Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

ハングル工房 綾瀬店 ホームへ
Mail to home master: Ken Mizuno


最近数年の記事の総目次
この前後の時期の 目次

記事の検索は上記目次で。このファイルの記事は日付順に下へ。
-> このファイルの最後の記事


(20051002-1) 「なぜ執拗に金魚なのか」、なぜ 「執拗に朝鮮文学だったのか」

「なぜ執拗に金魚なのか」 と言われて、去年の末から考え込んでいた。

しかし、では僕の学生時代に、「なぜ執拗に朝鮮文学なのか」 という問いを受けてもよかったのではないか。
僕が 「執拗に」 追ったのは、朝鮮近代文学の中でも 特に 「風刺」 作品であり、その 「風刺 satire」 という単語または訳語から想像されるものと実体との差にとまどい、そこで 「風刺 satire」 の元祖のように言われるイギリスの スウィフト Swift との対比 − つまり 『ガリバー旅行記』 の作者であるスウィフト − など、それは、僕自身の 「教養」 に大きな影響を与えた。つまり、「執拗に」、何か 「ある種のこと」 を追いかけていた。

『ガリバー』 は童話ではない、この作品は当時の英国政界に対する強烈な皮肉を含んでいて、そういう作品を公開することによる作家自身への危険を承知のうえで公開されたものである (従って、作品発表当時、作者名はなし、あくまでガリバーさん自身の実話の手記として出版された)。その後の作者スウィフトの書いたものを追って行くと、政治ビラで あたかも政敵を擁護するかのような文面で、しかしよく読むとその政敵をたたきつぶすのが目的である文書が出てきたり、植民地アイルランドの首都ダブリン、そこに存在する乞食家族の子孫生産能力、その幼児の市場での貨幣価値、つまり人肉市場での価格と取引規模、それらを精密に分析したあげく、アイルランドの再生はこの方法で可能であると説得してみせる、いわゆる "Modest Proposal" という作品など、スウィフト自身の世界は恐るべき − あるいは戦慄するべき − 世界へと進む。この展開に、学生だった僕が衝撃を感じたか、少なくとも不思議な魅力を感じたのは事実で、ただ、近代/植民地期の朝鮮には それに見合う作品を発見できないことが、僕が朝鮮文学 「研究」 を放棄した理由の1つである可能性は ある。

その当時は、学生で、当人も本気だった。本気だったわりには 「まじめな」 学生でなく、研究者としての基本的な勤勉さを欠いていたから、いずれ それは放棄するしかなかったのだとは、何度か書いたかもしれない。しかし、20代の 10年間をまるごと そのために捧げたわけだから、それは 「執拗な」 行動だったと言えるのではないか。

そこで、金魚。
なぜ こうまで こだわるか − 面倒だから、である。
たかが金魚、されど2日も放置すれば限りなく汚れてくる水槽、それを放置して、窒息する魚も出る; 病気に神経を使えば使うほど、薬品の過剰で 死期を早めるばかりの お医者さんごっこ、それでも/それだからこそ さらに神経質になってゆくという 典型的な神経症症状を起している自分自身が、うっとおしい; このうっとおしさが、ある日 発作的な水槽廃棄衝動をもたらしたり、あるいは日々の生活そのものへの意欲を 生んだり・殺したりする。
これが悪く転べば、「金魚」 を 「赤ん坊」 に、僕自身を 「赤ん坊の母親」 に置き換えて 「子育てノイローゼ」、その先のパニック ・・・ が待っていて、その時期の母親たちの症状を、ごく婉曲に (しかし不正確だが) 「神経症」 と呼ぶ、こともある。

が、幸い、相手は金魚である。
最初は、小さな魚が1匹死ぬたびに、「砂を噛むような」 気分どころではない、翌日には仕事が手につかないほど落ち込んだ。職場には 「魚/釣り」 マニアがいて、「金魚を愛したってしょうがないぜ」 と言ってくれた。僕には、「釣り」 (つまり、釣って、逃がすなり 食うなりする) と、水槽で魚を飼育することの関係がどうしても理解できなかったのだが − やがて 「金魚なんてすぐ死ぬ」 という 「常識」 を知り、かつ、10才の娘が慣れた。もう、魚の 「死」 に驚かない; せいぜい 「お父さんの白いの、死んじゃったね」 と同情してくれる。

