三枝壽勝とその友達による 現代文学 読書案内


目次

単独の評論
韓国の小説は変わりうるか (三枝壽勝 1996.11)
今の文学 / 何かありそうでなさそうな90年代の韓国文学 (三枝壽勝 1998. 3.12)
九○年代、どこまできたか韓国文学 (三枝壽勝 2000.12)

短文による作品紹介
チョー・ソンギ 「あの島へ行きたくない」 (山田佳子 2002.02)
ウン・ヒギョン 「妻の箱」 (水野 健 2002.02)
キム・ジョングァン 「検問」 (山田佳子 2001.05)
(岸井紀子 2001.05)
キム・ヨンハ(金英夏) 「非常口」 (山田佳子 2001.05)
ハン・チャンフン 「チュニ」 (山田佳子 2001.05)
シンギョンスク 「浮石寺」 (三枝壽勝 2001.04)
ハ・ソンナン(河成蘭)の 「かびの花」 (山田佳子 2001.04)
カンソッキョン 「茂み(森)の中の部屋」 (三枝壽勝 2001.04)
朴媛緒パグァンソ 「(コント)私の仇のかたまり」 (三枝壽勝 2001.04)
パクポムシン 「白い牛が曳く車」 (三枝壽勝 2001.04)
新刊紹介 チョン・ソクチュ 『20世紀韓国文学の探検』全5巻(シゴンサ) (三枝壽勝 2001.04)
パク・サンウ 「シャガールの村に降る雪」 (水野 健 2001.04)
ユン・ソンヒ 「33個のボタンがついたコート」 (山田佳子 2001.04)
イ・ナムヒ(イ・ナミ) 「世の果ての路地ども」 (三枝壽勝 2001.04)
ソン・ソクチェ 「夾竹桃の陰の下で」 (三枝壽勝 2001.04)
ソン・ソクチェ 「憑き」 (三枝壽勝 2001.04)

チョー・ソンギ 「あの島へ行きたくない」 (山田佳子 2002.02)

 韓国の作家は他人の作品をもじったタイトルをつけるのが好きのような気がしますが、これもその一つです。内容に全く関連性がないと却って平気でこういうことができるのでしょうか。私の好きな作家の作品がもじられたので気になって読んでみました。
 この作品でいう 「あの島」というのは無人島で、そこへ行きたくないと言う主人公の作家は無人島にひっかけた巫仁道 (ム・インド)氏という設定です。なぜ行きたくないのかと言えば、「あの島」でも50歳以上の人間は生きていけなくなるからです。もうすでにム・インド氏の周囲には自分と同年代の50歳以上の人はいません。どうも大統領が国民をリストラしているらしいのです。そして当の大統領もそれが済んだら自分の首を切るつもり、ということになっています。
 話の発端はム・インド氏がスーパーで賞味期限の過ぎたお茶を発見したことでした。「韓国の商品はなぜか賞味期限の表示がよく見えないようにしてあるのが特徴」なのだそうで、それは 「賞味期限なんか気にせず信じて食べろ」ということを意味し、つまり新興宗教と同じようなものだとム・インド氏は考えています。(この辺は妙に納得してしまうおはなしです、時節柄?=筆者。) 町を歩いていくと地下鉄の階段の入り口で 「信じてください、信じてください」と30代の子連れの女性が頭を下げています。「ノ・テウ大統領もあんなことをよく言ってたっけ」とム・インド氏。
 ところがとうとう神すら賞味期限が過ぎたことをム・インド氏は知らされることとなり、新しい 「ド」つまり 「島」ならぬ 「道」へ導かれるときが来たのだと告げられるのですが、ム・インド氏はそんな 「ド」などに希望を抱いていません。自分もいつリストラされるかわからないのです。ム・インド(無人島)といえども安心してはいられません。
 ここまででもこの作品の意味するところは見えすぎるくらい見えています。この作家はこんなふうに社会を風刺した作品が多かったと思います。
 ところで今、ム・インド氏が何とか生き延びているのは 「自分には切られる首がない、作家にはもともと首がない」からなのだそうです。これはいったいどう解釈すべきでしょうか。またここでム・インド氏は自分は出生届けが1年遅く出されているからあと
1年の猶予があるのだとか言っているのですが、この辺りが作家のいちばん言いたかったところかもしれません。1年後と言えば・・・ いかにもといった感じですね。
(2001年度 李箱文学賞受賞作品集 収録、既受賞作家 優秀作)


ウン・ヒギョン 「妻の箱」 (水野 健 2002.02)

