Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20050508-1) 連休日誌 (1) − 子どものメガネ

連休前の5年生が 「ついに =3 」学校から警告書を持って帰った。視力、0.3 はクリアするが 0.7 をクリアできない、故に医師と相談せよと。なんともアバウトな計測だが、来るべきものがやってきた。予想したこと、いつか その時がやってくると わかっていること、と、その現実に直面した時とは、別である。僕が はじめてメガネをかけたのは、3年生のときだった。

可及的すみやかに、連休前の土曜日、混みあう眼科。
学校では 0.3 をクリアしたというが、おいおい、左右 0.1+、0.2 しかない。学校では、思い切り 目を細めていたのだろう。仮性近視か恒久的な近視か、筋弛緩剤?のような薬品を入れて 30分、医者は 「これは一時的なものではありません。本物の近視です」、だから 「視力回復センター」 の類に行ってもムダ、次回にメガネの処方をするから、と のたもうた。「次回に」 というのは、その日は 既に この検査の薬品が入っているので、矯正の処方など できないからである。
1週間が、当人より父親にとって長かった。

連休最後の土曜、2種の処方を、それぞれ 15分程度 試してみる。「初めてのメガネ」 でフル矯正するより、1.0 程度までで 最初のメガネを作ることにした。その足で、メガネ屋。

メガネは、顔の印象を一変させる。僕自身、銀灰色の近距離用と、金めっきの遠距離用と、まったく同じフレームでありながら 「暗い・明るい」 顔になるそうだ。事実、それを見て うちのかあちゃんは、金のフレームを選んだことがある。
店のおばさん。それなら 「明るい色」 というわけで、「赤い」 というのを 子どもに勧める; 当人、気に入る。女の子だしな。僕の目には この 「赤」 が、遠目には 黒く見えるのだが、それも 本人の気に入ったものを選ぶしかない。
本人に言わせると、「このへんが ピンクだとよかったんだけど」。勝手にしろ。

お父さんは、レンズ下半分はフレームなしの、限りなく 「透明」 なメガネを買ってやりたかったんだぜ − でも、子どもの持ち物として、それでは強度が不足する。
レンズは (今では) 「子ども用は ほとんどプラスチック」 というので、それに従った。ただし、ガラスより 少しも安くない。さらに、高屈折率 (これでレンズの厚さ、従って重さが決まる)、非球面 (視野周囲の歪みに差が出る)、その上に、プラスチックらしい 「キズがつきにくい」 項目など、ガラス以上のバリエーションがある。これらを選択すると、かなりの値段がする。
フレームは、ツルに形状記憶合金を使ったもの。これは、かなりの歪み圧力に耐える。踏んでも蹴っても壊れないのが理想。すくなくとも、廊下で人とハチあわせ、床に転がって壊れることはない (小学校のとき、僕は実際にそれをやった。ハチあわせした相手が、「あはは、メガネが割れた!」 と笑った。今でも、やつを許せないね)。

かくして、子どものメガネ、かつて僕が買ったので付いて来た 「割引」 を使っても、¥30,030。
まあ、近視は広い意味での障害であり、そのために おカネをケチってはいけない。へたなゲーム機に数万円も払うより、お父さんと同じ値段のメガネで、いいじゃないか。DVD は当分 買えないけど、TV 録画用 HDD くらいは、そのうち交換してやるからさ。

メガネは、外したら ツルはたたまず、倒立させて置くのが正常・安全であること、友達に決してレンズを汚させてはいけないこと、いよいよ汚れたら、液体洗剤で洗うこと、を教えた。

メガネの女の子は、「生意気」 である。「ざあますメガネ」 という言葉もあるし。
いずれにしても、もう 「幼児」 の片鱗を失いつつある時期である。


(20050514-1) 連休日誌 (2) − は終り

(1) と書いたときは、連載になるつもりだった。が、考えてみると、連休最初の土曜は 上の子の眼科、最後の土曜もその眼科で、連休 中抜けの平日が2回、その最初の平日月曜には僕がカゼの兆候、5/3, 5/4 の二日はそれで寝て暮らし、5/5 には限界で 休日診療所、平日金曜には一応 「仕事」 に行って、土曜の眼科に至ったのだから、「連休」 らしいことは何も できなかった。

唯一、最初の土曜の翌日、じいちゃん・ばあちゃんを訪ねたけれど、これも決して楽しくはない、つまり じいちゃんたちの最近の様子を観察に行ったのであって、じいちゃんたちが 10才、3才の孫たちと楽しく遊べるトシではなくなってきた。10才の孫娘と風呂に入った ばあちゃんは、「これが最後になるかもしれないね」 などと言い出す、それが決して 冗談とばかり言い切れない、その程度の高齢になってきた ということである。

むしろ 「連休」 以前、ようやく春になって来たので 3才を連れて 水上バス 999 もどきに乗ったこと、お台場近くの大型観覧車に乗ったこと、その前には成田の飛行機見物に行ったこと、それから、「連休」 中に いつもの外出で、今度は上の子が金魚すくいをやったこと − その程度の 「連休」 だったから、この 「連休」 がこの子たちの思い出になることは、まあ ない。我が家の歴史は、あまりカレンダーに関係がなくなってきた。


