ジェット プリンタの写真が 10年後にどう変色しているかは、まったく予測の範囲外にある。

対策:
(1) 「転がる石にコケはつかない」 (Rolling Stones) 。パソコンが古くなってそのデータが読み出せなくなる前に、その間に取った写真 (に限らない、あらゆるデータ) は次の世代の機械にコピーを続ける。ある時代のあるソフトに依存する特殊なデータ型は どうにもならないとしても、JPEG のデジカメ画像くらいは、20年後にも読み出し復元することができるだろう。それが十数世代のコピーを経て保存されていれば、「その瞬間」 以後の寿命はどうであれ、その瞬間に、「撮影当時と全く同じ」 美しいデジタル画像は まちがいなく復元される。

(2) 街の、「デジカメ」 DPE 屋さんに出す。もしそこが、本当に 「デジカメ画像を 過去と同じ百年プリント」 にしてくれるところなら、「百年」 は保証されるかもしれない。(ただし その店が手抜き屋で、単に現代のインク・ジェットで印刷してくれるだけなら、やめたほうがいい。ちょっと考えにくいが、中にはそういう店がないとも限らない)
念のため、「デジカメから直接 紙にプリント」 してくれる (パソコンが要らない) タイプのプリンタは、わずかな例外を別にすれば すべて 「インク・ジェット」 型である。この 「紙にプリント」 は、パソコンからインク・ジェットに 「印刷」 したのと、どのようなちがいもない (故に、10年保存を期待できない)。「わずかな例外」 とは、同じ方法・経路で、ただし 「紙」 に定着させる方法が 「インク・ジェット」 ではない、例えば静電定着型であるだけで、他に ちがいはない。「百年」 に耐えるかどうかは、インク・ジェット以上に未確認だと言うべきで、ある。


(20040118-1) 「骨伝導」 携帯の結果 − 日記

結果は、悲惨だった。ばあちゃん、孫8才の女の子の 「おばあちゃん!」 は聞き取れるが、その他は まったく聞き取れない。僕自身も 「骨伝導」 スピーカーの音を聞いてみたが、たしかに携帯特有の背後ノイズが明瞭に聞こえる; つまり それ以上の効果はない。まして、やや深刻な老人性難聴には まったく無力であることがわかった。

その数時間の間に、父夫妻、長男夫妻とその子 (つまり孫) らの間に、感情の修羅場さえ生じた。例えば、「俺は耳は聞こえる!」 と主張するじいちゃんが 孫8才に妙に反発したり、直後には 「トシらしくもない」 怒りを表現したじいちゃんが 反省を表現して妙に笑顔を表現したり。

いずれにしても、「携帯」 の周波数特性では 「やや深刻な老人性難聴」 に 「骨伝導」 などまったく意味がないことがわかった。

残るのは、「固定」 電話のそれだけとなった。
父の家の電話が、いつの間にか 「IP 電話」 になっていることは書いたが、その 「背後の (気付かない) ノイズ」 を理解しているのは とりあえず僕だけである。父を相手にいろいろ実験した結果としては、彼はその 「ノイズ」 こそ認識していないものの、意外 (以上) に彼の聴力 または音域分離レベルは高い; つまり、80前の老人としては想像以上に、息子の 「低いささやき声」 も聞き取れる。そうなると、では父は放置してもよい。問題は、その父の認識外にある 「IP電話」 を聞き取れない母である。

段階的には、次はアナログ電話に戻してみることである。が、それは面倒。むしろ、僕自身の家の電話は純然たる ISDN だから、その末端 (端末機 = 受話器) に 「骨伝導」 をつないだらどうか。
幸か不幸か、父は 白内障の手術を予定していて、その不在中 妻 (わたくしの母) を わたくしに預けることになっている。それまでの間に、ひそかに 「骨伝導」 受話器を用意してみようか。今のところ、そのくらいしか 対策案はない。それでだめなら、仕方がない。ばあちゃん、やはり 「電話は だめ」 のまま 人生を閉じるのだろうか。一般論として、老人の末期はそうなので、別に悲観することでもない; ただ、僕には 母に、娘や孫たちとの 「電話」 での会話を復活してやりたい、そういう希望があるだけなのだ。ただし、耳小骨の先の神経系に劣化が認められる以上、母にその 「希望」 はないかもしれない − それは その夫 つまり父の言う通りかも、しれない。


