百孫朝鮮語学談義 − 言語についての菅野裕臣の覚書




編集者注
このページは、百孫朝鮮語学談義 − 言語についての菅野裕臣の覚書 の一部、「談義」 I 第2章の 「注」 (1) 〜 (235) です。検索サイトで 「ここ」 を直接 発見された方は、一度 上記 百孫朝鮮語学談義 を参照ください。その本文から 「注」であるこのページを 再度 参照できます。


I. 朝鮮語についての談義

I-2(b). 朝鮮語はどこまで読めるのか? [注]

( 1 )

1)  Gy-Do GyRe-r Ges-'i . 慣用句とでも言うべきか? いずれにしてもこの部分 ( 3分かち書き単位 ) がこれを含む文全体の中でどのような成分となるかが不明である.このようなものに関する研究はほとんど皆無と言ってよい.

2)  - -Ja-Mien . この形が I- -Ja Ha-Mien の短縮形だとはよく言われることであり,その通りなのだが,それが I- -Ja と Ha-Mien を足したものと全く等しいという保証はないのであるから ( 言語形式というものは少しでも異なれば,それらの意味はなんらかの点で異なるというべきである ) ,それだけでは不充分である.このような違いに関すること等の研究がほとんどなされていない.

3)  - -'i-GeNa . これは指定詞 -- -'i- に I- -GeNa が付いたものだから,当然この部分は 「...であるか」という意味である. -- -Ge- と - -Na- は本来それぞれ独立した形態素だが ( 前者は接尾辞,後者は語尾 ) ,現代語では両者は合して一つの形態素と見るべきだろう.現代語文法でも極端な構造主義の時代にはやたらに形態素にぶった切る人が韓国には多くいた.

4)  名詞で終っているが,上記注3 ) により,この部分は指定詞に当たる部分が省略されたものと思われる ( 言い換えるならば, 'aHob Sar-'i-Go, 'aHob Sar-'i-Mie 「9歳であり」に当たる.ただし厳密には,注2 ) で述べたように,形式が違えば意味も違うはずだから,こういう大雑把な言い方はよくない ) .この部分は文の成分としては述語として用いられていることが明らかである

( 2 )

5)  I- -Gi-Ryr . 体言形 I- -Gi 「...すること」に格助詞 - -Ryr 「...を」が付いたものだが, 'uen-Ha-Da [wnada] 「願う」, BaRa-Da [parada] 「望む」などの動詞の前ではこの形が要求される.必ずこの形を要求する動詞と II- -r Ges-'yr 「...することを」のほかにこの形をも要求する動詞とがあり,そのような動詞のリストを作り,かつこの観点からこれらの動詞の名づけを行う必要がある.

6)  III- -ss'y-r (III-- + II-) . 「過去の推量」を表すのだろうが,この形があらゆる名詞の前に来得るのかどうか検証する必要がある.

7)  - -JJym 「 - ぐらい」. 多くの研究者はこれを接尾辞と見る.しかしこの接尾辞の付いた名詞は普通辞書に載ることはない.なぜならばこれが比較的多くの名詞に付き得るからである.この点で日本語の接尾辞 「 - ぐらい」とよく似ている.文法にではなく語彙に関する接辞が他の形態素と結合した形でどうして辞書に登録されないのか? あるいはそれは,辞書に登録されないのに,なぜ文法的ではなく語彙的なのか?

8)  I- -Go 'iss-Da 「...している」.日本語の 「...している」と構成がよく似ているが,両者は微妙にかなり異なる.朝鮮語のそれは一応 「動作の継続」を表すと言い得, 「動作の結果の継続」を表す III 'iss-Da 「...している」とは区別され,日本語のそれは朝鮮語の両者に対応すると簡単に言うことは出来るが,実は日本語と朝鮮語とはかなりの違いが見られ,研究がさほど進展しているとは言い難い.これについては 「談義」で再論するであろう.

9)  I- -Nyn Te-'i-Da. 「...するところである」. 「用言連体形+形式名詞+繋辞」という構成の形式が朝鮮語には多い.これらを文法的な形式と見るのか,あるいは単なる統辞論的な結合とみるのか議論の分かれるところである.この種の形式名詞 ( 不完全名詞.韓国ではこれを 「依存名詞」と言う. ) もまた普通の名詞 ( あるいは完全名詞 ) と意味の違うことがあり ( 名詞 Te は完全名詞の場合は 「敷地」等を意味し,不完全名詞の場合は上記の場合のほかに II- -r Te-'i-Da の場合は,これを述語とする主体 ( 主体と主語の違いについては別の機会に説明があろう ) が話し手 ( これと1人称の違いについても別の機会に説明があろう ) の場合は, それは 「つもり」という意味を持つことがある.日本語学ではこのような名詞を 「文末名詞」と呼んでモーダルな ( 気分的な ) ものを成す要素と見ているようである.これらに関してはまだ分からないことが多い.

( 3 )

10)  GGu-Da 「夢見る」.この動詞は決して単独で現れることがなく必ず補語 GGu-m-'yr [kuml] 「夢を」あるいは GGu-m [kum] 「夢」とともに用いられる.単独でこの動詞を用いれば 「借りる」という意味を連想することが多い. 「夢を見る」という場合の GGu-m / GGu-m-'yr は所謂 「同族目的語」である.これを今後 () GGum(-'yr) と表記しよう.同族目的語は状況 ( コンテキスト ) によっては省略されることもあり得る.朝鮮語にはこの種のものが少しある. () Cu-m(-'yr) Cu-Da [thum(l) thuda] 「踊りを踊る」 ( このような類型の動詞をわたくしは 「分離用言」と呼ぶが,これについては注 61) 参照 ) .ただしこの場合の 「目的語」の位置には 「踊り」の種類を表す名詞ならなんでも入り得る: DDaiqGo [to] 「タンゴ」, 'oarCy [walthu] 「ワルツ」等. 「夢見る」, 「踊る」等の動詞は自立性が弱い.しかし Sar-m-'yr Sar-Da [salml salda] 「 ( 生を ) 生きる」, Ji-m-'yr Ji-Da [timl tida] 「荷を背負う」の場合は,同族目的語の後ろの動詞は自立性が強い. Nun-'yr Gam-Da [nunl kamta] 「目を閉じる / つぶる」の場合は同族目的語ではないが,動詞の自立性は弱い.このようなことは 「単語結合」と関連してもっと精密に研究されなければならない.

11)  III- -ss-Den .いわゆる 「過去」の連体形だが, II- -n との違い, I- -Den との関係等明らかにするべき点が多い.この場合形式的に III-- -ss- と I- -Den とをプラスしてその意味が得られるわけではないことを知るべきである.また無条件に I- -Den に常に所謂 「回想」の意味を認めてしまう多くの韓国人研究者の見解は極めて疑わしい.勿論歴史的には I- -Den の I-- -De- は所謂 「回想」ではあったのだが.

12)  III- -ss-DeNi 「...すると / ...したら」.この形は単純に I- I-Deni の過去形というようなものではない.またこの場合の I-- -De- に所謂 「回想」の意味を求めてよいのか,問題である ( 勿論歴史的にはそうであるが ) . III- -ss-Deni を述語とする主体は 「話し手」である場合が多く,その後ろの節 ( 文 ) の主体とは異なることが多い点で I- -DeNi とは異なる.勿論これらの形と II- -Ni との異同も明らかにするべきである.現状では真に詳しい研究はない.

13)  名詞+ Gat-Da [ka?ta] 「...のようだ」.これは名詞+ - / - -'oa/Goa Gat-Da とも言い換えることが可能だが,後者は 「...と同じ」という意味も持ち得る.この場合 Gat-Da に2つの異なる意味を設定し得るのか? またこの形容詞の前に来られる2つの形式の文の成分は同じなのか,異なるのか? 

