Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20030831-1) 「あっというま劇場」

NHK − 日本放送協会 − の子ども番組 「おかあさんといっしょ」 というのは、どなたもご存知のはず。僕の子どものころに既に やっていたから、40年以上のロング・ラン番組だ。ここには 「歌のおねえさん」 と 「おにいさん」、それに 「体操のおにいさん」 と 「おねえさん」 が出て来る。この顔ぶれは、早ければ2年か3年で入れ替わるが、最近の長い例では 「6年」 がある − 『ダンゴ3兄弟』 の大当たりが出た、茂森あゆみ おねえさんと、その仲間。実は 「ダンゴ」 は、彼らの交代 (引退) 直前の秋の歌だった。ところが、年が明けてから大当たりして、4月からの顔ぶれの変更は大変だった − ろう。間の悪いことに、あゆみおねえさんは芸術系、それも声楽科の出身で、この人を使って 番組の歌を作る側は大いに楽しんだと思われる; つまり、素人では むずかしくて とても歌えそうもない 「童謡」 が次々と出て、大人でも楽しめた。モーツァルトの 「トルコ行進曲」 に子ども相手の詞をつけて歌わせるなど、絶対に 「素人」 歌手には不可能な話で、「素人」 の発声音域を はるかに越えている; それを、あゆみ おねえさんは しっかりこなす 「プロ」 だった。
のだが、「間の悪い」 ことに、あゆみおねえさんの引退後、次の4月からのおねえさんは、完全な 「素人」 だった。僕が TV で聞いても、この人には 「音程」 の観念そのものがないと思われる、そういう人だった。なぜこんな人を選んだのか、人事の思惑など知らないが、あらゆる面で あゆみおねえさんと対極にある人、なのだろうな。
事実、この人の初期は、ひどかった。よほど特訓されたのだろうが、しかしカメラの前で (?) 歌う声が ふるえていた。ひどいなあ。それでも番組は毎日毎日続くのだから、放映中止したら全国数十万ヶ所の保育園と、数百万の自宅保育の家庭が困るわけ、ね。この歌手の音程が 「それほどひどくない」 と言えるようになるまで、2年かかった (断言してもいい; 1年後の彼女の歌は まだ音程が不安定だった。2年後、慣れるにつれて ようやく 「手抜き」 で音程の甘さが見られる程度にまでなった: これは、世の 「歌手」 一般のレベルだと言っていい)。その間、相方の おにいさんも えらく じいさん顔の人で、おまけに覚醒剤問題だったかがマスコミで騒がれて、さんざんだった。たしか3年で、このカップルは 現在の おねえさんたちと交替した。いま現在の 「歌のおねえさん、おにいさん」 は、拍子抜けするほど 「普通の」 若い歌手のカップルで、とても 「NHK的」 と言えそうな おねえさん、若くて ういういしい おにいさんになっている。どちらも、「NHK的」 に (僕には) 無個性な人に見えるのは、止むをえない。

ところで 「ダンゴ」 は、当時幼稚園だったか保育園だったか、今は3年生の上の子の反応が早かった。この歌がはじまると、TV に唱和する。それが秋。翌年の春前に大当たり。その4月に歌手は交替したが、一説によると 「ダンゴ」 の作者へのギャラ?はケタが上がったのだそうだ。当然、次の作品が注目された。が、柳の下には2匹めのドジョウがいなかった。やっと出てきたのが 「あっというま劇場」 で、こんな歌詞である:
あっというまに はじまって / あっというまに おわります
・・・
あっというま / あっというま / げきじょーおーおーおお〜
もちろん、画面には 「ダンゴ」 のキャラクターがアニメで出て、不思議なことに録画だけだった − つまり、あゆみおねえさんの後を継ぐ おねえさんは、歌わせてもらえなかった。もっとも歌は男声合唱だけで、女声が入っていなかった。

今夜 3年生の夏休みを終えたばかりの上の子は、もちろん この歌を覚えている。車の中で、おとーさんが歌ってみせる。「あっというま / あっというま 」 ・・・ 子どもが引取り 「なつやすみーいーいーいい〜」。

去年の夏は、8月末日になって 「漢ド」 つまり漢字ドリルの宿題に手がついていないことが露見した。当人、けなげにも 「朝までやる!」 とは言った。言ったが、7才にそんな体力があるものか。
今年は、事前にそれを警告した。うーむ。今年の達成率は 60% かな。ま、多少 泣くのも、いい思い出になるさ。


(20030830-1) IE 4 以降、キリル文字、「全角/半角」と フォントの自動選択

例によって ある友人から指摘 − 今度は疑義 − をもらった。フォントの表示の具合と、「全角/半角」 と、「プロポーショナル」 文字とは別だ、という指摘である。
その点を説明してなかったので、いきなり この話題を出されても (プロの出版屋である) 彼が面食らうのも当然だった。「文字」 の取り扱いに慣れない 「普通の」 人には、なおさらだろう。

次の画像を見ていただく前に、まず3点ほど説明したい:
(1)
全角・半角」 という言葉は、1980年代の初期、「漢字の出る」 パソコンで発明された言葉だった。漢字以前はコンピュータの画面は英文字、それに 「カナ」 だけで、その横幅は 大きくても 8 ドットだった。この幅では、「漢字」 は描画できない。そこで、既存の 8ビット文字コードに対応するフォントを 「半角」(文字)、漢字 16ビット文字コードに対応するフォントを 「全角」 と呼び、その 「全角」 文字は 画面上で横幅 16 ドット、というのが、まず典型的な実装だった。つまり、データの大きさ (8ビットと 16ビット) が そのまま 表示される文字の横幅に対応していた。もちろん、これは現在 言う 「固定ピッチ」(非プロポーショナル) フォントである。なるべく当時に近いよう 「固定ピッチ」 での表示例を示せば、こんな感じ。「日本語」 1文字が 英文字 2つに、字面のうえで対応している:
この部分は全角日本語である。
This line consists of ASCII chars.

これでは比較の意味がわかりにくいかもしれないので、ご参考までに 固定ピッチでない姿、つまり現在の Web上の 「平文」 つまり 「プロポーショナル」 な字体で示すと、こうなる:
この部分は全角日本語である。
This line consists of ASCII chars.

(2)
プロポーショナル」 フォントは、Windows では Ver. 3.1 あたりから登場している。これは上の This, line, ASCII などに典型的に見えるように、個々の文字の 「字形」 に従って 1文字の横幅が変化するものを言う。
聡明な読者は、ここで気が付くはず − それなら 「半角」 文字でありながら、場合によっては 「全角」 より幅広の文字、逆に 「全角」 文字でありながら 「半角」より幅の狭い字が出て来るのではないか、と。その通りで、「プロポーショナル」 フォントでは 次のような現象が出る:
I月I日 全角文字4個=半角8文字分 (8バイト)
JAPAN 半角5文字だけ (5バイト)

この段階で、(1) 「全角/半角」 という用語は意味を失っている。「全角/半角」 という言葉は、「16ビット文字の画像 (フォント) が、8ビット文字の画像の、横幅が2倍」 という意味であり、暗黙のうちに 「固定ピッチ」 フォントが想定されていた。それが、プロポーショナル・フォントの登場によって 「横幅が2倍」 という暗黙の、大前提が崩れた。従って、プロポーショナル・フォントが出て来る限り、「全角/半角」 という言葉は もう意味を持たない。
もし、現在でも 「全角/半角」 という言葉が使われる場合は、単に 「16ビット文字/8ビット文字」 という意味にすぎないと考える必要がある。プロポーショナル・フォントでは、その文字コード自体の長さ (8ビットか 16ビットか) とは何の関係もなく、あるフォントの大きさ (横幅比) は、ただ そのフォント設計 (デザイン) にのみ依存する。だから、「一見 半角、実は (内部的に) 16ビット文字」 があっても かまわないし、同様に 「一見 全角、実は (内部的に) 8ビット文字」が存在してもかまわない。プロポーショナル・フォントでは、それが 「何ビット文字」 を表示しているのかは、字面を見てもわからない。そして − これが本題なのだが − ある文字コード列を与えられたとき、その文字コード系が 何ビット幅のものであるかに関係なく、ソフトが勝手に、どんなフォントで表示しようが、それは ソフトの 「自由」である ことも、忘れてはいけない。

