Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20060403-1) プラモデル屋がなくなってしまった

一昨年の年末、駅前、ガード下の商店街の古い おもちゃ屋が閉店、便利な店がなくなっていた。自転車で行ける範囲に、プラモデルを調達できる店は あと4軒あった。が、車で行ける (つまり 子どもを乗せていける) 位置にある店が、さらに秋には閉店。こういう店は、しばしば学校の近所にある; 「校門前の文房具屋」 は田舎では特権的な商売をしていたが (僕が子どもだったころ)、東京の郊外でも、「校門前」 あるいは 「学校付近」 は、文房具屋、おもちゃ屋、お菓子屋を発見しやすい場所だった。

ところが − この数年の間に異変が起きつつあった。やや遠いが、けっこう 「レアもの」 のあった店が、事実上 閉店の準備をしていた − つまり、店の棚が次第に乱雑に、空になっていった。おそらく、もう、店はない。
便利だった駅前の店は、1階がおもちゃ、2階がプラモデル、ラジコン ・・・ といった具合の 比較的 大きな店だったのだが、大々的に閉店セールをはじめた。聞けば、経営者のおじいさんが亡くなって、遺族は店を閉じるのだとか。
去年の秋に閉店したのは DIY 店の近所で、路上駐車ができた。おねえちゃんのセリカを買ったのはこの店だ。ここも 経営者の高齢化で、やはり閉店前には商品棚は陳腐化、安売りセールにも客は来ないようだった。
6年以上前に発見したが それ以来 行っていない店、かろうじて路上駐車できるところに行ってみた。これも閉店ずみ; もっともここは、6年前から商品棚は陳腐、学校の近くだが 「売上」 を出したくて 陳腐な大きなものばかり置いてあり、これじゃ小・中 相手に売れるわけがないと思ったものだ。
以上で 4軒。

残る1軒は、基本的にラジコン屋だ。
週末には郊外の河川敷でラジコン機を飛ばす 「会」 を組織しているらしかった。こういう河川敷の使用は、有料か無料か知らないが 年間ベースで予約をさせる。今でも続いているだろう。店には、だからラジコン機の部品からゴム動力まで、それに 古びた (箱の紙が変色したような) プラモデルも積んである。が、車でその前まで行ってはみたが、どうにも駐車場所がない。60年前の戦災をまぬがれた狭い町の、狭い道の、既に すたれた商店街の一角、というよりその末端。

この5軒で発見した 「レアもの」 プラモデルが、だいぶ たまっていた。それが、去年の 「シャトルを背負ったジャンボ」 以来、4才半に次第に消費されている。残りを数えてみると、あと 10個。747、777、YS-11、この他に 74式戦車、V-107 やその世代のその他。『オリエント急行』 の 「機関車+客車2両」 のセットもある。Saab の Draken と Vigen は残っているが、ユーロ・ファイターは組み立て中、ただしカナードの片側が既に行方不明で、これで 「完成」 とみなすか。

プランをめぐらせた F-16 も、ある日 作れという彼の要求で、塗装しないまま お風呂のおもちゃになった。シャトルを背負ったジャンボは、結局 尾翼もエンジンもなくなっている。
つい先日、今度は DC-10 が気に入って、これも 「作れ」 と。ジャンボの窓際塗装の赤・青のストライプは、貼ったとたんに剥がれてしまうことがわかったので、DC-10 はセロテープでマスキング、マジックで赤を、さらにマスキングして次は青を塗った。それ自体は なかなか効果を上げた (当時の JAL 機は、客室窓を中心線として、上が赤、下が青のストライプが 機体全体に走っている) が、悲しいことに やはりマジック。そう美しく長持ちすることはない。もっとも、ユーザの意思で (!) 既に第1、第3エンジンは失われているので、まあ、「完成」 したプラモデルの寿命より、マジックの寿命は長いわけで、ある。
(これが、ANA の TriStar だったら面倒だった。ANA は既に 「斜めの青」 塗装で、これだとマジックではすまない。やはりマスキングしたうえで、まじめにスプレー塗装以外に方法がない。ただ 幸いな?ことに、TriStar は僕も発見できないまま この 10年を過ごしてきた)。

6年前に発見した店に行って (閉店済みであるのを) みた理由は − 「サンダーバード」 だ。たしかに 1970年代、サンダーバード秘密基地の島、1号から5号くらいまでの各機体、特に 装備輸送機の2号は 誰がみても魅力的で、うちの4才半も 「2号!」 がほしいと言い出した。うむ、お前さん、30年前に生まれていればなあ ・・・
Web で調べたら、あらあら、まだ売ってはいる。しかし 「2号」 の安いのが5千円、高いのが1万5千円じゃなあ。秘密の基地の島は、さすがにもう発見できない。安いのを発見したら、島の周囲には機関車トーマスの線路を めぐらせてやりたかったのだが。


