Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20050820-1) この 1ヶ月 − 4才になった子の人類学的?成長

1ヶ月の間に、下の子は4才の誕生日をむかえた。
3才から4才までの間に、人類学的(?)に大きな成長をとげた。3才を境に急にしゃべりはじめたことは去年 書いたはずだが、それ以後の半年、さらに3才後半の半年で − 何に例えたらよいのだろう − いや、例えようもなく 「幼児」 から 「子ども」 への階段を上がってきた。例えば、モスラとゴジラのビデオ: これが 「借りた」 ものなので 「返さなければならない」 ことを、4才は理解する。だから、4才直前だったか、それらのビデオ (もちろん DVD でもよい。ビデオは彼にとって、「CD」 はパソコンで見るビデオ、四角い箱は TV の隣の機械に入れるビデオを意味する。10才のお姉ちゃんには、「DVD」 と VHS の 「テープ」 の区別がつく、というより、その用語を理解する) を 「買ってくれ」 と言い出した。

そんなもの、売っているわけがないと思ったら ・・・ 10才が Web で発見してきた。すごい。ジブリやディズニーが高い、高いと思っていたが、東宝のビデオ/DVD は、1枚あたり¥7,000 の手前になっている。たしかに、レンタル・ビデオ屋に出ている以上、一般家庭向けがあっても不思議はない。しかし この値付けは − 常識を越えている。つまり非常識であって、愛する息子のためであっても、いま我が家にそんなカネはない。

じいちゃん・ばあちゃんが、例によって 「誕生日に何がほしい」 と問うてきた。4才の誕生日には、自分で 「ゴジラ!」 と答えた (3才のときは、親が彼のおもちゃライン・ナップを考慮して 「バス」 をリクエストした)。
じいちゃん・ばあちゃん、あちこち探して歩いたようだ。動くゴジラを探したが ない、という。しかし、動かないまでも、軟質プラスチック、全長 50cm ほどのゴジラが届いた。この子の 「満足した表情」 を、久しぶりに見た。さらにモスラも、メカゴジラもほしいというので探したが、こちらは小さいものしかない。それでも、この3種はそろった; それでも、小さいものは いつもの通り 忘れられる方向にある。食事のテーブルには、50cm のゴジラだけが鎮座する。

飛行機、ロケットへの興味も強い。
先日のシャトル、あれがジャンボの背中に乗ってカリフォルニアからフロリダに帰るニュースの場面で、思い出した − 僕は、そのセットのプラモデルを死蔵していた。ひそかに お姉ちゃんに見せるつもりだったが、4才にも見られてしまった。かくして、秘蔵・死蔵されていたプラモデルは、まずシャトルだけを組み立てた。それにしても、4才の子が 「シャトル」 という単語を知っていることに驚いた。NASA のサイトでかつて見つけた発射シーンの写真も、彼の宝物セットの一部になった。

男の子は 「乗り物」 一般に興味を持つという; それは、僕は単に既成社会のイデオロギーにすぎないと思っていたことも、前から書いてきた。Gender 論の一種でもある。しかし、そんなイデオロギーはどうでもよかった。が、ジャンボ。双発飛行機が出た DVD を見て 「あれ買って!」。シャトルという単語を知っていること。乗り物ではないがゴジラにモスラにメカゴジラ ・・・ そういうものに引かれる (らしい) 点は、まさに僕自身の小学生のころにそっくりだ; まるで、幼いころの、自分自身のクローンを見ているかのような錯覚 ・・・

そしてさらに、「せんとーき」。
「これ、なに?」 というので 「戦闘機だよ」。セントーキは、4才の子にも かっこよいものらしい。しかし − F16 のエアロバ彩色は、彩色以前に組み立て中断後 1年にもなるか。それはもう忘れはじめているころ、シャトル。
戦闘機は、まだ (いや、決して。彼が自分で興味を追わない限り) ゼロ戦など与えたくはない。彼のおもちゃに、まだ戦闘機はない (いや、正確には 「食玩」 の P38 があったか。が、これはエンジンごと もいでしまったぞ)。今のところ、せいぜい、僕が Web を歩いて集めた Saab の Gripen の写真がパソコン上にあるだけだ。これは枚数があるので、紙には 「ベタ焼き」 程度以上には出していない。知っている限りでは、まだ Gripen のプラモデルは、ない。


