Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

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(20041101-1) 女の子とピン・バイス

今年の春だったか去年だったか、8才になる前後の3年生が学校で電気工作をしてきて、その配線のハンダ付けを教えようとしている間に ヤケドをさせた話は − 前に書いた。
女の子にハンダ付けを教えるのは、僕ばかりではないという話も、そのとき書いたような気がする。

さて、この子との関係で ピン・バイスを初めて買ってみたのは、この夏だった。つまり、海岸でひろった貝殻に穴をあけてネックレスなどにしたい、という希望が彼女にはあった。その時は、ピン・バイスは買ってはみたものの、ドリルの径が最小 1mm のものしかなくて、やってみると 貝殻は どうしても割れてしまう。穴を削りはじめて 貫通直前に、どうしても焦る気持があるのだろう、あと一息、というところで パリンと割れてしまう。これは、ドリル径が太すぎるのだ。数日後には 0.3mm から 0.1mm 刻みの ドリル・セットを用意したのだが、そのときには もう 彼女は その要求を忘れていたから、そのまま放置した。

この子は、小さいころから 「とんかち トントン」 とか、よく やりたがった。しかたがないので、柔らかい材質の木片に 細い釘、「指をはさむと痛いぞー」 と警告しつつ、はらはらしながら やらせてみたことがある。これは、オモチャ屋で売っているプラスチックの 「安全な」 とんかち トントン セットではない、本物の木、釘、金槌である。

それが、なんの拍子に思い出したのだろう。急に ピン・バイスを要求してきた。穴を開けたいという。ふむ。径 1mm に届かない 「細い」 ドリル (正確には drill bit と言う) は、簡単に折れる。0.3mm など、顕微鏡で見なければ 「ドリル」 に見えないほどだ。確実に折れることを予測しつつ 勝手に選ばせたら、0.7mm だったかを取り出した。「貫通」 こそできなかったが、やはり顕微鏡で覗いてみると、貝殻の削りカスがついていることがわかる。
まだやりたい? 何をしたい? 「穴を開けたい」。何に? 「何かない?」。じゃ、そのプラスチックのフタに 穴 あけてみな。
「わあ、貫通しちゃった!」。
ドリルを回せば 穴があく、それが目的だから当たり前だが、「貫通」 がよほど うれしかったらしい。コルク、ベニヤ板など取り出したら、次々と やっている。そのうち、セットの中では一番太い 1.2mm を持ち出した。おいおい、この太さだったら、機械でやったほうが早いぜ。
いやいや、手でやりたいのだそうだ。

困ったことに、ドリル (回転させる機械側) は、僕も安物のドイツ製モーター・ツールと、荒物作業用の (粗大ゴミに出す代わり、バラし解体して普通ゴミとして出すことが目的の) 大きなものしか持っていない。この中間にある、手回しドリルが、ない。1.2mm くらいだと、小型のモーター・ツールが適当なのだが、いかんせん安物で精度が低い; 偏心しない程度のくわえ込みが、まず難しい。それに 「手でやりたい」 と。

実は この 40年、精度の高い 「手回しドリル」 を見たことがない。僕が子どものころ、父の道具箱から 手回しドリルを持ち出して使ったのだが、これも 下限は 3mm くらい (だから 3mm のネジ穴を開けるには使えた)、それ以下では 回転面自体がふらついて − つまり精度が低くて − ピン・バイスを考えざるを得なかった。が、そのピン・バイスをはじめて買ってみたのは、ついこの夏のことなのだ。9才の 「初体験」 は ピン・バイスである。

1mm 以下なら、「指回し」 のピンバイス、1mm から 3mm の手前までは 精度の高いモーター・ツールか 「手回し」 ドリル。誰か、1.5mm のドリル (ビット) を正確にくわえて穴を開けられる 「手回し」 ドリルを、作ってくれえ。

なお、「貫通」 という言葉を使ったのは、彼女自身である。4年生、この学齢では、相当な数の漢字語を使いはじめる (従って 「生意気」 になってきた)。ただし、数段階の手順を経て何かを作り上げる過程を、まだ自力で構築するまでには至らない。おそらく、それは中学が終わるころか。4年生のころ、僕自身、プラモデルを組み立てるのに説明書の手順を追うことはできたが、全体像と仕上がり姿まで把握してはいなかっただろうと思う。


(20041109-1) 金魚すくい、+その後の話

子どものころ、金魚すくいは苦手だった。失敗して残念でした。でも、店では 「残念賞」 に、文字通り 「雑魚」 にあたる金魚を数匹くれるものだ。だから僕の子どものころにも、金魚鉢が存在したことがある。数匹 もらって来ては、数日の間に 1匹、2匹と死んで浮いているのを発見するのが常だった。当時は、水道がなくて井戸水だった。毎日 水を換えていたのは母だと思うが、冷たい井戸水を半日 「汲み置いて」、その水で入れ替えていたはずだ。水道が来てからは、塩素を抜くために 「1日おいた水」 で、金魚鉢の水を半分 入れ替えるのだということになった。
そのころにも、空気ポンプで水中に酸素を溶かし込む機械はあった。が、それは金持ちの熱帯魚くらいで、「庶民」 のものではなかった。

猫も、姉が拾ってきては飼う結果になるので、僕の子ども時代を通して猫はおそらく6匹か、ある一瞬 我が家には3匹か4匹の猫がいたことがある。彼らが老齢で死んだのを見た記憶も、ある。ある者 (猫) は行方不明になって消えた。

ペットを飼うときは、それが死んだときのことを予測しなければならない。
アパートなので室内で動物を飼えない点もある。一方 金魚すくいも、上の子が9才の現在に至るまで 僕は避けてきた; メンテナンスの困難さ、死んで浮かんだ金魚を見るときの、砂を噛むような思いを − 子どもにさせたくないより、僕自身が味わいたくなかったからだ。夏の夜店でも、幸い 金魚すくいは減った。サンリオの催し物でも、「キティちゃんすくい」 や 「ハム太郎すくい」 (これらは、流れる水中から硬質ゴムの (水に浮く) 人形をすくう) になっていたので、お姉ちゃんは それで満足させてきた。

ところが。
下の子 3才 − これが男の子だ −、この季節、休日にはあちこちで 「バザー」 とかをやっていて、母親と行ったら、金魚を6匹も持って帰った。自分ですくったのではない、たまたま教会のバザーで、ボーイ・スカウトが金魚すくいの店をやっていたという。スカウトのお兄ちゃん、店じまいも近い、大サービスで6匹も持たせてくれたのだ。これは困った。母親は言う: 明日になったら 公園の池に流してしまうと。バカを言ってはいけない、あの 「池」 は、防火用地下水槽からポンプで流している人工の川、その迂回路だ。大型の鯉は 分岐点の柵で囲えるが、金魚などヘドロの水路に流れて行き、再びポンプに巻き込まれるだろう、ほとんど Finding Nimo ではないか。生きているものを殺すわけにはいかない。