(3)
昨夜からの 「IE 4+ では、ロシア文字が (一見) 半角で表示される」 話題は、以上の 「全角: 16ビット」 文字が、「一見 半角」 に表示されることを指摘したものだった。これは、次のことに注意されたい:
これは、Shift-JIS で書いた HTML文書中の JIS 「ロシア文字」 が IE ではどう表示されるかを話題にしているのであって、
「ロシア文字」 一般の話をしているのではない。
「ロシア文字」 の文字コード系の話をしているのでもない。いま話題にしているコード系は JIS、または その写像である Shift-JISである
なお 「ロシア文字」 とは、より正確には 「キリル文字」 のことで、これは 「英文字」 と 「ローマ系文字」 一般の関係になる。英語の ASCII 128文字を多少拡張して 256文字、アクセント記号付きにしたフォント系と同様に、ロシア文字に補助符合を付けたセットがいくつか存在する。が、くどいようだが それが今の話題ではない。今の話題は、そんな 「英文字」 以外の外国の文字など考えられない時代に JISが制定した、JIS 2バイト 「漢字」 コード系に含まれる 「ロシア文字」 である。それから ついでなので、同じ JIS 「漢字」 コード系に含まれる 「ギリシャ文字」 でも、MS-IE には まったく同じ現象が観察されるので、以下、ご紹介。

図の左は Netscape 4、右は MS-IE 5 である。

パート Ia は、通常のプロポーショナルなので割愛した。

パート Ib は、あえて固定ピッチ・フォントで 「英文字半角」 を表示した。2種のブラウザで差がないことを確認した。

パート IIa からが問題である。ここでは、最初の2行の 「かな」 と 「漢字」 には差がないが、第3行の 「ロシア文字」 から大きく異なる。Netscapeは 「間抜け」 な 「全角」 文字が 設定通りに並んでいるが、IE では 「一見 半角」 のように見える; さらに この小文字では、IE の表示は 「プロポーショナル」 の程度がきつくて、行の長さ自体が3割(?)くらい短くなっている。
まったく同様に、次のギリシャ文字 大文字、小文字で同じ現象が見られる。
その下の英文字は単に 「全角 英文字」、さらに 「かな」 と 「カナ」 も同様で、ここには Netscapeと IE で有為な差は見られない。

最後に パート IIb。ここは すべて 「固定ピッチ」。「固定ピッチ」 なので、ロシア字、ギリシャ字 ともに、大・小文字のピッチが一致している。が、それらが IE では あたかも 「半角文字」 であるかのように見える点に注目されたい。Netscapeは あいかわらず 「間抜け」 な 「全角」 のままである。

なお、この HTMLページの所在は こちら。IE で見ている方は、これを表示したうえで 「表示 -> ソース」 を出して、「HTMLソース」 が本当に (Shift-)JIS 「全角」 であることを確認されたい。

謎解きの1 − Netscape 4:

ブラウザは 一般に、「言語」 ごとに 「平文: プロポーショナル」、「特別な場合: 固定ピッチ」 の2つのフォントを設定することになっている。僕の Netscape 4 では、インストール時のデフォルトのまま、これらは 各々 「MS P ゴシック」 と 「MS ゴシック」 である。従って、Netscape 4 は、バカ正直にこの設定に従って、Shift-JIS で書かれた HTML文書を、「MS P ゴシック」 または 「MS ゴシック」 のいずれかで表示する。
ただし、この2つの日本語フォント MS 「ゴシック」は、ロシア、ギリシャ文字部分については 事実上 「プロポーショナル」 になっておらず、どちらも昔ながらの 「固定ピッチ」 全角サイズになっているようである。そのため、どちらを指定しても、Netscape 4 では 昔のままの 「全角」 表示が行われる。

次項への伏線として、このブラウザには、「Unicode」 にも 「どのフォントで表示するか」 を設定する項目がある。僕の場合、これを KS完成型の Gulim と GulimChe つまり にしてある。その結果、Unicodeによる日本語のほうは満足に表示されないのだが、これは余談に属すので省略。

謎解きの2 − IE 4+:

「言語」 ごとの 「フォント」 指定は、日本語については Netscapeとまったく同じ。
ただし、不思議なことに、このブラウザには 「Unicode」 について 「どのフォントを使用するか」 という設定が、ない。それにもかかわらず、RTF-8 などの Unicodeによるページが、このブラウザでは 相当に美しく表示されるのは事実だ。これは どこで、何によってフォントが決定されているのだろう; 考えた結果は、1つ: Unicodeは、文字コードの値それ自体が 「それは何語に属すか」 を示唆している; その情報に従って、IE は 「その」 言語について設定されているフォントを使用する。結果として、N語部分については それにふさわしい美しいフォント (プロポーショナル、非プロポーショナル) で表示される。

ところで − ある文字コード列を与えられたとき、その文字コード系が 何であれ、ソフトが勝手に、どんなフォントで表示しようが、それは ソフトの 「自由」である ことも、忘れてはいけなかった。明示的な Unicodeのページについて IE がそのように振舞う (その N語に設定されているフォントを使用する) ことは既に明らかだが、では、上の図の 「JIS 漢字コードという文脈」 の中でのロシア文字、ギリシャ文字についても、同じ 「原則」 が適用されたらどうなるか。つまり 「ここはロシア語ではないか、故にロシア語用に設定されているフォントで」、「ギリシャ語だ。ではギリシャ語用のフォントを」 ・・・ と IE が考えているなら − 上の図の現象はきれいに説明できる。

調べてみたところ、手元の IE 5 では、「キリル言語」、「ギリシャ語」 というフォント設定項目があり、そのどちらも プロポーショナルは Times New Roman、固定ピッチは Courier New になっていた。ふむ。Times も Courier も ロシア字、ギリシャ字くらいは持っていて不思議はないわねえ。実は、古い恩師が 20年以上の後にパソコンをいじるようになって、Windows 2000に乗っているフォントを片端から調べてまわってくれた; その中に、たしかに Times, Courier には それらが含まれている。

そういうわけである。
Unicodeに限らず、IE は 「勝手に」 フォントを変更して表示する。どうも それ以外には、考えられない。


(20030828-1) ある種の情報 − IE 4 以降、キリル文字のフォント自動選択

右の絵を ご覧になられたい。問題は 見慣れない 「キリル」 文字、いわゆる 「ロシア」 文字なのだが、だいぶ表示の具合がちがう。

2ヶ所 ある ロシア語 表記部分で、上は MS-IE 5、下は Netscape 4 の表示である。何がちがうかというと、上は ロシア語が 「半角」 文字に見えるのに対して、下は 「全角」 文字に見えている点である。問題は、「この2つの表示は、まったく同じ HTMLソース・ファイルを表示したものである」 点にある。下の表示は、キリル文字が 「間抜けな」 全角になった結果、右端の第4カラムが画面の外にはみ出してしまった (なお、画像に欠けている日本語部分には、「朝鮮語は 中国語のそれと似て、簡単である」 と書いてある)。最近やっている、古い恩師の古い文書の復元作業の中で、この 「キリル文字」 の 「全角・半角」 問題に気がついた。実は、これはキリル文字に限らない。実は英文字もギリシャ文字も、「JIS 全角」 文字は同じ現象を示す。「全角」 で英文を書いたはずでも、IE での表示は 「美しい」 半角英文になる理由は そこにある。これは、MS-IE (おそらく ver 4 以後) にみられる特有の現象で、本来は 「間抜け」 な JIS 全角 「ロシア文字 (英文字、ギリシャ文字)」 が、MS-IE では勝手に 「半角」 フォントに置き換えられてしまうのであると、思われる。

「Windowsでは 内部的に Unicodeである」 という話が、ここで生きてくる。
HTML文書の本文が たとえ Shift-JIS であっても、MS-IE (おそらく 4 以降) は、それを一度 Unicodeに変換、または再配置する; その結果、ある部分は 「日本語」 ではない 「言語 N」 の文字 であることが判明する; IE はそこで、一連の変換操作をする。「ロシア」 あるいは 「キリル」 言語系の文字であるとわかると、その言語系に対して 「デフォルト」 で設定されているフォントで、それを表示する。その結果、HTML本文 (原稿) では 「JIS全角ロシア文字」 のつもりであっても、実際の表示は JISではない 「その」 言語系のデフォルト・フォントで表示される。結果的に、「全角」 JIS文字が 一見 「半角」 文字に変化する。上の図の IE の表示は、そうやって実現されているらしい。