(20060423-1) プラモデル その後

DC-10 をセロテープでマスキングして マジックで赤青ストライプを描いたことは、上に書いた。

次は、これには困った: YS-11。ANA 系の絵が箱に描いてあり、付属の 「デカール」 も あの青の斜め塗装を貼り付けることになっている。こんなの、うまく貼りつくわけがない。仕方がないので、またセロテープでマスキングし、今度は本当に青のスプレー塗装を試みたが − らら、残念でした。マスクしたはずの隙間に塗料が流れて (これは、うむ、毛細管現象である) なかなか悲惨。それでも4才半には充分で、プロペラが回る。翌日には 「何でもこわす」 予定通り、プロペラ8本 (片側4本が左右) をきれいに折り取っている。この子がおもちゃを 「こわす」 のには、4才半それなりの 「美学」 があることがわかっている。プロペラを折り取って、飛行姿にする; 1本 折ったら、すべて対称に取り去らずにはいられないらしい。

さらに双発ヘリコプターの V-107、戦闘機では Saab のDraken に Viggen。この3つから − 驚くなかれ、4才半はプラのランナーから部品をどんどん外して、セロテープで、自分で組み立てているではないか。Draken は、それで ほぼ完全な姿になった。Viggen も同様で、これらは父親が深夜に、接着剤 (正確には、ラッカー・シンナー = プラスチック溶剤を細筆で流し込むのだが) で固定、4才半がまだ理解しないジェットのエア・インテーク (空気の吸い口) を補って 「完成」 させた。(なお、セロテープで組んであるままの状態でシンナーを流すと、やはり毛管現象でテープの隙間にシンナーが溜まる; そこにプラスチックが溶けて 「テープの隙間」 の形に固まったのには驚いた)
問題はヘリの V-107 である。僕も、子どものころから この種のヘリは組み立てたことがない。室内機器あり、窓にはガラスありで、組み立て前の内装までセットには入っている。それを、最低限の床板と左右の胴体側面で、4才半はセロテープで組み立てた。さて、どうしよう。テープをはがして窓ガラスを補ってやることはできる。が、YS-11 のようにプロペラを折り取ってしまうとしたら、双発ヘリ (前後に巨大な3枚ローターがある。模型で直径 10cm) など ただのイモムシみたいなものだ。

そこへ、職場の僕に、おねえちゃんから電話が入る。4才半は、ついに 「オリエント急行」 機関車+客車2両セットを発見して持ち出したそうな。「はは、ついに見つかったか」。まだ 「組み立て」 までしていないだろうと思ったら、あらら、客車は既に組みかけてある。4才半自身の説明によると、汽車ぽっぽは、セロテープじゃ作れない − その程度に複雑だった。

この 「オリエント急行」 のセット、過去に2回、僕は組み立てている。彼が発見したのは、3つめの秘蔵セットだった。最初は、僕自身 学生だったろう。機関車の左右のロッド位置つまり位相 90°にしっかり合わせて、一応動輪が回るまでの工作はした。2度めは その 20年?も後の話で、プラのセットの精度の低さと、「何で俺がこんなものに苦労しなければならんのか」 と怒りがわいてきて、投げ捨てた記憶がある。
今度は、どうしよう。
動輪だけでも、16.5mm のまともな模型屋の部品に換えるか − そうすれば、少なくとも 「押して走らせる」 ことはできる。それとも、プラレールのトーマスのように、動輪間のロッドは省略するか。なかなか難しい選択になってきた。

今夜は、また母親に、「あそこの赤いの」 取ってくれと やっている。カンタスの 747 つまりジャンボのやや大きめのセット。
「おいおい、まだヘリコプターも汽車ぽっぽも できてないだろ。それは ま〜だ だよ」
彼、一応それで納得する。

4才半は、通常は (3年制) 幼稚園の2年めの年令である。その時期に、まさかセロテープでプラモデルを組み上げるとは、僕も予想していなかった。
もちろん、「セロテープ」 で組み上げるのは、子どもの雑誌の付録の 厚紙のおもちゃの組み立て、そこからの類推であることは まちがいがない。4才の知能は、大人の想像以上の能力を発揮することがある。

なお、言語的に4才半は、3才で5母音が確定し、今は語彙と文法の獲得期にあたる。
同時に、プラモデルそれ自身の大きさに関係なく、「戦闘機」 は小さい、輸送機・旅客機は 「大きい」 と理解しているらしい点、不思議ではあるが、それは窓・運転台 (操縦席の窓の大きさ) との対比から来ているのだろうか − だとすると、「縮尺」 をこの子は理解していることになる。実際、全長 18cm の F-16 や ユーロ・ファイターより、全長 12cm 程度の 川崎 C-1 を 「大きいの」 と 彼は言った。これは、まだ謎である。

「時間深度」 についても まだ不明な点があり、昨日 「がちゃがちゃ」 で買った飛行機を 「さっき」 買ったと言った。「そりゃ さっきじゃない、きのうだろ」 と答えると、「あ、そうか」 とくる。これが時間深度の認識を示すものか、その差を言葉で表現する問題にすぎないのかは、まだわからない。