お姉ちゃん、大喜び。やむを得ない。水槽を買いに行った。金魚すくい百円だか二百円だかに対して、6匹の金魚のための 濾過機付き、一辺ほぼ 25cm の立方体の水槽、水草、飾りの水中遊具?まで、しめて 6040円。ずいぶん高くつくものだと驚く経済観念を、9才の子も (もう) 持っている。

水槽に入れて観察すると、なるほど、金魚すくいの金魚の雑魚だ、「傷だらけ」 と言ってよい。キラリと光る部分は、鱗が剥げている部分である。「メダカに毛が生えた程度」 でしかない。これで、1匹や2匹 死んでも不思議ではないと思った。が、まだ生きている。それが、2週間+前の日曜日。「メダカに毛が生えた」 大きさの金魚6匹なら、25cm 立方の水槽で 当分は大丈夫とも思われた。

その2週間の間に、濾過機がいい加減なので廃棄し、小型ポンプで空気 (酸素供給) ぶくぶくに取り替えた。さらに、その ぶくぶくの手前に付ける (ゴミ) 濾過機を追加した。Web で調べたら、金魚の しっこには硝酸が含まれる、水が酸性になったら要注意というので、リトマス試験紙も買って来た。それ以上に困ったことは、「メダカ」 みたいな金魚どもの排泄物やエサの残骸などで、想像以上に水が汚濁してくることだ。2週間もすると、9才は そろそろ水換えもサボりはじめる。24時間で相当な汚れが見られ、ぶくぶくの下のろ過フィルターもずいぶん汚れる。結局 僕が水を、1日2回 かえることになる。

さらに驚いたのは、金魚の成長速度だ。2週間+前、ビニール袋に6匹 入って やって来たときに比べて、控えめにみても 1.5 倍、あるいは2倍ほどの大きさになっている。身長が2倍になれば、体重または体積は8倍になる。1.5 倍と見ても3倍。そろそろ、25cm 角の水槽が 「狭く」 感じられるほどだ。体積3倍なら、食い物も3倍必要だろう。排泄物も3倍になる。夜店の/金魚すくいの金魚を無事 育ててみたら 5cm、10cm にもなったという例を、僕も見たことがある。これは まいった。こいつら、ドラえもんの恐竜なみか。

幸い、まだ死んだのは いない。金魚すくいの金魚は、僕の子どものころには、数日の間に みんな死んでしまうものだったのだが。
願わくば金魚ども、少し狭いけど、お前ら無事に数ヶ月は生きてくれよな。幸い、エサだけは、安い − 100円のを、16日で ようやく半分消費しただけだから。消費が3倍になっても週 100円、8倍になったら 週 300円か。

なお、3才は 「ぼくが つかまえた」 と言って譲らない。その当日、彼は 「きんぎょ」 を 「にんぎょ、にんぎょ」 と発音して、父親とお姉ちゃんに直された。今は、手のひらにエサを乗せてもらって、ばさっ。「たべてるー、たべてる!」 と喜んでいる。
もちろん、「にんぎょ」 で思い出したのは 『人魚姫』、ディズニーでいう 『リトル・マーメイド』 では、ある。
後の追記: この記事の翌日、目測で 金魚は身長 (口先から尾びれの先まで) 4cm を越える。
「めだか」 は、思い出してみると意外に大きく、20mm 以上 30mm くらい あるはずである。仮に 「めだか」 の身長を 25mm とすると、40 / 25 = 1.6 倍、体積にして その3乗は4倍となる。「めだか」 30mm なら 1.3 倍、その3乗は 2.3 倍。
ところで、魚の質量は 「釣り上げた後の体重」 で測ることができるはずだが、釣れないもの (例えばクジラ) はどうするのだろう。百科事典では 「体重 何トン」 と書いてあるが、しかし水中では重さ0でつり合っている。この場合、「身長 何 mm なら 排水量 何 mm3 というのが適当な気がするのだが、どうだろうか? なんだか潜水艦みたいだが、事実 金魚もクジラも、ふだんは 「潜水」 している。我が家の金魚の排水量 − しかし計測は難しい。いずれにしても、「身長で2倍、従って排水量8倍」 という表現は適当だと思われるのだが。

さらに追記: さらに翌日、24時間 水を替えられなかった。水替えのとき 「魚の生臭さ」 が気になるようになってきた。水槽内に適切に細菌叢が形成されてくれば 水替えも それほど頻繁にする必要はないはずなのだが、24時間の汚濁を放置できず、どうしても神経質になる。
異変があり、40mm を越えた彼らは、水替えの後 神経症的に水槽内を はね回っている。人間で言えば 「赤ちゃん」 期をすぎ、周囲の条件変化に 心理的パニックを起こすようになったのかと − つい考えてしまう。50mm になると、水槽の幅自体が 彼らの身長の5倍しかない; これは、ヒトで言えば4畳半に幽閉されたようなものである (起きて半畳 寝て1畳、つまり 「動かず占有する空間」 の5倍寸。ヒトは勝手に部屋の外にも出るが、水槽の魚はそうはいかない)。
ま、ある朝、金魚どもが いっせいに死んで浮かんでいても こちらがパニックにならないよう、気持の準備はしなければならないか ・・・ どうにもこうにも、「金魚ごとき」 に神経質になっている。ただ、死なせたくないばかりに水槽を買いに走った、それだけなのだが。

(20041115-1) 金魚 − 1匹は死んだ

「お父さん、大変だ!」
金魚たちが我が家に来て ちょうど3週間になる日曜日、1匹だけが水面に上がって、「口 (くち) パク」 をやっていた。金魚たちが 水面に上がって 口パクするとき、また 水がきれいに見えても青のリトマス試験紙が赤くなるとき、危険だ と教えてあった。
「大丈夫、1匹だけなら、その子が そうしたいんだ。人が見ていようがいまいが、苦しくなれば みんな上がってきて 口パクするから」 と教えてあった。

9才に机のまわりを整理させている間に、監視してみた。何かおかしい。その1匹が、今度は傾いていたり、沈むように水槽の底あたりに下りて行く。水槽の底 近くで、45°くらいに傾いていた − 「死んで浮いて」 はいないが、「死んで」 いるようだ。もう 望みがない。
ひしゃくですくい上げる。息 (というのは変だが、いずれエラで呼吸する) は もうない。「この子だけ、エサもほとんど食べない、いつも一人だけ寂しそうな子だったんだ」 と、9才は言う。
洗面器に入れて、微量だがアルコールを入れてみる − 気付け薬のつもりなのだが。動き出す様子はない。あきらめ、公園に埋葬するつもりで、再度ひしゃくへ。まだ沈んでいる。やがて、浮いてきた。そうか、死ぬと一度は沈み、死後硬直するころに浮かんでくるらしい。体内の浮き袋がわずかでも開けば、水より軽くなって浮いてくるわけだ。死ぬ前後、衰弱して浮き袋を広げることさえできなくなったとき、沈むのだ。死ぬ前に 水面で 口パクしていたのは、苦しかったのか。白濁が仮に石灰質だとすると (水道水には、塩素の他に、濃縮するとかなりの石灰質が含まれているのをご存知だろうか)、それが窒息の遠因になったかもしれない。いずれにしても、元気のない子だった。享年3週間。死後に計測したら、45mm強 あった。

