(三枝寿勝の 「韓国文学を味わう」 第 III 章)


第 III 章 パンソリが文学に与えた影響


古代小説を生んだパンソリ

 ハングルで書かれた『春香伝』のような古代小説は、もともとは朝鮮の民俗芸能のひとつであるパンソリと言われる語り物が本として定着したものだということを前回お話しました。しかし、例えば『春香伝』の物語は大変有名なわけですが、パンソリは本来読むためのものではありませんから、それを文学としてどう扱うかということは本国でもあまりはっきりとしていないようです。それで今回は文学周辺の話としてパンソリを取り上げ、パンソリが文学に与えた影響について考えてみたいと思います。
 まず、パンソリと言われている話にどのようなものがあるか、そしてパンソリがどういうふうに語られるか、また、それが現在どう変わっていきつつあるかという点に注目します。それから、音楽の話ではないのですが、パンソリを構成している要素にどの程度のバラエティーがあるのかを実際にテープで聞いていただこうと思います。そして、本来の話題である近代・現代の文学にパンソリがどのようにして現れているかを紹介したいと思っています。

現存する5つの出し物

 まず、パンソリとは何かということですが、パンソリは1人の語り手と、その合いの手として太鼓を叩く鼓手の2人で演ずるのが本来の形です。詳しくは分かっていませんが、200年ほど前の李朝時代には既にあったらしいということです。李朝時代に出た文献では12話あったと言われていますが、その12話が何であったかは決まっていないようです。
 『春香伝』は現在パンソリの台本として残っているもののひとつですが、パンソリの場合は語られる歌ということで『春香歌(チュニヤンガ)』と言います。それから『沈清歌(シムチョンガ)』、『興夫歌(フンブガ)』、『水宮歌(スグンガ)』、『赤壁歌(チョクピョクッカ)』の合わせて5つだけが昔からのものとして残っています。

■『春香伝』(「春香歌」)

 では、現存している有名な5つの題目を簡単に紹介します。まず『春香伝』ですが、主な登場人物は春香(チュニャン)、その相手の李夢龍(イ・モンニョン)、春香の召使いの香丹(ヒャンダン)、李夢龍の召使いの房子(パンジャ)、もともと妓生(キーセン)であった春香の母・月梅(ウォルメ)、新しく来た悪代官の卞使道(ピョンサト)です。前回あら筋を話しましたが、これは春香と夢龍の恋愛物語で、妓生の春香が新しく来た代官に苦しめられ、そして助けられるまでの話です。
 有名な場面は、2人が出会う場面、初夜の場面、別れの場面、春香が捕まって取り調べを受けて拷問される場面、それから最後に李夢龍が暗行御使、つまり地方視察の官吏として現れて悪代官を懲らしめて春香が助かる場面です。打たれている時に歌う「十杖歌」や獄中で歌う「獄中歌」などが有名で、昔もこういったさわりの場面がよく歌われたと考えられます。

■『沈清伝』(「沈清歌」)

 それから、これと同じぐらい有名なのが『沈清伝(シムチョンジョン)』で、これもパンソリの物語をもとにした古典小説です。
 主人公は沈清(シム・チョン)という女性で、母親は沈清を生む時に亡くなっています。両班(ヤンバン)だった父の沈鶴圭(シム・ハッキュ)は目が見えず、沈清は物乞いをして父親を養っています。
 ところがある冬の日、沈清の帰りが遅いのを心配して外へ出た父親は、足を滑らせて凍った川に落ちてしまいます。偶然そこを通りかかった僧に助けられ、その僧から「お寺に供養米三百石を寄進すれば目が開くだろう」と言われます。その話を聞かされた沈清は、どのようにして供養米を用意して良いのか分かりません。しかし、ちょうどその時に貿易商人が来て、「船が難所を通る時に犠牲になってくれる女の人がいればお金を出そう」ともちかけられ、親孝行の沈清は「自分が犠牲になりますからお父さんにお金を与えてください」と契約をし、父親には内緒でその船に乗って行くのです。
 船が難所に来た時、沈清は海に飛び込みますが、その行いに感動した天帝は沈清を助けます。そして竜宮の王に命じて沈清を蓮の花の中に入れて海に送り返すのです。その蓮の花が海岸に到達して王様のところに届けられ、沈清はお妃となります。その後、父親とも無事再会することができ、そして天帝が父親の目を開けて終わるという親孝行に関する話です。
 確かに小説の『沈清伝』としてはこれで話は終わるのですが、パンソリで語られるのはこの筋だけではありません。沈清がお金を作って海に行ったあと、そのお金を目当てにやって来たペンドクという後妻と沈清の父親との滑稽話が続くのです。ここは笑い話として語られ、最後には、ペンドクがすっかりお金を持って自分の情夫と一緒に逃げてしまい、父親は再び貧乏になるという話です。本来は親孝行の悲しい話なのですが、パンソリでは後妻にやって来たペンドクのくだりがよく演じられ、観客は大笑いをするというわけです。これはあまり品が良いとは思われないかもしれませんが、パンソリには常にそういう別の話が混じっているのです。

