Ken Mizunoのタバコの余命?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20180625-1) 久しぶりの書き込みは 「余命3ヶ月」 − 救われません

  この記事は、実は数人の家族と、わずかな数の友人には Bcc で送るつもりだった。
  が、それをあきらめた理由の1つは、最近は FaceBook 上での通信が多くなって、個人間の通信が減ったこと、それに、FaceBook を通じてのみメール交換可能、という場合が出てきていて、個人間通信がやりにくくなっている事情もあった。以上が言い訳。

  次に、本題に入ろう。
  姉の一人には報告していたが、親戚にはそれが最初だった。僕は医者からの説明を、(僕自身による要約で)、僕の 「余命」 が3ヶ月だと説明してあった。
  これは、正確に医師が説明した通りではなく、一方医師も (めずらしく) 感情をはっきり出して 「俺はそんなことを言っていないぞ」 というだろうと予想できた。そこで、説明する相手の範囲をわずかに広げて、もう少し詳細に説明する必要があると考えた。

  医師の説明がどんな言い方であったかは別として、内容はおおよそ次のようになる:

  − 「あんたに使える抗がん剤を(2年ほどかけて)探してきたが、うまいものがない。どうしても 「何か」 が残ってしまう。とりあえず、今はここで停止しよう」。2週間ほど。

  − 2週間の間に、今後も治療を続けるか、それとも時間を惜しんで他にやりたいことがあるなら、それに専念するか、を、決めよ。
  期限は、7月6日(金曜)とし、そのときに、できれば (あなたの妻を代行するかのように)長女を連れて来い。(「できれば」 の意味は、彼女の都合がつくなら、の意味のようだが、水野は、あえて一部拡大解釈して、長女に限らず長男もいてよいではないかと考えている)

  − その時にあなた(水野)の治療を続行するなら、最後に残った1種類の薬品を、2ヶ月ほどやってみる。
    この2ヶ月後のさらに後については、医師にも打つ手がない。

  以上を含めて、いま現在の中断期間が2週間、いちばんありそうな 「治療継続」 の場合が2ヶ月。これが、仮に無事終了すれば、その後の休止期間が2週間。これらを合算すると、計 「3ヶ月」 になる。

  ただ、例外条項が多くて、2週間後は再度入院、最初の1ヶ月の間に医師は早くも 「この患者にこの薬品は不適合」 で打ち切ることもある;
   また、2ヶ月の間 めでたく薬品投与を受けても、その後に 「打つ手」 はない、という点には変化がない。
   だから、比較的順調に最後の投与が進んだとしても、その2週間後を過ぎたら、結局 「その先の余命ゼロ?!」 にすぎないのか − という話にもなる。

 医師は言う: 人工心肺をつけて強制的に生かしておき、その間は つらい思いをしながら、それでも著作(なり翻訳なり)を続けるか? それを望むか?」:
 僕は 「いいえ」 と答え、医師も、それがいいと答えた。

 しかし --- 見込みのない 「治療」 をこれ以上 「なぜ?」 続けなければならないか --- この質問には、誰にも答えてもらえない。

 もう1つ。
 この場合、「余命」 という言葉をこの医師が使ったかどうかは、定かではない。が、患者の生死がかかっている話であることに ちがいはなく、患者にしてみれば 「俺は あと何年、いやあと何ヶ月 生きられるのか」 が最大の関心事であることに変わりはない。
 その 「余命」 は、マスコミに出てくる典型的な話では、「数年」 が相場のような気がする − それを、いきなり 「3ヶ月(程度)」 と告げられたのでは、患者の受けるショックを大きくする意図が働いているか、さもなければ、告知それ自体を誰かが渋ってきたのか、ということになる。確かに、医師が僕の体内の写真を見て考え込んでいる姿は、何度か見た。この医師は、判断を下すのも慎重であることがわかっている − しかし、だからといって、いきなり 「3ヶ月」 というのは、少しばかり 「常識」外 ではなかろうか?

