菅野裕臣の




X ) 菅  野  雑  記   (5)

語学教師は教授たり得るか?

(2005/01)

 去年の秋に KK大学にお伺いしたのは 英語以外の外国語,例えば中国語などを英語でどのように教えるのだろうかということを見たいというのが第一の動機だった.それがまだ開講されていないためにそれの見学はかなわなかったが,アメリカ人インストラクターによる1年生の英語の授業を見せていただき,実に得るものが多かった.

 この大学は1年生に徹底的に英語を叩き込み,授業をすべて英語で行い,卒業までに外国留学を義務付けているという.わたくしははじめ この大学が目指すように 英語の聞き取りと話しが可能なほど 短期間に教育し得るものか非常に疑わしく思っていた.

 まずその大学に勤務する わたくしの知り合いのロシア人教授の説明を聞いた.彼は 1年生に対する英語教育がアメリカのある大学とタイアップして進められているが,教材も教授法も実によく出来ていると彼の意見を述べた.わたくしは彼と一緒にその授業を見学した.そのアメリカの大学で作成した教材に基づき アメリカ人インストラクターが手際よく,しかしきめ細かに,彼の作成したカードその他の副教材を使いながら,情熱的に指導していた.その日はたまたまその大学のブルガリア人教師が 英語でブルガリアの言語と文字を紹介する授業を設けていた.最後に学生にキリル文字で書いた自分の名前のカードを選ばせるのである.わたくしは わたくしをも含めて なまじ大学の教師がへたくそなスキルで,学生を引き付けられる魅力もないまま,無理に冗談を言いつつ進める授業よりも,このインストラクターの行う生き生きした授業に圧倒された.われわれは到底これにはかなわないと.

 わたくしはかねてからインストラクター instructor なる人による語学教育について聞いてはいた.ロシアの大学でも基本的に同じ方法で 語学は教師 / prepodavatel'によって行われていた.東京外国語大学に旧ソ同盟のモスクワ大学から来ていたロシア人教師は,単なる教師でしかない人間が日本の大学では 「教授」 と呼ばれていると言って 日本の制度をあざ笑ったことを覚えている.

 戦後大学に昇格した外国語専門学校は 大学としてのカリキュラムを文部省の指令によって文学部のそれに準じた.戦前にあった大学は 法令に従えば旧制帝国大学だけだった.わたくしが助手を務めた九州大学文学部は 教授も助教授も講義 (教授のオリジナルな研究),購読 (主として外国語による原典の読解),演習 (主として外国文による論文の読解を通して学ぶ研究法) の3点セット,つまり週3コマの授業だけを持っていたし,他の旧制帝大もみなそうだと聞いていた.つまり大学が研究と教育を旨とするという場合,大学教師の新しい研究を講義と言う形で学生に紹介し,1年たった暁には講義録が論文なり本になるという寸法である.これは理想的な大学や教授の像であって,実際には特に新設大学では行われるはずもなかった.理系になると講読が実験と名を変えたらしい.さらに外国語学部になると講義 (語学教師の場合) や講読が語学の授業となり,語学2コマ分が普通の授業の1コマ分に相当するから,外国語学部の語学教師は語学を担当する分だけ持ちコマが多くなり,週5コマ,語学以外の教師は4コマとなるのだと聞いた.東京外大では 専門学校時代からの語学教師は講義,講読,演習の3点セットの意味もまったく分からなかったから,5コマ分を何の区別もなく語学に当てていた.つまり内容は専門学校時代と変わるところがなかったのである.その弟子もそんなものだと思い,卒業して母校の教壇に立つのだから,新しい語学科が出来た分,正に拡大再生産が行われるのだった.

