ハングル工房 綾瀬 - Ken Mizunoの朝鮮語ノート

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo

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Mail to home master: Ken Mizuno



981017-1: いわゆるリエゾン (1)

この言葉ほど「あいまい」で、いろんな意味に使われる用語はない。だいたい これは おフランス語の用語で、例えば amies[アミ] という名詞に冠詞(?)がついて mes amies ときたときに発音は [メザミ] となる、といった具合に、単語を単独で発音しても無音の子音文字が、次の単語の語頭の母音と結合するとオトが復元されて、そのとき 有声と無声が入れ替わる(この場合、発音されなかった本来の /s/ が復元され、音価 [z] で発現する)といった現象のはずであって ..

そもそも朝鮮語のパッチムは「発音されない」のではなく「破裂しない」だけで、しっかり「発音」されている。例えば「韓国 han-guk」という場合の最後の /k/ は僕らには「聞こえない」ことがあるが、あれはちゃんと「発音されている」。この「[k]という音節末子音の(非)破裂に向かって収束して行く、時系列の音声(周波数)スペクトラムの急速な移動」を、朝鮮語のネイティブ・スピーカーは聞き取り、発音しているわけだ。それを「聞こえない」ような気がするから勝手に「発音されない」と決めて、han-guk+in と連続して発音されるときだけ勝手に「オトが復元される」と決めて、高級そうなおフランス語の用語を持ち出して説明しようとするやり方が、僕には気にいらない。

この程度の「破裂しない」音節末子音は、朝鮮語にユニークな現象ではない。広東語にも台湾語にも、同じ現象がある。知っている範囲では、現代朝鮮語の漢字音と現代広東語の漢字音なんか、言語のドーナッツ現象を象徴するかのように、例えば「大学」のオトは tae-hak と tai-hok で、母音交替しているだけだ。どちらの場合も、末子音 k は破裂しない。

もちろん、広東語や台湾語にない朝鮮語に「ユニーク」な現象は、その「リエゾン」みたいな現象ではある;少なくとも広東語では、破裂しない音節末無声子音( [k, t, p] )が、次の母音の影響で有声化する( [g, d, b] になる)ことはない。
だから、それを「朝鮮語にユニーク」な現象であると説明することに、僕には異議はない。しかし、なんでまた、それをおフランス用語で説明しなければならないの?

日本語とイタリア語は、オペラに適した言語である、なぜなら子音と母音が交互に現れるので、つまり連続した子音という不明瞭なものが少ないから - と言った、オペラ関係者がいるそうな。何だか、気に入らなかった。 同じ理由で、朝鮮語とイタリア語はオペラに適した言語である - と発言した朝鮮人(韓国人)がいる。何だか、あほくさかった。バカみたい。

朝鮮語の初級講座で、「一見 聞こえない」オトが ある環境では明瞭に発音される現象を、「例えばおフランス語を知っている人は、リエゾンに対比して覚えなさい」と教えるのは、悪くないですよ。でも、それを、あたかも朝鮮語学習者の必須事項として、それを「リエゾンと呼ぶ」と教えるのは、明らかな誤りだと僕は思う。


981017-2: いわゆるリエゾン (2)

もう1つ「俗に」「リエゾン」と言われるのが、例えば音節末 /n/ の重複。
これは簡単で、なんでそんなもの、わざわざおフランス用語を言わなきゃいけないの。

「真夏」にあたる、HRローマ字で書けば han-yeo-reum。この発音を正確にハングルで書いて、それをまた HRに転写すれば han-nyeo-reum。つまり「ハン・ヨルム」ではなくて「ハン・ニョルム」。この現象、おフランス語と お朝鮮語 または お韓国語にだけユニークに見られるものなんですか? こんなものを、おどろおどろしくおフランス語の「リエゾン」なんて説明する感覚を、わたくしはとうてい理解できませんです。

話を複雑にするのは、いわゆる sa-i-si-os またはその痕跡。
例えば「木の葉」na-mus-iph。これは、「ナムン・ニプ」と読むのが正解。このハングル表記は、植民地下のハングル学会以前からゆれていて、それを一応決めたのがハングル学会の表記案、それから解放後には南北に別れ、それぞれ *s を表記したりしなかったり 「'」で表記したりした (na-mu-*s-iph, na-mus-iph, na-mu'iph, na-mu-iph)。しかし発音は そう簡単に変るわけではないので、やはり「ナムン・ニプ」が正しい。
しかし ... この、現実のオトと文字表記との乖離は、ハングルの致命的な欠陥の1つであって、「いったいどこが "表音文字" なんだ」と言いたくなるケースでもある(ご参考までに、日本語の「かな」が表音文字だというのも真っ赤なウソで、極端な例は「は」と書いて「わ」と読ませたりしますです;文字がオトを表記するものではなく、形態素を表記している典型的な例)。