(20050515-1) 連休後日誌 − 3才に 100V テーブル・タップ

金魚の話を書くと長くなるのでやめるが、ここ数週間で、次に 「病気」 の個体が出たときの隔離のために、別電源、別水槽を用意する準備をした。つまり、隔離する先にも酸素供給は必要だから 「ぶくぶく」 が必要。経験的に1台の空気ポンプでは能力が不足するし、水槽を1ヶ所に2つ置く空間もない。水槽1個あたりの電源は − 驚くなかれ、30cm 水槽に対して (1) ぶくぶく、(2) 吸上げフィルター、(3) 照明、(4) 少し前まで水中ヒーターの 4種が必要で、(4) を削るまでタップの数が既に不足していた。「隔離」 水槽にも、少なくとも1個ないし2個の電源は必要になる。100円ショップで、3分岐 小さなテーブル・タップ型を発見、買ってあった。

どうせ使いたくないもの、100円もので、机の周辺に放置してあった。これを発見したのは、3才。これ、なに、どう使うのだと きた。100V 電源の根元 (コンセント オス側) を、3分岐の先 (コンセント メス側) に差してみせる。ふむ、これは永久機関だな。(100V を取る; それを3分岐した先に再度 供給する; これで 100V 供給先 2個。100V を受取り、それを自分自身に供給することで、第1種永久機関となる。深遠な理論である)

しかし、永久機関は動かない。見つけるたびに 抜き差し したがるので、机とパソコン回りのタコ足配線の一部を つないでみせた。ふむ、100円だが電気は通るらしい。
そこで3才に、はじめての 「電気」 体験。電気スタンドのコンセントを、タップ経由にしてみる。抜けば、電灯は消える。差せば、点く。なんともまあ、うれしそうな顔をする。「いいか、そこ、そこのところ、絶対にさわっちゃだめだぞ」 と、金属部分に触れるなと教えた。
でも、どうせ いずれ、みずから 「感電」 体験をしてみるにちがいない。僕自身が そうだった。10才のお姉ちゃんも、僕の知らないところで 一度や二度は 実験しているかもしれない。大丈夫。充分に教えたので、「実験」 も おそるおそる、瞬間的に触れてみるだろう。僕がそうだったから。人体、その子どもの電気抵抗は低いはずなので、感電経験も 子どものうちに しておいたほうがよい。

もちろん、3才の彼には、朝鮮文学研究など志してもらいたくない。むしろ、どこかの誰かさんのように、「小学校3年生で 8ビット・マイコンの アセンブラ、機械語をいじっていた」 みたいになってくれたほうが、彼の将来のためにも有効ではないか。

余談だが、いろんな工場の中にある制御コンピュータ。これも接地 (アース) をおろそかにすると、背後の電気系から 24V くらいが漏れてきて、びりびりすることがある。職場で、実は しょっちゅう経験することだ。最終製品が顧客側に納品され、それがさらに末端ユーザに納品された後にトラブルを起こすケースの半数は接地の不良で、中には現場の工事業者が手抜きまたは初心者で、壁の接地線 (パソコン電源ケーブルの3本足のコンセント、その第3の線) が、実は 「接地」 されていなかったという例がある。

僕自身、24時間稼動の2台のパソコンと、ASDL モデム、ルーター、IDSN 交換機、これらだけは、幸いエアコンの電源に接地線が来ているので、そこにつないである − もっとも、このエアコン電源の接地そのものがウソなら、救いようがない。ただ、ADSL モデムが故障した去年の台風のとき、他は無事だった。故障したモデムは 既に NTT 側が障害を認識しているものだったので、おそらく このマンションのエアコン接地線は 正しく接地されているのだろうと思う。

というわけで、連休 翌週の週末の、一風景。


(20050516-1) 連休後日誌のおまけ − お姉ちゃんは感電体験済み

3才は 今日も 100V テーブル・タップで遊びたがる。それを見ていた お姉ちゃん、意外な告白。
台所の照明に付いているサービス・コンセントを、母親は節電のつもり (らしい) で抜いてしまうことが多かった。それが、最近は抜かないままになっているのには気がついていたのだが − なるほど、お姉ちゃんが、そこにコンセントを差そうとして、ビリッと 感電したのだそうな。「痛かった!」 と、お姉ちゃんは言う。ふむふむ、しっかり 経験するべきものを経験しつつある。

アメリカは、公式に 110V、香港・台湾は 220V だったか、韓国でも 200V 化が はじまったのが 10年ほど前だったか。200V にもなるとさすがに危険なので、そのコンセントは だいたい指が金属部分に 「絶対に触れない」 形状になっている。ヨーロッパも 220V だったか 230V だったかが主流で、一般にヨーロッパ系のコンセントは 大きい。そのせいか、あまり危険でない (せいぜい 60V) の電話のコネクタも、やたらに でかい場合が多い。旅行先でモデムを使うつもりで その手の変換コネクタを探すと、やたらにでかいのが多いのは、ヨーロッパ系の電源の電圧が高いので その影響で 電話もでかいのだろうと思う。


