Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20041201-1) 日記 − 金魚、ハリポタ、親戚、職場

近況報告。

金魚はすべて死んだ。
小さな水槽にメダカ6匹、1ヶ月を前に次々と死んで行き、残ったのは1匹。この1匹だけになった後、しかし1ヶ月になる前に 50円 x 2匹を追加したが、これもまず1匹が、次にもう1匹が死んだ。最初の6匹の中の、最大のが残っていた; 9才は 「1匹だけじゃ かわいそうだ」、週内に もう1度 元気なのを買いに行きたいと言っていたが、その晩、最後のも元気がないな・と思っていたら 翌朝 死んでいた。
初期に死んだのは、淘汰されるべくして淘汰されたと考えることにする。数匹になったとき 気が付いたのは、「白点病・尾ぐされ病」 らしい様子; 白癬様のものの付着、死んだものを観察すると 尾びれなど 侵食?されて ぼろぼろ。最後の2匹で、一度は薄めた薬品濃度をやや上げたが、もう遅かったのだろう; 薬品自体に対する彼らの負担、しかし その濃度での薬品の効きの悪さ。最後に、すべて死んだ。考えてみると、子どものころ 金魚がみんな死んでしまったのも、同じ理由だったような気がする。いわゆる、「手をかけすぎて死なせてしまう」 手順を取ったような気がする。
死んだ最後の1匹を ひしゃくに取ったのは、9才。この子が学校に行ってしまうと、母親は ぶくぶくの電源を切った。放置すれば臭くなるだろうから、無水エタノール つまり ほぼ純粋エチル・アルコールを 僕が投入した。夜、9才は なぜ ぶくぶくを止めたのだと抗議した。わかるよ、さびしい。でも、金魚のいない水槽に酸素供給してどうなる。ハリポタの映画でも知っているじゃないか: ケガ人は直る、「骨がなくなっても」 あの世界では一夜で 「骨」 は再生できる。だが、あの世界でさえ、死んだものは生き返らせることはできない。
水槽は、まだ 15リッターに対して 数 ml のアルコールを たたえている。これも 数日内に片付けなければならない。あるいは − また 「50円」 を数匹 買うか。高い熱帯魚を買い・飼い・維持する金銭的余裕が、今は まったくない。いずれ同じ病気の発生が予想されるので、一見 残酷に見えても 次は容赦なく薬品を与える必要がある。それに耐えられなければ、「管理された」 水槽での小魚の飼育など無理だと、僕には思える。「管理者」 が神経質なだけに、いずれ 「手のかけすぎ」 で何かが起こる。だから、9才には 決して金魚すくいだけは させずに来たのだったっけ。

「ハリポタ」 第3作の映画 DVD は、今回は景品はどこも同じだ。子どものマンガの単品要求では配送料金を取られるので、まとめて注文した。セブン・イレブンなら 2500円、インターネット販売なら 2503円。この差額3円は、9才が負担した。今月 17日だったかの発売。

ごく近い親戚に、病気または発作が連続した。心臓の不整脈が出る父は、2度 救急車を呼んだという; その妻 つまり僕の母は既に耳が遠いので、付き添いはしなかっただろう。その寂しさがあるらしい、僕に電話が来た。その電話で知ったことは、姉の入院: これは手術ではないが 突発性の難聴で、投薬・点滴の都合で入院が最善だという。幸い この人は 人当たりがよく、ベッドの枕元は花壇のようになっているそうだ。久しぶりに その娘、つまり僕の姪と電話で話をした。彼女も 自力で携帯を持つ年令である。パソコンでメールを使えるのも彼女だけだ。
ただし、姉の場合には前から 「めまい」 があったという。従って これは、その母親の老人性難聴とは別のものだ。
「ごく近い」 親戚にそれらがある以上、僕自身にも それがありうる。それは、いつかやってくることは覚悟しておかなければならないとは思う。いずれ 「病気自慢は年令のメルクマール」 である。

職場では、深刻なトラブルが続いている。
メーカーから出荷された CPU ボード、それに付いている LAN に MAC アドレスが書かれていないというのに出会った。さらに、準備段階では複数 CPU 間の通信 (バス経由) ができたのに、出荷状態では それが動作しないことがある。LAN アドレスは社内でも解決できるが、後者は 「まだデバッグ中」 に落ちている。おかげで、この前の週末、父の電話 (発作後のメンテ) に駆けつけるわけに行かなかった。幸い父は 「仕事」 を神聖視する人で、それほど息子が 「忙しい」 点に かえって安心するという、皮肉な受け取り方をしてくれる。ただ、「仕事」 を神聖視するのは (元) 公務員の特性であって、「民間」 の 「仕事」 は 「おカネ」 を目的とするものだ。だからこそ、売上で数百万のはずの この出荷用システムのトラブルは、会社にとっても、僕とその同僚にとっても 致命的な問題でありうる。美しく言えば 「社内一丸となって」 解決にあたるのだが、その中で 「何が悪い、誰が悪い」 という感情の対立が避けられないことがある。特に日本の社会では、論理ゲームとしての debate の慣習がないので、「もしこうなら、これが悪い、しかし その反対論理として、それより お前のこれが悪いかもしれない」 と言い合い、あくまで論理の帰趨を求める試みが、感情の対立を生む。その点が、日本という文化のつらいところでは、ある。
僕は一人で、自分自身の中に 二人の自分を立てて debate を試みる。チップへのプログラムが悪いのだろうか、いや、それなら常に問題は起こるはずなので、ハードウェアを疑うべきだ; しかし反対論理で、同じプログラムで2つの CPU が走るから、1つのハードウェアが 「ある」 状態になれば 必ず同じように不具合を起こす、よって、それに対処できないソフトウェアが悪いのだ − と。
コンピュータ内部の世界は、ソフト、ハードともに 「論理」 の組み合せ、その積み重ねである。思い切り debate をやってみたい。それは brain storming とも言う。が、出荷を前にしてのトラブルでは、その時間はない。
一面、この業界は おもしろい。一面、コンピュータそれ自体には 僕も (誰も) 飽きている。「飽きて」 いるからこそ、誰もが 「自分の」 担当部分である可能性には しぶしぶ、否応なく対処するしかない。最近、「民間」 つまり 「会社」 とは営利を目的とするものであることを、さらに強く感じるようになってきた。