14)  - -'i-De-Ra-Nyn < - -'i-De-Ra Ha-Nyn 「...であったという」. I- -DeRa は歴史的には I-- -De- + - -Ra であり,典型的な 「回想」を表す.これについては従来多くの論文が出されてきたが,なおも不充分であり,課題が残されている.この形をしばしば 「回想法」と呼ぶが,これを 「伝聞あるいは目撃」だとして普通の 「直説法」と対立させる人もいる. 「伝聞あるいは目撃」は直説法とは異なり動作が長くとらえられている ( ...していた ) 可能性がある.このように多かれ少なかれある形の文法的な意味は複合的である場合がある.似たものが他の言語にもあり ( トルコ語やブルガリア語 ) ,出来ることならそのような言語との異同が明らかにされることが望ましい.このような異なる言語間の似た現象の研究を 「対照研究」という ( これについては後でも述べる ) .

15)  Du-Go .本来は 「置いて」という意味の動詞の形だが,後置詞のように用いられる.動詞派生のこのような形態素は - -Joc-a 「...さえ」 ( < 従って ) , - -Ha-Go ( < して ) 「...と」はすでに自立性がなく,助詞として扱ってよいと思うが, Bo-Go 「...に ( 対して ) 」 ( < 見て ) となると幾分自立性が残っているようであり,どのような品詞に入れるべきか,後置詞という品詞を立てるのか,問題となる.

16)  II- -NiGGa 「...するから / ので」.話し言葉で用いられる.書き言葉で用いられる II- -Ni と置き換えがきくことが多くはあるが,後者の方が用法が広い.こういう場合両者は文体的な差があるとして同じ形態素の異なるヴァリアントと見るべきか,それとも異なる形態素と見るべきかという問題が生ずる.

17)  II- -r Ges-Do 'ebs-Da 「...することもない」 ( する必要もない ) . 日本語と構造がよく似ている.これも分析的な形としてよいのか? 注 9) 参照.

( 4 )

18)  Tai'eNaDen .この場合 Tai'eNa-n と置き換えてもよいが,後者の場合は客観化しているように感じられると言う.すると前者は何なのか?  「回想」なのか? 綿密な研究が望まれる.

19)  CeNie-Ti 「娘くささ」. Ti は普通は不完全名詞と辞書に記されているが,そうならばこの単語は前の名詞と結合して単語結合を成すのか,それとも合成語 ( 複合語 ) を成すのか? その際前者は分かち書きされ ( 2単語 ) ,後者は続け書きされる ( 1単語 ) というようなものなのか? 朝鮮語では,日本語同様,あるいは日本語以上に,単語の境界 ( 単語の数 ) の問題は正書法の問題と併せて難しい.

20)  GGoag .このような擬声擬態語的な副詞が次のどのような用言と結合しやすいかを調べる必要がある.なおこれについては徐尚揆氏 ( 延世大学校教授 ) のよい研究がある.このような研究の分野を 「単語結合論」というが,これについても 「談義」で言及があろう.

21)  Kyn-'enNi 「一番上の姉」. Ky-n は本来形容詞連体形 「大きい」であるが,ここでは次の名詞とともに合成語を成す.この2つの要素は形の上では単語結合と似ているが,2つの要素が合して特殊な意味を持つから,合成語とみなすべきだろう.この名詞は人間を含む有情名詞 ( 生き物名詞 ) に属するが,普通は有情名詞の後ろには奪格 ( ...から ) の意味を持つ助詞として - -'eiGeiSe が用いられるが, 「...から...まで」という場合にはこのように - -'eiSe が用いられることが多い.つまりこの位置で有情名詞 / 無情名詞の違い ( 対立 ) がなくなった,すなわち対立が中和 ( 中立化 ) したのである.

22)  - -'i-Den .一般に - -Den に 「回想」の意味があるかどうかも問題だが,動詞の連体形では所謂 「過去」に II- -n と I- -Den の対立がある ( ほかに III- -ss-Den という形もある.注 11) 参照 ) .しかし形容詞となると, I- -n が 「過去」を表すと言ってよいかどうか疑わしく ( これについても 「談義」で論じられるであろう ) ,そうなるとこの場合対立の項が一つ減ることとなり, 「回想」の意味の存在が一層危ぶまれる.

23)  = MagNai='enNi 「一番末の姉」. MagNai[ 「末っ子」と 'enNi 「姉」はこの場合確かに同一人物だから,続け書きして1単語扱いにする気持ちは分からないでもない.辞書を見るに MagNaiDDar 「末娘」, MagNai'aDyr 「末息子」は出ている.これらが合成語であるという明確な条件とは何か?

24)  I- -DaGa .一般にこの接続形の前後の節 ( あるいは文.これについてもいつか論じるであろう ) の主体は同じであることが多いようだが ( 必ずしもいつも同じとは言い切れない ) ,この場合後ろの節 ( 文 ) の主語 'emMa 「母親」が前の節 ( 文 ) の主体でもあるのだろう.

25)  I- -Da-Nyn < I- -Da Ha- Nyn 「...だという」.こういう場合のテンスにも厳密な考慮を加えたい.ほとんど研究がない.

26)  JemJaq'i 「占い師」.今は JemJaiq'i が標準語形のようである.勿論前者が後者に代わったものである.

27)  I- -Go-Nyn =I- -Go+ - -Nyn 「...して」. - -Nyn が単なる強調の助詞かどうかは疑わしい.それが省略可能か? そうでなければそれの有無はどう違うのか? 場合によってはこの結合を全体で独立の語尾としなければならない.これを 「...しては」と訳す人がいるが,それは著しい誤りである.

28)  Hai-ss'e-ss-Da-Nyn < Hai-ss'e-ss-Da Ha-Nyn 「...したという」.この場合 Hai-ss-Da-Nyn とも言えるが,後者より前者の方が動作がより過去に行われたことを表すという.いずれにせよ朝鮮語のテンスは,この場合のように,前者と後者の絶対的な違いがあるわけではない.前者を 「大過去」とか 「過去完了」とか名づけることの不当さを考えるべきである.

29)  I- -Nyn Ges-'i-Da 「 . ...するのである」.これは,日本語と同じく I- -Nyn Ges-'i'e-ss-Da 「...するのだった」と置き換えることは可能だという.こういう場合の所謂 「現在」を何と規定するべきか? 歴史的現在 ( 文章の叙述者が過去の場面に立って生き生きと描写しているかのような用法 ) のようでもある.

( 5 )

30)  'em-SSi 〈厳氏〉.今の正書法では SSi 〈氏〉は分かち書きされるが,これが単独に用いられることはないのだから,これは名詞ではなくやはり接尾辞と見るべきであろう.

31)  Kasu .これは Gasu 「歌手」から作られた俗語である.

32)  JiNan-Ben 〈―番〉 「この間,先回」. JiNa-n は本来 「過ぎた,過去の」という意味の連体形だが,次の名詞を伴って合成語を作る.朝鮮語は日本語とは違って連体形が合成語の部分をなすことが多い ( 注 21) 参照 ) .

33)  Mos +動詞 「不可能....出来ない」.これは短い形で,長い形 I- -Ji -Mos-Ha-Da に対応し,それと置き換え得る.

34)  I- -DaNi 「...するとは」.これは文の中でどのような成分をなすのか?

35)  Mos Doi-Da .この場合これは長い形を持ち得ない.一般に形容詞の Mos 否定形 ( 短い形ではなく長い形だけ ) は不可能ではなく, 「その水準に達しない」ことを意味するが, Doi-Da 「なる」は動詞であるにもかかわらず,この場合は用法が形容詞と似ている.一部の用言は動詞と形容詞の境界が曖昧である.

