ハングル工房 綾瀬 - 僕の朝鮮文学ノート 9908

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990816: 野崎充彦 『朝鮮の物語』

大阪市大 文学部 助教授である野崎充彦氏の、おそらく ご当人に言わせれば「軽い」エッセイ集。大修館書店 1998.06.01、ISBN4-469-23142-8、本体 1800円+税。

「軽い」エッセイ集をめざしているようなので、軽い気持ちで読める。おもしろい。少なくとも「朝鮮」を扱った本で、天下国家社会の大義を述べるのではなく、「初心者」相手にその場限りのこけおどしを撒き散らすのでなく、著者自身が自分の関心分野を、背後には深い知識を示しながらも読者にそれを強要することもなく、書き手自身が楽しく書いていることがわかる・楽しい本だった。しかも、その楽しいエッセイの背後には著者の深い学識があり 高い信頼性を示しているのだから、これは勧めないわけにはいかないだろう − そういう本だった。

著者の名前は、日本の朝鮮近代文学研究者の間では知られている。氏の専門分野は、近代文学の観点からは「口碑文学」、例えばパンソリという口承芸能の世界ということになるのだが、この本を見ると氏ご自身の関心は それよりはるかに広い。

著者の前書きによれば、この本は学術出版物というより私的な関心を展開したにすぎない。事実、元になった原稿は月刊誌 『しにか』 の連載だということなので、たしかに「朝鮮文学」プロパーの「学術」研究の場ではないらしい。「だから」なのか、「それにもかかわらず」なのかはともかくとして、この本は 「朝鮮文学全般に対する広範な関心、学者としての態度と、それにもかかわらず知識と見識を読者に強要することなく、あくまで楽しく読める朝鮮文学史上のエッセイ集」である。そのあまり、時にはへたなエロ話や冗談が出ては来るのだが、それはそれ、冗談のへたな(まじめな)大学教官の書いた文章として、それ自体とても微笑ましいと思ってしまった。

紹介する以上、目次立てくらいはあげておこう:
序章は「風水」説にはじまる。2章からは壇君神話、3章では高句麗、百済、新羅と済州島伝説、4・5章では新羅から李朝までの奇人伝、6章で「サブ・カルチャー」の話がはじまり、7章では「林巨正」を含む初期小説と社会問題、8・9章で軍談と野談を扱い、10章では李朝下の実学派が登場する。11章はパンソリで、この作品概略は へたな朝鮮文学論より質が高い。12章では、過去 20年くらいの間 注目の対象になっている女性作品が扱われ、「女たちの聖戦(ジハード)」、李朝下の「宮中」作品が話題になる。そして近代になだれ込む; その近代には、誰でも知っていそうな女性名がいくつか上がる。最終 13章は「トラが煙草を吸っていた頃」。

結局この本は、「眉つりあげた」朝鮮論、朝鮮文学論とは別の世界で、あくまで「楽しく」朝鮮文学通史を語り、しかし「楽しい」からといって「あさはか」であることとは縁の遠い、ある種の不思議な世界ではあった。
例えば、秀吉の朝鮮出兵も、従軍慰安婦も、この本には出て来る。それにもかかわらず、著者は そういう世界での不毛な議論を一笑に付して、あくまで自分の関心事である朝鮮史または朝鮮文学史に舞い戻る − その「舞い戻る」ために、著者はほんの数語しか要していない。余計な話題を たった数語の論理的反駁で一蹴して 次の話題に展開して行くところに、僕は参ってしまったのかもしれない。

いずれにしても、朝鮮文学通史を扱い、かつ現代のとても touchy(さわると いつも問題のタネになりそう)な問題にまで言及しながら、しかし著者はあくまで「楽しく朝鮮文学を語る」態度を崩さない − そういう書き方に、僕は ある種の感動を覚えたのかもしれない。

と同時に、この本(著者)の提示する背景、つまり朝鮮文学通史の上でのさまざまな知識は、初学者には貴重な提示だと思われる。言い換えれば、この本は、現代の「朝鮮/韓国 問題」に惑わされず勉強したい人たちに、とても重要な指針になるような気もする。


(このファイル終り)