なお、この 20日間で、上記の理由によって僕の 「秘蔵」 のプラモデルたちは、残5セットになった。


(20060430-1) プラモデルより おねえちゃんの受験先

中学受験など、考えてこなかった。
しかし、おねえちゃんは この春から6年生で、学校の女の子の間では それが話題になっているらしい。

一方、我が家の家庭内状況などから、僕自身が信頼する身内から 「全寮制の学校だってあるよ」 といわれていた、調べてみた。ふむ。たしかに、ある。問題は、それが例外なく すべて私立だということだった。寮のある国公立など、ない。
自動的に、問題は費用になる。寮で暮らす以上、その費用が年間 ¥100万前後になるのは、まず常識線と考えていい。国公立なら、それに学費と、当人の小遣いを考えればよい。その限りであれば、父親の小遣いを全額 削れば、不可能ではない。しかし、それが私立となると、やはり年間ほぼ同じ額の 「学費」 本体が予定される。それは − 「不可能」 の範疇だ。

しかし、当事者は6年生。
話を詰めてゆけばゆくほど、関心は強くなって行く。
僕の経済事情から、まず 「寮」 を排除する。次は 「給食」 の有無、次は制服の有無、共学かどうか ・・・ と当人の希望を考慮しつつ − と言えば美しいが、父親としては、「寮」 を排除する以上 次は健康 (栄養状態) の維持に 「給食」 を重視せざるを得ない; これを満たすのは、公立が数ヶ所ある。しかし − ここで、別の問題に出会った。「受験」 という過程を通って 「給食」 のあるのは、ほとんどが都立 「6年一貫」 校である。「都立」 は、東京都の直接管理下にある。東京都知事は、ご存知の人物である。Web を検索していたら、都立 「6年一貫」 校では、予想外の問題が起きている。つまり、社会科、おそらく高校段階での日本史の教科書。意表をつく話題だった。そうか、あの 「新しい」 日本史の教科書は、いま流行の 都立 「中高一貫」 校でまず採用されようとしている (または 「採用されている」) らしい。

一方、6年生の友達同士では、「中学受験案内」 なんてのを見て、二人で 「ここがいい」 なんて言ってくる。超一流のくせに、偏差値が妙に常識的。「超一流」 であるが故に 親たちは忌避するのだろうか? しかし、ここも 「給食」 はない。「もし仮に受かったとして」、弁当 作る時間がなければマクドナルドに寄って買って行く − そりゃいいけどねえ、お前さん ・・・ どうであれ友達と いっしょに受かる保証はない (あちらが落ちるかもしれない、お前ちゃんだけ落ちるかもしれない)、「推薦」 を取れるかどうかは、今の小学校での心象ひとつで決まるわけで、そんなものをアテにはできない。

出発点は、「全寮制の学校」 だった。
「寮」 が金銭面で 「私立」 と同居する以上、それが不可能となったとき、問題は 「給食」 だった。
その末に、当人 (ら) は、給食もない、弁当必須の国立を選んでくる。給食のある 「都立」 には、教科書問題が控えている。都立は いくつか近場があるが、国立は最も近いのがお茶大近辺の一流集合地帯で、これは彼女らの 「ここがいい」 のとは異なる。ただ、とりあえず お茶大を含む2校は、今日つまり日曜の午後を使って見てきたところだ。

正直なところ、社会科:歴史の教科書が あの 「流行の」 それであっても、父親は子の歴史観を さらに正して行くだろうし、その自信もある。が、事前にそんな 「覚悟」 をしておかなければならないことこそ、うっとおしくもある。まして、「都立高校の教科書問題を考える会」 みたいなところで、かつて朝鮮近代文学を専攻した者として 「活躍」 したいなどとは、今では毛頭 思わないのだ。

彼女は、4年生から 「金管バンド」 でトランペット (あるいは、ヨーロッパ型 「コルネット」) を吹いている。
近所の区立中学には、中学生の吹奏楽で (ホルストの) 『火星』 を、とりあえず破綻なく演奏させた先生がいる (その、中学生の 『火星』 のうまい・へたは別問題である; 指導者の腕は、生徒がうまかろうがヘタだろうが、とにかく破綻させず 1曲を完成させた点にある)。ただ、それは公立中学一般の問題で、9月の中学選択時点で、同時に この先生の転勤が内示されている可能性もないではない。

「寮」 を放棄した時点で、既に「近所の公立、給食あり」 が現実的であることは明らかなのだが、ただ、その 「近所」 の中学生による 「いたずら放火未遂」 事件があったこと、それ以前からも兆候があったことなど、俗に言う 「近所の中学なんて、ガラが悪くて行かせられない」 のは、否定できない面がある。

ともあれ、進学は当人の意思による。この連休の間、彼女を連れて まだ数ヶ所を見て回ることになるだろう。


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