Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20050306-1) 日記 − 過去1ヶ月の危機

「15L 金魚漕」 を最初で最後に、先月はついに1記事しか書かなかった。
そのとき書いた通り、この時期、職場での ある種の変化、家庭での また異なる変化、それらをつなぐ ある関係と、それぞれの処置 − あまりに漠然とした言い方で さっぱり おわかりにならないと思うが、僕を中心と考えた場合の 「周囲の状況変化」 が 大きかったこと、それにともなって 僕自身も 心理的な危機にあったらしいと感じている。

ともあれ、以上、内容なし、ただし生存証明だけはやっておきますか。月替わりで 目次の CGI にも 再度構成を教えてやる必要があるし、こうすることで 書き手 (僕) 自身の気分に変化が − まあ、ありうるし。


(20050307-1) 予告も交渉もなく、いきなり翻訳原稿を送りつけてくる翻訳業者

僕のメール・アドレスがわからないというので、先日 「Yahoo で "Ken Mizuno" で検索してくれ」 と伝えたから、彼は 「この」 日記ページの存在を知っている。従って、彼も この記事を読む可能性があるのだが − それはよい。読んでくれれば、なぜ今回の依頼を断ったか、正しく理解してくれるだろうから。

似たような話は、10年以上 前にもあった。
サラリーマンをやめて 「自営業」 になってから、ソフトウェア開発と同時に 「翻訳業」 も一応カンバンに掲げた。当時はバブル崩壊前、英語 -> 日本語の 「翻訳」 の仕事で、400字相当 ¥2,000 くらいは期待してもよかった。それも、コンピュータ・ソフトウェアの専門家を称する売込みなので、充分に高い値をつけて、それでいやなら 当方がお断りすることができた。そして、バブル崩壊とともに、翻訳者側 「売り手市場」 が消えた。

それから後のことだったろう。
どういうわけか、当時 千葉県にいた僕に、大阪 中の島の業者から連絡が来た。急ぎの 「韓日」 翻訳だったか、他にアテがなくて 僕に たどりついたらしい。この業者は、質が悪かった。次々と 小さな原稿を送ってきたが、とうてい当方の生活費を稼げるものではない。ひどいのは、例えば役所の文書 (例えば戸籍謄本の類など) を、「400字 いくら」 で訳せという。おいおい、役所の定型フォームが、いったい何文字あると思ってるのだ。当時のワープロ・ソフトでも 「単純テキスト出力」 はできたから、その出力でバイト数を数えた。その 1/2 が日本語の字数になるはずだが、あちらは承知しない; 紙に出た字数を目で数えて値切ってくる。「バイト数」 の意味を理解しないまま 「バイト数ではありません、字数です」 と来た。バカくさくなった。
ところが。
この業者から、おそらく金曜の夜、予告なく Fax が来た。これを週明けまでに訳せ。幸か不幸か、その晩から僕は不在で、その Fax を見たのは 日曜の深夜だった。相手の都合も 在宅も確認せず 勝手に Fax を送り付けて、月曜朝までにやれとは、なんて奴だ。月曜朝、はたして電話は来たはずだ: 「どうなっているのだ」 と。あのねえ、わたしゃ そんなの見てないの。週末 不在のところに Fax 送ってきて、「どうなっているのだ」 とは、勝手にもほどがある。この業者とは、それでめでたく切れた。客先には 「月曜 上がり」 と言っているだろう; そんなのは、当方の知ったことではない。

今度のケースは、それほど低質ではなかった。
事前に 「ごぶさたしています」 と電話が来た。Web ページの一部翻訳要求ということなので、まずその URL をメールで知らせてくれ (で、僕のメール・アドレスを、確実のために Yahoo で検索してもらった)。さらに、その Web サイトの 「このページ、このページ」 と、指定する Fax が来た。しめて、金額で 16万円ほどになる。単価は思い切り 「勉強した」 が、業者としてこの程度に確実な念押しをしてくれれば、まあ気持よく仕事はできる。
そう思って仕事にかかった翌日、あっらら、客先の予算の都合で 大幅削減、もう訳し終わったところを含めて、当方への支払額 6万くらいまで削られたという; 依頼主は役人で、自分でもある程度は読めるから 業者への発注も安易、その単価が高いから、では予算内で これだけに削る − というのだ。
その点に関する限り、業者の責任ではない。発注してから、それが高いから一部 撤回するのも、客の権利の一部かもしれない。が、仕事を既にはじめていて、既に完了した部分まで 「いらない」 と言われては救われない。その分については、発注者の責任で支払ってもらうことにした。その客先が役人で、発注後の作業 = 労力、従って金銭につながっているという感覚を持っていないらしいことは想像できたから、それは僕にも、業者にも反省点として残ったとは言える。

