Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20050709-1) 関が原、Star Wars、2つの 『モスラ対ゴジラ』

このところ 関西への出張が続く。先月に1度、次は月末から今月にかけて1度。今週は日曜夜に移動で、月曜夜まで2泊になりそうだ。場所は滋賀、琵琶湖の東。問題は たった1枚の CPU ボードの不調なのだが、たった1枚しかない単品生産品なので、メーカーに突っ返すにしても 「確実に落ちる」 条件を発見しなければならない。それが、大きな現場のアプリケーションでは起こるが、メーカーに突っ返すためのテスト・プログラムでは なかなか 「落ちない」。そのくりかえしになっている。
新幹線で関が原を越えるたびに思うのだが、地上で槍刀剣、せいぜい鉄砲を持った 「軍隊」 の対決が 「天下分け目の戦い」 になるというのが、いつも理解できない。仮に 「1万の軍勢」 を用意したとして、そんな数は 100人 x 100人を整列させれば1万人になる。その程度の 「軍勢」 が田舎でチャンバラ劇をやって 「天下」 が変化する、というのが、どうも僕には、いまひとつ理解できないのだ。

「スター・ウォーズ」 という映画の第3編が話題になっているらしく、初編、第2編を連続して TV でやっていた。話に聞いていた通り、これは SF というより チャンバラ映画で、第1編から チャンバラ劇がクライマックス。ただし 「SF」 風に、刀または剣が、必ず青白く・明るく光っている点が、日本の古典的なチャンバラ劇とちがう。
第2編では、整列してマトリックスをなす ロボットなのか宇宙人なのかの軍隊が出てきて、ふむ、これは関が原の決戦、タテ・ヨコ の 100人のマトリックスなら 「1万の軍勢」 ということになるわけだな。
第3編の 「食玩」 がコンビニに出ていて、これが (子どものブロックおもちゃの) LEGO だった。これの、一応 「宇宙船」 らしき姿をしたのを買って帰ったのだが、あら、LEGO らしくもない、部品が不足する。一方、余計な部品が1個あるので、これはやはりパッケージの誤りだ。LEGO らしくない; LEGO の部品不足、錯誤は、この 40年 はじめての経験だ。もっとも、この 「食玩」 は 本物の LEGO セットの宣伝を兼ねているようで、より大きい、6才から 10才くらいでないと組み立てられないほど複雑な 「同じ」 宇宙船が、6千円だったか7千円だったか。こういう値付けは、ハリポタ第3作の LEGO にもあって、高いのは1万円もする。こんなの、買ってられない。ハーマイオニーの LEGO 人形は数ピース (頭、体、腕と脚、それに杖) しかないが、そのために数千円払うのは ばかばかしいと思ってしまう。それより、過去に買ったセットをどんどんバラして (復元できないくせに)、しかし それらの部品を使って 「ひこーき!」、「うちゅーせん!」 と自慢げに見せに来る3才児のほうが、よほど頼もしい。僕自身、LEGO を はじめて買ったのは高校生か大学生のときだが (こんな舶来おもちゃは、親は知らない、理解しない、買ってはもらえなかった)、3才児がけっこう想像力を発揮して 「ひこーき!」、「うちゅーせん!」 と来るのは、意外だった。

子どもの関係する映画・ビデオでは、10才、5年生のお姉ちゃんのアニメ志向には、もう父親はついて行けない。一方 3才児が、ゴジラ、ゴジラと来る。その中で 『ゴジラ対モスラ』 について、1つ発見をした − 『ゴジラ対モスラ』 の映画は、2つある!

「モスラ」 は どなたもご存知だと思うが、あれは 当時の双子歌手 「ザ・ピーナッツ」 が生きたモスラ操縦器、この二人の 「モスラーヤ、モスラ」 でモスラはやって来る。日本でその幼虫が東京タワーに繭を作り羽化する場面は有名。このとき、ザ・ピーナッツの衣裳は、問題の 「インファント島」 原住民にふさわしい 原始時代のものだった。

「モスラ」 の次の作品は、「モスラ対ゴジラ」 だった。この映画が、TV 録画の VHS が我が家にあった。これは世代が新しく、ザ・ピーナッツは既に登場しない。原始時代の赤い衣裳で、別人 非・双子の 「小美人」 が 「モスラーヤ、モスラ」 を歌う。日本をゴジラから救ったモスラは成獣で、小美人らは成獣モスラに乗って島に帰る。

