Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20051101-1) 日記 − 平均と偏差値の連動はできた

Microsoft Excel で、まずシリアル番号順 (我が家にやって来た順) に、魚の記録を書いた。このシートの上で、死亡・生存にかからわず すべてについて平均生存日数を計算し、ついでに標準偏差を出す。それぞれの偏差値は、この 「平均」 と 「偏差値」 を使った式で表現でき、1つについてそれをやると、あとはソフトが自動的に個々の個体について計算してくれる。

次に、シートを1枚、横に追加する。このシートは自立したものではなく、すべてのセルが隣の、シリアル番号順の各セルを参照することにする。その 「隣のシートのセル」 参照の文法が不明だったが、何のことはない、参照先としてまず隣のシートを、次にその中のセルを、クリックするだけだった。まず セル A1 についてこれをする。残りは、この セル A1 をすべてのセルにコピーするだけで、「隣のシートを参照する」 だけのシートができた (いわゆる 「相対参照」 が生きているので、A1 セルを A2 にコピーすると、隣のシートの A2 を参照することになる。これが全セルに適用される)。その際、「隣のシート」 の中の 「空」 セルはみんな 「値 0」 ということになるので、これは手作業で直すしかなかった。この点、将来 生きた個体の死亡、追加に、再度 手作業の余地が残るが。

この新しいシートの上で、まず 「魚が死んだ日」 順にソートしてみた。ふむ。

次に、もう1枚、「自立したものではなく、すべてのセルが隣の、シリアル番号順の各セルを参照する」 シートを作った。これはさらに簡単で、「死んだ日」 順にソートしたシートを 単にコピーするだけだった。同じ 「元のシートのセル参照」 シートができるので、今度はこれを 「現在の生死にかかわらず、生存日数の順にソート」 してみた。おう。なかなかおもしろい。

2日、3日と経過して行く中で、生きているものは毎日 「生存日数」 が更新される。従って、総 単純平均がわずかずつだが上がって行く。当然ながら、標準偏差、従って死んだものを含む各個体の偏差値も、わずかずつ変化する。単純平均は 42日に上がり、生きている最長生存記録保持者(魚)の偏差値は 81 から 82 に上がった。0日で死んだものの偏差値も、わずかに変化する。ふむふむ。これで所期の参照関係は まずクリアできたことになる。

ところで、「生存日数の順にソート」 してみて、改めて その異常な分布が明らかになった。例えば/つまり − 0日から 10日未満で死んだものは7匹。20日未満で死んだものは6匹。30日未満で死んだのが9匹。ここまではよいとして、その先は 100日未満が5匹、100日を越えて死んだのが4匹。この次は 生きている 206日の1匹である。まったく 「正規分布」 には遠い。言い換えると、30日前後を生き抜いたものは、ある程度の生存能力を持っているとみなせるが、個体数 (サンプル数) が少ないので、その後に正規分布をなすかどうかは (まだ) わからない。「エサ金」 が 「1週間」 生きるかどうか、それが1つのメルクマールになると感じていたのも どうも疑わしくて、¥31 が生きた (現在は死んだものだけの) 日数は 7、29、86、130 と、ばらばらである。¥31 でなく ¥50 のも含めると もう少し一般性が見えるかもしれないが、それでも総数 (母集団の大きさ) は知れている。

ともあれ、いま現在 生きている金魚の生存日数は、3匹が7、以下1匹ずつで 23、38、206 である; やはり 「正規分布」 には ほど遠い。


(20051104-1) 日記 − 今度は 「度数分布」

生存日数の度数分布この数字には生存中のものを含む
0日1
1日0
2日33匹生存中
3日2
4日0
5日1
6日1
7日2
14日まで51匹は 10日 生存中
21日まで6
30日まで81匹は 26日 生存中
60日まで31匹は 41日 生存中
90日まで2
120日まで1
150日まで3
180日まで1
210日まで1209 日 生存中
ソフトウェアのプロに言われてしまった:
− (パソコン または Excel を) 想像もつかないことに使うもんですねえ。
− 偏差値の計算に Excel 使うのは常識だぜ
− いや、金魚の死亡率に使うってのが。
うーむ、その、「死亡率」 を言うなら、次々と連れて来ては死なせてしまう; 死亡率は限りなく、究極的に 100% になってしまう。それで まず思いついたのは、正規分布しようがしまいが、生存日数の偏差値を求めてみよう、それで生存期間の分布に 何かしら解釈の糸口になるのではないかと思ったからだった。0日から 200+日 で生存するものまで含めて、生存期間の過去/現在歴の標準偏差が 50 前後だというのは、まず正規分布に遠いことを物語る。要するにばらばらで、0日死亡の偏差値 41、209日生存中の偏差値 83 では、ほとんど意味がない。これはどうも、まずヒストグラムにしたほうがよいのか。

そんなことを考えて、また Excel のあんちょこ本をながめていたら、今度は 「度数分布」 という単語が出て来た。そういえば、これはヒストグラムに対応するものではないか。
そこで、まず あんちょこ通り 一定幅 (数学用語で、これは 「階級」 と呼ぶらしい)、つまり 10日単位の度数分布を出してみた。あらら、途中の穴空き、つまりゼロばかりで意味をなさない。いろいろいじってみた結果が、この表である。