(20041204-1) 日記 − 韓国にエアロバ・チームは存在する、金魚

韓国にそれは存在しないと思っていたら、ちょうど今月の その方面の雑誌に記事が出た。月刊 『航空ファン』 2005.1月号。表紙に うたい文句 「"韓流" の華麗なる技の連続 / ブラックイーグルス」 とある。さすがに 巻頭グラビアというわけにはいかず、巻 中間グラビアの先頭にある。

記事の文字数のわりに意味が取りにくいのは、この種の雑誌の常である。まとめてみると、次のようになる:
70年代には Northrop F-5A (Taron) を使った部隊が、催事のあるたびに臨時のチームを結成してきたが、80年代にはソウルに高層ビルが増えて中止、15年ほど空白期があった; それが 1996年の 「ソウル・エアショー」 を前に、1994年、余剰のジェット練習機を使って専門部隊が編成された、と。使用機は A-37B と称し、有名な 練習機 T-37 と同番号を持っているが、エンジン推力は倍以上だそうな。驚いたことに、メーカーはセスナ。さらに驚いたことに、機体は 1976年に南ベトナムから移管されたものだそうだ。
(韓国の この種の機種選択は 非常に現実的な面がある。ピョンヤンに飛んだ金大中の大統領専用機が 737 であったことは、ほほえましいものだった; 大統領専用機なら、アメリカに飛ぶにも この 737 で、空港着陸の際には 太極旗をはためたせて降りるかしら。ただし 737 が太平洋横断の能力を持っているかどうか、僕は知らない。実は、双発機が太平洋横断できる公式/国際合意ができたのは、777 の開発が決まってからだ。従って A300 は太平洋 (横断) 線には就航していない。歴代 韓国大統領のアメリカ直行は、KAL の 747 をチャーターしているはずである)
セスナをバカにしてはいけなくて、いまや セスナ 172 (174?) (あのセスナセスナした、高翼 単発 4人乗り) は生産もしていない。最近のニュースに出る軽飛行機事故が ほとんど ビーチになってきたのは、あるいは セスナ 172 がそろそろ 機令 50年にもなりつつあって、淘汰されてきたからではなかろうか。現在のセスナの市場は、ビーチの上を行くクラス、つまり与圧のある小型単発機から、双発ジェット。いわゆる 「ビジネス・ジェット」 級で、このクラスが意外に多く 軍用 「連絡機」 に使われている; 自衛隊のそれも、最近はセスナになった。
が、韓国の このエアロバ・チーム機は、記事によれば飛行特性は最悪なのだそうだ。有名な練習機 T-37 の後継、倍の推力を持つが、いわゆる並列複座 つまり教官と生徒が横に並んで座る頭でっかち。エアロバではこの右側席 (車で言う助手席) をつぶしてスモーク発生装置を積む。結果として、編隊を組む場合、左側の機からの見通しが悪い; T-37 と同様、翼端に燃料タンクをつけていて、これが乱流を生むので 「タイトなフォーメーション」 つまり 僚機との翼端間距離 100cm 未満で密集した編隊飛行はできない; バランスが悪く安定した背面飛行ができない ・・・ など、など。

韓国が、この種のことに 「現実的」 なのは、予算規模が関係する。僕も正確には知らないのだが、韓国の国家予算そのものが、東京都の予算とほぼ同じだと聞いたことがある (これは、東京都知事の選挙のたびに話が出る。東京都の予算規模は、発展途上国の国家予算を越える規模なのだ、だから誰が知事になるかによって、重大な差が出ると)。その中で、つまり いやでも北と対峙する韓国の場合、軍事費は国家予算の半分以上になる。そういう中でも、臨時にエアロバ・チームを組む余裕ができたのが 1970年代、90年代には、余剰機を使ったとはいえ、専門の部隊を用意するまでに至ったのは、この国の経済的余裕の反映だと見てよいはずである。

ドイツではどうなのか? 僕は知らない。
冷戦時代 初期の西ドイツは、日本にも導入された F-104 (エンピツ型の超音速機、戦闘機。日本ではこれが対ソ連機スクランブル出動に出た。次が F-4、次が現在の F-15) を対地空爆用に使い、その訓練段階で事故が多発したという; 超音速飛行しか考えていないエンピツ型機体でそんなことをすれば事故を起こすに決まっているのだが、それは当時の西ドイツ事情だ。いま現在のドイツに、エアロバ・チームがあるのだろうか? ドイツのそれを あまり聞かないのは、おそらく、東ドイツ吸収統一後のドイツに、そんな余裕がないからだろうという気もする。