これは、「よしあし」 である。
Netscapeは、最新で信頼できる版は 7 であるらしい。この版では、かつては MS-IE でなければ できなかった 様々な表示をしてくれる; が、それでも、「IEでないとまったく見えない (中身が空の)」 Webページが、相当数ある。これは、Netscapeの罪ではない。IE が 勝手な拡張をくりかえし、その IE しか念頭にないサイト作成者のほうが多いからだ。
その Netscape 7 で、「JIS全角 キリル、ギリシャ」 文字がどうなっているのか、それは僕もまだ調べていないのでわからない。


(20030822-1) パソコン 「自作」 という用語?が なぜ定着したか

表題は疑問文である。表題で問題を示し、本文で解答をするつもりなのではないので、あしからず。

しかし、なぜ それを 「自作」 と言って はばからない、「恥かしげもない」 表現が定着したのだろうか。

8ビット・マイコンの時代には、「自作」 に近いことができた。つまり、当時の IC チップはピン間隔 2.5mm。並行して走る電線の間隔がこの距離であれば、自分でプリント配線パターンを作成し基盤を作り、Z-80 40ピン の IC に 8ビット データ・バス、16ビットのアドレス・バスをつないで、ゲートからメモリ、I/O まで 自分で選んだチップをならべて、「自作のコンピュータ」 を作ることができた。かつてのオーディオ・マニアがデジタル論理を覚えて、「あいつは大変なやつだ、自分でコンピュータまで作っちまった」 と人に言わせて喜んでいた。が、その8ビット 「マイコン」 と言われた時代でも後半になると、大手メーカーのそれの、中身の基盤は、「技術」 を誇示しはじめる − つまり、2.5mm ピッチの IC の脚 (ピン) の間を、2本も3本ものプリント・パターンがすり抜けて行く、という製品が出はじめた。この時点で、既に 「自作」 は不可能だった。ご参考までに、2.5mm というのは 厳密には 2.54mm、つまり1インチあたり 10本の電線を並行して走らせる、それが 70年代の標準的な技術だったことに関係する。8ビット・マイコンではこれが8本、そのアドレス・バスは 16ビットなので、あわせて 24本の並行した電線パターンの横幅、2.54 x 24 = 61mm、つまり 幅6センチの中に収まった。8ビット・マイコンという ICチップは ほぼ例外なく 40ピン、つまり片側に 20本ずつ脚が出て、従ってチップの 大きさは 2インチ+ (50mm+)。「24本」 に対して 40ピンは だいぶ余るようだが、実際には この 8+16ビットのバスを制御する 「制御バス」 線と電源線などで、40ピンのすべてが埋まる。これらを、基盤の表裏 (つまり2層基盤) を使う3Dパズルで、はじめはマニアの 「自作」 プリント・パターンも可能だったのだが、8ビットでも周辺装置が複雑になってくるとそれだけではすまず、大手の機械ではパターンを細密化するようになった。結果、2.54mmピッチの IC の脚の間を、何本もの配線パターンがすり抜けてゆく。「自作」 は、ここで既に崩壊している。事実、基盤の表裏を使う 「3D」 ごっこもこれで終わりで、以後 基盤は表と裏の間にもう1層、さらにもう1層と 層を重ねて行く。現代のパソコン 「マザー・ボード」など、少なくとも4層から6層くらいの基盤になっている。マザー・ボードに限らない。1980年代後半、SCSI のインターフェース・ボード (つまり周辺機器の接続用ボード) で、既に4層くらいになっている。「基盤」 の上に見えるプリント配線のパターンは、表と裏の2面だけではないのだ。

と同時に、IC のピン間隔は 「倍々」 ではない、「半分半分」 化した。つまり、2.54mm ピッチは 次に 1.27mmピッチに、次にそのまた半分つまり 0.6mm まで詰められて行く。ここまで来ると、手作業のハンダ付けなど非現実的になる。実際、40ピン時代の IC (またはそのソケット) は脚を基盤上の 「穴」(スルー・ホール) に通して ハンダ付けしたのだが、1.27mmピッチからは 基盤の表面に 「ハンダ付け」だけで固定する; さらに、「ハンダ付け」 ではない 「圧着」 型が出た − つまり、位置合わせをした上で 上からギュっと押し付けると、その熱でチップは基盤に固定される。ノート型パソコンの CPUなどは、ほとんどこれである (ちなみに、その 「基盤」 自体が、時には固い 「板」 ではなく、単なるプラスチック・シートだったりする。このプラスチックのシートにプリント・パターンが印刷されている)。それと同時に、かつては技術者が選択し、時には設計してきた いろんな周辺回路も、ほとんど2個か3個の IC チップの中に集積されてしまった。こうなると、メーカー技術者でさえ、自分の 「技術」 を発揮する余地がない。「どの」 チップ・セットを選択するか、ただ それだけの問題になる。この 「チップ・セット」 問題が、いま現在の パソコン 「自作」 派 の最大関心事であるのも、また事実だ。

だから、現代日本のパソコン 「自作」 派の間では、チップ・セットをめぐるゴシップに満ちている。つまり、彼らはパソコンを 「自作」 しているのではなくて、例えて言うなら、1960年代、アナログ・オーディオ マニアの間では Boseがいいのか Thorence(?) がいいか、あの真空管セットではどうだが、この真空管セットではどうだといった話題と酷似した、あのチップ・セットのマザーボードはどうの、このチップ・セットのあれはどうのという、そういう話題が展開される。誰も、マザーボードを自分で作っているわけではない。そもそも、IC チップのピン間隔が 2.54mmを割るようになったころ、マイコン・チップは 動作クロック 10MHzを越えていた。大学の電子工学の教官が 「10メガなんて、もう アナログの世界やでえ!」 と悲鳴を上げはじめたのが、Macでいえば 68030、Windowsでいえば 80386の時代、つまり 1980年代後半だ。そのころから、仮に素人が 1.27mm ピッチのハンダ付け 3000ヶ所に耐えられると仮定しても、しかし そのプリント配線パターンの取り回しは、デジタル回路のアナログ的干渉を熟知した技術者にしかできないようになっていた。だから、そこで 「エキスパート・システム」が登場する − 少数の熟練技術者の技術を、コンピュータ上に記録する; その技術者のすることを、次にはソフトウェアで再現する。現代のハイテク機器は、それで作られる。もう誰も、自力で 「パソコン基盤」 を設計できる者はいない ・・・
ちなみに、PCI 周辺機器、Plug & Play というやつも、PCI バス自身が、設計当初から 「デジタル信号のアナログ的 反射」 という副作用を承知の上でのものだ。その 「反射」 つまり干渉があることを承知した上で、それを見込んだデジタル信号を交換するのが PCIである。

その PCI さえ、今では 「パソコンの箱を開けて、ボードを自分で差し込む」 なんて人はいなくなった。今でもそれをやっているのが、「自作パソコン」 マニアたちである。つまり、「ど素人の しない/できない」 ことをする、その話題に明け暮れるのが 「自作パソコン」 マニアたちであると、僕は結論に至る。

しかし。それをなぜ 「自作」 と呼べるのだろうか?
コンピュータ用の箱を買ってきて、マザー・ボードと言われる基盤を買って、CPUとか メモリとかいう IC チップまたは ICチップ基盤を買って、それらを組立て、あとはディスクだの何だの、電線をつなぐだけ。これを 「自作」 と呼ぶ感覚が、僕にはどうしても理解できない。それは 「組み立てて」 いるだけでしょう? 「自作」 パソコンというなら、「自作」 だというなら、それはせめて、自分で真空管を選び、自分でソケットをハンダ付けして組み立てた真空管アンプのころのように − 少なくとも 「回路」 を自分で組み立てたものであってほしいと、思う。が、現代の 「自作」 マニアは、それをやらないのではない、そんなことは 個人では不可能なことになってしまったから、せめて 「ど素人にはわからない」 組立て作業を 「自作」 と呼ぶのだろうか?