その翌週。
その 「低質」 とは思えなかった彼からメールが入り、今度は電子原稿なし、Fax を送った、読めないところは訳さないでよいので よろしく頼む、依頼主は先日と同じ役人だと。
家に返って Fax を見ると、なるほど、3ページ。1ページめはロゼッタ・ストーン状態で、「解読」 を要する。3ページめは図が完全につぶれて、文字の存在自体が不明。これで 「読めないところは訳さなくてよい」?!
読めるところは、400字前後しかない。発注者が前回と同じ役人だというので、同じ単価で やらせるつもりか。しかし こちらにも生活がある。仕事は、慈善事業ではない。前回の文書セットの追加なら同じ単価で受けるとは言ってあるが、これは別の文書だ。こんなもの、文書のタイトルを読めている役人自身がやればよい。僕が 本来の生活を犠牲にしてまで これを やる、どのような理由もない。
丁重な言葉で、業者の彼には お断りのメールを返した。



なお、わたくしの 「翻訳」 は、文字数ベースであれば 400字相当 まず ¥5,000 を提示します。ただし これは 「客先末端価格」 と言うべき金額なので、中間に業者が介在する場合には、わたくしへの配分が ¥4,000 を割るのは止むを得ません。特別な事情がある場合、あるいは当方が特に関心を持つ分野であればそれ以下でも受けますが、どんな場合にも 400字相当 ¥2,500 以下で受けることはありません; これは、同業 同言語の翻訳者とのダンピングごっこをしたくないからです。もしそれ以下で受ける人がいれば そちらへどうぞ。
この他、弁護士の業務の上で必要になる公式 (役所の) 文書類は、字数に関係なく 1枚 ¥5,000 と決めています。この場合、弁護士の 「実費」 になるので、弁護士自身による中間搾取はないとみなせるからです。

最後に、友人・知人・先輩・後輩や恩師からの依頼、あるいは僕個人を強く動かす理由のあるものについては、本当に (完全な) 無料でやることはあります。が、商業ベース、つまり 「仕事」 であれば、これは決して 「ない」 ことを申し添えます。商業ベースでは、少なくとも 「末端最終価格」 400字あたり ¥5,000 を不当な価格だとは、わたくしは考えておりません。それは、「冬ソナ」 ブームに伴う エセ 「韓国語」 に対して、プロの翻訳者をどう (金銭的に) 評価するかという問題です。


(20050313-1) キリル字 実験

CGI に多少 手を入れたので、実験。
僕の管理するページでは、朝鮮語/韓国語 と キリル字 について すべて 「画像」 表示している。

これは、1つには歴史的な理由によるもので、Windows 95 や 98 の時代には 「特別な」 用意をしないと ブラウザ画面にはハングルが出なかったこと、従って、「何の準備もしていない」 パソコンの画面にも 「うむを言わせず」 ハングルを表示するためには、それらを 「画像」 として (つまり 「絵」 として) 表示するしかなかったことが 1点。

もう1つは、キリル字が必要になったときに、ページ原稿が JIS 「ロシア文字」 で書かれている場合など、ブラウザによっては (Netscape が その典型) 「なんとも間抜けな全角文字」 になってしまうこと; それが あまりに見苦しいので、キリル字一般について、同様に 「画像」 表示することにした。

実は、この方法には意外な問題がある。「画像」 にすぎない 「絵」 で文字らしきものを並べても、例えば 「下線」 を引くことが出来ない。あえて それをやるには、style sheet で範囲内 「下側だけ枠線」 を引くことで不可能ではないのだが、この style sheet の動作がまたブラウザごとにばらばらで、汎用化できないでいた。

仕方がないので、キリル字については 「下線付き」 画像セットを作ってみた。以下、ハングルとキリル字の 「絵」 の実例:


w ( A Brown fox jumps over a lazy dog のつもり。w には該当文字がない)
w
これでもまだ問題は、単語間の空白には下線が付かないこと。その他 ハングルについては 「下線付き画像」 を作るのが面倒、「斜体」 はさらに面倒、さらに 「下線付きの斜体 」など手に負えないのだが − どうしたものだろう ・・・