この作家、女性である。
1998年の 「李箱文学賞」受賞作品が表題作だが、その時期の作品には強い 「クセ」がある。
デビュー期の素材がしばしば 「シモ」に触れる、具体的には 「糞尿」が話題になるのだが、それで日本の、我々の中の女たちにはひどく嫌われた。それほどすごいのかと僕も敬遠していた面がないではない。しかし必要に迫られて読んでみると、どうということもない。少なくとも (「ガリバー旅行記」の)スウィフトのスカトロジーには遠く及ばない、幼いころ、嫌いな男の子を糞壷に落としてやっていい気味だといった程度の、かわいらしい作品だった。
一方、別の作品には、30代の女が結婚せず男とつきあう、もちろん性交渉をも含めてのつきあいなのだが、その 「女」の側の心理描写が、かつての韓国作品に見られない世界でもあった。言葉が適切かどうかわからないが、韓国の現代作品に どのような意味であれ 「小市民」、それも自立した女の世界が展開されていることに、僕は驚いた。
表題作は、また異なる世界である。平凡なサラリーマン(男)が平凡に出会い、つきあい、結婚した妻が精神疾患を起こし、その妻を病院に − 再び妻が病院を出ることはないだろうという予感を持ちつつ − 収容させるまでの話だ。作品の話者が男であること、つまり作家の側である 「女」は観察の対象になっている。「この作品を女の人が書いたというのが、驚きだ」というのが、我々の中の 「女」の一人の発言でもある。
作品の背景は、ソウル近郊の新興住宅地。夫はソウルの会社に車で通う。その留守を守る妻には子供が出来ない。不妊クリニックを訪ねるが効果がない。妻の思春期の受験時の障害、その後の自閉症的な行動、数度の波を経て、妻の発作的な行動を機会に、夫は妻の入院を決意する。彼らの行動手段は車、その車で、夫婦最後のドライブ先が、森の中の精神病院である。
それだけなら、「重い」。しかし、妻を病院においた後、夫は妻との新興住宅地を去る。その間の思い出のあるわき道に入ると、山道に迷い込む。そのあげく、最後に、はるか前方にいつもの幹線道路を発見する。この1パラグラフで、作品は開かれた作品になった。男は 「ありがたいことに」街道に出たと言っている。こういう 「出口のある作品」は、韓国にはめずらしい。
作品は、日本の雑誌にも紹介されたことがあるそうだ。話題になり、自費出版かパンフレットかが出ているという。今回はそれを見る余裕がなかった。今度の訳文は僕一人の責任で作成している。
(1998 李箱文学賞受賞作品集 収録)


キム・ジョングァン 「検問」 (山田佳子 2001.05)

 「忠誠」と叫んでいたらしいのですが、それはちょうど日本の大学のキャンパスで学ランを来た応援団員が先輩に向かって張り上げる挨拶のようなものと言っていいかもしれません。韓国の大学でのことです。軍の先輩の体の一部でも目に入ればどんなに遠く離れていても何やら叫ばなければならないようなのでした。ああいう声は何を言っているのやらさっぱりわからないものですが、それが「忠誠」だったというわけです。
 この小説を読みながらそんなことを思い出していたら、「大統領に忠誠を尽くす」と言ったばかりに野党から攻撃され、就任後43時間で辞任するはめになった韓国の法務大臣のことが新聞に載っていました。小説中のリ首警もソ上警も今や「忠誠」なんて叫んでいません。それどころか朝夕の国旗の揚げ降ろしさえすっぽり頭から抜け落ちています。り首警に至っては新米のソ上警の役目である炊事当番の肩代わりまでしてやっています。自分が兵卒だった頃なら先輩にそんなことをさせたら殴り殺されていただろうと思いながらも、「自己合理化」と割り切っているのです。
 でもこのリ首警は鶏が怖くてさばくことができません。以前、除隊した人の話を聞いていると、うさぎを捕まえて食べたというようなことが必ずと言っていいほど自慢話のように語られたものですが、それとはずいぶん違います。そういうわけでリ首警は食堂のおばさんに「鶏も殺せなくてどうやって国を守るのかね」とバカにされる始末です。もっとも今、彼らは国を守っているわけではありません。高速道路の料金所で必要のない検問を日に3時間やってデートの費用を稼ぐほかは、次の外泊日のことなど考えながらぶらぶら過ごす毎日です。「犯罪との戦争」という80年代の終わりに聞かれた言葉は今では死語にも近いでしょう。ですから彼らもサボりたくてサボっているわけではなく、仕事がないだけなのです。そして本当はとっても虚しいのです。
 中でもリ首警は悩んでいます。新人のソ上警には気を使い、上司のソンには検挙数が少ないとにらまれて板ばさみの状態です。リ首警は大学2年で入隊しました。このへんの設定が韓国小説らしいところですが、彼は「自己合理化」と自らを納得させて現状を打開しようとしない自分を、筆を折ることもできたのにそうしなかった親日派詩人や、書かなくても済んだのに軍部独裁政権を称える詩を書いた詩人(そんな人いましたっけ?)になぞらえています。取って付けたような比喩ですが、ここが或はこの小説のもう一つのポイントになり得るのかもしれません。ともかく彼は詩が好きで感傷を好む、良心に満ちた青年なのです。それで上司のソンを相手に、自分たちがやっているのは交通取り締まりではなく強盗だ、と「良心宣言」してしまうのですが・・。でもこの日も結局、「世宗大王」10枚をみんなで山分けすることになりました。
 「良心宣言」という言葉も80年代末にしばしば聞かれた言葉ですね。韓国人らしさが漂う言葉だなと思っていましたが、今も聞かれるのでしょうか。


(岸井紀子 2001.05)