1990年代、韓国に何度も ソフトウェアの 「講師」 として出張することがあった。その 「講師」 つまり僕を受け入れる先には、時には日本の 「自作パソコン」 マニアに類する青年がいた。彼らのうちの一人に、聞いてみた: 君のパソコン、どんなの? どのメーカーの?
彼、恥かしそうに言ったものだ − 。つまり、ブランドものではない、日本でいえば秋葉原の店頭ブランドか、あるいは自分で部品を買い集めて組み立てた、日本で言えば 「自作 パソコン」 だということだ。

僕は思う。
部品を買い集めて 「自作」 と称する日本の言語慣習こそ、おかしい。恥かしそうに と答えた韓国の青年のほうが、よっぽど まともではないか。
ここ数日、職場の隣の席にいる青年が、自分用のパソコンの不調に悩んでいた。電源を取り替え、マザー・ボード上のコンデンサまで取り替えても、だめ。ついに、マザー・ボードと CPU、メモリを買ってきて、入れ替え。彼はそれで まる2日を消費した。ようやく、彼のパソコンらしい動作をはじめている。マニアなら、これは 「自作」 そのものだろう。だが彼は、それを決して 「自作」 とは言わない。彼は、自分用の機械を自分で組み立て、それで仕事して来、それが不調になったので 部品を取り替えたのだ。彼は 「自作」 したわけではない。彼のその方面の知識は、「自作」 マニアをはるかに上回るし、社内の技術者からのちゃちゃもサポートもある。これは 「自作」 ではない、「自力での組立て」 である。


(20030821-1) 「で、この箱は何なんだ」

こないだ父、78才、に会いに行ったとき、彼は新聞の折込広告なのか チラシを持ち出して来て、「こういうのは どうなんだ」 と聞いてきた。¥29,800 でパソコン フル・セット1台。画面は 15" または 17" CRT、最新の在庫の中からお届けします; Pentium III ないし IV、機械の選択は当方におまかせください。出張サポートもいたします: 30分¥5,000。
最後の 「30分 ¥5,000」 に驚いた。こりゃ、ど素人 相手に 「設定」サービスに来れば、ま、半日で2万円から3万円、つまり機械と同じ売上になるわけね。

その \29,800 のパソコンの写真、小さい。写真は小さいが、15" か 17" かの CRTの横に、その CRTよりだいぶ背の高い箱が見えている。いわゆる 「ミドル・タワー」 くらいか。おいおい、この TV (モニター)って、10年前に俺が持ってきた 15" か、それより1回り大きいんだぜ。こんなバカでかいもの、おやじよ、あんた、どこに置くつもり?
そもそも、フル・セットで \29,800 というのは、今まで見たことのある、まさに 「最低価格」だ。かつて オウム真理教の 「マハーポーシャ」 だって、ここまではしなかった。

父の買っている雑誌類の中に、ようやく Dell の広告を見つけた。小型のデスク・トップ、液晶モニター付きで やはり ¥10万前後。「うーむ、やはり そのくらい かかるのか」。そうだね。「で、この箱は何なんだ」。うむ。そう来たか。
それがコンピュータなんだよ!
我が家では、前にも書いたが、当時7才?の女性にこう指示した: 「コンピュータの上に置いといたからな」。「うん、わかった」。彼女は 「コンピュータの上に、ないよ!」。しょうがないな、父親は腰を上げて、「ほら、あるじゃないか」。7才の女性は抗議する: 「コンピュータの上なら、ここでしょ、ここ!」 と彼女がポンポンと たたいて見せたのは、15" 液晶モニターの上の枠だった。そうなのだ、「コンピュータ」とは、彼女には、モニターのこと。CDや DVDを入れるのは、CD-DVD ドライブという機械であって、それは機械。「コンピュータ」 とは画面のことなのだ。その時点で、彼女はまだキーボードを使ったことがない。マウスの動作がモニターに反映する以上、コンピュータの実体はモニターなのだ。
そうだね、娘よ、君は正しい。中学の理科の教師だった じいちゃんでさえ、「この箱は何なんだ」と聞くのだから。


(20030819-1) 「まだ字も出ないんですよ」 と 「カンロム」、「ロム付き」、「コントロール」

1990年ころ。友人とも知人とも言えるがトシは僕より 15年?ほど上の、一流企業サラリーマン。街の − 隠してもしょうがないので イトーヨーカドーの − 一般人が自由に使える 「売ります・買います」 掲示板。そこで、1980年代前半の NEC PC9801 フル・セットを、たしか2万円で買ったと言っていた。電気を入れるとたしかにパソコンとして立ち上がるが、「字が出ない」 という。「字が出ない」? 電気を入れて 「立ち上がる」のに 「字」 が出ないとは、どういう意味だろう。当時の PC-9801 は DOS だけなので、「字」 が出ない=死んでいることになるのだが。

行ってみると、あ、なるほどね。横文字はしっかり表示されていて、パソコンとして 「XXX MS-DOS」 とは表示されている。「字が出ない」 とは、「日本語の字が出ない」 という意味だった (横文字半角は 「字」 ではないのだ)。「XXX」 は、もちろん NEC 「日本語 MS-DOS」 の 「日本語」 でなければならない。DOSのコマンドを実行しても、同じ。 Dir の表示の一部が化けている。パソコンを開けて見ると、なつかしいわねえ、スロットから 「漢字 ROM」 ボードが脱落して、宙に浮いていた。差しなおす。もちろん、めでたく漢字が出た。「漢字 ROM」 は、当時まで 「かんろむ」 と言い習わされていた。この世代の機械は、メモリは基本では 128KB くらい。メモリ・ボードをスロットに追加して 640KBをフルに実装、パソコン・マニアだったらしい元の持ち主の趣味がわかる。

その数年後、 やはりパソコンの中を開けてみたことなど絶対になさそうな女性から、「どの機械にしようか」 と聞かれたことがある。1台はこう、1台はこう、で1台は 「ロム付き」。「ROM付き」? どういう意味だろう。IC チップの ROMが付いていないコンピュータなどあり得ない。問い直すと、「CD-ROMドライブ付き」 の意味なのだそうだ。こういうのを 「驚いたな」 という。

つい昨日、8才になる女性 つまり僕の娘から携帯に電話が来て、「声が出なくなっちゃった!」 と必死の声だ。よく聞いてみると、少女マンガ誌の付録の CD-ROMのゲームをやっているうちに、それのバグに出会ったらしい。スピーカーから音が出なくなった。電話でリモート・コントロールして、マシン・リセットさせる。画面には 「ボリューム・コントロール」が出ているらしい。が、ああしろ、こうしろと言う父親に対して、「コントロールは出ているんだけどお!」。「コントロール」? 「コントロール・パネル」 のスピーカーで音の確認をさせようとしているのだが、はて、「コントロール」 とは何ぞや: 問い詰め、やはり 「ボリューム・コントロール」のことだとわかった。
このあたりで、通例クライアントの方が疲れて 「あきらめ」 ようとする。父親は ねばる。普通の CDか DVDかを入れてみろ。あ、鳴った。8才の女性は一転して明るい声になる。

彼女が 「ボリューム・コントロール」 を 「コントロール」 と略したのは、「ボリューム」 という単語を知らなかったせいだろうか? そう考えないと、一般に 「単語前半」 が略語に使われる現象に反する。もっとも 「漢字 ROM」 の 「かんろむ」はその現象だが、「CD-ROMドライブ付き」 が 「ロム付き」 になった前例があるので、何とも言えない。

余談: 小学生の読む少女マンガの付録に CD-ROMでゲームが付いている − これに、正直 驚いた。それのバグならいいのだが、時期が時期で、Virusを疑った。少女マンガ編集部が、付録 外注 CD-ROM の Virusチェックをするだろうか? 断じて Noであると、わたしは思うのだが。
念のため、帰ってから Symantecの オン・ライン Virusチェックはやってみた。その限りでは、OK。しかし、それだけで安心できないことは − どうしよう、そんなことを書いていると、明日から何日もかかってしまう。


(20030815-1) ロシアの小話 − いや、Microsoftの小話

まったく、よい友人を持ったもので、「役に立たない」 という但し書き付きで Microsoft IE のバグ 「サポート」 ページのアドレスを送ってくれた。3つほどあるうち、1つが 「ページ上の表を印刷すると、紙からはみ出してしまう、どうにかならんか」 というもので、答えはこうである: 「幅の広い紙を使いなさい」。

