Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20050406-1) 日記 − 否定形・疑問文・英語と日本語の場合と

職場で話題になっていたのだが、僕が口を出すと 「いや、何でもない」 ときた。どうも僕に議論させると、話題が 「自分の話題」 になってしまって、「いつも自分の話に横取りしてしまう」 から、らしい。
彼らが話していたのは、こんな内容である:
「(あの子) かわいくない?」 は 「あの子はかわいい (よね)」 の意味。
「かわいくなくない?」 は、「あの子は かわいくない (よね)」 の意味。では
「かわいくなくなくない?」 は、「かわいいの 否定の否定」+「ない?」、すなわち 肯定。
つまり、末尾の 「ない?」 は疑問文で かつ 肯定の答えをうながす表現なので、「うん」 と答えれば 「かわいい」 ことを肯定したことになる。この 末尾の 「ない?」 以前の 「ない」 は、否定の語尾であると、彼らは めずらしく言葉遊びをしていたわけである。そういえば、「言葉」 の専門家たちが、こういう卑近な言語運用を話題にするのを 聞いたことがない。

「専門家」 が話題にしそうなことは、例えば、である。次のようなもの:
「おまえ、まだメシ食ってないのか?」
「うん」
上の 「ない?」 とは逆に、この 「ないのか」 は あくまで否定の疑問文である。日本語では、否定疑問文の肯定は 否定である。つまり 上の問答の 答えは、「食っていない」 意味である。
だから、この問答の答えが 「食っている (食った)」 の場合、次のようになる:
「おまえ、まだメシ食ってないのか?」
「いや (食ったよ)」
これをアメリカ人に説明したことがある。相手は言った 「おー、double negative」。

これを英語で考えてみると、実に単純であることは ご存知の通り:
"You haven't taken lunch?"
"Ah - No" (食っていない)

"You haven't taken lunch?"
"Ah - Yes" (食った)
この限りにおいて、「英語は合理的」 かどうかは知らないが、「英語が明解」 であることはまちがいない; 疑問文が肯定形であろうが否定形であろうが、回答は その動詞 (形容詞) に対する 否定 No または 肯定 Yes だから。この単純な決まりを忘れると、アメリカに行った直後、メシを食いっぱぐれることになる:
"You haven't taken lunch?" (「お前、メシ食ってないのか」 と解した)
"Ah - yes" (はい、食べてません、と言ったつもり)
答えが Yes なので、相手は 「食った」 と受け取る。かくして 我々はメシを食いそこねる。

アメリカ映画で、こんな場面があった。正確な記憶がないので、今、疑問文は適当に作る。会話は夫と妻である。夫が妻に、否定形 疑問文で問いかける。妻はそれを強く Yes と 「否定」 する。そんなはずはないと、夫は No で 「肯定」 を迫る:
"You haven't taken lunch"
"Yes"
"No!"
"Yes!"
(きみ、メシ食ってないだろ?/ 食べたわよ / 食ってないじゃないか / 食べたわ)
だから、話が複雑になってきて、「お前、結局あれをやってないんじゃないか」 なんて言い方をされても、アメリカ人相手なら 断固として Yes を言いつづければよい。Yes、つまり疑問文が肯定だろうが否定だろうが 私は やるべきことをやっているから Yes! と言い続ければよい。

ただし、経験的に1つだけ困った単語があった。different。「このプログラムが動かない。調べてみたら、どうも前の版とちょっとだけ different なところがある」。相手は、首を横に振る。No だと言うのだ。何が No かというと、differ(ent) = 「異なっている」 ことは 「ない」 という。「異なっている」 = 「同じで ない」 という感覚がこちらにはあるので、Yes = 「異なっている」 = 「同じで ない」、No = 「異なっていない」 = 「同じである」 の感覚が、なぜか3年たっても混乱・逆転して、一瞬 意味を取るのに苦労したことが、何度かある。つまり differ/ent という動詞・形容詞は、「異なっている/同じでない」 という意味なので、その Yes には 「異なっている」 = 「同じで ない」 という 「否定」 の要素が含まれているように、僕には感じられた。だから No と言われて、「いや、異なっていることはない、同じである」、Yes といわれて 「そう、異なっている、同じでは ない」 と受け取る言葉の条件反射が、なかなか できなかったのだ。



日本に帰ってから困ったのは、例えばトラブルで困っている客先との電話で、こちらが 「まさか xxx なんてことはないでしょうね」 なんて言うと、「ええ」 とか、「はい」 とかいう返事しか返ってこないことだった。「xxx なんてこと」 が あるのかないのか、これではわからない。それを確認する意味で、「否定形の疑問文」 をしゃべるのを、やめた。「xxx なんてことはありますか?」。相手には、明確に Yes/No で答えてもらう、ある種の 「話術」 を発明せざるを得なかった。

今でも、子どもらに 「ごはん、まだ食べてないのか」 と、つい 「日本語的」 な質問を発することがある。彼らは日本語のネイティブ・スピーカーとして成長しつつあるので、「うん」 という返事が返ると、「ん?」。
念のため、質問をやり直す: 「ごはん、食べたか?」。「まだ」。これでようやく、Yes/No が確定する。

一番 困るのは、「あなたの xx 診断」 の類で、質問への Yes/No で次々と分岐して、最後に 「あなたの最適 xx」 に至る類のフローチャートである。この 「質問」 の中に、しばしば 「自分の何かに疑問を感じたことはない」 などというのがある。それを Yes/No で答え、または選択して次へ進めという; 「感じたことはない」 という日本語の質問に、「感じたことはない」 なら 選択肢は Yes なのだろか、No なのだろうか? こんなところに 英語の Yes/No を持ち出すからいけない。Yes/No で答えさせるなら、否定疑問文を出してはいけない。否定疑問文を出すなら、回答の選択肢は 「その通り/そんなことはない」 でなければならない。

