三枝壽勝 / 現代文学 読書案内


韓国の小説は変わりうるか

三枝壽勝 東京外国語大学教授
特集:韓国の現代文学/「韓国の小説は変わりうるか」、 『月刊韓国文化』 1996年11月号


九○年代に入って韓国文学は女性作家の台頭が著しい。それは単に風俗的な問題でなく、女性論理の提示によって、新たな可能性をも示唆しているようにみえる。

出身で違う詩の性格

 まず韓国の文学をめぐる特殊な事情についてふれておこう。
(注1) 大河小説 「林巨正」
植民地期・解放後にかけて独立逮動家、改治家として活離した洪命憙が一九二八年から三九年にかけて朝鮮日報に連載した小説。主人会の林巨正は、朝鮮王朝中期に失在した義賊・民衆反乱の指導者で、腐敗した支配層に反旗をひるがえした民衆のヒーローとして親しまれている。
 まず小説の作者について。近代文学の初期、すなわち日本の植民地時代に小説の書き手に支配層、すなわち両班出身の者がいなかったのは注目されることであろう。いや有名な大河小説 「林巨正」(注1) の作者 洪命憙 ホンミョンヒ がいたという反論が予想されるが、しかし彼は小説家というより民族運動家であったし、本人自身も近代文学の担い手とは思っていなかっただろう。「林巨正」自体が彼の余技として書かれたふしがある。したがって彼を近代文学の担い手として扱うのは妥当ではない。そうすると植民地時代の小説家にほとんど両班出身者がいないことになる。新しい時代の文化を担う小説に関する限り、旧時代とは担い手が断絶していることになる。
 これは何を意味しているのだろうか。旧時代の政治・文化の担当者が両班であり、それと交代した新時代の担い手には両班がいなかったとすれぱ、当然のことながら新時代の文化は両班以外の者が担ったということになる。しかしこの説明は事実に反している。植民地時代は日本による支配の時代であり、決して韓国人同士による政権交代ではなかった。

両班出身の詩人李陸史

「張吉山」の第1部の初阪本
 実際、小説家でなく詩人のほうで両班出身の者も存在する。しかも詩の場合で興味深いのは、この出身によって詩の性格が違ってくることがありうるということなのである。両班出身の詩人は民族意識や理念的な内容を格調高く歌うのに対して、両班以外の詩人は叙情的な詩を歌うという対照的な傾向が見えるのである。たとえぱ前者の詩人には 李陸史 イユクサ趙芝薫 チョジフン そして 朴斗鎮 パクトゥジン がおり、後者には 金素月 キムソウォル朴木月 パクモクウォル徐廷柱 ソジョンジュなどがいる。
 したがって植民地時代の文学では詩と小説にはその精神的な基盤に本質的な違いがあったとも言えそうだ。そういえぱその植民地時代初期の小説の書き手はほとんど日本留学生であったことも注目される。しかし出身はともかく、社会的な位置や意識としては旧時代を受けついでいたのが、韓国の小説家であったといえるだろう。
 さて読者のほうである。文学に縁がなくとも、韓国人なら必ず知っている物語があった。一つはパンソリの 「春香伝」であり、もう一つは 「長恨夢」である。前者はもちろん今でも有名な古典の語り物で、そのほか物語本としての読み物、映画、舞台など様々な形で知られている。かつては主人公春香の悲しい物語に涙を流すため大勢が聞きにいったものである。後者は実は、日本の小説 「金色夜叉」の翻案である。映画に舞台に盛んに上演され、かつては知らぬもののない話であった。いまでも替え歌である 「長歌夢歌」を歌う人に出会うことができる。
 これらの物語は活字を通さずとも親しまれていた。その外に普段は本を読まない人でも絶対に読むという本がある。それは 「水滸誌(水滸伝)」「三国志(三国志演義)」である。なぜか韓国でこのニつを読んだことがないという人に出会うのは非常に難しい。男女共にこの二つは愛好されている。おかげで作品の売れ行きが芳しくない作家はこの二つの作品を翻案して出版することで一息つくのが慣例となっている。売れっ子に見える李文烈も例外ではない。「水滸誌」、「三国志」に対する熱愛ぶリとリアリズム理論好みの結果が、一九八○年代まで盛んだった大河小説 「土地」、「張吉山」、「客主」、「太白山脈」のブームを支えていたのであろうが、それも今では影をひそめてしまったかに見える。
 韓国の小説をめぐる状況は表面的にはかなり新しい話題がたくさんある一方、意外に古めかしいものがその底流にあるということだろう。したがって現在韓国の文学が変わりうるかどうかは、この伝統的なものに対してどのような対し方が可能かによるといえよう。

