Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20050101-1) 謹賀新年

がらにもないタイトルで恐縮。
年賀状もまだ作成中、年末から今日にかけて ごたごたが多く、ちっとも 「めでたく」 感じないのだが、それでも正月初日の記事は そうそう 暗い話もいやだし。かくして、紋きり型、あけましておめでとうございます。

年賀状にも書きつつあるが、朝鮮近代文学の世界より、日々の仕事、借金、今日をどう過ごすかに疲れている。親戚たちも 必ずしも 「安寧」 だとは言いがたい。父など、東京ではめずらしい 「雪」 におびえて心配しまくり、昨夜の 「年越し」 の訪問も中止した。これは、老齢による体調の不良、それに伴って老人的な さまざまな不安を膨らませやすいことによる。

ところで、この 「日記」 のトップ・ページ 「朝鮮近代文学の部屋」 というタイトルも意味を失いつつある。放置しているが、何か − 思いつけば − 適切なタイトルに変えたほうがよさそうな気もする。が、「この」 世界で、僕が出すことのできる看板は せいぜい 「文学」 だけなので、例えば言語系、音声学であれ外国語一般であれ、大学教養課程 程度の知識をもって言語系のタイトルを掲げるのも無理である。

なお、昨年末に 「年越し」 させたかった 金魚の 「白2号」 は、やはり 12月31日の午後、世を去った。薬品の与え方には かなり気を使ったのだが、我が家に来て 19日。最初の 「金魚すくい6匹」 の、最初の1匹が死ぬまでの 「21日」 には 及ばなかった。


(20050101-2) 「ハリポタ」 映画 第3作の瑕疵

9才、2ヵ月後には 10才になる子が指摘した。
末尾の 「時間を3時間もどして」、3時間前の自分たちの行動 (の結果) を修正に及ぶとき、ハーマイオニーが言う: 「今は7時半よ」。外はまだ明るい。夕日が沈む時刻に見える。9才は言う、それはおかしい。

アメリカ北部の夏、あるいは夏の韓国ソウルの午後7時、この時間帯に、まだ空には明るい夕日が残っているのを ご存知の方は多いはずだ。その類推から、「7時半」 がまだ明るいところまでは、僕も疑問を感じなかった。
が、季節は冬。雪の中で、3時間前のハーマイオニーがマルフォイにパンチを食らわせるのを見て、3時間後のハリーは 「ナイス・パンチ」、ハーマイオニーは 「ありがと」 と言うではないか。イギリス北部の緯度なら、冬、この時刻には もう暗い。
9才は言う。あの逆転時計は、7時間くらい逆転しているのじゃないかと。が、作品の設定から 「3時間」 は動かせない。

いずれにしても、作品末尾の数時間は夜である (狼男のルーピン先生が満月で異常を起こす。満月は、日没と同時に地平線上に上がる。その 「3時間」 程度の後に、雲が破れて (つまり暗い中から) 満月が姿を現わす)。映画末尾の画面全般が暗いので、華やかに輝くのは (映画の上で) 3時間後のハリーによる 「パトローナス・チャーム」 である。それとの相対的な関係から 「7時半」 が明るいのはわかるが、映画には やや矛盾が出たように思える。原作の中で、「雪の中」 でマルフォイとの対決には記憶がない。つまり、これは映画の独自場面で、これは 「雪明り」 の中で展開された、とでも説明するより方法がないように思える。


(20050110-1) 最低の正月

まず、友人の母親が亡くなった。それも、1月1日の午前1時55分。彼の日記ページでそれを知ったのは 数日後。既に彼あて 年賀状を出していた。世代的に、友人たちの親の他界が続く。自分の親については、「覚悟」 ができているとは言いがたいが、予測はできる。が、年末に緊急事態となった彼の場合は、聞かされる側こそ胸が痛むケースだった。

僕自身のパソコンの、モニターが故障した。数年以上の間、足腰を適切に 揉んでやらないといけない 困ったモニターだったが、ついに今朝 昇天した。
パソコンの故障は、僕にとって致命的ではある。他にもいくつか不調部分を抱えているが、モニターがなければ 「電気がない」 のと同じ。隣のパソコンから 「ネットワーク」 上に見えているので、コンピュータとしては機能している; が、「隣のパソコン」 はツマ子の機械で、ここからリモート画面を動かせるようにはしていない。モニター買い替えの時期は、数年前から懸案だったが、だましだまし使えたからこそ 先延ばししてきた。それが、家計的に最悪の時期に 寿命が来た。これで、予定される借金の額が上乗せされる。Sofmap で買えば配送料を取られるので、Amazon で調べた。ふむ、3千円 安くなるな ・・・
いま この瞬間は、「こういう時のために」 残してあった 15インチ CRT を使っている。いかんせん、古い。800ドットが上限、1024ドットでも表示は出るが、ぼけぼけで実用にならない。800ドット画面の狭さには、9才、4年生さえ驚いたようだ。まして、図体は奥行きが 40cm 近くあるので、机の上は もうキーボードを置く面積しか残らない。