■『興夫伝』(「興夫歌」)

 初めから滑稽な話になっているのが『興夫伝(フンブジョン)』です。『朴打令(パクタリョン)』とも言われています。
 これはフンブとその兄のノルブの話で、登場人物の兄のノルブはお金持ちです。ノルブという名前には、朝鮮語では遊び人という意味が込められています。弟のフンブは大勢の子供を抱えて貧しい暮らしをしていましたが、兄のノルブは何の援助もしません。ある日、フンブの家にあるツバメの巣が蛇に襲われ、フンブは巣から落ちて脚の折れたツバメを助けて手当てをします。ツバメは南に帰りましたが、ツバメの王様が「フンブは非常に感心だからお礼をしなさい」とそのツバメに命じ、翌年フンブのところにパク(瓢箪)の種を置いていきます。フンブがその種を播くとすぐに大きくなり、パクを食べようとして割ったところ、中から金銀財宝が出てきてたちまち大金持ちになります。それを聞いた兄は、自分もやってみようと真似をして、わざとツバメの脚を折って帰したところ、同じようにパクをくわえたツバメが戻ってきます。実ったパクを割ると、中からお化けや借金取りが出てきて、たちまち兄は懲らしめを受けるという話です。
 これは日本の『舌切雀』の話と似ており、インドを含めてあちらこちらにある話ですが、直接にはモンゴルの説話から取ったと言われています。パンソリではフンブのこの上もない貧乏なありさまがひたすら誇張され、非常に滑稽な話として語られます。

■『水中歌』

 それから『水宮歌(スグンガ)』、または『兎鼈歌(トビョルガ)』とか『トッキタリョン』の名で呼ばれるものです。トッキタリョンは兎節ということですが、『鼈主簿伝(ビョルチュブジョン)』という難しい題名でも呼ばれます。日本で言うと「クラゲのお使い」に当たる内容です。
 竜宮の王様が病気の時に兎の肝が必要だということで、そのお使いとしてスッポンが選ばれます。そして、スッポンは陸にいる兎に出会って「竜宮へ来れば良いことがある」と、兎をだまして竜宮に連れてきます。途中で本当のことを聞かされた兎は「自分の肝は腹から出して木にかけて干してあるので、今持っていません」と嘘をついて、陸に肝を取りに帰るふりをして無事に逃げます。しかし、兎の教えで、スッポンが兎の肝の代わりにフンを献上すると、それを食べた王様は病気が治ったという話です。絵本などでは、兎を逃したスッポンは罰を受けて叩かれ、ひびが入ったという話になっているものもあります。
 この話は、日本の場合はスッポンがクラゲに、兎が猿になっていますが、やはりもともとインドを含めたいろいろな国にあって、必ずしも朝鮮だけの話ではありません。韓国では『興夫伝』や『水宮歌』のような有名な話は薄ぺらな物語本とか絵本として出版されていたり (資料16)、漫画映画になっていたりします。