36)  II- -r Ges-'i-Da 「...するだろう ( 推量 ) 」.この形は 「主体の意思」を表さない時は, III- -ss'y-r Ges-'i-Da という 「過去形」をも持つ ( 「...しただろう」 ) .しかしここに掲げた形 II- -r Ges-'i'e-ssDa は敢えて言うなら 「...するだろうと思った」とでもなろうか? この形は韓国の国語学者の間でもその存在 / 不存在をめぐって論争があり,この形をよく用いた作家崔仁浩氏はこの形は不自然だから今後は使わないと宣言するまでに至っている.この文章ではこの形はよく用いられている.

( 6 )

37)  - -BBun-Man 「だけ」.本来 BBun は不完全名詞であり, - -Man は副助詞 ( 様態助詞 ) であり,前者は繋辞 (copula) の前でのみ,後者はその他の場合に用いられる.言い換えるならば - -Man が繋辞の前に用いられることはない.しかし - -BBun-Man 'aNi-Ra , - -BBun-Man-'i 'aNi-Ra , - -BBun 'aNi-Ra , - -BBun-'i 'aNi-Ra のように,またこの場合 - -Man-'i 'aNi-Ra でさえ表れ得, - -Man が繋辞の否定形に表れ得る. - -BBun はもはや現代語では不完全名詞ではないのか?

38)  - -'i-Ra-Mien < - -'i-Ra Ha-Mien 「...であるならば,...ならば」. - -'i-Ra は Ha-Da の前でのみ用いられる - -'i-Da のヴァリアント ( 変種 ) である.

39)  NuGu-Na 「誰でも」. - -Na/- -'iNa は本来繋辞の I- -Na 接続形 ( 「...しても」 ) であるが ( ただし繋辞の場合は母音語幹の名詞の後でも - -'i-Na が用いられ得る ) ,この場合はもはや繋辞の形ではなく,一種の副助詞になったものと思われる.副助詞はよくモーダルな (modal) 助詞,すなわち話し手のなんらかの 「ムード ( 気持ち ) 」と関係があると言われるが,副助詞のすべてがそうであるかどうかは分からない.また一部の副助詞しかその後ろに格助詞を取らないが, NuGu-Na-Ga 「誰もが」という形があるところを見ると ( この点では日本語も同じ ) , - -Na は接尾辞に近い.

40)  I- -Dys-'i/I- -Dys 「...するように」. Dys 「よう」は本来不完全名詞, - -'i は - -Ha-Da 形容詞の副詞形語尾である ( ただし Dys-Ha-Da は用言連体形にのみ接尾する ) .つまりこの語尾はいわば用言の語幹にいきなり名詞が付いたものであり,古代あるいは中期朝鮮語の姿を残す数少ない例である.

41)  Dor'a-ss-Da 「気が違っている」.朝鮮語の 「過去」にはこのように 「現在の状態」を表すものがある.こういうものを 「パーフェクト」と呼ぶ人がいる.この本格的な研究が期待される.

42)  DDaiMun-'i-Ra-Nyn 「ためだという」. DDai-Mun 「ため ( 理由 ) 」のように主として繋辞の前で用いられる名詞がある.これを 「述語名詞」と呼んでおこう ( 注 9) の Te , 29) , 36) , 43) の Ges 参照 ) . - -'i-Ra-Nyn < - -'i-Ra Ha-Nyn 「...であるという,...だという」.注 38) , 25) 参照.

43)  I- -Nyn Ges-'i'e-ss-Da 「...するのだった」.この場合これは I- -Nyn Ges-'i-Da 「...するのだ」とも置き換え得るという.注 29) 参照.

( 7 )

44)  - -BuTe-Ga 「...からして」. - -BuTe 「...から」はこの場合事物間あるいは事物と動作等との関係,すなわち格関係を表すとは感じられず, 「まず初めに」のような意味を表すから,一応副助詞と認められるが,この場合数少ない副助詞+格助詞の構成である.

45)  Jis 「しぐさ」.本来完全名詞だが,接尾辞か? 朝鮮語は格助詞 - 'yi の省略があるため ( 省略についても別に述べなければならない ) ,単語結合か合成語かの判別が難しい.注 19), 23) 参照. - -'i-Ra-Go < - -'i-Ra Ha-Go 「...であると{言って}」.注 38) 参照.

46)  SSah-Da ( 第 III 語基に付く ) .第 III 語基+用言の場合, 1) 全体が合成語なのか, 2) 一つの語形の異なる文法的な形か, 3) 二つの単語の統辞論的結合なのか,判定の難しいことが多い.この場合は 1) か 2) であろう.いずれにせよどのような動詞にこれが付くのかを充分に調べなければならない.

47)  Jis については注 45) 参照. - -'i-Ra-Nyn < - -'i-Ra Ha-Nyn 「...であるという,...という」.注 38) , 25) 参照.

48)  Ge-nJi < Ges-'i-nJi 「こと ( の ) であるか」.前者を話し言葉形,後者を書き言葉形と呼んでおこう.韓国ではこのようなものを一般に辞書などで Jun-Mar 「短縮語,縮んだことば」と呼ぶが.確かに短縮した言葉ではあるが,これと短縮しないことばとは文体的対立をなす.

( 8 )

49)  I- -Da-Mien < I- -Da Ha-Mien 「...するというならば」.注 38) 参照.

50)  II- -r Ges-'i'e-ss-Da .注 36) 参照.

( 9 )

51)  I-- -Geiss- .このような形態素を 「過去」の III-- -ss- とともに 「接尾辞」と呼んでおこう.韓国ではこれらを 「先語末語尾」と言うが,これは prefinal ending の直訳である.韓国ではわたくしの言う 「語尾」を 「語末語尾」 (final ending) と言うから,語尾には2種類あることになる.韓国では接尾辞は語彙的な単位にのみ用いるから,これはこれで一貫している.わたくしによれば接尾辞には文法的なものと語彙的なものの2種類あることになる.語尾と接尾辞とは本来截然と区分し得ないものであるから,どちらの考え方でもかまわない.接尾辞 I-- -Geiss- は意味の非常に把握しにくいものであり,今後も議論の必要がある.

52)  - -JJaRi 「...に値するもの,ひとまとまりのもの」.この接尾辞は数詞と名数詞 ( 助数詞 ) にのみ付く.この接尾辞は後ろに名詞を置くことが出来る.一般に名数詞に付く接尾辞は一つのグループをなすが,これらの接尾辞の付いたものは生産性が高いのに辞書にいちいち登録されない例である.数詞+ - -JJaRi は一般に10歳以下の人に対して用い,相手を見下すニュアンスを伴う.

( 10 )

53)  Gat-'i 「...のように」.これは - / - -'oa/Goa Gat-'i とも置き換えられるが,後者はほかに 「...といっしょに,...と同じく」という意味をも持ち得る.これは後置詞的に用いられるので,しばしば前の名詞に続き書きされるが,誤りである.注 13) 参照.

54)  III 「...して」.これはこのように単独で用いられる場合は III- -Se と置き換え得る場合が多く,その場合前者は書き言葉,後者は話し言葉であることが多い.形が異なれば確かに意味は異なるのだが,朝鮮語では文体的な差しかないことも多い.

55)  I- -Da-SiP-i 「...するように」.この形は北朝鮮では I- -Da Sip-'i と書かれる. SiP-i は形容詞 Sip-Da の副詞形だから,北朝鮮の正書法の方が理にかなっているように見える. 'a-Si-Da-SiP-i 「ご存知のように」, Bo-Si-Da-SiP-i 「ご覧のように」などにしか出て来ない.これは I- -Da-SiP-i Ha-Da という形で 「...するようにする,...するようである」という意味を持つが,果たしてこの形は分析的な形と認めるべきか,それとも統辞論的なものと見るべきか?

56)  III  'iss-Da 「...している ( 動作の結果の継続 ) 」.分析的な形.注 8) 参照.日本語の 「座っている」は朝鮮語の 'anj'a 'iss-Da に該当し, 'anj-Go 'iss-Da は 「座りつつある」を表す. III- -Do 「...しても」.これは全体で一つの接続形とみなすべきだろう.