(20040117-1) フィールド資料の 「コピー」、デジカメ、スキャナ、+ 雑談

友人で大学国文科の教員が、新聞記事のコピーをメールで送ってくれたことがある。そのあまりの (コピー、つまり GIF だったか JPEG だったかの画像の) 美しさに驚いた。記事の内容より、どうしたら これほど美しいコピーができるのかと、返信した。

そこから先は、彼のノウハウである; 書いてはいけないのだろうか? でも、書いて、世間のフィールド調査 一般に役に立つことこそあれ、害は絶対にない。彼も 「ここ」 は読んでくれているので、抗議があればこの記事は削除するが、でも抗議は来ないだろう。

話は、実に単純だった: 新聞など、裏面の 「裏映り」 が必ず出ると予想される原稿をスキャナにかけるときは、原稿の背後に黒い紙をはさむ! のだそうだ。それだけで、「裏映り」 は ほとんど解消される。つまり、スキャナなどの機械は 光を当てて その反射を取り出すので、カメラの自動露出と同じことをするらしい。たとえ白黒でも、「グレイ・スケール」 であれば 「色(白黒) の深さ」 は問題になる。スキャナという機械が高級なら高級であるほど、それには敏感である。だから、新聞紙面の 「裏映り」 も、精度を上げれば上げるほど 正確に 「裏映り」 を読みとってしまう。背後に黒い紙をはさむと、この背後の明暗が、かなり減る。

が、スキャナそれ自身に対して 「白黒のスレッシュホールド」 を指定できるものは、ないかもしれない。とりあえず、「グレイ・スケール」 で取り込む。これを、例えば Adobe の Photoshop (これは かなりのお値段がする) とか、IBM の 「デジカメの達人」 (こちらは安い。Home Page Builder のおまけにも付いている) といったソフトにかける。そこで 「レタッチ (これは、原語は retouch だろうが、「レタッチ」 で日本語化してしまった)」 する。「デジカメの達人」 の場合では、輝度とコントラストの調整では タテ・ヨコ 3 x 3 の窓、中心に 「現状」 を表示し、上下左右に それぞれ輝度・コントラストを1段 変えた画像がならぶ。その1つをクリックすると、今度はそれを中心に9コマの候補がならび ・・・ という具合で、これに驚いたことがある。白黒グレイ・スケールの画像であれば、このどこかで、「背景は完全な白、表面の文字画像は完全な黒」 という画像に持ち込める。この調整をくりかえせば、あるいは 「原稿面に流れたコーヒーや茶の跡」 や、手垢、あるいは子どもの汚した部分なども、消してしまえるかもしれない。

昔、「マイクロ・フィルム」 というのがあった。1970年代、国会図書館でも、過去の新聞などは ほとんどが これになっていて、現物は拝めなかった; その代わりフィルムが出て来て、これを 「マイクロ・フィルム リーダー」 と称する機械で 「見る」。デジタル化以前、銀塩写真のフィルムを、TV くらいの大きさの画面に投影してくれる機械がずらりと並んでいた (おそらく、今も その 「マイクロ閲覧室」 は ある)。(余談だが、この 「マイクロ・フィルム」 と普通の写真のフィルムのちがいは、写真のそれは 「ネガ」 つまり反転しているのに対して、「マイクロ・フィルム」 は 「ポジ」 である点である。つまり 昔の 「スライド・フィルム」 を長く巻いたままのものが 「マイクロ・フィルム」 であるらしい)

さて、その 「マイクロ・フィルム」 の撮影現場を想像されたい。
被写体を平面上に開き、置く。その上に、三脚ならぬ四脚の台を置き、その台の頂点に、レンズを下に向けてカメラを固定する。多くの場合、被写体の上にはガラスの板を乗せて、レンズからの距離を一定とする。
その当時にも、フィールドに出て資料調査する人の中には、この 「マイクロ・フィルム撮影セット」 を持参する人がいた。資料発見と同時に フィルムに収めてしまうのだから、それはすごい。この人たちのフィールド出立時の装備は、職業カメラマンと同じである。