この種の 「Microsoft小話」で、もっとも古い時代の 1980年代の前半、こんなものがあった。ただし、周辺事情が複雑なので、長いマクラ説明をさせていただく必要がある。

時代は、「パソコン」 という用語が作られる前。8ビット・マイコンに8インチ・フロッピーが 「標準」、つまり 「理想」 の機械だったころ、Microsoftは他社の OS のもとで動作する Fortran 言語のコンパイラを売っていた (Microsoft自身の OS、つまり MS-DOSは、初代 IBMPC、つまり 16ビットの PC-DOSで、これが後に OS 単品で MS-DOS と呼ばれるようになった。余談だが、この PC-DOSは Bill Gatesさんが作ったものではなく、当時の シアトル・コンピュータという会社の商品を、Gatesさんが IBMに売り込んだものである。だから、Microsoftは今でも本社がシアトルにある)。

Fortran というのはコンピュータ言語の1つで、今でも使われている。Formula Translation つまり 数学の 「公式」 を コンピュータの機械語に 「翻訳」 するソフト、という意味の名前を持っている (これに対するのが COBOL で、Common Business Oriented Language なのだそうだ。どちらも 1960年代の言語だが、現代の銀行オンラインは今も Cobol で動いているし、一方 80年代後半に落ちたスペース・シャトルでも、落ちた原因は Fortran の言語の上で テン と ピリオドを間違えたからだという話が、これは小話ではなく ニュースになったことがある)。

さて、それは つまり 「科学技術用」 の言語であることになっている。事実、Cobol ではろくな計算はできない (Cobol は会計技術上の計算ができるだけ。三角関数も対数も指数もない。そもそも 「浮動小数点」 がないので、巨大な数字の概数計算さえできない; 故に 「天文学的」 計算ができない)。さらに Fortranの 「売り」 は、「複素数」 計算ができることだった。複素数というのは、「虚数」 を含む数のこと。「虚数」 とは 「2乗すると -1 になる数」 のことで、「実数」 の反対である。ある複素数は ( a + b i ) (ただし a、b は実数、i が虚数) で表される; ニュートンとアインシュタインの関係と同じで、b の値がゼロであれば 式の値は実数に落ちる。二次以上の方程式を扱う世界 (例えばシャトルの加速度の積分、燃料消費に従って加速度それ自身が変化して行き、その結果 得られる軌道、さらに逆の経過で帰還経路など) では、これは必須のものである・のだそうだ。

さて、それが、8ビット・マイコンで使えるようになった; これは革命的な事件だった。ビルの1フロアを占有する大型コンピュータを必要とした計算が、文字通り卓上で計算できるようになったのだ。当時の Microsoftの売上は、個々の 8ビット・マイコンの ROM化ずみ BASIC語の移植と、おそらく この Fortran の売上がかなりの部分を占めていたのではなかろうか。Microsoft Fortran は、それ単品で、当時の8ビット・マイコン2台くらいの値段がした。ご参考までに、1979年 NECの初代 8ビット Microsoft BASIC 搭載機 PC-8001 は 16万8千円、その5インチ フロッピー・ドライブ (2台付き)が、30万円だった。

だが。 Microsoft 8ビット Fortran には、重大な欠落があった。欠陥というより、単に欠落で、公式に 「複素数計算はできません」 ということになっていた。ソフトを買ってから それを知らされた客の失望を、想像されたい。苦情は、販売経路を逆に経由して Microsoftに押しよせる。Microsoftは、例によって 「サポート情報」 を出してくる。このサポート情報を、記憶をたどって復元すると、たしかこういうものだった:
ご指摘の Fortran 言語の複素数演算の問題は、調査してみたところ、ユーザの間ではただ1件の使用例も発見できませんでした。従ってこれはサポートする必要がないものと判断します。
使えないものを 「使用」 した例が、あるわけないだろ。バカ。


(20030814-1) 日記 − MS-IE の 「新規のバグ」、「微細なバグの変化」

「師」 の朝鮮語教科書の そのまた教師用マニュアルを作成していたが、第1編はだいたい終わった。やれやれ。では、今までと同様に 冒頭に注意書きを追加してみたら、あらら、IE が死んでしまう。何度やってもだめ。おかしいなあ ・・・ 使っているのは MS-IE 5 で、念のため Windows XP に乗っている IE 6 にかけてみたら、あらら、何ともない。まったく正常。これは IE 5 のバグであるとわかった。
バグは、「印刷プレビュー」の 「縮小」表示機能で、ある構成の HTMLを表示し これをやると、IE 5 そのものが落ちてしまう。僕の 「編集」 は全面 手書きなので、まずそれを疑ったが、まったく同じものが 隣の XP IE 6 では何の問題もなく動作する。
因果なもので、「プレビュー」 の 「縮小」 表示機能なんてものがあるから、当然使いたくなる; 使いたくなる機能にバグがあるなんて − シャレにならないね。
ちなみに、まったく同じファイルが、前世紀の遺物になりつつある Netscape 4 では、問題なく 「プレビュー」 できる; ただし Netscape 4 には 「縮小」 一覧なんて機能はないから、関係がない。
ただ、記事をまず見て校正するのは筆者であり、筆者自身は IE 5 である。まいったな。

実は MS-IE 5, 6 には、この他に、過去の IE 4 までには存在しなかった重大なバグがある − あるページに やや大きな画像があるとする; その画像を含むホームページを 「印刷」 すると、驚くなかれ、その 「画像」 の下半身が (紙の) ページの切れ目にかかった場合、この下半身が消滅する。
信じられない方は、僕自身の 「この」 サイトの、ハングル工房 東京綾瀬 − パソコン・ノート (文字コードの話) または ミラー・サイトである http://www.han-lab.gr.jp/~mizuno/com/code1.html を、MS-IE 5 または 6 で見て、プリンタに出してごらん あれ。「やや大きな画像」 つまり JISや KSコード系のマッピングの図が、プリンタの紙の切れ目ごとに 「下半身が欠落」 して、まったく使い物にならない。僕が今でも、前世紀の遺物の Netscape 4 をアテにする理由の1つは そこにある。事実この春、「師」 の職場に出張して 「講義」をしたときも これを教材に使ったのだが、IE の単純印刷はまるで使い物にならないので、講義の助手であり受講生であった 「師」 は、事前にこれをいろんなサイズで印字して、うまくページ内に収まったところを紙の上で切り貼りしコピー機で大きさをそろえて教材を準備するという、大変な作業をしてくださった。

ソフトウェアの 「バージョン・アップ」には 障害がつきものだ。客から、「おいおい、これではバージョン・ダウンではないか、どうしてくれる」 と言われた経験も、僕には 1980年代前半のことだった。MS-IEの この 「印刷時の画像 下半身 消滅」 問題は、しかし Web上で話題になったのを見たことがない − おそらく、Webページを 「紙」 に印刷して読もうなどというユーザは、いまや極限まで少数になってしまったのだろうと思う。ユーザ数の少ない部分は、仮にソフトにバグがあっても いつまでも直らないと考えていい。


(20030812-1) 「再論 − 「教養」 とは何か」 への補足

昨夜書いた記事で − 教養ある者は、対立する 「説」 を一度は検討する誠実さを持っている; その 「検討」 の過程で、自分には未知の事実関係の系 (システム、これを 「学問」 と呼ぶこともある) があるらしいとわかれば、それを追ってみるのが、「教養ある」 者のすることだ − と書いた。
このうち、系 (システム、これを 「学問」 と呼ぶこともある) という部分に補足する。

それは、「学問」 と呼ばれることがあるが、しかしすべての人が その 「学問」 に精通することを期待することは できない。例えば、
記紀・万葉の時代、日本語は既に 「崩れ」はじめていた; 特に万葉の中には、それを精査した研究者の調査によれば、3つの母音について (一見同じ母音だが)「甲類、乙類」の 区別がある。時代が下るにつれて この区別は曖昧になり混同される方向をたどり、ついには区別が消滅してしまう
という 「事実」は、僕自身が研究したものではない; それは、この時期の言語を扱う研究者たちにとっては常識であって、それが彼らには常識であることを、僕は知っているにすぎない。
つまり、この場合の 「教養」とは、「そういう学問、研究分野が存在している」 ことを知っているかどうか、知っているなら それに正当な敬意を払うか否か であることになる。

