Ken Mizunoのタバコのけむり?

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Ken Mizuno

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(20060201-1) "Warning" は カタカナ語でどう読むべきか

前にも書いたような気もするのだが、ソフトウェア技術者の間、特に 「C言語」 を扱う人の間では、「私」 の書いたプログラム (ソース) をコンパイラにかける (ソースを 実行可能なプログラムに変換する) とき、コンパイラが 不平・不満・警告を出してくることがある。この警告を見たことのないソフト屋は、完全な素人であることを みずから告白しているわけで、そういうソフト屋は 「語の全き意味における」 エセなので信用してはいけない。

ところで、コンパイラはほとんどの場合アメリカ製品なので、この 「警告」 は英文で出る。その英文本体はともかく、「警告」 自身を意味するタイトル表示には、必ず Warning という単語が表示される。

数年前、まったくの素人を相手に C言語の講師をしたとき、その講師仲間の中から、ある種の教科書の話を聞いた − 世の中には、そういう教科書もあると聞いて 一面 安心していたのだが、しかし、また身近なところで、僕自身がエキスパートと認める技術屋さんが、"Warning" を 「ワーニング」 と発話しているのを聞いてしまった。

では、質問。中学で、次の英単語の読み方を どう習いましたか? カタカナ表現では?
(1) walk, wall, water
(2) work, worm, wonder
このうち、worm はコンピュータ・ウィルスの一種では 「ワーム」 と言われる。ただし、鉄道模型に多いのだが、worm gear は今でも 「ウォーム・ギヤ」 と言われている。もちろん時代差があるので、同じ cup が 「カップ」 になったり 「コップ」 になったりするのと似ている。

で、warn, warning は?
カタカナ語なら、どう考えても 「ウォーン、ウォーニング」 である。が、コンピュータ (コンピュータ言語) は、既に 「ウォーム・ギヤ」 と同じくらいの歴史を重ねてしまったようで、フレッシュでない年配の技術者であればあるほど 「ワーニング」 派は多い。その教育下に育った若い技術者は、警告本体は日本語で、そのタイトル部に Warning という文字を見ているだけの場合が多いから、「ワーニング」 派は再生産される。
ざっと 40代、今から 25年くらい昔に はじめて 「C言語」 を習った世代は、慣れない英語のマニュアルで、必死に習ったわけだから、ま、責めるわけにもいかないか。「ウォーム・ギヤ」 や 「コップ」、「カップ」 の存在を認める以上、「ワーニング」 も また排斥・排除は − 現実問題として不可能になっている。

しかし ・・・ 「それなら walk はワーク、work はウォークじゃないの?」。一応、中学英語でアメリカ3年半を経験した僕としては、そう言いたくもなる。僕の前で 「ワーニング」 なんて、言わないでくださいな。お願いだから。


(20060202-1) 4才半の生長度メモ

本来なら幼稚園に通っている年令、理由があって保育園に行っているが、この子の言動メモ。おもしろい幼児言葉なら 新聞のそのテの投書欄にいくらでもあるが、以下はそれを越える − つまり 「新聞」 に出る 「公的な」 「ほほえましい」 範囲を越えていると思われるので、私的な場所で 父親の備忘録。

数日前か、母親とおねえちゃんに怒鳴られて、ベッドに飛び込む; 「おかあさんも ・・・ おねえちゃんも ・・・ おとうさんも ・・・ どっかへいっちゃえ」。言葉を思い出しつつ、泣いて寝たふりをした。
一見 深刻。事実も深刻かもしれないが、これは言語的には かなりの成長を示すものだと僕は受け取った。5母音の完成は3才、以後は単語が増えつつ 「発話の構文」 または文法の獲得が進んで行くが、ここでは 「xxも、yyも、zzも」 という提題・並列の助詞が3個並ぶこと、それが1つの 「どっかへいっちゃえ」 という 文 本体にかかる。「しゃべり方を考えながら」 しゃべる この時期の子どもとしては、適切な言語的成長・獲得の過程を踏んでいると見えた。「末の子」 は いつまでも 「赤ちゃん」 に見えるものだが、5母音獲得後もう1年半、確実に文法・構文・統語法が獲得されつつある。

「おちんち ぶらぶら ソーセージ」
こんな言葉を、外国人である母親も、そろそろ おっぱいのふくらんできたおねえちゃんも、教えるはずがない。もちろん父親も、教えた記憶はない。従って これは保育園の悪ガキどもの誰かから習ってきた。僕がたまに早く帰って風呂に入るとき、彼は僕の ちんちん 触りにきて、この せりふを言う − こりゃ、新聞には絶対に出ないなあ。
彼の家庭内言語は、しばしば 外国人である母親の表現をとる (例えば 「大きくなったから (男の子だから) 一人で寝る」 が 「自分で寝る」。これは 「by oneself / 自分 (一人だけ) で」 の訳語である)。それはしばしば誤っている例が多いのだが、保育園での 「日本語のシャワー」 が、それを救っているようだ。同じ現象は おねえちゃんのときにも観察されていた。

ハサミは、保育園で ずっと前から使っている。いつだったか、カバンの外に出してあったハリポタ、イギリス版ペーパーバックの Phoenix の表紙を、切りきざんでいた。そのときは、まだ、透明なガム・テープで補修すればよかった。
が、昨日の朝。
なんと、我が家のツマ子用パソコンのマウスの、電線をハサミで切断した。急遽、代わりのマウスを探して、仕事には行った。
おねえちゃんから、携帯に電話が来る; 実はそのマウス、彼女のお気に入りだったのだ。また買いにいこうぜ。
帰ってからよく見ると、一度はマウスの根元付近で切断を試み、固いので、10cm ほど離れた位置で再度 切断を試みて成功したらしい。
おねえちゃんに ビニル被覆線の剥き方を教えつつ、マウスの電線は GND の他に4本の信号線が走っていることがわかった。この調査?で、マウスの電線は根元まで切り落とした。そうしてみると、あら、無線マウスみたいね。我が家では、無線マウスは避けてきた。おねえちゃんとの対話:
− 無線マウスにすると、うちではどうなると思う?
− (少し考えてから) なくなっちゃう!
− ピンポン。だから、わざわざ電線でつながってるマウスにしたんだ。
そう。TV もビデオもエアコンも、11才手前のおねえちゃんを含めた 「大人」 の管理も悪いが、リモコンがいくつも なくなっている。これでマウスが行方不明になったら、困るのは 毎日 TV とその録画に精を出す おねえちゃんである。

何でも壊す4才児。一面では、その心理状態を懸念する必要があるかもしれない。しかし一面、僕自身 幼稚園のころ、同じように おもちゃでも何でも 壊してまわったのかもしれない。一面 「自分自身のクローン」 を見ているような気味悪さが ないではない。が、「999」 で くりかえし 言われ、気に入らないが、そのせりふの 「男の子だから」 という面も、充分にありうる。
僕のとき、父親は何でも怒鳴り禁止する存在だったが、僕の子に対して 僕は 「保護」 してくれる存在であろうとする; しかしそれでも、母親とおねえちゃんは 「そんなことすると、おとうさん怒るよ」 と言っているかもしれない。
僕に対して、父は僕のプラモデル作りに過剰な期待をしていた。が、同様に、彼の LEGO いじりに過剰な想像と期待をするのは僕でもある。男の子に対する父親の態度は、父と僕、僕とこの4才半の間で、ほとんど差はないような気がしてきた。


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