残る5匹。
今日は みんなで 口パクしていたという。電話で、水を替えさせた。それで 口パクはおさまったらしい。死んだ 一番 小さいのが 45mm なので、他は 50mm やや超だろう。「めだか」 のつもりで空気の泡ぶくぶくの量を絞ってあったのを、少し開いた = 多めにした。石灰質かもしれない白濁を取る薬品、というのも、日曜に買ってみたばかりだった。



職場でも、「金魚」 というと 「すぐ死んでしまう」 という連想があることを知った。魚類は、卵の時点で おそらく 95% が失われ、稚魚の時代に そのまた大半が他のエサになることは、僕も知っている。運よく生き残る者が、子孫を残す。が、養殖魚の場合、その生存率は高くなる − 高くしないと営業的に成り立たない。金魚すくいの金魚の任務は、夜店ですくわれる、または景品として持ち帰られることである。従って、本来なら卵のうちに、あるいは稚魚のうちに他のエサになっているはずの者まで、金魚すくいの水槽には含まれている。より正確には、高い値のつかない雑魚だけが 金魚すくいに回されると 見るべきだろう。と、なると、この生存率、つまり 「健全に育つ素質を持つ」 者の率は、低いと、みる。業界、特に IC の製造業界では、これを 「歩留まり」 と呼ぶ。製品の何%が出荷できる製品になるか、製造過程での瑕疵その他で、何%の不良品率を事前に見込んでおくか。

金魚すくいの金魚の歩留まりは、悪い。僕自身、子どものころから知っている。職場でも、そういう連想が 一般的だと わかった。
さて、あと5匹。何匹 生き残ってくれるだろうか。


(20041117-1) 金魚 − 2匹めが死んだ

朝、水面で口パクしているのが2匹、うち1匹が見ている前で傾きはじめ、数分内に動かなくなった。今度は最初から浮いていた。この子は、やはり先日の公園の花壇、この前の位置から 50cm ほど離れたところに埋めた。

あと4匹。うち、2匹はしきりに水面に上がってくる。1匹が やや傾いている。
朝、夕と水の半分を入れ替えたが、夜、全 取り替えに及んだ。水槽の底、砂利の周辺によどんだ水は、9才、3才ともに 「くさーい!」 と言う 状況だった。ちょっとした吸引装置を作ってはあったのだが、数日それをサボっていたし、サボる前から この吸引で 「魚くささ」 を感じていたのは事実。しゃれた 「適切な細菌叢の形成」 など期待したのがまちがいだったろう。「くさい」 のは、要するに汚れているのだ。
これで、6匹がやってきた時の状態に近い、透明な水槽に戻った。ただし2匹、中でも1匹は明日 朝にでも死ぬかもしれない。

1匹には、白癬のようにも見える白いものがついている。
子どものころに どこかで読んだ知識があった − 金魚のそれには、「赤チン」 を数滴 水槽に入れよ、と。つまり、消毒するのだ。が、「赤チン」 なんて 今の時代には ない。代用品として、子どもがカゼひいて もらってきた うがい薬、ヨード剤があった。
問題の1匹を ひしゃくに移して、そこにヨード剤 数滴。うむう、苦しそうだな。急いで、水道水のひしゃくに移す。その後に、水槽に戻した。
しかし、白癬? どうであれ、しゃれた 「細菌叢の形成」 など期待したのが誤りで、むしろ 「魚くさい」 水は病原を培養するのが先だったにちがいない。

こうなると、夜店の金魚すくいそのもので、水道水を生で与えておくほうが よい ような気さえする。少なくとも、それで病原体の消毒にはなる。まして、もう3週間を越え、どれもがメダカではなくなっている。が、それはまた 「金魚すくいの金魚の虚弱さ」 と裏表でもある。当面、水槽の透明度が下がったら 「水道水 半日放置した水」 1/2、そこに 生の水道水 1/2 で全 入れ替えを試みるつもり。

− 明日の朝、もう1匹、2匹、死んでいなければいいが。
6匹のうち2匹が失われて、埋葬に もう9才も泣かなくなっている。あと2匹が失われれば、残るは2匹。それさえ死んだらどうする?と、9才は先走った質問をする − それは わからない。幸い、金魚には名前が付かない; 当初は個々の識別が困難だったこともあるが、飼い猫や犬とちがって、人間と生活空間を共有するわけではないので、やはり 「個性」 の抽出が困難なのだ。ランチュウと出目金なら区別はつくが、しかしランチュウと出目金が、水槽の中から個々の人間を識別しているとは思えない。その意味で、金魚はあくまで 「無個性」 なので、「名前」 をつける余地がない。せいぜい 「大きい出目金、小さい出目金」 でしかない。Finding Nimo の ニモたちは、あくまで擬人化されたものである。ディズニーの ニモには個性があるが、現実の水槽の魚に個性はない。だからこそ、この映画内の 「現実」、つまり映画に出て来る人間の少女は 「死んだ」 ニモをトイレに流そうとする。

その 「無個性」 が、死んだとき、人間にとっては救いにはなる。ナチのユダヤ人収容所でも、養豚場のとさつ場でも、人は豚の1頭ごとに個性を感じていない。個性のないものが死んでも、人は悲しまずにすむ。ただ − 4匹のうち2匹、明らかに異常を見せているものが次々に死んで行くのは、多少は悲しい。それが、仮に、「いっそのこと 毎日 水道水で全部 入れ替えていたら」 死なずにすんだのだとしたら。水槽はユダヤ人収容所でも養豚場でもないのだから。


(20041118-1) 金魚 − 3匹めが死に、4匹めの兆候

昨夜、上の記事を書いた後、水槽を見たら、水草に ひっかかって動かないのが 実は死んでいた。ひっかかって水面に浮き上がってこないだけだった。公園は雨。この3匹目を花壇に ひそかに埋めた。今夜さらに、尾びれ・背びれともに異常のあるのが 力なく浮いていて、まだ息をしているが、これも明日 朝には希望が薄い。
6匹のうち、こうしてみると 「無傷」 のものは1匹だけだ。明日はまだ残るだろう2匹のうち1匹も 尾びれが欠け気味で、これも白癬様のものがついていた1匹である。

9才には、最後の1匹、あの子だけは大丈夫だから、と言い聞かせる。「ああ、あの しっぽの大きいやつね?」、「うん」。
裏返せば、父娘とも、ほぼ全滅することを予測しているわけだ。