まず、最初の1週間は、1日単位である。次は週単位で2回、次が 30日まで、その後は 30日単位で分けてみた。おおよその感触とでも言うのか、この表から次のことが言えるのではないか:
(1) 「金魚なんかすぐ死んでしまう」 という常識は、だいたい2週間までの間に確認できるのではないか。表は生存中のものまで数えている (買って2日め、10日め) が、これを除いても、14日までの間に半数が消えて行く。1週間ではまだ結論が出せないが、2週間では かなりの数が消えて行く。
(2) 2週を越え、第3週、次が 30日まで。この間に再度 死亡数が増えて、30日までには大半が失われる。
それ以後は、あるいは正規分布するかもしれないが、しかし個体数 (サンプル数) が減っているので、なんとも言えない。

この表を出してみて、気がついたこと:
「7日」 で死んだ2匹 − どこかで2匹 同じ日に死んだのかと思ったら、まったく時期が別だった。「150日まで」 で死んだ3匹は、これは (実は) ほんの数日の間に連続している (この3匹は、水槽と設備の変化、従って水質の急激な変化で死んでいった可能性が高い)。つまり この表では、個々の時系列の過程はわからない。

この表に追加するべきことがあるとしたら、まず時系列は無視しても、「その日数までの生存率」 である。ある個体が 生きて ある日数に達するまでの確率は、どのくらいなのだろう。この数 (母集団の総個体数 40) なら、手作業でも充分計算できるが、Excel ではじめてしまったので、このままパソコンに計算させたい。それで、この表にも含まれる 「生存中」 の個体の、将来確率も出る。数学では、これを 「期待値」 と呼ぶはずである。

その先は、まだ考えてない。


(20051105-1) DVD-R を買うことにした、または 「エスカレートするサンタへの要求にどう対処するか」

サンタさんへの注文に、子どもが苦心している。

去年、下の子 (当時3才) には、父と姉が相談して 「機関車トーマスの 白いの」 を発注しておいた。お姉ちゃん自身は、夏休みにはもう意思決定ずみで、どうせ4ヶ月後には忘れるだろうと思っていたら、しっかり 忘れず その注文を出してきた。人気アニメのゲーム+カラオケ機、それにカセット数個で、概算¥2万ほどになる。「全部もらえると思うなよ」 という約束で、父親は注文をサンタに取り次いだ。我が家からサンタへの注文はメールで出すことになっていて、フィンランドと思われる hotmail.com にサンタさんのメール・アドレスがある。(試しに、 http://www.hotmail.com にアクセスされてみよ: 日本語だったり英語だったりするが、そのベースには ISO-8859-1 西欧8ビット文字系で、フィン語と思われる画面がある。8ビット文字系なので、アクサン記号付き文字は、しばしば 「漢字」 に文字化けして表示される。この場合、正しくフィン語を読みたければ、Windows では Western 8859-1 を選択する)

今年、下の子 4才は 「XX レンジャー」、変身ものに興味が向いていて、コンビニに行くたびにそれを ねだってくる。ある日、1つ買ってみたら、それは6個で1つのセットになるバラ売りもので、買ったのを組み立ててみて、それがはじめて わかった。せっかく買ったのに、変身後の片脚だけではないか。あわてて夜中の幼児の買い物、コンビニをハシゴして6個をそろえたが、たしか1個¥400 くらいだったろう。それも、プラモデル型の組み立てで、面倒、しかも彼は そんなもの 数日もせずに壊してしまう。では、壊れないのを、サンタさんに頼もうかと4才に提案、彼は同意した。驚いたことに、4才ともなると、それに同意したことは記憶している上に、保育園 仲間からの情報だろう、9月の末か 10月に入ってから、サンタさんが来るのは 「遅いよ」 と言い出した。4才児に、2ヶ月先というのは、たしかに 気の遠くなるような未来のことだ。が、それにもかかわらず、自分が同意したことは、意識の中にある; それが届くのは 「遅いよ」 という認識がある。ともあれ、彼については、既にサンタに注文を出してある。

苦心しているのは、おねえちゃんである。
去年は、サンタさんから届いたフル・セットの 店売り価格を自分で計算して、驚いていた。
今年は − 困った: また次の人気アニメの DVD、8巻セットがほしいのだそうだ。あきれたことに、これは1巻が ¥5,000 または ¥5,500、8巻あわせて¥4万超、さらに最終巻が つい最近出たという。
いくらサンタさんでも、それは無理だぜ。
例えば、サンタさんに、4巻だけお願いする。残る4巻は、とりあえず お父さんが月に1巻ずつ買ってやろうか? でも、最終巻はどうするの、サンタさんに5巻お願いしようよ。いや、待て、じいちゃんとか おばちゃんとか、あちこち分散して、お年玉にもらおうか? 議論を続けた。

結局、DVD-R を買ってしまうか。ディスクごとコピーは、使い方によっては違法になるが、それ以前にソフトが厳格に排除するかもしれない; コピーをしても、やはりプロテクト情報にソフトは正しく従うかもしれない; それでもなお、コピーさえできれば、限定された条件内 (商業使用しない、個人の範囲で使う、不特定多数に見せない、など) で、彼女の用には足りる。今年の彼女の要求では、サンタさんに対する父親負担分が出せない以上、これ以外の方法はなさそうだ。

パソコン自身は、3年前?モデル落ち直前に買った 「ベア・ボーン」、CPU は 1.6G で、それは大丈夫。問題は、「おしゃれなベア・ボーン」 は小型で、5インチ・ドライブに空きはない (既存の DVD 再生だけのドライブを差し替える? いや、1ドライブでのディスク・コピーなんて、もうごめん。4〜9G のデータを扱う DVD では 現実的ではない)。内蔵 IDE に直結する裸のドライブなら安いが、それが選べない。従って CD-R でもそうだったが、ドライブは外付け、USB は ver 1 で遅い、そこで たまたま付いている IEEE 1324 でつないでいた。今度も同じ方法で行く。USB 2 だけ、IEEE 1324 だけの外付けなら、まだ安い。が、将来的には USB 2 だけになるだろうから、今は両方 備えたドライブにせざるを得ない。