(20050314-1) 近況報告 − 「2段ベッドの上段」、「男の子」 の関心世界

長い間 何も書いていないので、読者が減ってしまった (そのくらいは 当方 ソフト屋だから わかるのです)。読みに来るのは、過半数が検索サイトの収集ロボットで、これだけは熱心に見に来てくれる。そういう中で、Yahoo とか Goo とかで何か検索すると、たまたま (話題の範囲は広いので) 僕のページが発見されて、見てくださる方がいる。が、「それきり」 になるのは、この 「日記」 が それなりに面白く ないからである。「最後の記事」 = 「最新の記事」 を、高い頻度で見に来てくれる人も減った。

そうこうしている間にも、時は経過する。
4年生の子は、1月に学校で 「二分の一 成人式」 というのをやったそうだ。なるほど、4年生は、その1年の間に全員が 10才になる。「成人」 するまでの 1/2 の課程を、既に完了している。これには説得力があった。彼女をつかまえて、僕は風呂場に片足入れて見せる: 「お前ちゃん、大人に片足 もう つっこんでるんだぜ」。
10才の誕生日は、3月1日 (ゆえに、我が家では 「ひな祭り」 はやらない。ひな祭りより彼女の誕生日が より重大だから)。誕生日のプレゼントに何がほしいか、考えさせた。特に名案がない。父親は、じゃ、そろそろ携帯を持たせようかと考えた。本人、手を横に振ってみせて 「いらない」 という; 去年は あれほど ほしがっていたくせに。
去年、つまり3年生だったとき、友達の4年生が 携帯で母親と連絡を取り合っていた。だから彼女も、4年生で携帯を持たされても不思議はなかった − しかし、今この瞬間 「携帯」 を持たされることの意味を、「1/2 大人」 の彼女は知っている; つまり、僕が不在の間の家庭の緊急時に、僕に連絡すること。10才は、「幼児」 からは もう遠い。金銭感覚も、父や母の人格への評価も、幼いとはいえ冷静な判断を持っている。僕から携帯を与えられるということは、「緊急時には とにかく携帯 持って外に出よ、そこから お父さんに電話しろ」 という意味であることを、彼女は うすうすであっても理解している。だから、その任務が、彼女には負担なのだ。

結局、10才の誕生日のために買ったのは、「2段ベッドの上段だけ」、つまり、本来は子どもの勉強部屋に置く 「2段ベッドの上段だけ、下段は勉強机や引き出し、ワゴン」 という家具セットの、「上段ベッド」 だけを買った。今まで彼女は、ソファー・ベッドで寝ていた。本当は、彼女には自分のベッドがあった; 下段に母親と弟が寝る、その上段が彼女だった。ソファー・ベッドで寝ていたのは父親である。が、何かの具合で それが入れ替わった; ある年のクリスマス・イブ、彼女はサンタさんのプレゼントを入れてもらう紙袋をベッドに掛けて寝た。サンタさんは来た。翌年のイブ、彼女はソファー・ベッドに、僕は2段ベッドの上段にいた; サンタさんは来なかった。「お前、袋、どこに置いたんだ」、「ベッドのとこ」。ほれみろ、サンタさん、プレゼントをどこに置いたらいいか、わからなかったんだ。それは 彼女が、おそらく 幼稚園3年めのことだ。それ以来、父と娘は、2段ベッドの上段とソファー・ベッドを、おおよそ交互に使っていた。が、4年も経過すると、ソファー・ベッドが彼女、2段ベッドの上段が父親で すっかり定着していた。「一人じゃさびしい」 とき、彼女は 既に父親の場所になった2段ベッド上段で寝たが、そうでなければソファー・ベッドが定位置になっていた。
「上段だけ」 のベッドが届いた日、彼女は言った: 「あ、自分のベッドが出来たんだっけ」
下段の空白には、まだソファー・ベッドが置いてある。ここは (今は) 僕がゴロ寝、仮眠する場所である

