Ken Mizunoのタバコのけむり?

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Ken Mizuno

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(20060117-1) 日記 − 『銀河鉄道 999』 もう一度

表題作の、無限に続く続編に僕は興味がない。ちょうど 「鉄腕アトム」 が末期には作者自身の自己嫌悪とともに いつまでも続いたように、その時期の 999 の作者も、無意味に思える無限の 「旅」 を続けさせたように思えるからだ。

昨年末、安い DVD プレーヤーというのを買って、今年になって再度 初版映画の 「999」 をレンタル・ビデオで借りてみた。DVD プレーヤーの赤・白・黄の LINE 出力を Video-CD レベルで録画した。

その 「検証」 というのも おおげさだが、それを再生していた。たまたま、10才、5年生が横で見ていた。一度は見たがほとんど記憶にないらしいので、解説をした。解説してみると、そうか、この作品の設定・構成、特に人物の関係が意外なほど複雑であることに気がついた:
・悪を代表する機械帝国の女王 プロメシウム
・善を代表する、亡きその夫、現在は魂だけがメーテルのペンダントに生きている男
・この二人の間の一人娘であるメーテル
・メーテルの体はテツローの母親の体
・メーテルの体は、同時に機械帝国の母星 惑星メーテル
・その間にテツローが出会う おばあさんは、トチローの母
・トチローは、女海賊エメラルダスの恋人
・死んでゆく行くトチローの 「親友」 とは、キャプテン・ハーロックのこと
これは 「お父さんが大学生だったころの作品なんだ」 と、僕は説明した。メーテルの心理 (葛藤) がわかるのは、お前ちゃんが大学生になったころかな。でも、そのころには、この映画に何度も出て来る 「男はこう あらなければならない」、「男の子はこうでなければならない」 というのは、お父さんも好きじゃないんだけどね − と、僕は 11才手前の女の子に説明した。

こうして録画を再検討してみると、都合のよいときに都合よくエメラルダスとハーロックが出て来てテツローの保護にあたる点など、松本清張の手法に酷似する。
また、ハーロックはトチローの死 以後 影のようにテツローを追跡保護する点など、いくつか、矛盾ではないが 主人公の知らぬ間に展開される背後の展開が、強く目立つ。その意味、清張的な 「偶然」 の恣意的な動員、それに 「主人公の知らぬ間に」 背後で展開される好意的な/都合のよい事情などが、「近代文学」 の原則に 若干だが反するように思えないことはない。

また、くどいようだが、「テツロー」 と 「トチロー」 は TeTuRo と ToTiRo で、単なる母音交替にすぎない。この二人は、少なくとも映画初版では、究極的に同一化が明示 (または暗示) されている。


(20060124-1) 日記 − どうにも余裕がない

上の記事を見て、「999 って、そんな複雑な作品だったんですか」 と言ってくれた 元・青年がいるが、それは作品を見ていないからだ。彼にしても、1970 年代からの Star Trek で話題にしたいことが多いようだが、僕はそれを見ていないので、彼の関心事がよくわからない。僕の場合、せいぜい イギリスの Thunderbird くらいしか見ていないから。

ただ、「999」 については、「テツローのお母さんは メーテルだよ」 という素朴な (子どもと ともに見ただろう) 父親がいる。だから、一度 映画初版の プロッティングを整理してみたいとも思うのだが、しかしこの 「まずはプロット分析から」 はじまるのが 「文学」、特に小説分野での授業や研究発表の手順になっているし、「分析」 と言わないまでも、羅列するだけで けっこう面倒な作業になる。それで、これも放置している。

放置しているのは、年賀状もある。
実は、正月 数時間前には家族を含めて写真3枚の年賀状を作っていたのだが、その後がいけない。正月明け、届いた賀状への返信 宛名書きさえできないまま、1月がもう終わってしまう。
2004年の年末から 2005年にかけては、当時3才の子の肺炎で大変だったが、それでも半月後には年賀状を書く余裕があった。2005年の年末から 2006年にかけては、「肺炎」 などという おおげさな事件はなかったものの、じいちゃん・ばあちゃんへの訪問も (じいちゃんたちが) セキの出る孫に怯えてまず延期 (実は ばあちゃん、上の子 現 10才が幼児のころ、その孫から 「おたふくカゼ」 をもらって、70代で それをやった。「子どものころ、やってなかったんですか」 と医者に聞かれて、うーん、記憶がないと答えたそうだ)。
1月4日には 4才が 「おたふくカゼ」 を疑われて保育園 登園禁止。幸いその週末には 「治癒証明」 をもらった、つまり 「おたふくカゼ」 は信じがたい速度で快復したのだが、さらに翌週は採血 (抗体検査)、そのまた翌週に結果が出て、あの ささやかな脹れが 「おたふくカゼ」 だったことは証明されたが、これが1月 21日。つい数日前である。

年賀状については、大昔の恩師から、忘れたころに 「季節のご挨拶を申し上げます」 というハガキをもらったことがある。今年は、僕もそれにしようか。いや、遠い昔と同じに、年賀状は今年は 「ついに出さず」 になるか − しかし賀状を個人あてに送ってくださった方、あるいは お返事さしあげないままになるかもしれないので 許されよ。

余裕がないのは、友人から借りた (または 「もらった」) DVD-R ドライブも同じで、つなぎさえすれば動作すると思われるのだが、その動作検証に要する手間を考えると、1晩から2晩は かかる、その時間を用意しなければならない。それで、年末に届いて以来、結果 「放置」 状態になっている。

なぜ、こうまで余裕がないのだろう。


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