金魚の死は、飼い犬・飼い猫 つまり主人と生活を共にするペットの死とは 大きな差がある。少なくとも、金魚の死が、「何かの代償 あるいは生活の伴侶であった猫、または犬」 の死と同じ衝撃をもたらすことはない。せいぜい − 「この子、そろそろ やばいな。いつまで持つか、せめて できるだけ長く生かしてやろう」 と、最近は考える。そうでもなければ、75% の死亡率を誇る(!)金魚の飼育など、身体が (心が) いくつあっても 持つわけがない。ただ − 「せめて できるだけ長く」 生かし続けるために、ひどい時は毎晩、長くても2日か3日後には深夜に水換えをしなければならないこと、その面倒さ、この面倒さを避けるためには せめて 「2週間」 程度 放置できることが必要なのだが、そのための試みが、1年の間に何一つ成果が上がらない、実験のたびに激しく汚れた水槽を相手に、相変わらずノイローゼチックな気分になりつづけているわけだ。

ご参考までに、今日現在 金魚は7匹。昨夜までの生存期間は順に 175日、150日、126日、105日、104日、19日、6日。100日台の5匹と 最後の2匹が大きく離れているのは、その中間のものはすべて死んだ、という意味。100日台の5匹も、「死亡率 75%」 なら その間に それぞれ仲間3匹が淘汰される中から、生き残ったものである。現状で危険なのは 19日の一匹で、これが予断を許さない。


(20051022-1) 執拗に生長を続ける金魚水槽

右の写真の上側は、先週までの金魚槽である。
一見 1つの水槽に見えるが、実は左右に分かれた2つの水槽である。なぜ2つになったかは省略して、2つの水槽の管理 (エサ、薬品、汚れとバクテリアの状態など) を個別に管理するのは たまらない。それで、2つの水槽間に、写真に見える太いホースを渡した; これがサイフォンになっていて、2つの水槽の水位を同一にする。もちろん、サイフォンとは大気圧を使って水位を同一にしようとする装置なので、水位が同一になれば 水はもう動かない。そこで、写真には見えないが、モーターで 「あちら」 の水槽から 「こちら」 の水槽へ、水を汲み上げる; 結果 「こちら」 の水位が上がるので、その圧力差を解消しようと 水はサイフォンを通って 「あちら」 に戻る。結果として、左右の水は循環するので、2つの水槽の水は同じものになる。

ご参考までに、モーターで汲み上げるポンプのホースには、100円ショップの 「石油ストーブの給油ポンプ」 を解体して使った。サイフォンも当初 その蛇腹ホースを使ったが、モーターのパワーに対して同径のサイフォンでは追いつかず、ホース2本を並列にして ようやくバランスが取れた。その後に、日曜大工 DIY 店で洗濯機用の透明ホースを発見、これに取りかえた姿が、この写真である。
この左の水槽は 26L、右の水槽は 20L (背後に奥行きが長い)、合計 46L だった。横幅はそれぞれ 40cm、25cm で、この幅をこの位置 (実は 玄関の靴箱の上) に確保できることがわかった。それなら、この際 「60cm 水槽」 にしてしまおうかと、考えること2週間、その結果が下の写真になる。

下の写真は、典型的な 「60cm 水槽」 である。これは、奥行きがフルに 30cm、高さもあるので、60L ある。このタイプでこのサイズの水槽だと、単体で買うと1万円前後する。ところが、近所の店に 「大型フィルター付き水槽」 セットが出ていた。「大型フィルター」 とは、水槽の外、床面に置く、直径 210mm、高さ 360mm という巨大な モーター付き 「(ゴミ) フィルター」 筒で、水は長いチューブで上げ下げする。これも単体で買うと1万円前後する。あわせて2万前後、これがセットで、約1万2千円。2週間 考えた末、3週めの週末、売れないうちに買った。要するに、大型フィルターの 「おまけ」 60cm 水槽である。

