Ken Mizunoのタバコのけむり?

Hangeul-Lab Ayase, Tokyo
Ken Mizuno

ハングル工房 綾瀬店 ホームへ
Mail to home master: Ken Mizuno


最近数年の記事の総目次
この時期の前後の 目次

記事の検索は上記目次で。以下の記事は日付順に下へ。


(20041003-1) 当番弁護士通訳/法廷通訳 補足

先月の記事で、僕が法廷通訳を避けてきた理由、つまり 強制退去が予測される被告人に対して判決を言い渡す通訳をしたくない、例えば その傍聴席はただ一人、女がいて、もし 「仮に」 その女が妊娠していたら 責任は誰が取るのだ、だから僕は 「法廷」 での通訳には耐えられない − と書いたとき、超・先輩から反発のメールをいただいた。そんな責任は誰も取れない、お前の言っていることは ただの感傷にすぎない。通訳など そもそも、今後も機械以上の存在でしかないし その傾向は強まる一方だろうと。

それは、わかっていた。仮に 「弁護側」 通訳であっても、通訳は通訳にすぎず、通訳は弁護士自身ではない。通訳がどんな善意に満ちていようと、弁護士活動は弁護士の意志にかかっている。実際、「どうしようもない」、手のつけようのない事件 (どんな弁護士活動をしても、それで結果が 「改善」 される余地のないオーバー・ステイなど) からは、弁護士は手を引くしかない。その 「手を引く」 際の態度はいろいろだが、いずれ同じように 「手を引く」 以外の方法はない。時には、弁護士の同情を引き、弁護士費用の扶助制度を使って多少のケアをしてくれる場合はあるが、それは、僕の立ち会ったケースの中ではごく少数で、特別な事情がある場合に限られる。「特別な事情」 とは − 例えば、

ケンカ = 傷害事件で、「この」 被疑者だけが拘束されたが、接見の場で弁護士が聞いてみると、明らかに非は相手にあり、相手もまた違法滞在 − などということになると (違法滞在者同士の事件では、しばしば 「俺が捕まるなら なぜあいつも捕まらないのだ」 ということになる。が、それは警察官の裁量次第なので、それ自体を 「こちら」 が問題にするわけにはいかない。それで 「こちら」 に有利になるわけでもない。「こちら」 の違法滞在は事実だから)、傷害事件 相手方の 「非」 を認めさせ、(入管法問題は別として) 傷害事件だけは示談に持ち込むとか、

あるいは捕まった当人には 日本現地に妻子がいて、これがまた違法滞在で入管出頭を求められているとか、
あるいはまた、妻子または親戚の中に合法滞在者または日本人がいて、その人物を介して何かしら支援が得られる、あるいは状況改善の可能性がある (例えば特別在留を求めて 法務大臣相手の訴訟も辞さない、など) ・・・ といった場合がある。

が、一般論として、オーバーステイ (+現在では偽造旅券) 「だけ」 で拘束された場合、ほとんどの場合 「救済」 の余地がない。残るのは、強制退去までの過程を、どれだけ安定した心理で踏めるか、それだけしかない。結果、当番弁護士とその通訳の仕事のほとんどは、「拘束 -> 拘留 最大 20 日 -> 起訴 -> 裁判 -> 執行猶予で入管送り -> 強制退去」 という手順の説明で終わる。「これから俺は煮て食われるか焼いて食われるか」 と怯えている被疑者には、こうした日本の法制度の説明だけで、ある程度の納得はしてもらえる。それが、避けられないものであることを理解すれば、人は 「覚悟」 することができる。それですまない場合 (「特別な事情」 がある場合) には、とりあえず弁護士費用扶助制度が使われることもある。

「超・先輩」 からのメールに返信する際、僕が書いたことの中で、1つだけ納得してもらえたことがある。要約、次のように書いた:
要するに僕は、人が 「自分の意志を どこまで通すことができるか」、それに関心があるのだ
つまり、わたしの生まれ育った日本という現地に、違法入国してまで そこで暮らす人たちがいる。その中には、心ならずも発覚して強制退去のメに会う人たちがいるのだが、その人たちの中には、その日本の現地で、日本人を含む合法滞在者と密接な関係を結んでいる例がある。かつて目立ったのは、イラン人で 日本女性と結婚した男性たちの例。彼らの場合、妻が日本人であること、既に子がいればその父親であること、妻と子が夫の滞在を強く望んでいることなど、いわゆる 「人道的理由」 による特在請求、請求が通らなければ法務大臣を相手とする訴訟を起こし、少なくとも数例は勝訴したはずである。

そういう例にあたるような 「感動的」 な経験は、僕にはない。警察に拘束、そこから拘留請求、裁判所で拘留質問を受ける際 「あなたは弁護士と会って話をしたいか」 と裁判官は質問するので、Yes と答えれば 弁護士会の当番弁護士センターに連絡が行き、外国人であれば 弁護士センターの通訳が付く。その一人が僕であり、その僕に来た呼び出しのほとんどは、「救済」 の余地のない例だった。ほんの数例で、扶助制度による拘留期間 (だけ) の弁護士選任に出会ったが、その後は知らない (僕が裁判所の通訳を避けているから)。ただし、弁護士会の扶助制度で拘留期間中に選任を受けた弁護士は、ほぼそのまま 裁判所の国選弁護人に移行できるという。その中で、被疑者 (起訴後は 「被告人」) と弁護士がどんな関係を持ったか、そこに付いたはずの 裁判所の登録通訳がどんな人だった (だろうか) も、僕は知らない。

なお、弁護士会の扶助制度による弁護士選任、それから国選弁護人、これらの 「報酬」 は、想像を絶するほど安い。従って (「従って」 だ) これらの制度で 「弁護」 を引き受ける弁護士は、とても良心的であるか、この種の事件にとてもナイーブで 思わず引き受けたか、あるいは事実上引退ずみで 「生活」 を目的としない弁護士活動を続けている老弁護士かの、いずれかである。
ついでに 「なお」、当番弁護士について行く通訳の報酬は − 金額を数字で書くのには抵抗があるので − 「毎晩 呼び出しがあっても 生活費には不足する」 金額である。ただし過去1年の間に呼び出しがあったのは、数えてみると5回、うち行けたのは4回である。我ながら ごていねいなことに、この金額も確定申告の 「売上」 に上げている。


(20041003-2) 住んでいるマンションへの 「放火」 事件

僕も一応 「納税者」 である。従って、納税者の権利として近所の警察官に支援を求めることがある。過去 10年+、このマンションの階下では殺人未遂が1件 (後に被害者は死んだという)、飛び降り自殺が1件 (母子心中; 母親は鬱状態だったと思われる)。その後、近所の盆踊りの騒音で 110番したら 相手にしてもらえなかったこともあるし、マンション内の騒音で 110番したが制服の警察官が来たころには こちらの神経症的な被害感が理解されなくなっていたこともある。
この警察署には、以上の事件たちの他に 2種; 留置場の外国人被疑者への弁護士接見の通訳に2度だったか3度だったか、その他に 僕自身への 「いやがらせ電話」 の相談でまた一度 行ったことがある。

さて、今日。
ツマ子らを連れて外出しようとすると、自転車置き場で よその子どもが困惑している。
この子は、我が家の上の子と同じ小学校の、5年生である。自転車置き場にゴミ箱が投げ出され、そこから煙が上がっている。これは、異常だ。この雨模様の天気に。もう一人来た近所の子どもを含めて、ともに火を踏み消し、燃えカスをゴミ捨て場に処分した。
この 「もう一人」 の子は、大人との自転車同士の接触事故を起こしていたらしい。遠くから 「おい、そこの二人、何してるんだ」 という僕の声に、大人は逃げ、子どもはこちらにやってきた。その後に、くすぶっている煙を踏み消した。
それが 14時台。
ツマ子らとの外出から帰ったのは、18時半。
自転車置き場の外、車の駐車場にまで燃えカスがあるのに驚いた。エレベーターの中には、引越し荷物からの保護用だろう、カーペット状の素材が貼ってあるのだが、そこに3ヶ所ほど 「火をつけた」 跡がある。これで、「通報」 の意志が決まった。

