Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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最近数年の記事の総目次
この時期の前後の 目次


(20040401-1) 日記 − 4月になってしまった

エイプリル・フールになってしまったが、過去の 「総目次」 の (ソフト上の) 整理ができていないので、このまま続ける。もっとも、上の 「目次」 を見てくださる方はごく少数で、多くは通りすがりに、Yahoo や Google の検索に ひっかかったのを瞬間 ながめて去って行くだけに見える。この 「日記」 の話題が 例えば 「ハリポタ」、「ウィルス」、「詐欺メール」 に 「君が代」 といった具合に多岐に渡るので、それで発見されるのだと思われるが、発見されても、当ページは読者を魅了するようなものではない。ただ、検索サイトで検索して 結果をたんねんに、しかし急いで眺めて去ってゆく 瞬間的な読者が多いように思われる。僕自身が把握している限りでは、「この」 ページの 「固定読者」 は 10人に届かない。この 「10人未満」 が、実は僕と近しい友人・知人・先輩・恩師の中で、パソコンとインターネットを実用に供している人たちでもある。ただし、インターネットを活用するが 「世の中の役に立たない」 こんな日記は読まない先輩もいるし、僕自身の知らない 「固定読者」 がいる形跡も ないではないが。

4月、上の子は4年生になる。困ったことに、この子の2年生以来の学校作品、持ち帰ったテストの用紙、通信簿など、いまだに山になっている。来週には4年生がはじまるのだが、過去2年、つまり2年生・3年生の間のそれは、なにも整理が進まない。
世の 「親」 たちは、子どもの過去のそういうものを どうしているのだろうか? 謎だ。僕が子どものころ、親は年度ごとに段ボール箱に入れていたような気もするが ・・・


(20040328-1) 日記 − この 「日記」 の目次を作ってみた

考えた末ではある; この 「日記」 の 「総目次」 を作るか、過去の各ファイル (最近は月単位) ごとに目次にするかを迷ったが、結果は 「一括して目次作成、要求のあったファイルについて画面の先頭に表示」 ということにした。
結果的にはこうなる:
・手書きの HTML と 自作の CGI で 互いに 「示し合わせて」 動作する文法
・その結果、CGI は 「この日記専用」 化した
・自分自身がユーザなので 自分でミスをしなければ正しく動作するが、自分で作ったソフトの扱い方に、まだ、やや 「頭の体操、混乱、使いまちがい」 の余地が残っている。従って自分自身の作品でありながら、多少不安を残している
この 「自分自身の」 混乱・異常動作を避けるためのコーディングがもう少し必要だが、とりあえず今はこれでご覧いただくことにする。

上記の 「最近の記事 目次」 の中から、適当なボタンを押していただくと、「この」 窓に 過去目次が出る。それ以後は、要求される ファイル (多く月単位) または 記事が、さらに別の窓の最上段から出るようになる。

さて、これでいかがだろうか?
自分の 「日記」 の表示具合など、他人の知ったことではない; 「あなた」 にお伺いするべきものでもないのだけれど、だが、中には 「あなた」 の役に立つことを含む記事があるかもしれない。動作状況、使い具合など、古い読者からレポートなどいただければ、とても幸い、
です。


(20040323-1) 日記 − 恩師の多言語環境、MS-IE、Unicode、この日記の 「総目次」

僕が編集者をつとめる恩師のサイトは、持ち主がしばらく国外旅行に出たので その間は ヒマだった。もちろん、その間にもいくつか、ある。中でも、僕の手には負えない Unicode によるページは、そのエキスパートの手で編集作業が行なわれて、ほぼ完成に至った。後はそこへのリンクを主ページから示せばよいのだが、その間、要約すれば 「Unicode のあの字が出ない、この字が出ない」 という問題に追われた。結局、Netscape の最新版で Windows XP の上では見えるが、IE では Windows 2000 でも XP でも 「見えない」 というのが残った。その結論から言えば、IE それ自体の最新 Update 版自体にバグがある。