サイフォンを太い洗濯機用ホースに換えてから、弱った魚はこのサイフォンに吸上げられて水槽間を移動してしまうことがあったのだが、それは、単一水槽では 「仕切り板」 で解決できる。この 「仕切り」 には、東急ハンズで買ったアルミの網を使った (もっとも、金魚屋で売っている 「仕切り板」 より、この網は値段が高い)。設置のときのミスで、左右が反転してしまったが、まあ、よい。

実は、上の写真の 「2つの水槽」 に分離した理由は、金魚同士の追いかけっこだった。金魚にも発情期があって不思議ではない。どうもそれらしいと、父娘とも見ていたのだが、大きな2匹に追いまわされる1匹が、疲労しきって死に体だった。これはどうも、別の水槽に隔離してやらないと − というわけで、小水槽を持ち出した。翌日、隔離水槽には 「追う」 側の2匹を、その他を大水槽へと入替えた。2つの水槽の個別管理が面倒になったので、サイフォンでつないだ。それで上の写真に至った。



60L 水槽の水は、重さ 60Kg になる。この重さがかかると、玄関の靴箱の上面は大きく垂れ下がり、へたをすると破壊する; 破壊しないまでも、大人一人の重さがかかるので、垂れ下がりで靴箱のドアが開閉できない; そこで、両端を持ち上げ、その間に角材3本、これで 60Kg を支える、つまり 重さは靴箱の左右に振り分ける。写真ではさらに、角材と同時に用意したアルミ材も重ねてあるのが見えている。これで、ともあれ水槽底面は 「平面」 に近くなる; が、それでも歪みは残る; この歪みを残しておくと、40cm 水槽でも無理な力が加わったようで、水漏れを起した。そこで、角材の上には薄いベニヤ板、さらにその上に 厚さ 15mm の硬質スポンジをのせた; これに歪みを吸収させている。2枚の写真で、水槽下面の黒い層は このスポンジで、よくあるプラスチックの水槽枠ではない。

60L 水槽に大型フィルターで、3晩は水槽を放置できるようになった。が、「大型」 フィルターの吸ったゴミが内部で腐敗を起せば、いずれ逆効果になるだろう。現在までのところ、1度 中を開けてみたのだが、筒の底に多少のゴミがたまっているだけだった。これが悪い方向に循環すれば − 考えるのもおそろしい。水量を確保するのが有利と見て水槽水位は上げてある; 従ってフィルターからの循環もどりのシャワーは死んでいるので、まだ 「ぶくぶく」 が欠かせない。このぶくぶく、つまり酸素供給がやや不足な点が、今この瞬間の 「神経症」 のネタである。


(20051027-1) 身辺雑記と 「標準偏差とは何か」

僕は高校を 「理系」 の受験クラスで通したので、一応 当時の科目名で 「数 III」 まではやっている。二次から三次までの微分・積分、三角関数の微積、それに物理では加速度と重力が同じもので、重さと質量が異なることや、「運動量」 という概念、つまり 「ロケットは空気を蹴って飛ぶのではない、燃えた燃料の (質量)x (速度) が そのままロケットの (質量)x (速度) の追加つまり加速度になる」 こと、あたりまでは知っている (燃料が減ってくるとロケットの質量が減る; 残った燃料を同じペースで燃やすと、ロケットの加速度自体が上昇する; 地上を離れる瞬間のシャトルは遅いが、あの巨大な燃料タンクが空になるころには 加速度は数Gにまで上がって、だから乗員には訓練が要る; ある時点での速度は、燃料消費つまり質量損失の結果として刻々と変化する加速度の積分である。空になったタンクを捨てると さらに身軽になって (質量が減って)、後はシャトル自身の燃料で軌道に乗り、帰還のための逆噴射までやってしまう。その間の燃料消費 = その質量損失を記憶し、従って加減速するためのエンジン燃焼量つまり推力を決めているのは、例の3重化されたコンピュータである)。