いま現在、それと同じ装備で、ただしカメラだけはデジカメ、というケースも、あるはずである。が、モサは、デジカメの代わりに、ノート・パソコンとスキャナを持ち歩くようである。スキャナは、例えば僕の Canon であれば厚さ 38mm、電源はパソコンの USB から取るので、パソコンとそれだけで 用は足りる。この装備は、小さな旅行カバンに収まってしまう。それをやっているのが 国文科のフィールド調査だというところに、正直 僕は驚いた。

ところで、ガラス板でおさえてカメラ撮影するにせよ、スキャナで取り込むにせよ、被写体を 「平面に開く」 点に差はない。これを嫌う 現場がある。先祖伝来の書物を、背表紙を完全に開いてカメラ (またはスキャナ) に写させるのでは、本が傷む。実際、図書館の本がしばしば傷んでいるのは、悪意のいたずらでなければ この 「平面に開いて」 コピーにかけるからである。事実、「マイクロ・フィルム」 時代にもこの点を拒否されて、撮影結果には 本の中央部 (綴じ部分) の凹み = 影が出ているものがある (恩師はこれを 「うつりすぎ」 と言っていた)。

これは、現在もどうしようもないかもしれない。
デジカメで、「レタッチ」 すればある程度救われる可能性はある。が、それにも限界がある。特に、光の具合で完全に 「影」 に入ってしまった部分など、「レタッチ」 を越えて 「作画」 に近くなってしまうだろう。それでは、原典複写の第1コピーという意味がなくなる。

原理的には、ページ面が湾曲した被写体の画像を、「平面に開いたら どう見えるか」、それを復元するソフトウェアは 作れるはずだ − 僕はできないけど。

例えば、ある建造物を外から撮影する。数枚の写真で、建物の周囲は撮れる。この画像から その建物の三面図 (前後左右、それに上からの平面図) を復元するくらいのことは、その世界のソフトでは既に やっているかもしれない。というのは、1960年代の 鉄道模型の世界でも、「写真しかない (図面はない) 周辺建造物 (時には車両それ自体)」 の写真から 「手作業で」 図面に復元するくらいのことはやっていたからだ。つまり、ダ・ビンチ以来の 「遠近法」 を逆に写真に適用して、そこから被写体の実寸を割り出し図面化してしまうのだけれど。


(20040116-1) 「骨伝導」 携帯の予想 − 日記

街にあふれる 「携帯電話屋」 ではだめだが、各業者 直営の店に行けば 通話できるサンプルの 現物があって、それで通話の実験もできるらしいことがわかった。老人性難聴のひどい母の近所、川を渡って埼玉県の店に、日曜日に行くことにした。

さて、どうだろう。「老人性」 である以上、音声センサ自体の劣化、かつ その伝達系の劣化である疑いは強く、「まず だめだろう」 とは その夫 つまり 父も言う。が、父も同行すると言う。息子として彼を見ていて ほほえましいのは、彼の 妻に対する保護の意識、愛情である。が、息子の観察によれば、その父自身の聴力の劣化も著しい。父が TV を見ているときの音量が 異常なほど 大きいのだ。8才の孫が来て TV を占領するときは、それに安心して 大きな音のまま − たちまち 父親が 「うるさい! (TV の音) 小さくしろ」 と怒鳴る。
従って、「骨伝導」 型 電話機が 本当に有効なのは、あるいは 父かもしれないと、考えはじめた。この程度の難聴なら、「骨伝導」 で大きく改善される可能性がある。それより やや深刻だが、いざとなれば 女の声で電報のような伝達なら聞き取れる姉についても、実験の価値あり ということになる。

ただ、それは 「携帯」 の 「おまけ」 機能だ。それより、調べてみたら、固定電話の末端になる電話機に 「骨伝導」 が かなりあることがわかった。あらら。
父の家の電話は、前にも書いたが 当人も知らない間に IP 電話になっているらしい。この IP 回線、想像以上にノイズ・レベルは高い。軽いとはいえ難聴のはじまっている父には、その音質の劣化が認識されていない。その末端にこそ 「骨伝導」 が有効だと見るか、「骨伝導」 によって ノイズそのものを認識できるようになるか。