金魚は、結局また買ってきた。
本物のメダカは 10匹 250円、5匹 150円。この前 買った 金魚すくい級の金魚は1匹で 50円。今度は、「少なくとも体格が大きければ 薬品に対する抵抗力もあるだろう」 と、1匹 210円のを2匹 買った。デメキン、ランチュウの類もいたが、250mm の水槽には大きすぎる; 210円の水槽の中から、一番小さいのを2匹、9才が選んだ。「名前つけなきゃ」。「名前つけると、死んだときに悲しいぞ」。結局 彼女は1匹に 「赤」、1匹に 「白」 という名をつけた。
バケツに用意してあった 汲み置きの水に入れる。その一方で、アルコール入りの水槽を洗う。砂利を洗い、ぶくぶくのフィルターを取り替えて、水槽に入れた。飾りの橋、焼き物の 「エセ倒木」 も、一度 徹底的に洗って、さらにアルコールと薬品で 「消毒」 後、水槽に入れた。前の 「病気」 で入れた薬品を微量だが入れてみた。金魚のエラとひれに、わずかに黒斑が現われる。なるほど。

素朴に不思議だと思うのは、出生直後の赤ん坊は、ほんの1ヶ月くらいの間に 腸内細菌叢を形成し正常な消化活動をはじめるのに対して、なぜ、金魚すくい級の金魚水槽では そういう細菌叢が形成されないのだろう? 子どものころから、金魚すくいの金魚は、必ず死んだ。細菌叢は、むしろ必ず 「白点病、尾ぐされ病」 に成長してしまう。そこが、理解できない。今度の2匹も、1匹は ひれを開いて元気だが、1匹は ほとんど 背びれを たたんだままである。


(20041205-1) 日記 − トーマス、飛行機、その他

現在9才になる上の子が 女の子であるにもかかわらず、3才だったか5才だったかのとき 「機関車トーマス」 のプラレールを買ったことがある。それ以前には、めずらしい 「ブリキのおもちゃ」 の 747 つまりジャンボ・ジェット 全長 30cm を買ったことがある。

ブリキの 747 は、あのころ、トイザラスで めずらしく発見したものだ。この飛行機はその後 (おそらく) 8年、現在は下の子、3才の管理下にある。さすがは男の子、乱暴で、片側2基のエンジンは失われて久しい。機体をばらばらにしたのを、数回にわたって復旧工事を 父親が行なった。先週も、片側2基 残ったエンジンの1つをもぎ取って、「直してくれ」 と言ってきた。機体 下半身はプラスチックなので、折れた部分をシンナーで接着したが、また折れた。おもちゃ修理にあたる父親の苦労は続く。
(ご参考までに、プラモデルと同じ材質のプラスチックは、昔ながらのラッカー・シンナー が最善の接着剤である。つまり、これは素材を溶かす。絵の具の刷毛で軽く塗って圧着すると、接着面は完全に溶けて融合する。今度の修理も、接着面は無事で、その横が再度割れた。どうも彼は、どの程度の力をかけるとモノが破壊に至るかを、実験しているらしい)

トーマス。
最近のこと。九州新幹線の プラレールのセットが出ていたので、買って帰った。お姉ちゃんも大喜びで、楕円の線路に自分のトーマス セットをつなぐ。3才も 「しんかんせ〜ん」 という言葉を知っている。九州新幹線なので、不思議だがヤシの木まで付いている。その線路を、新幹線とトーマスが走った −
ところが、
それ以後、3才が 「トーマス!」 と要求するたびに、お姉ちゃんは頑強に拒否し続けている。「トンネル」 も、お姉ちゃんのセットにしか入っていないので、お姉ちゃんの拒否に会っている。お姉ちゃん、このトーマス セットが大事なのだ。サンタには3才用に 「白いトーマス」 を要求してあった。が、翌日にはまた 「しんかんせ〜ん」 と言い出したかと思うと、再び 「トーマス!」。お姉ちゃん、相変わらず拒否。これはもう確信犯、トーマスは自分の宝物であって、決して貸す意志はないらしい。ブリキのジャンボを こころよく譲ったときと、対照的である。

しかたがないので、買ってきた。もっとも、同じ 「トーマス」 を買うのは 芸がない。それに、同じものでは 子ども同士 つまらないだろう。トーマスの仲間は、青、赤、緑にタンク機、テンダー機、それぞれ形状と軸配置に変化があって、そのバリエーションは計算上 24 種を越えるはずだ。その1台ごとに固有名詞がついている。パーシーは緑の 鞍型タンク 0-6-0 か、ゴードンは青のテンダー付き 2-6-0 あるいは 4-6-0 ・・・
持ち帰ったのは、結局 青、テンダー付き 4-4-0 のエドワード。
これらのすべてについて共通するのは、機関車に 「顔」 が付いている点だ。3才は、まだ字が読めない。ほしいのは 「青いトーマス」。だから、誰かが悪意で 「それ、トーマスじゃないよ」 と言ってしまうと、「トーマス!」 がほしい点が破綻する。それは お姉ちゃんにも、事前に重々 言っておいた。ついでなので、トンネル単品も買ってきた。