ところで、そのころからだ。学校で習う 「算数」、「数学」 の範囲が、次第に移動しはじめた。一時は、小学校で2進数くらいまで教えるという話があった (コンピュータの2進論理を早くから理解させるつもり、だったろう)。それから、確率論はゲーム理論の一種なので、これも (たしか) 小学校あたりで 「確からしさ」 という言葉が出て来たことがある。今は中学になったかもしれない。行列式については、これも中学あたりで出るはず。
困ったことに、こういう変遷の過程では、「ある年度のある学年」 から切り替わるので、そのすぐ上の学年では習っていないことがある。そこで、すぐ上の学年では、急いでそれを教える。だから、世の中には行列式というのがあることを、僕も知っている。が、教師だって、本来のスケジュールに先立って それを教えるのだから、おざなりになる。僕はそれで、学校で (数列は習ったが) 行列式を扱った記憶がない; だから、現代の デジタル - アナログ変換あたりで出て来る 「フーリエ変換」 だの FFT だのがわからない。

同じことは、統計論にもある。「偏差値」、「標準偏差」 の意味が、僕は、実はよくわからない。極端な話、「偏差値 50」 が 「平均値」 に該当するのかと想像してきたのだが、実はそれが誤りかもしれないと つい昨日 思うようになった

この、ほんの数日の間に、金魚が3匹、連続して死んだ。どれも生存歴 100日台のもので、この結果 現在の 生存数6、それぞれの生存日数は 201, 33, 18, 2, 2, 2 と、極端な (非)正規分布になった。このあたりから、「数値の上」 での分析ができなくなった。

まず、死亡率。
一時は死亡率が落ちてきたと思ったが、こんなことがあると、飼育歴 総数 37 のうち 生きているのは 6、これは 「死亡率 84%」 になるが − はて、この数字に意味があるのかどうか、疑問を感じてきた。いずれ、どこかで死んでしまうので、時間が経過すればするほど、死に、新しく補充し ・・・ のくりかえしでは、死亡率は限りなく 100% に近づいて行く。

ならば、個々の生存期間の日数の並びを母集団として、これの分布状況を調べるほうがよいではないか。時系列で起こった事象とはいえ、37匹の生存日数というのは、小学校の1クラスの人数でテストの結果を分析するのに近い。
ともあれ、単純平均を出してみた。41日。
次に、37匹 個々の偏差値を出せないか。死んだものの成績は既に固定したが、生きているものは毎日1点ずつ上がって行く。そのため、死んだものの偏差値も、日々 移動して行くだろう。その日々の再計算など、パソコンの得意分野ではないか。Excel で できないか。

Excel の 「ヘルプ」 を見て、驚いた − 困った。「偏差値」 という検索項目はあるが、これは 検索項目 「偏差」、「標準偏差」 と同じ内容が出るだけだ。要するに、セル間でまず何かの演算をした後、それを参照して個々の偏差値を求めるので、当然ではある。
そこで困ったのは、説明文の意味が取れない; 英文を単純に訳しただけの説明のせいもあるが、しかし統計論を理解していれば判読できるはずではある。さらに そこで困惑してしまうのは、「標準偏差」 を求める関数それ自体が、3種類か4種類もあることだ。それらを実験してみて、50+- の数字が出る、が、その意味がわからない。
どうにも、くやしい。統計論の基本的なところがわからないので意味がわからないのだ。これはもう、学校教師用の Excel 偏差値計算本でも買ってみるより仕方がないと考えた。
余談:
2日前、10才 5年生に おカネを持たせて、好きな金魚 買ってこいと言った。彼女は、女の子たちが 「かわいい!」 と叫ぶ 「ピンポン・パール」 と呼ばれる品種 (これは1匹 ¥300 から ¥500 くらい) でも買ってくるかと思ったら、なんと、「エサ金」 つまり 大型魚のエサになる金魚の雑種、やっと稚魚の段階を越えたばかりの、1匹 ¥31 を3匹 買ってきた。つい数日前に出目金が死んだので、彼女は 「黒の出目金、いますか」 と聞いたそうだ。「今はいない」 と言われた。そこで彼女は、かつても買ってみた「エサ金」 水槽の中から、(1) 超小型、赤、(2) 次は全身白、(3) 最後に黒混じりを1匹、買ってきた。
この 「エサ金」、店頭でも言葉が悪いと考えたか、「小赤」 と表示が変わっている。いずれ稚魚段階をすぎたばかりの0才魚なので、「エサ」 にならなくても死亡予測率はきわめて高い。ただ。今朝 死んだ1匹は、この 元 「エサ金」、生存期間 130日だった。死後 全長を測ってみると、95mm あった。買ったときは − 2日前の3匹と同じ 30mm 前後だったのを、僕も記憶している。