ま、たしかに 「話題を自分の話題に持ち込んでしまう」 のが、僕自身の悪い癖ではある。


(20050407-1) 日記 − 俗に 「日本語はむずかしい」

「俗に」 とタイトルに書いたのは、(1) 言語学の一分野である社会言語学でもないし、(2) 差別論の一種・亜流で 「ほとんどの言語で、その言語を母語とする人 (つまりネイティブ・スピーカー) は、その言語が 『外国人には難しい』、あるいは 『私の母語は不合理だ』 という劣等感を持っている」 という議論でも、ないからである。この2点のうち (2) については、前にもどこかで書いた・かもしれないし、また いつか書くかもしれない。

さて、「俗に」 と書いた 「日本語は難しい」 例だが、まず 『東海道中膝栗毛』、やじさん、きたさんの東海道 旅行記の中に、やじさんだったか きたさんだったかが、こう言う場面がある:
− べらぼうめ、湯を沸かしたら 熱湯になっちまわあ。水を沸かして湯にするんだろう。
− お風呂が沸きました。
− おう、水が沸いたか。では入ろうか。
急にこんなことを思い出したのは、最近 古い恩師に質問を浴びせてくる素人(?)がいるようで、それを師は ごていねいに僕にも伝えてくれる。以下、それらを列挙してみよう:
利根川は関東平野を流れている
− 何がおかしいか? 「利根川が」 流れるわけはないだろう、利根川の上を水が流れているのだと。
鶴を折る
− 鶴を折って負傷させるのか、しめて (殺して) 料理にするのか? 「紙を折って はじめて鶴になるのだろうが」
トンネルを掘削する
− トンネルを掘削したら、落盤するだろう。山を掘削してはじめてトンネルになるのだ。
文字を書く
− おかしい。線を描いて はじめて文字が現れるのだ。そこに既に文字があるわけではないのだ。

ならば、水野の追加:
文を書く
− 上と同じ、統語法に従って単語を並べて はじめて 「文」 が現れるのであって、そこに既に 「文」 があるのではない。
絵を描く
− これだって、絵の具やクレヨンで線と面を彩色して はじめて 「絵」 が現れるのだ。そこにまだ 「絵」 はないから、「描く」 ことによって絵が現れるではないか。
「xxx を作る」 一般
− xxx が既にそこにあるのではないのに、目的語とするのはおかしい。「酒を造る」、「飛行機を作る」、「経験を作る」 ・・・ すべて 「それは まだ、ない」 ところから準備と作業を重ねたうえで、モノなり経験なりが発生するのだ、と。
メシを炊く
− メシを炊いたら かゆになっちまおうが。コメを炊いて はじめて メシになるのだ。
プロである恩師によれば、「鶴を折る」、「湯を沸かす」、「モノを作る」 などは 「生産動詞」 と呼ぶのだそうだ。朝鮮語でも 「() ()」、「 ()」 という表現がある; これは 「生産動詞」 に当たることになる。ただし 「 ()」 については、そもそも朝鮮語に 「水」 と 「湯」 の区別がないので、同じ が「非生産動詞」 なのだという。

横すべりするが、そういえば 「水」 と 「湯」 のちがいは英語にもない。
UA の飛行機の中で 冷たい水が飲みたくて water をくれ、と言ったら、経験豊かそうな中年の白人スチュワーデスは、生ぬるい ぬるま湯みたいなのを持ってきてくれた。「水」 がほしければ、cold water を要求しなければならなかったのだ。
さらに余談で、フランス語で 水は eau、これは 「オー」 と読む (「オー・デ・コロン」 の 「オー」 である)。パリに言ったら、しかし レストランで水がほしいとき、「おー、おー」 と叫んではいけないそうだ。冠詞 le がついて、結果 l'eau 「ろー」。これで 英語の water になる。だから 「水 (冷たい水)」 は l'eau frois なのかどうか、僕は知らない。


(20050415-1) 日記 − 「活字離れ」、「文学」 の退潮、「銀河鉄道999」

「子どもたちの」 (従って 20年後の 「青年たちの」) 「活字離れ」 が問題になったのは、いつごろだったろう。仮に 1970年ころだったとすれば、当時 10才だった子どもたちは 既に 40代。

「活字離れ」 は、必然的に 「文学」 の退潮に結びつく; つまり、「活字」 をならべて架空の話を組み立て、つまり 「フィクション」 を構成するのが 「文学」 だから、「活字」 の読者がいなくなると、「文学」 は存在しなくなる。ここで ちゃちゃを入れてはいけないのは、「活字でなくてもいいだろう、インターネット上の出版、そこからデータ (作品) をダウンロードして 携帯型 読書機で読むのが はやったこともある」 と。しかし、それは パソコン、あるいはインターネット 「おたく」 の興味本位の流行で、「文学」 そのものへの関心が 急に社会的に高まったわけではない。現にいま、そんなものは 「どこにもない」 に等しい。一時、書店の店頭に並んだ 「CD-ROM ブック」 も、とうの昔に姿を消した。

こんなことを思い出したのは、職場の 「遊び」 事情だ。
コンピュータ業界の彼らも、「言葉遊び」 をすることがある。それと同時に、子どもの 「食玩」 周辺で、コンビニで売っている飲み物などの 「おまけ」 おもちゃ; 「大人」 向けと言ってよいはずだが、去年だったかの 「お茶犬」、それに携帯電話の勝手な着メロ発生器などが おまけについてきたり、ある大人は Star Trek のおもちゃ、ある大人はスカイラインのミニカー、ある大人は 「銀河鉄道 999」 のキャラクタ人形 ・・・ そんなものが、職場のプロのコンピュータ技術者の、パソコン・モニターの上に並ぶ。Star Trek でも スカイラインでも 999でも、「希少価値」 のありそうなもの、まず手に入らないと言われるものがあるそうだ。