マンションの管理会社は、事実上 一人会社。日曜日、その電話は携帯に転送されて、転送先の携帯の留守録が動いた。これへの応答はアテにならない。
110番ではない、警察署の代表番号に電話した。接見通訳の待ち時間の受付でいつも見てきた、休日夜の警察署。「警察に通報するかどうか、微妙な線」 だと前置きしつつ、「いたずらと思われるが、それにしては悪質」 な放火未遂を説明した。
3人の警察官が、私服、かつ白黒ではない車でやってきた。写真を撮り、説明を聞いて行った。うちの子と同じ学校の5年生の名前が、うちの子の証言で判明したが、この子が 「犯人」 であるとは思えない; 警察官も、「いや、その子が その前に何か見ているかもしれないから」 と言う。その子の所在を警察官は割り出すかどうか。割り出したとして、その子または親にどう説明して 現場での証言を求めるか。多少 気になる。ただ、「放火」 本体の現場は 僕自身とその子たちで 半分は抹消してしまった; それは、今となっては まずかった。警察官は、これは 「通報していただいて当然なケースです」 と言う。しかし、だからといって これが 「大事件」 ではないので、警察が大々的に動くものでもない。

うちの子、4年生は言う:
「犯人、つかまるかなあ」
「いや、つかまんないと思うよ」
この程度のいたずらでは、どんなに 「悪質」 であっても、警察署が組織動員することはないだろう ・・・ むしろ、エレベーター内部で火災を起こしてくれればよかった、そうすれば 家主、管理会社を含めて 大騒ぎになっていただろうから。


(20041005-1) 放火未遂 その後

翌日の夜、ピンポンが来た。警察官。きのうの件で何かあったのかと思った。

実は、昨日の夜、自転車置き場で被害にあったのが 他にもあった。我が家とはごく親しい関係にある、Vちゃんのパパの自転車である。
彼は、自転車のカゴに放火の跡があるのに、朝 気がついた。気分が悪かったようで、結局 帰ってから 110番 したらしい。
制服の警察官が二人、消防士が3人 (または4人) で、ものものしい。
警察官は、本署から 「昨夜 既に通報があった」 ことを知らされていた。それで、通報元の僕にピンポンしたわけ。

にぎやかな検分になった。もう1軒、もし自治会があればその代表クラスと言える T 家の子どもたち2人 − この子らも うちの上の子と同じ小学校。うちからは、僕と3才児と4年生。Vちゃんのパパ。それに警察官2名、消防士3名+ (消防士は、僕の記憶では3名、上の子は4名?だと言った)。3才児はきゃあきゃあ騒ぎ、その声が4階まで聞こえたそうだ。

その騒乱の中で、M、2年生が重大証言: 金曜日、すぐ目の前の公園で、中学生くらいのがライターを使って遊んでいたという。これは学校でも話題になったが、うちの子も忘れていたという。Mの兄 Nも、同じ証言をしたらしい (僕は3才児のメンテに忙しくて 聞いていなかった)。実は、このマンションの1階は吹きぬけの駐車場で、その公園の延長上にある。自転車置き場は、その一角にある。今も しばしば、公園の子どもの 「宴会」(?)場になっていていて、菓子の食いカス、弁当の食いカスその他あらゆるゴミがちらばることがある。(「あらゆるゴミ」 の中には、かつては 殺人未遂で死亡前の人体 − 不穏当な表現だな − まであったのだから、その先は想像されたい)
住人の大人、つまり僕と Vちゃんのパパは、これはその中学生のいたずららしい という点で一致した − 雨の中、ゴミ箱を わざわざ天蓋のある自転車置き場に持ってきて そこで火を付けた点、エレベーター内部にも火をつけようとしたのに、本気でやってはいない (本気なら、エレベーター内でゴミ箱を焼けばよい) 点など。

一応、小学校の先生にも知らせておいたほうが、いいな。子どもに、明日 学校に行ったら このことを話しておけと、言ってみた。うーん、忘れないように 書いといて!
らら、またか。面倒だが、止むをえん。作文する。この記事を書くより 箇条書き的に、事件の日時、発見者、経過、重大証言の内容を1ページ、ただし Word にかけて整形したら2ページになった。プリンタにがちゃがちゃっと出して、子どもに持たせた。

学校からは、子どもの連絡帳に返事が来た: これは教頭にも報告し、中学関係者とも連絡を取ることになるだろうと。現場のマンションに住む子はクラスに二人いるので、子どもらの前でも、先生は 「これは教頭先生に報告します」 と説明したそうだ。



以上がてんまつ。
ところで、以上を書きながら思い出したものがある。「ハリポタ」 の原文。
この書き方、つまり 「こんなことがありました。翌朝はその続きでこんなことをしていたら、昨夜のこれがこんな風になっていて ・・・」 という 「あの」 作家の書き方そのものではないか。あの作品の文面が幼稚なのは、その点にある。とても 「プロ」 の作家と思えない (事実 「プロ」 ではない、素人作家の処女作が たまたま 当たっただけだが)。なるほど、こんなの、読んで おもしろくないよなあ ・・・ 第5巻は まったくそれに終始しているので、もう読むのが面倒になってきた。僕の 「この」 日記を読んでくださってる方、許されよ。


(20041009-1) 日記/雑記 − 「ハリポタ」 の今後

職場の再編で 「他社」 の社員になってしまったが、ソフト屋で 「電車内の読書家」 である人と、話をする時間があった。念のため この人は、『指輪物語』 全巻の訳本を 通勤電車の中で読破した人である。

彼から見ても、「ハリポタ」 第5巻 (不死鳥の騎士団) は、「だらだらと」 話が続くばかりで面白くない、という。原文を見ている僕がガマンして読んだ位置 (ページ数) まで、彼は読まずに放置しているという。ふむ。なるほど。原文で読んでつまらないのは、訳文で読んでもつまらないのだ。「訳書」 には、一般に翻訳的潤色が行なわれている。しかし それにも限界があって、原作の構成・展開そのものを変えるわけにはいかない。たとえ 「翻訳は第2の創作」 であることを認めたとしても、「翻訳」 は 「翻訳」 であって、原作の構成、論理、展開を いじるわけにはいかない。第4巻 (ゴブレット) で、この作品は読者の半数を失っただろう。第5巻で、さらに半数以上を失うと、僕は見た。

原語の魔法用語が訳本でどう訳されているかには興味があったが、squib つまり魔法使いとしての能力を欠く (非)魔法使いは、訳本では カタカナで 「スクィブ」 だそうだ。一方 apparate/apparation つまり 瞬間空間移動術だが、これは 解説本で 「消え去り/???」 になっていることが わかっていた (「???」 は 忘れた。瞬間空間移動の、移動先での出現を意味する訳語)。

彼も今になって言い出したことだが、瞬間空間移動ができるなら、ホグワーツに行くのに専用列車など必要ないではないかと。ただし この術は、ホグワーツの5年生で受ける検定試験に合格しないと使ってはならないことになっているので、やはり専用列車は要るのかもしれない。しかし、第2巻で、既に 「フルー・パウダー」 が出て来る: 暖炉に入ってこの粉を振りまくと、所望の転送先の暖炉に移動できる。第2巻で、彼らは それでダイアゴン横丁に行ったではないか。第4巻でも、ロン 一家は ハリーのいるダーズリー家の電気 (エセ)暖炉に移動して、そのエセ暖炉を破壊して現われたではないか。第2巻で 汽車に乗り遅れても、ハリーとロンは ホグワーツの寮の暖炉に瞬間移動できるはずなのだが − しかし話は 「飛ぶ車」 に移動する。