(20041118-2) 日記 − また おもちゃ

駅前のおもちゃ屋が閉店セールだという。特価ものを除いて 他はすべて3割引。
ここに引っ越してきたのは 11年+前、そのころからあった店で、急速な栄枯盛衰を展開する駅前で 安定して存在し続けた いくつかの店の1つだったのだが。
その閉店セールを発見したのは、9才。3割安で、ほしいのが買いたい、でも、それでも高いなー。僕もついて行き、3才のための(?) プラレールの TGV を発見。考えてみると (9才の言う通り) 「レアもの」 ばかりで、なるほど、こんなのが売れ残っているのは、商品の回転が遅い証拠だ。最新流行のものは、ほとんどない (もっとも、3割引でセール開始と同時に消えたのかもしれない)。

2階は大きい男の子の専用売り場で、エアガンだの ガンダムだの ラジコンだの、さらに前世紀の遺物である レーシングカーや その後継 「ミニ四駆」 の残骸的部品たち、それにプラモデル。
この前ここを覗いたときは、Saab の Gripen があった。やや大きすぎるので買わずにいたら、なくなっていた。代りに、その数十年前の Vigen の 1/100 を発見。1000円定価で 700円。この他に、プラモデルを買い出すとキリがない。僕の押し入れには、組み立ててないプラモデルが、これで 14箱 ・・・ オリエント急行、ハイテク・ジャンボ、777、YS-11、DC-10、シャトルを背負ったジャンボ、etc。Saab は Draken、Vigen が揃ったが、Gripen がない。TriStar も、いつも買いそびれてきた。767 も買いそびれたまま。YS-11 だけは一度 組み立て、現在の9才に触らせたら たちまちプロペラを折ってしまったのが3才ころだ。今あるのは、また買いなおした箱。

そういえば、1988年にアメリカから帰ったときにも、ヨーロッパ製の 「レアもの」 プラモデルを数箱 持ち帰ったことがある。あれは、ある日 僕が temper を起こして捨てた、のを覚えている。temper - つまり、何かしら 「かんしゃく」 の類、あるいは激しい感情の動きのことで、ハリポタの原文 第5巻にも出て来る。
temper といえば、アメリカにいる間、職場に LGB のカブースを置き 12V でランプを点けていたことがあるのだが、それも何かの機会にゴミ箱に捨てた。深夜の掃除に来るおじさんが、「あんた、これ本当に捨てていいのか、俺は あんたが temperature を起こしたんだろうと思ったんだが」。「うん、その通り。でも もう捨てたんだから、おじさん 持ってってもいいよ」。おじさん、喜んで持って帰った。(なお、LGB とはドイツ製 線路幅 45mm の鉄道模型のブランドで、これは雨の中でも庭を走らせることができる。アメリカ向けには、大人の懐古趣味?に合わせて、アメリカ型の車両を売っている。けっこう高いので、僕は現地でカブース、つまり昔の貨物列車の 「車掌車」 だけ買って、その車内の電灯にコンピュータ用 12V の電源をつないでいた、のであった)

つい2日か3日前、コンビニの セブン・イレブンで、「新種」 の 「食玩」 の処分セールをやっていた。ジェット機が4種、塗装は各2種。幸い 「4種のうちの何が入っている」 表示があるので、F-16 が入っているというのを買った。大当たりで、エアロバ・チームの塗装。これは3才が喜ぶ。
補足: 「エアロバ」 aerobatic、つまり曲芸飛行。日本のそのテの雑誌では これは 「アクロ」 と書かれていて、acrobat のことだろう。日本の自衛隊のエアロバ、いやアクロ・チームは Blue Impulse という名前があって、これは公式には 「戦技研究」 団なのだそうだ; 1964年の東京オリンピックでは、F-86F が空中に五輪を描いた。その後 事故が頻発して 「自粛」 が何度か、その 「自粛」 解除のたびに地面に激突したりして、最近は ついに最新、国産ジェット初期 「練習機」 になってしまった。機体が国産 T2 = F1 だった時期もあるが、いつの間にか変っている。おそらく、操縦性に問題があったのだろう。「国産」 F2 は F-16 の改造型だが、これは使わないのかしらね。
お手本のアメリカは、昔は Blue Angels、これは本当に 濃紺の機体だったが、あれは海軍だったのだろうか。最近は Thunder Bird(s?) というのが有名で、これが F-16、白・赤・青で 鳥の姿の彩色になっている。これは空軍かしら。どうでもよいが、「赤・白・青」 は 上下に重ねるとオランダの、タテ帯を左右に並べるとフランスの国旗である。この3色の組み合わせは多い。なお、人形劇の 「サンダーバード」 はイギリス作品で、これはアメリカとは関係がない。

さらに蛇足だが、韓国には 「まだ」 エアロバ・チームが存在しないようだ。北朝鮮が国家として健全に育っていれば、Mig 29 のエアロバ・チームでも組んだかもしれないのだが、歴史はそれを許さなかった。もっとも、米海軍も (ドッグ・ファイトに強いという) F-14 によるエアロバ・チームは組んでいないので、この種の 「先端」 機種によるそれは基本的に あり得ないのかもしれない − 考えてみれば F-16 そのものが、開発途上国相手の商品として開発されたもの、つまり 「安上がりに飛ばせる」 機体である。単にエンジン数でも、F-16 は1本、F-14, F-15 は2本で、1回の飛行に要するコストが 大きく異なる。1980年ころ、韓国で 「国産」 になった Northrop "Taron"、これは F-16 の前の 「開発途上国」 向け; 2本エンジンだが、これは Blue Impulse 純日本製と同じで 「細いエンジン2本」 にすぎない。同じ程度のものは、台湾が自力で開発したことがある。
1本エンジンで 頑張るのが F-16、ほぼ同じ1本エンジンが スウェーデンの Saab "Gripen"。それを2本持つのが、まだ実戦配備には遠いが ヨーロッパ共同開発 Euro-Fighter "Tyhoon"。従って、Euro-Fighter によるエアロバ・チームは、おそらく、ない。運用コストの高い機体は、結局 政治の前面で動くだけだ。次のエアロバ好適機は、フランスのミラージュか、あるいはアメリカでは F-18 か。
今日 帰ってみると、おいおい、その F-16 が ばらばらだ。機体の上下は剥離、尾翼とキャノピーも取れて行方不明。なかなか寝ない子で、そのうち 「これ、なあに」 と持ってきたのは、なんだ、F-16 の運転手じゃないか。

3才児がおもちゃを片端から壊すのは temper の一種だろうか? プラレールの連結器も1つ壊してしまったので、閉店セールの店では、74円でその補修部品セットも買った (後の注記: 100円の3割引は 70円。それに消費税を付けると 73円。しかし 105円の3割は 31円。従って 105円の3割引は 74円!)。

僕自身の記憶から言えば、おもちゃを 「壊す」 のは 知的好奇心の結果だった。ただ、中学生のころになると、さすがに好奇心だけではない、激しい感情のやり場がなくて、大切なはずの、お小遣い節約して買った Nゲージの車両を 壁に投げつけた記憶はある。
3才の男の子の情緒の世界は、まだ僕にはわからない。