細かいことを言い出せばキリがない。が、Unicode の火付け役だった Microsoft 自身の IE に こんなおろかしいバグがあるのは、困った。エキスパートは言う: パソコン OS とソフトのバージョンが上がれば、いずれ正しく見えるようになる、と。一種 感動的な宣言でもあった。我が師もいわく、結論的に 今の俺の機械で見えなくても、正しい Unicode で表現されていればよい、と。それも、一種 観念した、しかし大人の発言だった。その意味で、種類は異なるが2つの感動的な発言に出会ったことになる。

見慣れない外国語の文字を 「画像」 で出してしまうか、あくまで 「正しい文字コード」 で表現し それが出ないのはソフトが悪いと言い切るか。その点で、エキスパートと僕には 厳密な意味で対立がある。僕は単に 「見える」 ことを重視するから 「見えればいいや」、だからハングルの 「画像」 表示も平気なのだが、実は それでは 「テキスト検索」 ができない。一方、正しく Unicode で表現した場合に、音頭取りだったはずの Microsoft さんの IE で、表示されないものがある。
この苦悩は、まだ当分 続くだろう。僕はまだ、当面は 「必ず見える」 「画像化」 で行くつもりでは、いる。



ふと思い立って、「この」 日記の総目次を作ってみようと思った。
最初は、grep と sort の組合せで 静的な目次を作ろうかと考えた。が、sort つまり時間順に書いた記事のタイトルと その個々の記事へのリンクの関係がうまくいかない; その調整に かなりの手作業を要する。
試しに、「いま」 このサイト上にある記事を片端から読み出して、その (書いた) 時間順に総目次を作るフィルター・プログラムを作ってみた。そこそこ動作する。動作させてみると、あらあら、ずいぶん恥かしい記事があるわねえ。それなら、なおのこと、「静的」 な総目次より、「今ある姿」 から 「動的に」 総目次を作らせよう − つまり、現状で目次を作らせ、「こんな記事、恥かしくて目次に載せられない」 のは、記事を削る; 削った後、再度機械に目次を作らせる; すると、消した記事は目次から消える。「動的に」 というのは、そういう意味である。

いま現在、事実 (今となっては) 消してしまいたい記事もある。実は、2002年以前 数年間の記事もあったのだが、ある機会に それらをまとめて削除した。「静的」 な目次があると、削除したものはリンク切れになる。それより、「今あるもの」 だけを 機械的に網羅するソフトにしたほうがよい ・・・

恩師の不在中、多少ヒマができたのでやってみたのだが、また忙しくなる。が、それと並行して、この 「日記」 のそれも、進めよう。そもそも、「数年後に役に立つかもしれない」 ことが この 「日記」 の理念だし (あはは、本当)、その検索が不便きわまりないと苦情を言って来たのも 同じ恩師である。
「必ず役に立つ」 記事だけ、にまで厳選してしまうか、あるいは僕自身が 「恥かしくて出せない」 ものを削るだけにとどまるか、それはまだわからない。とにかく、今は 「総目次」 を既存の記事から 逆に作るところまでは できた。タイトルが単に 「日記」 で内容不明なものも、今から副題を追加すれば それも目次に反映される。

ま、今はまだ実験段階なので、もう少し考える。
理想的には、「初心者むけパソコン指南」、「朝鮮、または朝鮮にかかわらず文学論一般」、「その他 子育てその他いろいろ」 なんて分類でもすればいいのだが、それはまた面倒にすぎる。結局は 「役に立つ記事だけに厳選するか、恥かしいもの (だけ) を削除するか」 になりそうな気がするが。


(20040315-1) 「車 (自動車)」 には 「命」 がかかっている

車には 「人の命がかかっている」。もちろん、せいぜい数十キロしかない人体に対して車は少なくともその 10倍から 100倍の質量がある (子ども一人 仮に 10Kg 、タクシー級の乗用車は約 2t、これは 200倍になる) ので、誇張すれば 人と車は 「アリと戦車」 ほどの差がある、その意味で 例えば日本や韓国、アジアでの 「車・対・人」 の関係にも 「命がかかっている」 のだが、今の話題は それではない。