「半数の読者を失う」 のが2回 続くと、読者数は 1/4 になる。ま、そんなもんである。

僕は、どうするか。私生活の ごたごたが続いていること、仕事すること自体に飽きていること、そんなことが重なって、第5巻は p.290/956 で ぱたりと読み止まっている。その先を読む意欲を、失いはじめてはいる。まだ、学校の授業がはじまった翌日の昼で、解説本の言う ハリーへの 「懲罰」 にさえ至らない。
が、第2巻あたりから明らかになったはずの 「壮大な循環劇」 であることを、確認する必要はあるような気もする。しかし、この退屈な素人作家の長広舌に どこまでつきあいきれるか、非常に微妙なところ。研究者であれば、それでも耐えて 「読む」 ことが仕事なので、職業的に耐えることができるだろうが ・・・ しかし、朝鮮文学でその訓練に耐え、"Never-Ending Story" を読みきった先輩または師にしても、その続編までは読んでいないはずである。


(20041009-2) 日記/雑記 − 「冬ソナ」 は BS で原語+字幕らしい

先日 「TV で」 偶然 見たような気がした 「冬のソナタ」 の原語音声、字幕日本語の放送だが、これはどうも、NHK BS の無料 (非スクランブル) チャンネルでやっているらしい。

関東への台風の通過とともに情報を TV で追ったのだが、東京をかすめた後、情報は減った。3才児が 「台風見たい」 (まんじゅうがこわいのか、台風がこわいのか) というので、パソコン TV でチャンネル・スキャンをかけてみた。ん? 21チャンネルだか 22チャンネルだか、「冬ソナ」 をやっているではないか。今度は退屈な食事場面で (どこかで読んだ、あの番組には韓国土着の食事風景は決して出て来ないと。その通りに、現代の食卓あるいはレストランで) ある。こんな場面、語学の教材にも 面白くもなさそう。きれいな・普通の TV 朝鮮語 (NHK 日本語を想像されたい) に、日本語の字幕が出ている。ハリーに年令を 20 ほど加えたような主人公に、女が二人出ていた。音声は しかし、まるで語学教材のように明瞭・かつ・ゆっくりと発話されている; かんぐるなら、まるで外国人読者 (視聴者) を意識しているかと思われるような。

一説によれば? VHF NHK の 「冬ソナ」 は、日本語吹き変えである。だから この前 見た 「原語音声」 番組は、TV という機械ではなくて このパソコン TV で見たのかもしれない。たしかに、VHF では日本語吹替えでも、UHF または BS では 「音声原語+日本語字幕」 だという話を − 聞いたような気も してきた。

我が家の TV という機械は、VHF しか出ない。が、家主と地元の CATV 会社の関係が良いらしく、マンションの TV は いつか地元の CATV 独占、マンション内配信に変った。VHF しか知らない TV という機械に、UHF 帯のはずの千葉、東京、それに 地元 CATV自身のチャンネルが出る。そのときには気付かなかったが、パソコン TV を動かしてみると (パソコンの TV チューナーは、UHF まで認識するらしい) この他ずいぶん たくさんのチャンネルが発見される。その1つが、今日 発見した 21チャンネルだったか 22チャンネルだったかである。そこで 「原語音声+日本語字幕」 の 「冬ソナ」 をやっている、らしい。

というわけで、これは NHK BS の 「無料視聴可」 チャンネルであろうと、結論した。そのチャンネルで、「原語」 版 「冬ソナ」 をやっているらしい という結論が導かれる。
もし 「BS 無料チャンネルで原語」 が正しければ、なるほど、これは語学学習期の人には勧めてもよい。何よりも、あの明瞭な発音を聞くことができる。もっとも、余計なものは字幕だが − ま、字幕一般は 「瞬間芸」 であって、これは 「翻訳」 ではない。もし読者 (視聴者) が日本語のネイティブ・スピーカーであれば、文字通り 「瞬間的に」 字幕は理解したうえで、その背後に流れる原語を聞き取る訓練には、なる。「字幕」 と実際の会話の差が聞き取れるようになったら − あなたは 「語学」 面で 「ある」 段階に達したことになる。

ただ − 僕は信じていない。
ソウル・オリンピックでも、サッカーのワールド・カップでも、「韓国フィーバー」 は あった。30年前にも、40年前にも、50年前にも、そういう現象は常にあった。だから、「冬ソナ」 が特別なケースで 日本人社会に特別な変化を与えるだろうとは − 毛頭 思っていない。「冬ソナ」 が去ったら、10年後、また別の 「韓国フィーバー」 がやってくるだろう。いま現在の 「冬ソナ」 の 「原語」 放送を本当に必要とし、それに触発されて?本気で朝鮮語を習う気になる人がいるとは − 僕は 全く、毛頭 思わない。それはせいぜい、「俳優の肉声を聞きたい」、ヒマな主婦を喜ばせているだけではなかろうか。はたして これが、東京、大阪、富山、新潟などに点在する大学の 「朝鮮語」 専攻学科への受験者を増やすだろうか? 僕は、そんな空想は、もう しない。「朝鮮・韓国」 系、特に文学関連分野には、この先 20年以上、深刻な閑古鳥が鳴きつづけるだろうと考えている − この考え自体、既に 20年以上 前から持っているものだ。ソウル・オリンピックもワールド・カップも、それを確認させてくれただけである。


(20041013-1) 「韓国フィーバー」 は朝鮮語を 「普及」 させるか

原則的に No である。そう答えざるを得ない。
ただし、いつの世にも へそまがりはいるし、何事も肯定的に考えようとする人はいる。その立場から、例えば いま現在の 「冬ソナ」 現象は、肯定的である。

例えば、少なくとも2つの大学での話。「第2外国語」 に 「朝鮮語」 または 「韓国語」 を選択する学生数が、急増しているらしい。2つというのは 大学 S、大学 Kの2つだが、この2ヶ所でそういう現象が出ている以上、他の大学で 「第2外国語」 に 「朝鮮語」 ないし それに類する名前のものを選択できるところでは、似たようなことが起こっているかもしれない。実際 大学 K でもそうらしいし、大学 S では教員の数がとても追いつかず、「会話」 の授業には 何十人もの学生がいるという。「会話」 の授業というのは、理想的には数人以下でないと成り立たない。学生が 10人もいては、とてもじゃないが 「会話」 など成り立たない; 事実、1970年代の僕の専攻時代で、「第2」 ではない 「第1外国語」 つまり朝鮮語専攻の学生 定員 15人のうち、「会話」 の時間に出て来る学生は数人、その中で、一人が教師を独占してしまう現象は必ず起こって、「数人」 の学生だけでも 残りは 「つんぼさじき」 (差別語だ? けっこう。「会話」 の授業で何もしゃべる機会がないまま、を言う) に置かれる、それが常態だった。「数人」 では 「会話」 は成り立たない。せいぜい、3人くらいが限度と言える。その 「会話」 の授業に何十人もの学生がいたら、もう、デモの 「シュプレヒコール! 我々わあ、断固としてえ」 と合唱の練習でもするしかなかろう。

