ハングル工房 綾瀬 - 僕の朝鮮文学ノート 9901

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990114-1: 大田雅一氏による書評: 宮塚利雄『アリランの誕生 〜 歌に刻まれた朝鮮民族の魂』

古い友人で、パソ通の NIFTYSERVE、その「アジア映画フォーラム」のスタッフをやっている人が職場では(日本語の)「国語」の先生をやっていて、ときおりパソ通にも「文学」の話題を上げている。
10年近く前から朝鮮語に興味を持ち、その後半には僕(水野)と論争をしたこともある古顔。ご本人はあくまで「素人」という構えを崩さないが、さすがに 10年もたつと「初心者」とは言い難くなってくる。

この一文、失礼ながらご自身の「映画フォーラム」ではぜんぜん反応がない。「映画」フリークたちと「文学」フリークの差かもしれない。
ご本人の許諾を得て、以下、転載したい。内容はかなり「濃い」と思った。 正確な出典は、パソコン通信 NIFTYSERVE上の、そのまた「Go Fmvasia」の、さらに「6番会議室:アリラン峠の酒幕」:
- FMVASIA MES( 6):アリラン峠の酒幕 - 韓国周辺情報/FreeTalk 99/01/14 -
02745/02745 HFB02416 てじょん 50冊読むぞ(1)「アリランの誕生」
( 6) 99/01/13 00:14
この題下に、次の本文がある。1ヶ所だけパソ通内部の方の名前を伏せ、また筆者自身による校正で、タイプ・ミスを2ヶ所修正ずみ:
 『アリランの誕生 〜 歌に刻まれた朝鮮民族の魂』
 宮塚利雄・著 創知社 1995.1.30.発刊 349p. \2,800
 ISBN4-915510-73-5 C0022
【目次】
 第1章 映画『アリラン』の誕生
  1.映画『アリラン』の誕生    2.映画『アリラン』の主題歌
 第2章 海峡を越えた“アリラン”
  1.朝鮮半島に普及するメディア 2.在日朝鮮人が伝えた“アリラン”
  3.“アリラン”を唄う人
 第3章“アリラン”の由来とその謎
  1.“アリラン”は峠の名前か  2.1920年代の朝鮮農村社会
 第4章 “アリラン”の故郷を訪ねて
  1.日本の中の“アリラン”   2.“アリラン”の故郷を訪ねて
 終章  羅雲奎と映画『アリラン』の再評価

【著者プロフィール】
 宮塚利雄(みやつか・としお) 1947年秋田生まれ。
 高崎市立経済大学卒・韓国・慶煕大学大学院経済学部修士、檀国大学大学院
経済学科博士課程終了。山梨学院大学経営情報学部助教授。専攻は、朝鮮近・
現代経済史、パチンコ産業論。著書に『北朝鮮観光』(宝島社)、共著に『北
朝鮮』(サイマル出版会)、『環日本海交流事典』(創知社)など。

【まえおき】
 XXさんが、い・ぢょんみファンの忘年会の時に、蔵書を整理すると言っ
て持ってきて頂いた本の中から、もらいました。韓国映画を見て、自分もアリ
ランの歌について、興味を持っていたので、読みました。
 う〜む、今まで、自分が「韓国映画と歌」について、などと知ったかぶって
書いていたのが、恥ずかしくなるような素晴らしい内容ですね。
 歌ひとつ取っても、考証するとはこのようなことか、と感心しました。
 著者の著書としては、前に『北朝鮮観光』を、文字どおり自分も北朝鮮観光
する前に読んで、面白い視点から書く人だな、と思っていました。テリー伊藤
の『お笑い北朝鮮』ほどではないにしても、やや皮肉な批判的な見方をしてい
たようです。が、この本は至って真面目で詳細な考証に、脱帽ものです。

【感想】
 第一章。映画製作の過程における、また上映において検閲をかわすための苦
労話、映画に込められた民族のプロテストの寓意と、面白く読みました。
 しかし、とても意外だったのは、普通我々が最も口ずさむことの多い「アリ
ラン」の歌詞は、羅雲奎自身が作詞したものだ、という事実でした。
 「私を捨てて行くあなたは、十里も行かずに足が病む」
 という、あれですね。小生はてっきり、これは従来、ソウル周辺の京幾道で
民間に広まっていた歌詞があって、それは恋歌であるのを羅雲奎が映画化する
に当たって、峠を越えて離村しまた連行されていく人々の悲哀の歌に、うまく
読み変えて使ったのだ、と思っていたし、以前、そのようにも書きました。
 ところが、この歌詞自体が、羅雲奎の作詞であり、それが映画とともに全国
的に広まり愛唱された。とすると、このアリラン自体は、それほど古い歌では
ないということになるのですね。すると、例えば、先日見た申相玉監督の映画
『夢』で、新羅時代の僧が山を登りながらこのアリランを歌っている、なんて
のはフィクションなのでしょうか。また、似た歌詞はあったのでしょうが。
 この本を読んで、映画とアリランの関係も再考察の必要ありと考えました。
 他に、アリランは、いろいろな歌詞を持っているが、もとは恋歌であるだけ
でなく、刑場に引かれていく義士たちの辞世の歌でもあり、また、力を合わせ
て働く人々の労働歌でもあったということも、目から鱗の思いで聞きました。