57)  III  Ju-Da 「...してやる / くれる」.分析的な形.ただし日本語とは微妙な点で異なるから,これも研究しなくてはならない. I- -GeNa は注 3) 参照.

58)  GenNei-Ju-Da 「渡す」.この種の形は注 57) の場合とは異なり,分析的な形ではない.朝鮮語ではこのように同じ形で合成語と分析的な形とがあり得る.

59)  III- Ji-Da 「受身,自動詞」.この Ji-Da は本来補助動詞だが,最近は多くの場合第 III 語基に続け書きされる.つまり文法的接尾辞と扱われているかのようである.

60)  I- -Go ''iss-Da 「...している ( 動作の継続 ) 」.注 8) 参照.

61)  I- () -Nyn Ceg(-'yr) -Ha-Da 「...するふりをする」. Ceg は本来名詞 「ふり」.日本語の構造とよく似ているが,日本語との違いは対格の助詞がしばしば省略されることである.対格の助詞が挿入される時は助詞の後ろで分かち書きされ,あたかも単語の形が二つに分離したかのようであり,このように分離し得る用言をわたくしは 「分離用言」と呼び,上記のように助詞を括弧に入れて示そうと思う.これは分析的な形か?

62)  I- -Nyn Su-Bagg-'ei 「...するしか ( ない ) 」. 'ebs-Da 「ない」が省略されている.分析的な形か?  Bagg-'ei 「...しか」は本来名詞の形 「ほかに」だが,韓国の現行正書法では,助詞化したとして続け書きされる.北朝鮮では分かち書きされる.

( 11 )

63)  CamMar-'i-Ji 「本当なんだよ」.こういうのは文法的にはどう扱うのか? 挿入語か? 間投詞か?

64)  - -'i-Da 「...である」.繋辞.母音語幹の名詞の後でこれと - -Da との違いは文体的なものである ( 書き言葉 / 話し言葉 ) .

( 12 )

65)  - -Man-'i 'aNi-Ra 「...だけでなく」.注 37) 参照.

66)  Kyn-'enNi 「一番上の姉」.注 21) 参照.

67)  () SiJib(-'yr)-Ga-Da 「嫁に { 夫の家に } 行く」.分離動詞.本文での表記は誤りではない.

68)  - -Ni 「...するから」.この形は多くの場合 II- -NiGGa とは文体的違いを示す ( 書き言葉 / 話し言葉 ) .注 16) 参照.

69)  () SaqGoan('i)-'ebs-Da 「構わない { < 相関>− } 」.分離形容詞.

70)  = Dur-JJai='enNi 「二番目の姉」. Kyn-'enNi 「一番上の姉」の類推で続け書きしたものだが,仮に1つの概念だとしても,言語としては果たしてそれは 1 単語なのか? 分かち書きをめぐってはこのような問題がとても多い.

71)  I- -Gi-Ga 「...することが」.用言の Gerund 形 ( 動名詞 ) +主格助詞.この形は多くの場合述語が形容詞の場合の主語として用いられる.なおも研究が必要である.

( 13 )

72)  - -nGa 「...か」.もともと - -'i-nGa 「...であるか? ( 等称形 ) 」であるが,母音語幹の名詞の後で繋辞の母音が脱落したものである. 'enJei-nGa / 'enJei-'i-nGa 「いつであるか? / いつか?」は話し言葉 / 書き言葉の対立である.この場合の 'enJei-nGa は,上のものとは異なり, 「いつか ( 不定の人 ) 」という意味であり,しかもその後ろに格助詞が付く.似たものとして - -nJi がある.これらをどのような形態素として扱うべきか? 注 39) 参照.

73)  III- -ss-DeNi 「...すると」.注 12) 参照.

74)  MerDai-Gat-'i 「竿のように」 ( 背が高いだけで味もそっけもない様 ) .こういう場合辞書では1単語扱いとなっているが,どうしてそうなのか? 果たして本当にそうするべきなのか?

75)  BBun 「だけ」.注 37) 参照.

76)  Bes'e-BuCi-Da 「脱ぎ捨てる」.合成語.これは動詞 Bes-Da 「脱ぐ」の卑語あるいは俗語である可能性がある.語彙上の文体的な差についてもっと注意を払う必要がある. MeRi / GorCi 「頭」, 'i / 'iBBar 「歯」, Gi / Gis-Bar 「 < 旗 > 」, 'ib-Da / GerCi-Da 「着る / 引っ掛ける」 ( 書き言葉 / 話し言葉,普通語 / 俗語 ( 卑語 ) ) .

77)  III 'iss-Da 「...している ( 動作の結果の継続 ) 」.注 8) , 56) 参照.

78)  = Dur-JJai='enNi 「二番目の姉」.注 70) 参照.

79)  III 「...して」.注 54) 参照.

80)  I- -Go 'iss-Da 「...している ( 動作の継続 ) 」.注 8) 参照.

81)  しばしば疑問形であるにもかかわらず,このように疑問符が付されないことが多い.これは多分この疑問形が疑問を表さず,反語を表している,従ってイントネーションが疑問のそれとは異なるためであると思われる.ただし正書法としてそれを許容しているとは言い難い.

( 14 )

82)  DDarNien-Dyr-'i'ia 「娘ッ子らは」. DDar / DDarNien 「娘 / 娘ッ子」 ( 普通語 / 卑語 ) . - -Dyr 「...たち,ら」は文法的な接尾辞と見るべきか? - -'i'ia 「...は」 ( 副助詞 ) と - -Nyn との違いが何か,綿密な研究が要求される.これは,形が同じではあっても,また起源が同じであっても,意味上,用言の接続形などに付くもの ( 例えば III- -'ia 「...して始めて, ...してやっと」等 ) とは区別されなければならない.

83)  SiJib BoNai-Da 「嫁にやる { 夫の家に / 送る } 」.ここでは分かち書きされているが,分離用言と見て ( 対格が入る ) 続け書きして悪いわけがないように思われる.注 67) 参照.

84)  I- -Da-Go < I- -Da Ha-Go 「...だと言って」.

85)  - -Ryr( 対格 ) .この場合格助詞 - -'ei 「...に」との置き換えが可能である.ただし対格は話し言葉的.普通は運動の動詞 ( 行く,来る,登る,下る,這う,送る ( 行かせる等 ) の直前でしか用いられない.

86)  III- -ss'e-ss-Da .注 28) 参照.

87)  I-/ -Gi-n/-Gi-Nyn Ha-Da 「...しはする」.分析的な形.

88)  - -GGaJi 「...まで」.これはこの場合格助詞ではなく,副助詞である.

89)  II- -Ni 「...するから」.注 68) 参照.

90)  I- -Da 「...だ ( 終止形叙述下称 ) 」.この形はこの場合のように独特なイントネーションとともに 「列挙」の意味を持つことがある.

91)  - -Nei 「...の家,家族,...に属する人々」.これは語彙的な接尾辞だろうが,これを含む形はいちいち辞書には記載されない.

92)  Gat'y-n 「...のような」.注 13) 参照.

93)  II- () -r Ri(-Ga) 'ebs-Da 「...するはず {< 理 >} がない」.分析的な形.

94)  II- -r Ges-'i'e-ss-Da .注 36), 50) 参照.

( 15 )

95)  III 「...し」 ( 書き言葉 ) .これは III- -Se 「...して」 ( 話し言葉 ) と対立する. Ha'ie / Hai-Se .注 54) 参照.

96)  注 54), 95) 参照.

97)  'aSui-n < 'aSui'u-n 「物足りない」 ( 連体形 ) .話し言葉形は形がかなりくずれるものがある.この文章は書き言葉と話し言葉が混ざっているが,いくら話し言葉的に書かれた文章でも,それが 「書かれる」限りは,書き言葉的要素は混ざるものである.