これに よく似ているのが、ニュートンとアインシュタインの関係だ。アインシュタインは、ある現象を合理的に説明できないニュートン力学に、趣味や信条で 「反対」 を唱えたのではない。ニュートン力学で説明できない現象を、より高次の式で包括的に説明してみせたのがアイシュタインだった。つまりアインシュタインはニュートンを 「補完」 した。それは僕の説ではなく、「常識」である。古い言葉を持ち出せば、マルクス主義用語?の中に 「止揚」 という言葉があるのだが、ある事象を矛盾なく説明できないニュートン力学を、1段高い次元に上げた式で統一的に説明した、つまり 「止揚」 したのがアインシュタインで、ある。

問題は、2方向。

1つの方向は、20世紀最後の時期に右翼さんの間で流行した 「でたらめ擬古文」。これは、一面 「いかにして他人をヘイゲイ見下しおどして威嚇するか」 という技巧的な面があった。だから、その威嚇技巧の 「学問的」誤りを予備校教師から指摘されても、カエルの面にしょんべんだった。それは、擬古文以前に、政治的目的をもった確信犯だったから、ただ ひたすら嵐の通り過ぎるのを待つしかなかった。

もう1つの方向は、「記紀・万葉」 以前の文字であるはずの 「神代」文字サロン。このサロンは、威嚇的ではない; むしろ社交をこととする上品な社会のようでさえある。そのサロンの会話の中で、「古日本語8母音」説が否定される; ちょうど、上品なサロンに場違いな青年が現われたときのように。問題は、この上品で社交的(? 行ったことはないので わからないが)な社会の、無教養にある。

実は、去年の5月ころ、この話は書いた。
サロンの主宰者格で そのホームページを開いている じいさん。彼から、その「神代」文字と 朝鮮語のハングルとの関係はないんでしょうかね と聞かれた。
あるでしょうね。ただし、ハングルは 15世紀言語学の粋を集めた、当時の言語学の集大成であって、中国・朝鮮・日本あたりでは子音と母音を分離してみせた最初の文字でもあった。「神代」文字一般に言えることとして、この子音・母音の見事な分離が行なわれている点がある。だからこそ、「神代」つまり 「記紀・万葉」以前なら、母音は8母音があると期待するのが、僕の 「常識」である。が、知っている限りの 「神代」文字たちは、例外なく見事に5母音である。「記紀・万葉」以前でしょ? 日本語が 「崩れはじめた」 万葉期以前なら、美しく8母音がそろっていてもよさそうなんじゃないの?

そもそも、10世紀以前のものであるはずの 「神代」文字が、15世紀の朝鮮語文字と 関係があるわけがない; しかし、関係はあるだろう; つまり、「神代文字」の実体は、そのほとんどが 15世紀朝鮮文字の影響下で母音・子音を分離し、その母音を当時の日本語の (既に)5母音とした点に、「神代文字」の最大の弱点がある。細かいことを言えば子音があるが、これは 「は」行などは 信長・秀吉期の長崎文書でさえ /f/ と書かれていること、江戸から明治期に至るまで 濁音・半濁音の表示はしない習慣が残ったことから、問題は別である。問題は、10世紀以前の 「神代」と、15世紀の時代差にさえ思いが及ばない 「神代文字」信者サロンの 「教養」にある。500年以上の時代差に思いが及ばないというのは、驚異的である。


(20030811-1) 再論 − 「教養」 とは何か

ごく簡潔にまとめよう。「教養」 とは、未知の事実に対する素直な好奇心と、自分にとってそれが 「未知」 であることを認めて、その未知の事実または知識を手に入れようとする誠実さ、のことである。

例えば、僕はモーツァルトさんの作品など いくつも知らない。ショスタコビッチにせよマーラーにせよ、ある時期おもしろいと思ったことはあるが、マニアにはなりきれなかった。高級そうな 「知識」 をたくわえ 披瀝して えらそうな顔をする、それであたかも社会的な地位が上がるかのように感じることを 「錯覚」 と呼び、その錯覚によってのみ 自分の 「社会的地位」(?) を確認できる、そういう人格の持ち主を、俗に 「バカ」 とも 「アホ」 とも呼ぶことがある。「高級そうな」 知識をたくわえ羅列するのが 「教養」 ではない。

例えば右翼さんの似て非なる擬古文。彼らには、その擬古文の誤りを指摘されて、では俺の書いた擬古文がなぜ誤りなのかと 追求する/反省/内省/調査する誠実さが欠けていた。この誠実さの欠如を 「無教養」と 僕は呼ぶ。

例えば神代文字を 「普及」 しようと活動する趣味のサロン。彼らの間でも、記紀、万葉の時代には日本語8母音であった痕跡が存在するという 「説」 は知られている。が、それは 「説」 にすぎないようで、「あの説は俺は好きだが」、「あの説は気にいらないねえ」、そういうサロンの会話の中に終始しているのだと思われる。事実、そのサロンのホームページを開いているじいさんにそれを指摘してみたら、「私はねえ、その説には反対なんですよ」と来た。三平方の定理に 「私は反対なんですよ」 という人は いない。万有引力の法則に 「私は反対なんですよ」 という人もいないだろう。アイシュタインは、ニュートン力学を補完したのであって、ニュートン力学に 「反対」 したのではない。が、これが神代の文字となると、趣味の好き嫌いで 「説」 が否定されたり肯定されたりする。これを、「無教養」 と呼ぶ。教養ある者は、対立する 「説」 を一度は検討する誠実さを持っている; その 「検討」 の過程で、自分には未知の事実関係の系 (システム、これを 「学問」 と呼ぶこともある) があるらしいとわかれば、それを追ってみるのが、「教養ある」 者のすることだ。それを避ける、自分の好き嫌いで 「事実」関係を作り上げる − それを 「無教養」 と呼ぶ。

「教養人」であることは、相当に大変なことなのだ。


(20030810-2) 全国の 「かほり」さん、ごめんね

昔、布施明という名前の歌手がいた。この歌手の背後事情はよくある話なので省略するとして、初期の歌の中に 『シクラメンのかほり』 という曲がある。

その当時は、僕も中学か高校生だっただろう。すっかり、だまされた。自分で言うのもなんだが、これだけ教養ある僕がだまされたのだから、僕程度の教養に届かない、僕より わずかに年上の世代が、自分たちの子に 「かほり」 という名前を与えた例は少なくないと思われる。

それから 20年以上が経過したころ − つまり 1990年代の初頭、まだインターネットは普及せず 「パソ通」が生きていたころ − 生臭くて恐縮だが、右翼さんの復古主義、擬似擬古文が流行したことがある。失礼とはいえ、右翼さんの復古主義には、しばしば教養を欠いた面がある。彼らの擬古文には、「てふてふ」 を 「ちょうちょう」 と読むし、 「衣干すてふ」 というから 「てふ」 は 「ちょう」 と読め、「だらう」は 「だろう」、「あらう」は 「あろう」、「かほり」は 「かおり」。子どもがときどき 「昔は何でも反対に言ったんだよ」というのと (「我、XXせん」 の類と) 同じで、右翼さんの似て非なる擬古文には、相当数の誤りが含まれていた。

それを受けて立ったのは、当時 予備校の 「古典」の教師をしていた論客だった。
端的に、彼は 「香り」 は 歴史的仮名遣いでは 「かをり」 であることを指摘した。もちろん、右翼さん、知らぬ顔。無教養な相手というのは、何を指摘されても 「カエルの面にしょんべん」 であるという特色を持っている。それはちょうど、「記紀」以前の 「神代文字」が実在するならそれは8母音程度を持っていたはずだと指摘しても、神代文字信者にはその意味がわからないのと同様である。

中学の教師をしながら、「日・中・韓(朝)」の漢字音の対照一覧表を作った人を知っている。彼は言っていた − 数世代に渡る中国音の導入過程で、一度朝鮮漢字音を経由する、その流れの中で日本の 「歴史的仮名遣い」が形成される; 朝鮮漢字音が見事に 日本の 「歴史的仮名遣い」に対応するのを知ったとき、「まさに目からウロコが落ちる思い」だったと。

残念ながら、僕の教養では なぜ 「かほり」 が誤りで 「かをり」 が正しいのか、説明することができない。が、それは (また端的に) 予備校の古典の教師が指摘することなのだ。全国に無数に存在するだろう 「かほり」さん、ごめんなさい。でも、それは間違いのない事実なのだ。

余談の末端に、次のような事実を指摘してもよい ・・・ 布施明自身は、在日朝鮮人である。その営業的展開の中に、「シクラメンの 『かほり』」 がある。20世紀末に流行した右翼さんたちの擬似でたらめ似て非なる擬古文は、営業的に展開された在日朝鮮人 布施明のスタッフたちと、正確に同じ誤りの手順を踏んでいるのではなかろうか?