(20041118-3) 日記 − 金魚、趣味、方程式

どこにでも 「マニア」はいて、職場には釣りマニアがいる。ふだんは僕を相手に、冗談と わかってはいるが 「悪質な」 ちょっかいをかけてくる; この数ヶ月それで苦労しているのだが、最近は互いに 「ちょっかい」 出すのも面倒になっていた。ところで、「マニア」 は その方面の話題で態度が がらりと変るのを、つい先週 経験した。

「金魚が 連続 4匹、死んだんですよ」
数日前から、100円?の金魚すくいが 6040 円の出費になったことは、雑談の中で話してあった。彼は言う: そんなの、みんな何万円もかけてるんだ (6000円など、アホか)。が、「連続 4匹、死んだ」 で、水槽の管理の話になった。釣りマニアは、自宅にも水槽があるらしい。ヒーターを付けてるかと聞くので、もちろん、No、彼のは熱帯魚なんだろうな。
それから、昼休みの半分、うんちくを聞いた。彼が、こんなに親身になって話すのは初めて聞いた。そもそも、同年代の子どもがいるのに、彼は職場でそれを話題にしない人だ。

うちの金魚は、結局 5匹まで死んだ。生き残ったのは、ただ1匹 健全で、他の病気や衰弱など どこ吹く風。僕には、無神経でやたらに食い、太るばかりのやつに見えて、むしろ反発さえ覚える。そのくせ、ただ1匹になると、水槽の中を神経症的に走り回っているのだから、勝手なものだ。5匹が死んだ主因は、水の汚濁と 「適切ではない細菌叢」 の形成、その結果の病気、衰弱だったろう。汚濁を吸い取る器具については、下に書く。

ただ1匹になっては、見ているほうも つらい。子どもらをつれて、ぶくぶくのフィルター買出しと同時に、1匹 「50 円」 の金魚を2匹 買ってきた。黒いデメキンでも買うつもりだったのだが、250mm キューブの水槽には大きすぎる。50mm 前後、生き残った1匹より わずかに小さいと思われる雑種2匹、100円。神経症的に走り回っていた1匹が、少し落ち着いたように見える。



水槽 底の汚濁を吸い取る器具は、店にも売っている。が、でかい。砂利ごと吸い上げ、ただし砂利はそのパイプを昇りかけて 自分の重さで落ちてくる。これに要する吸引力は、太いチューブのサイフォンで得られる。が、250mm キューブでは、あっという間に水槽の水がなくなってしまうだろう。

僕は、100円ショップの 「じょうご」 を使った。漏斗の広い側の口から水を吸い込み、そのとき 砂利を吸い込まないよう、やはり 100円ショップの台所用のザルの金網を、ハサミで丸く切って 付けた。「じょうご」 の細い側には、東急ハンズで買った 1m 70円、内径 6mm のチューブ。これで、洗面器に汚水を吐きだすのに 約5分。が、困ったことに、こいつで 水槽 底の砂利をかき回すと、ゴミが舞い上がる。舞い上げず その場で吸い上げてほしいのだ。
これを、内径 8mm のチューブに換えた。おうおう、全然ちがう。6mm と 8mm、ほとんど同じように思えるが、吸引力つまりチューブ断面積の比はその2乗、つまり 36:64 = 9:16、ほぼ倍近い。写真をお見せしたいところだが、省略して、ともあれ、水槽 底の砂利をかき回すと、舞い上がるはずのゴミを その場で吸い出してくれる。その代わり、洗面器があふれる直前まで、3分とかからない。ま、よい。

これで、「歩留まりの悪い」 金魚すくいの金魚たちより、この3匹は生き続けてくれるだろうか。



ところで、1辺の長さ 25cm の水槽の容量は、何リッターなのだろうか。
結論は
(25cm)3 = 15.6リッター
である。こんな簡単なことを 何日も考えたのは、もう ボケたのかもしれない。
僕はそれを、まずこう解いた:
1辺が 25cm なら、4個 並べれば横幅 1m になる。
ならば、それを4段 重ねると、高さ 1m になる。これで 16 個。
この (4個 x 4段、奥行き 25cm) のものを4個 重ねれば、3辺が 1m の直方体 すなわち 1立方メーターになる。
つまり、この水槽が 64個で1立方メーターになる。故に、水槽の容量を X とすれば:

64 x X = (100 cm)3
これを解くと
X = ( 1,000,000 cm3 / 64 )
X = 15,625 cm3
すなわち
X = 15.6 リッター
最後の 「64 で割る」 計算のところで、Windows の 「電卓」 を使った; あれ? だったら、単に 25cm を3乗すれば ええではないかと気が付いた − これを、「トシ」 という。
なお、水槽の容量は、薬品を投入するときの基準になるので、これは重大な数字で、ある。


(20041121-2) 『キャンディ・キャンディ』

40代までなら 覚えている人がいるかもしれない。女の子むけのアニメ 『キャンディ・キャンディ』。
ここ数日、9才が食い入るように見ているものがあった。香港直輸入?というのもヘンだが、母親の友人で、英語世界でいえば God Father に代わる God Mother? つまり、母親代役にもなる、「子どもと特別な関係を結ぶ」 と母親が決めた女性、その人から送られてきたものだ。
日本では知らない人もいる Video-CD。これは、DVD が一般化する前、パソコン CD-ROM の変形または亜種として、ごく一時 流行しかけたものだ。CD-ROM 1枚 640MB に、原則として1時間のビデオが録画されている。これは、いま現在の日本では まず発見できない。が、台湾、香港、中国ではまだまだ市場にある。パソコンでは、歴史的な経緯から、DVD 再生ソフトで 必ず再生できる。 DVD の お値段に対して安いこと、海賊版も格段と作りやすいことなどが理由ではある。送られてきたものも、著作権表示または警告に類する文面があるが、かんじんの著作権者も作者名も、どこにも書かれていない。Web で調べてみると、原作者名は いがらしゆみこ。ただし 国内の店で発見できるのは、その画集だけで、『キャンディ・キャンディ』 の DVD はない。もちろん Video-CD は検索メニュー内にもない。VHS でも探してみれば あるかもしれないが − 今さら VHS の新品配信というのも、ありそうに思えない。

高校生か大学生だった時代に見た記憶があるので、1970年代に、古典的なアニメになっていただろう。『アルプスの少女 ハイジ』 より、前だろう。ハイジには 現在も 「ハイジ マニア」 が存在するが、「キャンディ」 のほうは忘れられているらしい。ハイジと同様、TV の連続放映だったようで、30分ものが 数十回分ある。ハイジを、だから子どもに見せたいと考えたときも、その巻数にあきれて あきらめた。『キャンディ・キャンディ』 も、同じような事情にある。まず海賊版の Video-CD、「著作権」 警告風の英文が箱に書かれている他は 何の飾り気もない箱に、裸の CD が およそ 20 枚?前後 入っている。