 東京外大の卒業生もだんだんと他大学の大学院に入り,単なる語学生も言語学,文学,その他の専攻に分かれるようになると,彼らの間にも母校の非大学性があらわになってくる.もともと 「事情」 の名に一括される社会科学,人文科学の教師たちは 大学とは名ばかりの学校の質の低さにあきれたらしかった.もともと他大学出身の教師は東京外大出身者を,他大学大学院を知っている東京外大出身者はそれを知らない東京外大出身者を たいそう馬鹿にしたものである.特に AA研の教師は 殊のほか東京外大の学部を軽蔑し,なにかにつけ学部に対し非協力的だった.わたくしは 彼らの非協力ぶりはけしからんとは思いつつ,学部が軽蔑されてもしようがない面を多々持っていることを知っていた.それでも旧制専門学校出身者がいなくなりだした頃から 少しはましになるきざしが出てきたろうか? 大学の理念とか制度とかいうことになると語学馬鹿といわれる語学教師の出番ではないので,どうしてもそういう分野では事情教師や教養科目の教師の発言が大きくなる.それで語学教師と事情‐教養科目の教師との対立が生じた.もっとも後者の台頭が目覚しくなるにつれ,そして前者もなまじ言語学だの文学だの学問の帰属意識を持ち出すにつれて 東京外大の教師全体の語学能力が著しく低下したとは,旧制専門学校世代の教師の意見だった.多分その発言は当たっていたろうと思う. 

 新制大学のカリキュラムは文部省によって厳密に縛られているし,語学の授業の数は専門学校時代のそれより足りないし,科によっては非語学の科目でさえ 名目とは違って実質的に語学の授業にしてしまう始末だった.ある科では 語学の堪能な事情教師に発音を担当させ,うちの科はおかげでずいぶん助かっていると言って自慢していたが,多くの科では事情教師の質におかまいなしに 科の専任教官には語学を均等に担当させていた.

 さてわたくしも東京外大生としての経験から 他の多くの人と同じく大学に不満を持ち,東京外大の大学化のために,上昇志向を持って,努力したことは多くの東京外大出身者たちと同じだったが,今振り返ってみるに,戦後の大学行政における似非民主化と平等化の波に乗って皆が行った努力は 徒労に終わっただけではなかったかと思う.つまり旧専門学校の大学化など 土台無理だったのである.専門学校の土壌はいくら清めようとしても変わらないものが いつまでも残った.そしてまたこの平均化が また旧制帝大を含むいわゆる大学の堕落をも生んだのだと思う.

 新制大学の枠組みの中では 外国語学部なるものの擬似文学部的解釈のもとで 従来の語学教師も 「教授」 として遇され,他方 非語学教師も語学教師と同じ授業を持たされたが,これすべて平等主義のなせるところである.所詮言語学と語学教育とは密接な関係があるが異なるもの,わたくしはかつて外国語学部において言語,文学,事情などすべての discipline において語学教育は共通のものであり,文学,事情の教員も語学教育の基礎は言語の教員とともに共有しなければならないという認識を持ったことがあったが,これも無理があり,結局は専門学校の語学と 「大学」 の授業との混同にもとづく誤りでしかなかったのではなかったかと思っている.

 はっきり言えば 大学教育において平等主義が行き詰ってしまった現状を考えれば (教育の大衆化にともない真の大学がなくなってしまった),これを打開する道はいわゆる大学自体に格差を設けること (教養的な大学と大学院大学),授業の中にも格差を設けること (教える授業 ― 語学他 ― と 講義の授業) ぐらいから始めるしかあるまいと思う.ジャーナリストや会社の経営者,タレントが大学の教師となる時世であるから,ますますこの格差を置かないことには いわゆる 「研究者」 の居所がなくなる.研究者,特に外国研究に携わる者は当該国を食い物にして生きられる人種で,研究所や大学に寄生するしかない存在だが,ますます居場所が狭められている.

 神田外大は典型的な教養大学であり,だから韓国語学科は大学院を置かず,進学希望者は他大学に送ってきた.そこで見せられたのは,大学院の教師たち,特に能力もない連中の牛耳る不公平さ,水準の低さ,無責任ぶりであり,旧制帝大も含め,大学院の大変な堕落ぶりだった.本当の意味で朝鮮研究を志す者など日本全国でもそう多くないはずなのに,あちこちの大学でやたらに大学院を置いたが,その質が低いのみならず,東大大学院に出来た朝鮮学専攻には学生が集まらないという始末である.ある大学の大学院では 自分たちは身を入れて指導したくないものだから,出来上がった学生を取ろうとするが,そんな学生などいるはずもないのである.ある大学院の教師は非常に狭い専攻を持つが,自分は能力がないから自分の専攻に近い学生だけを取ることにし,学生定員を埋めないと文部省がうるさいからその分は留学生で埋めると言い,自分の置かれた立場を自覚しているとは言えない.