この、かつては sa-i-si-os で書かれた一連の文字とオトの乖離を、みんな「リエゾン」の範疇だとする説明に出会ったことがある ... でたらめも いい加減にしましょうよ。

sa-i-si-os や その派生表現(表記)については、朝鮮語学習者の間に意外なほど知られていない。項を改めて、そのうちに。


981018-1: いわゆるリエゾン (3)

ただし。
「リエゾン」という言葉、おフランス国語学(いや、そんな言葉があるかなあ)プロパーの用語だと思うからいけないのであって、もっと広い意味で考えれば、つまり「ごく一般的な」意味で使うなら、こんな便利な言葉はない - という考え方もある。

例えば「リエゾン・オフィス」という言葉がある。別に、言語現象とは関係がない。要するに「何かしら連携がある」意味しかない。同じように「何かしら前後関係で変化するオト」現象をまとめて、ひっくるめて「リエゾン」と呼んだからといって、別にメクジラ立てるようなものではないかもしれない。語学を教える場で、「説明できないけど、何か共通点みたいなものが感じられる」あるオトの変化を、便宜的に「リエゾン」と呼ぶ教師は、友人の中にも多いから。ただ、それを初心者相手に(または言語プロパーの素養のない人を相手に)おどろおどろしい高級概念みたいに・あたかも正しい術語であるかのような説明をしないでほしい - というのが、結局 僕の言いたいことは尽きるような気がする。

うちの子は3才半。既に日本語の音素系は完成している。従って「ん」の音価は既に不定で、前後関係で [n, ng, m]、前の母音の鼻母音化と、自在に変化する。
この子が、「セブン・イレブン」を発音するようになった;一方父親の僕は、習慣的に外国語(英語、朝鮮語、広東語)を意識するようになっているので、素直に「日本語の」発音がしにくくなっている - つまり、あれは「セブng-イレブン」と発音するか、「セブン・ニレブン」でなければならない、とかなんとかね。

僕より前の世代の日本人には、「万葉集」を「マン・ヨー・シュウ」ではなく「マン・ニョー・シュー」と発音する人がいる。一般的にそうなのか、あるレベル以上の教養のある人に見られる現象なのかはわからないが、しかしこういう「リエゾン」現象が日本語にも存在するいい証拠。おフランス用語を気取るのではなくて、「ごく一般的な」オトの干渉を説明する用語(術語ではない、普通の言葉として)だというなら、それでもいいんですね。

ただ、おどろおどろしい「文法用語」みたいな顔して、朝鮮語に限って教室で、何の脈絡もなくおフランス語の「リエゾン」という「概念(?!)」を持ち出すのは、やめてもらえないかなあ。


981019-1:

さて、
話題自体が古色蒼然としているので、こんな文字ではいかが? Windows 95 韓国版についている kung-seo-che で。

まず (0) は、古典的な sa-i-si-os。日本語には「の」と訳せる sa-i-si-os は、その昔、単独の1コマを使って表記されたことがあった。
次に (1) は、それが前の音節のパッチムに吸収・表現されたもので、これが誰にも一番なじみのある表現かもしれない。
次の (2) は この sa-i-si-os を省略した表現、ひとつとばして (4) は それを「発音通り」に表記したもので、この2つがおおよそ現代ネイティブ・スピーカーの感覚に一致するはず。
(3) は、今では公式表現からは消えてしまった、1960年代くらいかに行われた北の正書法で、*s のかわりに ’を書き、sa-i-phyo と呼ぶ。話はハングルの「音表文字」としての矛盾にかかわるので、この話題は北も、それから在日の朝鮮学校でも神経を使っていた。当時の総連系民族学校の教科書なんかを見ると、発音がこと細かに指示されている。
気がついてほしい点は、朝鮮語の書物は中国の影響下にあるので、昔はタテ書きだったこと。(0') と (1') を比べて見てほしい。単独の1コマを消費する sa-i-si-os と、前の音節のパッチムとして付く sa-i-si-os とは、少なくとも手書きの文書では大きな差違はないというべきか、区別が事実上ない点に注目してほしい。