(20050517-1) 日記 − 3才9ヶ月の言語状況

3才のくせに、なかなか寝ない。一昨夜からまた、眠ろうとしないので深夜に DVD を見せて、疲れて眠るのを待つ。昨夜は "The Independence Day" 「うちゅーせん」。UFO 母機に ウィルスを送り込む場面では、画面に "Uploading Virus" というダイアログが出ている。ん? なるほど、これは Mac の英文 Chicago フォントそのものだね。
24時、また 「おなか すいた」 と言い出すのは、半年前には考えられない発話だった。

翌朝、彼は起きない。今朝は ついに9時には起きず、保育園も休みに。
昨夜 「おなか すいた」 で自分の分は たいらげて寝たが、起き出してみると、父親が食い残したカップ・ラーメンがある:
なんだ、これ、おとーさんの らーめんじゃ ないかよ!
なんで こんなところにあるんだよ!
電話で、姉に報告したら、「長い文をしゃべるんだねえ」 という。なるほど、長い。長いのもさることながら、構文が成立していること − 「おなか すいた」 は自己表現を手に入れたことを意味するが、しかし あくまで1人称だったのに対して、これは3人称文と、そのまた疑問文である。3人称文 (3人称の主語は 「これ」 = ラーメン) は、自我と他者との分離を意味する。だから、自我の範囲外で何かが起こって そこにある; そこで 下段の、やはり3人称疑問文になる。ずいぶん複雑な論理をしゃべるようになった。
余談だが、この段階で 既に 「いる」 と 「ある」 が使い分けられている。日本語のネイティブ・スピーカーとしての、内部論理を手に入れてきた証拠でもある。

2才くらいまで、この子は本当に言葉をしゃべるのだろうかと、心配した。それが、こうだ。俗に 「男の子は言葉が遅い」。そのせりふは姉も知っているので、その点では彼女と僕の認識は一致する。ご参考までに、僕の二人の姉には 合計5人の娘がいるが、男の子がいない。「息子」 を持ったのは、姉弟 3人の中で僕だけである。その男の子が、3才の誕生日ころを境に、これほど急速に言語的成長をとげるとは思わなかった。もう、これは大丈夫だ。

残るのは、この父と母の 「家庭」 で、どこまで正常な発達を続けることができるか。
お姉ちゃん 10才、もう、外出しても手を取る必要がなくなったし、手を取ろうとすると、むしろ拒否してくる。手を取るのが うっとおしいようだ。ほぼすべての指示を 言葉で与えることができ、言葉によって 彼女自身が 指示を確認できなければ 行動に反映しないようになってきた。人 (例えば父親) との信頼関係も、やはり 「言葉」 によって・のみ 確認できる ようである。それは、父親の期待に、確実に答えるものだ。
3才、この子には まだ 「すりよって行く」 相手が必要だ。デパートの中でも、手を取ってやると安心してついて来る。4才の手前は、そういう段階なのだろう。3才のころのお姉ちゃんも、幼稚園で (担任の先生をさしおいて) 園長先生の手をつかんでいたものだ。


(20050519-1) 「子猫」 に里親はみつかるが、「大猫」 にはむずかしい

ごくごく身近なところで、こういう問題が出ている。職場でも 話題にしてみたが、やはり これは 飼主の 「身勝手な」 都合としか聞こえないらしい。簡単に要約すると、次のようになる。
二人の娘を育てた母親。二人めの娘が嫁ぐ先の夫は、はじめから 妻の母親と同居のつもりだったという。娘も言う: 「お母さんを一人で放っておけない」 と。
同居先は横浜、アパートは会社の社宅。ペット禁止。
娘らは既に新居に移動しているが、母親は5月末まで 田舎のアパートの整理に残る。
その5月後半、電話で聞いてみると − ネコの処置が決まらず、移動するに移動できないでいるという。
親戚にも聞いた: 犬は飼っているが、家人にネコが嫌いな人がいるという。まず候補 脱落。
ペット・ホテル。これは、飼主の見積りが甘い。田舎のアパート月5万、そっちのほうが よほど安い。じゃ、この子 (ネコ) のために ここに残るか? しかしアパートは今月で退去すると通告してある。
何でいまさら。だいたい、その子 (ネコ) を拾ってきたのは誰なのだ − 嫁いだ下の娘。じゃ、そいつに責任 取らせて、連れてっちゃえ。しかし嫁いだ矢先、夫の転勤先の社宅に入る早々、「そりゃ ヤバイよ」。
「遺棄」 とも言いがたいが、近所に住む 上の娘夫妻のアパートに、1晩 置いてみたそうだ。終夜 騒ぎ・鳴きつづけて、ネをあげた長女は 翌朝早々に返しに来たそうだ。