九○年代作家の手法と主題

(注2) 金源一
一九四二年生まれの小説家。初期には 「闇の祝祭」など人間の残忍柱を扱った作品を書いていたが、その後は解放後の状況や南北の戦争における悲劇的運命を熱かった「闇の魂」、「タ焼け」、「冬の谷間」などの作品を書いている。
(注3) 玄吉彦
一九四○年済州島生まれ。八○年に『現代文学』に推薦されて登壇。小説集 『龍馬の夢』、『我々のお師匠さま』などがある。解放直後の済州島で起きた事件にこだわって作品を書き続けている。
(注4) 朴婉緒
一九三一年京畿道生まれ。七○年 「裸木」が『女性東亜』の長編小説公募に当選して登壇。日常生活のなかで、過去の悲劇を引きずった母と子の微妙なわだかまりを描いた作品を多く書いている。代表作の 「母さんの棒杭二」は八一年の李箱文学賞受賞。
(注5) チェ・ユン(崔允)
一九五三年ソウル生まれ。現在西江大学の仏文科で教鞭を執っている。八○年代の改治社会運動を扱った 「あそこに音もなくひとひらの花びらが落ち」で八八年に登壇し、九二年 「灰色の雪だるま」で東仁文学賞、九四年 「ハナコはいない」で李箱文学賞を受賞。
(注6) キム・ヨンヒョン(金永顕)
一九五五年慶尚南道生まれの詩人、小説家。八四年 「深い河は遠く流れる」で登壇し、政治社会運動にかかわった人々の苦悩を描いた作品を多く書いている。「そして何も言わなかった」は、無気力になってしまった画家がある教会の壁画を描くことによって救いの可能性を見つけるまでを描いた作品。
(注7) コン・ジヨン(孔枝泳)
一九六三年ソウル生まれ。八○年代の学生運動にまつわる初作短編 「日の上る夜明け」を八八年に発表して以来、「何をするべきか」、「夢」、「鯖」など、過去をひきずって現在の新しい環境になじめない人物を多く描いている。
(注8) キム・インスク(金仁淑)
一九六三年ソウル生まれ。八三年「朝鮮日報」の <新春文芸>に 「喪失の李節」が当選して登壇。八○年代の政治社会運動を素材にして描いた作品が多いが、短編集 『刃と愛』では日常生活が抱える無数の亀裂を描き、作品世界の変化がみられるという。
 さて、一九九○年代はそれまでの激動の時代に一区切りをつけ、新しい時代の始まりであったはずであった。一九八○年代の韓国の民主化闘争は隣国の一人から見たとき、かなり粗っぼく危うくも感じられながら、最後にはかなりな意外性をもってみごとに政治のしくみを転換したかに見えた。周辺の国でかつて見られなかった画期的なもので、韓国人が当然誇ってもよい成果をあげた、と思われたものである。さてそこで書かれた小説であるが、それまでの禁忌もほとんど消減したはずのこの時期に、過去の政治運動を扱った作品がかなりたくさん現われた。
 金源一 キムウォンイル(注2) 「心の監獄」、玄吉彦 ヒョンギルオン(注3) 「司祭と供物」、朴婉緒 パクワンソ(注4)「ティータイムの母娘」、「私の最後まで持っていたもの」、チェ・ユン(崔允)(注5)「灰色の雪だるま」、「あそこに音もなくひとひらの花びらが落ち」、キム・ヨンヒョン(金永顕)(注6)「そして何も言わなかった」、コン・ジヨン(孔枝泳)(注7)「夢」、「何をなすべきか」、キム・インスク(金仁淑)(注8)「あなた」などなど、数え切れぬほどである。たしかに当時作家の置かれていた場所によっても、世代によっても傾向は違うが、共通してどこか重苦しいものを感じさせるものが多いのに気づく。
 「心の監獄」は貧しく恵まれぬ生い立ちをもって社会運動に身を投じ病死してゆく男を兄の立場から描いたもの。「司祭と供物」はその社会運動に従事する司祭が、他人に犠牲を要求することに壊疑を投げかける話。