3才の子は、去年8月に3才になってから、しゃべりまくる。飛行機、車、バスにトラック、ゴミ収集車とパワー・ショベル。変身ロボットにもなる戦闘機、父親のプラモデルのストックの中に戦車を見つけて 「せんしゃ!」 と来た。「あれ、動かないんだよ」 とやりすごす。男の子が この種のものに興味を示すのは、僕は親の誘導によるものにすぎないと考えていた。が、彼は お姉ちゃんの少女アニメや飾り物にもかかわらず、「飛行機、自動車」 に異常なまでに興味を示す。「戦車」 は、さすがに まだ与えたくない。ピストルも、去年の後半、ひそかに廃棄した。が − そろそろ いいのだろうか: 僕自身、アメリカで 本物のピストル、本物のライフルを撃ってみた。ある年令に達した男の子を連れて、公園で エア・ガンの射的ごっこをやってはみたい; それは、ある面、僕自身の夢であったのも事実なのだが − 3才半が その 「適当な時期」 なのかどうかは、僕自身、まだ よくわからないでいる。


(20050319-1) 「Unicode 対応」 エディタを買ってみた

僕が わざわざソフトのパッケージを買うのは 非常にまれなケースなのだが、エディタだけは 「使いなれた」 操作が必要なので、おカネを出して買うことになる。ソフトの名前は "WZ" (一説によると、これは 「ウズ」 と読む。が、多数派は 「ダブル・ゼット」 と呼ぶ。僕は この 「ウズ」 説を聞いて、うむ、それがよさそうだと思うようになった。英語をしゃれて double-yu zee なんて呼ぶのは こざかしいと思うし、double zee なら "ZZ" だろう)。

僕の場合、1980年代から (「専門的」 な話で恐縮だが) Unix 系 "emacs" といソフトのエディタ部分だけを取り出した 「emacs もどき」 を長く使ってきた事情がある。Windows 上で 同じ 「emacs もどき」 のキー操作ができるのは、フリー/シェアウェア系では WZ 1つしかなかった (現在もそうらしい。ただし 「もどき」 でない 「真正 emacs 後継版、多言語対応 Mule」 の Windows版というのは、今も 本当にフリー版、商品版があるし、さらにその後継版もある。ただし 「真正」 版は あまりにも高機能、かつユーザに対して高い知識を要求するので、かえって使いにくい面がある)。 DOS の時代、WZ は (たしか) フリーウェアで一世を風靡した時代があるが、次にシェアウェアになり、最後には会社が立って ごく普通の市販ソフトになった。現在のバージョンは "WZ 5"。

この種のソフトは、エディタ、メール送受信などの世界に多く、その ほとんどが 「最初はフリー またはシェアウェア、最後に商品化」 という過程を取っている。有名な 「秀丸エディタ」 や メール・ソフトの 「Becky!」 というのもそれで、業界事情を言えば、プロのソフト屋たちは こういうソフトを使うケースが多い。歴史的に 「フリー」 ではじまったので、商品化後も安いし、「無料配布」 時代から無制限コピーに慣れているので、コピーの配布には 最初から 「集団での使用には別途 安くライセンスだけ発行する」 ようになっている。会社内部で 「Microsoft 製品一色」 を避けたい管理者がいる場合、こういうものが社内に配布されてくる。

さて、今まで 使ってきたのは "WZ 3" という版である。
マニュアルを見ると 1997年の販売で、まだ 「2000年問題」 が解決されていない時代。だから、このソフトで何かテキストを書いて、そのファイル作成時刻を同時に印刷すると、今年は 西暦 105年である。1999年が去った翌日から 「今年は西暦 100年」 になっているわけだが、今となっては妙な愛着がある。それで今まで使ってきた。

が、避けられない事情が、職場で発生した。
リアルタイム OS のくせに、カナダが本拠地、従って英語だけではすまない、フランス語が必須の環境なので、基本文字コード系は ISO-8859-1、しかも 製品開発初期の主導者は台湾系だったようで、東洋語は最初から CJK Unicode/UTF-8 を使うことになっている。これらが使えないと、そもそもソフト開発ができない。通信相手が Windows-XP なら、XP では 「メモ帳」 でさえ Unicode でファイルを作れることがわかったのだが、どうも・いろいろと具合が悪い。この際、僕自身の作業環境を どうにかするしかない。

調べてみると、幸か不幸か、WZ の最新版で Unicode/UTF-8 を扱えるようになっている。
だが、困ったことに、バージョンは 5。このインストールに、直前のバージョン 4からの引継ぎは考慮されているが、バージョン 3は対象外。そもそも 新版を定価で買えという。
「背に腹はかえられない」。定価 ¥9,800。Sofmap で買うと1万円を越える。Amazon だと ¥8,227 で買えるので、これにした。Amazon さん、在庫1個だけ。注文は木曜、その当日から 「既に発送手順に入っております」 となったが、なかなか来ない。「発送しました」 通知が来たのは今朝、つまり土曜。その午後に届いた。要するに Amazon 内部からの 「発送しました」 通知が遅いだけ。その証拠に、伝票の日付は 17日 (木曜) である。

