三枝壽勝の乱文乱筆


ガイコツジンなんかこわくない − 複製時代のぼくら −

『総合文化研究』 5号、東京外国語大学総合文化研究所、2002.3月
- あれっ、死んでたんじゃなかったの。久しぶり、いつあの世から戻ったん?
- あの世なんかねえよ。死んだらね、時間なんかないから、久しぶりも関係ねえんだよな。
- それにしても、死んだ人間と話せるなんてめったにないよな。どこにいたんだい。
- だから、どこにもいねえってこと。時間がないってこた、いるとこねえってこと。
- 時間がなきゃ、どっかでじっとしてるんだろ。
- わかってねえじゃんか。ほら昔あったろ、飛んでる矢はとまってるって逆説。
- ああ、空中を飛んでる矢は、途中で空間の各点をすべて通過するから、ある特定の時刻を考えると、そのときには空間のどこか特定の点にいるって話ね。ある時刻に空間のある点に止まっている矢が、結果としては空中を飛んでいることになる、つまり止まっている矢が飛んでいるって話ね。
- そう、あの話さ、ちっともパラドックスじゃないのに、いまだに解説で使われているじゃん。そもそも止まっているとか動いているってのは、異なる時刻における、それぞれの時点での位置を比較しなきゃなんねえんだよな。ある一つの時点での位置だけ見て、それが動いているか止まっているかについちゃ、結論は何にも出ないよな。だから、ある時刻に矢がある特定の位置にいるってことだけから、止まっているとも動いているとも、断定できねえだろ。だからどこにも逆説なんかないじゃねえの。こんなの要するに言葉の定義、概念の問題を反省するだけで解消しちまうんだ。
- そりゃそうだよね。いまでも本に出てるけど、もう何千年も経ってるんだから、そろそろ削除するか、問題の出し方変えるべきだよな。
- でね、この言い方だって、かなり雑なんだよな。動いているか止まっているかに、時間が関係してるってな、あたりまえさ。けどさ、そもそも物事が存在するかどうかだって、同じだってこと。だってさ、あるって現象はさ、時間なしに考えられないよな。
- ん? 存在と時間の相関性ってこと? どちらも他方なしに単独じゃ考えられないってことね。
- だからさ、俺にゃ時間が関係ねえってこた、俺には存在なんて関係ねえってこと。
- ああ、それを言いたかったの。どうせ死んでるんだから、どこにいたって同じだけどね。
- だからさ、どこにもいるわけじゃねえっての。
- じゃ、何が残るんだい。
- 何ってやいいんだろ。関係性の痕跡ってとこか。
- それでいいよ。要するに感ずるゆえんあって現われたってことね。鬼神感ずるがゆえなり、って昔カイアン先生が言ってたっけ。
- 高校生の会話みたいじゃねえの、なつかしいね。
- 今年はとんでもない年だったろ。ニューヨクのビルが、自爆心中攻撃で、影も形もなくなっちまったんだからね。だのに、中国じゃさっそくその事件のオモチャを売りだすし、ちゃっかりしてるよね。
- ふんふん。でもちゃっかりしてるのは中国人だけじゃねえだろう?
- なんで?
- どうせいつものこと、世の中乱れると、他人の不幸ネタにして原稿料かせいだり、名前売る絶好のチャンスってやつ、ぞろぞろ出てきたんじゃねえの?
- まあまあ。で、事件が起ったとたん、アメリカの大統領が戦争だって宣言したじゃない。国家が個人に対して戦争だってんだ。
- 個人が国家と対等だってやつ、聞いたことあるぜ。
- 誰? 朕は国家なんたらってやつ?
- じゃねえよ。ほら偽札事件で騒がれた画家、ほら、あの野次馬ゲンペイ。
- ああ、新聞社の出してる週刊誌に、「アカイアカイアサヒアサヒ」って国定教科書のパロディ載せてから、欄外に「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」って書いたもんで、回収するやら責任者処分するやらで、大騒動の張本人。
- そうそう、わたしは日本国に通貨不安をひき起したのだから、日本国と対等の緊張関係に置かれた一国家なのである、とかなんとかいっちゃってね。
- だけどやっぱり、個人は個人だぜ。ドス一丁かまえた男が、ミサイルに立ち向かってる戦争なんて、マンガにもなんないよな。世界中が脅えちまって、テロのどこが悪い、なんて言う勇気のあるやつなんかいなくてさ。テロは悪い、戦争ならいくら殺しても文句あるかって、すごんでるんだ。
- テロで世界中、一番荒し回ってた張本人たちが、そんなこと言ってるんだからせわねえよ。
- そりゃ、自分がやりゃテロでなく、ほかがやりゃテロだって言ってるだけだからね。テロが良いって言ってるわけじゃないけどね、あのビル崩壊する画面見てスカッとした気分になったんだ。ありゃ、何だったんだろうね。
- そりゃ、他所の国でテロやって荒しまくってた当事者だって、たまには同じことやられることありますよ、ってこと見せつけたからじゃねえのかな。
- そうかな。 だけどね、その後の爆撃の画面見ると、悲惨さばかりで気分が落ち込むね。すごくヒステリックじゃない。こんなこと真珠湾いらい初めてだとかいってね。
- おい違うぞ、あんときゃ、ハワイはまだアメリカの本土じゃないぜ。彼らが併合した植民地だったじゃねえの。