999については − そう、メーテル自身。いま、彼のモニター上には 999号の車掌さんが3人、食堂車のクレアさんが一人いるが、テツローもメーテルもいない。そういうものは、出れば たちまち買われてしまって、普通は手に入らないのだそうだ。僕はメーテルにこだわる。すると、対面する側の席から ちゃちゃが飛ぶ: 「なぜメーテルなのか」。「だってさ、(999で) 他に 意味のありそうなキャラクターなんか いないじゃないか」。

考えた。999で意味を持つキャラクターは、この他に テツローの母親くらいしかない。そして、対面席から こうきた:
− テツローのお母さんはメーテルだよ
− いや、メーテルの体は (機械の体ではない) テツローの母親の体を使ったのがメーテルの体。ところが、映画では、テツローの お母さんは、一度は機械伯爵の家で剥製になっているんだ。
− 999マニアなの? それって (剥製じゃなくて) 絵だったんじゃないの?
− 剥製が壁に飾られているんだよ。そういう矛盾を見つけるのが、僕は大好きなんだ
このあたりから 気がついた。
僕は、文学作品を 映画の 999に置き換えて、それに対する text critique をやっているのだ; しかし彼らには そういう体験がない。ちょうど、国文学の専門家が 「千と千尋」 の映画を見ると、そこに咲き乱れる 「四方四季」 の花々に気が付くが、素人は そんなことには気がつかない。それと同じように、(僕は作品構成のプロッティング、それらの展開、齟齬・矛盾、それらの帰趨 という関係にばかり興味があるので) 「剥製」 になったはずのテツローの母親の体が、なぜメーテルの体でもありうるのか、その説明を試みようとする − 剥製には、外形があればよい。脳はメーテルのものを使うので、それは不要。表皮は剥製に不可欠だが、それ以下の 「体」 それ自体はメーテルに与えられたと考えれば、説明はつく。なんといっても メーテルは、「機械の体をくれる惑星」 の王女、良心を代表する死んだ父王と、悪を代表する現・女王との間の子であって、その間で葛藤を起こす点が、唯一 メーテルの 「近代文学のヒロイン」 らしい点なのでは、ある。もちろん、常に愁いを帯びた彼女の表情も、それと関連付けて考える必要がある。

ただ、既に 「40代」 も終えた僕自身、最近 10年、「文学」 らしい作品を読んだことがない。韓国の作品は 一昨年だったか 連続的に短編・中編を読まされたが、必ずしも新しい発見はない。まして日本の芥川賞作品にも、既に興味を失った。
だから、今 残っているのは、例えば子どもらと いっしょに見た 「999」 を再度 見なおして、かつてのように 「文学作品を 映画に置き換えて」、テキスト・クリティークをしてみたりするばかりなのだ。
実は 「ハリポタ」 も、その状況に似ていて、せっかく読める原作、原文、せめてその原文の文脈で作品を追ってみたい、ただそれだけの理由で、今も第5作だったか "the Order of the Poenix" を持ち歩いている。


(20050416-1) 日記雑記 − 「真っ赤なセスナ」 が赤いことはまれである

一般論として、常識として、「セスナ」 または飛行機一般の機体全面が 「真っ赤に」 塗装されることはない。山口百恵の 「真っ赤なポルシェ」 にしても、厳密には車体上面の塗装が赤なのであって、タイヤやリム (いわゆる 「ホイール」) まで 「赤い」 のは、ほとんど変態である。まして、車体下は、まず黒か、さもなければ素材の色そのまま、あるいは錆止め塗装の色である。

もう あまり有名ではないが、八神純子という歌手がいる。この人の歌の中に、自作と思われる "Fly Away" という題名の歌がある。歌い出しは 「真っ赤なセスナが / 1つほしいと / まぶしい目をして / 青空を見る人」。
この 「真っ赤なセスナ」 という表現に、奇異な感じを持ったことがある。「真っ赤な」 セスナは、まず ありえない。「赤いセスナ」 というのは、そのほとんどの場合、機体の基調塗装が白、そこに赤いストライプが描かれたものを言う。塗装基調が白なので、そこに 「赤」 でストライプを入れるか、「青」 でストライプを入れるか、それで 「赤いセスナ」、「青いセスナ」 ということになる。これは 英語世界でも同じで、実は アメリカの田舎で そういう現象 (白基調の塗装に赤いストライプのあるセスナを 「赤いセスナ」 と呼ぶ現象) があることを知った。そしてそれは、日本 / 日本語でも まったく同じであることを、日本語のネイティブ・スピーカーである僕は、直感的に理解したのだった。

普通の、空港で乗る飛行機のことを考えよう。
例えば、「青いジャンボ」。この表現から連想されるのは、全日空 ANA の機体だ。この ANA の機体塗装は、プラモデルを作ったことのある方はご存知だが、尾翼に向かって傾斜して走る 「青」 塗装部分の面積は、「白」 の基調塗装の面積より ずっと狭い。それにもかかわらず、ANA の機体は 「青」、だから 「青いジャンボ」 は ANA のジャンボ。
「赤いジャンボ」 の代表は、NorthWest。が、NorhWest の機体の塗装は3色で、「赤い」 部分は その最上段、この 「赤」 の面積は 実はいくらもない。胴体上半の基調は灰色、下半の色は白だったか素材色のまま、翼も同様である。
もちろん、ANA も NorthWest も、機体下面は 金属素材の色、つまりアルミ色そのものである。つまり、「ジャンボ」 が赤いか青いかは、「どの色の部分が もっとも印象的か」 によって決まることになる。