金魚騒ぎは、相変わらず。「生きている」 ものを死なせたくない、それ故に実験をくりかえすことが、さらに新しい 「死」 の上に成り立つのだから、やりきれない面がある。
1匹が 12月31日に昇天する前、昇天を (僕は) 予測して、また1匹を補充してあった。現状では 次のようになる:
品種 名前 我が家に来た日 死んだ日 生存日数
3才の金魚すくい 12004.10.242004.11.1421
22004.10.242004.11.1724
32004.10.242004.11.1825
42004.10.242004.11.1926
52004.10.242004.11.2027
6 (大)2004.10.242004.12.0137
小金魚 ¥50 2004.11.202004.11.233
2004.11.202004.11.299
コメット ¥210 赤1号2004.12.042004.12.095
白1号2004.12.042004.12.073
コメット ¥210 赤2号2004.12.122004.12.2311
白2号2004.12.122004.12.3119
コメット ¥210 白3号2004.12.23 (18日を経過)
コメット ¥210 赤3号2004.12.30 (11日を経過)
「コメット」 種は、薬品使用で たしかに寿命が伸びている。が、「白3号」 は既に尾びれが侵されて小さくなってきた。「金魚」 の 「金魚」 たる由縁で、奇形的な 「品種改良」 の結果、不必要なまで大きな・長いヒレ、それが細菌の生息を呼ぶ。薬品は人間のものと異なり、薬品成分の表示さえないものがある (多い。ほとんどがそうである)。中には、信仰に近い薬品というものもあって、それを入れてみたら、まったく不調、白濁がひどく、結局 水を全部 入れ替えるしかない; そんなことを、この正月の間 くりかえした。それが、当然ながら 金魚という生体にとって負担になっている。わずかに 成分表示のある薬品を数種、まだ試行錯誤をするしかないと考えている。尾びれが既に侵されている 「白3号」 は、予断を許さない。この先、病原とそれに対する個別の薬品を与えてみるかどうか、多少以上に憂鬱でもある。

この 「日記」 から 「文学論」 が消えて久しい、という指摘を受けた。
まったく、その通りではある。しかし、尊敬する恩師は、「朝鮮語」 から離れつつある。朝鮮文学では大家のはずの、「恩師」 に近い友人または先輩も、既に朝鮮文学に興味を失い、中国に行きっぱなしである。その後継者集団のはずの研究会は続いているが、これも 「先生」 不在で適切な方向付けが欠け、僕自身 数ヶ月の間 欠席が続いている。
それらから横すべりした結果が、僕の場合 「ハリポタ」、その周辺にある童話の議論や、あるいは 「ジブリ」 のシリーズ、例えば "Never Ending Story" の 犬頭の竜が 「千と千尋」 の 白竜そのものである点などを指摘してみたことがあるのだが、しかし それがどうだ、というものでもない。