3才、「青いトーマス」 に満足した。お姉ちゃんのトーマスと厳密には異なるが、客観的にその上位機種ではある。「顔」 が付いている点が重要。走らせることより、箱を持ち出して その中に収め、大事そうに食器棚の前に 「展示」 して寝た。付属する2台の貨車にもステッカーの 「顔」 が付いているが、こちらには興味がないらしい。
余談だが、作品 『機関車トーマス』 の全盛期は 1990年代だろうか。上の子の出生は 1995、この子の幼時に、お医者の待合室にプラレールのトーマスが たくさんいた。同じ待合室の男の子が、「これはパーシー、これはジェームズ、それはヘンリー」 と教えてくれた。おそらく9才には、そのころの記憶がある。
ただし、一世を風靡した 「プラレール」 は、既に退潮期にある。「模型」 の世界からは想像を越えるラジカルな構造は 僕にもショック、ある意味では新鮮だったが、そろそろ時代的使命 (?) を終えつつある − だいたい、「顔」 のあるトーマスを越えて、D-51 だ C-11 だ C-12 だ、新幹線だ TGV だ ユーロスターだ ・・・ と 「大人のおもちゃ」 化したのが、「トーマスの走るプラレール」 の堕落だったと思う。
箱根温泉みやげにプラレールの箱根登山電車セット? 鎌倉みやげに江ノ電セット、いかが? ま、チョロQと同じか。

翌日の追記: 今夜は、D-51 と エドワードが、食器棚の前に 「展示」 してある。この3才、意外な 「蒐集マニア」 なのかもしれない。
ちなみに この D-51、先従輪なしの4輪である。プラレールの電車たちも (新幹線を含めて) すべて4輪で、このデフォルメの技術は驚くべし。ただの4輪車が、デザイン次第で D-51 にも新幹線にもなる。ただし エドワードだけは 本当に 4-4-0 つまり 先輪4、動輪4の 「実物」 通りで、これも驚くべき例外である。

(20041208-1) 日記 − 3才児の言語の現状と 9才の漢字

保育園の 「発表会」 で、2才児クラス (4月の初めに2才だったクラス) では、園 オリジナルの作品 『猫のお医者さん』 というのをやる、と通知が来た。

過去2年の間にも こういう 「発表会」 はあったはずだが、僕は知らないまま過ごしてきた。今年は 母親の状況が変化していて、父親も見に来いと言っているようだった。
「麦くん、猫のお医者さん?」
「うん、ねこのおいしゃさん」
「麦くん、何やるの?」
「麦くん、きつねサん」
おねえちゃんが、割って入った:
「麦、いま 「むぎくん、きつねしゃん」 って言ったよね」
つまり、9才と3才では、3才は常に言語的 未熟さが目立つ。9才の認識は、弟が生まれてから、この子が何かしゃべるたびに 「麦くん、xxx って言った!」 と驚き、喜んでいる。最近では5母音は安定し、子音は一度 獲得したものを また 自己検証する過程なのかどうか、例えば 「むぎ」 という自分の名前を 「むじ」 と言い直してみたりする − ご存知かと思うが、「トトロ」 の 「ジブリ」 は、「本来は 『ギブリ』 である。が、既に定着した 『ジブリ』 とした」 という説明を、この集団のパンフレットの中で見たことがある。不思議なことだが、ノド音である [] と、前歯に接触する [d] は、母音 [i] が続くと [i], [di]、なぜか ある種の同化現象を示す。発音に要する労力を軽減すると 前者が後者に変化するらしい。もちろん英語の影響があって、英語ではそもそも 綴り gi を 「ジ」 と読んでしまうし (engine)、フランス語でも 「文字の都合によって」 これは 「ジ」 音になる; フランス語では、だから 「ガ」 行の音 「ギ」 を表現するために gui と綴らなければならず、このフランス語綴りを英語読みすると 「グィ」 とかなんとか、わけのわからない音になる。綴り g を綴りのまま [] と読ませるのは、この中ではドイツ語だけである。(日本の 「株式会社」 は KK、英語では Co. Ltd.、これがドイツ語では Gmbh と表記されているのは、どなたも見たことがあるはず。むしろ、フランス語表記を 僕は知らない)

で、「きつねさん」 か、「きつねしゃん」 か だが、この3才の発音は微妙だった。どう聞き取るべきだったか、正直 自信はないが、おそらく こうである。(便宜上、音節ごとに - を挿入する) 彼は
「おいしゃさん」 は 正しく [o-i-ja-san] と発話した。が、
「きつねサん」 は、おそらく [ki-tsu-ne-an] と発話した。
9才の識別能力はバカにできない。
「おいしゃさん」 の 「しゃ」 には、おそらく半母音 [ j ] (「や」行の子音、ローマ字では y を書くが、音声記号では [ j ] ) が入っていたのだろう。「おいしゃ」 に続く 「さん」 の 「さ」 は、前の「しゃ」 と対照されて正しく [s] 音が出た; 一方 「きつねさん」 は その複雑さがないので、単に [s] に類似する音であればよい; 事実 僕は 「きつねさん」 と聞いたが、9才の耳は 「きつねしゃん」 と聞き取った。9才の能力を バカにしてはいけない。

かんじんの発表会では、お医者に向かう途中で、キツネさんは 観客席の父親に気が付いた。この年令の舞台劇では、かならず先生が舞台上で引率をする。その先生にむかって 「おとーさんだよ!」 と発言して、観客席の笑いを取ってくれた。以後、コンコン虫を お医者に取ってもらい、余後の養生のための きつねうどんをもらっても、演技は忘れている。ま、いいや。そんなもんだべ。

9才は、日本語のネイティブ・スピーカーとしては (音声、音韻面では) 完成済みである。
しかし、言語ではない 「文字」 問題である 4年生の宿題の漢字の書き取り (現在の 40代の想像を越えるほど、小学校の教育漢字数は増えている。僕の時代、6年間で 600字台だったと記憶するが、現在は 800字か 1000字近いのではなかろうか。単純計算で、600字なら年間 100字、毎週2文字+にすぎないが、1000字なら これが4文字程度になる。しかも、低学年ではペースが遅いので、3年生くらいから急速に強制文字数が増えて行く。ひどい時は、週に 20個ほどの漢字を覚えろということがある。幸か不幸か、音読みと訓読みは しばしばセットになっている)。