「色」 の言語表現には、「言語」 外の別の要素が関係することがある。


(20050416-2) 日記雑記 − 3才の男の子が なぜ こうまで 「乗り物」 に執着するのか

これは 「イデオロギー」 の一種だ。僕は、「男の子は 飛行機・自動車その他の乗り物、女の子は人形・アクセサリー類さまざまな小物」 に興味を持つという 「俗説」 は、親の誘導によるものだとばかり 考えてきた。事実、現在 10才の上の子 (女の子) は、ブリキのジャンボで遊んだし、成田空港横の 「航空博物館」 にも2度 行っている。彼女に、3年生でハンダ付けを教えようとしたとき、足に火傷させたことも書いたし、彼女がプラモデルを組み立てたとき 「模型って、ハマるねえ」 と言ったことも書いた。ただ、「ハマるねえ」 と言いつつ、それは続かず、1年後 同じ模型屋さんに行ったのは、下の子 3才のためだった。

この 「男の子は乗り物」 という観念が、イデオロギーによる 文字通り観念の産物ではないらしいことを、最近は認めざるを得ない。パトカー、消防車、パワー・ショベル、バスとトラック ・・・ といったものに、3才は異常なまでに興味を示す。飛行機も同じで、汽車ぽっぽのついでに出て来る 「トーマス」 のヘリコプター、その先にある旅客機、おもちゃを買うことが目的だった羽田空港、ミラージュに変身するロボット ・・・ 先週、レンタル・ビデオで借りた 「あんパン・マン」 と 「飛行機」 のビデオが、今日は 「もう、ない」 ことを知って騒ぎまくり、結局また別の 「飛行機」 の DVD を買わざるを得ないことになった。この DVD で彼の満足は得られた。考えてみると、あんパン・マンも空を飛ぶ。

男の子の 「乗り物」 志向は、フロイト的(?) には 「みずから実現不能なことの代償」 で、あるのかどうか。そのあたりは まだ わからない。しかし、少なくとも僕自身の場合、飛行機にもヘリコプターにも興味があった幼時から少年時代、その後、目の前でヘリコプターが発着するのを見たときも、それは (まだ) 「みずからは実現できない」 ことだった。ある意味において、男の子の 「乗り物」 志向は、「みずからは実現できない」 ことの代償である可能性があると、最近は考えるようになった。


(20050417-1) 雑記 − 「男の子の飛行機は代償」 説の補足 + 日記、ゼロ戦と B-29

すぐ上の記事の補足、または仮説を補強しておこう。
男の子たちは、子どものうちは、自動車、飛行機、その他 「乗り物」 の範疇で くくることができるものに、多く関心を示す。僕が小学校でプラモデルの飛行機、戦車その他もろもろに凝ったのと同じように、最近の4年生の文集に、「大きくなったらプラモデル屋になりたい」 というのがあった。彼は、かつての僕のように、あらゆる種のプラモデルを 「作って」 (実は、単に 「組み立てて」) いるらしい。

この 「乗り物」 への関心が、「今は みずから実現することができない」 ものへの 「代償」 であるという昨日の仮説は、次のことと 少なくとも矛盾はしない:
男の子、18才。免許が取れる; 親にカネがあれば、車を買い与えられることもできるし、就職すれば中古車でも買える。こうして 「自分の車」 を持った少年・または・青年は、原則として(?)他の車に興味を示さなくなる。もちろん、知人や同僚の車を うらやみ、俺も ああいうのが欲しいと思いつづけることはあるだろう。が、例えばスカイラインの好きな子は その時から 中古のスカイラインだったりする。ここまでくると、少年はもう BMW のプラモデルを作ることはない; だいたい、そんなのはプライドが許さない。

そのころになると 「少年」 は充分に大人になっていて、「飛行機」 も 「戦車」 も ヘリコプターも 電車も、もう自分で運転したいとは思わない; または そんなの 非現実的な夢だったことに気がついている。(そういえば、その 「健全な」 あきらめに至れない変質的な性格の持ち主が、ジャンボを乗っ取り 「レインボー・ブリッジの下をくぐれ」 と指示して拒否され、機長の首を切って殺した例が ありましたな)



で、日曜日、10才の娘、3才の息子をつれて、成田の 「航空科学博物館」 に行ってきた。
駐車場の目の前に広がる広場、そこに 最大が YS-11、最小は小型のヘリコプターまでが並んでいる。冬山に落ちたばかりの 三菱 MU-2 だったかも、ここには地上に置いてある。何機かは中に入って、操縦席に座れる。上の子と二人で来たときは、その狭さに驚いた。僕自身、それ以前に生きたセスナに数回 乗っているにもかかわらず、子どもを連れてそこに入ってみると おそろしく狭いのだ。が − 3才児と 10才児が 仲良く 運転席・助手席に並ぶと、ははは、足がラダーに届かない。座る者の絶対サイズ (いや、空間に対する相対サイズ) が問題で、彼ら二人だと MU-2 も セスナ 175 も、操縦席は充分に広い − ま、足がラダーに届かないのだから。これだと、「子供用自転車」 ならぬ 「子供用飛行機」 でないと運転できないな。が、飛行機に 「補助輪」 は付けられないから、やはり3才に飛行機は無理である。

相変わらず人気があるのは、あの・限りなくチャチな造りの ゼロ戦。これは、博物館の中にコック・ピットだけが切り取って置いてある。狭い。小さい。狭い以上に驚かされるのは、このコック・ピットの 「風防」 には、一切の気密が考慮されていないことだ。つまり、安物の戦争映画そのものに、パイロットが窓のラッチを外して 薄っぺらな風防をスライドさせのだが、これをぴしゃっと閉じても、隙間だらけ。なるほど、これでは 3万ft つまり 1万m 上空で B-29 と対等に戦う以前に、パイロットは酸欠で失神するだろう。エンジン自身が、その気圧つまり酸素濃度では まともに回らない。その時代、酸素マスクが用意された。が、気密性自体がこれでは、いくら (ろくに回らない) エンジン余熱を機内に回しても、操縦士はずいぶん寒い思いをしたはずだ。これだけ隙間だらけだと、10km 上空では 凍傷も日常的にあったにちがいない。