「朝鮮近代文学の部屋」 という 大タイトルは、そろそろ撤回してもよい時期なのかもしれない。が、他に適当な代替タイトルも、思いつかない。


(20050111-1) 大人のおもちゃとしての 化学 (バケ学) 用品

「金魚」 騒ぎで、実は初めて体験しているものがある − 化け学で使う用品たち。

まだ、試験管は要らない。最初に買ったのはリトマス試験紙。
次に、「ピペット」 と呼ばれる危険な器具 (薬品を吸い上げるために、人間が口で液体を吸い上げるガラス器具) があるが、それに代る 目盛り付きの細長いスポイト。「ピペット」 の危険は、検査者が 誤って薬品を 口にまで吸い上げてしまう点だが、これがスポイト型になってようやく改善されたという歴史がある。今日 現在、この 「ピペット」 型のスポイトは、僕の手元に3本ある: 10ml、5ml、2ml の3種。小さくなればなるほど、吸い上げる量の精度が上がる。金魚に与える薬品は 「何 L に 何 ml 」 という公式指定はあるが、実際のパッケージは フタを開けて 「何滴入れた」 程度の作りになっている。これでは、そもそもアテにならない薬品瓶の目盛りで、アバウトにならざるを得ない。大きな水槽で ゆったりと魚を飼える人はそれでよいが、250mm キューブの我が家では、この正確な量が問題になる。「プロ」 用と思われる 対カビ類の単一薬品は濃く、250mm キューブの定量は 2.5ml になる。水 半量を替えたら、1.25ml。この正確な量を入れるには、「ピペット」 型 10ml では精度が低い。今日 2ml 型をやっとみつけて、ずいぶん楽になった (もっとも、菌に侵されつつある金魚には、ちっとも楽ではないだろうが)。

さらに続くのは、「顆粒」 つまりペレットの薬。これは、水 60L 単位で 1袋に入っている。これを、水槽の量に合わせて2分、あるいは3分、4分して与えよという。しかし、粉または顆粒の段階で、正確に2分、4分するのは、ほとんど不可能ではないか。250mm キューブは 15L、高精度の天秤でもなければ、正確に 1/4 を取り出すことはできない。
考えた末、50ml の小さなフラスコとコルク栓を買ってきた。60L 分のペレットを、これに溶かしてしまえ。その 1/2、1/4 量なら、ピペット型スポイトで取り出せる。つまり、1袋を7回に分けて与えればよい (最初は 1/4 量、つまり 50ml / 4 = 12.5ml、次からは水 半量を入れ替えるとして 6.25ml。合計7回に分割することになる)。実際には、薬品はしばしば毒々しい色をしているので 見ている人間が耐えがたい; そこで薬品量を半分にしたりする。すると 6.25ml の半量は 3.125ml。こうなると、「ピペット」 型スポイトしかない。

そういうつもりで買ってきた三角フラスコと少量ピペット型スポイト、これで 対症状型の薬品を与えてみるつもりだったのだが、今夜は家庭内騒動があって、使わずじまいになった。ただ、対カビ薬品の投与 1.25ml には 「2ml」 型が威力 = 精度を発揮するので、この際 「正確に」 1.50ml を投入してみた。

朝鮮近代文学との関係?
ない。朝鮮近代文学に 「金魚」 が出て来るケースは 極めて 「まれ」 で、僕自身は出会った記憶がない; 仮にあっても、背景の一部だろうと思う。


(20050113-1) 「高齢者 擬似体験 学習」 レポート

ソフトの都合で 字が大きかったり小さかったりするのだが、幸い この記事を書くエディタ (WZ の古い版、実は 「2000年問題」 対策がなされていないままの当時の版) は、比較的 大きな文字になっているので、この記事は書ける。

そもそも、子どもが小学校で体験したという。「高齢者 (擬似) 体験」。両手、両足、あるいは胴体にまで 重い防弾チョッキみたいな 鎧兜?を身につけて、階段を上り下りしてみる、校舎を一回りしてみる。「ものすごく重い」 のだそうだ。この 「鎧兜」 の実物に触ってみた記憶があるが、あれは警察官が出動するときの防弾チョッキなみの重さだった。つまり、足腰が弱くなった高齢者にとって、「歩く」 こと自体が 「こんなに大変なことなんだよ」 と子どもらに教えるのが目的である。事実、座る・立ち上がるのに 「どっこいしょ」、「よっこらしょ」 と声を出しはじめるのが、中年期ですわな。

15インチの液晶モニターが死んでから、前世紀の遺物、つまり 1990年代の前半に買った、当時のマルチ・スキャン CRT モニターを使わざるを得ない。1024 ドットの画面も、出る。出るが、かろうじて判読できる程度、ぼやぼやで使い物にならない。視力に例えれば、視力 0.1 で教室の黒板を見るようなものだ。仕方がないので 800 ドットにした。1024 ドットより だいぶ まし。その夜は、それで満足した(?)が、翌日から実用に供するにあたって、いかん、こりゃ実用にならん。視力に例えて、0.2 くらいじゃなかろうか。何かの都合で 隣のパソコン = ツマ子用機 の画面を見ると、「そうか、パソコン画面て こんなに鮮明なものだったのだ」 と思う。視力 0.2 というより、想像するに 白内障が進行して ほとんど 「視界の鮮明さ」 そのものを忘れた状態に近い。あるいは、緑内障で すべてに カサがかぶって見える状態。