なお、この製品には (よその製品も みな同じだが)、Web 上から その場でダウンロード、即 使える販売形態もある。が、僕は それを避けている。ダウンロードで商品ソフトウェアを受け取っても、その商品は 「その」 機械にしか残らない。フリー/シェアウェア系の特徴かどうか、契約上 一人が複数の機械で使ってもよいので、その場合 「自分自身で」 ネットワーク経由でコピー転送する必要があること、それに、公式パッケージと紙のマニュアル、販売元ロゴのある CD-ROM も手元には届かない; この場合、その直後に機械が故障なりクラッシュすると、代金 「払い損」 になるではないか。「プロ」 は、パソコンなどという機械は 「いつ壊れるかわからない」 と固く信じているので、そんな買い方はしないのだ。



「エディタ」 という類型のソフトは、「非常に貧しい機能しか持たないワープロ」 だと考えてよい。Windows に付属する 「メモ帳」 がその典型で、これには文字修飾 (太字、細字、斜体、行間など) に類するものが一切ない。それが 「エディタ」 の原形、要するに 「文字入力できるだけ」 のソフトを 「エディタ」 と呼ぶ。
それに、やや 「ワープロみたいな機能」 が付いたのが、Windows では 「ワードパッド」 で、これには Word のごく限られた一部の機能が付いている。
これが Word そのものとなると、おどろおどろしい 文書整形機能が付いていて、僕には使いきれない。ただ単に 「お手紙」 書くのに なぜ こんな 「おどろおどろしい」 ソフトを使う人がいるのか、僕には理解できない面がある。

ただ、最近の 単独 「エディタ」 ソフトともなると、「文字入力できるだけ」 を越えて、いろんな文字・文書修飾ができるようになっている。WZ の場合、「WZ 文書」 という特殊な形態のファイルを作成でき、そのファイルは まるで Word で整形したような文字修飾ができるらしいのだが −
ただ、悲しいことに、そういうファイルを作っても、それを 他人と共有できることは きわめて 「まれ」 である。僕が 美しい 「WZ ファイル」 を作っても、相手が WZ というソフトを持っていなければ 相手には読めない (読めても、無意味な修飾タグが付いているのが見えるだけ)。しかも、その 「WZ ファイル」 の形式がバージョンごとに変化して行くのだから、汎用性はゼロである。まして、おまけとして付いている 「WZ メール」 など愚の骨頂で、インターネット販売している その客が、まさか、既にメール・ソフトを使っていないことなどあり得ない。なんで こんなものを付けた/作ったのだろうか。



同じように 「最初はフリー・ソフト」、後に商品化された 韓国の いわゆる 「アレア・ハングル」 というワープロがある。
このソフトは、「エディタ」 の範囲を当初から越えて、IBM DOS VGA 画面に 「みずからの手でハングルを描画する」 ことから はじまった。
このソフトの帰趨、現在までの状況は ご存知の通り。いずれ、このソフトの歴史自体が、あるいは 韓国 「科学史」 の重要なテーマの1つになるかもしれないな、と考えてみたりは するけれど。


(20050320-1) 「Unicode 対応」 エディタを買ってみた (2)

「Unicode 対応」 と言われれば、誰でも 「Unicode で文書を作れる、Unicode の文書を読める」 と思うだろう。僕もそう思った (期待した)。だから、これで、僕の管理するいくつかの Web サイトでは、必要なら新規文書を Unicode または UTF-8 でいけるか − そう思って、MS-IME で ハングルの入力を試みた。あらら、入力カーソル位置がぴょんぴょん跳ね回る、ある部分はどうしても入力バケが起こる ・・・ で、見事に 「失格」 だった。

マニュアルは、まず 「オンライン・ヘルプ」 というやつで、キーワードを入れて検索する。これで いくつか検索してわかったことは − 要するに このエディタのこのバージョンでは、既存の Unicode または UTF-8 による文字コードを、一度 Shift-JIS に置き換える; Shift-JIS の範囲を越える (つまり JIS 未定義) 文字は、内部的に特殊な操作をして表示する。ただ、それだけのようだ。
MS-IME の Korean に 「対応」 とは、どこにも書かれていない。そのデンで行くと、JIS に定義されていない 西欧アクサン記号付き文字たち、東欧キリル字とキリル字の拡張記号付き文字など、まずアテにならない (入力できないだろう) ことになる。

