菅野裕臣の




X ) 菅  野  雑  記  (2)

学者と語学

(2005/01)

 最近 International Workshop on Xinjiang Historical Sources というたいそう難しい学会に 柄でもなく参加させていただいた.発表者は日本,ウズベキスタン,カザクスタン,中国,韓国,アメリカ,フランス,ドイツ,イギリスの歴史学者,民族で言えばウイグル人,ハンガリー人を含んでいた.新疆維吾爾自治区が絡むので ヨーロッパ人を含む多くの人が中国語,漢文を解するのは勿論,当然のことながらファールスィーもチャガタイ文語も読め,またウズベク語とかトルコ語をあやつる人が多く,また論文を読む都合からもロシア語をほとんどの人が読む.日本人の学者は一部の人を除いて決して英語が上手と言うわけではないが,みな堂々と英語でやり合っていた.またウズベキスタン,カザクスタンといった旧ソ同盟の国の人々とは違ってヨーロッパ人は決してロシア語が上手なわけではないが,必要に応じてしゃべった.ソ同盟崩壊後はや 10年以上は過ぎ,ロシア人も中央アジアの人々も英語が上手になった.日本人の学者も多くの言語をあやつる人がいた.

 わたくしは東洋文庫にいた時 そこにおられた著名な歴史学者たちが いくつもの言語を自由に読み書きするのを見て度肝を抜かれたことがある.彼らは必要に応じてただちに学習を開始した.例えば田川孝三先生は 韓露関係に関心を持った時に満洲語とロシア語を勉強した.

これに比べると 語学屋といわれる人たちのなんと狭いことか.わたくしのいた東京外国語大学というところのドイツ語学,フランス語学の専門家たちは自己の専攻の語学に酔いしれるのみ,他国の言語学の事情などお構いなく,非常に狭かった.勿論 世に英語教師といわれる人々は数多くいるが,英語しか知らない者を英語教師と呼ぶのであって,英語以外の外国語を知らないものが英語を国際語などと宣言するのだから,いったいその人たちの世界はどの程度のものなのか? だいたい彼らにとってアメリカだけが世界のすべてである.

 だいたい外国語の苦手な者が日本研究をするものと相場が決まっていた.亀井孝先生のようにギリシャ,ラテンが出来,ドイツ語で日本語学の講義をしたなどというのは例外中の例外だった.ひるがえって朝鮮の世界を眺めると これまた日本研究者とどっこいどっこいである.河野六郎先生のような方はまったくの例外だった.いまは朝鮮語が出来てあたりまえというようになったが,ちょっと前までは朝鮮史の研究には漢文だけ出来ればよいといって 朝鮮語の知識のないものまでいた.わたくしは,韓国のある歴史学者が日本に来た時,この人が さる著名な朝鮮史学者と意見を交換したかったが,韓国人は日本語がわからず,その日本人は朝鮮語も英語もしゃべれず,結局挨拶だけで終わってしまった; 自分が日本語を知っていればよいのだろうが,朝鮮研究者なら,せめて朝鮮語なり英語なりを知っていてくれるべきではないか と言っていたのを記憶している.

 旧ソ同盟時代にモスクワで行われた国際東洋学者会議には 日本から英語の分からない日本史学者が大挙押しかけ,日本史部会で日本人どうしが日本語で論争をしあったという話を聞いたものだが,去年モスクワで行われた ICANAS 大会の日本史部会では 日本語で話したがる外国人研究者に助けられて 日本人がまたまた日本語で発表したと聞いた.日本も大国入りを果たすと 得なこともあるものである.もっともこれに参加した日本人中央アジア研究者 (ファールスィーもウズベク語も解する) は堂々とロシア語で発表した.

 もっとも AKSE (国際朝鮮学会) はほとんど英語,フランス語,ドイツ語を用い,朝鮮語の発表は少ない.ICKL (国際朝鮮語学集団) は在米韓国人あるいはアメリカ留学経験者たちからなる学会だが,発表はもっぱら英語で行われる.

 朝鮮研究も世界の各地に広がりだした.欧米で 日本学か中国学の付随物だった朝鮮研究も それから独立しだした.昔も今も 欧米では朝鮮を研究する者は中国語も日本語もたいてい出来,常に朝鮮を中国,日本と比較している.例えばロシアのサンクト・ペテルブルクの朝鮮文学研究者がそうで,紫式部をもよく知っていた.

 朝鮮研究が日本の専売特許だった時代はとうに去った.ソウル大学の朝鮮史専攻の大学院生はもはや日本語を知る必要なく,日本人の論文を読むことなく,日本人の研究を追い抜いているとある日本人朝鮮史学者から聞いた.

 韓国は以前から学術関係で日本にさほど援助せず,多分日本が唯一韓国の援助なしで朝鮮研究を維持してきた国であるとは言える.しかし韓国のこの意図は どうやら民族主義のなせるところばかりではないらしい.わたくしが小耳に挟んだところでは 韓国人自身がどうも日本人にさほど期待しておらず,欧米人には莫大な投資をしているのである.そして 欧米人学者は学生を育てる時に日本人の書いたものを重要視しないというより,ほとんど眼中にないらしい.もはや漢文も読み,中国語も日本語も自由にあやつる彼らには 日本人の業績はたいしたものとはうつらないらしいのである.げにお目でたきは どうせ欧米人に漢文は無理なのさと高をくくる日本人のみ,いつの間にか日本人は欧米人に出し抜かれたという時代になったのである.

 中国の近代化に伴い欧米でも中国風が吹き,優秀な者はみな中国研究になびき,そこからこぼれた者が朝鮮,日本研究を志すという図式らしい.日本で外国語の出来ない者が日本,朝鮮研究に走るのと似ている.

 日本の朝鮮語学については別に論じたいが,日本と韓国を視野に入れただけでよい時代は そのうち終わりを告げるに違いない.母国語もよく分からない韓国人留学生が英語で博士号が取れないことに目覚めて にわか仕込みの韓国語学研究でアメリカで博士号を取り,誰よりも愛する英語だけを 「国際語」 として学会で駆使する 生成文法しか知らぬ韓国人言語学者が闊歩するうちは,日本人は彼らにさほど脅威を感ずることはない.はっきり言ってアメリカに数多くいる韓国人 「言語学者」 よりも 数人しかいないアメリカ人朝鮮語学者の方がはるかに優秀ではないか.本当に頭のよいヨーロッパ人研究者が現れた時,われわれは朝鮮語学とて英語その他でやらざるを得なくなるであろう.そういう時代はかならず来る.

 英語の出来ないわたくしがワークショップで分かったのはこのくらいなものである.