今日の宿題の中で: 「愛する、愛する、受する、愛する」。ん? 1個だけ ちがうぞ。
「あ、「ウケする」 になっちゃった」
そういえば彼女は、冬の ファン・ヒーターのスイッチ位置を 「つよ? よわ?」 と質問してきたことがある。「強・弱」 のことである。ふむ、日本語のネイティブ・スピーカーとして、疑問の余地のない少女ではある。


(20041211-1) 日記 − また金魚、また飛行機

10 月の 22 日に金魚が我が家にやって来てから、総 10 匹が死んだ。どうしても納得が行かない。なぜ 「俺の家では」 金魚が死ぬのか。結局、また買って来た。砂利が 病原を含む雑菌の温床になっていると思われたので、砂利は除いた。金魚は9才に選ばせたので、「元気」 に見える、しかし結局 大きめの個体2匹。ただし、この店で買った金魚は、過去4匹、1週間前後の間に全滅している。夜明けの冷えに備えて 水中ヒーターも装備した; 水温が上がれば雑菌も繁殖する; 砂利を取り除き、水槽底のゴミ、フンの吸い取り手段も変更しつつある。予断は許さない。しかし、これに 「納得」 できない以上、再度の試図は避けられないと、この1週間 考えていた。

駅前、閉店前のおもちゃ屋は、12 月になっても営業していて、20 日まで開くという。今は原則半額、モノによっては 80% 値引きまである。商品棚も、がらがらになってきた。9才がほしかったというのは既にない。プラモデルも、もう平凡なものしか残っていない。半額なので、MD-87 と F-16 を買ってきた。MD-87 は1時間くらいで仕上がったので、3才に与えた。3分後には前脚が折れ、1時間?後には主脚も失われて 「飛行中の姿」 になった。F-16 は、「あれは お父さんの」 と、母親が決めた。こいつは運転台と運転手まで組まなければならないので、やや面倒。組んだら、白塗装で この子 専用のエアロバ彩色をしてやろうと思っている。
プラモデルの欠陥は、幼児に与えるだけの強度を欠く点である。かつ、翼端が尖っているので、おねえちゃんは 「痛いよ!」 と言う。爪切り (人体の四肢の先、「爪」 の先端を切り落とす道具) で、突部を切り落とした。
全長 20cm の MD-87 を彼が気に入ったようなので、今日は 全長 25cm の 767 を買いに行った。1年前、おねえちゃんが レトロな カペラを買った店の、割引券が 「1年」 になりつつあったので。ふむ、20cm と 25cm の差は大きい。容積比は計算上2倍、である。彩色 または 「デカール」 を貼らないと ぱっとしないのが面倒くさい。ちなみに、20cm の MD-87 は窓なし、その上に 「デカール」 の窓を貼るようになっているが、25cm の 767 は 機体自身に窓 (穴) が開いている。


(20041213-1) 「むじ」 は 「むぎ」 が口蓋 (音) 化したものである

考えてみると、子どもには かわいそうな名前を与えたことになる。「むぎ (麦)」 という名前は、大人になれば悪い名前ではないと思う。が、それが 幼児にとっては 発音に かなりの困難を伴うものであることまでは、考えていなかった。ちなみに、この名前は、本人が生まれる数ヶ月前に決まっていた。さらについでに、上の子の 「もり (森)」 も、やはり出生 半年も前に決まっていたものだが、これにも 「幼児にとって困難を伴う」 発音が含まれていることに気が付いたのは、最近である。

まず、古い恩師 (以下 「師」 で統一する) から指摘を受けた。「キ、ギ」 の音は、幼児にとってもっとも難しい発音であるはずである、基本的に それらは 「チ、ヂ」 音になってしまうと。つまり 「幼児語」 はそういうオト変化 (本来あるべきオトを、幼児化したオトに変化させたもの) である。従って 師は言われる: 自分の名前を最初は 「むじ」 としか言えなかった子が 正しく 「むぎ」 と言えるようになり、そういえるようになった自分に気が付いて、あらためて前の発音を試みているのだろうかと。
また逆に、本来は 「キ、ギ」 の音が、「口蓋化」 して 「チ、ヂ」 になってしまうのは、西洋語でもあちこちに見られる、フランス語に限らず、その結果 正しく 「キ、ギ」 の音を表記するために、綴りを qui とか gui とか書かなければいけなくなった言語はいくつでもある、と。そういえば、朝鮮語でも、 と発音する方言または幼児語あるいは老人語があるではないかと、僕も気が付いた。

上の話を受けて、まず、我が家の二人の子は、「幼児語」 をほとんど しゃべらなかった。
1つには、母親が外国人なので 日本語の幼児語を知らないこと、1つには 母親が外国人なので 子どもたちを日本語のネイティブ・スピーカーに育てるためには、積極的に 「日本語のシャワー」 を浴びせる必要があると感じてきたから、0才から保育園に行かせたこと、がある。その結果だろうか、この子らは 「幼児語」 をほとんど しゃべっていない。どちらも最初から 「もり」、「むぎ」 と自分の名を発話した。ただし − ここが問題で、後者 「むぎ」 については 「非常に困難」 な部類で、この子が2才くらいになっても なかなかコトバを発しなかったのは、困難な発音を困難だと感じていたからではないか、とさえ、今では思う。しかしそれでも、僕は彼から、最初から自分を 「むぎ」 と呼ぶのを聞いている。