上の余談の余談:
「黒い出目金、いますか」、「今はいない」 に注目されたい。
「黒い出目金、ありますか」、「今はない」 とのちがいに。
彼女にとって、金魚は 「いる」 ものであって、「ある」 ものではない。そのごく自然な単語の選択が、彼女が完全な日本語話者であることを証明している。一説によると、子どもの言語による論理表現能力は、10才から 12才くらいの間に完成するという; だから、この時期の外国転勤で 子どもを外国に連れ回してはいけないのだそうだ。彼女を東京から他に (アメリカであれ、日本の田舎であれ) 移動させるのは、やはり中学校以後が適当だろうと、今は考えている。
翌日の追記:
書店で Excel のアンチョコ本をながめてみたら、ずばり 「偏差値」 の求め方が書いてあった。「標準偏差」 とは 「平均」 とは関係がないようで、「ばらつき」 の度合いを示す数字らしい − 例えば、テストは 100点満点で、全員の成績が 45点〜55点の間にあると、「標準偏差」 は 5前後の数字を示す。もちろん 「平均」 は 50 前後。これで各生徒の偏差値は、例えば 40〜60 くらいに分布する。「偏差値」 というのは つまり 母集団の中での位置、母集団内で点数の 「ばらつき (分散)」 幅が狭くても・広くても、その位置を同じように表示するものである・らしいことがわかった。この先は、37 の個体の生存日数でやってみる。あるいは、既に死んで生存日数が固定された母集団と、日々 更新される生きた母集団を、それぞれ別に計算・集計する必要があるかもしれない。もちろん、それにもかかわらず、やはり 飼育歴全体の中で、推移を一目で見られる統計手法がほしい。これは、まだ考える − お勉強する − 必要があるかもしれない。

ちなみに、我が家に金魚が はじめて やって来たのは、ちょうど1年前である。その1年の間に、合計 37匹、つまり、「平均」 10日に1匹を買ってきたことになる。
Excel に飼育歴を乗せて はじめて気が付いたのだが、これは 「ソート」 つまり並べ替えができる。実は、表をながめただけで、7月、8月には1匹の死亡例もないことに気が付いた (つまり この2ヶ月、生きていた全数が 60日 生存記録をのばしている)。今はシリアル・ナンバー つまり我が家にやって来た順に並んでいるが、死亡日の順に並べた場合や、これら 「死んだ」 ものが我が家に来た順に並べ替えてみると、またちがう事実が判明するかもしれない。
問題は、これら (例えば) ソートした結果を別シートに保存する場合、原シートの情報が変更されたとき (例えば、今 生きているものが 「死んだ」 グループに移動した場合)、その派生シートにも自動的に反映させないと意味がない − それができないとパソコン上の作業が煩雑になりすぎて、「パソコン」 化した何の意味もない。しかし、マクロ つまり V-Basic で内部プログラムを書くのだけは ごめんだ。それは数年前、いやというほど仕事で やった。Excel を使う以上、「裏技」 を使わず、かつ基本的な処理だけで その自動化ができないなら、また こんな大げさなソフトを使う意味もないことになる。これについては、もう少し考えてみる。


(20051030-1) 日記 − 身辺雑記、金魚の偏差値と病気とその 「経済学」?