アメリカの大平原でもよい。冬、原野を横切る北海道の、地平線まで無人の道路でもよい。次の人家があるところまで1時間 つまり 100キロ、雪が降ればそれは 20キロかもしれないが、しかし その瞬間 あなたの車が故障したとする。100キロ先、または雪の中を 20キロ先まで、あなたは歩いて行けるか? 「100キロは無理」 でも 「20キロ」 なら可能か? 1トンもある車で 自転車ほどの速度しか出せない雪の中を、20キロを歩き通すことができるかどうか。「山」 の遭難事故でも、遭難地点は しばしば 人家からわずか数キロの地点であったりする。

アメリカの田舎。Interstate とも フリーウェイとも呼ばれる高速道路。次のインターまで ざっと1時間と見てよい。つまり、街中でも車で移動する社会で、隣の 「街」 が存在する頻度は、おおむね 100キロ先である。もちろん、その 100キロの間にも出入り口があることがある。が、出入り口に人家が見えると期待できるのは、やはり 100キロ先と考えるべきだ。例えば、僕がいたアイオワ。その州都から西はオマハに2時間、200キロ。東はシカゴ、500キロ。北は4時間先にミネアポリス/セント・ポール、南はやはり4時間ほどでカンサス・シティ。この4方向に、インター近くにマクドナルドの看板が出ているのは、記憶する限りで4ヶ所しかない。その他は、100キロ単位、長距離トラック相手の 「地元の」 簡易宿泊ないし食事場所。こういうところには Colony('s) Paradise なんていう怪しげな看板が出ていたりする。Colony とは 「植民地」、つまり 「別天地」。ドボルザークが、破格の給料でニュー・ヨークの音楽学校に招かれた後、夏休みに 第6シンフォニー 「新世界より」 を構想したのは、アイオワのボヘミア(ン)・コロニーであったと、言われている。コロニーつまり植民地とは、あるいは閉鎖的かもしれない、しかし新しい大地を開拓した 「別天地」 を意味した。そこには、出身地を同じくする開拓民の世界がある。このあたりはアメリカ西部開拓初期の大平原で、地名にも 西欧・東欧 各国語の痕跡が色濃く残っている。不思議だが Tokio という小さな街もある (この国では、「州」 単位で同名の街がしばしば存在する。Tokio という名前の街は、数ヶ所で発見される。実は New York という名前の街も、アメリカ中に何ヶ所もある。おそらく Boston も Washington も、同じくらいある。Washington に至っては、首都と別の州名まであるのは ご存知の通り)。余談だが、アメリカ原住民の種族の名前 Apache なども、これは本来フランス語綴りされた現地語で、原語は知らないが 僕は (だから) 「アパッシュ」 と読んでいる。

この世界で、雪が降った。その中を、興味本位で interstate を走ってみたことがある。ふだんなら2時間でオマハに着く。が、この雪では、1時間後、最も近い 「地元の」 トラック・ステーションに行き着けただけだ。「雪」 用のタイヤをつける車は少ないし、僕自身 事情は同じだ。既に凍っている前車のわだちを踏みつつ、出入り口が怖い。かろうじて引き返し、無事に帰ることはできた。が、そんな世界で、そのとき車が動かなくなったら − おもしろいことになる。20キロ? 20マイル? 歩いて帰るの? 5時間かけて? 夜明けではないから、外気温 摂氏 -10 度には届かないだろう。雪が 「降る」 以上、Wind-chill factor つまり風による体感の寒さも知れている。が、5時間後には確実に -10 度を割るだろう。
2時間のドライブの後、オマハの手前で雪が降り出したこともある。追い越し車線でベダルの操作を誤った。車は (おそろしく広い、草の生えた) 中央分離帯の中で、540°水平回転した。かろうじて、車ごと脱出できた。せっかくここまで来たではないか。事故でもなんでもないからと 自分自身に 「平然」 を装いつつ、しっかり街で買い物をすませて帰った。
空軍都市オマハ市内の高速では、鹿の母子と衝突したことがある。おそらく母鹿、その血が車の前面ガラスに飛び散った。車はグリル周りが壊れて、エアコンの冷却液が蒸散して視界が真っ白になった。右のライトが完全に失われている。直近の出口で下りて、AAA を呼び出す。2時間、200キロ先の街までレッカーに引かれて帰る。基本サービス距離をはるかに越えているので、深夜のキャッシュ・ディスペンサーで US$100 を、いやおうなく徴集された。