一応、信用してきた通販先として、Sofmap がある。ここで買えば 「ポイント」 が付く、つまり将来の値引きのネタになるのだが、ここは配送料を取る。一方、いつも やや高めだが配送料を取らない Amazon、ここで同じ機械を探してみたら、あら、同じ値段だ。選択の余地は消えた。コピーの 「実験」 は急ぐ必要があるので、そのメディアも同時に。不思議なことに、Sofmap には 「片面2層」 メディアがない。Amazon にはある。ただし、1枚 ¥800 くらいで まだ高い − それは正直 驚きだったのだが、「片面2層」 ディスクに書けるドライブとメディアは、まだ出はじめたばかりらしい。3年前、数万円で DVD-R を買うことを検討したことがあるが、「2層」 ディスクは まだ書けなかった。それは記憶にある。なお、DVD-R と言ってきたが、DVD+/-R, +/-RW, ・・・ など 今では 「あらゆる種類が書ける」 ドライブばかりで、今度注文したのもそれである。

「もし これで うまくコピーできれば」 − 10才は言う: DVD のパッケージはないんだよね。そんなの、適当にファイルするなり、コンパクトな箱に入れるなりしなさい。メディア自身の表面には、プリンタからいきなり印刷だってできるし。
「もし これで うまくコピーできれば」 − サンタさんに頼むものが なくなっちゃう。と言いつつ、代替注文の候補は 既に考えているらしい。

「通常 24時間以内に発送」 のはずが、4日の未明に注文、5日は土曜で発送が動かないのか、まだ 「発送しました」 にならない。「6〜8日」 発送予定になっているが、はて、「2層」 メディアの品切れなのかどうか、待たされている。


(20051106-1) 再度 「度数分布」 と、「X日 生存率」

生存日数の度数分布 2005/11/06
日数生存中を
含む総数
死亡数死亡数
累計
残個体
生存率 (%)
この日まで
の死亡率
0 日11197.0 3.0
1 日まで00197.0 3.0
2 日まで00197.0 3.0
3 日まで52390.9 9.1
4 日まで00390.9 9.1
5 日まで11487.9 12.1
6 日まで11584.8 15.2
7 日まで22778.8 21.2
14 日まで541166.7 33.3
21 日まで661748.5 51.5
30 日まで872427.3 72.7
60 日まで322621.2 78.8
90 日まで222815.2 84.8
120 日まで112912.1 87.9
150 日まで33323.0 97.0
180 日まで11330.0 100.0
210 日まで10330.0 100.0
左の表は、上の上の記事の度数分布を修正したものである。
まず、毎日移動している 「生きている」 ものは集計から排除する; 「生存中を含む総数」 で太字になっているところは、この 「階級」 に生きたものがいることを意味し、これでは 「死亡/生存率」 の推移が面倒になるので、その右に 既に 「死んだ」 ものの数だけを取り出した。

後は簡単である。時系列を無視して、固定された生存日数という母集団なので、この集団内での生存率 = 死亡率は簡単に計算できる。
黄色の部分に注目されたい: 3週間で半数以上が淘汰され、1ヶ月では 72.7% が淘汰されて行く。
それ以後は 「なだらかな」 減り方になるかと思いきや、個体数が少ないので、150日までの間に3匹 死んで、生存率はいきなり 3% に、つまり1匹しか残っていない。この個体数では偶発的な要因が強く出て、「統計」 として意味をなさない。現に、死んだ個体数は 180日でゼロになるが、現在 生きている1匹は 200日を越えている。

そこで、素朴な疑問を持ってみる:
不謹慎とは思うが、病気、例えばガンで手術後 「X日生存率」 というのは、これなのだろうか? つまり、この表 「21日まで」 の生存率 48.5% を 「21日生存率」 と呼んでよいのだろうか?

もう1つ、関連するが、おそらく別ものは、役所が発表する 「国民の平均寿命、平均余命」 だ。

この表では、死んだものだけをサンプルとして、生存率を出した。だから、これを生きているものに適用して 「現在まで3日 生きている3匹の、生存期待値」 は、表の生存率 50% 前後、21日まで、それまでに 1.5匹が失われると予測してよいのか、どうか?
しかし、生きた人間集団を相手にする場合、「死んだ」 集団の生存日数が全体に移動しつつある (つまり平均寿命が伸びつつある) ので、例えば 「平均寿命」 つまり0才児の平均余命は、その間の死亡総数、生存期間とともに、その推移 (ある時期ごとの移動傾向) を考慮する必要があり、かつ、0才児が 将来 死ぬまでの間の推移も予測した上で、求めなければならないはずである。これは、統計論をしっかり理解していないので、僕にはわからない。

僕の場合、この程度の 「幼稚」 な集計ならできるが、「生きている」 個体の履歴まで含めて、「いま生きているものの将来予測」 をすることは できないか。それが 「平均寿命」、「平均余命」 ということになるのだが − 話が循環してしまったので、ここまでにする。