ただ、1才前後あたりでの この 「困難」 は、計算上 当時7才のお姉ちゃんも感じていたのだろうか、お姉ちゃんは自分のことを 「も!」、弟のことを 「む!」 と呼び、教え、家庭内にその呼び方を定着させようとした時期がある。
そのお姉ちゃん自身、「もり」 というオトの並びが難しくて 「おり、おり」 と発話したことがある (うむ、その意味で この子には 「幼児語」 期がある)。

師をさしおいて/またはその論旨を一部いただいて、言語学的、そのまた下位の音声学の講義をしよう。
音声学でいう [] 音はノドの閉鎖音であり、その破裂音である。[k] とのちがいは有声か無声かで、ここでは問題にならない (同じことである)。この子音と、多数派の母音の組み合せは、あまり問題にならない。が、母音 [i] だけは、調音点が母音三角形の前端にある、つまり発音に要する労力の中心は 口腔 (口蓋) 前方にあり、母音である以上 そこで 「響く」 必要がある。つまり 母音の発生点 (音波の源泉) が口腔 (口蓋) 前方上方になる。これと、ノドの一番 奥で調音される 子音 [] とは、仲が良くない。どちらかが、どちらかに引きずられる。当然ながら、長い調音を要求する母音が勝つ。かくして [i] は [di] に変化する。これを 「同化」 と呼ぶ。

2才前後までの 「むぎ」 くんは、その名前が自分に発音不可能であることを知って (感じて) いたのではなかろうか。よくある、「N才から急に しゃべりだした」 例。この子も例外ではない。3才になる前ころから、急に おしゃべりがはじまった。もちろん、自分自身は 「むぎ」 である。この子から 「むじ」 という発話を聞いたことは なかった。

が、3才。急にしゃべりだしてからは、周囲の反応にも変化がある。3才ともなると既に 「赤ちゃん」 からは遠く、「幼児」 とはいえ様々な試みをすることがある。僕自身、幼稚園のころだから4才、そのころ、既に正しく発音できるにもかかわらず幼児語を使ったほうが 「かわいい」 と思ってもらえることを期待して、幼児語で発音してみた記憶がある。おぼろげな記憶ではなく、この記憶は明瞭である。その鮮明さには自分でも驚くが、事実その場面を含めた記憶がある。
むぎは、今それと同じことを学習しつつあるのではないか: つまり、既に 「むぎ」 と正しく自分の名前を言えるにもかかわらず、「幼児語」 の存在を知った; 自分も、それをやってみる。「むぎ」 は 「むじ」 でいいのかもしれない; 事実、先生も母親も、それで微笑んでくれるではないか (それじゃいけないと言うのは、父親だけである)。

ところで、「もり」 が なぜ 「おり」 になったか。
これも調音点の関係で説明できる。[m] は唇を閉じる音 つまり調音点は口腔前端のそのまた先にあるが、しかし その閉じた唇を開いて破裂させるのではなく (破裂させると [p] になる)、空気流を鼻に通すので 「鼻音」 と呼ばれる。この鼻音である子音 [m] と、母音 [o] の関係は物理的に遠くない。母音 [o] は あの母音三角形の奥の上端、つまり口腔 (口蓋) のノドに一番近い位置が音波の発信源なので、これは [m] の鼻への空気流の通過経路にあたる。そこで [m] の 「唇閉じ」 を省略し 「鼻」 への流れを口腔に解放すれば、「もり」 は 「おり」 になる。

おそらく、この関係は 「まり」 という名前を持つ子にもあり得たはずで、「まり」 はある時期 「あり」 だったかもしれない。ただし 「ま [ma] 」 は 「マンマ」 の 「マ」 でもあるので、これはやさしい。「ま」 と 「り」 を、充分に時間をおいて (この場合の 「時間」 とは、人体の口腔 (口蓋) 作業が完了する時間、つまり 1/2 秒から 1/10 秒もあればよい。大人はこの遷移を 1/100 秒単位でこなすか、あるいは発音不明瞭な人になるかである) 発話させれば、後は連続させるだけである。ただし、「ま [ma] 」 は あくまで 「唇、ノドを経由して鼻抜け [m] と それに続く口蓋解放の [a] 」 であり、次の 「り [ri] 」 は子音・母音とも前舌 (口蓋前方) なので、やはり充分な 「時間差」 をおく必要がある。
「まりこ」 さんについては、以上の後に [ko] なので、[k] [o] は どちらもノド奥、これに困難を示す子はないと思われる。


(20041220-1) 日記 − ハリポタと電源装置

「ハリポタ」 第3作の映画 DVD は 17 日の発売だが、16 日に 「発送しました」 というメールが来た。Amazon。客に届くのが 発売日なら、前日発送でよいのだろう。

昼の間に、子ども (9才) は見たという。僕は職場でくたびれたので、翌日 (土曜) の深夜に起きだして 早送りで まず ながめて見た。ハリーが、バックビークの背に乗って、原作以上の飛行をしたシーンまでは はっきり記憶している。
その後のどこかで、DVD を再生している そのパソコンが プツンと切れてしまった。

結論: 電源の故障。
ATX 電源。電源スイッチそれ自体が、電源装置 周辺回路で監視されているタイプの、最近のパソコン電源装置。ウンともスンとも言わないので、100V 電源の根元を抜き差しする; その直後だけ、モニターには No Input Signal と表示が出る。つまり、電源装置は動きかけて、失速する、故に一瞬 出かけた画像信号が切れる; モニターは 「来た」 信号が消えたので No Input Signal と表示する。
「おしゃれなベアボーン」。電源は、小さな箱にすぎない。ハードディスク1台、CD/DVD 1台、あとはフロッピー程度を駆動する余裕しかなかったのだろう。そこに、フロッピーのあるべき位置に、2台めのハード・ディスクを乗せている。電源にとって過負荷の状態が、半年以上 続いていたのだと思われる。