(20030810-1) 名前の 「匿名」 のイニシャル表示のこと

多湖輝だったか、いずれにしても 「タゴ・アキラ」 代表著作の 『頭の体操』 シリーズ。
その中にも出て来たのだが、ある集団中の人物名を露骨に表示せず 「匿名」 で表現したい場合、英文字で頭文字 (つまり 「イニシャル」) を使う場合には、致命的な不公平さがある、それは何か、という問題があった。解答はもちろん明らかで、名前の頭文字では、「か、さ、た、な、は、ま、ら」 行は 「 1/5 の匿名性」 が確保できるが、「あ」 行の名前は いきなり 最初の音が明示されてしまう。つまり 「Aちゃん」は 「あ」ではじまる名前の子、「I ちゃん」は 「い」ではじまる名前の子 ・・・ と、自動的に決まってしまうわけだ。母集団が学校の1クラスくらいであれば、これでは 「匿名」にならない。

そういう記事の中に、例えば 「Cちゃん」という表現があったとしよう。 すると、筆者は 「ヘボン式ローマ字の頭文字を」 表示していることになり、従って 「Cちゃん」は 100% 「ち」 ではじまる子に決まる。「匿名」ではなくなってしまう。同時に、「C」 という表現を使った瞬間に、「T」の匿名性 は 1/5 から 1/4 に低下する (なぜなら、5つの可能性のうち 「ち」 を排除してしまったから、残りは 「た、つ、て、と」だけになる)。

同じことは 「W」 にも言えて、「わ」行の かなは 「わ」 1文字しかない (「を」ではじまる人名は、ないだろうなあ)。児童心理学だったか発達心理学だったかが専攻の大学教官が、子の出生から3才くらいまでの 「生きた」成長の記録を残した本を読んだことがあるが、本の文面の中では一貫して 「W」 と表記されているのに、写真のキャプションだったかに 「渡」 と書かれていて、地の文の匿名性が崩壊していた。ま、その著者の子で 「W」 なら、近しい読者にはちっとも 「匿名」にはならないに 決まってるけど。

もう1つ、「Y」 がある。「や」行は 「や、ゆ、よ」 の3文字しかない。まさか現代の名前で 「ゐ」 とか 「ゑ」 とかではじまる名前はないだろうから、匿名性は 1/3 にすぎない。

で、僕は、匿名の人名を頭文字であらわすときは、「あ」行は 「V」 と表現することに決めた。だから 下の記事の 「Vちゃん」 は、「あ」行つまり母音ではじまる名前の子である。問題は 「Y」で、下の記事でも 「男の子 Yのお母さんはあそこの美容院をやっている」 とまで書けば、近所の読者には 100% その子を特定できる。「Vちゃん」についても 「在日」の関係をやや詳しく書いているので、これも近所の読者は 100% 特定できるにちがいない。どうも、いかん。

中森明菜 (今では) おばさんのデビュー期の歌に 「わ・た・し 少女A」 というのがある。そうだなあ。いっそのこと、これで行くか。しかし、「近所の少女A1は」 とか、「隣のアパートにいて弟がいる少年A2」 では、1970年代の新聞に出た 「非行少女A」、「少年A」 みたいではないか。明菜の 「少女A」は、その効果をこそねらったものだった。
どうしましょうかね。

ところで、まさに近所の V2ちゃんの お母さんの名前を、偶然知る機会があった。「Tさん」と書けば まだ 1/5 の匿名性を保てるのだが − 困ったことに、彼女、韓国人を相手に 「『千と千尋の神隠し』、知ってる?」 なんてやっている。「その千尋」さんなんだ。彼女は。このアパートは俗に言う民間低層マンションで、総 16軒、そのうち数軒の主婦たちだけが、互いに 「名前」で呼び合う関係を結んでいる。新しく入居した韓国人夫妻の子の名前は 、これは実名を出したが、ハングルを読めない人には わからないので、よかろう。さて、その の名前は、僕も忘れた。んちの ADSLが無事に開通したかどうかも、僕は確認していない。


(20030805-1) 日記 − 名前を覚えきれない近所の子たちの名前について

夏休み前から、上の子 3年生が、ひんぱんに友達を家に連れてくるようになった。記憶にある限り3家庭の5人だが、そのうち僕が名前を覚えているのは2人だけ、顔と名前が一致し 公園で偶然 出会って その子だと識別できたのは 一人だけだ。残りの4人のうち、一人は お母さんが韓国人だというが、その子の名前はうちと同じ 「日本の」 名前だったはずだが (韓国風の名前を聞いた記憶はないので) それが Mだったかどうかは 定かではない。我が家に来たときは 特に 「韓国人」風の顔にも見えなかった; が、先日 公園で出会った数人の女の子集団の中に、明らかに 「韓国人」の顔を持つ子がいた; うちの子が親しげに話していたから、僕は その子をすっかり 在日 (で、父親は新規来日)の Vだとばかり思ったが、どうも自信がない。夫婦で日本に留学してきた家の Hかもしれない。いや、こないだ うちに来た あの子が Mだとして、その Mかしら。
試しに、2mほど離れたところから 「Vちゃん!」 と呼んでみた。まったく反応がない。よって、彼女は Vではないので、従って H あるいは M である ・・・

僕自身が小学生だったころ、父は 「近所」 の人名やその家庭事情にうとくて、いつも その妻や娘から説明を受けなければならなかった。「近所」 の名前が出てくるたびに 「それはどこの誰だ」 というわけで、もう中学生の娘たちから ずいぶん顰蹙を買っていた; 僕自身も、なぜ父が近所のことを そんなにも知らないのか、不思議だった。
が、今は わかる。当時、しがない中学教師、後には単に事務員、つまり ただのサラリーマンだった彼は、朝 家を出て 夕方に帰って来るだけだ。考えてみれば、職場が自宅外で、朝から出勤していれば、「近所」 のことを知る機会など あるわけがない。
僕自身の現在は、多くは昼すぎに外に出て、それから 「出勤」になる。「昼」が多少 遅くなれば、小学校の下校時間に当たってしまう。そうなると、近所の子どもたちに出会うことになる。だから、男の子 Yのお母さんはあそこの美容院をやっている、男の子 Hは隣のマンションに住んでいて、弟がいて、そのお母さんも知っている。が、うちの子自身は女の子で、女の子の世界は、父親には なかなかわからない。Vと Hは 「血」 の上では純然たる韓国人だが、母親だけが韓国人らしい あの女の子が Mだったかどうか − 「自分」 のことでなくなると、人はこんなに無関心になるものなのだなあ ・・・

話は一転するが、
日本に来た 「外人」 − そのほとんどはアメリカ白人の場合だが − をもてなす日本側。この場合、しばしば夜の酒の席になる。「日本の」 飲み屋に連れて行って、そこで 日本側はしばしば 「おねえさん!」 という呼びかけ語を教えることになる; 「おねえさん」と呼ばれた飲み屋のおばさん、「外人」から 「おねえさん」と呼ばれて ご機嫌になる。「おねえさん」がご機嫌なので、「外人」もご機嫌ということになる。

この 「逆」になるのかどうか、僕はアメリカで、(ファースト・フードではない、ウェイトレスのいる) 食堂で、「ヘイ、まどもわぜる!」 を試したことがある。おフランス語で呼びかければ、彼女たちは 「おねえさん」と呼ばれたくらいの反応を示してくれるかな、と思ったのだが、残念でした、まったく無反応。彼女らに、外国語の素養なんか なかったのだ。実際、高校ぐらいで彼らはスペイン語を習うことはあるらしいが、フランス語を習ったという話は聞いたことがない。