■『赤壁歌』

 最後に、現在はパンソリとしてはほとんど上演されない『赤壁歌(チョクピョクッカ)』です。これは『三国志演義』の赤壁の戦いの場面で、曹操が諸葛孔明の軍隊に襲われ大慌てで逃げる時に、華客道で待ち伏せをしていた蜀の関羽に捕まります。しかし、関羽はとても心の優しい人なので、曹操を哀れに思い逃がしてしまう話です。この話にも他のパンソリと同じような材料が使われており、慌てて逃げるところは『春香伝』の最後の暗行御使登場の場面と同じで、全く同じ語りが出てきます。この『赤壁歌』は中国の話なのであまり上演されることはないようです。
 以上の5つの出し物以外は、題名だけが分かっているものと、題名以外に物語の筋も分かっているものがあります。筋が分かっているものは、現在上演しているものと同じように、パンソリとしての台本を作って上演されることもあります。しかし、『裴裨將伝(ペビジャンジョン)』と『横負歌(ヘンブガ)』は文献としては残っているので筋は分かっていますが、パンソリとして上演されているわけではなく、物語本として伝わっています (資料17)

“分唱”から“唱劇”へ変わるパンソリのスタイル

 ところで現在演じられるパンソリの録音を聞くと、『春香伝』も『沈清伝』も5時間ぐらいですから、全部演ずるととても長い時間かかるわけです。今の韓国では、“完唱(ワンチャン)”といって全部を通して上演することもあるのですが、語り手と鼓手が2人で5時間演ずるわけですから、これは上演する人にとって大変な苦痛で、それを見事に演ずることができる人は人間国宝に指定されているようです。
 昔もお祭りの時などにさわりの有名な部分だけを語ったのであり、全部を演じたわけではないと思います。パンソリを聞く人は内容は全て知っているわけで、あらかじめどんな場面になるか、何が語られるかを期待しながら、馴染みのくだりを聞いて楽しんでいたということです。
 しかし、2人で演ずるのは難しいうえに、あまりに単調だということで、1910年前後になって、語り手を何人か用意して順番に歌うやり方が登場しました。“分唱(プンチャン)”、つまり分けて歌うということです。今ならそれぞれの登場人物ごとに分担して歌い分けるのでしょうが、1930年代に出たレコードを聞くと、ただ単に順番に歌うだけで、どうも登場人物の役割ではなくて形式的に分けて歌うこともあったようです。
 そのあとに新劇のスタイルが出てきました。『金色夜叉』を翻案した『長恨夢』が新劇のスタイルで上演されましたが、そういうものに刺激されて劇として上演されました。今の韓国でも劇として上演されるものが多く、それを“唱劇(チャングク)”と呼んでいるのですが、このスタイルは昔からあったものではなくて、20世紀に入ってから成立したものです。そして、現在新しく新作のパンソリの台本を作った場合には、みんなこの唱劇の形で演じます。ただし、唱劇の場合には各役割ごとに配役が決まっていますが、台詞はパンソリと同じような節回しで語りながら演ずるようになっています。
 例えば、パンソリの台本としては現在残っていないけれども文献として残っていて、この唱劇の形をとって新しく作り上げて上演しているものに『雍固執伝(オンコジプジョン)』があります。これは“けちな人の話”ということです。けちで意地悪なオンという人が、お坊さんをいじめていました。怒ったお坊さんは、道士に頼んでオンと全く同じわら人形を作って呪文をかけると、同じ人物ができ、本物のオンは追い出されてしまいます。本物のオンはどこに行っても訴えを信用されず、苦労します。それで道士に呪文を解いてもらい、最後は心を入れ替えるという話です。
 これは童話や漫画などでも非常に滑稽な話としてよくでてきます。上演する時はパンソリの歌い手が配役として登場し、話し方や節回しはパンソリ特有の全羅道の方言を使っています。