「ティータイムの母娘」の作家朴婉緒
朴婉緒の最初のものは、金持ちの息子が身分を偽り工場に入り女子工員と結婚する話、後のものは、デモで死んだ息子を回想して痛む心を母親の独白でつづった作品。チェ・ユンの 「灰色の雪だるま」は、ある組織の秘密印刷を偶然手伝うことになった女性が、組織崩壊の時自分の旅券を中心人物の女性に貸すが、その女性はアメリカで行き倒れで死ぬという話である。
 これらの作品に当時の記録の意味をもとめても無駄であろう。どの作家も自分になじみの手法と主題を八○年代の出来事に適用しているからである。どの作家も過去に重みを感じていて、それが過去を小説化させているらしくみえる。そこで表わされた過ぎた時代に対する負担感はおそらく、韓国の近代の歴史のどの時代とも性格が違っているのかもしれない。というのは、それ以前は植民地支配であれ、朝鮮戦争であれ、その責任を外部に求めることができたが、こんどは自分達同士の内部にしか求められないからだと思われる。
 この重みの表現の仕方と関連して 朴婉緒の作品が示唆的である。彼女の作品 「私の一番最後に持っていたもの」は、デモで死んだ自分の息子に対する哀切な気持ちを描いており、それは言い換えると、過去の犠牲者に対する哀切さを死んだ自分の子供に対する哀切さと同等に痛切で哀切なものとして表現していると言えるのである。

後日談小説の後遺症、挫折感

 さらに若い作家にとっては、自分達の青春を賭けた時代だけにさらに切実になっているかもしれない。いわゆる後日談小説とも言われた小説があるが、それはこうした若い世代にとっての後遺症を扱っている。

「夢」の作家コン・ジヨン(孔枝泳)
コン・ジヨンの 「何をなすべきか」という、題名からしてある有名な本の名前を借りた作品は、工場の現場に入り労働者として働くため、共同生活をして学習する学生たちを描いている。しかし主人公の女性はそれに異和感を抱き脱落する。そのやましさが扱われた作品である。それ以外の作家の作品でも、偶然に運動にかかわったことから生活の基盤を失うとともに人生の目標を失うとか、かつての拷問による肉体と精神の後遺症を扱うとかさまざまではあるが、それらは共通して他人には理解されぬ孤独さを訴えているようにも感じられる。
 ところで コン・ジヨンの作品で注目されるのは、運動の途中で脱落したものの罪責感というのが、単に政治的信念の強さとか正しさからみたものを扱っているのではないことである。いちはやく抜け出たものが無事であって、残ったものが犠牲になっているということ、それが運動にたいする卑劣さを扱っているのではないことである。やましさすなわち過去にたいする負い目は、たしかに過去の犠牲者を思うことに関連している。しかしそのことで過去の歴史を個人の生き方の視点から考えようとしているらしく見えるのである。
 後日談小説に現われた後遣症、挫折感、喪失感は歴史の中での彼らの体験の伝わり難さ、もどかしさにあるのかもしれない。取りかえしのつかぬ過去を見つめながら、過去の犠牲者を思う時の空しさにたえながら、今なぜ書くのかをさぐろうとする営みのようにもみえる。コン・ジヨンの 「夢」は過去を見つめることが今の生き方、今の自分の内部を見つめることに関連させられているようにも見える。
(注9) 趙星基
一九五一年慶尚南道生まれ。七一年東亜日報の〈新春文芸〉で登壇。小説集 『ヤフェの夜』、『千年の間の孤独』などがある
(注10) 梁貴子
一九五五年全州生まれ。七八年『文学思想」の新人賞に 「ふたたぴ始まる朝」で登壇した。代表作 「ウォンミドンの人々」はソウル郊外の衛星都市を舞台に、市井の人々の幕らしをいきいきと描いた秀作である。「隠れた花」は九二年の李箱文学賞を受賞した。
(注11) シン・ギョンスク(申京淑)
一九六三年全羅北道生まれ。八五年『文芸中央』の新人賞に 「冬の寓話」が当選して登壇。個人の内面的な孤独感や死を詩的で独特な文体で描いている。「深い息をするたぴに」は九五年の現代文学賞を受賞。作品集 『オルガンのあったところ』、長編 「離れた部屋」などがある。
(注12) チェ・スチョル(崔秀哲)
一九五八年江原道生まれ。八一年朝群日報の〈新春文芸〉に 「盲点」が当選して登壇。八○年代にもっとも多くの作品を発表した作家のひとり。作品集『空中楼閣』、『クジラの腹の中から』などがある。
(注13) 尹厚明
一九四六年江原道生まれ。六七年京郷新間の<新春文芸>に詩 「氷河の鳥」が当選して詩人としてデビューする。小説家としては七九年に韓国日報の〈新春文芸〉に 「山役」が当選して登場した。「白い船」は、作家が中央アジアの朝鮮民族を取材する話で、九五年に李箱文学賞を受賞。
 これと関連して注目されるのは、最近の韓国で、小説家が主人公になったり、自分の小説を書く過程を書いた作品が目立っていることである。たとえば、趙星基 チョソンギ(注9)「我等が時代の小説家」、梁貴子 ヤンキジャ(注10)「隠れた花」、シン・ギョンスク(申京淑) (注11)「深い息をするたびに」、「集まっている火の光」、チェ・スチョル(崔秀哲) (注12)「氷のるつぼ」、「視線考」、コン・ジヨン「夢」などかなりある。変わり者の作家である