98)  II- -r Man-Ha-Da 「...する価値がある, ...し得る, ...するほどである」.分析的な形.この構造は不完全名詞 Man に II- -r 連体形が前接し,さらに不完全名詞に Ha-Da が後接することにより 「不完全名詞+ Ha-Da 」が形容詞となっているもので,注 61) に挙げた I- () -Nyn Ceg(-'yr)-Ha-Da の構造とは異なる.この種の構造は日本語ではわずかに 「...するようだ」にしか見られないが,朝鮮語にはこの種のものが多い.

99)  - -GGaJi 「...まで」 ( 副助詞 ) .注 88) 参照.

100)  - -JJaRi( 接尾辞 ) .注 52) 参照.

101)  - -Bagg-'ei 「...しか」.注 62) 参照.

102)  I- -Nyn Ges-'i-Da 「...するのである」.注 29), 43) 参照.

( 16 )

103)  - -Na ( 副助詞 ) .数詞あるいは数詞+名数詞の後で 「...ぐらい」あるいは 「...も」を意味し得る.このような意味もモーダルと言ってよいか疑問である.詳細は分からない.注 39) 参照.

104)  GGumJJeg-Do Ha-Ji 'anh-NynDa 「びくりともしない」.これは典型的な 「歴史的現在」すなわち実質的な 「過去」である.この意味がヨーロッパ語からの借用であるとしても,現に存在する以上, 「現在」の意味の一つとして記録しなければならない.単純な意義素論の成り立たない所以である.用言には否定形しか用いられないものもある.辞書には GGomJJag-Mos-Ha-Da , GGumJJeg-Mos-Ha-Da 「身動きしない」という形が見出し語として載っているが,それらは果たして見出し語として適当か?

105)  I- -NyRaGo 「...しようと ( 目的 ) 」.この形を含む主文のテンスは過去であることが多いように思われる.この形の意味ほど韓国人の間でも論争を呼ぶものはない.韓国人の特に生成文法論者は自分の頭の中で作文をするものだから,韓国人どうしで用法の違いがどうしても出てしまう.この形を含む過去及び現在の各種の文章を綿密に調査する時は,この形自体の用法に時代による変化が認められるであろう.言語とは50年もたたずに案外替わるものなのである.さらに強調しなければならないことは,われわれ日本人とてもわが日本語のある形の意味を自分の頭の中で全部挙げることなど不可能なのであって,必ず漏れるものがあるという事実である.生成文法論者の奇妙奇天烈な日本語を聞いているうちになんとなくそういうような気になってくることを参照せよ.わたくしはソウルのハングル学会の研究会で最後に 「どうしてここにお集まりの諸先生はわれわれが普段使わない言葉ばかりを論じておられるのでしょうか?」という国語 ( 韓国語 ) 教師の悲痛な叫び声を何度となく聞いたことがある.わたくしは韓国人の国語学者たちの論文に出てくる文は韓国の普通のおじさん,おばさんたちに尋ねて,本当にこう言うのかと確かめることにしている.多くの場合彼らはこう答える: 「わが大韓民国にそのような言い方は絶対にありません.」と.わたくしは学者よりも彼らの方を信ずる.生の資料を集めることは困難だが,今はコンピューターもあるし,以前よりも格段容易になった.資料は多い程よい.勿論集めた資料がすべてを尽くすとは限らないから,作例を要するものもあるが,それでも資料は予想もしなかった用法をわれわれに教えてくれることがしばしばなのである.

106)  - -MaDa 「...ごとに」.これは多くの名詞に付き得る.人によってはこれを助詞として扱うが,他の助詞との接続の状況を考慮すると,接尾辞であると思われる.これについても後に論ずるであろう.ここでまたしても辞書に登録されない接尾辞付きの多くの構造を目にする.

107)  II- -n Ges-'i-Da 「...したのである」.こういう形は II- -n Ges-'i'e-ss-Da 「...したのだった」とも置き換え得,両者の意味は大差なさそうである.

( 17 )

108)  Dor'a-ss-Da-Go 「気が違っていると」.注 41), 84) 参照.

109)  II- -MyRo 「...するので」.書き言葉形.本来書き言葉体言形 II- -m に格助詞 - -'yRo 「...で,...により」が付いたもの.同じ 「理由」を表す II- -Ni ( 注 16), 68), 89) 参照 ) と置き換え得るかどうかは難しい問題である.一般に朝鮮語には 「理由」を表す形式が豊富であり,これらの異同についてはあまり手が付けられていない.

110)  - -nGa .注 72) 参照.

111)  NorRie-Dai-n 「からかいまくった」. III- -Dai-Da というものが補助用言でこれが動詞 NorRi-Da 「からかう」の語形を成すのか,それとも NorRie-Dai-Da が合成語なのかが不明である.

112)  II- -n Jeg-Do 'iss'e-ss-Den 「...した時もあった」. II- -n Jeg-'i 'iss-Da 「...した時がある」は分析的な形か? 'iss'e-ss-Den 「あった / いた」はこの場合,すなわち形容詞的な意味 ( 存在 ) を持つ場合に, 'iss'y-n とは置き換え得ない.後者は 「事件,戦争,講演会などがあった」という時にのみ,つまり動詞的な意味 ( 起きる,行われる ) を持つ場合に用いられる.注 11) 参照.

( 18 )

113)  () 'e'i(-Ga)-'ebs-Da 「あきれた」.分離用言.注 69) 参照.

114)  - -Ra-Nyn < - -Ra Ha-Nyn 「...であるという」.注 42), 47) 参照.

115)  I- -Nyn Ges-'i'e-ss-Da 「...するのだった」.注 43), 29), 102) 参照.

116)  I- -nDa 「...する」 ( 現在,下称形 ) .この場合モンダルさんが自分で詩を書くと言っているのだから, 「現在」の意味は 「主体 ( =モンダルさん ) の意思」を表していると言える.このような意味はおよそどの言語にもありそうなものだが,やはりいちいち記述するべきである.なぜならそうでない言語もあり得るからである.

117)  III- -ss-Da-Nyn Ges-'i-Da 「...したというのである」.この場合果たして III- -ss-Da-Nyn Ges-'i'e-ss-Da とも言い得るのかどうか?

( 19 )

118)  I- -NynDa-Go < I- -NynDa Ha-Go 「...すると ( 言って ) 」.この場合の 「現在形 ( I- -NynDa) 」は,単独で用いられた場合 ( 終止形 ) は,文字通り 「現在 ( 発話の瞬間 ) の動作」を表すのだが,主文の終止形が 「過去形」 ( この場合 Ha'ie-ss-Da 「言った」 ) だと,その前の 「現在形」は 「過去と同じ時」,すなわち 「同時」であることを表す.このように主文の終止形のテンスは 「絶対的テンス」と言い, 「同時」のように基準時 ( この場合 「過去」 ) との時間的関係 ( このほかに 「先行」というのもある ) は 「相対的テンス」と言う.

( 20 )

119)  III 「...して」.注 54), 95), 96) 参照.

120)  I- -Da Bo-Mien 「...してみると」.分析的な形. I- -Da Bo-Ni / I- -Da Bo-NiGGa もまた分析的な形.

121)  - -nGa .注 72), 110) 参照.

122)  I- -Gon Ha-Nyn 「...したりする」. I- -Gon Ha-Da 「...したりする ( 多回的動作 ) 」は分析的な形.この 「現在連体形 (I- -Nyn) 」もまた相対的テンスであり, 「同時」,すなわちこの場合は実質的に 「過去」を表す.注 118) 参照.

123)  III- -ss'y-Mien 「...したら」.この場合の III-- -ss- という接尾辞を単に過去と言ってはならない.同じ形態素でも終止形,連体形,接続形などで意味が異なり得ることを綿密に調べ,その都度扱いを異にしなければならない.