(余談で恐縮だが − 「会話」 には 「話題」 を必要とする。街の 「英会話」 学校が繁盛するのは、一面では教師が必ずネイティブ・スピーカーであることと、その 「会話」 の授業は 多くても 10人前後までであることで、成り立っている。が、その 「10人前後」 であっても、「会話」 には 「話題」 が必要なので、話題とするべき内容を持たない生徒と教師の間では、「今日はいい天気ですね、週末の予定はありますか」 とかなんとか、そんな 「話題」 しかないだろう。当事者間で強い動機と話題を持たない 「会話」 は空疎であるしかなく、そんなところに何年通っても 「英会話」 が上手になるとは思えない; せいぜい、用もないのに言葉を交わす、社交表現でも覚えられるにすぎないだろうと、僕は思う。「英会話を習いたい」 という強い気持?は、しかし 「会話」 を発生させるような動機を伴っているとは限らない。多くは、脅迫観念のような 「英会話」 志向だけなので、「話題」 がなく、成果は出ない。だからこそ、街の学校はいつまでも繁盛する。生徒が強い動機と関心対象を持っていれば、お上品な 「英会話」 学校で用が足りるはずがない)

で、「第2外国語」 での この現象は、1988年のソウル・オリンピックが1つの境界線ではないかと、僕は (僕も) 考えている。「専攻」 つまり 「第1外国語」 として朝鮮語を選択する学生は、まだ 「きわめて少数」 だった。が、「第2」 であれば、多少 気は楽になるか、あるいは (悪い意味で) 興味本位でも かまわない。そのころから、学生にとって負担にならない程度であれば、「韓国語」 は興味の対象になりはじめたのではないか。が、それ自体は、ソウル・オリンピック騒ぎが去ると同時に、冷めてゆく。
その 10年後に、ワールド・カップが来た。そのときも、ほぼ同じような経過をとったはず。ただ、この2つのイベントで、「ごく普通の人」 が、韓国と接触する機会が増えたのは事実だ。1970年代なら、韓国との接触は 「女買い」、つまり当時の用語で 「キーセン・パーティー」 を目的とする団体旅行が最大の 「韓国との接触」 であったし、その最大の顧客層は 「農協さん」 だということになっていた。この買春団体旅行は、1980年代まで続いたし、あるいは 90年代にも、あるいは 21世紀の現在も存在するかもしれない。が、量的に、相対的に、1988 オリンピックあたりから 買春団体旅行の比率は下がった − たとえ絶対量、絶対頻度において減少していなくても、その絶対量を超える比率で、良くも悪くも善良なオリンピック観覧者、ワールド・カップの 「サポーター」 どもは韓国に出入りした。その意味で、「韓国と接触 (または遭遇)」 する 「善良な」 人口は、急速に増えてきた。

その延長上の現在に、「冬ソナ」 現象がある。これは、あくまで 「善良な」 関心、言い換えれば・ある意味 きわめて幼稚な 「韓国」 への関心であるかもしれない − 例えば どこかに書いてあったように、この番組には 「決して韓国土着の食事風景が出てこない」。出てくれば、「善良な」 読者 (視聴者) に違和感を与え、かつ 70年代には買春ツアーに行った 現在のじじいどもには 「キーセン・パーティー」 の場を思い出させるだろう。「現代の韓国」 は、現代の 「善良」 かつ無知な日本人にとって、違和感のある地であってはならない。だから、現代の食卓、そこで展開される純愛劇、美しい風景、それを追って チュンチョンへの 「おばさんツアー」 が成立する。おばさんツアーの食事は、ホテルでなければならないだろう。街の食堂の、「土着の食事」 に出るキムチと、カネの椀、カネの箸、スプーンでかき混ぜて食うピビンパさえ、彼女たちには激しい抵抗を与えるだろう。「冬ソナ現象」 には、あくまで 「私たちと変らない日常生活を送る韓国の人たち」 という、美しい・おろかしい前提が必要である。その意味において 「冬ソナ」 現象には致命的な 「欠陥、誤解、思い込み、決め付け、幻想」 が、必要で、「冬ソナ現象」 はそういった致命的な欠陥の上に・のみ・成り立っていると言える。

それにもかかわらず、大学の 「第2外国語」 の 「朝鮮語」 または 「韓国語」 が繁盛する? この学生たちは、「冬ソナ現象」 を担う おばさんたちの、娘たちの世代に当たる − 事実、この 20年、この言語に関心を示すのは 圧倒的に 「女」 が多い。過去 20年、朝鮮近代文学で卒論を書いた 「男」 を、僕は ただ一人知っているだけだ。

第1に、買春を直接の目的としない、韓国に 「常識的」 に関心を持つ者の数は、1988 オリンピックを境に増えはじめ、増減はするが おおむね、ただしゆるやかな増加傾向にある。
第2に、いま現在の 「冬ソナ」 は、その韓国土着の文化や政治を すべて捨象または隠蔽する形で展開されているらしい。
この2点から、「冬ソナ」 は、第1の背景の中で 第2の隠蔽を行なって、結果として (隠蔽が成功した結果) いま現在の 「現象」 を起こしているらしい。

これに対しては、2説ある。
(1) これは一時的なものだ、こんな 「現象」 はいずれ雲散霧消する。
(2) いや、今度はちがう、これは大きな変化を残すだろう。
大学 Kには恩師がいるが、そこの教員の間では (1) が優勢、例外にただ一人 (2) 説の人がいるそうだ。ただしこの人は、我々 (僕と恩師) の立場から見ると、「朝鮮語」 そのものから わずかに距離がある。
具体名を出してしまうが、第3の大学の例で 東京外大。ここには僕と同級生だったことのある教員がいるが、その講座の宣伝ポスターには 「冬ソナ」 が出たという。学生獲得したさに そういうことをする気持は、わからないではない。

が、僕の考えは以上で明らかなように、「第1の背景の中で 第2の隠蔽を行なって、結果として」 成功したのが 「冬ソナ」 である。この 「隠蔽」 がある限り、「冬ソナ」 は成功を続けるかもしれない; 裏返せば、作者らが より 「土着」 の韓国を表現しようと考えたとき、「冬ソナ現象」 は終わる。「冬ソナ」 が機会になって朝鮮語を習いました、それで土着の韓国・朝鮮社会を見るまでになりました、その中で (例えば) 朝鮮近代文学を専攻に据えるまでに至る例は ・・・ 過去 30年くらいの経験から言えば − そうだなあ − 一人出るかな、二人くらいにはなるかな。

この 20年 感じつづけてきた 「閑古鳥」 予測。それは今後 20年の間も続くだろう。前後 あわせて 40年、朝鮮近代文学は、いずれ 「流行」 とは はるかに遠いところにある。そういえば、岩波の 『現代韓国短編選』 も、2年前に 2000部だかを刷ったが、まだ在庫は山ほどあるはずである。


(20041020-1) 「ハリポタ」 も 「冬ソナ」 も 「見ていない」 という発言が新鮮だった

今日、とても新鮮な体験をした。「ハリポタ」 の映画を 見ていない、という人に会った。それから、「冬のソナタ」 を見ていない、という人に会った。どちらも、職場でいつも会っている人なのだが、それを話題にすることはないので 知らなかった。彼らはそれぞれ、「ハリポタ」 を見ていないし、「冬ソナ」 を見ていない。