(20051117-1) 日記 − DVD-R と統計論と

DVR-R を買って届いたのはよいが、どうもうまく行かない。最終的に出した結論は、「このドライブは DVD を 「読む」 ドライブとしては認識されるが、DVD を 「書く」 ドライブとして認識されない」。他のソフトとの競合が問題だったが、それは、信じてもらいたい、私はパソコンは知らんが コンピュータのプロである。

これ以上 動かないドライブを相手にしても仕方がないので、買った店つまり Amazon のページを調べると、未開封のエレクトロニクス商品は1週間内で返品可、開封済みは1ヶ月間 不具合は交換、とある。交換理由が 「不具合」 なので、なんと着払いで宅急便の回収が来た。その意味、至れりつくせりの面もある。

その後が、いけない。
交換品がなかなか来ないので 調べたら、納品つまり発送予定が 12月14日以後、とある。おいおい、こういうのを 「ましゃくに合わない」 という。やはり Amazon のページを探索して (この店には、電話連絡先がない。宅配のミスは宅配業者に電話が通じるが、「店」 である Web サイトには、どんな 「電話」 番号も書いてない)、メール送信画面を見つけた。そこで、こう要求した:
これではとうてい納得できない。
(a) 返金するか
(b) 差額調整 (値上り承知) のうえ、別の商品と交換してくれ
返事は、翌日来た。返金するという。あら。ありがとう。返送したものの到着確認次第、クレジット・カードでの支払いに払戻しをするという。
また翌日、返送 到着確認、これから返金処理をするという。
クレジット・カード側の Web では、まだこの返金記録が出ないが、ま、通販の後処理としては満足するべき対応だったろう。ただ、普通の取引 (買い物) ならすべて Web サイト上で自動的にできるのに、こうして 「人手を介した」 交渉は やはり1日単位でしか進まない。もっとも、こういう返品処理は、「普通の」 店なら、店長なり担当部署の長とかけあって面倒な交渉をしなければならないだろうから、その意味でも Amazon さんの対応は 「すみやか」 では あった。

さて、返品したモデルは、新規 売込み中のもの。それが こうして 「動かなかった」。実は、もっともポピュラーな書き込みソフト、B's Recorder が付属する製品より ¥2,000 安かったので それにしたのだが、こうしてケチがついたので、また "B's" が付属する機種を探そうか。そもそも動機は、子どものクリスマス要求だったし、サンタさん宛には別の注文を出させたので、ま、あわてることはないだろうし。



金魚の飼育歴の 「統計的」 分析を試みてはみたが、母集団が小さすぎることと、偶発的な要素が多すぎることで、足踏み状態になった。
何かの具合で (いつものように、子どもが歩きまわるし)、平積みしてあった部屋の本が崩れた。その中に、あらら、偶然 クセジュ文庫 (ご存知だろうか? 最近はなくなってしまったように見える。「クセジュ」 の原綴りは おそらく不正確だが Que sais je / Do I know で、1960年代のフランスの、日本で言えば岩波新書のようなものの訳本シリーズ)、『統計学の知識』 が出てきた。訳本初版 1969、第8刷 1991。

なるほど。典型的な正規分布の例からはじまって、その山が左右にずれる場合、それが極端な分布になる場合 ・・・ そのあたりから平均偏差、標準偏差、続けて偏差の算術和と平方和と続け、あれ? 標準偏差というのは、偏差の平方和を、単に個体数で割っただけ、つまり 「平方和の算術平均」 にすぎないではないか (ただし、さらにその平方根を取る)。その先になってから − あらら、この種の統計は サンプル数 100 以下では意味がないと書かれてしまっては、救われない。

その代わり、おもしろい言葉を見つけた。「中位数」。
これに類する言葉は、中学か高校で習ったような気がする。つまり、「平均」 点に対して、実際にどの位置に分布の頂点があるか、この母集団の中で 「真中の値」 は何点か、など。
が、ここで出て来た 「中位数」 とは、例えば、101人がテストを受けた成績の平均や分布の頂点とは関係なく、「その点数を取った個体 (生徒) が、順位において全体の真中にいる」、つまり その生徒より点数の高い生徒が 50人、低い生徒が 50人、さらに言い換えると、「そこを中心として サンプルが左右 50% ずつに別れる」 点である。

これなら簡単ではないか。
Excel のシートを何枚も作る必要はない。単に、金魚の生存日数順に並べて、上から半分の位置にあるのが それである。個体数が偶数なので、現在これは、21日と 22日の間にある。これには生きたものが含まれているので、これらは毎日 表の下のほうに移動して行く。つまり生きているものを死なせなければ、「中位数」 の成績は上がって行く。とはいえ、この値を大きく上げるためには、やはり個体数を ぐんと増やして、長く生き続けさせなければならない。

しかし、その 「中位」 が 21日あまり、平均が 42日、最低点 0日、最高点 222日、標準偏差は 50.8 − あまりといえばあまりの分布ではある。ひまになったら − 毎日変化するヒストグラムでも作ってみようか。


(20051121-1) 日記 − 「おねえちゃん、ひっくりかえってるよ」

4才の息子。2才ころには 「言語」 能力そのものに不安を感じさせた子が、そう言った。この意味は、「金魚の水槽、その底砂利の上に座らせてある (ピーターパンの) ティンカー・ベルの人形 身長 40mm が、ひっくり返っているよ」、である。

幅 60cm の水槽を左右に仕切りで分けて、左は 10cm 超の大型魚 1匹、右はそれ以下の小さいのに それぞれ隔離しているのだが、いまこの左右を 「パーティション」 と呼ぶ。左右のパーティションはアルミの金網でさえぎるが、一部に穴が開けてあって、小型魚はそこを通って、自由に左右を行き来する (現在これは3匹、うち2匹はドジョウ)。