さらにあきれたのは − これは Unicode ではない EUC の扱いにすぎないのだが −、文字コードの設定を 「EUC」 にして、純然たる "EUC-KR" 文字の HTML ファイルを読んでみたら、文字化け。「エディタ」 なのでそれは仕方がないが、表示 「フォント」 を Gulim に変更しても まるでだめ; 何か別の表示をしようとはしているが、それだからこそ激しい文字化けが愚かしい。Unicode ではない EUC なら、単にフォントを入れ替えるだけで正しく表示が変るはずなのだが、それが まともにできない。想像では、内部で 「一度 Shift-JIS に置き換える」 あたりで矛盾が出ると思われ、それを、このソフトの作者たちは理解していないのだと思われる。

WZ 5 は 「Unicode」 を謳っているが、それは 事実上 「JIS 範囲外の文字が読める」 にすぎない。その 「範囲外」 の CJK 漢字を入力できるのかどうか、西欧アクサン付き、東欧キリル字拡張、これらを、僕が実験する義理を感じない。その他の 「ハングル」 については NG である。
バカ、あほ、あるいは痴呆か魯鈍だな。

「Unicode なら多言語混在文書を作れる」 はずの期待は、見事に裏切られた。従って、このソフトは、僕の職業上の必要で買ってはみたものの、「この」 ページに興味を持って読んでいる方に対しては、「勧める」 どのような根拠も、今はない。その点を申し上げるのが、今日の記事の目的である。


(20050328-1) 「韓流」、「ハン流」、「ハングル語」

失礼ながら、バラしてしまう。
han-lab あてのメールで、短いメールをいただいた。たしか3行、タイトルも たしか 「しょうもない質問」 だった。3行、正確に引用しては ご本人も不快だろうから、記憶によって最初の まず2行:
「韓流」 と書いて 「はんりゅう」 と読みますね。
これは ハングル の 「ハン」 なのでしょうか?
ふむ、これだけなら よかった。が、次がいけない:
ちょうど 「韓国語」 と書いて 「ハングル語」 と読むように。
前の2行だけなら、無知は無知なだけに、それなりに類推は当たっているのかもしれないと思った (もっとも、「韓流」 を 「はんりゅう」 と読むとは、はじめて聞いたが、案外その読み方が されているのかもしれない)。
が、たった3行の最後の1行で、この方は 単なるバカだと思った。

返信を、その場で書いたような気がする。「まじめに勉強なさるおつもりなら、つきあいます。そうでなければ、こんな 「しょうもない」 質問をよこさないでください」 − いや、実は、本当は もう少し激しい罵倒を返した。
あちらには、非常に不快な返事だったろう。不快にさせようと思って、そう書いたのだから。

言葉の勉強というのは、普通の大人なら まず 「文字」 の勉強からはじまる。ラテン字は、大人は かつて中学までに習って、中学では英語を習っているはずだとしても、ロシア語を習うときキリル字を、アラビア語を習うにはまずアラビア文字の読み方、タイ語でも 朝鮮語でも、だいたい初級の最初に文字を教え、その読み方を教える、それで母音はいくつ、子音はいくつ、組み合せて、どうなる、という段階が最初。次に、西洋語ならまず人称代名詞、その 英語なら be 同士、フランス語なら etre、ドイツ語なら sein と、だいたい順序は決まっているので − 観察者としては 「この人は be 動詞まで習った、この人は have まで、この人は 過去・現在・未来の時制まで、この人は関係代名詞まで ・・・ と、だいたい話を聞けば その (終了した) 学習段階は わかるものだ。ところが、

朝鮮語/韓国語となると、事情が変ってくる。まじめに勉強した (はずの) 人でも、語順が似ているものだから、形容詞と動詞の区別がつかない人がいる。この区別がつかないということは、動詞の 「時制」 も理解していない ということ、形容詞の 「連体形」 を理解していない、ということである ( , , )。語学の勉強でこの程度の区別ができないのは、英語で言えば 現在と過去、単数と複数の区別がつかないのと同じ程度か、それ以前の段階だと思われる。ひどい例では を 「殺伐する社会」 と訳した例を知っている (念のため、これは形容詞である。それをさらに動詞の 「現在」 の連体形に訳す点。さらに、その結果 できた訳語は 「日本語」 として たいへん奇妙。つまりここには三重の誤りがある)。