車の運転者は、「システム管理者」 である。その車と車の挙動に関するすべての責任を引き受けるのが運転者である。システム管理者の存在によってのみ、車は正常に稼動する。事故も、すべての責任は運転者に帰す。だからこそ僕は、うちの子であれ よその子であれ、「車の前に立つな! 車の後に立つな!」 と怒鳴りつけるのだ。



こんなことが、朝鮮近代文学の研究に役に立つのか − 立つ。
崔仁浩、『深く青い夜』 1982。失意の中にある韓国人作家が、既にアメリカに行って違法滞在を続けている友人と二人で、「ただひたすら車で走りつづけるだけ」 の話である。
この作品は、当初 僕が訳文を作成した。が、先輩または 「師」 でもある編集代表が、僕の 「勝手な」 翻訳方針に気がついて、全面的な改訂をした。その意味では、僕にも不満はあるが、彼の方針には逆らえない。彼は、一字一句を原文と対照しつつ、全文を書き直した。ただ、僕の訳の句読点の使い方を 彼は残した。その意味で 彼は大きな妥協をし、僕は安堵を覚えた。個々の単語使いは 彼と僕とで異なるが、作品の訳としては大きく変化したと思えない。訳者名は、僕になっている。僕の気分としては 「多少 読みにくくなった」 かと思われるが、それでも 「アメリカ、車社会の中での 現在の韓国人」 の世界を示すものとして、この訳には意味がある。よろしければ、次をご覧になられたい:
『現代韓国短編選 上/下』 三枝壽勝 他訳、岩波書店

(20040314-1) 「千と千尋」型の風呂屋?

家族には 「風呂に行ってくる」 と言って出た。事実 風呂屋に行ったのだが、自宅の風呂場ではなく外の風呂屋だとは言わなかったことを、車の中で思い出した。
車で 10分もかからないところにある、なぜか 「なじみのある」 風呂屋。寂しい野っ原の真中の、街道沿いにある。駐車場に車をとめて店にはいる。タオルも石鹸も洗面器も持ってこなかったことに気がついたが、それはいい。しかし、広い入口の空間から、どこから風呂に向かえばよいのかわからない。仕方がないので店員に聞くと、あっちの隅、いつもの反対側の入口だという。入口にはお姉さんがいて、入浴料はここで徴収しただろう。ところで、お車ですか? あいにく、今は隣の駐車場に登録して来ていただかないといけません。前にも聞いたような話だった。隣の駐車場まで、車で 10分、そこまで行って登録をすませた後、こちらにまた車で来い。その際には、あちらの駐車場でくれる 「終点」 という掲示札を 車に掲げておけという。
わかった、そうするから、とにかく俺の休憩場所はどこだと、先に店内に入る。3段ベッドらしい最上段。男風呂だから、風呂にはタオルも石鹸もないふりちんで行けばよい。では、面倒くさいが 「隣の駐車場」 か。ベッドを降りてみる。3段ベッドの中段には、割り箸のような 「二本橋」 を宙吊りにして その上に寝ている男がいる。その下段の男が不平を言って、上があんな不安定で落ちてきそうなので安心して寝られないと、僕に訴えてくる。そんなの、俺に言わないでくれよ。しかし 「二本橋」 を吊っているヒモは、その上段のベッドを越えて天井から吊られているらしい。とすると、俺の最上段ベッドはその隣の位置なのか。
考えてみれば、 10分かけて車で来て、改めて 10分先の駐車場に 「登録」 に行き、そこからまた 10分かけて戻って来るというのが、おかしな話だ ・・・
そこで目が覚めた。さっき 「いっしょにお風呂入って」 と言った娘だ。眠くて放置したら、一人で髪を洗って出て来た。次は 「寝かせて」 だ。先月までは、添い寝して僕の腕枕で寝かせる必要があったが、この1ヶ月の間に、彼女はソファー・ベッドに、父親はその下の電熱カーペットに横になるだけで、彼女は安心して眠るようになった。