(20050826-1) 「シャトルを背負ったジャンボ」、プラモデル

シャトルを背負ったジャンボの組み立ては、ある日はエンジン2つだけ、翌日は残り2つだけ、と、「遅々として」 進まなかったが、幸いユーザ(?)は 「タイヤ、いらない」 と言ってくれたので、ようやく 「シャトルを背負った」 姿になった。4才のくせに なかなかうるさくて、シャトルには粘着型のステッカーだったのに、ジャンボのほうは昔ながらの 「水ではがして転写する」 デカールというのがついている。これを貼れとは、まだ機体に主翼が付いただけの時から言っているので、めんどくさいなあ。

ジャンボにシャトルを乗せてみると、乗せたシャトルの位置が意外なほど前方にある − つまり、考えてみれば当たり前なのだが、シャトルはジャンボの重心の真上、つまり主翼の真上に乗っている。なるほど、あまりにも当然のことなのだが、TV (Web) のニュースで見た印象では、シャトルはもっと後方に見えた; これは、キャリヤ (ジャンボ) の大きさに対して 荷 (シャトル) が異常に大きいからであって、荷であるシャトルの尻尾 (エンジン カバー) は、親ジャンボの垂直尾翼から ほんの数メートル手前まである。だから、何気なく見る 「シャトルを乗せたジャンボ」 は、機体 後半部にシャトルを乗せているように見える − 正しくはしかし、親機 (ジャンボ) と子機 (シャトル) の重心位置は、正確にジャンボ主翼の付け根あたりに一致する。

それでも、これだけ大きな、重い荷を乗せると、機体は不安定になる。TV ニュースの映像でも はっきり見えていたが、そのため このジャンボには 水平尾翼の両端に巨大な 補助垂直安定板がある。つまり、このジャンボには、本来の垂直尾翼と、水平尾翼の左右に H 型に、合計3枚の垂直尾翼があることになる。もちろん、シャトル開発その初期に存在した初期モデルの 747 の改造型で、ただ1機しか存在しないはずである。

もう1点、TV 映像でも、この 「シャトルを背負ったジャンボ」 の飛び方には、際立った特徴があった。
レシプロ・エンジン機とジェット機の、離陸時の飛行の 「本質的な差」 をご存知だろうか? レシプロ機は、離陸に全力をあげた後、浮き上がるとしばらく水平飛行に入る; そうしないと、パワーが不足して失速 (墜落) しかねないからだ。ジェットは、そうではない。羽田でも成田でも、現代のジェット旅客機は離陸と同時に急上昇する; それが、例えば伊丹では周辺への騒音対策で必須になっているのは、ご存知の通り。ジェット・エンジンの特性、レシプロの特性の差で、伊丹の騒音対策は 発着便のほとんどがジェットだから可能だったし、ジェットだからこそ その騒音源を 「一刻も早く遠ざける」 ことが要請されていたわけだ。
TV ニュースに出た 「シャトルを背負ったジャンボ」 は、そうではなかった。離陸後、じれったいくらい低空を水平飛行していた − そう、キャリヤのエンジン・パワーに対して、荷であるシャトルが重いのだ。普通なら離陸後ただちに急上昇に入るが、その余裕がない; シャトルを乗せて、その最大パワーまで使い切って離陸したころには、エンジン最大パワーの消費期限 (と、いうのがある。離陸時だけに許される、ある時間を上限として、エンジンが壊れないまでの時間) を越えているようで、重い 「シャトルを背負ったジャンボ」 は一時水平飛行に入っていた。なつかしい、DC-3 か DC-4 の時代のようだ。

で、4才の 「シャトルを背負ったジャンボ」 は、「デカール」 を除けば完成した。この 「デカール」 が問題で、こんなもの、どうせ彼はツメでかりかりと はがしてしまうに決まっているのだが、貼らなきゃ承知しないだろう。
シャトル本体への粘着ステッカーは、まだ無事。が、先端や翼端の黒い線は 単にマジックで黒く塗っただけなので、既に はげチョロになってきた。

プラモデルは、面倒くさい。面倒くさいのを承知で、レアものを見つけるたびに買ってきては死蔵する僕も僕なのだが。そういえば、近所の模型屋がまた閉店するという。閉店セールで、また 10年 秘蔵・死蔵するものが増えるかもしれない。いまも僕の押し入れには、「オリエント急行」 機関車+客車2両のセット、それも買ったのは2度目、というのが隠されている。


(20050831-1) 「遊園地」 内部のカテゴリー

8月の最終日、たまたま僕が休日だったので、下の子 「4才のために」 家族全員で近所の遊園地に行った。時間的、交通手段の上での距離は 東京湾岸のディズニー・ランドと そう変らないのだが、ディズニー・ランドでは おカネがかかって仕方がない。そこで、固有名詞を出すなら 「荒川遊園地」。東京にはこの規模の遊園地は多い − 例えば浅草の 「花屋敷」、それに池袋の、何だっけ? その種のものは多いのだが、あるいは 「公営」 ということになっているのは、この 「荒川」 だけではなかろうか?