彼女たちの認識でも、「犬は人につく」 が、「ネコは家につく」 のだという。その言い方は僕も知ってはいる。が、僕自身の体験でも 友人の話でも、冬の寒い中で ノラ猫を抱き上げて、あんまり かわいそうなのでアパートに連れて行ったことがある。ネコは、一息ついた後、安心して眠るかと思うと、「身を すりよせて来る」。つまり ネコの ネコ的性格とは、依存する相手を求める、人間の幼児と同じ 「身をすり寄せる」 先を求めているらしい。「主人の膝」 を争うネコ同士の争いは、あれは 「主人の愛情」 を争っているのではない、「主人の膝」 という縄張りを争っているのだという。つまり、「これは俺が身を すり寄せる先」 という縄張り、権利意識の争いである。

娘の結婚した相手は、技術屋。ただし電気系ではない化学系。パソコンは高度な使い方をするだろうが、パソコン自身のセットアップなどには うといだろう。新居には まだ パソコンもない。電話も FAX も、母親が田舎のアパートを たたんで持ってくる機械を使う予定なので、今は携帯電話だけ。
仕方がない。僕がインターネット上でいくつか検索をかけて、関東一円の 「動物愛護団体」 だの、「猫の里親 求めます」 支援団体などの情報を探す。その一部を紙に出して、彼女らに郵政省 紙のメール速達で送る。「娘」 も、かつて その子 (ネコ) を拾ってきた責任を感じているのか、とにかく情報を見たいという。

しかし、生まれたばかりの子猫ならともかく、数年も飼った 「大猫」 である。実は その田舎のアパートでさえ 本当はペット禁止で、ひそかに飼っていたらしい; 幸か不幸か ネコは (オスのくせに) 出無精で、ひたすら 「室内飼い」 されてきた。その点では 「幸」 に属し、「里親」 は探しやすい、しかし 「子猫」 ではない既に 「大猫」 になってしまった点は 「不幸」 に属し、そんな でかいネコ、「里親」 が出るわけ なさそうである。

というような話題は、圧縮して 「飼えなくなったネコ、誰か引き取ってくれ」 と要約できる。職場で話題にしてみて、圧倒的な反応は、「そんな身勝手な要求」 だった。中には、自宅の前にネコが何匹も捨てられて 「ネコ御殿」 になっている家がある、というのもあった。が、この彼も言う、その場所は教えないと。御殿の主と少しでもつきあいがあれば、捨てられたネコを善意で飼ってしまうことの 金銭的負担など、理解しているからだ。

僕自身のアパートも、ペット禁止になっている。念のため 契約書を読んでみると、家主の承諾なく動物 − 魚類・小鳥・愛玩用を除く − を飼ってはならない、と ある。「愛玩」 用の動物とは、たとえばハムスターの類である。では 「承諾」 を取ればよいのだが、僕自身がその家主であれば、1軒にそれを許せば、あとは際限がない; だから 断固 断るだろう − いや、僕なら、自分の所有物であるマンション数軒でもあれば、ヘビでもワニでも象でもトラでも 自由にどうぞ、とやるところだが、しかし それは 「僕なら」 そうなのであって、現実の家主は別人である。ただ、もうこのアパートに 10年+。多少の交渉の余地はあるとしても ・・・ しかし あまり希望は ない。


(20050521-1) つい、200G HDD を発注してしまった

子どもの TV 録画をパソコン Video-CD レベルに設定し、それ以来 VHS への録画がなくなったのは、2002年である。この機械、当初 「静音」 を目標に、かつ放熱に気を使ったが、この春には電源が死んで 流行の 「外付け電源」 化したものである。電源外付けに なってから、結果的に 「パソコン本体 + 電源」 という二重の騒音源になっている。が、パソコン自身は、電源が空になったので、その分 放熱は楽になった。この機械が、4度めの夏を迎えることになる。

TV 録画 「Video-CD レベル」 とは、1時間あたり 640MB 程度、ということである (1時間の 音楽 CD、それをそのまま データ記録に使うのが CD-ROM、それに 1時間分の映画が入るのが Video-CD である)。これで 10時間録画すると 6.4G、100時間 録画すると 64G ということになる。この 「100時間」 というのは、毎日 1時間録画すれば 100日、毎日 30分なら 200日 もつ、という意味である。

さて、去年の春、子どもの録画のために、120GB HDD を用意した。これを2つのパーティションに割り、それぞれ 60GB。前半を去年前半、後半を去年後半の録画用に使わせる予定だった。前半で様子を見、後半では 「調子に乗って」 録画しすぎないよう、不要な録画は消すように 「指導」 していた; その効果が けっこうあって、この後半 60GB は、まだ数 GB の余裕がある。一部を 前のパーティションに移動させて整理すると、まだ 10時間ほどの余裕ができた。去年の秋以来だから、よく持った。が、そろそろ限界。

多少 「整理して」、その結果 「あと、30分ものなら何回」 と改めて宣告(?) したのが逆効果だったようで、どんどん録画するようになった。残 4GB くらいになると、さすがに心配になってきた。
今日それを話題にしているうちに、あらら、つい、HDD 200GB を発注するハメになってしまった。1万円+ 500円くらい。