昨夜は、研究会の2次会で帰れず、朝5時までのカラオケにつきあった。地方に恒久的な職場を得た研究者の、送別会の意味になった。
が、カラオケで (森山良子の) 「さとうきび畑」 を歌ったら、涙が出てしまった。「坊や、大きくならないで」 も、同じ理由でまともに歌えない。幸か不幸か、さらに対応する 「もう泣かないで坊や」 は、カラオケのメニューに入っていなかった。
注: この3曲とも、70年安保を前後する時期のものだ。ベトナム側が 「坊や 大きくならないで (おまえが 大きくなると、いくさに行くの)」、アメリカ側が 「もう泣かないで坊や (あなたのパパは強かった、戦いに行くその日まで きっと生きて帰ると約束していったのに)」 だ。
「さとうきび畑」は、敗戦の日に生まれた話者が 顔を知らない父を語る内容なので、これも話者 20才なら 1965年、25才なら 1970年になる。
研究会は朝鮮/韓国をテーマとしたものだから、 は誰もが知っていた。それ以前に が出た。 は、韓国人たちさえ 「うーん、今は疲れているから」 と言い訳をするのを、歌わせてしまった。

それにしても、わずかな間に見た 「夢」 は、安部公房なみだ。70年安保が僕の 「感情の性感帯」 をなしているのは事実だが、「風呂屋」 というモチーブが 「千と千尋」 に由来するかどうか、疑わしい面がある。わざわざ 「車」 で出かけた点、風呂屋が野っ原の真中で街道沿いである点は、アメリカでの田舎体験が反映している可能性があるが、しかし アメリカに風呂屋はない。それにしても、「隣の駐車場」 の 「登録」 後、当方の駐車場には 「終点」 の掲示を掲げよというのは − いったいどういう意味だ。僕自身の 「人生の終点」 を掲げるのは、早すぎる。


(20040309-1) チョン・キョンファさんのサイン入り CD が行方不明

9才になった子と押し入れを整理している間に、1980年代に集めた 33回転 LP、それに若干の 45回転のレコードが出て来た。「出て来た」 といっても、いつも見えている場所にあるのだが、彼女がそれを見るのは初めてである。80年代にアメリカにいた当時 買い集めた 安手のクラシック LP たちと、一時帰国したとき既に 「レアもの」 になっていた八神純子のシングル版などがある。それに、ダニエル・リカーリの 『二人の天使』 なんて、「超レア」 である (この歌手は、歌手としては 「スキャット」 専門で、詞を歌ったレコードがない。知っている限りでは、ミュージカル映画 『シェルブールの雨傘』 のヒロイン、カトリーヌ・ドヌーブの声をフランス語自身で吹替えているのが彼女である。もっとも 「シェルブール」 も 「ドヌーブ」 も、今では知る人は少ない)。

その 「安手の LP」 たちの横には、超頑丈なアルミのケースがある。この中には、実は バオイリニスト チョン・キョンファさんのサイン入り LP が詰まっている。が、面倒なのでこれは開けない。代りに、CD の棚にある 彼女のサイン入りのを、9才に見せてやろうと思った; 数枚は あった。が、おかしいな。チャイコフスキー、メンデルスゾーンの、それがない。いくら探しても、ない!