一方、レンタル・ビデオの店で借りた 「モスラ対ゴジラ」 は − おどろいた、これは、僕が子どものころ映画館でみた それだ。「小美人」 という単語は出て来ない。ザ・ピーナッツが、不思議なことにロシア風、しかし白い帽子を被っている。ゴジラの来襲で、ヒロイン(?)星百合子らがインファント島に飛び、そこで 「原住民」 の酋長以下と交渉、白い帽子のザ・ピーナッツの説明で、モスラは死期をむかえているが、しかし日本に助けに行ってやることになる。一方、モスラの卵は台風で既に名古屋に流れ着いている。
日本に飛んだモスラの、親は死ぬ。ピーナッツは、別のメロディで 「モスラー、モスラー」 と、卵の孵化をうながす; 卵からは2匹の幼虫が生まれ、これが、本来は繭を作る白い糸を放射し、ゴジラを固めてしまう。ゴジラは海岸に落ち、それで終わる。双子のモスラ幼虫は海を泳いで帰るので、ピーナッツの二人もそれに乗って帰ったと想定される。

同じ映画会社の制作で、同じ題名の映画が2つあるのは驚きだった。
なお、子どものころ僕が映画館で見た後者の版では、幼虫が放射する白い糸の、噴射口が幼虫の口の中に見えていた; 幼いなりに、これは映画製作上のミスだな、と思ったのだが、レンタル・ビデオの DVD では それが見えない。おそらく、一般用 録画の配布時点でカットあるいは修正されたのだろう。


(20050714-1) モスラの 「小美人」 修正

「小美人」 という単語に気が付いたのは、第2の 『モスラ対ゴジラ』 だが、この単語は、レンタル・ビデオ屋で初編の 『モスラ』 を借りてみたら、ちゃんと使われていた。

初編の 『モスラ』 では、ザ・ピーナッツの小美人二人は、「世界のどの言語にも属さない、いわば暗号」 で調査隊に語りかける。これを 「世界のどの言語にも属さない、いわば暗号」 だと説明するのは調査隊の一人で、この人物には 「言語」 一般の知識があるという前提である − これは、子どものころ映画館で見た印象と一致する。その後の調査隊と小美人は、日本語でのやりとりに変化する。これは、ジャングルの中で彼女らの 「テレパシー」 能力が明らかになった後なので、映画の表現上 日本語の交換になったとみなして違和感はない。

初編で意外だったのは、2点。
第1点。このザ・ピーナッツの小美人二人を捕獲して日本に持ち帰り、見世物にするのは、ガイジン 「ネルソン」 である点である。いま見直せば そんな記憶もあるような気もするが、改めて見て驚いた。
もう1点は、当時 子どもだった僕が見たザ・ピーナッツの小美人 二人は、案外 偏平な東洋顔で、バタくさくない。あのころ、子どもの僕には (芸名も横文字だし) この二人が西洋風に見えていた。それが、意外なほど、いま見ると 「ただの日本人の顔」 なのだ。まして、捕獲され日本で見世物になる公演では 着物姿に扇の舞まで出て来て − たしかに、これは後の改作ではない、初編当時からこの場面はあったと、記憶が戻ってきたような気がする。おそらく東京オリンピック (1964) 以前の作品なので、ザ・ピーナッツが まだ充分に 「西洋風」 だったことは、不思議ではない。調査隊の隊長が悪者ガイジンのネルソンであることも、ごく自然な設定で違和感がなかったのだろう。

ともあれ、東京タワーにモスラの幼虫が繭を作る場面を、久しぶりに見た。「ゴジラ」 や 「キング・コング」 の初編は僕の出生前、あるいは幼時なので、知らない。「モスラ」 が、僕の怪獣 「体験」 最初のものである。

小学生のとき、夏休みの宿題の 「工作」 に、モスラの幼虫をバルサ材で組み、その中にモーターと電池を組み込んだ。たまたま夏休み後の TV の取材が学校に来て、クラス代表が集められた中に僕もいた。モスラの幼虫はカメラの前でしっかり走ってくれなかったが、それ以来 僕を 「モスラ、モスラ」 と呼んでくれる先生がいたのは、事実だ。