「白い船」の作家 尹厚明
尹厚明 ユンフミョン (注13)「白い船」、「狐狩り」なども入るかもしれない。
 その典型的な内容は、原稿依頼に対応できない、作品が書けなくなった作家自身を主人公にした小説である。こういう小説が書かれるということは、おそらく作家に対する社会の要求が彼らの能力を超えている現実があるのであろう。作家がまだ伝統に従って社会的にはまだ優遇されていながら、時代の変化の中で作家自身の方がまだ対応しきれず苦慮しているさまがうかがえる。しかしこうした、現在の韓国の風俗が生み出した現象にもかかわらず、そこに本質的な新しさが見えなくもない。
 作家が自分を材料にして作品にする、といえば思い出されるのがかつての日本で主流であった私小説である。従来韓国ではそのような私小説はほとんど評価されていないし、書かれてもいない。理由は韓国の社会の伝統的思考にあろう。天下国家を論じる者に柔弱な態度はありえないはずなのであるから、弱々しく自分の弱点や内面をさらけ出すなどとんでもないことであったはずである。韓国の作家がそういう形式を嫌い受け入れなかったのは当然かも知れない。ところがその私小説ともいうべき作品が現われたのである。
 社会的な要求に応じるため、強制的に書かざるを得ない状況に追い込まれ、むりやりに書く作業を通じて、書かされた作品で作家は自分の姿を見つめだしている。彼らが自分の書くことの意味を問い始め、自分の書くことの起源を探りはじめたのも注目される。それは社会的な意義からの発言ではなく、作家個人の立場からである。たとえぱ 梁貴子は書くことは作家の告白であると書き、コン・ジヨンは自分がのけ者の局外者という存在が自分に書くことを選ばせたと語り、

「深い息をするたびに」の作家
シン・ギョンスク(申京淑)
シン・ギョンスクは自分が信頼していた友人に裏切られたことが密かに書くことに繋がったと書いている。何かが少し変わりつつあるかにも見える
 その シン・ギョンスクの 「集まっている火の光」は、軽いユーモアを感じさせる作風で、作家が自身に距離をおいて眺める余裕があることも感じさせる作品である。この中で作家は、自分が材料に苦慮してせっぱ詰まって書いた小説を新聞に発表したことが原因となった騒動を語っている。親戚の内輪話を新聞に広告してまわった、と伯母が激怒したのである。田舎にいった時、彼女は伯母からいきなり、小説って何だ、と詰問される。もちろん小説の概念を聞いているのではない。彼女の伯母も母も文学とは縁がない。文学という社会的制度の約束ごとに無縁な人間の前に文学は何の権威もない。ただ非力である。
 この非力な文学の営みに従事することの意味、つまり作家にとって書くこととは何かが問われている。そして作家は書くことが自分が生きることと同価であるという答えを提出し始めたかに見える。文学が無条件で社会的な価値があるというのでなく、それを生み出すのは作家自身なのだとあらためて考えだしたのは今までになく新しいことかもしれない。

女性作家の活躍の背景

 