そんな時に、恩師の原稿が入った。師も そろそろ高齢といえる世代なので、Word 原稿の字が大きい。この字の大きさでは、800 ドット画面に収まらない。収めれば、ぼけぼけ。ちょうどいい機会; 家計事情でためらっていた液晶モニターの新品、注文を出した。

故障前と正確に同じ状態に戻す目的で、やはり 15 インチ液晶にするつもりだった。Web 発注画面で最後のページ、発注確認のそこまで行って、あら? 納品まで2週間ほど? 冗談やめてよ。安全を取って 17 インチではない 15 インチにしたのに、2週間 待てるわけがない。
Amazon トップ・ページに近いセールには、同じ SONY の 17 インチが出ている。驚いたことに、17 インチが、15 インチより 1400円か 安い。納期は 「通常 2〜3日」 とある。液晶で常に問題になる視野角も、こっちのほうが広いではないか。問題は解像度で、液晶 17 インチ 1200 ドットは、実は 50代の目にはつらいことがわかっている。つまり、17 インチ 1200 ドット液晶だと、ドット 1つ1つの大きさ それ自体が小さくなっているので、初老の老眼がはじまった目には、コンタクト・レンズ and/or メガネ (場合によっては、コンタクト・レンズの上にメガネをかける) で正確に矯正しないと、「擬似体験」 どころか 真正に高齢者問題になる。だから 「安全を取って」 15 インチのつもりだったのだが、2週間は待てない; 「通常2〜3日」 を取らざるを得ない。

受注確認メールが来た。発送予定、今月 18日以後。「通常2〜3日」 とあったのに、来週まで待て? 約束がちがう。
と思っていたら、翌日つまり今日、「発送しました」 とメールが来た。どうなってんだと思うが、けっこう。それなら、早ければ明日 夜、最悪でも週明けには使えるだろう。

近視の上の老眼問題?
ま、どうにかなるべえ。必要なら、専用の (まだ) 近視鏡を用意すればよい。


(20050116-1) 日記 − 17インチ 液晶、金魚

故障した 15インチ液晶の正確な代替より、17インチが値段も納期も早いので発注したのは、届いた。届いてみて 驚いたのは、2つの機種に共通のマニュアル − マニュアルといっても 紙1枚、それを4つに折っただけ − しか入っていないことだった。2機種のちがいは、唯一 「17 インチか、19 インチ」 である。解像度は、どちらも 1280ドット。
これで納得した。
17 インチの 1280 ドットが 「50代の目には酷」 である理由は、ドット1つ1つの大きさそれ自体が小さいことである。前の記事で 懸念した通り、「高齢者体験」 が現実のものになるおそれ、だった。
マニュアルが 17 インチ、19 インチで共通、同じ解像度だということは − つまり、前の 15 インチ 1024 ドット画面と同じ文字の大きさ (ドット1つ1つの大きさ) を確保した上で 1280 ドット画面がほしければ 19 インチを買え、ということである。

金曜に届いて、週末の間 使ってみたところでは、室内矯正用の 「近距離用」 メガネで どうにかなっている。液晶で問題になる 「左右、上下」 の視野角 (の広さ、狭さ) は、さすがに 17 インチ となると深刻、画面全面が文字ばかり、それを 30cm 程度の距離で見ていると、遠い側の画面端は既に暗くなる。従って、15 インチより 必然的に 10°程度 広い視野角が必要なので、あった。40cm 離れると、遠い端が暗いのは解消される。つまり、「見る」 距離が近ければ近いほど、画面が大きければ大きいほど、液晶の視野角は広くなる必要がある。同じ解像度で 19 インチあれば、40cm 以上 離れて問題ないだろう。「近視・遠視・老眼」 問題は、結局 「15インチ 1024ドット」、あるいは 「19インチ 1280ドット」 あたりでは問題がないはずだ、という結論に達する。



金魚は、薬品投与の かいあって この機種、いや品種で、最高生存記録 24日を出したか思ったら、0時を回った午前3時、動かなくなった。
薬品による治療、その最終段階で爆発的に 「尾ぐされ」 が発生した; つまり、薬品を与えることで 潜伏してきた病原に作用し、その病原と 「共生」 していた組織自体が一気に破壊された − というのが、今 現在の解釈。いわゆる 「薬の副作用」 の一種だろう。薬品投与しないときは、ある日 突然 死んだ。今度は、投与しつつ わずかに改善が見られたと思っているうちに、ある日 金魚は 「ダンス」 をはじめた; 転倒、横転、倒立。人間で言えば 三半器官にあたる機能を持つところが、薬品投与で (ついでに、副作用として) やられたか、あるいは その付近の病原に作用すると同時に 「共生」 していた組織そのものが破壊された。