あと2点。
「ザ・ピーナッツ」 で はじまった 「モスラーヤ、モスラ」 の冒頭の 「ヤ」 は、日本語だろう。それ以下の詞も すべて日本語の音素で成り立っている。が、この日本語音素で成り立つ、意味不明しかし想像可能な詞の言葉たちは、インファント島のあるはずのニュー・ギニア周辺の言語と、何かしら関係があるのだろうか? 初編で 「世界のどの言語にも属さない、いわば暗号」 だと説明する調査隊員がいるので、「言語」 知識ないし教養との関係が、一応 気になる。
似たような例では、歌詞も題名も忘れたが、森山加代子(?)という歌手が歌った意味不明のインドネシア語?風の、意味不明の歌がある。これも 1960年代、中期ころで、これについては結局 「でたらめ」 な音の連鎖だったと、TV で歌手が証言しているのを見たことがある。

ところで、なぜ 「小美人」 の配役が変ったか、10才の子どもに説明する必要にせまられた。こう答えた:
− あの双子は、(今では) もう 60くらいの おばあさんなんだぜ。だから、新しい人と交代するしかなかったんだ。
なお、「なつメロ」 安売り CD の並びには必ず 「ザ・ピーナッツ」 があるが、残念ながら、一連の 「モスラ」 の歌の入ったものはない。「映画音楽」 CD はどれも西洋もので、決して邦画 「映画音楽」 CD が出ることはない。考えてみれば不思議な話では、ある。


(20050715-1) モスラの故郷は南洋の島 − 差別語狩りとの関係

間の抜けた話で恐縮。
『モスラ』 初編を DVD で見て、モスラを攻撃する自衛隊機は F-86F、F-86D、それに戦車は戦後の 国産第1号 「61式」(だったか 「64式」 だったか) 以前の、見たところ 「シャーマン戦車」 とその同世代だった。どれも、敗戦後の日本で、朝鮮戦争を機会に発足した 警察予備隊、それが自衛隊に 「発展」 した初期の装備で、映画としては観客になじみのある兵器を出したのだろう。妙に 「なつかしい」 と思わせる。航空自衛隊の エアロバ・チーム 「ブルー・インパルス」 も、かなり長い間 F-86F だったし、東京オリンピック 1964 の開会式上空に 「5輪」 を描いたのも これである。なお、そのころの最新鋭が F-104 で、これが金沢周辺から、当時ソ連からの偵察飛行に対して スクランブル出動していたはずである。
(余談だが、アメリカ映画 "The Right Stuff" の最後に出て来るのは この F-104 である。既にスプートニクとの競争、ガガーリンの弾道飛行後に、ジョン・グレンが 「宇宙蛍」 に遭遇した後、NASA とは別に最後に試みられた 「ロケット・ブースター付き」 F-104 を、かつてのヒーロー、チャック・イェーガーが 「試運転」 で喪失させる場面。この墜落後、脱出したパイロットがカリフォルニアの砂漠に現われる場面は、皮肉なことに 駄作 "The Independence Day" のラスト・シーンと とてもよく似ている)

ところで、本題である。
『モスラ』 初編のその瞬間には、まだ 戦前の漫画 「のらくろ」 や 「ちびくろサンボ」 などが、「差別的」 という理由で排除されてはいなかったような気がする。正確には調べてみないとわからないが、『モスラ』 初編では何のためらいもなく 「原住民」 という単語が使われていること、拉致された 「小美人」 の救出に来た その 「原住民」 らに、調査隊は機関銃を平気で発砲すること、その難を逃れて、原住民の酋長は死に体でモスラの卵に礼拝し、それに日本の 「小美人」 たちの 「モスラーヤ、モスラ」 が呼応して、モスラが孵化、孵化した幼虫は海を渡り、東京タワーで繭を作って羽化し ・・・ という経過をたどる。

「黒人」、「原住民」、「朝鮮」 といった単語が 「差別語」 として排除されはじめたのは、いつごろだったろう。「黒人」 については、カルピスの黒人女性のロゴが消えたのが 80年代か。それ以前、「原住民」 と 「黒人」 の組み合わせが 「ちびくろサンボ」。「のらくろ」 が類似する理由で排除されたのも、最後の砦だったカルピス以前だった − カルピスのロゴだった黒人女の 「何がいけなかったのか」、僕は今でも理解できないままだ。あのロゴの黒人女の印象は、ジブリの 「キリク」 の母親そのものだと、僕は最近 感じているのだけれど。

この他に、「わたしの/ラバさん/酋長の娘」 がある。この詞の貧しさは、議論する必要がない。
一方、「差別的」 な典型として排除された戦前の漫画がもう1つあったような気がするが、何だったかを忘れた。
「差別語」 として忌避される 「朝鮮」 という単語、この現象の愚かしさについては、今は話題にしたいとも思わない。