HDD 「増設」 は物理的に不可能なので、新しい HDD は 一時 僕の機械に乗せ、初期化し、そこに 彼女の既存の録画をコピーすることにする。その後に、録画機の HDD を これにすげかえる。旧 120G、新 200G なので、80GB ほどの余裕ができる。これで、今年いっぱい使わせておくか。

録画機は、本来は 僕の Fax 送受信機であり、かあちゃんのメール機であり、DVD 鑑賞機でもある。既に売っていない・サポートも終了した ISDN Fax ソフトは、まだ動く。かあちゃんのメールは、ここしばらく あまり使われていない。DVD は、最近は3才児が 「ひこーき、うちゅーせん、くるま」 etc. で、DVD の板を べたべたにしつつ 使っている。香港製 海賊版 Video-CD、DVD の 「キャンディ・キャンディ」 や ジブリの フル・セットが かかるのも、この機械である。

Pent-IV, 1.6GHz, 256MB − この程度の機械で4年、充分に実用に耐えているとは言える。唯一、USB が旧版で遅い。だから、CD-ROM への書き込みは 当初 IEEE-1394(?) だったかを使っていたが、CD-ROM への保存自体が面倒になってやめた。むしろ必要なのは (外部に掃き出して保存するなら) DVD-R なのだが、これも規格の不安定、従って高いので、買わずじまい。ただし今なら、1万円未満で 「DVD に書く」 だけのドライブは買える。ただ、そのくらいの おカネが惜しいこと、いずれ USB は遅い、IEEE-1394? のドライブは高い、などの理由で放置してきた。で、結局 HDD 買い替えになるのだが ・・・ よしあしですな。HDD なら、子どもは、いつでも去年、一昨年の録画を見れる。しかし、これを何年分 ためこんだら それを卒業するのだろう。お姉ちゃんがそれを卒業するころには、今度は下の子が同じことを はじめるにちがいない (当然、過渡期にはチャンネル争いも起こる)。最終的には、彼らの 「子どものころの録画 専用サーバ」 を (家庭内に) 用意するしかなかろうと思う。

ただし、それまで僕がパソコンを維持できれば、なのだけれど。それに、「サーバ」 を用意しても その HDD の磁気記録自身は5年程度で劣化をはじめることが わかっているので、いずれ 「コケがつかない」 よう 数年に1度はハードウェアを更新せざるを得ない点、それはもう、救いがたいことでもある。デジタル記録の致命的な欠陥は、「劣化が はじまったら最後、壊れるにまかせるしかない」 点にある。アナログでは、劣化したテープは劣化したなりに読む (聞き、見る) ことができるのだが、デジタルでは 壊れはじめたら最後、どうしようもない。Rolling Stones という名前のロック・グループは、あるいはそういう 「未来のデジタル記録の欠陥」 を予言していたのかもしれない。
注記: Rolling Stones というグループの名前は、「転がる石にコケはつかない」 という英語のことわざに由来する。彼らは 「いつまでも古くならない」 グループであると、言っていたわけである。

(20050528-1) 日記 − 200G HDD

10才、5年生のための録画用 HDD は、土曜の受注確認メールには 「2〜3日」 で発送と書かれていたが、日曜には 「発送しました」、月曜 朝には届いてしまった − これも困りもので、クーリング・オフまでの時間を片目で、交換作業の時間とチャンスを片目でにらんでいたのに、予定が狂ってしまう。
月曜の夜、まあ パーティションを割り フォーマットするだけ、後は既存のデータをコピーするだけだからと、深夜2時に作業をはじめた; これが甘くて、200GB のフォーマットに要する時間が予想外だった。さらに既存データのコピー。作業が終わってみると、朝6時になっていた。

その夕方、携帯に電話が来た: 「もう録画できる?」、「できるよ」。
再度 電話が来て: 「録画できなーい!」
そうだった。再生できる確認まではしたが、TV チューナーから録画するところまでは やっていない。実は、ドライブ交換の都合で、ドライブ名が変っている。TV ソフトは、録画先のドライブがないので、起動されるたびに (受信中 再プレイのための) 録画できない! と文句を言ってくる。もちろん、ユーザの意図する録画も 同様である。
そのまま電話で 30分、10才を相手にリモート・コントロールで修復にかかる。動いた。とにかく録画できているようだ。
また電話がきた: 「録画したの、どこにあるのかわかんなーい!」

帰って調べてみると、
電話でのリモート・コントロールは、必ずしも うまく行っていなかった。が、その中でただ1つだけ、「すべてを初期設定に戻す」 を指示していた。それで − 録画は、驚いたことに C:\Documents and Settings\mizunos\ナントカカントカ に発見された、ふうむ、ほい、アホ。