パンソリを構成する3要素

 このように、パンソリはいわゆる語り物・謡い物です。楽器の伴奏1人に語り1人というのは昔から各民族に共通した形態と言えますが、パンソリの場合はその形が語り手と太鼓の伴奏になるわけです。パンソリの構成で大切なのは、まず語る人で“広大”、朝鮮語で読むと“クァンデ”となります。クァンデは芸人という意味もありますが、パンソリの場合には“語る人・語り手”です。それから鼓手と観客です。歌い手と鼓手が、筋を進めるためにお互いの顔を見ながら2人で掛け合いをします (資料18)。韓国では、日本ではもう今は消えてしまった観客がみな一緒になって参加するという形、つまり語り手と鼓手と観客がひとつになって楽しむという形が現在でも生きています。パンソリの“パン”は“場”であると解釈している人もいますが、要するに舞台のないところでみんなで囲んで見るという形態です。
 また、パンソリの唱法の伝統は東便制(トンピョンジェ)と西便制(ソピョンジェ)に分かれます。パンソリは全羅道の方言で語られるのですが、全羅道の内陸側が東ということで東便制、そして全羅道の海側が西便制になり、西便制のほうが哀愁を帯びた誇張が多くなります。
 それから2番目に必要なものは中身です。朝鮮語の“サソル”は“台本”、“ソリ”は“謡い”、つまり声という意味ですが、節が付いています。そして“アニリ”は“語りの部分”です。それで、語りの部分と節の付いた部分を交替に演じます。日本で最近まであった浪花節や古くは浄瑠璃も同じで、三味線の伴奏で普通の会話や語りが入るというものです。それから“チュイムセ”というのは太鼓の叩き手が入れる“はやし”のことです。はやしにはいろいろなものがありますが、場面によって一定の決まった合いの手があります。また、太鼓の叩き手はプロンプターの役割も果たしていたので、せりふを全部を覚えています。
 構成要素の3つ目は調子です。平調、羽調、界面調があるのですが、実はこれはあまり強調されません。と言うよりあとで述べるリズムによって調子がほぼ決まっていて、例えば、悲しく感情を強調するときにはゆっくりしたリズムで調子は界面調、というようになっているようです。
 また、そのほかに“短歌(タンガ)”、または“時調(シジョ)”と言って、日本で言うと和歌に当たるのですが、パンソリを謡う前の喉慣らしのための短い歌があります 注(5)。朝鮮の古典詩歌のひとつで、3・4・3・4の音節単位を3個並べており、読めば30秒もかかりませんが、謡うと4、5分かかることになります。内容はパンソリとはほとんど関係がなく、短歌が終わったあとに語りが始まります。

8つのリズムで語られる喜怒哀楽

 実際のリズムについて少し述べたいと思います。まず“チニャン”ですが、これは最もゆっくりしたリズムです。全部で24拍が単位となっていますが悲しい場面や感動的な場面で使われます。例えば『沈清伝』で、沈清がいよいよ犠牲になる所まで海を渡って行く有名な場面などです。歌詞をゆっくりと謡うので、短いところも何分もかかるのがチニャンの特色です。
 一番よく使われるのは“チュンモリ”です。悲しさや嬉しさとは関係なく使われ、パンソリを聞いて普通に語っている節があれば、特別な場合以外はたいていこの節です。
 それからチニャンを速くした“セマチ”というリズムがあります。『春香伝』で、捕まった春香が打たれるたびに数え歌を歌う場面で使われています。
 チュンモリの少し速くなったのが“チュンジュンモリ”で、少しリズミカルです。これは速さがいろいろあり、同じ語りでも人によってその中のどれを使うかが違います。『興夫伝』では、パクを割ると中から宝物が出てくる場面で軽快に浮かれた感じを表現するのに使われています。
 それから、“チャジンモリ”と言って劇的な場面に使われる速い節回しがあります。例えば『春香伝』の冒頭、李夢龍が遊びに出かける道行きの場面で、李夢龍が身に付けているものを列挙してリズミカルに謡われています。
 一番速い“ヒモリ”という節回しは、とても聞き取れないぐらいです。他に“オッチェンモリ”と“オッモリ”がありますが、いずれもあまり使われません。
 パンソリは単調に聞こえますが、実は、このように場面の雰囲気によって節回しが微妙に違っているのです。