この作品は、1991年の『』の新春文芸に当選した作品である。朝鮮戦争が残した傷跡が、ねずみ取りの騒動を通じ描かれている。
ねずみに入られた主人公 は、一年前ねずみ騒動にひとり悪戦苦闘し、ねずみ捕獲後まもなく他界した父親の人生に対して感じた、やるせなさや憤懣を思い出す。父は無力無策でありながら、意固地であった。すべてひとりで解決しようとし、たった一匹のねずみに振り回されたあげく失敗しては、雑貨屋を営む に、「」と怒鳴られていた。そうした光景は、自身が学生運動で火炎瓶を投げ損ねて大火傷を負った挫折感や、幼い頃から<人民軍>というあだ名に傷つけられてきたことと深く結び付く。そのうえ、父親が死んだとき写真一枚残っておらず、遺影に使えたのは住民登録証の古びた写真のみで、そこに写し出された父親は<狭い空間に閉じ込められ、落ち窪んだ精気のない目をし、何かに怯えている>ようにしか見えない。そうした父親の人生は、に<生>の虚無感を感じさせていた。
北の出身である父は、ねずみ取りの合間に、に南に来たいきさつを語る。彼は、朝鮮戦争で捕虜となり、巨済島の捕虜収容所での暴動の折、白いねずみのお陰で命拾いし、休戦協定が締結される際、南北どちらに行くかという選択を白いねずみで決定した。父親のねずみ取りに対する意固地さと、捕獲したねずみに対する残忍な処置は、自分の人生の選択への悔恨によるものだったのだろう。
そして結末は、が子を孕んだ老ねずみを取り逃がすことをきっかけとして、父の<生>の呪縛からの解放と読み取れる。
朝鮮戦争の残した傷をこうした父子の<生>の葛藤として読み解くことができるのも、韓国社会が少し落ち着いてきた1991年の作品だからかもしれない。
しかし、の母親なのかそうでないのか、はっきりした表現がされていないことや、がねずみを取り逃がす直前に聞こえてきた隣家の夫婦喧嘩の声の意味など、まだまだ解釈の余地は残されている。簡潔に描かれてはいるが、含みのある作品と言えるだろう。


キム・ヨンハ(金英夏) 「非常口」 (山田佳子 2001.05)

 「キムスクラブ」とはドン・キホーテみたいな店でしょうか。用もないのに真夜中ふらっとそういう所へ行くと、フライ返しなんかが買いたくなってしまうのは不思議な心理です。バナナなんて今では高価なものではなくなったのに、どうしても食べたくて盗んでまでして食べてしまうというのも真夜中ならではの心理かもしれません。もっとも、まだ屋台でバナナをバラ売りしていた頃、デートの時に男の子が女の子に500ウォンのバナナを1本だけ買ってあげている光景をよく見かけたものです。
 懸命にツッパってワルを装っているこの主人公から哀愁のようなものが滲み出て見えるのはこのバナナのせいもあるし、女の子の下腹部にテンジャンチゲの匂いを感じてしまうという純粋さのせいもあります。女の子のそこに「非常口」という名前をつけ、警察から逃げられなくなったときに最後の拠り所のようにして顔を埋めるというのは、母性回帰本能そのものではないかという気がします。その「非常口」を天使のような生まれたての状態にしてしまうというのも、純粋さを求める心理なのでしょう。
 ワルの仲間が捕まったとき、警察だって家庭があるのだからそのうち適当に処理して帰らせてくれるだろうとか、エロビデオをわざわざ海外で撮影するような人間がいるからIMF時代になってしまったのだと考えるこの主人公の頭は、かなりまともですよね。だからと言って、単なる社会批判と言ってしまうこともできそうにありません。「この冬を越せば21歳になる」という中間的な年齢にあって、テンジャンチゲの匂いからは自立できないけれども、家にいれば肩身が狭くて「ヌンチパプ」を食べなければならず、だからと言ってまともではない社会に出ていくことも気がすすまない若者の、ありきたりに言えば自分さがしということになるのでしょうか。警察に追われて逃げる最後の場面に「乗り越えるべき屋根はいくらでもある」とあるように。イ・チャンドン(李鼇東)氏の映画監督としてのデビュー作「グリーンフィッシュ」をちょっと思い浮かべました。
 テーマがこういったことだとすれば似たような作品はたくさんあるでしょうが、描き方としては面白いことは面白いと思いました。特におやじ狩りを目撃されたタクシーに追いかけられるところはテンポがあってドキドキしました。うまく訳せば「布を裂く」より面白いかな、と思いますが、私はボキャ貧なのでダメです。


ハン・チャンフン 「チュニ」 (山田佳子 2001.05)