経過: 1つ前、Windows 98 が動いていた機械の電源装置を取り外して、つないでみた。動くはず。でも、ファンが回るだけで動かない。よく見ると、電源 20p コネクタのうち、3本の ピン に電線が来ていない; 何だ、これ、毛が3本 足りないぞ。9才が言う: 「サル電源!」。

解決行動: 日曜午後、9才も行くというので 連れて、秋葉原に行った ・・・ ないよなあ、こんなサイズのちょうどいい電源装置。止むを得ない。せめて 「おしゃれなベアボーン」 に並べて置ける、標準サイズよりわずかに小型の装置で妥協する。

結果: 動いた。やはり、Windows 98 の ベアボーン電源も カタワだったのだ。結果的に、最近流行(?)の 「外部電源」 機になってしまった。その代わり、死んだ電源 150W に対して、これは 250W だという。

ハリポタをやっと見た、というより、また早送りで途中まで。その先を見た。

「ハリポタ」 第3作は、訳文しか見ていない。が、それでも大きな省略、縮約がある。それでもたっぷり2時間。そういえば、俳優が死んだ校長役が別人なのは当然だが、マルフォイの俳優が代っている。その子分2人も。ロンの双子の兄たちも 代ったようだ。
この映画については、またそのうちに。


(20041223-1) ハリポタ 第3作 映画の末尾

DVD をラフにながめながら、原作の冗長さ、余計なおしゃべり、過度に詳細な経過などが見事に 「縮約」 されている点は、前2作と同様だった。監督は この作で交代したが、シナリオの書き手は同じだというので、特に不思議なことはない (第4作なのか、第5作なのか、書き手が多忙で 「次作」 から降りた話は、最近の新聞記事にあった) 。

第3作 末尾の、3時間 時間を遡り その3時間の間に起こった 「過去」 を ハリーとハーマイオニーが 「修正」 に及ぶ部分、これも細部は原作と異なるが、それも問題ではない。が、その中で キーとなる、ハリーとブラックが 「ディメンター」 に襲われ、ハリーがそれを追い払うことを試み、失敗すると同時に、「父」 が湖の対岸から助けてくれる − という原作の記憶が、映画と異なった。映画では、湖の対岸からハリーを救うのは、3時間後のハリー自身である。その華やかな 「パトローナス・チャーム」 の光芒が、この映画最後の見せ場でもある。

おかしいな、と思った。湖の対岸から救ってくれるのは、3時間前のハリーの認識でも 「父」 である。原作の訳本の印象では、最後までそれが残っていた。3時間後のハリーが 3時間前のハリー自身を救うのではない、ように記憶されているのだ。

この巻は原作 (原文) を読むのをとばしたので、訳本にあたってみた。結論は、こうなる:
映画通り、3時間前のハリーは、ハリー自身の認識で 「父」 に救われる、つまり ディメンターを追い払ってくれるのは 父親である。3時間後のハリーは映画通り、「父」 の出現を期待する、が、映画でも原作でも ハーマイオニーが言う: 「あなたのパパは死んだのよ」。既に事態が危険な状態に至ったとき (つまり 3時間前のハリーとブラックが ディメンターの犠牲になりつつあるとき)、ハリーは みずから 「パトローナス・チャーム」 を行なう。この 「パトローナス・チャーム」 の結果または意味が、映画と原作で異なる。

映画では、3時間前のハリーらを救うのは、3時間後のハリー自身の 「パトローナス・チャーム」、それによる光芒である。
原作では、その際に 「パトローナス・チャーム」 の意味が説明されている: これは 「降霊術」 と訳されている。つまり、「パトローナス・チャーム」 は、「吸魂鬼」 であるディメンターに対する反対呪文で、その実行者の 「守護霊」 を呼び出すのだと。ハリーのそれは、当然ながら その父親である。この 「霊」 は、原作では 鹿の姿をしている; ブラックを含む ハリーの父親世代の名前と別名が 原作にはるる説明されているが、映画では省略された。ハリーの父親の別名が 「鹿」 である。映画では、「パトローナス・チャーム」 の実行によって ハリーが3時間前のハリー自身を救うが、原作では、その 「パトローナス・チャーム」 の実行によって、「父親」 の化身である輝く 「鹿」 が現われるのだ。そして、まぶしく輝く鹿の姿が、3時間前のハリーらを救い出す。

と、いうので、あった。
実は、原作の英文では、「魔法」 または 「術」 に類する単語が、複数あることに気が付いていた − magic, charm, jinx, spell 。このうち spell だけは単に 「呪文」 で、この呪文で 「何を行なうか」 によって、動詞または名詞化した動詞 charm, jinx (まだ他にあったかもしれない)、いくつか (英語では) 「魔法」 の範疇化が行なわれている。第1作、スネープが かけたと信じられた ハリーの箒への呪文は jinx だった。「パトローナス・チャーム」 は、たしかに jinx とは別の範疇である。(「チャーム」 にせよ 「ジンクス」 にせよ、日本語化したものとはまったく異なる意味を持っていることに注目されたい)