新鮮?
新鮮なのだ。「冬ソナ現象」 という言葉が生まれたのは知っているが、僕自身 その 「冬ソナ」 現象をになう おばさんたちの集団に出会ったことがない。ハリポタのときは、電車の駅の広告にさえ ハリポタ3人組の巨大ポスターが出て、なるほど これがハリポタ現象の一種かと思った。が、「冬ソナ現象」 は、職場に通う電車、駅、その周辺には どこにも見えない。唯一、駅の中で いつもは古本や古傘を売っている催物の売り場に 「冬ソナ」 店が出ていたことがあって、そこの日本語ポスターの中には 「ソナタ」 ではない 原題通り 「冬の恋歌」 と書いたものがあるのに気が付いたのだが、しかし そのポスターたちが、電車の駅や車内に出ているわけではない; 「冬ソナ現象」 なんて どこにあるのだろうと、正直 思っていた。だから、僕より多少若いだけ、自称おばさんである女性が 「冬ソナ」 なんか 「見たことない」 と言ったこと、それが不思議に新鮮だった。この年代は、「冬ソナ現象」 を支える 初老直前世代と、その影響下にある娘世代との中間点にある。従って、流行を追う強い意思?か、あるいは偶然 「韓国・朝鮮」 に興味を持つことがなければ、「冬ソナ」 に関心を持つ理由がない。言い換えれば、「朝鮮・韓国」 は、例えば彼女には関心外の世界で、事実 彼女は中国語と朝鮮語を 特に区別して考えてはいないと思われる程度に その種の世界には関心を持たない人である。その人が 「冬ソナ」 に興味を持たないのは当たり前の話で、その意味、これは まっとう かつ健全な反応なのだろうと思う。

「ハリポタ」 を見ていないと言った人は、男性である。この人は、僕に対して個人的に 好意的に接してくれると同時に、僕に対して技術者への敬意さえ示してくれる、とてもありがたい存在なのだが、ふーん、そうか、やっぱり そういう人がいるのだ。もちろん、人口1億に対して 「ハリポタ」 観客数は数%にすぎないはずなので、見ていない人がいるはずである (僕も第3作を見ていない)。が、さすがにハリポタとなると、営業マンたちの冗談の中にも使われる。その営業マンたちの中で仕事している人から、「見ていない」 と発言するのを聞いた。妙に新鮮だった。そう、興味もない映画を見る必要はない。「見ていない」 と発言する人に出会ったのは これが初めてなので、今までは、見ていない人は 「見ていない」 と あえて発言するのを避けていたのではないかと、想像する。「冬ソナ」 よりはるかに顕著な 「現象」 を起こした 「ハリポタ」 を 「見ていない」 と発言するのは、日本的文化の中では勇気の要ることなのかもしれない。その勇気を要する発言を、僕は無遠慮に求める人なので、彼は やむを得ない、「見ていない」 と明言せざるを得なかったのかも知れない。でも それを聞いて、僕には新鮮だった。

もちろん、彼らの家庭的な背景もある。小さい子どもがいなければ、「ハリポタ」 を見る (見せる) 必要も生じない。純然たる日本的文化の中で、NHK のドラマを見る習慣がなければ 「冬ソナ」 を見ることもない。現に 僕自身が、「純然たる日本文化」 とは対極にある家庭環境で、「冬ソナ」 は パソコン・チューナーが2度 発見したのを それぞれ数分 見ただけである。その数分間で、この 「原語音声 明瞭、語学の中級教材にはうってつけ」 だと判断した、その点だけが僕の 「特技」 にすぎない。

というわけで、「ハリポタ」 も 「冬ソナ」 も、統計的には 「見たことがない」 人が圧倒的に多いはずである。それぞれ 「現象」 を起こしたにもかかわらず。
「ハリポタ」 については、「見ていない」 ことが、非常に広い意味で 日本的 「恥」 の心理に結びつくか、あるいは世俗的な配慮から、「見ていない」 という発言を抑制する・のかもしれない。
「冬ソナ」 については、やはり広い意味での日本文化の中で、その 「流行」 に関心を示さない人がいる (かつ、その数はおそらく 多い) − そして 「冬ソナ」 については、かつて朝鮮文学専攻だったはずの僕自身が興味を持てない以上 (最近、友人から話を聞けば聞くほど、ますますその傾向にある。画面の一角にハングルが見えなければ 「韓国」 の作品だとわからないほど、「土着」 文化の描写を避けているというなら、何のための韓国作品なのだろう。事実 僕が見た数分間には、そのハングルさえ画面には見えていなかった。ただ、原語の主人公の せりふが、たしかに韓国人の男の発言だなと思わせるものだった。しかしこれは、字幕・吹替えでは伝わらない種類のものだ)、これが 「日本の社会に与えるインパクト」 は極めて希薄なものだろうと − 今までと同じ結論に至ることになる。


(20041022-1) 大人が 「絶対に乗りたくない」 自転車

左の写真は、僕の自転車と同型で 色ちがいである。国内の Web 検索で発見した。タイヤ径 16インチ = 40cm、一見 「小さい」 が 立派な大人サイズで、先日 9才 4年生を乗せてみたところ、サドルを最下端まで下げ (サドルを支えるパイプがペダルの下まで貫通している; これ以上 低くすると パイプの先が 地面と接触する ぎりぎりまで下げて)、かろうじて乗れたが・ハンドルまでの距離が遠すぎる、よって やや危険、という程度に、完全な 「大人の」 自転車である。ただし名前は コリブリ つまり おフランス語で 「小鳥」 の一種で、ブランドは 見える通り おフランスの プジョー である。
ちなみに、これより小さいモデルは 同じ 「小鳥」 で、車輪径 12インチ = 30cm、補助輪付きの 3才前後むけである。
(なお 「プジョー」 の綴りに注意されよ: Peugeot。こんなの 英語の常識では考えられないところが おフランス語の面白いところ。なお アメリカの自動車ブランドに 「シボレー Chevrolet」 というのがあるが、これも元はフランス語綴りらしい。フランス読みなら 「しゅぶろれ」 くらいにしか読めないのだが、それを思い切りナマって 「シボレー」、さらに 「シェビー Chevy」 と略してしまう大胆さ、または無教養こそ、アメリカ人の特技でもある; 作曲家とコンピュータ・キーボードの Dvorak も、「ドボルザーク」 か 「ドボラック」 か。アメリカ人は ベートーベン さえ 「ビーソーベン」 と読むそうだし。どうでもよいが、1970年代の韓国の市内バスは、シボレー 一色だった。世界最大の 「大型トラック」 のブランドは、現在もベンツであるのはご存知だろうか)

まず、「ミニ」 自転車のうんちく。
実はこの自転車、16インチがあまりにも小さくて 「不安定」、そこで一度 18インチ版に設計変更になったらしい。不安定なのは事実で、実は僕も買った当日、両手を放して乗ってみたら たちまち転倒したことがある。よく見ると、前輪操舵軸の傾斜が浅すぎ、この車輪径ではキャスターがいくらもない。「ミニ」 はそれでなくても、車輪回転面を安定させるモーメントが低い; 「2乗3乗の法則」 によって、径が半分であれば、コマの回転面を安定させるモーメントは 1/8 になる。従って、それを補う意味で、「ミニ」 ではキャスターを極端なほど前にずらさないと直進性に欠けるのだが、一般に 「ミニ」 は 「小さい」 ことを強調するあまり それをしない。また、仮にキャスターを充分に大きく取ると、今度は たとえ自転車でも 「方向転換しにくくなる」、「タイヤが減りやすくなる」。ともかく、この 16インチはその不安定さが強調されたようで、メーカーは 次のモデルを 18インチにした。見た目は、2インチ = 5cm の差なので、そう言われないと気が付かない程度だ。それで、落ち着くかと思われた。
が、プジョーさんには、この上のモデルがある。18インチで、前輪にパンタグラフ型のサスペンションが組んである。これは、街でも見かけたことがある。
しかし、上の写真の あくまで 「かわいい」 16インチは、もう淘汰されてしまったかと思われた。