さて、この金魚水槽に入れる 「飾りもの」。
焼き物のエセ倒木など入れると、その中に魚が入り込み、そのまま衰弱して死んで行く例が多かったので、これはやめた。
つい最近のことだが、コカ・コーラのおまけに付いていた 「チョロキュー」 の カブトムシ。これが3つほど あった。これを水槽に入れるとき、4才が言った: 「水に入れると、動かなくなっちゃうんだよ」。つまり、彼はプラレールでもバスでも車でも飛行機でも、一時は みんな風呂に持ち込んで遊んでいた。おかげで、ブリキの飛行機など赤サビが激しいが、それと同時に、メカニズム部分の油切れで、ほとんど 「動かなくなる」 ことを経験した。それは結局、母親に強く禁止されたらしい。そこで、「水に入れると、動かなくなっちゃうんだよ」。

うん、それはわかってる。でも、大丈夫、「チョロキュー」 の仲間は、稼動部もみんなプラスチックだから。いま現在、水槽には この 「チョロキュー」 カブトムシが3台、「機関車トーマス」 に出て来るヘリコプターのハロルド 全長 40mm が、砂利の上にある。それから、透明ゴムの中に わんちゃんの 人形を閉じこんだ 「スーパー・ボール」 直径 40mm が、水面にぷかぷか浮かんでいる。
この他に、「金魚鉢」 らしく入れてある 「赤い橋」 の上に、ティンカー・ベル 身長 25mm、左のパーティションの底砂利の上には、「ひっくり返った」 40mm のティンカー・ベルがいる。「ひっくり返る」 のは、100mm を越えるほどまで生長した 元 「エサ金」 が、自分自身のエサ探しで しっぽを ティンクにひっかけるからである。

何を言いたいかというと、2才のころには言語能力 つまり 論理能力そのものを疑わせた現在の4才が、「風呂で遊ぶと壊れる」 ことを学習した結果、「金魚鉢に入れても同じことが起こる」 という類推を獲得し、表現した、という点である。言語能力の発達とは、意思と論理の獲得、さらに その 「言葉による」 表現 つまり 「論理化」 された表現の獲得なのだが、これがまず、「水に入れると壊れる」 と 父親に注意を喚起したこと、次に、大きいほうのティンクが 「ひっくり返ってるよ」 と指摘するまでに至ったこと。

子どもの成長は速い。急速な変化を見せることがある。7年か8年前にも、1週間 韓国に出張して帰ると、当時 2〜3才の現在 10才が、「ある」 変化を見せている、つまり成長していることに気がついて、感激したことがある。いま現在では こうした長期出張はないのだが、過去数ヶ月の現4才を見ていると、その間に 「ある」 1段階を上がったことに気がつく。

俗に (または専門家の間では)、「外国語の学習 (獲得) は階段的」 だと言われる。つまり、言葉の獲得は、本人の気付かない間に進行して、あるとき、突然 「もう1段 上」 に達していることがわかる。本人の意識の上では、指摘されれば 「あ、そうか」 と、1ヶ月前には理解できなかったことを今は理解していることに気付く。これは 「外国語」 に限らない、母語、言語一般、言い換えれば 論理能力一般の獲得過程でもあるように、僕には思える。



ところで、水槽に入れた 「ティンカー・ベル」 を見るたびに、僕には 「ハーマイオニー」 という単語が浮かぶ。ハリポタのハーマイオニーである。
それは、映画でも小説でも、限りなく生意気であるがゆえに可愛いハーマイオニーの印象による。そのたびに、「あ、これは ハーマイオンじゃない、ティンカー・ベルだ」 と思い直すのだが − しかし、考えてもみられたい: 「ピーターパン」 における ティンカー・ベルの役割と、「ハリポタ」 における ハーマイオニーの役割; これは、ほとんど正確に同じなのではないか; つまり、主人公の行動に対して常に監視役としての役割を担い、主人公に対して警告を出す任務をおびている。その監視役が、それぞれ (ティンクであれハーマイオンであれ) 自分自身の関心で行動する点も共通している。ただし、ディズニーの 「ピーターパン」 では、それがよくわからない; 「ピーターパン」 は、もう少し原作に近い本か絵本で見る必要がある。ただ、心理学の先で 「ピーターパン症候群 (ピーターパン・シンドローム)」 という言葉をご存知の方は、ティンカー・ベルの意味についてもご存知のはずである。

なお、ティンクを 「おねえちゃん」 と表現した4才は、ピーターパンの映画を見ていない。従って これが 「おねえちゃん」 である理由は、身長 40mm のティンクの おっぱいの大きさと、その (やや露出気味の) 衣裳にあると思われる。ティンカー・ベルは、ある世界では ロリコンの表現である可能性も大である。


(20051122-1) 日記 − 続き: ピーターパンとシンデレラ

ご存知の方には余計な話だが、「ピーターパン症候群 (ピーターパン・シンドローム)」 というのは、「大人になれない、大人になりたくない」 心理傾向 症候群のことで、これは 10年に一度くらい出版が流行になる。『子どもをピーターパンにしないために』 なんて題の本が出たことがある。実際、ピーターパンは、「僕は大人になりたくない。いつまでも子どもなんだ」 と発言している。これを、童話的に解するか、心理発達上の障害とみなすかで、人の立場 (出版社の立場、リライトする人の立場) は決まってくる。
この 「ピーターパン」 に いつも つきまとって うるさいのが、Tinker Bell。この妖精はピーターパンに、必ず 「警告のベル」 を鳴らす: 「そんな、子どものままじゃだめよ」 と。だから 名前からして 「ベル鳴らし」 という意味である。