物語の内容は − 孤児院で育ったキャンディという名前の女の子、その孤児院時代の友達、先生その他との友情を確認しつつ、その後 全寮制 (らしい) 学校で成長して行く。
「ハイジ」 は ハイジで それなりに少女の成長と、その間に出会う車椅子の女の子との感動的な物語に収斂して行くのだが、「キャンディ」 は ただ ひたすら キャンディとその友達との友情、キャンディ自身の成長、そのあたりに関心を示すように見える。例えば、孤児院で育った古い仲間は 多く 富裕な家庭に引取られているのだが、その一人の男の子、今は大人に、「生みの母親」 が現われる。男の子は、それとの面会を忌避する。羊の毛を刈りながら 「お前の任務は その毛で 人を暖かく守ること、母親の任務は 愛情で子どもを暖かく守ること」 なんてせりふが出て来る。つまり、孤児院に自分を捨てた生みの親への拒否という、文部省推薦には なりそうにない モチーブがある。キャンディ自身にそういう場面があるかどうかは、僕は全巻を見ていないので わからない。

しかし、(僕に言わせれば) 余計なナレーションが 必ず付く。そのナレーションの声が、昔 聞いたときと まったく同じ印象で − つまり教訓を垂れる文部省の役人みたいな声・しゃべり方なので、あるいは これこそ 文部省推薦であった可能性も ないではない。キャンディ自身の声も、これは (50男の 「耳」 は だませない) どう聞いても 中年女性の子ども声である。映画の主たる時期は この キャンディの学校時代、おおよそ中学から高校に相当する時期のようである。人名や 「羊」 が出て来る背景から、場所はスイスあたり、孤児を引取った家庭はロンドンだが、生みの親はアメリカから来る、といった設定になっている。作品時期としては、「フランダースの犬」 や 「母を訪ねて三千里」、あるいは 「マッチ売りの少女」 や 「銀の皿」 が教育的だと もてはやされたころ、その後 背景だけはアルプスで展開されたハイジ、それらの 狭間にあるような気がする。

ともあれ、うちの女の子9才は、食い入るように これを見ている。音質が悪く、そのころの AM ラジオみたい; あんまりひどいので 高圧縮をかけてあるのかとも思ったが、やはり 30分もの 2本で CD 1枚なので、そうではない、原アナログ画像と音声そのものが低品質なのだ; 画像にも時折、原アナログ画像のノイズが見える。「海賊版」 であることと 状況は だいたい一致する。

なお、もちろん 吹き替えなしの日本語のまま、画面には香港漢字で広東語の字幕が出ている。日本のアニメが日本語のまま、香港漢字で字幕が出る TV 放映は、21世紀の香港でも見た。台湾ものなら広東語への吹き替えでやっているのだが、日本語からだと 「翻訳」 が必要になる。あの世界では、日本語のままであることで、かえって 「香港・台湾世界のものじゃないよ」 と示す意味があるのかもしれない。そういえば、この世界には 日本人の知らない 日本語ブランドで、けっこう有名なものがある − 「優の良品」 て、ご存知だろうか? 「無印良品」 は日本のブランド、「優の良品」 は、どうも香港日本ブランドらしい。これは、空港にも店が出ていたが、香港の地下鉄、大きな駅ごとに店がある。発見頻度では、日本の 「ペコちゃん」 不二家くらいの感じだろうか。
後の補足: 「キャンディ」 の舞台は、9才が見せてくれた初回?のナレーションによれば、ミシガン湖の西だったか東だったか、とにかくアメリカなのだそうである。南はインディアナ、西南の岸がシカゴ、東が州名でミシガン、西はウィスコンシン。まじめに見れば、舞台の地理的位置は出てくるかもしれない。

(20041123-1) まだ金魚に ふりまわされている

2年前の6月、現在の ツマ子用のパソコンを組み立てたとき、そうだった。24時間稼動を前提に、Fax 受信機、コピーも TV もビデオも DVD も CD-R(OM) も ツマのメールも みんなこの機械1台ですませるために、まず排熱つまり 「静音ファン」 とその発熱状態の監視に はじまって、いじくりまわして一度は故障させ、マザーボード自体をメーカーで取り替えてもらった。そのうち夏になり、それをようやく乗り越え、3年めは2台めの HDD をビデオ録画用に追加、この夏 − やっと3度めの夏 − を越えたばかりだ。

マザーボードを故障させたというのも ひどい話で、実はネジ回しがピンに触れてショートした。軽く ピッと音がしてリセットがかかったが、しばらくしてから おかしいと気がついた; ネットワークが死んでいる。その時はまだ このショートが原因だとは考えず、980円だったかの PCI ボードを買ってきて、それを使った。が、TV チューナー・ボードと並べて、2つしかないスロットを使い切っている小型 「キューブ」、やはり熱がこもってしまう。オン・ボードのネットワークが死んでいる以上、メーカーから支援が得られないか。交渉の結果、「既に家庭内サーバとして稼動している; 止められない; 故にまずボードを送ってくれ、交換の後、故障したのを送り返す」。この要求に応じてくれたメーカーは まず 「見上げるべき」 で、「既にサーバとして稼動している」 という説明が功を奏したようだ。

それから2年+、Windows Update が重なった結果だろうか、一部 「かつて動いたものが動かない」。例えば TV 録画の予約を、Web につないで自動的に設定する機能 − iEPG という − が 動かない。この2年の間に、Windows 背後で動く様々なソフトに入れ替え (特に MS IE 6 とその部品を疑っている) があり、TV 側ソフトを何度入れ替えてもだめ。9才は手動の予約を知っているが、その時刻・チャンネルなどを何度かまちがえて、それ以来 録画は 朝から起き出し、「予約せずその場で録画開始」、先週は 「お父さん、録画 止めるほうを やっといてね」 ときた。

それは、ソフトが互換性を失う という意味での 「パソコンの寿命」 の一種だと思える。
新機への差し替え、これが安定するまでの数ヶ月、「寧日のない」 期間が続く。それから、機会あるごとに一部入れ替え、プリンタ、スキャナの買い替えなど、そのたびにソフトの入れ替え、さらに Windows Update。
それは機械のことなので、壊れてしまえば買いなおし (組みなおし)、要は おカネに帰着する問題では、あった。



今度の 「金魚」 は、面倒なことになった。1ヶ月前、3才が金魚すくいでもらってきた6匹のうち、5匹まで死んだのがつい先週。残るのが1匹では あまりに寂しいから、DIY ショップで 50円のを2匹 買った。そのころには、職場のマニアが 濾過機・兼・細菌叢 培養機まで、わざわざ新品を買って職場に持ってきてくれた; そのマニアとの話で、金魚たちが死ぬのは病気だといい、やはり DIY ショップでその薬品を買ってきた。「白点病、尾ぐされ病」 という能書きそのもので、たしかに これに該当すると思われた。
薬品を指定量、計算通り 我が家の水槽 15リッターに 12.5ml を入れた ・・・ わざわざ色素が入れてあり、おい、この毒々しい色は何だ。9才がすでに悲鳴を上げる。あまりの痛々しさに、薬品を数分の一まで薄めてみる; そうこうしている間に 1匹は死んだ。後から買った 50円、ほんの数日しか この水槽で生きてはいなかった。死骸は、たしかに、尾ビレが ぼろぼろになっている。残る2匹も、薬品を入れてから ヒレに黒い影が付いた; 薬品は効いているのだ。