結局、「携帯」 がだめなら 次は固定電話、その固定電話で 「骨伝導」 が有効なら、ノイズ・レベルを考えて ISDN を再度 考える; それが最後の経路か。「局あずかり」 になっている NTT 回線を ISDN で復活させ、一方 インターネットは (今の電話を勝手に IP 化して行った) ケーブル TV という経路になる − のだろうか。それまでの間に、父が生きていてくれれば、という話だが。

聴力、その可聴域 といったことに 「妙に うるさい」 僕自身は、40才前後まで TV のブラウン管の 発する 15KHz 発振音が聞こえていた (これは普通、幼児1才くらいで多くは聞こえなくなる; または意識しなくなる)。が、姉の一人は高校生で補聴器を経験し、母は 80前で 「電話」 が不能になっている。その末子である僕が、「今のうちに どうにかしたい」 と考えるのは、まあ、理解していただけるだろうと思う。僕自身が ある日、突然 「難聴」 を発症する可能性はあるし、「徐々に」 であれば、既に ある種の状況では聞き取れない会話に出会うこともある。

もう1点。「外国語」 ではどうか。
僕自身、英語であれ朝鮮語であれ、DVD でも VHS でも、たしかに 音量を上げないと聞き取れないことがある。僕の配偶者にとって日本語は 「外国語」 なので、同じ現象を示す; つまり彼女が日本の TV のドラマを見るとき、音量が上がる。うるさいので 「小さくしろ!」 と怒鳴るのだが、これには やむを得ない面がある。外国語音には、母語の音声 (周波数) スペクトラムにはないパターンがある。だから、母語とちがうパターンの細部を聞き取るためには、普通の大人なら音量を上げざるを得ないのだ。

彼女の母親は、80代で、母語で、電話で常にどなり合う習慣を持ちつつ、おととし亡くなった。「どなり合う」 電話のコミュニケーションを持ちつつ他界したということは、聴力はまったく正常、多少の劣化を示していただけだ、ということである。この人の家系に 「難聴」 の兆候はない。


(20040114-1) 「骨伝導」 携帯は 老人性難聴に有効か否か

僕の 「家系」 上の問題なのだが、母は 70代で急速に老人性難聴を示しはじめた。その娘 (僕の姉) たちの一人は、高校生のころから軽い難聴を示したので、そのころ補聴器を使ったことがある。補聴器というのは 外耳の外側にマイクと小型スピーカーを持つ機械で、外部の音をマイクで取り、それを増幅して 鼓膜に伝える。もちろん その周波数特性が問題になり、そのために 「補聴器」 一般は、例えば5万円から 30万円くらいの値段がする。

が、老人性難聴は、その鼓膜の内側、つまり中耳と内耳の間にある 「耳小骨」 つまり音声センサ系の故障であり、さらに耳小骨の先、脳に音声を伝える長い経路そのものが劣化している可能性もある。

電車の中の吊り広告。その TUKA が、「騒音の中でも聞き取れる」 「骨伝導」 型の携帯の広告を出していた。一瞬、目を疑った。が、本当にそうらしい。骨伝導で 振動を直接 耳小骨に与えれば、周囲の騒音は遮断した上で 通話だけが明瞭に聞き取れるはずである。かつて ISDN の2チャンネルを使う 「TV電話」 を考えたことがあるが、それは費用の面で挫折していた。が、「骨伝導」 型なら、ばあちゃんに試してみる価値はある。もちろん、「老人性」 難聴が 耳小骨の先の (脳への) 伝達系の故障なら、効果はないだろう。が、その場合にもまだ、高校生のころ 「難聴」 を訴えた (今は) 50代の姉に試して見る価値は、ある。

問題は、それを 「どこで」 実験できるか、である。世の多くの 「携帯」 ショップでは、現物はあるが 実際に通話してみることができない。
そのうち、考えてみよう。ばあちゃんがそれでもだめなら、あきらめる。しかし まだ 50代の姉なら、耳小骨の先のセンサ・伝達系は健全かもしれない。「電話」 が 彼女たちには実用に耐えなくなってから久しい。この試みは、まあ やってみる価値がありそうだ。