 数日前の新聞の読者欄に「おばあちゃん、100歳まで頑張ってね」と孫から言われたおばあさんが憤然として「100歳より上はないのか」と返したという話が載っていました。このおばあさんは頑張って101歳まで生きたということですが、ヨンチュン爺さんはぴったり100歳で生涯を閉じることになりました。
 そういえば99歳は白寿ですが、100歳は呼び方がありません。「クニャン ペクサル(ただの100歳)」なのです。しかしチュニの村では 「まだ厳然と残っている敬老の精神から」一人暮らしのヨンチュン爺さんの100歳祝いを行うことになりました。本当は昼間から飲んだくれている暇そうな青年会の面々に、先輩格のイム氏がハッパをかけたのが発端でした。そのイム氏とて、酔っ払った勢いで言ったことです。こんなふうに決まったヨンチュン爺さんの100歳祝いは、のんびりした田舎の空気とユーモラスな雰囲気を漂わせつつ、とんでもない方向へ展開していきます。
 今も農村には 「プマシ」のような助け合いの風習が残っているのでしょうか。チュニの家は、翌日に6千株のきゅうりの接ぎ木の作業を控えていました。小さな村のことですから、ヨンチュン爺さんの100歳祝いにはプマシで来てくれる人々がみな集まります。ですから翌日の作業の確認という意味でチュニにとっても好都合だったのです。農楽が鳴り響き、面長もやってきました。黄金茶房のマダムのコーヒーの出前(懐かしいですね)も来ました。ところがこの大騒ぎに興奮したのか、ヨンチュン爺さんはその場でぽっくり逝ってしまったのです。祝いの宴がたちまち喪家に変わります。チュニはやきもきします。なぜなら自分自身もそうですが、集まった人々も帰るに帰れなくなってしまったのですから、翌日の作業は大丈夫なのだろうかと。そんなこんなであたふたしているとき、また事件が起こります。なんとチュニの家のきゅうりビニールハウスが火事になったのです。
 今度は皆が消化作業に走ります。その甲斐あって被害はそう大きくはならずに済んだのですが、チュニは意気消沈します。そうなると情深いこの村の人々は、チュニのもとに寄り添って懸命に慰めることになります。「火事になると縁起がいいって言うじゃない」・・・ チュニは元気を取り戻します。そうして喪家を放り出してきたことに気がつきます。もちろん情深いこの村の人たちのことですから、と思うでしょう。ところがそうではありませんでした。「もうこうなっちゃったらカラオケにでも行こう」とトラック2台を連ねて 「ト ワッタ ノレバン(また来ちゃったカラオケ)」へ向かうのでした。
 やはり100歳なら大往生ということなのでしょう。初めからお祝いなんてしていなければ、と青年会を責めるのは酷のようです。(作品には並行して生命の虚しさのようなものも描かれていますが、全体として理屈っぽさがなく楽しく読めました。この作家は他にどんな作品を書いているのか気になるところです)
「批評家が選んだ今年の優良小説」 現代文学、2000年 収録)



シンギョンスク「浮石寺」 (三枝壽勝 2001.04)

ともに恋人との関係が不調に終った男女が元日に車で浮石寺に行こうとするが、道を間違え山中の田舎道に迷い込み夜明けを待たねばならぬことになる話。
女性はある男と婚約をしていたが、相手はその数ヶ月後自分が大学で専攻している分野の研究の大家の娘と結婚してしまう。失意の彼女が明け方山を散歩していたとき、養老院の庭で衰弱した犬を拾ってアパートで育てる。さらに、この山の散歩でときおり出会う男は彼女と同じアパートに住んでいた。彼の恋人は、彼が軍隊にいる間に他の恋人ができ彼を棄ててしまう。彼はまた、自分の仕事の上で信じていた仕事仲間がかれを陥れようとしたことを知り衝撃をうける。
正月を間近かにひかえ、彼女を裏切ったかつての恋人が元日に会おうという連絡がくる。彼女はそれを拒絶するため、同じアパートにいて散歩のおり出会う例の男に、元日浮石寺にドライブしようと誘う。その誘いを受けたとき、男のほうには彼を裏切った仕事仲間から元日に会って飲もうという連絡があった所だった。男は女の誘いを受け入れる。
雪模様の元日、二人と彼女の助けた犬とが車で出発する。途中までは順調だったが、日が暮れるころから道にまよい、山中の細い道に迷い込み戻ることもできず夜明けをまつことにする。ここで彼女の助けた犬が男の棄てたものであることも判明する。
物語の構造としては似たような境遇の男女が登場しやや形式的なところもあるが、この作者のものとしては文章も筋も出来がよい。ただし前半はややたいくつで後半がよくできている。
『李箱文学賞受賞作品集25』文学思想社.2001.2.5.pp.25〜72.全48ページ。


ハ・ソンナン(河成蘭)の「かびの花」 (山田佳子 2001.04)

