百孫朝鮮語学談義 − 言語についての菅野裕臣の覚書




I. 朝鮮語についての談義

I-1. はじめに

 今わたくしの手元に 『中国語学事典 』,江南書院,東京,1957がある.これは次の章立てから成る.
1. 中国語概論
 I. 概説篇, II. 国語統一と文字改革
2.中国語比較研究
 III. 比較篇, IV. 文章篇 
3.中国語研究史
 V. 研究史篇, VI. 辞典と研究書解題
4.VII. 実用中国語 I − 発音と解釈 −
5.VII. 実用中国語 II − 会話と手紙・挨拶 −
6.新しい中国語単語
 VIII. 語彙篇, IX. 語彙の比較
 X. 雑篇, XI. 付録
 日本の敗戦直後の1946年に出来た中国語学研究会が十周年を記念して執筆者76人を擁して編集したものである.今見ても,敗戦後の混乱がまだ残っていた時期の作業とはいえ,その内容の多彩さと質の高さと,叙述が簡単ながらも学問研究に対する執筆者の強い意気込みが感じられる.
 わが朝鮮語学は敗戦後細々と大学の一角から始まった.朝鮮に対する日本人の蔑視が日本の朝鮮研究の質の低さをもたらしていると言われながらも,韓国のめざましい経済発展に触発されてか,おびただしい量の朝鮮語入門書と会話書が作られてきた.敗戦後半世紀は過ぎ,諸大学に朝鮮関係の講座や講義は数多く出来,朝鮮語学者という人もずいぶん出てきたはずだが,われわれはいまだに約半世紀前に世に出た 『中国語学事典 』 ほどの内容のものも持っていない.実用語学を見ても,中級程度の本にもわれわれはお目にかかれない.このような知的荒廃を目の前にすると,これはもう蔑視だの差別だのいう次元を通り越して今まで何もしてこなかったわれわれ自身の知的怠慢にその理由を求めるほかはない.
 一般に日本の朝鮮研究者が今までまことしやかになしてきた日本の朝鮮研究の 「特別な」意義付けなどというものがむしろこのような退廃を生み出したのかも知れない.日本にとって重要なのは何も朝鮮研究だけではなく中国だってヴェトナムだって,そして欧米研究だって重要なはずなのだ.むしろわれわれの隣国朝鮮の,言語を含むすべてのものを,日本,中国,その他アジアのみならず欧米のものとも比較して,その位置付けをこそわれわれは求めるべきなのだ.朝鮮に対する日本人の蔑視を責める権利をわれわれがあたかも持っているかのような錯覚同様,世界に対する認識が多様化している現在,朝鮮のそのような位置付けを生き生きと示し得ないわれわれの無能こそ責められてしかるべきである.ついでながら上記の 『中国語学事典 』 には簡単ながらもすでに朝鮮と日本の漢字音に対する言及があった.
 わたくしもまたそのような無能な日本人朝鮮語学者の一人である.恥ずかしいのだが,いまだに朝鮮語文法の全体像が描けないでいる.しかし確かに今日本には,一部であれ,朝鮮語のより深い事実の解明に非常な情熱を傾ける人々がいる.彼らが知的欲求を満たし得る書物は,残念ながら,まだない.われわれは学生を指導する立場にあっても,参考にすべきものは非常に少ない.というよりもわれわれ自身がそのようなものを作る努力をしない限り,新しい展望は開けないところまで来ていると言うべきである.
 わたくしは朝鮮語についてのいろいろな疑問点を含め今の段階での自分のつたない考えを敢えてさらけ出す勇気を持とうと思う.これを 「講義」と言わず 「談義」としたのは,講義ほどには整理されていないもの,いろいろなつぶやきをも,体系性なしに順不同で,含めようとするからに他ならない.一応 「I. 朝鮮語についての談義」と 「II. 言語についての談義」(主として朝鮮語以外)とを分けるが,勿論その境界は明白ではない.もとより浅学菲才のわたくしのこと,今までに読んだ言語学書はたかがしれているが,総花主義がことの本質に迫るのに必ずしも役に立たないものであるからには,筆者の有名無名を問わず必要と思われる文献しか敢えて引用しないことにする.ここで言う朝鮮語,朝鮮人とは韓国語,韓国人をも含む.くだらない政治的意図を持たない批判は歓迎するところである.政治的干渉 − これこそが朝鮮の魅力を曇らせてきた元凶である − はわたくしの関知するところではない.
 今わたくしのもとに,わたくしが研究生として居た東洋文庫の諸先生と一緒に写った一枚の写真(多分1974年のもの)がある.ここには当時の文庫長故辻直四郎先生(サンスクリット語学),研究部長の故榎一雄先生(東洋史),故護雅夫先生(チュルク史),故長正統氏(朝鮮史),故祖南洋(ソナムギャムツォ)氏(チベット学)らと並んで故金東旭博士(朝鮮文学)と安秉禧博士(朝鮮語学)の懐かしい顔が見える.ここで故田川孝三先生(朝鮮史)の朝鮮談義を韓国からの研究員お二人と共に楽しく聞かせていただいたことが昨日のことのように思い出される.思えば東洋文庫こそはわたくしに幅広い観点から研究対象としての朝鮮に接する機会を与えてくれた最初の場だった.
 わたくしは金東旭先生にたまたま 『新撰姓氏録 』 に 「菅野朝臣 出自百済国都慕王十世孫貴首王也」(佐伯有清,『新撰姓氏録の研究 本文篇 』,吉川弘文館,東京,昭和49[第5版]による)という記述があることを告げた時,金東旭先生はご自分は慶州金氏だから新羅の子孫すなわち 「羅孫」と号するので,君は百済の子孫すなわち 「百孫」を号としたまえとおっしゃった.わたくしの父は福島県の寒村の出,あのあたりには菅野(かんの)姓は多いが,戸籍は勿論明治4年(1871年)以前にさかのぼれるはずもなく,菅野には他に 「すがの」,「すげの」等もあり,到底百済の高貴な出であるなどと考えられるわけもないのではあるが(なお佐伯氏の上掲書の索引では 「すがの」となっている),金東旭先生から有難くいただいた号をこの際使わせていただくことで,いろいろとお世話になった先生とわたくしの出発点を常に思い起こそうという次第である.併せてわたくしは 「乱文乱筆」欄で 「談義」に入らないことどもに触れようと思う.
 談義ではハングルに原則として転写を付け,現代語の場合さらに発音記号をつけることにした.朝鮮語以外の専攻の方々にも参考になればとの思いからである.ハングルとそれの転写の対照表を以下に掲げる.転写は河野六郎 「朝鮮語ノ羅馬字転写案」 (『河野六郎著作集1 』,平凡社,東京,1979所収)に若干の変更を加えたものである.もとよりこの転写方式を江湖に広く流布せんという意図などない.出来るだけ文字と転写の一対一対応を実現したものであるから,実用になり様がない.いずれ転写については一項を設けるであろう.ハングル,転写,その他について主として技術的な面で水野健氏に多大のお世話になった.同氏に心からの謝意を表する.



付録1: 百孫朝鮮語学談義ハングル及び転写対照表




付録2: 百孫朝鮮語学談義 ハングル転写例