次に、最新情報。
この、僕と同型の 16インチ、写真の自転車が、大量においてある店に出会った。東急ハンズのその売り場。近所の (かつて僕が それを買った) 店の話によると、プジョーさんは このモデルをもう作る気がない; それも日本への出荷分だけで、おフランス国内ではもう売っていないそうだ。今年いっぱいの生産分で出荷は終り。そこで、あちこちの店で最後の発注、在庫掃き出しがはじまっているらしい。なお、Web で発見した上の写真の店は、多分 広島。東急ハンズは東京。この2店で、4万円台と5万円台で差がある。広島に発注して配達費用を払っても、東京で買って配達ほぼ無料でも、東京では ほとんど差がない、が、僕はもう買ってしまったので関係がない。僕が買ったときも、近所の店で5万円台だった。

生産中止になった商品を買って、修理・メンテはどうする?
大丈夫。いまどき、世界中の自転車で、変速機さえ ほぼすべてが日本製である。ブレーキ部品もタイヤもスポークもギヤも、そのほとんどが日本製になってしまった。「メーカー」 のやることはデザインだけ。1960年代には 「5段変速機」 が安い・標準的・最低のものだったが、いま現在は それが 「7段変速機、日本製」 になっている。上の写真の自転車も、変速機は日本製のシマノ。ブレーキも高効率の日本製になっている。「雨に濡れるとブレーキが ききにくくなる」 「リム挟み込み」 型ブレーキの欠点も、最近はほとんど感じたことがない。ただし変速機を濡らすと たちまち 不快になる点だけは 今も変らない。だから 100円ショップで買った 「スプレー式」 の機械油を、カゴに入れっぱなしにしてある。台風の後は、これをギヤ周りに 「ぷしゅー」 っと かけてやる。
40年前の 「本場イタリア」 信仰は既に消えた。実は、日本製品で同じ程度のものは、2万円くらいで買えてしまう。



ところで。
僕が おフランス製の この自転車を選んだのは、近所の店で数種 比べて、その上で もっとも実用的だと判断したからでは、ある。「実用的」 かどうかは、ユーザの都合による。多少 濡れた路面でも通勤せざるを得ないので、車輪に 「泥除け」 がかかっているかどうか − そんなの、自分で買ってきて付ければよいが、パソコン 「自作」 と同じで面倒きわまる。そこで 国産 ブリジストンが排除された。その他、部品類はみんな日本製で、「舶来」 であろうがなかろうが同じ。問題はお値段。ブリジストン4万円。プジョーさん5万円。当時、その程度は問題ではなかったので そうなった。

「実用性」 のもう1点は、自転車自身の重さ。
これは、そう変らない。今日はじめて東急ハンズで正確な数字がわかったのだが、写真の自転車は 12kg+ である。自分自身の体重、後付けしたカゴ、カバンという荷物、自転車そのもの、この合計は、従って 80kg の手前になる。高校の物理の授業によれば、運動量とは 「質量 x 速度」 である。その運動量を自転車に与え、自転車が倒れない程度に加速するために要する脚力。そのペダルの重さ。それらの関係がある。故に変速機は必須だった。つまり、僕は高校生のころから 「膝と腰」 の弱さを感じつづけていたので、安い・標準的なものが 「7速」 になっているのがありがたかった。この 「一番軽い」 ギヤであれば、車椅子を想定した歩道橋のスロープも 自転車に乗ったまま軽く登れる。このギヤがないと、まちがいなく 「初老」 51才の膝は故障するだろう。その事情については、いずれ また説明する。



という事情と経緯を説明しようと思って、僕は 70前で 「膝」 の故障を訴える恩師に、上の写真を送った。返ってきた返事。引用許可を得ていないが、許してくださるだろう:
あなたのお勧めの自転車は,シャツ,上着,靴など何につけても保守的なわたくしには,天地がひっくり返るほどの驚きであり,絶対に乗りたくない類です。
うーむ。おすすめしたわけではないのだが、驚いた。事実、1960年代に 「ミニ・サイクル」 が流行したとき、こんな話があった − 娘 (妻?) が流行のミニ・サイクルを買ってきた; それを見た お父さんいわく 「そんな 熊の乗るような自転車、すぐに返してこい!」。たしかに、「ミニ」 は、サーカスの熊が乗って見せる自転車みたいにも見える。そうだなあ。こんな形の自転車、やはり 「大人」 が乗って歩くようなものではないのかもしれない。事実、千葉の近郊に住んでいたころ、「ミニ」 で団地を歩き回っていたら、母親と小さな子どもがいた; その子どもが 「あー、へーんな自転車!」 と、大きな声で指差してきたことがある。僕には それが愉快な体験だったのだが、しかし 「大人」 は、こんな自転車に乗るものではないのかも、しれないなあ ・・・


(20041023-1) 中年以上のための 「変速機付き自転車」 講義 − 前座

「変速機付き自転車」 には、一般に/社会的に、今も根強い誤解がある。例えば、僕自身が自転車屋に たむろしていることは 今でもあるのだが、そういう場所には 必ず見知らぬおじさんが現われて、こう聞いてくる: 「この自転車、速いのか。どのくらい (スピードが)出るんだ」 と。「小鳥」 のようなミニを相手にそう質問するわけだから、変速機のことを言っているのだ。

技術史の中には、「既に完成してしまい」、「これ以上 変化・進歩・改善の余地がない」 という例が いくつか存在する。その1つは蒸気機関で、これは 20世紀 前半で完成し、20世紀後半には 「機関車」 分野でアンモナイト的定向進化をとげて絶滅する一方、蒸気タービンだけが現代の 火力・原子力発電所で生き残ることになった。
エジソンの発明した音波の溝+針による音の再生技術は、20世紀後半に 30cm LP で完成し、その後 4チャンネル LP だの何だの 様々なバリエーションが現われたが、20世紀末期には ほぼ デジタル CD に淘汰されて行った。

もう1つの例が 自転車である。前後輪が同サイズで 26インチ前後、ハンドル、ペダルと車輪の位置関係、ペダルの回転半径と チェーン駆動で後輪への動力伝達、その際のギヤ比。これらは 「既に完成された標準モデル」 であって、これらを 「改善」 する余地は ほぼゼロであると言ってよい。ただ、完成するころには 他によって淘汰されたかというと、人力による移動手段で これを代替するものがない。だから 「自転車」 は、もう 100年も前に完成された姿のまま、現在も淘汰されてはいない。
ただし、一面において、「完成された」 モデルは 「ギヤ比の随時変更」 までは考えていない。と同時に、自転車それ自体の重さも、このモデルは考慮していない。20 世紀の初頭?に完成したこの自転車モデルは、20 世紀 後半に この2点 (ギヤ比の随時変更、自転車自身の重量) において 「のみ」、「改善」 される余地が残った。

まず、重さ。
ソバ屋の配達用の自転車は、見るからに頑丈にできている。あれは、荷物が重いことが予想されるので、太い鉄管で 頑丈なフレームを組み、頑丈なリムに太いタイヤを付けているからである。この種の 「どてんしゃ」 それ自体は、おおむね 20kg - 30kg ある。この場合、屈強な若者が たくさんの荷物を乗せて 配達に出る瞬間、人体+荷物+自転車の総重量は 100kg を越えるかもしれない。
意外に重いのは 「母親が子どもを乗せて歩くため」 専用に設計された自転車で、これは 我が家の例で 20kg+ ある。「母親が子どもを乗せる」 ことが目的なので、前後に子ども席があり、フレーム自体が既にそういう形になっている。もし これに、本当に前後に子どもを乗せ、さらに背中に赤ん坊を おんぶでもして 買い物に出かけたら、最後の総重量は やはり 100kg を越えるのではないか。
人は、この 100kg に近い 自分自身の 「全備重量」 を、ただ脚のペダルで前進させる。この 100kg に適当な運動量を与えることのできるのは、若い・元気な肉体で、ある。