「ゴミ従量制」というものをご存知ですか。韓国で1995年から実施されているゴミの回収方法で、容量ごとに決められたゴミ袋を使ってゴミを出さなければならないのだそうです。分別もかなり細かく行っているようです。日本と違って、韓国は決まったことは猶予期間など置かずに徹底してやってしまうところがあるように思います。スーパーのレジ袋もすでに有料になっています。屋台で買った食べ物をテイクアウトするときも、要求しなければわりばしがもらえなくなってしまい、それを知らなかった私はホテルに帰ってからわりばしがないのに気付き、指を唐辛子色に染めながらトッポッキを食べたことがありました。
ハ・ソンナン(河成蘭)の「かびの花」は、ゴミ従量制の徹底に目を光らせるアパートの婦人会のおばさんたちから、規格の袋を使わなかったばかりにゴミを突き返された男が主人公です。何とおばさんたちは、男の捨てたゴミ袋の中身を引っ掻き回して90世帯の中からこの男を探し出したのです。そのやり方は関心したもので、男の部屋のポストに入れられた郵便物までチェックしていて、それが証拠品となって男を犯人と断定したのでした。
東京都でゴミの分別回収が始まったとき、何が燃えるゴミで何が燃えないゴミなのか認識していなかった私は、リンスの容器を燃えるゴミの中に入れて出してしまったことがあります。どうなったかと言うと、その晩、私が出したゴミ袋は玄関の前で寂しく私を待っていました。それではじめてリンスの容器は燃えないんだとわかったのですが、それにしてもちょっと恐ろしくなりました。袋の中から私だと断定する証拠品でも発見されたのでしょうか。
「かびの花」の男はそれがきっかけとなって、それからは自分がゴミ漁りに燃えてしまいます。真実はゴミ袋の中にあるのだそうです。でもちょっと気付くのが遅かったのです。彼女のゴミ袋を覗いてさえいたら彼女の好みがわかって、コバルト色に弱い彼女ときっとうまくいったにちがいないのですが。でももう仕方がありません。彼女は結婚してしまったのだから。それで男は、隣の部屋の女を訪ねてくる男に教えてあげたいのです。女は山が好きなのに海が好きだと思い込んでいる男、ダイエット中なのを知らずにケーキばかり持ってくる男に女の真実を教えたいのですが、気違い扱いされるのがオチだと思って言えません。女の真実はもちろんゴミ袋の中にあったのです。一人で智異山に行ってきたらしい女が捨てた、ムグンファ号の切符の残り一枚とかびの花が咲いているケーキ。
この男が住んでいるアパートは15坪、築20年の古びたアパートです。このアパートが建ったのは、チェ・インホ(崔仁浩)「他人の部屋」を書いた頃でしょうか。あのときも主人公の男は隣人から集金人に間違えられたり、妻に逃げられたりと散々でした。アパートの出現で人間関係にも変化が現れていました。でもアパートはまだきれいだったでしょうし、新しいモノたちに囲まれていました。粉末ジュースとか、回転式レコードプレーヤーなど、懐かしい品々がいろいろと出てきます。そうしてのさばり始めたモノたちにクーデターを起こされながらも、男は最後には共犯者となる道を選び、自分もモノになって生き延びました。
20年後、モノたちはゴミになり、男も捨てられてしまいました。



カンソッキョン 「茂み(森)の中の部屋」 (三枝壽勝 2001.04)

激動の時期デモにも入り込めず、自分の心のよりどころを見出せず休学し、さ迷ったあげく死を選ぶ女の話。
話は、結婚をまじかにした銀行員の姉(ミヤン)によって語られる。中心人物のソヤンは 3人姉妹の末っ子。一浪して大学に入ったがすぐに家族に黙って休学していた。半年以上後にそれを知った家族にはその理由がわからぬ。その原因を探るため姉のミヤンは、ソヤンの友人を訪ね彼女の行動と生活を探り考えを探る。そこで彼女が自分の家に対して嫌悪感を抱いていたこと、デモにも入り込めぬことなどを知る。さらにソヤンの部屋にあった日記により彼女の心の内面や行動が見えてくる。しかしソヤンは家族と口をきくことも無く、頻繁に外泊する。姉が結婚式を挙げる前日ハムを運び入れる日も、姉はソヤンの行方を探し鍾路に行くが、そこで金で女を探していた中年の男の相手が妹であるのを発見し、阻止する。妹は人ごみの中に逃げこんでしまう。新婚旅行から帰ってくると妹のソヤンの態度がすっかり変わっていることを知り驚く。ところが夜中に血の臭いを感じ、いぶかしく思い妹の部屋に入るとすでに妹は血まみれであった。傍には血のついた日記帳があり最後の詩が書かれていた。
作者(または主人公)の分身を姉と妹に分け対比的に登場させた構造は、見え透いた手法とも言える。このことでこの小説が作者の青春の書として書かれたらしいようにも感じられる。また例によって小説の中で外国の書物の名前が登場するが、これと大学生の登場人物の組合わせは、韓国の小説の世界の狭さを象徴しているのではないか。ただしこの小説は前半部が推理小説的な雰囲気をもっていて、かなり読者を引き込む力がある。少々青臭い内容のうえ長すぎるが、類似の小説のなかでは読める部類ではないか。同じ作者に 「水の中の部屋」もあるが関係するか。


朴媛緒パグァンソ 「(コント)私の仇のかたまり」(三枝壽勝 2001.04)