(20040112-1) パソコンと TV録画 − 120GB HDD

「衝動買い」 と言えるかどうか。

VHS ビデオのデッキは 現在の8才が 幼稚園入学のころ買ったもので、すでに数回の修理を経験している。SVHS 「高解像度」 テープの安売りも既になくなった。そもそもリモコンが動作しなくなったので、録画ができない。それを代替するのが現在のパソコン、CD-ROM 1枚に1時間が収まる Video-CD レベルの録画だが、毎週3時間も録画されると、週末に親が CD-R に掃き出す作業も面倒になる。それが半年も続くと、ついに 40GB 用意してあった彼女のドライブはパンク直前、これを CD-R に掃き出しても、CR-R は 40枚も必要になる。やはり 「底なしの録画能力」 を持つ、「限りなく大きいハード・ディスク」 が ほしくなった。

Sofmap のインターネット通販では、120GB が1万円を越えていた。おかしいなと思って、T-ZONEを見ると ¥8980 がある。結局 後者を買って、ただしケーブルと電源の振り分けで結局 1万円を越えた。
これを 「どこに」 実装するかが問題だった − 「おしゃれなベア・ボーン」、空きベイはない。が、フロッピーは付けていない。そうだ、同じ 3.5" じゃないか。ここへ つっこんでしまえ。仕上がり: フロッピーのメクラ蓋を開けて、そこに ハード・ディスクのお尻が見えている。2才は、その隙間に フロッピーを差し込もうとした形跡もある。

HDD は 妙に熱くなる。こりゃ限界かな とも思ったが、箱を開けてチェックしたら、あらら、機械背後に排気する主冷却ファンそれ自体に太い電源ケーブルが触れてしまい、ファン自身が止まっているではないか。数日間、よく動きつづけたねえ − これに自信を得て、この程度なら大丈夫、主冷却ファンの温度センサも DVD、HDD から充分 離して、再度 設置。それでも、120GB HDD が回りっ放しなので さすがにファン音レベルは上がった; そもそも、最初に (ファンが止まって) 妙に静かだと思ったのだが、これなら もう一度 開けて、温度センサの位置を再度 変えてみようか。いま現在、120GB HDD のお尻は、触っても 「暖かい」 と言えないレベル。主ファンが止まっている間も、「暖かい、でもずっと触っていると熱い、まずいな」 という程度だった − これなら、もう一夏くらいの間は 実用に耐えてくれるかもしれないと、期待したいところ。

なお、120GB HDD は、60GB のパーティション2つに分けた。その第1パーティション 60GB に既存のすべての録画を収容して、残 12GB。いくらも残らないことになるが、そうでもしないと、8才は無制限の録画に走る。彼女は 「マイ・コンピュータ」 の 「プロパティ」 でディスク残量の意味を理解したので、今は彼女に、「少し節約」 を覚えさせるつもりなのだ。
ある時点で 120GB ディスクの 「安定動作」 を確認したら、「既存」 ドライブ上のファイル群を削除する。これで 物理的な第1のドライブは 容量の面で解放される。120GB の残り半分 60GBは、今年後半のために 今は空けてある。


(20040106-1) 年末年始日記 − 年賀状

わずかな枚数とはいえ、何枚か年賀状をいただいている。どこかの役所の発表では 国民一人あたり 19枚の年賀状を出した (受け取った) ことになるそうだが、僕の家庭では 総 40枚程度なので、4人家族としては 「国民平均」 以下、僕一人なら まだ 「平均」 以上ではある。

が、半年前に書いた 「ルーター」 の記事、あれを見て さっそく 「ルーターも買いました」 なんて書いてくださる方がいる。ふうん、あの種の記事、ムダじゃなかったんですね。僕自身、この種の記事は 「数年後に 役に立つかもしれない」 つもりで書いているので、半年、つまり想定を越えた (時間的) 近距離で反応を いただけるのは うれしい。