逆に 「競走用」 自転車では、重量を極端に減らす努力がされる。普通の鉄管では重くなるので、薄肉の管を使う。必然的に強度が落ちるので、曲げに強い 「特殊な鋼管で薄肉」 が使われる。いわゆる 「競輪」 用の自転車は 10kg 以内、おそらく 8kg 程度だろう。特殊な素材で、乗る人の体格に合わせた 1台1台のオーダー・メイドなので、お値段は数十万円を下らない。

日本で 「変速機付き自転車」 が街の自転車屋に並ぶようになったのは、1960年代後半である。つまり昭和 40年前後。これには、おそらく 1964年の東京オリンピックとの関連がある。このオリンピックで、多くの観客は初めて、多段変速機を付けた競走用自転車が、時速 40km 程度で疾走するのを見ただろう。これが、おそらく 「変速機付き自転車」 への誤解の起点だと、僕は思う。当時、変速機付き自転車が 「スポーツ車」 と呼ばれたことは、それと符合する。「スポーツ車」 = 変速機付き自転車は、子ども向けでない限り、ドロップ・ハンドルが付いていた。親たちはそれに危険を感じて、「ドロップ・ハンドル禁止」 に走った。僕の父もその例で、僕専用の最初の自転車に 変速機は付いたが、ドロップ・ハンドルは禁止された。僕のそれは 「子ども向け」 に近く、変速機は4段だった。「子ども向けに近い」 つまり特殊な鋼管フレームではないので、重量は軽くなかった。
当時 「軽快車」 と呼ばれる (変速機のない) 「普通の自転車」 があり、それは 旧来の鋼管ではなく、やや軽い鉄合金を使ったものだった。この 「軽快車」 が、田舎で中学に自転車で通う生徒たちには あこがれの存在だったかもしれない (学校から 2km 以上 離れた家からは、自転車通学が認められた。僕の家は、かろうじてその 2km の円内 に収まり、歩かされた)。

高校生になってから、先輩である金持ちの息子から、はじめて 「10段変速、ドロップ・ハンドル」 を譲り受けた。これで、本当の意味で 「変速機」 の扱い方を知った。

と、同時に、僕が 「膝」 と 「腰」 が異常なほど弱いらしいことがわかったのも、高校生のころである。
僕と クラス公認?のカップルだった女の子が、交通事故にあった; 彼女は入院、しかし松葉杖で院内を歩くことはできた。その彼女を見舞った僕とは 当然 長い立ち話になったのだが、その1時間程度の立ち話で、腰と膝に苦痛を感じたのは彼女ではない、僕だった。

こうして僕は、17才の高校生で、「中年にとっての 変速機付き自転車の意味」 を、早くも理解することになった。


(20041026-1) 中年以上のための 「変速機付き自転車」 講義 − 本論

精神面ではとうてい 「老人」 とは言い難い 二人の老教授と僕、3人で 「足腰」 が話題になったことがある。「若い」 彼らは言う: 歩くのだと。僕は、自分自身の体験から、歩くとたちまち苦痛がやってくる、それより、脚の伸縮運動が大きい自転車で救われていると言ってみたが、老教授たちは 「そりゃ、歩き方が悪い」 と言って 相手にしない。ところが、その一人の方が、最近 2度めの膝の故障を起こして、医者に言われたそうだ: 膝の 「皿」 が磨耗しているので、今後も改善の余地はない、老体を だましだまし使っても、ますます悪くなるばかりであろうと。
ひどい説明をする医者もいるものだ。たしかに、人体という機械の想定寿命 50年に対して、我々はそれを 70年も 90年も使うのだから、故障しないはずがない。この機械は まだ部品の取り替えが不可能なので (可能になると 「サイボーグ」 というわけ)、それをいかに、しかし 「だましだまし使っても」 悪くなるだけだと言われては、救いようがないではないか。「歩くのだ」 の若さ、意気軒昂さは、医者の一言で くじかれてしまう。
先生、だから言ったじゃないですか。僕は もう若い時から そうだったと。だから、今は自転車で救われていると。台風が来て、駅まで 15分 歩いて往復するのが2日 続くと、僕の膝は不平を言い出します。だから 自転車を考えてくださいな。それも、車椅子を想定した歩道橋のスロープを、軽く 「乗って」 渡れる 変速機付き自転車でなければなりません。
「歩く」 ことと 「自転車」 との本質的なちがいは、次の2点+1点である:

第1に、「歩く」 ためには、人は みずからの全体重+荷物の重さを、ひたすら下半身で支えなければならない。「歩く」 とは 片足ずつ宙に浮かせることだから、「歩いて」 いる時、双方の脚が交互に、その全重量を支えていることになる。「皿」 が磨耗して当たり前である。
それに対して自転車では、理想的な乗車姿勢なら 尻と両腕で体重を支えることになる。平坦な路面での惰行または下り坂では、脚の負担は限りなくゼロに近づく。
ただし、この 「理想的な」 乗車姿勢は誰でも取れるものではなく、たいてい 「尻」 80%、腕 20% くらいだろうか。2つ前の記事、「僕の」 自転車の写真では、ハンドルの高さとサドルの高さが ほぼ同じであることに気が付かれただろうか − これは、ロードレース用の自転車では常識だが、ヨーロッパの場合、この点だけは 「女・子ども」 用でも まったく同じ観念が通用する。この姿勢は、はじめは腕が疲れる。が、慣れると、「ハンドルに腕の重さ (上半身の半分の重さ) を乗せる」 ことで、お尻の痛さを解消できる。ただ、それでも、1時間も乗っているとお尻が痛くなる。しかし自転車で のんびり1時間は、おおよそ 10km である。この距離を もし歩けば、僕は以後 数日は歩けなくなることが、昔から わかっている。
後の補足: 僕のトシでは 「以後 数日」 で すむ。が、老人がこれで脚を本当に傷めると、最悪の場合 終生 復旧できないおそれがある。僕の母は、現在9才の孫が0才のころ、孫を抱っこする瞬間に転んで 膝を痛めた。現在 彼女は 歩道を通れる四輪車を用意している。
第2に、「歩く」 のと 「自転車」 とでは、脚、特に膝の 「曲げ伸ばし」 角度が大きく異なる。どんな歩き方をしても、膝が 30° 曲がることはない。ところが自転車では、ペダルを回すので、その結果 曲げ伸ばし角の差が大きい。ごく軽い負荷でペダルを踏む、つまり屈伸運動をすることによって、膝の 「皿」 には ちょうど 「油が回る」 効果があると、僕はこの 10年 感じてきた。老教授 二人を相手に言いたかったのは この点である。
ただし、注意書きがある。低い低いサドル位置で、サーカスの猿か熊が自転車に乗っているように 乗ってはいけない。それだと そもそも姿勢が悪くなる。猫背の老人になる。ペダルが最下端にあるとき、脚もほぼ伸びきるのがよい。言い換えると、サドル位置は 高くするのがよい。それでは交差点で足が地面に届かない? つま先立ちでよい。それでも不安なら、信号待ちの間は 自転車を降りなさい。あるいは、歩道脇の花壇かガードレールに足を掛けなさい (これは うちの9才もやっている。僕もそうする)。
ともかく、「屈伸」 に意味があり、その 「伸」 のほうを充分に取る、つまり 「お尻」 は危険でない程度に高く、それで ペダル回転上端までの屈伸運動が効果を上げる。車を運転する人は、「ブレーキを完全に踏み込んで (つまり急ブレーキを踏むとき) 脚がほぼ伸びきる位置」 に、座席を調節しろと習ったはずである。その位置・距離が、自転車 ペダル最下段の位置に対するサドルの位置である。
後の補足: 「サドルを そんなに高くしたら、お尻が痛くなる」 という声が聞こえてきそうだ。しかしそれは誤解で、これは上記の 「理想的な乗車姿勢」 に近づくものだ; サドルが上がれば、相対的にハンドルの位置が低くなる。上半身は結果 前傾姿勢になる。これを 「誤解」 した大人は昔 「スポーツ自転車では猫背になるから、悪い」 と考えた。それは誤っている。ハンドル位置が相対的に低いので、「腕」 に重量がかかる。最初は腕が疲れる。腕が疲れるということは、お尻への重量負担が減っているということである。むしろ腕で上半身を支え、前傾姿勢で背筋を伸ばす結果になる。猫背の老人は、歩いている姿も痛ましい。そういう老人こそ、「サドルを上げて」 自転車に乗ってみよ。ただし、下記、あくまで 「軽いギヤ」 で。
第3点が、歴史的に成立してきた 「変速機付き自転車への誤解」 に関わる。
「変速機」 の目的は 「スピードを出す」 ことではない。「脚への負担を一定に保つ」 ことである。つまり、平坦な路面を走るときでも、上り坂でも、脚に余計な負担をかけないこと、一定の負担を維持すること。つまり、平坦な路面でも上り坂でも 「同じペースでペダルを回すことができる」 よう、ギヤ比を随時変更できることが、変速機の目的である。結果、上り坂でスピードが落ちる。我々は競走をやっているのではないので それでよい。大事なことは、のんびり平坦な道を走って来たら、上り坂になった、そこでギヤを適当なところに移動させて、同じペースでペダルを踏みつづけることができること。もちろん、厳密に同じペダルの重さになるギヤ位置はないかもしれないが、「同じ程度」 であればよい (この厳密さを求めるなら、前後にギヤを配して 3 x 7 = 21段変速もある。が、そうなると これはもう複雑なオモチャで、これは使いにくくなる)。
あるいは、上り坂では 平坦地より やや早くペダルを回す、つまり思い切りギヤを低くしてしまう。このとき、ペダルはやたらに軽く、自転車はろくに進まない。しかしそれは、「人生は重い荷を負って長い道を歩くこと」 の対極で、「限りなく軽いペダルを回して、一見 倒れそうな速度で歩む」 ことである。「重い荷を背負って」 「歩く」 べきではない。重さは、あくまで機械に負担させるべきなのだ。