これと 16日間 同居してきた もう1匹も、翌日 「ダンス」 をはじめた。これに 「尾ぐされ」 は見られなかったが、同じ病原が 上半身 (前半身) に浸透していたのだろう。医者なら持っているはずの知識を欠いているので、その程度の 想像・類推しかできない。

さて、この後をどうしよう。「最高記録」 を出しながら 「死ぬ」 と予測された日、9才の子と さらに1匹 買ってある。これは、本来の水槽内で元気。
今夜は、人身御供にされた 「16日間 同居」 したのを、洗面器に隔離してある。明日 朝には、希望はない。
こんな生体実験は、そろそろやめたくなっては、きた。


(20050123-1) 金魚の飼育と 子どもの飼育は 似ている

なんだか不謹慎な表現のようだが、自分自身が 「医者」 ではない以上、「医者」 のいないところで 金魚が (あるいは 犬が、猫が、牛が) 病気になったときに どう対処するか、同様に 「医者」 のいないところで 子どもが病気になったときに どう対処するか、この2つは、結局 同じことのように思えてきた。

もちろん、我が家の 「金魚」 事情は異常そのもので、最後の1匹も ヒレ類が ぼろぼろ。ヒレがすべて失われたとき 「魚」 として 「泳ぐ」 機能を失うから、それが最終段階だろうと思う。その原因がどうの、今は説明しない。

人間であれば、必ず 「医者」 がいる。どんなときでも − 例えば 12月 31日の深夜、日付が変わって新年の未明にかけて、子どもは救急病院で点滴を受けることができる。が、金魚に そんなものはない (犬・猫の救急病院なら聞いたことがあるが)。

ところで、今夜は子ども (3才) が寝ようとしない。そのくせ、鼻水がひどい。救急病院に持ち込む必要はまったく認めないが、鼻水は放置しがたいので 市販の 「鼻炎、子ども用」 を与えた ・・・ なんだ、俺のやっていることは、金魚に対する処置と同じではないか、と思った。いずれ 自分自身が 「医者」 ではない立場で、できることはそんなことしかない。
「牛」 ならどうか。牛なら、管理者がその夜の応急処置と投薬くらいした上で、翌朝には獣医が呼ばれるだろう。
「金魚」 ではどうか? 獣医は金魚の面倒までみてくれないわなあ。

実は、その間に探して歩いた 「金魚」 の薬品は、一般的な (子どものカゼ薬に例えれば) 総合薬品から、個別の成分を持つ単品の薬品に向かった。その効果は明瞭だったが、副作用も激烈だった。それで理解したのは − 皮肉なことに、子どものカゼや肺炎に出る医者の薬が、必ず複数種類であることだった。わかりやすい例では、カゼであれ何であれ、医者の処方には必ず 「胃」 または 「消化」 の薬が付いてきた。つまり、抗生剤を使えば副作用で下痢が予想される; だから医者の処方には必ず、その 「下痢」 に至る副作用を抑える薬品が、同時に含まれる。僕が 「金魚」 に与えてみたのは、その 副作用を考慮しない、ただ単品の対症状薬品ばかりだったのだ。それで、金魚たちは 次々と死んでいった。

ま、それでよいのだろう。
子どもは3才、もう言葉もしゃべる; 鼻水にティッシュ・ペーパーの箱を与えれば、自分で紙を取って鼻水は取れる; 痛いところを 痛いと訴える知能も獲得してきた。買ったおもちゃのダンプ・カーの、前輪の回りかたが悪ければ、激しく騒ぐ。人間3才の知能は、金魚と比較にならない。人間である以上、救急病院も相手にしてくれる。

ただ、父親のやっていることは、金魚に対症薬を与えるのと同じように、3才にもそれを与えることだけ、である。その先は、「医者」 に頼るしかない; 子どもが、医者に頼れる 「人間」 であるのが幸いではある。

手塚治虫の 『火の鳥』 の時代、あるいは "ICE AGE" の氷河期 直前の人間集落、その時代、つまり 現代で言う 「漢方」 の知識も存在しないころ、子どもは やはり 「飼育」 されるにすぎなかったはずである。ただし、人間という同種の生物間の親子であれば、同種間で 有効な保護手順は存在しただろう。異種である 「金魚」 に対しては、これはもう あきらめ状態になりつつある。


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