余談は、子供服の 「ティンカーベル」 というブランドで、現代のしゃれた日本語アクセントではこうなる。うちの子 10才も、最初 このアクセントで発音した; ところが父親不機嫌。いつの間にか彼女の発音は 「ティンカール」 に変化した。原語の知識 (こんなの、中学英語だが) があれば、「ティンカーベル」 と言いたいところだが、仮にアメリカ人に発音させてみれば、あるいは 「ティンカール」 が一番 近いかもしれない。

「ピーターパン症候群」 と対をなすのが、これもご存知の方は多い、「シンデレラ・コンプレックス」 である。
シンデレラは、みずからの運命を みずから切り開かない。彼女の運命は、ひたすらカボチャの馬車、舞踏会、その後お城からやってくるガラスの靴を持った使者によって、彼女は王子様のもとに行くことができる。彼女自身が、みずからの意思を発揮するのは、「私もお城の舞踏会に行ってみたい」 と願う点だけで、それも自分の意思で行動したのではない、魔女?が出て来て、カボチャの馬車を用意してくれて はじめて彼女は舞踏会に行けたのだった。ガラスの靴も、城からの使者が、王子様の厳格な命令によって 「どんな女もすべて、例外なく」 調査することで、彼女の足に合うことがわかる。(ディズニーのアメリカ 「シンデレラ」 はその点 異なっていて、城からの使者に対して みずから名乗り出たうえで、みずから保管していた もう片方のガラスの靴まで提示してみせる。その点、アメリカのシンデレラは 「やる気 充分」 である。ただし、自己の運命が王子様のもとに行くことで決まる点、やはり彼女はシンデレラでしかあり得ない)

従って 「シンデレラ・コンプレックス」 とは、「女の私が」、こんなことをしてはいけない、あんなことをしてはいけない、そんな大それたことはできない、私の意思でそんな重大な意志決定はできない ・・・ といった、一連の 「女」 の、ネガティブな行動 (心理) 傾向を言う。「私は女だから」 そんなことは関係がない、「私は女だから」 そんなことは自分では決められない、「私は女だから」 プロポーズは待たなければならないし、「私は女だから」 数学も物理もハンダ付けもしない、「私は女だから」 男の誰かが私を救い出し、私を幸せにしてくれるはずなのだ ・・・ それを 「シンデレラ・コンプレックス」 と呼ぶ。

これは、根強い。八神純子 (古いなあ、歌手) の歌の中にも 「ガラスの靴が/ほしいわけじゃないけど」 というせりふが出て来たことを覚えている。

ま、今夜は 思い出した 「ピーターパン症候群」 と 「シンデレラ・コンプレックス」 のセット、それを 「解説」 しただけで終りにする。


(20051125-1) 日記 − 続き: では 「スヌーピー」 の心理問題

「スヌーピー」 の漫画の話は、前にも書いた。が、「ピーターパン」 と 「シンデレラ」 の連想の上に出てきたので、再度 書いておく。

まず、スヌーピーの飼主は チャーリー・ブラウンだが、このチャーリーには妹が生まれる。チャーリーは狂喜し、妹が生まれてからも その乳母車 stroller を押してまわっている。

このチャーリーの仲間の中に、ルーシーがいる。ルーシーは 「私が両親の ただ一人の子ども」 であることを願ってやまない子だったのだが、不幸なことに弟のライナスが生まれる。その後ライナスは、指をくわえ、反対側の腕には必ず汚い毛布をもって肩にかけている子になる。

この話をしたら、 「おたくのおねえちゃんは どっちなんですか」 と問われ、「正確に両方、両面があります」 と答えたことは、前にも書いた。

アメリカ現代社会には 「サイコ・テラピスト (セラピスト)」 という職業がある。心理カウンセラーの一種と考えてよい。医者ではないので 「患者」 といわず 「クライアント」 と呼ぶが、サイコ・テラピストの間では、クライアントの訴えに対して 『スヌーピー』 の漫画を読ませるのが、すでに一般化・常識化しているのだそうだ − つまり、医者ではないカウンセラーは、クライアントの生い立ち・成長の過程で出会った様々な事件と、それに起因する現在の問題 (心理的な不安、苛立ちなど) を、関連付けようとする。その 「説明」 代わりに 『スヌーピー』 を読んでみろというわけである。

だから、『スヌーピー』 には、現在は大人になってしまったアメリカ人の、幼時の思い出、その幼時に出会ったさまざまな・ささやかな事件たち、そういうものが表現されている。
日本での生活環境は、チャーリーたちのそれとはちがう。が、本質的な点において、子どもたちの 兄と妹、姉と弟の関係は、チャーリーやルーシーの態度に比定できそうな気がする。兄と弟、姉と妹の関係は、そのバリエーションである。

重要なことは、『スヌーピー』 は既に子どものマンガではなく、大人のものである点。いや、それはもう、書かれた (描かれた) 当時から 「大人」 のためのものだったともいえる。チャーリーにせよ スヌーピーにせよ、「絵に頼らない」 吹きだしの長い英語 (日本ではそれに訳文が付く) の 「哲学的」 な彼らの思索は、ほとんど 「子ども」 のものと思えない場合が多い。