使っていたコンピュータが故障して、書きかけの長編を飲みこんだコンピュータが吐き出してくれない。コンピューターに詳しいという専門家に来てもらっても原因がわからぬ。見かねた友人がノートブックを貸してくれたが愛着がわかぬし、まだもとの器械で文章を打つことが出来たので使えた。なによりも自分の作品がどこかに潜んでいるかもしれないので棄てる気にならない。ところが、そのハングルの字もまともに表示されず、とんでもないところに母音が飛んでしまうようになった。機械がボケたのであるという。専門家を呼んだ。その若い技師はウィルスに感染してるという。わたしは思わずノートブックを抱えて遠ざけた。彼はフロッピーをさしこみ故障を直した。そして言った。この程度しかできずにおばあさんはチャッティングをしたりゲームしてたのかという。チャッティングなど何のことかわからぬ。この技師は私が有名な作家だということを全く知らないらしい。惨めな生活をしている年寄りとしか思ってない。さんざん馬鹿にされて 7000ウォン払わされる話。
この作者のユーモアと軽い自嘲がよくできている。読んで損はしないとおもう。作者の作品集 『あまりにも淋しいあなた』(創作と批評社)収録


パクポムシン 「白い牛が曳く車」 (三枝壽勝 2001.04)

連載小説が続けられず遺言めいた文を書いて冬の海印寺からシンプン嶺を車で往復し、春龍仁の寺付近に居を構えるまでの話。
シンプン嶺にむかおうと雪で通行禁止になり、遮断されたバリケイドを除けようとしていると、海印寺で見た男が手伝ってくれ、車に乗せることになる。男は頂上の峠付近の村の入り口でおりるが、そこに至るまで男との会話は語り手の心を見ぬいたような対応をする。峠を越えてから記憶が消滅しているが、気づくと知人の家で意識不明で2日寝込んでいたらしい。男の正体が気になり来た道を逆にたどって行くが、その男の消息は知れなかった。
小説はこの筋を軸に、チャンドルペンイでガンで死んだ父、家を出て行方知れずになった母、歌手を夢見てソウルに行くが夢破れ自殺した一番下の姉、語り手の幼少時に黄狗のたたりと黄狗の自殺、宇宙の誕生やブラックホール、超新星の話、仏教の話が、織り込まれ、文章はそれらのエピソードをモザイクにして構成される。手法としては初歩的な技巧。小説中に本の題名がいくつか登場しそれを軸に話が交わされるのは韓国の小説に良く見られる現象、すなわち現実世界ではなく書物の世界で展開される物語、これは翻案小説の本質とつながりをもつ。また連載小説が書けず旅行をするという設定は クヒョソ 「カフカを読む晩」と同じであり、小説の書けぬ作家という点ではかなりありふれた設定。韓国の小説の世界の狭さ。こうした設定と問題を持った小説の中でこの小説はそれなりになにやらありげな印象を与えるのだろうか?。



新刊紹介
チョン・ソクチュ『20世紀韓国文学の探検』全5巻(シゴンサ)2001 (三枝壽勝 2001.04)


朝鮮・韓国の100年にわたる文学を、膨大な写真資料とともに年代順に記述した本。植民地時代すなわち1945年までは2巻の半ばまでで、あとは解放後の文学史で2000年まで扱われている。記述の内容についてはまだ検討してないが、何よりも写真の多さが印象的だ。ちょうどこのサイトで掲載している 『韓国文学を味わう』の原本と同じ判で、写真など資料の掲載のしかたも似ていてスタイルはほぼ同じとみてよいが、写真の鮮明さははるかにこの本のほうが優れている。
またこの写真が実に面白い。本の表紙の紹介も多いが原本でなく解放後の本の表紙を紹介しているのはよくあることだから、あまりケチをつける必要はないだろう。有名な 『春香伝』の線装本の表紙に「完版春香伝」と印刷されているのは複製本の証拠でご愛嬌だが、もっともっと面白い資料の写真がある。たとえば 李光洙の親筆原稿 2点の写真が紹介されているが、これがなんと横書きなのである。李光洙の横書きなら国宝ものだ。この本の解放前の部分で他の作家も含めて横書きの原稿はこれだけである。どうも筆跡が李光洙らしくないものもある。どうやら李光洙の全集を出すときに筆写したものらしいが、ご丁寧に原稿に所有者の印鑑まで押してあるらしいのは楽しい。といっても李光洙は解放後に横書きの可能性を試すため模造紙を使って横書きの練習をしていたそうである。もしかしたらここに紹介されているのは何枚か残されたという本物のうちの一部である可能性は否定できない。
李光洙のものとしては単行本 『民族改造論』の表紙も写っている。「民族改造論」が収録されているものとしては 『朝鮮の現在と将来』しか知らなかったので研究者として失格と一瞬緊張するが、よく見ると解放後の本らしい。なんとも人騒がせなことである。まだまだこういった発見の余地がありそうだ。あなたはいくつ見つけられるかな。とことん楽しみながら読んで見よう。


パク・サンウ 「シャガールの村に降る雪」 (水野 健 2001.04)