(20050720-1) モスラ 初編後半

実は、モスラ初編の DVD を借りたはいいが、東京タワーに繭を作るまでしか見ていなかった。4才直前が 「モスラだけ (のビデオ)、見る」 というので、これ幸い、一度は返したものをまた借りてきた。ザ・ピーナッツが出る 初編と、その第2編 『モスラ対ゴジラ』。

で、初編 『モスラ』 は、東京タワーに繭ができたころ、悪役のネルソンは 「小美人」 を抱えてアメリカに逃れる。羽化したモスラはその飛行機を追って、金門橋のように見える USA 西海岸の 「ニュー・カーク」 市を襲うことになるのだが、一方 現地でネルソンは、事情を知る現地人 (アメリカ人) から 「小美人を返せ、さもなければ ニュー・カーク市は崩壊だ」 と迫られる。ここで撃ちあいになり、ネルソンは死ぬ。日本からこれを追った星百合子ら3人は ザ・ピーナッツの 「小美人」 を管理し、現地人に指示、現地の空港らしい広い場所に、モスラを呼び出す巨大な 「モスラ記号」 が、工事車両を動員して描かれる。モスラは着地し、ザ・ピーナッツの 「小美人」 は 「ありがとう、みなさん。モスラが待っています。さようなら」 と去る。

さて、まとめよう。
モスラの故郷は、水爆実験で 「悪魔の火」 を連発された 南海の孤島、無人島と思われていた島である。島の名前は 「インファント島」、映画の画面にも地図が大写しになって、INFANT (ISLAND) とはっきり読める。これは英語なら 「(大人に対する)幼児」 という意味、フランス語なら綴りが enfant、かつて存在した日本の雑誌 「プチ・タンファン petit enfant」 のそれである。
(なお、英語の child(ren) と infant のちがいは、読者の想像力と語学の感覚にまかせる。これは 「子ども」 の年令によるのではないと思う。日本語でも 「娘」 と 「お嬢さん」 の決定的なちがいは何か、「父」 と 「お父さん」 のちがいは何か。これらは何語によらず − 朝鮮語でも − 辞書では非常に識別しにくい。つまり、こういう ちがいは、辞書には ほとんど書いてない。かと思うと、朝鮮語、日本語、英語、どの場合にも 「小美人」 は 、、「小人」、dwarf に属すると思うが、この3つとも、白雪姫の 「小人」 と、「小人が打ち上げた小さなボール」 の小人、つまり成長ホルモンの異常による 「小人」 との区別が、ない。「言語」 には、こういう重大・繊細な使い分けをする単語と、意外なほどラフ (つまり乱暴) に同じ単語が使われる場合とがある)
一方、なぜ USA 側は架空の都市名になったのか、それは知らない。「ニュー・カーク」 という日本語から想像するに、New Kirk にちがいない。辞書を見ると、kirk とはスコットランドの 「教会」 とある。なるほど、New York の York にも、「教会」 くらいのいわく因縁があって不思議ではない。

ところで、第2編の 『モスラ対ゴジラ』 (モスラの双子の幼虫が、本来 繭を作る白い糸でゴジラを固める編) では、ゴジラへの自衛隊攻撃部隊が、戦車はすべて 61式になっていた。爆撃機がやや古いが、ジェット機はすべて F-86F になっている。なるほど。海上のモスラやゴジラに爆雷を投下する一連の作でも、爆撃機だけは異常に古いが、ま、これ以上 詮索する気もない。このあたりで、「モスラ」 の詮索は終りにしよう。第2編、ゴジラに金属網をかぶせる空挺ヘリコプター部隊は V-107 で、これも当時の最新鋭である。

夜 10時。父親が帰ってきて喜ぶ 10才の女の子と 4才直前の男の子。それ自体はうれしい。
4才直前が、なんとまあ、ゴジラの歩き方をマネしている。で、「しっぽで ぶわんぶわん、しないのか?」 と言ってみたが、そういう細部には興味がない。まあ、よかろう。4才直前、普通なら幼稚園に行っている時期なので、既に infant とは言い切れない知能を持つ。しかしあくまで4才前、自分の興味以外には何もない; 盆踊りの夜店でも、高いトラクター兼ブルドーザー兼ロードローラーを買わされた。
問題は、父親の帰りが遅いので、子どもらが いつまでも起きていることかもしれない。


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