この 「スヌーピー」 の場合、「ピーターパン」 や 「シンデレラ」 が単に暗示的であるのに対して、「より具体的なアメリカの子どもたち」 を表現している。「暗示」 的でなく具体的であるが故に、これは まず テラピストたちの治療素材になること。そしてそれが、やがて/どこかで 「ピーターパン・シンドローム」 や 「シンデレラ・コンプレックス」 にも結びつくような気がする。


(20051127-1) 日記 − 「おとうさん、いったい何ヶ国語しゃべれるの?」

この質問が出て来るまでの経過を、まず。
買い物に出た。大きな交差点は 綾瀬警察署前。乗客は 10才のおねえちゃんと弟。おねえちゃんに、ふと父親は言う:
− これが綾瀬警察な。留置場はX階(注)だったな
− りゅーちじょー?
− そう。もし犯罪なら、起訴、裁判がはじまる。それまで入れられるところ。裁判がはじまると、ほれ、あそこの拘置所に行くんだ。
− (ああ、あれか、小菅の、と うなづく)
− 酔っ払って大トラ、暴れまくって警察に連れて行かれると、その晩はブタ箱。それが留置場。実際、おカネがないのに酔っ払って警察に突き出された人がいて、その通訳に行ったぜ。

(注): 警察署のどこに留置場があるかは、署内の案内板には書いてない。実際には 被疑者への面会に家族も弁護士も来るので 「X階です」 と教えてくれるが、案内板には絶対に書かれない。書けば、アメリカ映画じゃないが、犯罪者集団の 「仲間 救い出し襲撃」 のターゲットにでもなるおそれがあると、警察署は考えるのだろう。よって、ここでは 伏字 「X階」 とした。
その先である。
お父さんは、年に何回か、弁護士について留置場の被疑者接見の通訳に行く。
− おとうさん、いったい何ヶ国語しゃべれるの?
− んーと、朝鮮語と韓国語は同じだから、まず1つ。それから英語。それに、日本語
− あはは
− あとは、辞書があれば読めるのはフランス語。ロシア語は 字の読み方は知ってるけど、文法を知らないからなあ
と言ってる間に信号が変わって買い物に向かったが、
実は、僕自身が 「かじった」 ことのある言語は まだ いくつかある。その中には エスペラントもある。つまり、西洋語の一種とはいえ、東欧の原語 (言語) を一部 反映している点でエスペラントは とても たくさんの示唆を与えてくれたのだが、ただしこれも 「かじった」 だけで、フランス語と同じ程度にしかわからない。

ま、それは、いい。
ふと疑問に思ったのは、「言語」 プロパーの研究者たちは、多くは、少なくとも5つくらいの言語を操るものだ。人によっては 「40ヶ国語」 というケースもあって、こうなると 「おとうさん、いったい何ヶ国語しゃべれるの?」 という質問に窮するのではなかろうか? 他でもない、わが 「師」 も、細分すれば 「40ヶ国語」 程度の言語を理解されるように見える。ただし この 「細分すれば」 という但し書きが問題で、それは 「アラビア語」 と十羽ひとからげに 「1言語」 とみなすか、それとも、イラン、イラク、サウジにアフガン、パキスタンの一部、その北のウズベク、タジクからトルコの至る各 「方言」 までを個別に数えるかどうか、という問題、ペルシャ語も同様に 「アラビア語」 の一部か、別か、ペルシャ語それ自体も地域によって相当に細分化されるはずなので、問題は 「何ヶ国語」 という数え方になる。

なお、いわゆる 「言語」 と、いわゆる 「方言」 のちがいは、簡単に言えば 「ない」。
東北方言は、北に行けば行くほど、古い発音で母音数が増えてゆく。その 「どこ」 からが 「別の言語」 なのか、明瞭な区別はない。九州でも似たような現象があるし、朝鮮に属するはずの済州島、日本に属するはずの沖縄、その沖縄本島の 「方言」 と 宮古の 「方言」 は既に異なるはずで、これらを 「日本語」 の個別の方言とみなすか、済州島の言語を 「朝鮮語」 の方言とみなすかは、まったく 「微妙な」 問題でしかない。

現状では、多くは人為的な 「国境線」 を前提として、日本語とはまったく異なる沖縄/琉球語も 「日本語」 の方言、済州島の言語も 「朝鮮語/韓国語」 の1方言だということに、なっている。


(20051128-1) 日記 − カレンダー

来年のカレンダーを求める季節。
僕自身は、USA 国内の なじみの店 (といっても、行ったことがない。通販だから、どこの州にあるのかも覚えていないが、おそらく Boston 近くか) から、壁掛け用、持ち歩き手帳代わり、それに 「日めくり」 の3種を夏の終りに買ってある − いわゆる 「国際版」 で、各国の休日・祝日は別紙、国ごとの祝日・休日が書いてあるので、それを自分で赤くマーキングする; 実は 2005年版のこの 「別紙」 には Japan のところに誤りがあり、秋だったかの休日をまちがえるところだった。職場のカレンダーと比べて、僕のは赤マークの位置がちがう; 調べてみると、どう考えても日本のカレンダーが正しい。ま、それはしかし ご愛嬌である。

我が家では、子ども2人に、それぞれカレンダーが要求される。
上の子は、2005年は TV アニメだった。下の子は、2004年の秋に出張した帰り、上野で買った新幹線のカレンダー; ただし この子は まだ 「カレンダー」 の意味を理解していないので、毎月 かわる新幹線の写真を捨てるのを拒否する。同じことは おねえちゃんにも言えて、今年1年分のアニメ、既に過去になった5枚 (1枚2ヶ月) は、丸めて、捨てられずにいるらしい。