政治の季節が通りすぎたある年、大雪になった。久しぶりにあつまろうぜ。我々は学生時代からいつも共に行動してきた。政治の季節が去り、我々はそれぞれ就職したが、我々は機会あるごとに集まってきた。そして我々の間でも気まずい雰囲気が流れはじめて、ここしばらくは集まる機会さえないままだった。雪が降ったことに何の理由があったわけでもない。ただ、我々の中の一人が我々の中の他の一人に電話をかけて、それで我々は久しぶりに集まったのだ。
話題が展開しない。ともすれば我々は沈黙に落ちて行く。かつて我々は政治行動を共にした。我々はいつも議論を戦わせ、行動をともにしてきた。就職しちりぢりになって、ふとした機会に我々の中の一人は 「もう俺の前で政治の話をするな!」と叫んで去った。そのときから我々の中には、集まっても何か気まずい雰囲気が流れはじめた。雪の降る晩に再び集まってはみたが、話題は回転しない。我々は何を語ればよいのだろう、沈黙の酒宴が続く。
この雪では、明日の交通はマヒだろう。帰らなければ − 明日、俺は引越しなんだ。おう、そうか、じゃ仕方がないな。一人去る。店を移動する間に、一人、二人と去って行く。たった3人になった我々は、学生時代のなつかしい店を訪ねる。現代の学生たちがパーティを開いている中に、招かれざる中年客。ママは同じ人だ。見覚えのあるホステスもいる。閉店。勘定を済ませた我々の中の一人が、いつの間にか消えている。雪の中、残った2人だけの我々が途方にくれている背後で、赤い車のクラクションが鳴る。あのホステスだ。
彼女のアパート兼アトリエ、「シャガールの村」へ。
彼女は、いつも6人だった我々を記憶していた。なつかしさではない、過去を呪うような彼女のせりふ。小説はそれで終わる。
高橋和巳 『憂鬱なる党派』のミニ版。
東亜出版社 「韓国小説文学大系」 第96巻 1995.7 に所収。



ユン・ソンヒ 「33個のボタンがついたコート」 (山田佳子 2001.04)

 韓国にもフリーターというライフスタイルが生まれたのでしょうか。そう思って韓国の若者に聞いてみたら韓国ではフリーターでは生活が成り立たないとのことでした。するとこれは普通にアルバイトをする女の子の話ということになるのでしょう。実際、この作品には 「問題は若い女の子にとってのアルバイトにあるのではないか。いったいアルバイトとは何なのか。吟味に値する」という解説が付いているのですから。
 ウノはまだバーバリー (所謂ロングコートのことを韓国ではこう呼びますよね)を着るには早い季節に、焼肉屋にそれを残して姿を消してしまいました。ウノは 「私」が遊園地で働いていたときにアルバイトとして入ってきた女の子です。「私」はカウボーイの格好をし、ウノは宇宙服を着ていました。ですから二人の世界はまったく逆向きだったと「私」が回想するように、その当時もその後も親交などなかったのです。「私」はもともと 「他人と秘密を共有しあうような」関係を嫌ってもいます。
 「私」はその遊園地で2年半ほど働いた後、4年の間に2回、転職したことになっています。そしてウノもまた住み込みの家庭教師、青汁の販売店とアルバイトを替わっていました。奇妙なのはアルバイトをするウノの本来の姿、つまり恐らくは学生としての姿が全く見えないことです。「私」にしても現在は何をして暮らしている人物なのか、さっぱり説明がありません。フリーターのように思えたのはこのためです。
 信じられないことに 「私」の名前はウノのバーバリーのポケットから出てきた住所録の一番上に書かれていました。それもたった4人の名前しか載っていない住所録です。それで 「私」はウノ捜しを始めることになるのですが、それにしても 「私」がなぜウノを捜すのかが疑問です。なにしろ 「私」はウノの顔さえ覚えていません。ただウノは生命線が短くて爪で線を引いて手のひらに痕をつけていたということだけは覚えていて、ウノのその仕草は 「私」も知らないうちに癖になっていました。ですから 「私」とウノの間には何かの因縁があったのかもしれませんし、ことによると 「私」の方がそれを求めていたのかもしれません。
と言うのは 「私」は毎朝のジョギングでいつも同じ時刻に同じ人とすれ違うことにもただの偶然ではないものを感じていて、車のナンバーの数字をぜんぶ足すと19になるとか、250ミリリットルの牛乳を持っている人とかいうように記憶しています。ウノの冬のコートにはボタンが33個ついていたというようなことも思い出します。ウノの顔は思い出せなくてもです。こうなると 「私」が望んでいる他人との関わり方がどういうものなのかが見えてくるような気がします。そしてもしかすると、それが 「アルバイトとは何なのか」に対する答につながっていくのかもしれません。1973年生まれのこの作家は、他にもアルバイトをする女の子を扱った作品を書いているようです。
 ただこの作品は最後にオチがあって、「私」は毎朝すれ違う男と電車の中で偶然に出会うのですが、男は 「私」に言われてはじめて気が付くのです。そして 「赤いウェアでしたっけ。白地に紺のラインでしたっけ」と聞いてきます。「私」のウェアは水色なのに。
(「批評家が選んだ今年の優良小説」現代文学、2000年 収録)


イ・ナムヒ(イ・ナミ) 「世の果ての路地ども」 (三枝壽勝 2001.04)