ないものは仕方がない。このトシになると、大抵のことには平然としていられる。「ない」 ことがわかった以上、「ない」 以上どうしようもないのだ。

チョン・キョンファさんの チャイコフスキーは、2度 録音がある。1つはデビュー期、1970年ころ、「氷の彫刻」 のような繊細さと危うさを秘めた第1録音。もう1つは 「CD化」 をターゲットとした 1980年代前半、30代での録音。僕が彼女に 「狂った」 のは、この後者で、その後 デビュー期の録音を聞いて 「過去の、氷の彫刻化した韓国人少女の録音」 という 架空の彼女像が形成された。が、今この瞬間、彼女自身のサインのある第2録音の CD は、行方不明だ。

バイオリン・コンチェルト、つまり 100人ものオーケストラを相手として対等に、ソロ演奏者がスターとして行動するパターンの曲は、結局 チャイコフスキーと メンデルスゾーンの2つが、この分野を代表する。あらゆる (成功した、出世した) バイオリニストは、この2曲を いずれ録音することになる。

今になって聞いてみると、1970年ころのチョン・キョンファ 「チャイコフスキー」 は、それほどのものではない。80年代の第2録音でようやく、「キムチの臭いがする」 韓国人らしい、激しい自己表現が演奏の全面 (前面ではない、全面) に聞き取れるような気がする。1970ころの彼女の録音が、千住真理子よりすぐれていると言うべき、強い根拠はない。ただ、チョン・キョンファには 千住真理子の 「お上品さ」 がない。逆に言えば千住真理子は どこまでも 「お上品」 にすぎて、聞くに耐えないだけである。

でも、あの CD、どこに行ったのだろう。
CD-R のドライブを買った後、試しにそのコピーをやってみたような気がしないではないので、そのとき どこかに紛れてしまったのだろうか?


(20040306-1) 擬似ウィルス

擬似ウィルスに出会った。

場所は、http://www.yahoo.co.jp/ で 検索、「介護 保険 対象」 と入れた場合に出て来る Q&A サイト (掲示板) たち。擬似ウィルスが出るのは たしか行政側の広報・説明でも同じだった。それらサイト自体は ごくまじめな、誠実なものに見える。事実、そこで説明されているのは、65才をすぎた後、要介護の段階 認定に不満がある場合にはどうするか、といった話題が展開されている。これを参照している間に、MS-IE 5 では、おかしな ポップ・アップ窓 (いわゆるダイアログ) が出て、英文で 「あなたの (ブラウザ MS-IE の) ホームページを http://xxx.yyy.com にしますか」 と聞いてくる。うかつに 「OK」 を押すと、今後 IE を動かすたびに、そこにつながる。そうなると、こういうことをやるサイトは、後は何をしてくるかわからない。

数年前 うちのかあちゃんが これに類似する擬似ウィルス・サイトに出会ったようで、IE を起動するどころか、パソコンに電気を入れ Windowsを立ち上げるだけで、余計な通販サイトへの窓が開いて、この 「駆除」 にあわてたものだ。一時は、ハードディスクの完全消去、Windows の再インストールまで覚悟した。が、よく見ると それらは 「プログラム」 メニューの 「スタートアップ」 の中にひそんでいただけなので、その削除で済んだ。もちろん、その 「スタートアップ」 から呼び出される (おそらく) Java Applet も削除した。

今度の 「擬似ウィルス」 は、それが 「介護保険」 をまじめに扱うサイトの、どうも そのスポンサーがいるようで、そこから発信されているように見える。メール添付によるウィルスではなく、Web サイトを 「見た」、そのことによって JavaScript が動き、そのまた 子 JavaScript がどこからかロードされて、それで ポップ・アップ窓が出るらしい。
なお、この 「窓」 は、僕自身の (前世紀の遺物の) Netscape 4 では出ない。JavaScript の最新機能 あるいは IE の方言を使っているのだろう。IE 6 と Netscape 7 ではどうかというと − そんな実験をする義理はないので放置してある。

しかし、読者に注意書き: 「あなた」 自身、あるいは あなたの親世代の 「介護保険」 関連、それも Yahoo さんが 「公認」 して トップ・レベルに挙げてくるサイトたちに、こんな 「擬似」 ウィルスがいる。インターネットそのものへの 「信頼」 を揺るがせるような現象なのだが、どう思います?