余談だが、航空機と地上の間での 「無線電話」 は、日本軍では 1945年の最後まで実用にならなかったらしい。パイロットは飛び上がれば ただ一人、「おかあさーん!」 と叫びつつ B-29 に体当たりするしかなかったのだ。この 「体当たり」 の実態も、おそらく、派手な爆発を想像してはならない; 「当方」 はよたよたと飛んでいるだけだから、それでかろうじて B-29 と「接触事故」 程度のことしかできない; 従って 「接触」 された B-29 には、車でいえばバンパーかドアが へこむ程度の衝撃、ただし B-29 も軽量アルミの機体だから、ゼロ戦のプロペラでも当たれば穴が空く。そこで、まず与圧 = 気密 が破れる。穴が空けば、その周辺の制御系システムが動作しなくなる。翼に接触されれば、翼は燃料タンクでもあるので それを失う。うまくすれば、片翼ぐらいは もげる可能性もある。こうして、B-29 は制御を失って落ちるのであって、カミカゼ特攻隊に当たって派手に爆発したという想像は おそらくウソである。大江健三郎の作品 『飼育』 は、こうして落ちた B-29 の乗員が、落下傘で脱出した; それを捕獲した戦中の田舎の村で、豚のように 「白人」 を 「飼育」 した話である。

さらに余談で、ゼロ戦のコック・ピット後部には 実用にならない 「無線電話」 のアンテナ支柱が立っているが、これが実は 「木」 の棒で、じゃまだから切り落としたという話が、「撃墜王」 坂井三郎の手記に出て来る話は、前にも書いた。幸か不幸か、坂井三郎自身は、敗戦直前には 「教官」 級だったようで、B-29 迎撃の前線に出ることなく 生き残った。彼の撃墜記録は 対中国戦争から日米戦争初期まで、すべて低空での 対戦闘機 dog fight であって、B-29 の時代のものはない。


(20050418-1) 日記雑記の続き − 「代償」 は実物より 模型 または おもちゃを求める

何を がっかりしたかというと −
羽田空港に行っても、成田の博物館の展望台に行っても、そこから滑走路が見渡せ、成田に至っては滑走路の延長線上、ほんの数十m 避けただけの位置から飛行機の離陸が解説付きで見れるのだが、3才は それに ちっとも興味を示さない。頭上を ゴーッという騒音とともに離陸して行くジャンボたちにも、最初は驚いたようだが、そこは3才児の適応力、すぐに 「あたりまえ」 のことになったようだった。展望台に上がって、滑走路、たくさんの飛行機たち、こちらに向かって離陸してくる飛行機が見えても − 彼は 言った: 「大きいの、いらない」。1回の売店にある、おもちゃの飛行機がほしいのだ。

ったく、もう。そういえば羽田でも、離着陸を横から逐一 見ることができるのに、それより、早く下に下りて おもちゃ屋さんに行きたがった。父親は数ヶ所、その種の おもちゃ屋を把握しているのだが、その最初の店で、ふむ、遠慮深くも3才はトラックがほしいという; そのトラックは、飛行機周辺に群がるコンテナ・トラックで、飛行機自身を含む ミニカー・セットの一部なのだ。「このトラックがほしい」 という3才に、「それは、ほれ、このセットの これ、これだろ」 と説得(?)して、ようやく納得させた。

今度の成田科学館でも、入場するやいなや売店、「それは後で、帰りに買えるから」 とお姉ちゃんが説得して 展望台に上がったのだが、「大きいの、いらない」、1階に戻りたい; かくしてブロックおもちゃのジャンボを買って、博物館内部に入ったのは それからである。彼の意思は明瞭。ほしいものは たちまち決まる。それは、幼児時代のお姉ちゃんと同じで、なんとも決断力の強い(?)子ではある。

しかし、お前ちゃん、「かっそーろに行きたい」 んじゃ なかったのか? 滑走路には入れない。だから展望台に上がったのに、「大きいの、いらない」 ときた。見ているだけなら、それより 「自分のもの」 になる おもちゃの飛行機のほうが、3才には重大なことらしい。

そういえば、飛行機の DVD で双発のプロペラ機を見て、彼は 「これ、買って!」 と言った。おいおい、飛行機は買えないぜ。いや、彼は、その 「おもちゃを」 買ってくれと言ったつもりなのだと、お姉ちゃんが解説をした。
YS-11 と酷似する双発機は多い。どれでもよいが、3才児に与えられる そういう機体のおもちゃは 見たことがない。プラモデルの YS-11 は、お姉ちゃんでさえ たちまち 壊してしまった。これと酷似する機体には、Saab がある。Los Angels から San Diago に飛ぶローカル路線は ブラジル製品の双発プロペラ機だった。アメリカの田舎に住んでいたころ、New York からの帰り、最後の乗換え路線も双発プロペラで、これは途中でエンジン不調、もう半分も来たのに引き返すという; どんどん高度が落ちて行く (地上が目の前に迫ってくる) 帰路の不安は、雷雲の中で燃料を翼端から捨てるジェット機の比ではない。そういえば、New York - Boston 間も双発プロペラ機で、これは実に堂々と タキシング中は 「片肺」 つまり片側エンジンだけで走り、滑走路に出て はじめて両側のプロペラが回っていた。

で、双発プロペラ旅客機の姿をした 「3才児に与えられる」 おもちゃは、ない。


(20050420-1) 日記雑記の続き − 「代償」、「趣味」、「子育て」

承前、
しかし、それを 「代償」 というなら、子どもたちが関心を持つ かなりのものが 何かの代償であることにならないか。それと対立するのが、「科学する心を育てる」 教育屋さんの世界で、この世界では、子どもが飛行機を飛ばしても ほめる、鉄道模型を走らせても ほめる、「いつかきっと、それが君の役に立つ時が来る」 と、クサい詩を書いたプロの詩人がいる。