その翌日には、古い録画が正しく再生できない − 画面がもごもご、とびとび、音が出なかったりする −、と電話が来た。「今日 録画したのはどうだ」 − さっきまでうまく再生できたのに、今は だめ。ふむ、懸念した初期不良、あるいはコネクタの差込不良か。
「再起動してもいい?」 と言うので、「いいよ」 と答えた。
正常化したそうだ。
ったく、もう、Windows のあほ、ばか、くそったれ。


(20050528-2) 日記 − 子ども、または 男の子は なぜ おもちゃを壊すか

一面では、これは欲求不満の表示である可能性がある。
つまり、家族から しかるべき愛情を摂取できないとき、あるいは家族との間に何らかの軋轢 (あつれき) があるような場合、僕自身の経験から類推しても、破壊衝動は手持ちのおもちゃ類に向かった可能性がある; もちろん、その軋轢が 「家族」 との関係に限らず、それ以外である場合も 考えられる。

が、ただ それだけで説明できるようにも思えない。
例えば、理由はともかく (男の子が 車・飛行機・電車・ロケットに興味を持つ、という傾向は、実は親のイデオロギーによるものであるかどうかは、ともかくとして)、我が家の3才児は とにかくコンビニでもファミレスでも、見つけたところで 「くるま」(自動車) をほしがるのだが、その買った車は、まず例外なく ゴム・タイヤを むき取られる運命にある。買った当初は あれほど喜んでいたのに − と思うほど − その車は、ごく近い将来には タイヤなしの リム (車屋さんのいう ホイール) だけになる。いま現在、彼の所有にかかる 自動車の類は 少なくとも 30台を下らないと思われるが、「構造的に外すことができない」 ものを除いて、すべてゴム・タイヤが消えている。「構造的に外すことができない」 ものとは、「ホイール」 を外さなければ タイヤだけは外せないもの、外見上のタイヤは 「ホイール」 と一体で、ゴム・タイヤは プラスチックのタイヤ部に輪ゴム状に埋め込んであるもの (例えばプラレールの駆動輪が そうである。本気の鉄道模型でも、ヨーロッパ製品の多くは駆動輪に この 「ゴム・タイヤ」 が はめてある) である。
ともかく、彼の 「くるま」 は、かならず ゴム・タイヤを 剥かれる運命にある。この、偏執的なまでの行動は、いったい何だろう。つい先日も、佐川急便のトラックが気に入って遊んでいたのだが、気に入った余りなのかどうか、あちこち 外れる (背後のドア、運転台をはねあげてエンジンが見える、など) ことがわかると、ついに前輪はタイヤだけでなく 車軸ごと取り去ってしまった。ここまで来ると 彼の心理状態を問題にしたくなるが、事実それは 熱が出て保育園にも行けず、自宅に幽閉状態になった期間中のことである。

今日、去年のサンタさんの贈り物だと思われるが、全長 7cm (印象は 「5cm くらい」、しかし計測すると 7cm ある) の 747 と 777 のセット、それぞれ フリクションで走るのだが、747 のタイヤが回らないのに気が付いた。777 は無事なので、これは 747 の内部メカニズムの故障だと考えた。ネジ回しで 開けてみる。あら? 開けてみると、気持よく回転する。よく見ると、車輪の軸自身が曲がり、かつ 押し込んであるだけの車輪が 強く押し込まれすぎて、周囲と接触しているだけだった。軸の曲がりを直すのは難しいが、とりあえず車輪の押し込み位置を調節すれば、復旧できる。適切な押し込み位置を決め、瞬間接着剤を少量 流す。これで修理 OK。(有能な父親は、いつもネジ回しと接着剤くらい用意しているのである)
この飛行機の車輪は、プラスチック一体 の「ホイール」 とタイヤ、そのタイヤ部の溝にゴム・タイヤがはめてあるので、タイヤは無事である。

しかし、なぜ 例外なくタイヤを剥いてしまうのだろうか?
一面、「科学する心」 の萌芽期現象、わかりやすく言うと単に好奇心だと考えておくか。1台のタイヤは 剥けた。だから、次の1台も剥けるにちがいない。ある意味、中毒症状的に そんなことを くりかえしているのかもしれない。

4才手前の3才。今は そういう時期なのだろう。早く4才か5才くらいになって、もう少し知能を発揮してもらいたい。もっとも、3才の今でも 「ぶーぶー」 という表現は既に消え、「くるま」 と言う。従って車輪は 「たいや」 である。「くるま」 という単語が 「自動車」 と 「車輪」 の2重の意味を持っていることを理解するのは、いつごろだろう。これは、日本語の 「首」 と 「頭 (あたま)」 が同じものを指す場合がある (「仇の首を取る」) のと、理解の時期が異なるのかどうか − 観察してみないとわからないが。