上の記事の 「余談」 に書いた通り、死んだ金魚の補充に 彼女は 「えさ金」、最近では単に 「小赤」 という正札のついた、30mm 前後のを3匹 買ってきた。
その後の今日、彼女のいうことには、大きいのが (1匹は別として) いなくなっちゃって つまらない、または寂しいと。
まったく、勝手なことを言うものだ。大きいのがほしかったら 大きいのを買って来りゃよかったではないか。赤白の派手な 「ピンポン・パール」 なんて、遺伝的な形質異常以外の何者でもないが、それだって1年、2年魚なら充分 長生きするはずだ。それをだなあ、「小さいから可愛い」 「エサ金」、¥31 を 3匹というのが、彼女の経済観念だったのかもしれない。

困ったことに、この 「3匹」、当日夜から翌日にかけて、病気の兆候を示していた。たまたま時間を取れたので、書店で本を買った。それによれば、これは 僕は はじめての 「典型的」 な白点病。今まで たくさんの金魚の病気を見たが、これは まごうことない 「典型的」 な それだ。
これも はじめて、1時間+ の濃い 「薬浴」 にかけた。と同時に、その病原体も繁殖するから、水槽全体に蔓延するおそれがある。幸い、買った本には、病原体の子孫は 28℃ で完全に死滅する、故に数日間 水槽を 30°の手前に維持してみよとある。
さて、手持ちの 30W、50W の水中ヒーターを2本 入れても、それには届かない。仕方がない、買いに出た。60L を相手に、25°〜 35° の調節機能付き 150W、これが ¥3,000 台。1匹 ¥31 なんだよね。その子たちのために、この値段なの。僕自身の経済観念を疑ってみる。しかし、彼女の買ってきた3匹と、その他の3匹を生かし続けるのに、選択の余地はないのだ ・・・
ご参考までに、「その他の3匹」 とは、金魚すくいから生き残った 204日、今では 100mm 前後の 「小赤」 1匹。1ヶ月ほど前に買った 小型の流金、現在は 50mm 前後。それに、「ヒドジョウ」 つまり赤みを帯びたドジョウ1匹である。

かつて飼った金魚の生存/死亡歴、つまり生存日数の偏差値計算は、案外つまらないものだった。標準偏差は 51 で、ばらつき 51 日くらいという意味。正規分布つまり 「最大分布点を中心に 左右になだらかな裾野を形成する」 分布になっていないので、個々の偏差値は極端な数字になる。はなはだしいのは、買って来た当日モーターに巻き込まれて死んだ1匹の偏差値は 41.8、こんなの、意味がない。現在も生きている生存歴 204 日は、偏差値 81.7。それはいいが、0日で死んだ子との関係はどうなるのだろうか。実験に、「我が家にやって来た日」 順のリストを、「死んだ順」 に並べ替えてみる; 個々の死んだ日の記憶が、比較的 鮮明によみがえってくる。が、生存日数は数日、数十日、次は 100日超で、規則性も 「正規分布」 も見られない。まだまだ 「研究」 の余地がありそうだ。