僕自身が子どものころ、ゴム動力の飛行機で習ったことは、モノには 「重心」 という概念を想定することができること、その重心に全重量があると仮定して、それを重力方向に対して支える力、つまり地上では接地点での作用と反作用、地上を離れたときは揚力と呼ばれる力、その力が発生する理由、空中では適切な姿勢を維持しないと機体は踊ってしまうから、そのバランスをどう確保するか、つまり、翼の後退角や上半角が どのように 「安定」 確保に作用・貢献しているか、など − そういったことである。たしかに、これは 「科学する心」 を育てたい教育屋さんの 喜びそうなことだ。だが、僕は飛行機屋には ならなかった (いや、正確には なれなかった)。だから今でも、そういうものが大好きなのは、飛行機屋になれなかったことの代償なのだろうか。あるいは、そうかもしれない。

親たちは、子に夢を託すという。
僕がなれなかった飛行機屋に、この子がなってほしい? 僕がなれなかったプロの文学研究者に、上の子にはなってほしい? いや、飛行機屋はともかくとして、文学研究者になってほしいとは思わない; まして朝鮮近代文学研究になど、興味を持ってほしくない − そんなものでは、まず食えないからだ。上の子でさえ、この子が大学生になるころ、僕は もう 60才になる。そのあたりまでが限界で、それ以上 彼女を食わせて行くことはできないのではないか。今3才の下の子に至っては、この子の成人の時 僕は 70に近い。僕は父の勝手な夢をよいことに、学生時代 10年を遊ばせてもらった。おかげで 父は事実上 破産した。破産できる元気があればよいが、次の世代、つまり僕の番で、70 の父親では借金さえできないにちがいない。父の夢、「息子の名前の入った本が1冊出れば、俺は満足だ」 という夢は、30年後、短編集の目次に数編、訳者として名前が出たことで 「実現」 されたわけだが、しかし それは僕の著書ではない。僕は、自分の子にそんな夢、期待をかけてはいけないのだと考えている。つまり、父は 「活字」 信仰の強い人だった。みずから それを実現できない夢を、つまり代償を、息子に求めていた。その代償を求める彼の気持は、破産さえ いとわない強いものだったわけである。そして その期待には添えないと僕が決めたとき、父の事実上の破産が表面化したのだった。

しかし、「代償」 とは何だろう。
何か、「ある」 べきものが仮定されて、その欠損ないし欠落を 補う、つまり補償するものを言うはずだ。
例えば、(かつては) ごく普通に終身就職、ごく普通に定年退職した人物に対して、「定年後の趣味を持ちなさい」 というアドバイスが行なわれていた。俗に 「定年退職後 症候群」 という ある種の虚脱ないし鬱状態に落ちないためには、「趣味」 が必要だというのだ。だが、では その 「趣味」 とは何ぞや。この限りでは、「趣味」 は 「代償」 と事実上 同義語ではないか。職場しか知らなかった者が、急に碁会所に通い そこでの社交に喜びを見出すことができるわけがない。「趣味」 とは言葉本来の意味において 「本来 重要なものではない、ヒマとカネが許す範囲での遊び」 を意味するのではなかったか。その 「重要でない」 ものを見つけて、定年後はそれに凝れというのが、無理な話だ。かくして、教師だった者は 定年後も 「私は教師をしていましてねえ」、大企業に勤めていた者は 「私は あの XXX にいましてねえ」 と、悲しくも虚栄を張ってみせることくらいしかできない − それが、1980年ころまでの 「悲しい定年退職後」 の老年の姿だったように思う。退職後の 「趣味」 で 「成功」 したのは、ときどき TV に出る 「紙飛行機の名人」 や、それに類する じいさんだけで、その他ほぼすべての老人たちは − どうしているのだろう。無事に 「代償」 を発見したのだろうか。「健全な」 老後を送る人たちは、皮肉でなく、あるいは孫たちとの交渉にのみ、生きていることの喜びを見出しているのだろうか? ならば、子どもを持たなかった老人に 「孫」 はない。彼らは、何を喜びとして生きているのだろうか? (例外的なケースはある。姓を忘れたが画家の 某 俊太郎と 詩人の佐野洋子; このカップルは、少なくとも彼は離婚後、新しい伴侶を得たケースではある。実は職場にも似たようなケースがあるが、これは彼女のほうがまだ 40前後で、充分に若い)



さて、何を言いたかったのだろう。
子どもの模型・おもちゃへの執着は、一面において 「代償」 である。しかし また一面において、教育屋さんの 「科学する心」 への、良い意味での準備期間であるのかもしれない。
模型やおもちゃに限らず、女の子の人形やアクセサリー、男の子でも うちの3才が 抱いて寝たがる 「機関車トーマス」 の ぬいぐるみ(!)枕、それらは、また一面において (スヌーピーに出て来る、汚い毛布を抱えて指を吸っている男の子 ライナスの毛布と同様) 何かの欠損・欠落への代償の面を帯びながらも、それは 大きくなってからの対人関係、スキン・シップのあり方への準備作業の意味を帯びているのかも・しれない。

僕は、子どもらに何を求めるか。
教育屋さんではないが、「科学する心」 に対応する、論理的な思考、物理現象に対する客観的な観察力、少なくとも三角関数、2次方程式、その微積分あたりまでの知識、それから、
せめて、「若きベルター (ウェルテル)」 や 「舞姫」 くらいを理解する程度の文学体験、ついでに、「研究」 に興味を持ってもらいたくはないが、中国、朝鮮近代文学あたりの、最低限の知識だけでも身につけてくれないか ・・・