余談だが、1つか2つか古い 韓国のワープロ・ソフト 「アレア」、つまり 「日本語 Windows 環境でも動作する純然たるハングルのワープロ・ソフト」 は、インストールすると 何の断りもなく MS-IE 起動時の 「ホームページ」 を自社のトップ・サイトに変更してきた。ちょっと許せない気持はあったが、その他に 「ウィルス的」 行動はしなかったし、対策は簡単なので看過していた。しかし、同じようなことが 日本の 「介護保険」 サイトたちを 「見ただけ」 で起こるのは − 少しばかり衝撃ではある・・・
なお、韓国の 「アレア」 は社内合理化を進めているようで、その副作用で 最新の韓国国内版は 「日本の」 パソコンにはインストールできない。つまり インストーラ自体が韓国ローカル版になって、日本のパソコンでは文字化けする。2年前だったか、販売元は各国版を用意すると予告していたが、その後の経緯は僕も知らない。


(20040306-2) 生命保険

齢(よわい) 50才、この4月には 51才ともなると、十数年前に契約した生命保険の 「更新」 時期がやってくる。契約時点から知らされてはいたのだが、52才で 「更新」、その際には 毎月の保険料支払い額が ¥6万 を越えることになっていた。が、30代後半で 自分の 50代を想像することは難しい。それが、いま目の前にある。

その間に、保険業界にも大きな変化、再編があった。S生命の保険商品も変化している。僕の 「52才」 を前に、サラリーマン時代に接触してきたおばちゃんから再度 連絡があった。まだ2年あるではないか。そのときは、放置した。

その後の中間を省略する。
結論的には、「ほぼ完全な掛け捨て」 の、いわゆる 「外資系」 V生命に乗り換える。
掛金は、今までの 「保険」 類の総額、¥3万と¥4万の中間になる。契約成立時、その場で僕が死ねば¥4000万前後。ただし僕の死後 遺族はその受け取り方を選択でき、「死んだ父の年を数えて」 70まで、毎年いくらの 「年金」 型で受け取るか、即刻全額を受け取るか。
おもしろいのは、この 「家族年金」 型の 「毎年いくら」 が予約固定で、僕の死亡年令を問わず それ以後 遺族は 死んだ父親のトシを数えて 70まで、「毎年いくら」 と決まっている。結果として、その受取り総額は 父親の死亡時期が遅ければ遅いほど 減る。これを 死亡保障額 「逓減」 と呼ぶ。僕が 70まで生きてしまうと、以後 遺族の受取りは¥300万 一回限りで、それで終り。それでよい。

仮に 10年後、僕が死ぬ。そのとき、遺族が仮に 「年金型」 受取りを選択すると、残り 十年の間 毎年 ¥200万前後を受け取ることになる; これは、大学生一人が、学費を別にすれば生活できる金額である。そのとき、上の子は 19才。この保証/補償は、彼女のためにするようなものだ。従って死亡保険金受取人は、彼女とする。そのとき 12才の下の子とその母親については、何も考えていない。


(20040304-1) 閑話休題

先月分の続きで、正体不明のメールが大量に来ているので 「クイズ」 を思いついたのだが、正直疲れた。ウィルス感染していると気が付かないまま 今も ウィルス発信を続けているらしい (常時接続らしい、常に同じ IP アドレス発信になっている) 発信者、偽装された 「私」 という発信者に 「あなたの発信したメールの宛先不明」 と通知してくるプロバイダ ・・・
これらの全部につきあって、個々のプロバイダに 「この DHCP しかし常時接続 IP から、毎日 数通のウィルス・メールが届いています」 と通知するのも、面倒にすぎる。くたびれたので、放置しよう。どうせ数ヶ月もすれば、バカなプロバイダでも、善意で無知な常時接続者でも、いずれ何か異常を起こして 問題に気がつくだろうと、期待することにする。