一見 「公営」 であることと 「民営」 のちがいは、そう感じられない; ただ、売店のお姉さんの態度が悪いとか、いかにも 「公営」 らしい点はあるのだが、基本的には 「ただの、どこにでもある遊園地」 である。

さて、その遊園地は、固有名詞を出したので説明すると、これは都内にただ1つ残った 「都電」 荒川線、その 「荒川遊園前」 駅にある。ちんちん電車を降りると、駅前に交番、公園が続いて、地下には日本らしい狭い駐車場 (従ってアテにならない)、公園外側の路側には昔ながらの駄菓子屋の類。ちんちん電車の駅から、正確には百数十m先にある。

話題にしたいのは、その 「遊園地」 一般の、内部カテゴリーである; つまり、「遊園地」 とは何か、そこには何があるべきか?:
・まず、東京都電の保存車両の展示、これはこの遊園地の特殊事情。しかし今日は 「平日」 なので客は入れない。
・次に、遊園地と近くの大きな駅を結ぶ公営ミニ・バス。これも 「公営」 の特殊事情だが、今日は 「平日」 なのでバスは遊んでいた (つまり、専用バス便は ない)。
・以下が、「どこにでもある」 遊園地一般のカテゴリー
・まず、水系。人工水源から流して、「園」 周辺に流す水路; しばしばこれは子どものための水遊びの場になり、民間ではプールを用意して集客の目玉にしていることもある。この遊園地では末端に白鳥の池がある。
・次に、100円玉 (2個が多いが) で動く「乗り物」。これを5台もハシゴすると 千円になる。
・遊園地の、本来の乗り物。狭いのでミニミニ・ジェットコースター、空中自転車で園内一周、ミニSL (ただし電動) の引く列車で これも園内一周。
・売店。これがないとアイスも麦茶もオモチャもない。
・動物園ミニ版。ここでは、奈良公園の鹿せんべいはないが、ウシ・サル・シカに与えるエサを売っている。ついでだが、この遊園地では、時間を限って ウサギの仲間、モルモットを抱っこさせてくれたり、ヤギ・ヒツジの背中を撫でたりする場所がある。もう1つ ついでに、さすがに動物関連部分になると、売店のねーちゃん または おばはん の 「悪い」 態度と異なり、シカのエサを何度も買いに来る親子に おじさんが微笑ましい表情で応じてくれた。
この遊園地なら、資金は¥4,000 もあればよかろうと踏んだのだが、帰ってみると、遊園地を出てハンバーガーを食ったのを含めて¥9,000 が消えていた。動物のエサが1回 百円なのだが、10才と4才がそれぞれ 「自分で」 やりたがるので、2人 x 3種 x 2回なら、まあ¥1,200 になるわけである。10才は、シカの檻 (網) の隙間から 小さなシカにエサを投げようとする。4才は、用意されているエサ投入口に転がして、シカやサルがそれを食ったことに満足している。幸か不幸か、ウシさんには長い舌で手を舐められて、まあ よい経験をした。

かくして、夏休みが終わった。「夏休み、最後の日は充実していた」 と お姉ちゃんは言う。が、おねえちゃん、同じ日 夕方の買物では かわいいぬいぐるみ (これがまた、黒ブタさんである) にまいってしまい、これもまた今日の出費になる。夏前に用意した 「90日」 殺虫剤も、今日が取換え日。部屋の蛍光灯も寿命。手持ちの紙のおカネは なくなった。夏は、毎年 こういう負担に苦しむことになる。

韓国のソウルにいたころ、我々 外国人の間で常に言われていたのは、そういう 「遊び場所の欠如」 だった。そのころ、僕に家族はいなかった。現代の韓国には、大型エンタメ施設はある。が、東京のこうした 「ささやかな」 遊園地に類するものがあるかどうか、それが安定して機能しているかどうかは、また別の問題でも、ある。


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