 ここにおいてわたくしは すべからく大学だけでなく 一般に学校で語学教育に正当な地位を与えること,すなわちその教授法は一定の学問的背景を要するとしても,それ自体は学問ではないことをはっきり認めた上で 降格することが必要であろうと思う.つまりそれに携わる者はせいぜいインストラクターであり,論文を無理して書くことを要しない教師であればよいのである.このことは決してインストラクターの地位を貶めるものではなく,それと研究職との違いをはっきり認識すべきだということである.勿論インストラクターは語学教育には絶対の責任を持たされる.そしていまやそのインストラクターを養成する大学院が必要だろうという認識を持つに到った.

 大学の教師は語学の授業はすべてインストラクターに任せ,自らは自分の分野の研究と教育に専念すればよいと思う.そうでないと 大学から学問自体もなくなってしまう.KK大学のロシア人教授も言っていたが,言語の専門家がいてくれないと ああいうインストラクターのような授業は自分たちでは到底出来ないとのことだが,さもありなんと思う.

 さて 朝鮮語についてそういうインストラクターが日本にいるかということになると,まずいないというのが本当のところである.今 日本で朝鮮語は初級の授業を取る学生が急増していて これを教えられる真に語学の教員が不足しているが,これはどうやら 「冬ソナ」 ブームに由来しているらしいから,いつまでこういう現象が続くのか分からない.もっともこの異常な現象を,なにはともあれ自分たちの出番が増えるものだから,歓迎するという愚かな朝鮮語教師も少なくないようだ.とまれこのような教員の養成が急務だとしても,直ちに間に合うわけではない.また KK大学のインストラクターが使用している英語の教材に匹敵するものが 朝鮮語で出来上がっているわけでもない.韓国は一部の大学の語学教育機関では,外国人に対する朝鮮語教育の豊富な経験から,学習者の言語の違いに応じた指導の必要性が自覚され,とりあえず日本人と非日本人の学級が設けられているが,多くの場合学習者の言語の違いにおかまいなく 「統一教材」 を作ろうとする傾向が強い.その結果は 朝鮮語の難易度はまったく考慮されることなく,いきなり語学的に難しいものが出てきた後に易しいものが続くという類の教材が多い.学生は理解できないと自分の頭の悪さに悩まざるを得ないという罪作りなものである.

 正直言うと,わたくしは 旧制専門学校よりも語学の授業時間が少ない新制大学の外国語学部で会話の指導など出来るはずもなく,日本で会話をやるぐらいなら地理的に近い韓国に行って学んだ方が早いと考えた.今でも日本できちんとした教材が作れないくらいなら,その方がよいと思っている.しかし語学専門の大学,しかも語学以外についてはほとんど教養程度の意味しかない大学では,教材の作り方とよく訓練された優れた教師 (インストラクター) とそういう教師の熱心な指導によっては それは可能だろうと思う.現に中国,韓国などの国の外国語大学の語学教育はそういうものである.学生は語学は抜群によく出来るが,学問的基礎はないというものである.それでよいではないか? 語学をやった後でそれにあきたらない者は さらに学問の道に進めばよいのだから.要は新制大学のように語学と学問を混同し,両者とも ものに出来ないという曖昧さをなくすことである.

 日本における朝鮮語教育 - 学習の現状を見るに,朝鮮語学習者がいくら増えても朝鮮研究の質が上がるわけでもなし,数多くある朝鮮語関係の大学院は すべからく朝鮮語教育に従事する者を養成するためのものに改変し,朝鮮語学を含む朝鮮研究のための大学院はせいぜい全国に1箇所あればよく,そのためには それこそ多角的な朝鮮語学研究をも保障し得るようなきちんとしたものに改変する必要がある.日本は 上から行われた大学の改革で 関東と関西のくだらない対立の構図はずいぶんなくなったようだが,まだまだ不公平な面が残っている.

 KK大学での授業参観は大学での従来の語学教育についていろいろと考えさせてくれるまことに有益なものだった.