変速機がない場合、あっても 「変速」 範囲が狭い場合、あるいは その意味を知らない場合、上り坂では自転車を降り、その自転車を引いて登る場合があるが、それでは 「脚」 は
・人間の全体重と
・荷物+自転車の重量の斜面による後向き成分
に抵抗する必要がある上に、さらに
・自転車が横に倒れないために支える負担
まで強いられる。「健康のため」 の自転車が、かえってアダになりかねない。
余談だが、「健康のための・美容のための (動かない) 自転車」 は、最悪である。あれは、わざわざ脚に負担を与えるためのものだ。あれは 「若い、元気な肉体」 に あえて負荷をかけることを目的としている。初老の老人が 「最近 太ってきた」 からといって、あんなものを 「痩せる」 目的で使ってはいけない。神様が 50年と想定した人体という機械の下半身 (の3関節: 股・膝・足首) を、急速に磨耗させるだけである。
「歩く」 ことは、周期的なリズムで 体重と荷物の全重量を 交互に左右の脚に移動させることである。これが 「体重と荷物の全重量」 であることが問題だった。自転車、特に変速機付きの自転車では、この 脚への直接の重量負担が、大幅に軽減される。その重量負担の軽減に加えて、「上り坂」 の脚負担を (大きく) 軽減させるのが 「変速機」 である。



なお − 多段変速機の扱い方には、多少の慣れが必要である。車に例えれば オートマ車と マニュアル車の関係にもあたるか。が、それほど激しい差ではない。それでも、やはり ある種のノウハウのようなものは必要で、例えば交差点で待たされるときは、止まる前に 次の出発にあわせて (事前に) ギヤを1段 落としておく; そうしないと、次の青信号で 「重い」 ギヤで動き出さなければならない − など。そういった 「細かな」 操作をして はじめて 「一定の軽い負担で」 移動する手段として役に立つ。
後の補足: 「外装」 多段変速機に慣れてきた僕の場合、例えば次のような条件反射ができている:
次の交差点が、今 赤信号になった。私が交差点にさしかかるころには青に変ると予想されれば、ギヤはそのまま。あるいは止まるか。今 青になったばかり、この速度で渡りきれるか、きわどければギヤを一段上げて急ぐか、それとも一段下げて ゆっくり接近するか。止まる場合、その数メートル手前で、ギヤを1段下げる。駐輪場の手前では、ペダル2回転か3回転 手前で、さらにギヤを落とす。そうしておかないと、駐輪場入口のわずかな段差または登り坂で、出て来る自転車と ハチあわせになったとき、困る。
車の運転では 「その先を予測しつつ防御的に」 運転することが 強調される。例えば、急いで右折すると横断歩道を自転車が渡っているかもしれないし、老人が よたよたと渡っているかもしれない; それに気付けば 急ブレーキを踏めるが、その急ブレーキによって、対向車に衝突されるおそれがある; だから 「予測的・防御的運転」 をせよと。自転車の変速機の 「事前の操作」 にも、その程度の 「予測」 が必要で、これは 「慣れ」 つまり 結果が (脚の負担にとって) 安全方向に倒れるような習慣を身につけることでもある。

「外装」 多段変速機の自転車のシフト操作 (完了) には、少なくとも後輪の 1/2 回転を必要とする。自分の自転車に慣れれば、後輪の 1/2 回転がペダルのどの程度の回転に相当するかは、直感的にわかる。
自転車が 「ミニ」 なら、「後輪の 1/2 回転」 は速い。が、26インチ級の自転車では、「後輪の 1/2 回転」 は ( 26" x 円周率 ) / 2 = 1m、つまりギヤを切り替えている間に、少なくとも 1m は進むことになる。慣れるまでは、これは 3m から 10m を見込んでおく必要がある。つまり、「交差点で止まるときは、その 10m 手前で ギヤを1段 落としておきなさい」。
最初は、特に 「ギヤを落とす」 側の操作に、ガチャガチャと大きなオトを出すことになる。子どもたちがよくやっている。この操作は、ある意味 難しい。どのくらい難しいかというと − オートマ車ばかり運転してきた人が たまに マニュアル車を運転するようなものか。しかし 「子どものころ」 初めて自転車に乗る練習をしたときの苦労ほどでは、ない。
ご参考までに、駅まで 1km、歩けば 15分の距離の間に、自分が何回 ギヤ操作 (シフト・チェンジ) をしているかを数えてみた。意識して余計な操作を省いたので、12回+。既に無意識に動かしている面があるし、疲れたときは どのギヤ位置にするか さんざん いじるので、場合によっては 20 回以上になるだろう。歩く3倍の速度で走ってはいないから、時間では 7分から8分。つまり、市街地では1分間に2回くらい 「変速」 操作をしているわけである。この頻繁なギヤ操作で、ギヤが錆びてキシキシ言ったりしたら たまらない。だから、100円ショップの 「スプレー式」 潤滑油をカゴに入れっ放しにしてある。

ギヤ操作地点の多くは、信号、角を曲がるとき、駐輪場の出入り口、車道・歩道・公園内へと移動、それにマンション駐車場入口など、路面が変化するとき、段差があるときである。ブレーキをかけながら、あえて 「低い」 = 「軽い」 ギヤで段差を乗り越える場合も ある。その間、坂道は特にない (選べば ある。時々 登ってみる)。車椅子を想定したスロープのある歩道橋は、年に1度 渡ることがあるかどうかで、ふだんは そこは渡らない。


このファイルの先頭へ
最近の目次
最近数年の記事の総目次

ハングル工房 綾瀬 ホームへ Back