124)  I- -Nyn ( 現在 ) .注 122) 参照.

125)  I- -Go 'iss-Nyn 「...している」.注 8) 参照.注 118), 122) 参照.

( 21 )

126)  - -Man Hai-Do 「...だけでも ( だけしても ) 」.分析的な形.

127)  I- -Nyn ( 現在 ) .注 122), 124), 125) 参照.

128)  III- -ss'e-ss-Da .注 28), 86) 参照.この形と単なる過去形との違いが問題となる.両者の置き換え可能性もヒントとなり得る.

129)  II- -n .動詞の付くこの形は一応 「過去」と言えるが,形容詞に付くこのこの形をどう規定するべきかが問題である.簡単にそれを現在とは呼べないところがある.朝鮮語は用言の終止形と連体形とでテンスの形が大きく異なるが,両者の間になんらかの相関関係があることも事実だから,両者は形が違う以上別々に研究する必要がありながらも,両者を関係付けながら研究する必要がある.

130)  II- -MienSe 「...しながら」.この接続形は後続の動作 ( この場合 = BurRe=Ju-Mien 「呼んでやると」 ) との時間的関係は 「同時」を表すと言える.このように2つの動作の間の時間的関係を 「タクシス (taxis) 」と呼ぶ人がいる. 「同時」でも相対的テンスとタクシスとでは異なる所以である.

131)  III/III- -Se .これらのタクシスが何であるかを厳密に調べなければならない.単なる 「先行」なのか? さらにそれを細分するのか?

132)  III- -ss-Go .接続形 I- -Go が何らかのタクシスであるのに対し,これの過去形は絶対的テンスである可能性がある ( すなわち主文のテンスと同じ ) .

133)  I- -Gi-RaDo Ha-Da 「...しでもする」.分析的な形.注 87) 参照. II- -rRaCiMien 「...しようものなら」. II- -rRa 「...しようと」と Ci-Mien 「すれば」の合したものだが,現代語では一つの形態素と見てよいだろう.

134)  I- -Den 「...していた」. 注 18) 参照.これは相対的テンスなのか? また動作が長さにおいて捉えられているのか?

135)  I- -Go 「...して」.これのタクシスが何なのか? 同時,先行,その他いろいろなケースがありそうで,きわめて複雑である.ほとんどきちんとした研究がない.

136)  I- -Nyn -Dys-'i 「...するように」.いわば I- -Nyn Dys-Ha-Da 「...するようだ」の副詞形. II- -r Man-Ha-Da 型の分析的な形.注 98) 参照. I- -Nyn の位置にいろいろな連体形が来得る.これらの連体形は Dys-Ha-Da のテンスとの関係でさまざまな相対的テンスを表す.このような研究もほとんど手つかずである.

( 22 )

137)  I- -NynDei 「...するのだが」.本来は連体形+不完全名詞だが,接続形に変わった.このテンスは相対的か? 絶対的か? 双方ともあり得るのか?

138)  II- -n Ges-'i-Da 「...したのである」.注 107) 参照.これと II- -n Ges-'i'e-ss-Da 「...したのであった」, I- -Nyn Ges-'i'e-ss-Da 「...するのであった」,さらには III- -ss-Den Ges-'i-Da 「...したのである」 とのテンスの観点からの異同を明らかにする必要がある.

( 23 )

139)  I- -NynDi-Do 「...するのに」 ( 方言形 ) .標準語形 I- -NynDei-Do に対応する.注 137) 参照.本来連体形+不完全名詞に副助詞の付いたものだが,一つの接続形と見るべきだろう.

140)  Dor'a-Bo-Do .これはいわば Dor'a-Bo-Ji-Do の省略形だが,動詞語幹にいきなり副助詞が付くきわめて珍しいものである.普通は次のような例しかない. 'o-Do Ga-Do Mos-Ha-Da 「身動きできない { 来ることも行くこともできない } 」, BBai-Do Bag-Do Mos-Ha-Da 「抜き差しならない { 抜くことも挿すこともできない } 」, Bo-Do Dyd-Do Mos-Ha-Da 「見聞きしていない { 見ることも聞くこともできない } 」.

141)  II- -bDiDa ( 回想法中称 ) .この語尾は本来上称だった可能性があるが,中称にまで下落した.

142)  NamJis 「...あまり」.完全名詞だが,常に名詞の後ろにのみ用いられる.わたくしはこのようなものを接尾辞的名詞と呼ぶ. 'iNai 「以内」. 'i'oi 「以外」.

143)  III- -ss-Go Ha-Da 「...したりする」.このようなものも分析的な形か?

144)  I- -Da-'io .方言形.これに厳密に対応する標準語形はない.

( 24 )

145)  - -Nei .注 91) 参照.

146)  I- -Nyn Pan-'i-Da 「...するありさま ( ところ ) である」.分析的な形としてよいか?

( 25 )

147)  II- -r ( 連体形 ) .時の名詞の前でこの語尾は多く所謂 「未来」も 「推量」も表さない.相対的テンス 「同時」を表すと言えるか? またこの場合これに対応する 「先行」の形は III- -ss'y-r である.

148)  - -SSig .数詞あるいは数詞+名数詞に付く接尾辞.

149)  I- -NynDa ( 終止形下称現在形 ) .典型的な歴史的現在をあらわす.注 29), 104) 参照.

( 26 )

150)  III Ha-Ni .この場合 Bo'a Ha-Ni は Bo-Ni とも同じだと言う.しかしながら形容詞ならぬ動詞の第 III 語基に Ha-Da の付いた形が時折見られるが,これについての研究がない.

151)  II- -n Ges Gat-Da 「...したようだ」.分析的な形.連体形 II- -n は Gat-Da の基準時に対して相対的テンス 「先行」を表すか? 

152)  'aMu-Dei-Se-Na 「どこででも」. - -Na 「...も」 ( 副助詞 ) .注 39), 103) 参照. 'aMu-Dei 「どこ」, 'aMu-DDai 「いつ」は辞書にはそれぞれ1単語として載っているが,2単語の可能性はないのか?

153)  II- -Mie 「...し,...しながら」. Gar'a-'ib-NynDei 「着替えるのだが」に対して 「同時」のタクシス.注 130) 参照.

154)  I- -NynDei 「...するのだが」.この場合主文の述語 ( 基準時 ) に対して相対的テンス ( 「同時」 ) を表しているように思える.

155)  III- -Se 「...して」. SaiqGie-Se 「...のように見えて」は SaiqGie-ss-Da 「...のように見える」に, Dor'a-Se 「気が違って」は Dor'a-ss-Da 「気が違っている」に対応するところを見ると,この接続形はパーフェクトとなんらかの関係があるのかも知れない.いずれにせよこの接続形のタクシスは 「先行」かそれに類するものであろう.これが単に時間的関係だけでなく,論理的関係 ( 例えば 「理由」 ) をも含んでいるかの知れず,タクシスは時間的なもののほかに論理的なものも認める必要があるかも知れない.注 41), 108), 131) 参照.

156)  I- -Gon Ha-Da 「...したりする,..したものである」.注 122) 参照.

( 27 )

157)  III- -ss-NynDei 「...するのだが」. I- -NynDei 「...するのだが」 ( 注 137), 154) 参照 ) とは異なり,絶対的テンスである可能性がある.

158)  DDai'ui 「たぐい」.不完全名詞. DDaiMun 「ため ( 理由 ) 」 ( 注 42) 参照 ) と同じく格助詞の付かない名詞にじかに付く.この点で完全名詞たる接尾辞的名詞 ( 注 142) 参照 ) と似ている.

159)  - -'yRo / - -Ro 「...であって」.この場合の助詞は一見日本人には述語のように見えるのだが,果たしてそうなのか? 韓国人の言語意識と併せて研究したいところである.