 「もう打つ手なし」の告知時期、というこの問題は、僕自身が生きている間に再度問題にするか、僕の子孫たち (娘、その夫、息子など) が、僕の死後に蒸し返すのか、それは今はまだ わからない。

 さて、何人かの方に長いお手紙をさしあげるつもりでしたが、核心は以上です。せっかくここまで書いたので、みなさんにお知らせしておくべきだと、今、考えたところです。

 あるいは、続編を上げるかもしれません。が、深く静かに、3ヵ月後には黙って消えているのかもしれません。それはわかりませんが、いま、ともあれ、現状です。


(20180703-1) 「余命3ヶ月」 の諸説は ふんぷん

「3ヶ月」といわれたのは、おそらく先月の 20日あるいは 21日。

その後、3人の医師に会った − と言っても、友人である医師たちではない、いわば 「かかりつけ」 の医師たち。

1人目。精神科で。
呼吸器内科の医師の 「3ヶ月」 説を伝えたら、にこにこと、明るい顔で 「ま、それは (私の) 専門じゃないから」と、軽く回答を忌避された。

2人目。眼科で、進行すれば深刻な結果になる僕の 「角膜ジストロフィー」 を抱えている医師。この医師は、先代のおじいちゃん院長の息子で、もう20年近いつきあいにある。
 − 最近 数ヶ月、視野検査もできないままだねえ。
 − ええ (この先、胸のがんで合計3ヶ月の入院が見込まれるし)。
というわけで無期延期になるかと思ったら、
 − では、3ヶ月後、今度 退院してきたらやりましょう。
 − 3ヶ月では、死んでるかもしれない
 − 生きてます!
なんと、太い、力を入れた声で言ってくれた。
この医師は眼科だが、僕が異常にやせたとき、異常に太ったとき、他の医者に行って調べてもらえ、と言ってくれる人だ。
3人目。
新任というか、前任者が転出してしまったので、僕には初めての泌尿器科医師。これは、僕が抗がん剤で前立腺に異常を起こしたので、2年ほど外来通院をしている。
「3ヶ月」説? 「一笑に付された」 に近い。
「がん」だから特別なような気がするが、しかし何の病気でも 「次第に悪くなっていく」 もので、ある時期にドスンと落ちる (死ぬ) ものではないという。放射性物質や 摂取した薬品の 「半減期」 のように、次第に消えて行くようなものか、とも聞いてはみたが、明確な回答はない (この聞き方では、正負の方向が逆だ)。どちらにせよ、病気は 「(治療しなければ) 次第に悪くなっていく」 もので、急激に変化するわけではない、と。

というわけで、今日の報告は以上です。

(20180708-1) 「余命3ヶ月」 は無期限の延期または現実化

 約束通り (予約通り)7月6日午前、
 採血、レントゲン撮影、MRI 頭部輪切り撮影までをすませて
 やはり約束通り 「長女」とともに 医師の診察室に入った。僕の 「つもり」 では期待していた長男は来なかった (まだ夏休みになっていない)。

 医師のつもりでは、僕の長女に来いといった理由は、次のような背景からである:
彼女が 20歳ちょうど、専門学校で看護師免許を取った直後の就職先がこの病院であったこと。
彼女は外科病棟での標準的な勤務がはじまり、ちょうど (!) その父親ががんで入院する必要が生じた。がんは呼吸器内科だが、当然ながら、僕の医師と彼女の上司 (?)は同等の地位、病棟の看護師たちもしばしば顔見知りである。
僕を担当する医師が職務で彼女の職場に出入りし、適当な入院先を探した。その結果は、「当院」 ではない別の病院への紹介になったのだが − しかし この 「外で入院」した先は、患者である僕には非常にネガティブな面ばかり見え、1ヵ月後、逃げ出すようにして、最初の (娘のいる)病院にもどった。それが 2016年8月である。
その後、長女は病院での職場環境になじめず退職。それが9月。たった5ヶ月の職場に終わったが、よくも悪くも「職場」 の意味を理解したようだった。
一方 父親には、本格的に抗ガン剤の投与と観察がはじまった。
娘は去り 一人残された格好だが、ま、それも一般的な姿であろうと考えた。
医師にも患者にも、いざという時は 患者の長女が出てくるだろうという予想はあった。
 さて、上の説明は、7/6 の医師の説明を、次のように要約して、読者に理解してほしかったからである。
 この日の医師の説明も、錯綜していた。その説明を、まず 「抗がん剤」 に限って整理すると、つぎのような関係になると思う:
if( もし最後の抗ガン剤が奇跡的に効くなら )
{ それでよい
}
else // {最後の抗ガン剤といっても、
// 直前までの薬剤と同様のものなので
// 同様の効果しかあらわさないか、むしろ悪化するかもしれない
// }