・・・ はは、こりゃ すごいな。父が僕に期待したもの、それ以上の要求かもしれない。
要するに僕も、子に 「勝手な期待をする父親」 にすぎない、ということである。

上の子は、完全な日本語のネイティブ・スピーカーとなった。5年生。ここまで来ると、外国語、例えば英語も、「日本語のカナでどう書くか = 日本語の音で何が正しいか」 を問題視する。先日の飛行機の博物館でもらったパンフレットには、「コクピット Cock-Pit」 と書かれている。「あ、コックピットだと思ってたけど、(正しくは) コクピットなんだねえ」 という。困った。ここまで完全に日本人化されると、この説明は大学教養課程の言語学 当初 − 音声学/音韻論 − くらいの説明が要る。中学まであと2年。少なくとも、英語1年生の教科書に出て来る発音記号の意味くらいまでは、そのとき、早めに教えておきたいとは思うのだが。発音記号、つまり音声記号は、その先にある音素の分離 − 音韻論 − の前提になる。僕自身、教科書にそれはあったが、中学の英語の授業でその説明を聞いた記憶はない。しかし、少なくとも この時期に 子音/母音の分離、「母音なしの子音終り」 つまり 「閉音節」 の存在を理解しないと、「英語」 または外国語一般を、終生 理解できないままになるだろう。早い話、日本人の多くが 「あんにょんはしmにか 」 を 「あんにょんはしむにか 」 としか発音できないのは、その点が理解できていないからである。


(20050425-1) 日記雑記の続き − 「999」 の商業的 現場

うーむ、インターネット上では禁断の 「我が子の写真」 だが (つまり、悪質な読者による誘拐、いやがらせが考えられるので)、しかし この程度に縮小すれば 子どもの 「顔」 は判読できまい、うむ。

この写真は、浅草と 「お台場」 方面を結ぶ 「水上バス」 の、たった1隻だけ存在する特別版、マンガ家の松本零二 つまり 「銀河鉄道999」 の作者のデザインによるという船、「ヒミコ」 の、運転台後方である。写真の背後に運転台が見えていて、B-29 や 新幹線 500 系より大きい曲率で丸い 「コックピット」?があり、運転手の後姿が見える。船の外形は、「999」 にも出て来る キャプテン・ハーロックの船にも似て 「超」 SF 的。

船の名前が 「ヒミコ」 であって 「999」 ではない点は不思議だが、これは老年の客層を考慮したのだろうか (「999」 では じいさん・ばあさんは乗ってくれないだろうし、「ヒミコ」 ならすべての世代に通じる)。おそらく松本零二にも、事前にこの船名が伝えられただろう。彼のマンガの世界に、そういう 「船の名前」 は充分に可能に思える。

船内は、贅沢な配置になっている。「水上バス」 なので、通常は1階と2階があり、春から秋までは屋上に出て風にあたることもできるのだが、この船は1階だけ。2階はない。屋上にも出られない。船内 単一フロアは、窓際にテーブルと椅子が並んでいるだけで、中央は ハリポタ映画 第2作の 「決闘」 場面でも展開できそうなほど、広い空間、または通路が用意されている。写真は、その空間または通路の前端、運転台後部に2m近い空間を置いて並んでいる3つの板人形、つまり メーテル、テツロー、車掌さん、その間に わが3才の息子が入り込んだところを捉えたものである。

この 「水上バス」、浅草と日の出埠頭を往復する間に、通過する 「橋」 ごとに説明が入る。これが なかなか うるさい。この 「ヒミコ」 では − 驚いたことに − その説明が テツローとメーテルの対話、そこに車掌さんの解説、というパターンで進行する。声は、映画と同じ声優らしい。ただ、悲しいことに − 我々は船 後端のエンジン付近にいたので − ほとんど聞き取れなかったが、しかし へたな解説を聞かされるより、聞こえなくてよかったかもしれない。メーテルが 浅草橋、蔵前橋、勝鬨橋 ・・・ と答えつつ、車掌さんが出て来て より詳しい説明をしてくれても、ちっとも面白くはないからだ。

この 「船」 に乗ってわかったことは、10才・5年生のお姉ちゃんが、「999」 そのものを ほとんど記憶していないことだった。そうか。あれはレンタル・ビデオの DVD を借りて、お父さんが夜中に見るばっかりだったのかな。むしろ、「飛行機、ロケット、汽車ぽっぽ」 の大好きな写真の3才のほうが、具体的な記憶はともかく、印象は強く残っているかもしれない。少なくとも、空に向かって途切れる線路の先を、C62 の引く列車が上昇して行く場面は、3才の誕生日前後に見た この子のほうが覚えているかも、しれない。

ところで、この板人形のメーテルの身長に注目されたい。
メーテルは、ある意味において テツローの母親である; もちろん そこには生臭い 「テツローの母親は 一度 機械伯爵の家で剥製になって飾られていた」 こと、メーテルの体は その内容物を使って 「更新」 されたものであること、ヒロインとしてのメーテルは 「良心」 である父と、「悪」 である 母との間の葛藤を経て、惑星崩壊から脱出する駆け足の中で その事情を はじめてテツローに説明する点など。そういう経緯があるにもかかわらず、ここでは メーテルの身長は高い。一般論として、高位の者の身長は高く描かれる; 高く感じられる。地位に限らず、「頭(づ)が高い」 人は 一般に身長も高く記憶されるものだ。

「999」 の中で、メーテルは テツローに対して 圧倒的な優位に立っている。この板人形のメーテルは、おそらく それを反映している。ただ、そうなると、映画では 「元の姿」 に戻るために再び汽車に乗るメーテル、その後の姿は不明で映画は終わる; 原作のマンガでは メーテルは再び元の姿で現れて、ふたたびテツローとの無限の旅を続けて行く; いずれにしても、メーテルの優位は崩れない。そのメーテルの優位が、こうして 板人形の身長に反映されていることは、まあ、僕には、軽いショックを伴いつつも、ある種の発見であったことは事実だ。