これが、「冬ソナ」 以後の狂乱状態になると、今度いただいた3行のメールのように、聞きかじりの伝聞のそのまた伝聞、といった 「韓流」 韓国語? が登場することになる。もう、いい加減にしてくれ。そう言いたくなっている。

「あなたが、本気で勉強なさるつもりなら、当方も おつきあいします。しかし 「韓流」 ごっこの聞きかじりで、中学生の英語、1年生の1学期にも劣る程度の知識を、振り回さないでください。朝鮮語/韓国語であれば、せめて文字の読み方、書き方を習ってください。その最低限の努力をすれば、漢字とハングルとオトの関係は、必ずわかります。せめて そこまで自力で努力してください。そこまで来れば、わたくしも あなたに おつきあいできると思います」。
お願いですから。


(20050329-1) いわゆる 「数詞」

日本語のネイティブ・スピーカーなら 「バカでも知ってる」 ことだが、おさらいしておこう。
日本語の 「数のかぞえかた」 には2通りがある。「いち、に、さん」 系と、「ひい、ふう、みい」 系である。前者は 漢字音が起源、後者は いわゆる 「和語」 または 「倭語」 つまり純日本語である:
いち さん ろく しち (ひち) はち く (きゅう) じゅう
ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とお
ところが、例えば僕自身 「1から 10まで」 数えるとき、次のように言うことがある:
いち さん よん ろく なな はち きゅう じゅう
これを、誰も不思議に思わない。それから、例えば子どものこんな発話は、ごく自然なものだと思う:
いち、にい、さん、しい − 全部で よんこ (4個)
言い換えると、日本語のネイティブは、子どもでさえ この 「漢語系」 数詞と 「和語系」 数詞を自在に使い分けている。特に 「よん」 と 「なな」 は、序数詞 との結合が強い:
1747年 − せん・ななひゃく・よんじゅう・なな・ねん
1945年 − せん・きゅうひゃく・よんじゅう・ご・ねん
1994年 − せん・きゅうひゃく・きゅうじゅう・・ねん
1970年 − せん・きゅうひゃく・ななじゅう・ねん (の、こんにちわ)
8473個 − はっせん・よんひゃく・ななじゅう・さん・こ
俗に言う 「日本語は難しい」 という言い方に、こういうことが考慮されているだろうか? (No だと思うが)。

ご参考までに、英語には 「数詞」 に2系統は存在しない。日本語では4桁で単位が変る (万、億、兆) のに、英語では3桁で単位が変る (thousand, million, billion) だけ。ただし 11:eleven、12:twelve、その他 綴りが気まぐれで 20 までは 14 が fourteen だったか forteen だったか、20 が twenty、30 は thirty、40 が forty だったか fourty だったかという、いかにも英語らしい 「無原則な綴り規則」 があるだけである。
それに類するのはフランス語の数詞で、80 は 20 x 4 と表現するとか 不思議な数え方をするが、しかし これも、「数詞」 それ自体に 2系統があるわけではない。

さて、朝鮮語。
これには、我々の日本語と同様、2系統、つまり漢字音による数え方と、純朝鮮語 いわゆる 「固有語」 による数え方がある。それも、この固有語系は 「100」 まである:
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 20 30 40 50 60 70 80 90
() ()
このうち、驚いたことに から までと には 「活用」 がある。場合によっては , にも それがある。ただし、日本語の 「1747年」 みたいな自在な使い分けはなく、「1747年」 は 単に である。それとは別に、原則・慣習がある。例えば 「人数」 を表現する 「 (名)」 と、年令を表現する 「」 で、1〜4と 20 の 「活用」 はこうなる:
-, -, -, -, -/
この話は、詳しく書いていると長くなるので、今夜はやめる。
今夜は、ある程度 「本気」 で朝鮮語/韓国語を習った・習っている人に、とりあえず 「日本語」 側の特殊さを指摘したいこと、同時に、朝鮮語には日本語と同様に 「2系統」 の数詞があることを思い出してもらいたいこと、それらには なんと 「活用」 があって ある程度 「難しい」 のだが、しかし フランス語みたいに 「80 は 20 x 4」 みたいな表現はいらないこと − だいたい その程度のことを言いたかっただけである。


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