その流れで言えば、韓国では、昔は ウェイトレスさんは ! と呼べばよかった。そのまた逆に、敬意を示す意味で ! と言っても、よかった。ただ、その区別は難しくて、いつも迷う。いきなり親愛をこめて () と言ってもいいのだが、しかし 日本人がふんぞりかえって () と発音するのは、見ていても楽しいものではない。
そのうち、韓国では ! という呼び方が普及したそうだ。単語の意味からすれば、明らかにおかしい; これは 「女」 が、年上の 「女」 を呼ぶ言葉だ。が、言語は変化する。これは 「おねえさん」 みたいな言い方だったのだろう。
それでも まだ、どこかに 「抵抗」 が残っていたのだと思われる; その後、! または ! という言い方が発生した。これは、! の置き換えだ。

だから、人は、まず 「自分の名前」 を呼ばれれば反応する。他人の名前に反応する子は、いない。
名前がわからない場では、韓国では だったり だったり だったり だったり、した。アメリカでは ・・・ うーん、今でも "Hello" だけは使える; この言葉にだけは、アメリカ人は必ず応じてくれる; その瞬間をねらって 彼 (または彼女) の目をつかまえ、当方の希望を伝えればよい。夏休みハワイに行く方は、あらゆる場合に "Hello" が有効であることを覚えておいて 損はない。


(20030804-2) 日記 − ずいぶん いろんな作画をした。その実例

まず、仕上がり姿を見ていただこう:
.
nann kmnjn jsssallan thnjimnida.
これはもちろん HTMLでいう 「表 table」で、この表の枠線を表示すると こうなる:
.
nann kmnjn jsssallan thnjimnida.
「仕上がり」姿が 「これでよい」 となる直前までは、僕も この枠線付きで 「表」 を組んでいる。ご参考までに、この 「表」中の 「文字」 の7割ほどは実は 「画像」であって、「文字」ではない。ブラウザの上で 「すべて選択」をすると、Netscapeでは 「画像」 部分が反転せず、逆に MS-IEでは 「画像」 部分が真っ黒につぶれてしまうので、どれが 「画像」なのかは 見当つけていただけるだろう。

ところで、次が大変である。いま 「この」 画面で、ブラウザの上で上記の 「ソース」表示をすると、その 「7割」の 「画像」は すべて <img src="..."> と見えるはずである。これは、基本的に 「読むに耐えない」はずだ。
「画像」で表示しようと考えたことの背景には、「すべて画像化することによってのみ あらゆる読者に読める」 ことがあったのと同時に、その 「画像化」を 自動的に行なうこと、その画像化の 「元 (ソース)」は、人間つまり僕自身が読み、書き、修正できることが前提だった。HTMLをすべて手書きしているので、この (自分の) 手書きソースが 後から (自分で) 読めるかどうかは、やや重大な問題ではある。
上記の 「本当のソース」に近いものをご覧いただこうか。HTMLの 「表 table」 の文法が やや わずらわしいが、それはがまんされたい:
    <table border>
        <tr><td rowspan=2>//NOIPA;[longparen]//</td>
            <td>//face="ku11b";na-neun </td><td>keum-nyeon </td><td>yeo-seos-sal </td><td>nan </td>
            <td>cheo-nyeo-ae-ip-ni-da.//</td></tr>
        <tr><td>//IPA;nan[eu]n </td><td>k[eu]mnj[eo]n </td><td colspan=2>j[eo]s[eo]s[q]sallan </td>
            <td>[tsh]<sup>h</sup>[eo]nj[eo][ae]imnida.//</td></tr>
    </table>
上記のうち // ... // に囲まれたものが、CGI の処理の対象になる。// ... // の中間にある HTML タグは、すべて透過し、無視される。
//IPA; ... // の中は、IPA つまり音声記号とみなされ、[ ] の中が画像化の対象となる;
//NOIPA; ... // の中は、IPA以外の記号として [ ] の中が画像化の対象となる;
// ... // または //face="fontname"; ... // の間は、その中が HR ローマ字であれば画像化、その他は透過させる;
という CGI である。


(20030802-2) 日記 − ずいぶん いろんな作画をした。まだ続く

24年前の恩師の、定年退職後に公開しつつあるいくつかの記事の 「アマチュア編集者」をやっていることは、既に何度も書いた。その作業の間に、面倒だから なるべく避けてはいるのだが、いくつか 「既存のフォントにない」、あるいは MS-IE と Netscapeの振舞いの差を吸収する意味で、避けられない 「作画」 (あるいは 「作字」) をやってきた。その一部をご紹介。次の表の中で 完全な 「空白」に見えるものは 本当に空白で、これは 「固定されたサイズの空白」 を作ったものである。しかも背景が 「透明」なのでその 輪郭さえ見えない; その点 あしからず:
同様に、国際音標記号 つまり IPAも、今のところ 「すべて画像」 の方針でいる。こちらのほうは、次のようになる。これらはすべて 「可視」 文字 (現実の技術面では 「画像」) なので、「表」 にせず羅列しよう:
左から4番め、英文字の a の一般フォントと異なる や、右から5番め、g とは異なる に注目されたい。
なお、この IPA つまり 発音記号、全部 「読める」 人は、大学の言語学担当の教師の中でも、特に音声学に詳しい人だけだろうと、思う。読めない人が不安になる必要は (まったく) ない (実は、僕も もう わからない記号がある)。


(20030802-1) 日記 − うちの子の夏キャンプ

世の中は夏休みで、うちの子 8才も キャンプに行った − 「キャンプから帰って来る子」 のイメージを陶芸作品にした商品の広告をアメリカで見たことがあるが、その広告を僕の言葉で形容すれば、こうなる: 「数日前のあの子が、このキャンプから帰ってきた; 日に焼け、幼かった表情がすっかりたくましくなって帰ってきた。それに満足する父母の姿」。ただし、この陶芸作品の子は男の子である。作品は、自宅の玄関に帰ってきた我が子を迎える父と母、それに対して誇らしげに微笑む息子、という図式。それは、一昔前のアメリカの、ある意味 「幻想」であり しかし事実であったかも、しれない。少なくとも、西部開拓の名残のあった時代のアメリカであれば、これは vivid な描写だったかもしれない。別の例えかたをすれば、日本では 「昭和 30年代」 に 「自転車で日本を一周してきた」息子みたいな、そんな意味を帯びている、のかもしれない。

現代の日本の東京の親にしてみれば、いまどき 「子がたくましくなって帰ってくる」キャンプなんて、そう あるものではない。商業ベースの募集であれば まず完全看護、24時間監視体制での募集で、そうでもなければ、事故があったときの責任が追求される。
「かわいい子には旅をさせよ」 という格言など、現代には通用しない。そのせいもあるし、既に商業主義しか残らないせいでもある、2泊3日くらいのキャンプでは、商業ベースでは3万円くらい取るだろう。1週間程度となると、5万円ではすまない。夏のキャンプも、今では冬の 「スキー教室」と同じで、子どもだけを集めれば、いざというときの責任追及に (金銭的に) 耐える意味、そのために完全看護し監視する意味、それに商業的配慮つまり主催者の実入りが考慮されるから、1週間なら5万から 10万の間と − 見ていい。

で、うちの子は、一応 商業ベースではない、カトリックの日曜学校のキャンプに行った。2泊3日。1万5千円。日曜学校にはろくに通わないくせに、何か行事があると大喜びで出かける。主催側はこれでは赤字になるのだろう、同じ教会の敷地に根拠地を持つボーイ・スカウトとの共同行動で、ミニバス3台、うち1台が日曜学校の女の子ばかり 10人である。
出発前の様子を見ていると、ボーイ・スカウトは班ごとに整列させて、その間の細かな注意を与えている。一方 教会学校のほうは、ほい、聖堂でお祈りなんかやっている。おいおい。だいたい 「学校」のクラス担任にあたる 「リーダー」は遅刻してくるし、かなり いい加減。ふむふむ。これで、よい。当方の意図は、管理がいい加減であればあるほど 子どもは自力で行動するしかないだろう; アトピーの処置にも お父さんはいないし、虫よけスプレーも 虫に刺された後の処置も 自分でするしかないだろう; 現代日本の行事である 「キャンプ」に、本当の意味でのサバイバル体験などあり得ない; せめて、管理不在の集団行動の中で、自分の危機だけは自分で対処することを覚えてほしいと − 僕は思っているわけだ。