では、次。
これが、sa-i-si-os にかかわる「一番むずかしい」部分。

(0) は、ま、問題ないですね。
(1) が問題で、pu-eokh に さらにパッチム *s は(少なくとも現代綴りでは)付けられませんね。このあたりに「表音文字」としての矛盾が噴出します。(2) の省略表現は問題なし。(3) の sa-i-phyo は、(0) と同様ですが、ま、現代綴りらしい「モダン」さをもっていて、それが北の「文化語」には好適だったのかもしれない;ただし今では淘汰されてしまった。
表記法がどうであれ、「発音通り」に書いたハングルは (4)。この表記に違和感を感じる人は多いけど、現実の発音はこうである;なお、現実の発音がこうであることに気がついていない人は、あなたはネイティブ・スピーカーであるか、あるいはオトの聞き取りに鈍感であるかの、どちらかです。


981021-1: a-rae-a または *@

まず、右の「絵」(これは「絵」です。文字ではありません)を見てくださいな。韓国の有名なワープロ・ソフト、日本で言い習わしている名前で「アレア・ハングル」の、出版元(ソフト屋は「出版業 vender」です;「メーカー」ではありません;メーカーというのは、普通は「モノ」を作る会社のことですね)のホーム・ページから無断で借りてきました (http://www.hnc.co.kr/ リンクの許諾も取っていないので、マウスでぺたぺたしてくださいな)。

この左端の母音を「アレ・ア」つまり「下についているア」と呼び習わしていて、現代では「アレ・ア」と言うとこのワープロ・ソフトを意味するくらい、このワープロ・ソフトと出版元「ハングルとコンピュータ社」は有名です;一時 倒産しかけて韓国 MicroSoftに吸収されると決まってから「アレアを救え」「国民運動」が起こって大転回したことは、ご存知の通りです。

ここで言いたいことは、「この文字をテキストとして表示する方法は現在ない」ということ、それだけです。
ワープロ「アレ・ア」の文字コードは「独自」系で、これにはもちろん「ほぼすべて」の古文字が含まれています。が、このワープロでも、例えば「KS完成型」つまり Web上の常識的なコード系でテキストやホーム・ページのイメージを書き出そうとすると、この文字はたちまち「表示不能」になります;なぜなら、文字コードが振られていない;つまり、KS完成型 (euc-kr, ksc5601-19xx) に「そのような文字はない」からです。

苦肉の策は、もちろん「外字」です。「アレア」の「KS完成型」によるテキスト出力は、この文字を KS完成型の「ユーザ定義領域」の1つに割り当てます;つまり、このワープロ自身の名前を表現するために、h@n という1文字だけが、出版元定義ずみの外字として、事前に決められています。従って、もちろん k@ も k@k も k@n も n@ も n@n も ... この母音を持つ その他すべてのハングル自体は、出ません。ただ1つ h@n だけは、ワープロ「アレア」に付属する Webブラウザ(またはエディタ)で読めるかもしれませんが、それ以外のすべてのソフトでは だめでしょう。

ワープロ「アレア」が なぜこんな名前を持っているかについては、フリーソフトだった時代に 作者(現在の会社代表)は派手なネーミングを必要としただろうこととか、古文字を使うことで「より立派そう」に見えること、などが考えられますが、今は詮索せずにおきましょう。

ただ、母音「アレア」は、近代のかなり新しい時代になっても、活字の上で存在したという、重大な問題があります。例えば、李光洙の時代。その時代の活字新聞。極端な例では、 1940年近く(つまり朝鮮語抹殺政策の直前)になってからも、活字にはこの文字が残っていることがあります。
その一方で、実は李朝期の木版本(例えば「春香伝」)なんかには既にこの文字は存在しないので、オトとしての「(陰陽の陰にあたる)アレア」は、早い時期に消滅したらしいのも事実です。

参考:「陰陽」の意味は、現代ハングルでも、ほとんどの母音が「おもて・うら」の関係を持っていることにあたります。*a に対しては *eo が、*o に対しては *u が、*eu に対して *i が、それぞれ「訓民正音」当時の説明では「陰陽」の関係にあるのですが、現代では *a についてだけ「陰」側が失われているわけ。この「失われたリンク」が *@ であり、だから「古い綴り」が現代人に「何だか高級」そうに感じられるのは、洋の東西を問わず見られる現象ですね。英語だって、center と書くより centre と書いたほうがカッコいいことがあります(ヒマな方は、香港やイギリスの英文サイトを見てみるべし)。

ただ、コンピュータ上の「テキスト」としてこうした古文字が表現できないと困るのは、書誌の世界です。近代文学の基礎文献(の文面)を、「正確に原文通り」に表現できないつらさ。

ま、この話題はえんえんと続きますから、この項はここまでに。


(このファイル終り)