{ ならば、やめよう
}
 医師の説明は、太字の部分だけは明瞭である。何度でも同じ説明をする。一方、プログラムの本体 「ならばやめよう」 部分を、医師が決して発話することはない。言い換えれば、「あんたがこう言ったから」と、後に責任を問われないように、という意味である − これは 「この」 医師に特有の態度ではなく、最近わかったこと、どの医師も同じような態度をとる点だ。

 これを、僕自身はひそかに 「医師の豹変」 と表現している。10日前だったか、医師の表現は上のプログラムの 上半分を、ほぼ勧めていると、僕は受け取った。が、今日この場では、まったく逆のことを言っている。使っている単語も表現も同じなのに、実態としてどちらを勧めるのかは、よく言えば 「非言語的」 表現、例えばイントネーション ひとつでも、ありうる。

 この医師は、よほど寡黙な人なのだ。今まで2年以上つきあってきたが、これ以上の言葉を発することがない (と思えるほど)。もちろん、「難しい」 患者と医者の間で、僕が論争を挑んだこともある。あるが、何度もムダだった。実際、その抗ガン剤も効いていなかったなどと、聴いたのはこれが初めてだ。

 もう1点。
 診察室では、僕の長女か看護師が、あたかも医師から指示を受けているかのようだった。
 その会話の中で僕が聞き落としていたらしい 「(肺)がん末期」 という単語。
 医師が、長女に、ある病院名を伝えたらしい。それを、彼女は聞き取っていた。聴いたことがあるのだろう。いわゆる 「緩和ケア」 専門病院で、予約を要するが、逆に急な患者を優先することもあるという。

 いわゆる 「緩和ケア」 − 最近流行の呼び方はそれらしい。そして
 これに類する病院や施設が日本に導入されたころには 「ホスピス」 と呼ばれていた。つまり、もう救う手段のない患者の最後を看取るための施設。老人ホームとの決定的な違いは、病気であること、その病気のために苦しんでいることが前提なのだという。

 さて、
 おそらく今週の後半、脳に転移した腫瘍を切り取るガンマ・ナイフ という 「手術」を受ける。これがもう、2年間に3度めだ。表面的には、「がんが怖い」 より、この手術で思考と記憶の一部を次第に失って行くのが、こわい。幸い、脳の故障は (がんとちがって) いろいろな症状 (めまい、耳鳴り、記憶の欠損・損傷、痴呆化その他いろいろ) が出るので、外から見てわかりやすいだろう・・・

(20180710-1) 一部整理またはまとめ

 7/8 に書いた内容が異常に煩雑、難解だったような気がするので、かんたんに書きなおし、整理します。

 (1) 医師には事実上 「サジを投げ」 られた。
 その間、医師は、効きもしない抗がん剤を次々と試していたらしいのだが、患者にしてみれば、薬品の適当な使い方もできないヤブ医者以外の何者でもなく、あげくは 「末期がん」 患者というラベルをペタンと貼って、終りになるのだろうか。医師は、適当な行き先を紹介すれば終わり。

 (2) 明日、ガンマ・ナイフと呼ばれる、手術前の診断へ。
 この手順は早くて、今週末、または週末連休の間に終わるはず。

 (3) その後が、問題の、医師の紹介のあるらしいホスピス − という手順になる。

なお、おまけだが、この 「日記」 の索引(目次)の自動生成が、うまく動いていない。どなたか、C 言語が面白いと思えるかた、いらっしゃらないだろうか。息子は高専で C の授業を半年聞いたようだが、見た限りでは、ループにまで届かないまま1学期が終わってしまったらしいので。


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