(20051031-1) 日記 − 車のオイル交換と金魚の関係

遠い昔になってしまった。しかし僕は日本で免許取り立て、そのままアメリカの大平原に移動して、毎晩 数百キロ これは誇張ではない。フリーウェイの制限速度は当時 55 マイル/h で、換算すると 89Km/h だったが、実際の車たちは 70 マイル程度、これは 112Km/h にあたる。日々の通勤で片道1時間、というのは この田舎でこそ当然で、片道1時間フリーウェイを走れば、まちがいなく 100Km になる。往復 200Km。だからアメリカの田舎で、僕が買った最初の車は中古で、既に6万マイル走っていたが、値段は新車の半分くらいした。日本で 10万キロ近い中古車は もうスクラップだが、僕はこの車を 99,000 マイルまで乗って、次の車に買い換えた。その間2年、故に年間2万マイル弱、これを300日で割ると1日あたり 65マイル。実は職場はすぐ近かったから、週末あたりに、片道6時間のシカゴ往復などで距離を伸ばしたわけだ; 2泊はできないから、その週末は2晩で 1200Km ほど走ることになる も走っていたころ − 問題はオイル交換だった。日本では、俗に 3000 キロでオイル交換と言われる。アメリカの田舎では、仮に職場まで1時間なら往復 200 キロなので、3000 キロは たった 15日で やってくる。それほど ひんぱんにオイル交換するほどアメリカ人も勤勉?ではなく、多くは1ヶ月、2ヶ月、数ヶ月、くらいのペースだったろう。僕自身は、「できれば 5000 マイル」 内のオイル交換を心がけたのだったが ・・・

最後には面倒になって、店でやってもらうようになったのだが、免許も取った、車も買った、「自立した」 生活もできるようになったし、では、オイル交換くらい自分でやってみようと思い立ったことがある。
店で、オイルの種類、ブランド、質 (対温度特性、つまり熱耐性の範囲、粘度の変化幅、いわゆる油の 「重さ」)、このエンジンでの量、排油を受ける洗面器型の容器とポリタンク、オイル排出時に開き、捨てたら閉じるオイル・パン下のボルトと − なかなか見つからない それに合う ワッシャ。このワッシャが重要で、この扱いがまずいと、故障でもないのに 排油ボルトの根元から油漏れを起こす。かつ、このワッシャは必ず使い捨てにせよ、とある。

たしか、初回はうまくいったと思う。おそらく、2回目、ワッシャに適当なものが見つからず、古いのをまた使ったか、あるいは材質のちがうのを使ったか。とにかく、漏れた。翌朝、車の下を見ると、わずかだが黒く油が落ちている。エンジン下、オイル・パンの下面に触ってみると、油で湿っている。それから数日、ボルトを緩めて油を排出、ワッシャを交換したか、締めなおしてみたか。換えたばかりのオイルは洗面器から再びエンジンへと、数回 回転したことになる − その数日間が、僕のアメリカ3年半の中で、「もっとも憂鬱な日々」 だった。最後に、朝、エンジンの下側が乾いているのを見て、「こんなことが こんなにうれしいなんて」 と、友人らに書き送ったことがある。

¥31 の 「小赤」 に明らかな、急速な 「白点病」 の発生が見られた後、洗面器に濃いめの薬品を入れて 「薬浴」、2回。その晩から 150W ヒーターで 28°+ を維持して 24時間。今日 家に帰るとき、あのオイル交換を思い出した。乾いているのがあたりまえのエンジン下面、オイル・パンまわり、そのあたりまえのことが あれほど うれしかったように − どうか、頼むから 「小赤」 くんよ、「白点」 が消えていてくれよ ・・・
ドアを開けて、まず金魚槽を見た。らら? 思った以上に、美しい; つまり 「白点」 がほとんど消えているようだった。ちょっと目には、すっかり健康な金魚になったように見える。

が、よく見ると、わずかに残ってはいる。また、だんだん心配になってくる。それにつれて、数時間の間に やや悪化してきたようにさえ、見える。見ている人間が神経質だから、不安に応じて 症状も悪く見えてくる; いや、本当にそうならいいが、「不安」 から つい薬品を投与したくなる。まてまて。現状で、水槽に累積した薬品量の確認が先だ。過剰投与で、ダンスしながら死んで行った魚を、あれほど何度も見てきたではないか。とりあえず、3匹の 「小赤」、もう一度 薬のお風呂に入れてやることにした。その間に、水槽の累積量を調べればよい。

金魚など、我が家に連れてきたのは、誰だ。


このファイル最後の記事の先頭へ
このファイルの先頭へ
最近の目次
最近数年の記事の総目次

ハングル工房 綾瀬 ホームへ Back