映画で、「守護霊」 としてのハリーの父親を省略したのは、「暴れ柳」 の入口に到達するまでの、原作の長い説明を省略した点とも、一応 対応する。しかし、父親・母親の姿は 第4巻の V某との対決の場にも現われる。第1作、第2作の省略は仔細な意味しか持たなかったが、第3作での この省略は、この先やや問題になるのではないか という気もする。


(20041225-1) 日記 − クリスマス・イブ 翌日

「イブの翌日」 とはヘンな言い方だが、サンタさんを待つのが父親の最大の任務である以上、その立場から すべては 12月 24日の深夜にかかっている。この大事業が終わった翌日が、Jesus Chriest の誕生日、クリスマスである。もっとも、子どものクリスマス・パーティの類は とうに終わっていて、学校も 24日、つまりイブ当日を最後に正月休みに入ってしまう。今年は つまり、学校から解放された当日の夜が、サンタさんの来る夜なので、あった。

翌日の9才、友達との電話:
「うん、そっちは夕べ 何が届いた?」
サンタさん伝説の信憑性如何にかかわらず、ある子どもたちの間では 「そっちは夕べ 何が届いた?」 と聞きあう関係ができている。ただし、サンタには何も要求を出さなかったし、届かなかったという友達もいる。

現在の9才は、数年前には 「12時に起こして。サンタさんに会いたい!」 と言った。今ではもう、その希望は捨てたようだ。それでも、玄関に近い位置にあるソファー・ベッドに陣取り、そこで寝た。午前5時にトイレに起きたとき、用意した紙袋2つ (自分と、弟の2人分) に何か入っているのを発見、その場で内容チェックに及んだらしい。父親を起こしに来たが、おいおい、まだ5時だぜ、もう一眠りしてからにしようぜ。

僕が起きたとき、すべてのプレゼントは お姉ちゃんの手で開封されている。お姉ちゃんのものは、注文通りのすべて、その他に メロン・パンナちゃんの抱き枕と、お菓子入りサンタのブーツ。注文物 本体は小さいので 大したことはない。
一方、弟 3才の袋が、あふれていたという。「白いトーマス」 に 「新幹線 500系」、駅がついて これには 「鎌倉駅」 とある。さらに 「トーマスの」 ヘリコプターと、トップハム・ハット卿の乗るミニカー、そこにトーマスの抱き枕と、お姉ちゃんと同じサンタのブーツ。ブーツを除けば 「トーマスづくし」。ブーツは、お姉ちゃんと2人で一足ではなく、それぞれ一足 = 2個のパッケージ。「おへやの なかで はいてね」 とステッカーが貼ってある。こういうのを見たのは はじめてだ。17cm と表示があり、お姉ちゃんには小さすぎるようだが、3才にはちょうどよい:
「サンタさん、子どもはみんな同じサイズだと思ってるんだ」
「小さすぎるよ」
「じゃ、足の大きさ、先にメールで伝えておくか」
「それだと、お菓子の量が不公平だよ」
つまり、足の大きい子には大きなブーツ、お菓子はそのブーツに入っているので、大きい子がたくさん お菓子をもらえることになる。それが不公平だという。
「でも、大きい子がたくさん食べるんだから、それでもいいんじゃないか?」
ふむ。我ながら。
ともあれ、クリスマス・イブ、サンタさんは無事 来てくれた。


(20041227-1) 「金魚」 騒ぎの現状

「金魚騒ぎ」 というのが適切だろう。
我ながら、かわいそうな実験をしていると思う。我が家に来る金魚たちは、次々と死んで行く; だが/だからこそ納得が行かない。「なぜ俺の家では死ぬのだ」と − 既に書いた通り。「常識」 的には、「金魚はすぐ死んでしまう」 という観念があるらしい。しかし、数年、十年と飼った例もある。しかし、昔 兄が金魚を飼ったとき 水は数日に一度 替えればよいと聞いた・という うちのかあちゃんも、その金魚が何日 生きたか 記憶はないらしい。以下、現在までの、我が家の金魚の生存/死亡歴。「死んだ日」 と 「生存日数」 空欄が生存中のものである:
品種 名前 我が家に来た日 死んだ日 生存日数
3才の金魚すくい 12004.10.242004.11.1421
22004.10.242004.11.1724
32004.10.242004.11.1825
42004.10.242004.11.1926
52004.10.242004.11.2027
6 (大)2004.10.242004.12.0137
小金魚 ¥50 2004.11.202004.11.233
2004.11.202004.11.299
コメット ¥210 赤1号2004.12.042004.12.095
白1号2004.12.042004.12.073
コメット ¥210 赤2号2004.12.122004.12.2311
白2号2004.12.12  
コメット ¥210 白3号2004.12.23  
その種の本によれば、「コメット」 は国産種で 「飼いやすい」、つまり 「丈夫で長持ち」 するという。それにもかかわらず、彼らは我が家で最悪の実績を出している。金魚すくいの雑魚が、最短で3週間 生きていたのに対して、この成績は何だろう。ただし 金魚すくいの金魚たちは、上の通り 「3週間」 を境に 「なだれを打って」 死んで行った。2番から5番までは、毎日 1匹ずつ死んで行ったのだから、管理者の心痛を想像されたい。どうにかして、「白2号」 に年を越させたい; 既に2週間を越えたが、この時期になって 雑菌かカビの仲間か、尾びれの損傷が激しく、背びれも たたむようになってきた。こうなると、経験的に もう長くない; 金魚すくいの 「3週間」 を越えて年越しを してくれるとは、既に期待できない; 薬品などについては − 言わないでもらいたい、もう 13 匹の金魚を相手に、250mm キューブの水質問題と格闘しているのが、この管理者なので、ある。


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