さて、来年。
下の子は、「ひこーき」。JAL のを やはり通販に発注した。書店を見ていると 雑誌の付録に、彼が最近 興味を持ち出した 「せんとーき」 のカレンダーが付いているが、これはまだ やめておく。

問題はいつも おねえちゃんで、東京くらいでしかやっていない TV アニメのカレンダーがほしいという。そんなの、ない。Amazon で自分で検索して、しょうがないので 「これ」 と言ってきたやつも、それほど気に入っているように思えない。
学校の行事で土曜登校だったので、月曜が休み。その月曜の午前、彼女をつれて出勤に出た。彼女はデパートの書店と、ディズニー・ショップへ。僕は職場へ。
夕方、携帯に電話が来て、あらら、『リロ・アンド・スティッチ』 のを買ったそうだ。

以上がマクラで、
ところで、東急ハンズに面白いのがあった: カレンダーは1年分、ただし 「絵」 はお好きなものをプリンタで印刷して、それぞれ貼り付けてどうぞと。
ふむ。しかし、「去年」 1年の写真をそこに貼っても、みんな 「過去」 のものである。「犬・猫系」 だと、そうだな、知らぬ犬猫の写真など つまらない。ならば、大好きな おばちゃんちの (老) 猫、愛称 「ひよ」 (実はフル・ネームは 「日吉丸」) か。
− でも、それで ひよが死んじゃったら、ものすごく悲しいぜ
− 金魚はどうなの?
− 金魚だって、お父さん、いっぱい泣いただろ。でも、ペットが死んだら、そんなもんじゃすまないぞ
というわけで、10才の 2006年カレンダーは とりあえず 「リロ」。
もっとも、時計とカレンダーは、家中にいくらあってもかまわない。彼女のカレンダー探しは、まだ別の何かになるかもしれない。

ハリポタのカレンダーはどこにでもあるが、映画 第4作ともなると、かつては幼かったハリー役が かなり大人の顔になっている。11才と 14才の差は大きい。これは、僕も買う気がない。


(20051130-1) 日記 − 金魚飼育歴 「統計」 の破綻

この破綻が数日内にやってくることは、まさに数日前に気が付いたことだが −
学校では たしか 「メジアン」 と習った「中位数」、つまり全体の数の上で 1/2 の位置にある − その位置を中心にサンプル (生徒数、受験者数、金魚の個体数) を左右に 50% ずつに分ける − 値は、僕のやっている方法ではある時点で凍結され、今後 個体数を増やさない限り変化することはない ・・・

今までやってきたように、「死んだもの」、「生きているもの」 を まとめて管理していると、生存日数の順では、生きているものが次第に下 (長寿側) に移動してきて、過去に死んだものの日数を次々と追い越してゆくのを毎晩確認すること、それ自体は楽しかった。
が、「数日前」 に気が付いたのは、あと数日後には、それらはすべて (生きている限り)、死んだものを含む総個体数 40 の、下半分に移動すること。今日時点で、それが起こって、全体 40 匹の 1/2 線から上はすべて死んだもの。メジアンは生存日数 25/26日 の間。この前半 50% は既に 「すべて死んだもの」 なので、今後は個体数が増えないかぎりメジアンが移動することはない。後半の 50% はまだ乱戦状態で、「生存日数の中央値」 (多分、学校で習った当時の 「モード」) を争っている。今後は、この移動が問題というか、注目の対象になる。

前に書いたように、過去に死んだものの淘汰状況を見ると、「1ヶ月」 で7割以上が失われてきた。
が、今日時点で、生きている7匹はすべて 28日以上、つまり4週を越えた。過去歴で、28日と 30日の間に死んだものは ただ1匹である。

さて、どうしよう。
生半可な統計論、まだ納得できない 「偏差の平方和の単純算術平均の平方根」 つまり標準偏差と そこから算出される偏差値。それに、既に固定した 「死んだ」 母集団と 「今も生きている」 一群との意図的な 「一貫管理」。特に問題を複雑にしているのは、「死んだ」 ものと 「生きている」 ものを同列に扱っている点で、これは 「この子は 死んだ集団の中の、今日は何番を追い越した」 という楽しみ以上の意味がない。が、それがなければ、その楽しみもない。

10才が言った:
− このごろ、金魚 死なないね
そう。彼女の経済観念がそうさせたのか、¥31 のを3匹 買って来たのは 36日前。そのうち2匹は、7日、9日で死んだ。残る1匹は、36 日を経過し、既に 「エサ金」 ではあり得ない、金魚すくいほどの大きさにまでなった; それも 「白」 基調の、「めずらしい」 やつである。この3匹が早々と淘汰されることを予測して数日後に買った3匹も、既に 28日、メジアンを越えてしまった。

従って、僕の 「統計」 に今後必要なのは、「生きているものの余命」 予測かもしれない。が、それは、人間の平均余命以上に 面倒そうだ。
その間にも、黒い2度めのデメキンには白斑が出る; 超小型で買った流金は またしても巨大化傾向にあり、これも水槽内でケガをしては白斑を出す。日々の 「金魚槽メンテ」 は、楽しく、そして限りなく面倒くさい。水質の変化、ゴミ・フィルターの状況、病気の処置と予防と薬品の残留量、その どの程度が既に崩壊 (薬品が分解され効果を失うこと) したか見当をつけ、どの程度に補うか ・・・

なんで こんなことをしているのだろう。


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