 第二章。ここは、アリランが、蓄音機・ラジオ放送とともに広まっていくあ
りさまが、当時の風俗史とも関連して、興味深かったです。
 例えば、JODK、京城放送局、というコールサインは、JOAKの東京、
JOBKの大阪、JOCKの名古屋に続く、4番目の放送局であること、そし
て、最初、朝鮮は外地としてJBAKと割り当てようとした逓信局に対して、
総督府が内地並みの呼称を主張したところに、植民地支配の意図が伺われ、解
放後、これは幻のコールサインとなったことなど、裏話も面白いです。
 しかし、ラジオ普及のため、結局、朝鮮語放送も平行して認められ、地方か
らの放送も含まれて、それがアリランや国楽の普及につながったことなど。
 続いて、強制連行されてきた在日朝鮮人たちが、断腸の望郷の思いを込めて
アリランを歌ったという話には、粛然とせざるを得ませんでした。
 演歌の父・古賀政男、詩人・金素雲、半島の舞姫・崔承喜らから、アリラン
を歌った朝鮮の特攻隊員、従軍慰安婦、革命家まで、様々な人が登場します。

 第三章。ここは、“アリラン”の名前についての、考証。
 実は、この章をまず初めに読んでみたのですが、興味津々でした。
 「アリラン百説」というくらい、アリランの由来については諸説紛々のよう
ですね。小生は、まあ、峠の地名か、娘さんの人名くらいかな、くらいに思っ
ていたのです。著者によると、それは、古賀さんとか普通の日本人がよく考え
る説だけど、実際は、韓国人に聞いても「よくわかりませんね」と言われるく
らい、このアリランというのは、難物のようです。
 中国の「楽浪(アラ)」郡だとか、「我難離(アナルリ)」の訛りだとか、
「我耳聾(アイラン)」だとか、果ては「俄・美・日・英」すなわちロシア・
アメリカ・日本・英国の、列強の進出を嘆くなんていう珍説まで、百家争鳴。
なかには首を傾げるものもありますが、しかし、そうしていろいろな説がある
こと自体に、その中に当時の民衆の気持ちが込められているのだ、という話に
は、なるほどどうなづけるところがありました。
 景福宮の工事、外敵の度重なる侵略、搾取と日本人地主の進出と搾取など、
民衆の悲哀が、この唄に反映されているのですね。特に、搾取による離村の話
は、直接、映画『アリラン』にもつながってくるところです。
 でも、阿娘(アラン)、娘の名前だという説も、小生はとても好きです。

 第四章。ここは、一番、著者の横顔が出ていて、楽しい章です。
 机上の考証を離れて、いよいよ著者が、「アリラン紀行」に乗り出します。
 本筋の、アリランの歌われる故郷を求めてという話と、別のところの雑談、
例えば、春川で名物のマッククスを食べようとしたけど、砂糖が一山盛られて
いるだけでうまくなかったとか、ポシンタンと江原道の山水で作った焼酎「鏡
月」でいっぱいやったとか、避暑シーズンで統一号の車両は身動きもできない
ほど混んでいたとか、車両のドアが走行中も開け放しで驚いたとか、そんなど
うでもいい話がなんだか面白いです。このへん、『北朝鮮観光』みたい。
 しかし、観光ばかりでなく、アリランを求めて、碑を確かめたり、名唱とい
う人を探して唄ってもらったり、果ては飲み屋のかみさんに地元のアリランを
一節うなってもらって感激したり、と、アリラン求道の旅は続くのですね。

 終章。ここでまた、映画『アリラン』の話に戻ります。
 再び、この名画と、羅雲奎を讃えます。小生も、この本を読んで、ますます
『アリラン』の偉大さと、歴史的価値を再認識する思いでした。
 やはり、本は読んでみるものです。また映画を見直してみたくなりました。
 しかし、リメイクでない元の『アリラン』のフィルムは、今どこに・・・
 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ てじょん
以上、この記事が「朝鮮文学そのものではない、それに関する研究書」の、そのまた書評であることは、勘弁を。ただ、こういう「在野」の印象を「研究者」が無視してよいとは、また 思わない。
僕自身、「アリラン」に一応言いたいことはあるけど、それはまたいずれ。


(このファイル終り)