160)  - -'eGei-n < - -'eiGei-Nyn 「...には」. - -'eiGei は書き言葉形 ( 対応する話し言葉形は - -HanTei) だから,この形は書き言葉形 (- -'eiGei) と話し言葉形 (- -n) とのチャンポンであり,わたくし自身はこういう形を会話で聞いたことがないが (- -HanTei-n はある ) ,例えば洋画の字幕とか吹き替えにはよく出てくる.擬似的な話し言葉形と言うべきか?

161)  III- -ss'y-r Ges-'iDa 「...しただろう ( 過去の事柄に対する推量 ) 」.この形は主体の如何に関係なく推量を表す点で,推量と意思の意味を持つ ( 両者の意味の違いは主として [ 絶対的ではないが ] 主体の 「人称」の違いによる ) II- -r Ges-'i-Da とは異なる.つまり 「推量」はいわば現在形と過去形を持つのに対し, 「意思」は現在形しか持たないのである.両者の中間などという曖昧なものは存在しない.およそ意味というものは常に多義的であると思うが ( この点多くの場合一つの形態素に一つの意義素を設定して終わりという意義素論者とはわれわれは異なる ) ,さりとて言語は論理ではなく形式であるから,この場合意味の設定にはパラディグマ ( 上の場合意味による形の違い ) が有力な根拠になり得るだろう.なおパラディグマについては後に論じられるであろう.

( 28 )

162)  - -RaDo / - -'iRaDo 「...でも」.本来繋辞の接続形 ( 中期朝鮮語の一種の第 III 語基形.これは現代語にもそのまま残っている ) に副助詞 - -Do 「...も」が付いたもので,日本語の副助詞の 「でも」と成り立ちがよく似る.同じ形で 「...であっても」と 「...でも」の意味を持ち得るが,後者の場合は副助詞である.

163)  - -MaDa 「...ごとに」.接尾辞.注 106) 参照.

164)  III GaJiGo 「...して」.分析的な形. GaJi-Go は動詞 GaJi-Da 「持つ」の接続形である可能性がある ( 話し言葉形 Gaj-Go を参照せよ ) .これは用法が接続形 III- -Se と似るが,両者が常に置き換え得るとは限らないようである ( これは話し言葉的であると言ってよいか知れない ) . 「先行」というタクシスを持つか?

( 29 )

165)  II- -r( 連体形 ) .注 147) 参照.

166)  - -Man Hai-Do 「...だけでも」.注 126) 参照.

167)  - -JJai 「...目 ( 順序 ) 」.数詞あるいは数詞+名数詞に付く特殊な接尾辞 ( 後ろに他の名詞を従えることも従えないこともあり得る ) . Sei-JJai はかつての韓国での綴り, Seis-JJai は北朝鮮の綴りだが,現在では後者を南北朝鮮で用いる.ここでは次に来る名詞とは分かち書きされていることに注意せよ.注 70), 78) 参照.

168)  I- -Gir 「...すること ( 体言形 ) を」.注 5) 参照.

169)  () NoqSa(-Ryr) -Jis-Da 「百姓仕事 {< 農事 >} をする」.分離用言.注 61) 参照.

170)  III- -ss-Go 「...して」.絶対的テンスか? 注 132) 参照.

171)  注 70), 78) 参照.注 82) 参照.

172)  I- -Nyn-Dei-Da / I- -Nyn-Dei-DaGa 「...する上に ( さらに ) 」.本来連体形 I- -Nyn に不完全名詞 Dei 「ところ」+ - 「...に ( 加えて ) 」が付け加わったものだが,現在では接続形の一種と認めてよいであろう.ただしこの形の Dei はまだ名詞的特徴を保っている.

173)  - -Dab-Da 「...らしい」 ( 名詞に付く語彙的接尾辞 ) .日本語の 「...らしい」に似てかなり派生力がある.語彙的ではあってもいちいち辞書に登録しない.

174)  III- -'ia 「...してはじめて,やっと ( ...しないと [ ...しない ]) 」.注 82) 参照.

175)  II- -r Te-'i-Da 「...するだろう,...するはずだ ( 一種の推量 ) 」.分析的な形.注 9) 参照.

176)  名詞+ Gat'y-n 「...のような」. 注 13), 92) 参照.

177)  I- -Gi-r 「...すること ( 体言形 ) を」.注 168), 5) 参照.

178)  II- -n Ges-'i'e-ss-Da 「...したのだった」.注 138) 参照.

( 30 )

179)  Mory-Gi-n MorRa-Do 「はっきりとは分からないが { 知らないことは / 知らなくても } 」.慣用句.挿入語か?

180)  II- -r Ges-'i'e-ss-Da 「...するだろうと思われた」.注 36), 50), 94) 参照.

( 31 )

181)  注 70), 78), 171), 167) 参照.

182)  注 82), 174) 参照.

183)  I- -Nyn CeJi-Ra 「...するありさま {< 処地 >} で / なので」.分析的な形. - -Ra は繋辞の接続形 ( 一種の第 III 語基 ) .

184)  III- -ss-Den Ca-'i-Da 「...したところ {< 次 >} である」.分析的な形.

( 32 )

185)  この接尾辞 - -SSig は数詞や名数詞ならぬ副詞にいわば不規則的に付いたものだから,副詞とともに辞書では見出し語として立てられる.

186)  - -RoSe .本来二つの形態素が合したものだが,一種の格助詞として 「...として」の意味を持つ.また日本人の目からは 「...であって」のような意味を持つようにも見えるが,果たして韓国人の語感ではどうか? 注 159) 参照.

187)  II- -n Dui 「...した後」.分析的な形.タクシスは 「後続」.

188)  () Ko(-Ryr)-Gor-Da 「いびきをかく」.分離用言.この動詞は自立性が弱い.注 61), 67), 69), 83), 113), 169); 10) 参照.

189)  II- -r Ges-'i'e-ss-Da 「,...するだろうと思われた」.注 36), 50), 94), 180) 参照.

190)  Nun-Mur Ko-s-Mur 「涙 ( と ) 鼻水」.朝鮮人は形態的に,そして意味的に類似した単語を並べることが多い.この場合両者ともに Mur 「水」が共通しており,両者ともに顔の部分である. Son-Jis Bar-Jis 「身振り手振り { 手ぶり 足ぶり } 」参照.

191)  - -GGes 「...の限り」.語彙的接尾辞 ( 辞書に登録される ) .

192)  II- -r Pan-'i-Da 「...する ( だろう ) ありさまだ」.分析的な形.連体形はさまざまな形を取る.

( 33 )

193)  DDaRa 「...に限って」.一部の時間を表す名詞にのみ付くようで,韓国では前の名詞に続け書きされることが多いが,果たしてこれは接尾辞なのか? 自立語 ( 後置詞? ) だからとてこれが接尾し得る単語が少ないということもあり得る.すなわち文法か語彙かという問題は必ずしも派生力の多さとか結合する単語の多さとは関係ない.

194)  III- -ss-Go .絶対的テンスか? 注 132), 170) 参照.

195)  II- -n Cai'i-Da 「...したままだ」.分析的な形か? 

( 34 )

196)  BBun 「...だけ」 ( 不完全名詞 ) .述語名詞.注 37), 75) 参照.これに後接する連体形は II- -r だけだが,この場合にのみ分かち書きするのは論理的矛盾ではないのか?

197)  PoJaq-Do 'an Doi-n 「舗装もされていない」.これは動詞 PoJaq-Doi-Da 「 < 舗装 > される」の語形である可能性がある.この種の動詞は結局分離用言である (() PoJaq(-'i)-Doi-Da 「 < 舗装 > される」 ) .注 61) 参照.

198)  - -'iMie 「...やら」 ( 並立助詞 ) .本来は繋辞の接続形だが,この場合は助詞化したと言ってよい.