明日で、問題の金魚すくいから1ヶ月になる。元気なのはただ1匹; あの6匹の中で、無神経に (!) 生きつづけた1匹。50円で2匹 買ってから 「大・中・小」 と呼んでいた 「大」 である。死んだ 50円は 「中」。「小」 は、ものかげに隠れて静かにしている。が、「大」 と 「小」、2匹とも水面に上がって 口パクすることがある。そのたびに、9才の女の子と2人で、心配になる。自分で組み立てたパソコン、「静音ファン」 の回転を落としすぎて熱暴走しないか、監視し続けたときに、似ている、しかし、これは機械ではない。たとえ 50円の金魚でも、生きている。こんな思いをするくらいなら − みんな捨ててしまいたいと、一瞬 考えてもみる。

不思議なのは、最初の6匹のうちの、生き残っている1匹である。
見方にもよる。無神経、貪欲、利己主義、強欲。他の5匹が なだれを打つように死んでいったときも、これは生き残った。それだけ強靭な体力、あるいは病原への抵抗力、つまり病原との非・親和性。これだけが、金魚すくいの水槽の中で 「別種」 に近いものだったのだろうか。ほんの数日しか生きなかった DIY ショップの 50円の1匹が死んでも、もう1匹が 「虫の息」 になっても、こいつだけは まだ元気なのだ。
(ペット・ショップで売っている元気な魚たちは、こういう 淘汰を経たものなのだろうか; それでないと、あの お値段には納得が行かない)

「薬品」 は いろんな商品があったが、どれも同じ成分に、同じ青の色素が 同じような比率で入っている。人間の薬も売っているブランドは高いし、「水槽 何リッターに 1/2 袋」 という粉末なので避けた。が、そちらには、成分表示に 「塩化ナトリウム」 が入っていて、それが薬品本体より 2桁 多い。食塩 − 神経系に作用する Na+ と、消毒剤の Cl- である。9才が歯ブラシに使っている食卓塩を、ごく少量 入れてみた。
24時間後の追記: 翌朝、元気のない 「小」 は 元気がないなりに生きていた。夕方、9才から携帯に電話が入り、「小」 がエサに とびついて来たという。一安心。昨夜の 15リッター中の薬品量、4.25ml。水は相変わらず汚濁するので替えざるを得ず、半分交換で薬品量も半分に。そこで、替え水に 3ml を添加する。今夜の薬品量、あわせて 5.1ml、それに 「食卓塩」 ひと振り − まったく、「自作パソコン」 初期の3ヶ月くらい 面倒だ。「食卓塩 ひと振り」 をやりすぎると 海水になってしまう?ので、ぐっと自制する。でも、Cl だけなら、水道水には ふんだんに含まれているのだが。

(20041125-1) ラーメン屋、留置場、弁護士

「ハリポタ」 の英文を読むのは、電車の中かラーメン屋での夕食の間だけ、と決めていたわけではないが 事実上 「そう決めて」 きた。過去3年か、第1巻、第2巻をそうやって読み、第3巻 (映画は そろそろ映画館での上映が終わった最新作) は とばして、第4巻まで読んだ。第5巻も、「つまらない、つまらない」 と不平を言いつつ けっこう読み進んでいたのだが、仕事と家庭の状況が少しずつ変化をはじめていて、だんだん読めなくなってきた。こうなると、1ヶ月、2ヶ月と本を開かない、持ち歩くだけ、という時期になる。現状では、p.384/956、ハリーを 「講師」 に 「闇の魔法への防衛術」 の私的講義の策略をハーマイオニーが立て、その準備の会合が終わったところまで。

困ったことに、絶好の読書の場だった駅前、正確には線路下 (ガード下) のラーメン屋が、閉まってしまったことだ。この場所は、10年前から 次々と別の店が開店・閉店をくりかえしていたのだが、ラーメン屋になってから やや安定して、数年以上 店を開いていた。ほぼ毎晩ラーメン食いに通うので、店のおじさん・または・お兄さんとは、開店以来のつきあいになる。ときおり、留置場の通訳の帰りにも寄った。「留置場」 に行ったことは伝えたが、「通訳」 で行ったと伝えたかどうかは 定かでない。「留置場」 で、お兄さんの話題が出て来るからだ。友達が、しばしば そういうところの世話になるそうで、そのまた世話に奔走することがあるのだそうだ。日本人か、在日かも、互いに詮索をしない暗黙の前提があるので、僕は知らない。が、彼の奥さんと思われる人が時々 店に現われることがあって、彼女の発音は日本人ではない; 中国、台湾、香港で中国系も日本語のナマりかたが異なるし、韓国人であれば 僕にはもう少し明瞭にわかる; が、その区別もつかない程度の言葉しか聞いたことがない。

この店が、この夏前だったか、春だったか、突然 「都合により当分の間 閉店」 になった。8月、シャッターが一度 開いていたので のぞいたら、発音が明らかに中国系の青年がいて、店長、事故で当分は店を開けない、それで店の様子を見にきたのだと言っていた。3ヶ月くらいはかかるという。その8月から、もう3ヶ月を越えた。「当分の間 閉店」 の貼り紙は、この秋の台風で ちぎれて飛んだ。これだけの長期間、ガード下の店の家賃を払い続けて 再度開店 というのは、考えられない。ただ、店の看板だけはまだ残っている。家賃を徴収できないまま家主 (営団、その間に 「東京メトロ」 とかに名前を変えた) は放っておけないだろうから、次の入居募集もできないにちがいない; ヘンな悪循環がある。

お兄さん、どうしているだろう。ツマも子もいて、大型のワゴン車を乗り回す人のはずなのだが。どこかで事故を起こして、交通刑務所にでも行ったのだろうか?

