Ken Mizunoのタバコのけむり? 実験版

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Ken Mizuno

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(2002122-x) 「日記」 実験版、第2回め

本題の 「ローマ字」 をソース上に、表示はハングル画像にする例を、もう少し続けよう。小説の 「購読」の例は、画面イメージまではお見せしたが、この文面を生きたローマ字ソースで、「あなたのブラウザ上に」 ハングルを直接描画するのは、これが はじめてである:

. . (1) . , . (2) .
, , .
29, 』, p.5)

私は今年6才になる女の子です。私の名前はパク・オッキ。私のうちの家族は、世界で一番きれいな私のおかあさん(1)と二人きりなんです。あ、たいへん。おじさん(2)を忘れるところだったわ。
いま中学校に通っているおじさんは、いったいどこをうろつきまわっているのか、うちにはご飯のときくらいしかいなくて、時には1週間に1回もおじさんの顔をみることがないなんてしょっちゅうですから、いつも忘れてしまうんですよ、ほんと。
(1) 「おかあさん」の表現は、 の2種が出て来ます。前者は地の文で、後者は 「話者」の 「会話文」 の中で。
従って難しいことを言えば、 は 「指称」、 は 「呼称」 ということになりますね。ただし、「指称」 と 「呼称」 は自在に入れ替わることがあり、事実、人はトシをとると、老いた母親に向かって と呼びかけることがあります。余談で教科書的な話としては、 は 「幼児語」とされていますが、ただし、現代の大学生が母親を と呼ぶのは、ごくごく自然な現象です。

(2) :「母方のおじ」 この単語だけで、既に 「母方」 だと明示されている点に注意。次の一文で、弟であることが自動的に決まりますね。

(と 「注」をつけてはみたけど、実際にあなたが 「読み取れない」で苦労するのは、例えば とか、 とか、, かもしれない。こういう 「学校で教えてくれない」類の表現こそ、問題なのかもしれないのだが ・・・ 「何を求めている読者」を想定するか、読者の語学の到達段階をどのあたりと仮定するか、「購読」というのは、まずそれを決めるのが先ではある)
この他に、ツールにも多少手をいれた。いま現在で 「この」 HTMLソースには コメント <!-- comment --> と、Java Script が含まれている。これらには対処ずみ。それから、下記には 「地の文」(リンクボタンになっているが) の URLに // が含まれている:
ハングル工房 本店サイト (http://www.han-lab.gr.jp/)
この種の "http://www.doco.soko..." とくるものは "http://" という特殊な文字列を拾ってどうにかなるが、問題は 「裸」 の // をどうするか − 今この瞬間、このページではどうしているか、興味のある方は 「この」 ページの 「ソース」表示を参照されたい。


(2002120-x) CGI による 「ローマ字 -> ハングル」 ツールによる 「日記」

まず、手書きのローマ字でハングルを混在させてみよう。以下、僕自身はこの 「日記・実験版」 のハングルをローマ字で書いているが、ブラウザのアドレス欄をご覧になると、 "hrgif.cgi?" という文字が見えると思う。これが いわゆる "CGI" で、このソフトが 「この」 日記本文を一度読み出し、ローマ字部分をハングルの画像に置き換えて 「見せてくれる」。

いろんな言葉を書いてみたい。
まず、僕がこの種のツールの例文に よく出してきた、次の句はいかが?

.
これは、「民謡」 だということになっている 『恨五百年 』、1970年代の韓国の歌手が歌っていたものだ。日本のカラオケでは、「歌手」は 「パティ・キム 」で出ていた。が、僕自身は チョー・ヨンピル で記憶が強い。

実は、僕の 「カラオケ」 レパートリーは、韓国の歌は ほとんど数曲しかない。そもそも そういう世界に興味を持って来なかったので、さらに 「実は」 「韓国」に限らず、カラオケで歌えるものなんか ほとんどない。しかたがないので、大昔の記憶をたどって それを持ち出すのだが、時代はやはり の時代だ。彼 (と言っても、時代が時代なので、ご存知ない方が多いか) の持ち歌だと思うが、『赤とんぼ 』 をご存知だろうか:
/ / () /
/ / /
スナックの店頭でこれを歌ってみせると、まず喜ぶのは韓国人のママである。若い女の子は、おそらく 「知ってるけど、歌うのは初めて聞いた」 ような顔をしている。カウンターにいる韓国フリークの日本人や 若い在日の韓国人たちは、まず 「こんな歌、知らなかった」とおっしゃる。当たり前。70年代の さん、つまり青年が、さらに子どもに戻って歌う歌なのだから。

さらに さかのぼると、僕も題名を忘れたものがある。歌手は チョン・フニ 、たしか東京の国際歌謡祭だったかで優勝したというのだが、それは 1972年 + - 2年くらいのことで、どうにもこうにも ・・・ ただし、歌詞の ある部分までは明瞭に記憶している:
/ / /
/ / ...
これ以上 昔にさかのぼると、もう の少女時代になってしまう。『黄色いシャツ () 』 とか、『ソウル賛歌 』 とか、ですね。

はからずも、僕がそういうトシであることを確認してしまった。

あ、まだ あった。僕よりトシの多い世代には、 で ごまかす:
/ / ....
仕事先のすぐ近くに、「」 という料理屋ができた。高そうだし 一人じゃ入りにくいので入ったことがない。が、この店の前を通るたびに、この歌が頭の中に転がって、困ることがある。

僕が一番好きなのは、 である。実は、カラオケがはじまると、いつ それを出そうか、考えているのだ。これを歌ったら、もう帰るぞ。じゃ、みなさん、おやすみなさい。


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