なお ご参考までに、おフランス語で maitre (maitresse) (ただし i はアクサン記号 ^ が正しい) は 「主、所有者」 あるいは 「先生」 である。
ハリポタ 第2作のトイレの幽霊少女は、R と L が異なるが 「嘆きのマートル Moaning Myrtle 」 だった。
999 の作者が どんな教養を背景に持っているのかは、僕は知らない; ただし、彼の SF ものの宇宙空母には、戦闘機?が発進するための滑走路があること、その滑走路を離れた瞬間 戦闘機は一瞬 「沈んで」 ふたたび舞い上がること − そのあたりの科学の欠如、時代錯誤などから判断して、作者に いわゆる 「理系」 の背景はないと見えるから、背景教養は 「文系」 だと見るしかない; となると、「メーテル」 の名前が フランス語の連想なのか、ラテン語系の連想なのか − はて、どうでしょうね。


(20050428-1) 日記 − 「999」 は発見できず。ハリポタ 「解読」 の現状

上の記事で、おねえちゃんが 「999」 を記憶していないらしいことから、DVD 屋さんを見てみた。ないですねえ。「宇宙戦艦ヤマト」 もない。「ヤマト」 第2編だったか、最後には主人公が他の乗組員を全員退避させたうえで、敵に体当たり攻撃、はるか かなたに光芒を残して映画が終わるのを見たことがあるが、それも 「B-29 への体当たり攻撃」 からの素朴な連想だろう。
ともあれ、「999」 も 「ヤマト」 もない。あるのは、滑走路のある宇宙空母、そこから発進する戦闘機が一瞬 「沈んで」 ふたたび舞い上がる類の、「ヤマト」 亜流だけだった。そこまで幼稚に 「非・科学的」 でなくても、「キャプテン・ハーロック」 も 「エメラルダス」 もみつからない。エメラルダスの船は 文字通り 「帆船」 型で、これなど 「999」 の時代錯誤と きれいな対照・相似関係にあるのだけれど。

余談だが、これらの映画の音楽で作品として出来のよいのは 「ヤマト」 で、これは自衛隊の軍楽隊が 民間の行事に出て来て演奏しているのを見たことがある: 「さらば 地球よ / 旅立つ船は / 宇宙戦艦 / ヤ・マ・ト」。この吹奏+打楽器への編曲はプロのもので、自衛隊 軍楽隊の金管のうまさ (それはプロで、アマ・オケの比ではない) のせいもあって 見事だった。ただ、「日の丸」 掲揚問題などが最近は問題になっているので、これが今も 「民間の行事」 の表面に出て来るかどうかは、わからない。
(もっとも、「ヤマト」 の飛行・出撃の目的が 「コスモ・クリーナー」 の受取り、持ち帰りである点、これはまるで伊号潜水艦がドイツから何かの技術を持ち帰る任務を帯びて出発したのと同じで、「ヤマト」 の作品モチーブの貧しさは覆うべくもない。その点、「ヤマト」 は 「999」 に対して、大きく劣る。しかし映画 「音楽」 については、この映画だけが成功しているのは事実だ)。

あえて言えば、自衛隊が 「宇宙戦艦ヤマト」 を評価することは、その組織の懐古趣味あるいは それへの志向を意味するわけで、これは国際的な問題にならないのがおかしい。しかし幸か不幸か、「宇宙戦艦ヤマト」 は、台湾・香港・中国あたりで評価されてはいない; つまり関心外にあるようで、その状況下であれば 自衛隊が国内でそれを演奏しても 何の問題にもならなかったのかもしれない。



「ハリポタ」 第5巻 「騎士団」 は、訳本は出たが買う意思が まだ ない。原文をヒマなとき読み進めている。現状で、p.526/956。
このあたりまできて、「だらだらと」 続くばかりだった作者の おしゃべりに、「近代文学」 らしい点が わずかに出てきた: 例えば、第4巻 「ゴブレット」 で死んだ Cedric の、その恋人 Cho、彼女はハリーの憧れの少女でもあるのだが、この Cho とハリーの はじめての親密な場面は、Cedric が死んだこと、それへの思い、涙を流しながらハリーにそれを訴える; つまり、ハリー内部の葛藤が、この作者らしく思わせぶりに示される。

それに続いて、ロンの父親が巨大なヘビに襲われて場面が変るが、そのヘビは、ハリーの見た 「夢」 の中ではハリー自身である。その現実性調査に校長のダンブルドアが出て来るが、そのダンブルドアに対してさえ、ハリーは 「夢」 ではない瞬間的な敵意、つまり、「夢」 の中で ロンの父親を襲ったのと同様の襲撃衝動がダンブルドアに対してさえ、ハリーの中に認識される。
これは、第2巻 「秘密の部屋」 の末尾で校長が説明しているように、「敵」 V 某は、赤ん坊だったハリーに、何かを残した; いま僕が読みつつある このページあたりでは、それが 「ロンの父親を襲った巨大なヘビは ハリー自身であったこと」、ハリーはその直後には 校長 ダンブルドアへの攻撃衝動を感じていることなどと、符合する。つまり、究極的に − あるいは − V 某とハリーは、人格を共有している面があるように見える; この予測は、第2巻あたりで可能だったし、第4巻では V の復活にハリーの血液が必須だったこととも符合する。が、まだ帰趨は わからない。訳本を既に読んだ方は、ご存知かもしれない。しかし、作者はこの第5巻で 「すべてを」 明かしてはいないはずである。



こうして 「ハリポタ」 を持ち歩き、ヒマなときに読み進めるのと同じように、韓国の現代作品でも読めばよかろうに − いつも そう思う。そうすれば、「いま現在」 の韓国の それは わかる。
が、それはしかし、自分の母語で書かれた 日本の 「芥川賞」 作品さえ 既に目を通す意思を失っている現在、どうだろう。日本語でも朝鮮語でもない 「ハリポタ」 騒ぎの新鮮さは、7巻 完結するまで、少なくとも僕には終わらないのかもしれない。

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