(20050528-3) 日記 − おねえちゃんの自転車と そのタイヤ

10才、5年生の行動範囲は、1年生のとき買った 2台めの自転車で大きく広がった。歩いても 30分、近所に引っ越したが 東京なので転校していった同級生 (都内では辺境と言える足立区、隣は埼玉県。しかしそれでも、自転車で回れる範囲には小学校が6ヶ所くらいある。これは僕の育った田舎では考えられないことだ。田舎で僕の通った小学校は、歩いて 30分以上、従って集団登下校が行なわれていた。中学に至っては ここ 20年の間に統合再編があって、人口2万人台の町に1校になった。こうなると 歩いて通える生徒などいくらもいない。いま現在 僕の近所には、歩いて 10分前後の範囲に中学校が少なくとも3校ある) たちと、自転車で歩き回っている。

この 10才のおねえちゃんは、幼いときの三輪車、次には補助輪付きの 12インチ自転車、その補助輪を外したのは幼稚園の後期。1年生のとき 20インチに買い換えた。この 20インチ、近所の DIY 店の店頭で、1万円したかどうか。現在が5年生なので、既に4年を経過した。そろそろ買い換えの時期だが、当人が頑強にそれを拒否している。

今年の正月休みに、それがパンクした。空気を入れても入れても、1時間後には ぺしゃんこになる。正月4日、開いている自転車屋で修理した。今度もまた空気抜け。自転車用のポンプでは空気が入らない; 車のポンプで強引に空気を入れてみたら、入った。いわゆる 「虫ゴム」 が 固く張り付いて、自転車用の人力ポンプでは圧力が不足したのだ。
正月のパンクでは気が付かなかったが、今度のそれで気が付いた: なんだ、タイヤ、つるつるではないか。「水溜りなんかで つるーんとすべるぜ」。この現象に、当人は ずっと前から気が付いていたという。

結論的に、タイヤ+チューブを 前後輪とも取り替え。しめて ¥8,500。やっぱりだ、なあ。自転車ごと買い換えたらいいのに。変速機付き自転車の操作やそのメンテなども教えたかったのだが。しかし、この子も父親の子、「買い替え」 拒否している以上、どうしようもない。ま、「幼児」 から 「子ども」 への過渡期を みずから確認してきた自転車だ。

次の機会は、サドルを 「これ以上 上げると危険 (サドル脱落の危険、すっぽ抜ける)」 になったときだろう。既に 20インチのフレームで、その限界を意識する必要がある段階ではある。


(20050528-4) 日記 − 黒い出目金!

これも、僕自身の子どものころ、ついに手に入らなかったものの1つだ。金魚の1種、黒いデメキン。子どものころ、母が水を換えていた。でも、金魚はいつも、すぐ死んで行った。それに、金魚すくいで上手に取るならともかく、黒いデメキンなど とんでもない値段がするものだと思っていたし、事実 そうだったにちがいない。

が、現代。黒のデメキン、なんと1匹 ¥210 である。¥2,100 ではない
ちょうど、不思議なことに、僕の (我が家の) 金魚水槽が、2晩 放置した後 「驚くべき水の透明度」 を示していた。春になり、白熱灯のせいか水温が上がりすぎるので、照明の交換も考えた。金魚用と称するのは高いので、人間用のインバータ型 蛍光灯を調べたが、かえって高い。この際、金魚用が安い。¥2,400。
今日はめずらしく、金魚/水槽用 消耗品を買いに出たとき 一人だった (いつもは子どもらがついて来る)。インバータ蛍光灯 ¥2,400、それに対して 黒い出目金 ¥210。水槽が小さいので、一番 小さい個体の中から1匹 買ってきた。

去年の 10月以来、金魚の 「病気」 に悩まされてきた。ようやく、ある周期で ある薬品の処方?をくりかえすことで、金魚たちは ある程度 安定して生き続けてくれる 「メソッド」 または 「レシピ」 が安定してきたところだ。「病気」 または カビとも、適当な妥協点で、金魚たちは生きている。
その微妙な妥協点を得たところで、黒い出目金を追加するのは、多少は ためらいがあった。品種が異なる以上、何が起こるかわからない。

案の定、黒は 水槽に入れた数時間後、早くも白斑を示した。危険な兆候。が、新しい個体を追加するたびに、これは起こったことだ。とりあえず水 半量を入れ替え、やや強めに薬品投入してみた。今夜のところは、これでよい。金魚たちの様子で あまり神経症的になりたくないので、今後もあまりレポートしたくないとは思っているが。

水温は 29°を示している。白熱灯の下では 30°だった。ほとんど熱帯魚なみだが、これは結局 ごみフィルターに水を吸上げる水中モーターの発熱だと思われる。


(20050529-1) 日記 − 黒い出目金は白内障か?