なお、パソコン側 (ユーザ側) に家庭内ルーターを置いて Fire Wall として機能させ、さらに プロバイダ段階で メール・ウィルスのチェック (排除) をしてもらっても、それ以前に感染した ウィルスが駆除されるわけではない。その感染ずみウィルスの 「駆除」 だけは、「駆除」 のための特別な行為をしなければならない: Windowsごと入れ替えるなり、ウィルス駆除ソフトを使うなり。 そういうわけで、「みなさん、ウィルスには気をつけましょう」。


(20040304-2) 「セブン・イレブン」 という駄菓子屋のおまけ

「セブン・イレブン」 という名前の駄菓子屋がある。この駄菓子屋では、おまけ付きの菓子箱をたくさん売っている。

左の写真は、その1つ。「お菓子」 本体は、たった1枚だけ オレンジ味のガムが入っていた (これは子どもが食った)。商品の本体は 「おまけ」 である。その1つを買ってみた。たしか店頭の表示は ¥288。このおまけ、上の写真のジオラマ完成品の 底辺の長辺が 117mm、短辺 84mm。転車台は手で回すことができる。

下の写真は、その機関車だけをアップした。これは C11。連結器を除いた前後長 68mm、厳密に連結面間距離では 72mm ほど。スケールでは 1/200 ほどになり、軌間つまりレール幅は 6mm 前後。厳密にはレール幅が広すぎるが、鉄道模型一般に、車体のスケールとレール幅は一致しない。読者のパソコン・モニター画面にもよるが、この写真は 実物より一回り大きい。何に驚いたかというと、「おもちゃ」 としては極端なまでに細密であることである。下の写真で (ご存知の方は) かろうじて判読できると思う: 動力伝達部のクランク、ロッド類、ややオーバー・スケールとはいえ クロス・ヘッドの表現、シリンダ周辺の花形弁や点検蓋、ボイラー上面の発電機、安全弁、ドーム横の汽笛、砂ドームからの配管に、ラン・ボード上の (ブレーキ用 空気)コンプレッサ、そのコンプレッサからの (蒸気) 排気筒が 主煙突の前に出ている点まで、実に細密に表現されている。(なお、この世界では 「精密」 と 「細密」 を区別する。「精密」 とは本当にスケール通りの細部表現を言い、一方 「細密」 とは 「多少オーバー・スケールになっても、細部まで漏らさず表現する」 ことを言う)

この 「おまけ」 セット、実は6種類ある (この転車台 C11、トンネルと橋を渡る D51、雪の中の C62 ・・・など)。が、困ったことに、箱の外には 「中にどれが入っているか」 が書いてない。駄菓子屋 「セブン・イレブン」 のこの種の 「おまけ」 商品は、最近は 「この箱には どれが入っています」 と表示があるのだが、この商品については まったく言及がない。では、6種類を全部 手に入れるには、どうしたらよいのだろう?

ここから先は、確率論である。
連続して6個の箱を買った場合、その6個がすべて異なり6種全部が揃う確率は
( 6/6 ) x ( 5/6 ) x ( 4/6 ) x ( 3/6 ) x ( 2/6 ) x ( 1/6 )
= ( 6! ) / ( 66 )
= 720 / 46,656
= 1.54%
と、なる。
また、既に2種が入手ずみであるとき、次に買うものがこの2種と異なる確率は
残り4種のいずれかに当たる確率、つまり 4/6
である。つまり、N個を蒐集ずみの後 次に買うものが別のものである確率は (6 - N)/6 である。

さて、連続して6箱 買った場合に 一挙に6種そろう確率は 1.54% だが、それでは、「6種そろえるためには平均 何個の箱を買えばよいか」、つまり6種そろえるために買わなければならない箱の数の期待値は いくつになるだろう。そろそろ頭が疲れてきたぞ。


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