さて、僕自身は、一応 年末の間にハガキのドラフトを用意し、30枚前後の発信を予定していたのだが、やはり 「この時期、毎年 何かある」、今年は2才の肺炎騒ぎになったせいで、まだ不義理のままである。いただいた年賀状、わたくしのトシを反映して整理は紙とペン。できあいのパソコン住所録の類は、ソフトウェアの恒久性を信じないので使わない。賀状をくださった方へのお返事も、宛名は 汚くて恐縮だが 手書きで、これから数日かけて お返事さしあげることにする。電子メールで賀状をくださった方にも、お返事さしあげていない。そこに 紙のメールで到達可能な住所を書いてくださった方には、やはり紙でお返事さしあげるつもりでいる。「月遅れ」 の年賀状/返信になるかもしれないが、お許しを。


(20040103-1) 年末年始日記 − 家族会議

「家族会議」 といっても、一度は田舎を捨てた父夫妻、それを 20年前に東京で引き受けた僕と、僕の現在の家族たち、その他には二人の 娘 (僕の姉) たちだけである。

父の 「話があるので」 集まれという号令は、既に 「老人の繰り言」 化した 「俺らの死んだ後は ・・・」 を、再度 言いたいだけだった。それに対して、姉の一人は激しく抗議し、「そんなことはとうに承知している; それは生きている者がやるので、あんたが心配する必要はない。それより、痴呆化、徘徊、寝たきり という過程を経る場合のことを考えているのか」 と、涙ながらの場面になったのは 僕自身も驚いた。彼女の夫は、常に 「僕」 に 「理解ある人物」 だった − 例えば、20代の 10年間を朝鮮近代文学の 「研究」 に捧げたはずの僕を、親戚たちの中で擁護してくれたのは 彼である。それから 30年。人は保守化する。東京にいる 「あの」 親を、誰が責任を持って面倒見るのか − そういう圧力を、彼女は受けつづけていたらしい。結局、それは、「長男」 である。だからこそ、20年前に田舎を捨てた彼らを東京に 「引取った」 のも、僕ではないか。結局、「健が責任を持って対処する」 と要約した第2の姉の言葉が 結論である。

僕は − まあ、そんなもんだね。0才の子育てに母親がパニックを起こしたのは、ほんの2年前。その3日後には、0才児を預かる施設は東京にも3ヶ所しかないらしいが その1つに送り出し、3ヶ月。四月に近所の公立保育園に受け入れてもらえるまでは、すべてが 「アラート」 状態だったし、それは充分に 「修羅場」 だった。それに比べれば、親の痴呆化過程には、事前に、充分な観察・判断・予測する時間が与えられている。だから 「俺は ぜんぜん心配してないよ」。それで、一応 姉たちには納得してもらうことにした。

その 「会議」 つまり 「会食」 の出口で、また 「トシ」 の話になる; 僕の下の子2才、「俺はもう 50だぜ」。上の子が割り込んできて、「だから 麦がお父さんの年になると、お父さん もう 100才なんだよ!」。あはは。100才で 「父親らしい」 ことをしてやれると いいんだけどね。


(20040101-1) 年末年始日記 − あけましておめでとうございます

昨夜 (昨年末 深夜) の 下の子の 「肺炎」 の疑いは、正確にはまだ結果が出ていないものの、一夜 明けると やや好転している。このまま もう1晩 無事にすごしてくれれば、めずらしい 「水野」 一家の正月の会食にも連れて行けそうだ。「一家」 とは面倒なもので、父が死ねば僕がその 「家長」 になるのだが、姉たちは 30年ほど前から別姓 になっている − つまり嫁いでいる。父は、自分の死後の ほぼすべてを 下の娘に託している様子だが、その死後の妻、つまり僕らの母の扱いは、「長男」 である僕が引取ることになるだろうと、もう 20年も前に決まったようなものだ。幸い、うちの上の子8才は おばあちゃん大好きなのだが、老人性難聴が次第に深刻化しているので、うちの子は 「高齢化社会」 の家族関係を、案外 早めに経験するのかもしれない − つまり、ぼくの 「父が死んだら」 という話である。

ま、正月早々 「死」 を話題にするのは恐縮。しかし 一般に 「正月」 の家族の集合は、互いの安否と その後の対策を話し合う場のはずである。「家族」 が若い間は 「久しぶりの集合、団欒」 ですむけれど、最年長は 79歳の数日手前、その最年少の孫がまだ2才となると − あはは、じいちゃん、自分の死後の心配ばかりである。


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