80年代の反政府運動に期待をよせていたが新しい時代に入ってよりどころを失いさ迷う精神を描く。
グロテスクなバルセロナのサグラダファミリアの夢をしきりに見る。鐘の音も。キムナムジュの葬式で光州の望月洞の墓地に行ったときもしきりに鐘の音が聞こえた。キムナムジュとは90年代に入って文学講座の担当を共にして知り合った。彼が出獄した直後だった。その講座はかつては大学生の受講生で盛況だったが、いまは変わった、会場も地下の暗い部屋だ。92年の大統領選挙の結果、かつて80年代に存在した希望は失望と変わった。同窓生と会っても政治の話はでない、子供の話、夫の話だ。出席していない友人の噂、彼女は政治運動をしていた年下の男と結婚した、夫が捕まったりするなか教師をして生活を支えていたが、全教組の件で失職し苦労をしていた。ところがその夫が他の女が好きになったので離婚を提案、家を出たという。彼女を訪ねて行くが、すさんで悲惨な雰囲気だった、訪ねていった時からしばらくして飛び降り自殺をしたという。神経科から退院したあと、自分はこれまでの生活を清算して山の頂上のアパートの最上階の部屋に住み何もせず眼下の市内を眺めてくらしていた。というように語り手の身辺を次々と語りながら、文民政治の時代になってかえって80年代の希望が次々に裏切られ精神のよりどころをなくして行く様子が、内面を通して描かれる。翻訳を検討してもよい。
イ・ナムヒ 『四十年』 創作と批評社 1996.4.25 pp.133〜160




ソン・ソクチェ 「夾竹桃の陰の下で」 (三枝壽勝 2001.04)

カシリ(佳詩里)に向う道路の夾竹桃の下のコンクリートの椅子に女が坐っている。70の祝いのとき贈られた服を着て。人生の4分の3をカシリで過ごした。子供はいなかったが、皆からセチプオンマ(セジョンマ)と呼ばれた。40年前、兄が婚家に抗議しにきた、妹を10年も処女でいさせるのか、両班の家だといって。夾竹桃は毒だと村人はいう。女はそれを知らぬ村からきた。カシリに入る道でバスが田に落ちた。それからバスはカシリに近くにはやってこない。村人はそれに文句を言わぬ。この村に人の出入りはなく、村だけで生活できた。外から泥棒村ともいわれた。70祝いに来た両家の人々が帰ってゆく。式を挙げたあと新郎はすぐソウルの学校に戻った。625新郎は変装して女の実家に来た、そして婚家へ。しかし人民軍が村にやって来、新郎は山に避身、後に新郎の父と兄は附逆罪(反逆罪)で捕らわれるが、新郎が志願入隊をして釈放された。その後新郎は夢でしか戻ってこなかった。再び人民軍が来るという噂で避難したのは婚家だけだった。しかし途中で軍人たちが現われ戻らされた。村人の一人が、戦場で女の夫に会った、通訳をしていた。村人は負傷して戻ったが、女の夫は戻らなかった。戦争は終った、女は夾竹桃の下に坐って待った。実家の父が死んだ、婚家の父も死んだが、その前に軍属だった夫の失踪通知を見た。夫の戦死が認められ年金もでた。独立して住んだ。時間。
冒頭の文が音楽的なリズムを持って繰り返され話が少しずつ進行してゆく。が、この繰り返しはやや退屈である。朝鮮戦争の扱い方としては回想によるありふれたものでありながら、やや抒情的な扱いをされているところに新しい時代の反映をみる。まだ熟したとはいえぬが、表際作 「憑き」よりはできがよい。
ソン・ソクチェ 『憑き(ホルリム)』に 収録、文学と知性社 1999.11.1 pp.149〜176



ソン・ソクチェ 「憑き」 (三枝壽勝 2001.04)

子供と自覚していた男が、アイスクリームをもった子供に気を引かれ、視線をその後ろに向け追いながら過去の断片を呼び起こす。
こどもがアイスクリームを持っているこどもをみる。こどもはこどもがアイスクリームを買った小店に入り煙草を買う。こどもの幼いときのこと:農夫に持って行くマッコルリを飲んで水で薄める、田のへりで寝込んで稲束で覆われたまま夜になった星を見美しさと死の恐怖、家では彼が居なくなったことに気づかず寝込んでいた、誤入(家出、他郷)の話、兄が病気で戻り療養している間読む本を読んだこと、貸し本やで存分に武侠志を読んだこと、アイスクリームの子のほうを見る、はや引き?、なにかというとはや引きした自分の後輩?、嘘で早退、貸し本でかばんを膨らませ帰り道で寝込んでしまう、夢、30年、学校に行きたくない、行く必要もないという思い、井戸端に寝ころぶが誰も関心を示さぬ、子供は30まで子供でいる決心、中学では自己の分裂、二重人格の双子として行動、高校では三重分裂、大学では自由、軍隊、家出乞食と食事、二月ぶりに鏡を見て、積もった垢の塊をはがすと少年の顔が現われた。30のときは会社員、毎年出していた辞表があるとき受理された、パソコンのなかのメモは小説となる、子供が憑れていた子供が橋を渡る、そしてこちらを振り向いた。
幼年期から青年期への心の移り変わりを記述したもの。文学青年の習作。技巧面は、読んで付合うほどのものではなさそうだが。
ソン・ソクチェ 『憑き(ホルリム)』 に収録、文学と知性社 1999.11.1 pp.119〜146