法学 (司法?) 大学院が、数年前に話題になった。司法試験の難しさを解消し、当初、そのコースを取れば ほぼ確実に試験に合格できる、つまり弁護士開業できるというのが売り物だった。弁護士の需要に応じてそれを増やす 「司法改革」 の一部だったはずだ。それが、最近のニュースで、この大学院を卒業しても、3割くらいしか試験に合格させないという方針になったという。「合格できない」 のではなく、「合格させない」 のだという点に、まさに 「日本的」 不合理を感じる。
正直なところを言えば、無理して・借金してでも、そのコースを取れば 僕自身 50代で弁護士に転職してもよいと考えていた。

弁護士というのはヤクザな商売だと、弁護士自身が言っている; つまり、例えば離婚の慰謝料を取る側にも、値切る側にも回るし、それが複数同時に並行する。しかし単発の事件の処理だけでは事務所を維持できないから、企業の顧問にもなる; その企業とは 定義によって 「営利を目的とする」 ものだから、会社の顧問弁護士は相当にヤクザな面を発揮する必要もある。まして、知人や個人の関係では、彼らは 「仕事」 を発生させまいとする。有能な弁護士を友人に持つ人は、ほとんど その友人弁護士の世話になったことはないはずだ。まして、知人同士の争いには、決して自分は手を出さない; それは、弁護士は、相手方について自分自身が面識がある場合、決して弁護依頼を引き受けてはならない原則も あるからである。TV に出る正義漢の弁護士は、しかしその背後で事務所の維持に相当な苦労をしていなければならない。

そして、弁護士は、医者・歯医者と同じ、広い意味での 「接客業」 である。友人の弁護士が、その友人を 「客」 にしたくない理由は わかる。

事実上 「失踪」 したあのラーメン屋のお兄さん、どうしているだろう。熱血正義派の弁護士なら、追いかけるのだろうか? しかし、熱血正義派だけで、弁護士も生計を維持できるわけでは、ない。


(20041128-1) サンタはプレゼント工場を自宅に持っている

現在の9才、4年生が、おそらく幼稚園の最終年だったころ。
母親と通っていた 図書館で借りた絵本を、「本屋さんで買いたい」 と言い出したことがある。内容は、とびだす絵本とは言えないが、サンタさんの家庭 (?) 周辺を説明したもので、クリスマス・カードや何やら、いろんな付属品が、本に綴じこんだ封筒に入れてある。雑誌なら、付録の CD-ROM みたいなものだ。綴じこまれた封筒に入っているものは、図書館のもの。盗まれもせず 入っていたが、従って この子も それをネコババするわけにいかない。
本屋さんで、同じものを買ってくれ。それで行ったが、店頭にはない。注文を出す。出版社に在庫があるかどうか 微妙な古さだったので、在庫があっても届くには時間がかかる。届くころには忘れているか、興味を失っているだろうと思っていたら − 届いたことに満足していた。

毎年 11月の末、「サンタさんまで、あと1ヶ月を切った!」 と言い出す。
2年生のときだったか、サンタさんに 「何がほしい」 という お手紙を書くのを しぶった: 「お父さんとお母さんに 言えばいいんだよ」。その他、「サンタさんは、プレゼント、自分で作るんだよ」 と、苦しまぎれの発言も したことがある。ふむ、子ども自身が、みずからサンタ伝説を崩壊させることは できない、らしい。

今年のサンタさんには、夏前から 「これ」 を頼むのだと言っているものがあった。少女マンガ/アニメのカラオケ最新セット。まだ夏ではないか、どうせ 12月には忘れているだろうと思っていたら、今月、ついに本気の注文を出してきた。英語で言えば determined 状態、つまり decided は 「意志を持って選択した」 意味であるのに対して、determined とは 「議論の余地なく決まっている」 ことを言う; 雑誌の広告を調べ上げ、機械本体の名前、カセットの型番まで、ずらりとならべた。ごていねいに、自分で値段を計算して あきれている; 全部もらえると思うなよ、とは言ってある; そんなの 「もう、ない」 ことだってある。

やむを得ない。そのリストで、サンタさんへのメールを代筆。彼女自身パソコン入力はできるが、父親がまだ 「代筆」 する必要があるのは、箇条書きや TAB の使い方で体裁を整える必要があることと、3才もいるので、その子については親が代理で 「お願い」 をする必要があるからである。3才は 「白いトーマス」。が、その数日後には 「しんかんせ〜ん」 などと言い出して、お姉ちゃんと父親を困らせている。

ところで。
9才は、幼稚園のころの、あの絵本を出してきた; お父さんに見せたいのは、サンタの家、あるいは/すなわち プレゼント工場のページだ。4年生が、「サンタさんは (プレゼント) 自分で作るんだよ」 を父親に立証してみせようとしている: 木造 5階か6階建ての工場の中で、サンタさんの指揮下、小人?たちが とんかんと何かを作り、素朴なベルト・コンベアに乗って流れ作業が展開されている。ふーむ。大人の 「活字信仰」 はよくあるが、子どものそれは はじめてだ。
(いや、小学校こそ、教科書信仰を醸成する場なのかもしれない。大人の活字信仰は その延長上にあるものだ。大人では、「教養のない人」 であればあるほど、慣れない活字の本を読むと それを信じる。その程度の教養の持ち主で、互いに矛盾・対立する内容を持つ2つの活字 (書物) を提示されると、都合の悪いほう、つまり難しいほうを見事に切り捨てるのを見たことがある)

それは、かつて父親が買ってくれた絵本だ。その父親に、「プレゼントはサンタが作るのだ」 と立証してみせる材料として、これほど好適なものはない。我が子ながら、見事な戦術、説得工作である。ただし父親の目で、木造数階建てのサンタさんの工場には、IC とその基盤、それらを構成してカラオケ・マシンにまとめる工程は描かれていない。あくまで 「小人の靴屋」 に類する ほんのりとした 「プレゼント」 工場である。



もう1つ、ところで。
従って、プレゼントはサンタが作るものである。
ところで、先日の 『キャンディ・キャンディ』 の Video-CD は、末尾まで完結していなかった。4年生は 香港の God Mother に、それ以後の巻を要求したが、香港には もう ないという返事が来たそうだ。
では − サンタさんに頼もう; サンタさんは、自分で それを作れるのだ。
おいおい、そりゃ無理だよ。サンタさんがいくらなんでも、お話まで自分で作れるわけがない。モノなら作れるけど、お話は サンタさんは作れない。まして、もう どこにも売ってない、話の内容も知らないのに、サンタが そんなビデオを作れるわけがないだろう。
9才は、納得した。サンタは自宅に工場を持っている。しかし お話は作れない。お話を作る人を、作家と呼ぶ。
ただ、論理関係の類推として、サンタは自家工場でプレゼントを作る、従って 「もう ない」 アニメの続編をサンタさんに作ってもらう、という発想に至ったことは − これを親バカというが − 彼女の論理能力を評価してよい、と思っている。

最後の余談としては、この子の母親の記憶には、キャンディのその後、その友人たちのその後が、あいまい・不確実ながら あるらしい。だから、おそらく 「キャンディ」 は 一度は完結したのだろうと思う。ただ、いま現在の日本で、その完結まで蒐集するのは困難だろう。その可能性は、香港、台湾、上海、北京などの海賊版市場に、とりあえず あるが、しかし その市場が市場なので、発見するためには 物理的に相当な困難が伴うだろう。逆に、海賊版というのは、要求を伝えておくと いつの間にか 実現されてしまう面もある。1970年代、非合法に 「北」 の本の海賊版がソウルの学園街に流れたのと同じ品質で、現在では 「キャンディ」 のそれが 香港、台湾、上海、北京あたりで手に入る可能性は、まだ高い。


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