文学作品とパンソリのユーモアと諧謔

 それでは、パンソリが文学に与えた影響について見ていきたいと思います。親孝行の物語である『沈清伝』もパンソリでは後妻と父親のどたばた劇が続くと言いましたが、『春香伝』でもパンソリでは春香が最後に死刑を逃れて大団円で終わりにはなりません。「今まで李夢龍のおかげでうちの娘がひどい目に遭った」と怨みごとを言っていた春香のお母さんが、娘が助かったことで浮かれてしまい、「やはり娘を持たなければいけないよ」と調子の良いことを言って、そして最後はみんなで躍り出してしまいます。要するに、滑稽なほど大騒ぎして「めでたい、めでたい」と終わるのがパンソリらしい特色のような気がします。
 『春香伝』におけるこの母親の調子の良さは非常に印象的で、こういうところが、朝鮮の人たちが言う朝鮮的なユーモア、朝鮮的な諧謔の趣きだと思います。パンソリは確かに伝統的な物語ですが、どの物語でも必ずその中に相当な冗談が盛り込まれ、全体としておおらかで調子が良いというか、大まかな笑いにつながっているのです。
 また、パンソリの語りは全羅道の方言によるのですが、全羅道の方言は非常にユーモラスという感じで特色のある発音です。もしかすると大阪弁の冗談の語りを東京で演じているという感じかもしれません。ですから、ユーモア小説などにも全羅道の方言が使われるというのは、その響きを生かしているわけです。もちろん慶尚道など各地それぞれの方言にもそれなりの趣はあるのですが、ユーモアという点で全羅道方言には独特の味わいがあるようです。

■金芝河(キム・ジハ)の「五戝」に見られる伝統的なリズム

 パンソリに見られるような深刻な話の中でのユーモア、または大らかな笑いを現代文学に生かしているのは何だろうかと考えた時、私はやはり全羅道出身の文学者にそういった気質が受け継がれていると感じます。いくつか例を挙げられるのですが、日本の統治時代の文学を除いて紹介します。
 まず70年代に日本でも大変有名になった金芝河(キム・ジハ/1941〜 肖像 )です。例えば当時の朴正煕政権につぶされる直前の『思想界』という雑誌に載った「五賊」(1970)という詩です。雑誌には金芝河自身が描いた有名な挿し絵もあります (資料19)。同じ頃『創造』という雑誌に「蜚語」(1972)を書いています。また『タリ』という雑誌があり、これもつぶされましたが、その中には「櫻賊歌」(1971)を書いています。どれもとても長い詩です。
 例えば「五賊」は、朝鮮語で読むとパンソリのリズムが自然に出てくるような感じです (資料編参照)
 「シルル スデ チョムスロップケ スジマルゴ、トク イロッケ スリャッター。ネー オッチョダ プックシ ホムハン ジェロ、チルジョネ クルリョガ、ポルギルル マジュンジド ハド オレラ、サクシニ クンジルクンジル……」とこうなると、これはまさにパリソリの語りそのものです。確かに詩の中でパンソリでよく聞かれる語尾が盛んに使われています。金芝河がその当時人気があったのは、やはりパンソリという何となく大まかな伝統的なリズムを文章で生かして書いたからでしょう。「詩を書くからにゃ、こせこせ書かず、まことこのように書くべきじゃ。どういうわけか、わしの筆先険しき咎(とが)で仕置き場に引っ立てられ、臀(しり)むちうたれしもはや昔。骨のふしぶしむずむずと……」と渋谷仙太郎が訳しています。非常に苦労しているのは分かりますし彼の翻訳は大変正確だと思うのですが、日本語にした場合の難しさはもとのリズムがうまく生かされないということでしょう。

■全羅道の方言とリズムを生かした朴常隆(パク・サンニュン)