東仁文学賞と現代文学賞の受賞作品集
 ところで以上紹介した、過去の歴史を扱った作品でも、内面の告白でも、注目される作品を書いているのが女性作家であることは何を意味しているのだろうか。単に女性作家が大勢登場したということ以外に何か必然性があるのだろうか。確かに近年の韓国の小説界で女性作家の進出は目覚ましい。朴婉緒、梁貴子、尹静慕、金知原、金采原、呉貞姫、チェ・ユン、イ・ナミ(李男熙)、コン・ジヨン、キム・インスク、シン・ギョンスク、キム・ヒャンスク(金香淑)などが活躍している。例えぱ一九九○年以後の現代文学賞、李箱文学賞、東仁文学賞の受賞者中女性は各々七人中二名、七人中三名、五人中三名である。
 近年になって女性作家の活躍がめざましくなった原因は色々考えられる。韓国社会の発展にともなって男性が他の分野に進出するようになり、その空白を女性が埋めた。小説の読者に女性が多く出版社が読者の感覚に合わせて女性作家を優遇した。読者の女性の中から書き手が登場した、ことなどが考えられる。実際にそうであるかもしれない。これだけなら作家という職業でも男女平等に近づいたという風俗的な話でしかない。間題はその活躍によって韓国の小説にどのような可能性が生まれたかであろう。そして、すでに述べたことがそのことと、どのように繋がるかであろう。
 女性としての作家の可能性について、朴婉緒の 「夢見るインキュベイター」は示唆的である。この小説は中絶手術をしたことで、子供を殺したという罪責感にとらわれていた中年女性の話である。彼女が中絶したのは、胎内にいる子供が女であることがあらかじめわかったからである。女性が歓迎されない環境でそれは自然であった。その手術は姑と義妹の立ち会いで行われた。しかし彼女はあるきっかけで悟る。自分の殺人行為、それは夫も共犯であることを。自分の子殺しは夫と自分の共同犯罪であることを。そのことは女性も男性優先の社会の男性論理に巻き込まれていたことを意味する。女性が韓国の社会でいかに韓国的な男性論理に支配されていたかを暗示する作品である。

「あなた」の作家キム・インスク(金仁淑)
 若い女性作家 キム・インスクの作品 「あなた」は、別の意味において女性の論理の可能性を提示した点で典味深い。物語は、偶然のきっかけから非合法の教員組合の仕事に携るようになり、次第に深入りして行く夫を妻の立場から描いている。妻は、夫が口先ではより良い未来の社会という理念を唱えるぱかりで、妻や子そして家庭の経済状態にはまったく関心を示さないのを痛烈に攻撃し、両者は激しく衝突する。家庭のことも顧みぬ無責任な人間になにが運動か、一週に一度ぐらいは稼ぐことを考えたらどうだ、というわけである。
 従来の小説では考えられなかった場面である。政治や社会運動に携わる者が生活のことなどに神経使うなどとんでもない、というのが伝統的な考え方である。同じ主題を扱った小説は過去にもかなりあったが、これほどあからさまに女性の論理を突きつけたものはなかった。「あなた」は男性論理というものに対して、家庭を背景にした女性の論理で真っ向から対決する姿勢を描いている。さらに韓国の読者にとって衝撃的であるはずなのは、夫婦の衝突の際、妻を殴った夫の頬を妻も殴り返す場面であろう。この場面があるだけでも、この小説は画期的な作品だと言える気がするのだがどうだろうか。
 しかし、この小説はその場面の後、夫婦が和解する結末に一気になだれ込む。途中の緊張を持続できず、気の抜けた終わり方をしている。おそらく、現在の韓国での文学をめぐる環境の限界をここにみることができるのではないか。伝統的な思考方式の中では、この作品の提示する緊張を最後まで持続させるのはかなり困難であろう。しかし、ここに紹介した作品から、女性が伝統的な社会の通念に対する、異議を提示し始めたことはたしかだといえるのではないだろうか。少なくとも、ここで可能性をみせた女性の論理の提起は、外から最新の思想、たとえばフェミニズム思想を取り入れることとは関係がない。韓国の社会の男性論理は韓国独特のものである。その論埋に女性が異議申し立てをすることは、女性を排除している社会の伝統的枠組みに対する異議申し立ての可能性をはらんでいる。
 先に紹介した光州事件以来の八○年代の歴史を扱った小説や、私小説的な作品で注目されるものは、いずれも伝統的な思考とは外れたところに成立していたように思われる。ところがそれらの作品が女性によって書かれたものが多いということは、逆に言えぱ男性は伝統的通念から外れるのが難しいということが言える。つまり韓国では社会的通念、伝統的思考が比較的男性的なものと緊密にむすびついていて、男性にとってはそこから外れる考えや立場をとるのがかなり困難であるということである。つまり韓国で伝統的な思考方式に対する根本的な異議提出は男性論理に対する異議申し立てとかなり密接にむすびついている可能性があるかもしれないということである。
 もしそうだとすれば、小説をめぐる以上述べた現象はすべて関連しているといえるのかもしれない。もし女性作家がこれからも専業作家として、既成社会の圏外にいるものとしての意識を持ち続けるなら、男性論理の強烈な韓国では、既成の社会通念に対する対決が彼女らによって担われる可能性は大きいかもしれない。
 もちろんこれは仮説による話であり予言にはならぬ。が、少なくともその片鱗だけでも見せてくれたのであり、作品は残されたのである。