書きたくないと言いつつ また書こうとしているのは、神経質になっている証拠だ。

我が家に連れてきた黒いデメキンに 白斑が生じ、薬品を追加したら 白斑は消えたような気がしたのが、昨日。その後は、観察するのも おそろしい。しかし、小さな白斑が見えると同時に、身体 (魚体?) 全身が なんだか白っぽいような気がしてきた。文字通り神経質になってきて、しっぽのあたりなど典型的な白カビが生じているような気さえする。さらに − これは初めて観察した (見て、認識した) ことだが、黒のデメキンの 「目」 それ自体が鮮明な 「ぎょろ目」 ではなく、「ぎょろ目」 それ自体が 「黒」 に白濁があるようにさえ、見える; なんだ、こりゃ 人間の白内障なみではないか。

まったく、もう、「生き物」 を飼うのは大変だ。まったく初めての体験で、体力的にも限界。水草にも 「カビの花」 が出てくるわ、薬品の影響か 枝葉の一部は枯れてくるわ。

ともあれ、「生きているものを死なせるわけには行かない」 で はじまった金魚漕、生きている限りは その維持を試みるが、死んでしまうのはやむを得ない、とにかく 「今」 を生きさせておこう − 最近はそう考えるようになった。白内障?のデメキン、残る3匹の雑種 「小赤」。「白カビ」 の兆候が見えないのは最小の1匹だけである。
後の追記: デメキンの目玉は、もう少し よく観察すると、「ぎょろ目」 本体は 白目と 透明な瞳の黒で 「魚眼」 が 存在する。その魚眼本体をとりまく周辺部が盛り上がって、それがデメキンの デメキンらしい 「目玉」 になっている。黒のデメキンの場合、この盛り上がりは 身体 (魚体) 本体と同じ色で、これはしばしば不透明、つや消し(?)の黒、見え方によっては灰色がかって見えることがわかった。よって、「白内障」 は 「誤診」 である。
5/30、天候の具合か 水温は 27°になっている。
10才 5年生は これに 「黒ちゃん」 という名前を付けたが、では赤いのは 「赤ちゃん」 かね。父親は、「黒べえ」 と呼び、飼育日誌には 「黒1号」 と書いている。

(20050529-2) 日記 − 水槽冷却ファン!

駅前の金魚・熱帯魚屋さんに薬品の補充と相談に行った。用件をすませて帰ろうとしたら、面白いものがあった: 金魚水槽を、冷却するファン!

コンピュータ内部の発熱を外に排出するファン − ごく小さな扇風機だと考えてよい − は、昔、マニアの間では 机の周りの扇風機代わりになると言われていた。直径 10cm 程度のファンは、1980年代のパソコンにも付いていて、中を開けると素人は 「あ、こんな小さな扇風機が付いてるんだ」 と言った。
そう。普通、この種のファンは存在を知られないほどの騒音しか出さないし、パソコン本体の かすかな 「ウーン」 という うなり音としか認識されない。この 「かすかな うなり音」 の音源は3つ、まずハード・ディスクそれ自体の回転音、次がパソコンという箱自身に付いている放熱ファン、最後が またパソコンの電源装置で、しかし その電源装置自体の 「うなり」 本体より、電源装置の そのまた中の放熱ファンの音である。つまり、電気機器であるパソコンの 「うなり」 音つまり騒音のほとんどは何かの回転音で、HDD それ自体は現代では問題にならない; 従って現代のパソコンの 「騒音」、裏返して 「静音化」 問題は、まず ひたすら冷却 (放熱) ファンの音である; だから、一昨年くらいから 「流行」 になったのが、「空冷ファンを使わない」 = 「水冷」 パソコンだった。ただし 「自作」 パソコンで流行しかけた この 「水冷」 機構は おそろしく幼稚 ないし未完成のもので、「流行」 が 「主流」 になることはなかった。それだからこそ 「自作」 業界は、今度は 「外付け電源」 を出してきた。パソコンで最大の騒音源は まず電源装置の冷却ファン、次が CPU 自身の冷却とその排出ファンだったから、「自作機」 メーカー (おかしな表現だが、いわゆる 「ベア・ボーン」 メーカー) は、「電源レス」 = 「電源外付け」 モデルを出してきた。そりゃ、ねえ、電源のファン騒音を別にすれば、静かになりますわ。でも、我が家の機械、最大の騒音源が、やはりこの 外付け電源装置でもあるのですわ。

ただ、「騒音」 といっても、それは耳元で数十デシベル、家庭用扇風機の風切り音には遠く及ばないし、ましてオーディオ、現代ロック音楽の騒音とは比較にならない。直径 10cm から 8cm くらいのパソコン冷却ファンは、机上において人間を冷やすのに使えば、なかなか快適なものになる。電気屋の店頭にある小型 (直径 20cm くらいまで) の扇風機は 例外なく猛烈な風切り音を出してうるさいが、そんなものより、裸のパソコン用 8cm ファンのほうが、よっぽど静かで涼しい。

さて、金魚屋の 「水槽冷却ファン」。
驚きましたね。パソコン 10cm から 8cm 程度の、そのファンそのものだ。中には、裸でそのファンを水槽のフチに固定せよ、というのもある。もう少し気の利いたのでは、ファン側面から吸気し 吹き出し口が水槽側、この吹き出し口を水槽の水面に当てよ、というのもある。つまり、水面に風を当てれば蒸散が起こる。その蒸散で水温が下がる、というわけである。

「金魚」 の世界、医者のつもりで薬の処方に日々苦心するマニア?もいれば、こんなものもある。店頭で大笑いしてしまった。



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