199)  DDa'ui 「たぐい」 ( 不完全名詞 ) .接尾辞的名詞.注 158) 参照.

200)  III 'iss-Da 「...している ( 動作の結果の継続 ) 」.アスペクト.注 56), 77) 参照.

( 35 )

201)  対をなす単語と構成が似ている.注 190) 参照.

202)  I- -Go 'iss-Da 「...している ( 動作の継続 ) 」.アスペクト.注 8), 60), 80) 参照.

203)  'eDDe-n 「何かの(なんらかの)」.朝鮮語では一般に疑問詞は「不定」の意味をも持ち得る.
これについてもいろいろな問題があり得る.

204)  II- -n Ges-'yn 'aNi'e-ssDa 「...したのではなかった」.これは一体いかなる形の否定形なのか? またテンスの関係はどうなっているのか? 詳しい考察が要求される.

( 36 )

205)  - -SyRe-n < - -SyRe'u-n( 連体形 ) .接尾辞 - -SyReb-Da の連体形は話し言葉であれ書き言葉であれ省略形が用いられることが多い.

206)  I- -Nyn Sa'i 「...する間に」分析的な形.

207)  III- -ss-Go .絶対的テンスか? 注 132), 170), 194) 参照.

208)  Ma'ag .副詞 Mag を引き伸ばして発音したものをそのまま表記したもの.会話文に多い.

209)  III- -Se 「...して」.この接続形の前後の節 ( 文 ) の主体が異なる時は,これは理由を表すことがある.このようなものをタクシスと呼んでよいかどうか? 注 155) 参照.

210)  BiGioJeg 「比較的」.この単語は日本語に似てこのままの形で副詞的に用いられる.わたくしはこの形は述語名詞あるいは形容名詞 ( 日本語のいわゆる形容動詞と似る ) と副詞との同音異義語であるとしたいが,人によってはそう考えない人もいるだろう.

( 37 )

211)  BaRam 「...姿」.このような名詞は, 「風」という意味でない限り,接尾辞的名詞と言ってよく, 「...姿」のようなものは不完全名詞とか接尾辞との差が曖昧である.多くの場合 「風」という意味の名詞が完全名詞だから,これも完全名詞扱いにされるに過ぎない.意味の違いにより不完全名詞扱いにされて悪いわけはないはずである.

212)  III- -ss'y-MyRo 「...したので」.絶対的テンスか? 注 109) 参照.

213)  Bo-Da 「見る」のいわば受身形 Bo-'i-Da 「見える」にさらに受身接尾辞 III- -Ji-Da が付いたもの.すべての受身形がダブった受身形を持ち得るのかどうか? ヴォイスについては基本的なことがまだ分かっていない.

( 38 )

214)  Hieq 「...さん {< 兄 >} 」 ( 中年男性への呼びかけ ) .自立語としての完全名詞 「兄,兄さん」とは異なり,この場合は接尾辞的名詞あるいは接尾辞であろう.

( 39 )

215)  () Mas(-'yr)-Bo-Da 「味見する,味わう」 ( 分離用言 ) の語形と見たい.名詞と動詞の間に副詞が入り込んだ.

216)  II- -r Te-i-Da 「...するつもりだ ( 意思 ) 」.注 175) 参照.この場合主体は聞き手である ( 疑問形 ) .

( 40 )

217)  - -Dyr .所謂複数の接尾辞 ( 「...たち」 ) と同じ形だが,名詞だけでなく助詞,さらには用言の接続形等に対いて主体の 「多数性」を表す.副助詞としての機能を持つと言えるだろう.

218)  II- -Si'io は II- -Si'o の方言形.中称命令形.この場合本来の尊敬の接尾辞 II-- -Si- はこの語尾に含まれていると言ってよいのだろう.

( 41 )

219)  III- -'io .命令形.叙述形 / 疑問形ならこの形の 「待遇法」は 「親しい上称」あたりだろうが,命令や勧誘の意味の場合は概してそれは下落し ( 日本語の場合も同じ ) ,中称あたりだろうか? 意外にこういうことは研究されていない.

220)  - -Dyr ( 副助詞.多数性 ) .注 217) 参照.

221)  I- -DynGa Mar-DynGa 「...しようとしまいと,...しようがしまいが」.分析的な形.接続形. I- -DynGa は終止形回想法 I- -De-nGa 「...したのか?」に由来する.

222)  I- -Ji Mar-Go 「...しないで」.補助動詞 Mar-Da は I- -Ji に付いて一種の否定形を成すが,主文は命令か勧誘か願望の文であることが多い.

( 42 )

223)  I- -DeNi 「...していたが」.接続形.この形は 「先行」タクシスを示すが,この形を取る動詞の動作は長いようである.普通この形を持つ文の主体は一つで,この場合この形の後ろに来る 「外にいた白いランニング・シャツ」が主語である.注 12) 参照.

224)  I- -Den( 連体形 ) . 'iss-Da 「いる」は形容詞的な用言だから,その過去形はこの形しかない.注 22) ;18), 134) 参照.

( 43 )

225)  子音+ - -'a / 母音+ - -'ia 「...よ ( 呼びかけ ) 」.話し言葉.これに似たものとして子音+ - -'i / 母音+ゼロというものがあるが, - -'a / - -'ia とゼロとの違いはもっと調べられてよい.前者は概して小学生や中学生あるいは高校生ぐらいまでの親しい目下あるいは対等の者に対して用いられ,後者は概してこれ以上の親しい間で用いられる ( これには名だけのものと姓名との2種類あり,後者は軽蔑が込められる ) .概して親は自分の子供に対して,また兄姉は弟妹に対して,子供あるいは弟妹の年齢に関係なく,前者を用いる傾向がある.このようなことは社会言語学的研究と言われ,言語政策論とか言語思想とかの研究よりずっと意義が大きい.

226)  I- -Ja-n Mar-'ia < I- -Ja-n Mar-'i-'ia 「...しようっていうんだよ」.終止形相当の分析的な形と言える. - -n は叙述形,疑問形,命令形,勧誘形等いろいろな語尾に付き得る.ただし - -n は Ha-n の省略形というわけではない.

( 44 )

227)  アスペクト ( 注 8), 60), 80), 202) 参照 ) ,連体形 ( 注 122), 124), 125), 127) 参照 ) ,相対的テンス 「同時」 ( 注 136), 147) 参照 ) .

228)  注 27) 参照.タクシス 「先行」 ( 注 131) 参照 ) .

( 45 )

229)  II- -Sio < II- -Si'o .注 218) 参照. SanqGoan Ma-Sio < SanqGoan-Ha-Ji Ma-Sio .このように - -Ha-Ji が話し言葉ではよく省略される.

230)  III- -'ia Doi-Da 「...しなければならない」.分析的な形.

231)  I- -nDa-Gu-'io / - -nDa-Go-'io < - -nDa Ha-Go-'io 「...しますよ」.命令形や勧誘形以外の叙述形,疑問形等々の下称形+ - -'io という形が話し言葉で多く用いられる.これらも用言のパラディグマに取り入れるべきである.

( 46 )

232)  III- -'ia-Ji < III- -'ia Ha-Ji 「...しなければ ( ならない ) よ」.話し言葉で多く用いられる.終止形としてだけでなく,このように接続形的にも用いられる.一般に I- -Ji は多様な意味を持ち,さらなる研究が期待される.

233)  II- -Mien 'an Doi-Da 「...したらだめだ」.分析的な形. 'an Doi-Da の部分は常に短い形である.

( 47 )

234)  - -Na / - -'iNa 「...でも」 ( 疑問詞や数詞以外の名詞に付いて ) .注 39), 103), 152) 参照.

235)  I- -Ji Mue-'ia 「...するよ」.話し言葉形.この正確な意味もまだ記述されていない.