 小説については、日本ではあまり知られていませんが2つだけ紹介します。どちらも、パンソリと直接関係があるというよりどこかでパンソリとつながる共通点が見られるという程度でお聞きください。
 ひとつは朴常隆(パク・サンニュン/1940〜 肖像 )の『死についてのある研究』(1975)です。この小説は楽器のリズムを生かしていると思うのですが、朝鮮語で読むととてもリズミカルです。残念ながらこの小説の翻訳はなく、一部が『ハングル読本』(大修館書店、1990)に載っています。訳文を読んでもそのリズムは全然分かりませんが、原文を見ると、途中いろいろ繰り返しがあったり擬音が並んでいたり、パンソリのゆっくりした語りの口調を真似た文章になっています (資料編参照)。訳文では「チュンモリの渦巻き、チャジュンモリ(チャジンモリ)のつむじ風、吹きすさぶフィモリ」と、パンソリの用語を使いました。ですから、パンソリを知っている人だと「吹きすさぶフィモリ(ヒモリ)」は一番速いリズムだということが分かり、ああそうかと想像がつくと思います。
 朴常隆は1940年、全羅道生まれの人ですが、この小説にも全羅道の方言が入っていて、しかもパリソリをふまえて全羅道独特のリズムで小説を書いた韓国でも珍しい人です。内容的にも、仏教とキリスト教とが混じった禅の話のようでもありそうでもないような非常に妙な小説ですが、彼独特のスタイルです。

■李文求(イ・ムング)の小説に盛り込まれているパンソリの精神

 もうひとつの小説は、私が好きな李文求(イ・ムング/1941〜 肖像 )が書いた70年代の連作小説で、全体は『うちの村』(1981)という題名です。李文求は全羅道ではなく忠清南道の出身で、そこの方言で書いているのでほかの地方の人には理解できないところがあるようですが、全体的に何となくほのぼのとした温かさととぼけた感じが伝わってきます。これも訳本はありませんが、「うちの村の金さん」という部分だけは『韓国短篇小説選』(岩波書店、1988)の最後に収録しました (資料編参照)
 「うちの村の金さん」には農民同士のとぼけたやりとりが出てきます。ストーリーは、日照りで水がなくなって困った農民達が近くの電線に針金をひっかけて勝手に電気を引き、本当は汲んではいけない用水路から揚水機で水を汲み上げます。そこに見回りの人が来て論争になるのですが、見回りに来た人をけむに巻いてとぼけたやりとりをします。用水路には水が流れているのに自分の田んぼに入れて悪いわけがないではないか、電気だってそのあたりに電線が通っているではないか、と農民が反論し、まるで法律に違反した方が良いことになってしまうような論理です。ここでのやりとりには、やはりパンソリの精神と通じるものが流れているのではないかという気がします。違反をした人も見張りの人も、どちらもとぼけた漫才のやりとりをしている感じなのです。
 韓国にも李文求ファンは多いるのですが、ソウルの人が読んでも7割分かるのが精一杯ということですから、ましてや日本語にするのは大変です。とんちんかんなとぼけたやりとりということで、私はこれを、東京の人が読むと分かりにくいという気分を出すために河内弁を使って訳してみました。原文の朝鮮語とは似ても似つかないかもしれませんが、雰囲気は分かると思います。
 李文求は、1980年の光州事件の時に軍事裁判にかけられた文人です。
この小説を書いている70年代にも、そばで常に警官が彼を見張っているという毎日だったらしく、この小説はその当時の政治を風刺したものなのです。また、『うちの村』は彼が監督してテレビの連続ドラマになったこともあるのですが、ある回の終わりの場面ではやはりどんちゃん騒ぎになるところが『春香伝』の最後の場面を思い出させます。
 こういった作品を見ていくと、全羅道出身の作家、それから忠清道出身の作家の作品を日本で翻訳しても、なかなか伝わりにくいユーモアというのがあるようです。日本で話題になる作品はみんなスマートで、こういう土俗的な作品はなかなか紹介されにくいのですが、これらの作品には韓国独特の大らかさや哀しみの中に混在する笑いというものがまだまだ生きていると思います。
 朝鮮の歴史や文学作品の表記の問題、あるいは作品の伝来・受容の仕方など文学の周辺の話題を3回にわたりお話しました。こういったことは本来ならば近代文学との関係性が薄いと思われるでしょう。しかし、私はここ100年ほどの近代文学を見ている限り、このような背景を知っているか否かによって作品を読んだ時の感じ方が変わってきますし、翻訳の仕方にも影響するような気がしています。