- あっ、それと同じこと、チョム先生も言ってた。しかも、西欧各国が野蛮なやりかたで支配してる地域の犠牲者から、本土を攻撃されたのは、今回が有史以来、初めてのことだって。だから、彼らにとってショックだったんだってね。なるほどね。世界ってまだ相変わらずなんだ。
- 世の中なんかちっとも変わってねえよ。悪くも良くもなってやしねえぜ。復讐に執念さえ燃やしゃ、正義になるんだ。どんな行為だって正当化されるぜ、残虐な殺人だって快感に変わるんじゃねえの。
- そうかな。あんなの見てると、昔の領主たちがやってた狩りを思い出すよ。動物の代りに人間、追いこんで狩りたて、一方的に殺しまくるってやつ。昔の風俗画でも、試し切りや、試し射ちの絵見た憶えがあるね。
- 同じだぜ。道具だけが進んでるのさ。
- そんでさ、捕まえた獲物を、グアンタナモだかの基地に運んでさ、再生人に改造して特殊工作に使おうってのかな。
- あいつらさ、昔な、日本の将棋は、捕虜になった敵の駒を、自分の方でまた使うから、捕虜虐待の象徴だって騒いでたんだぜ。
- そうやって、人間を死ねない状態に追い込むってことだからね。
- そうそう、思い出した。大分前、実尾島事件ってのあっただろ。もう忘れちまったかな。
- 憶えてるよ、死刑なんかで、ほんとはこの世にいないはずの人間たちを、離れ島に集めて特殊作戦の訓練やってたって話だろ。
- あんときゃ、びっくりしたぜ。俺たちの目の前に、こんなことが今でもあったってんだからな。
- あれ、その後どうなったんかな。訓練があんまり苦しいってんで、反乱起してニュースになったんだよね。
- 報道ストップして、あとどうなったか分らないけど、たぶん、あれで今度は、晴れてほんとに、あの世の人間になれたんじゃねえの。
- これからも、そのすごい道具持って公認されてるやつらが、逃げるやつ後ろから撃って、正当防衛でしたって、すまして言う風潮が広がるんだろうな。世界の人口が増えすぎたから、ちっとは減らしましょって陰謀なんかな。
- 人口の何が問題になるんだよ。
- 今ざっと六〇億じゃないか、その五分の一は中国ね。今世紀末までに九〇億ぐらいになってから、段々減るって予想があるね。いや八四億で止まるという説もある。めでたいことだ。ただし六〇歳以上の人口は三〇パーセントを越えるし、アフリカはエイズの影響で増え方が鈍いがそれでも倍にはなるとか。
- その程度ですむんか? もっともっと、地球上には人が住めるんじゃねえの?
- ちょっと計算すりゃいいよ。地球上の陸地の面積が一億五千萬平方キロメートル、だから一メートル四方に一人ずつ立たせりゃ、一兆五千億人立ってられるよ。
- それじゃ、どこもかも満員電車みたいにぎっしりで、身動きもできないぜ。
- もっとあるよ。地球上で生産されるエネルギーは、結局、太陽から提供されるもので補充されるだろ。だから、毎日地球上に降り注ぐ太陽エネルギーを、全て食糧に換えちまうと、その千倍、千八百兆人も養えるんだ。もう地球上に、人間が団子になって、蛆虫みたいに重なってうごめいてんの。
- エネルギーが全部食糧になってるんだろ。電気も着物も何にもないぞ、光もないんだから、世の中真っ暗だぜ。そんなかで人間は裸で積み重なってんだぞ。
- まあな。これだけかたまってりゃ寒くはないさ。でも、パラパラ宇宙に振り落とされるやつも出て来るだろうな。
- 共食いしねえのかな。
- そんなことしたら、異常プリオンで死んじまうよ。食用人間なんてことになったら、人間も焼却処分されるんだろうな。狂牛病の事件も妙だったね。学生に教わって、ゼロリスク症候群って言葉知ったけど、僕らってすぐにパニック起こすのね。食っても構わないのに牛肉が売れなくて。これだって、当事者には死活問題だけど、追い詰める側では好みの問題程度なんだ。
- だけどな、どんなに非現実的だって、理論的にわずかでもリスクがあれば許せないって発想と、テロ勢力は根絶しなけりゃいけないっていう非寛容潔癖思想とは、どっか似た感じがするぞ。どいつもこいつも同じだぜ。
- 異質な他者は排除され、差別されるんだ。うちでもセクシャルハラスメントの委員会あるけど、処分までゆくのは結局は異質な文化を背景にもつ外国人だろ。日本人には、どこにでも転職する自由が認められるべきだって言いながら、外国人には仕事を続ける自由も認めないしね。
- 差別なんてなくなりゃしねえよ。学者が研究するために、材料として残してあるんじゃねえの。
- ぼくだって、申請もしなかったのに、学会の名簿から削除してくれたしね。差別の原則からいくと、そのうち、ぼくたちが追い出されたことが正当化されるんだろうね。本人たちの人間性に問題があって、そんな仕打ちを受けるのは、本人の責任だから当然だったんだってね。
- だけど、だれもそんな個人的な話にゃ興味ないぜ。人間なんて冷たいんだ。俺たちの遠い親戚の、大腸菌やら、線虫エレガンス、ショウジョウバエに、カエルにマウスたち、名門一族が実験台になって、どんなに悲惨な目にあってるのか、考えても見ろってんだよ。
- なんで、いきなり、大腸菌なんだよ。話を飛躍させるなよ。
- あんたもいっぺん死んでみなよ。人間ってたいしたことないぜ。人類がアフリカからユーラシア大陸に出てきたときゃ、二百人だったってんだろ。それから十五万年ほどで、今みたいになったってんだ。たったそれぐらいの時間しか経ってねえんだよな。昔は早熟だから十歳で子供生んだとしても、一万五千世代じゃねえの。一世代ずつ代表一人出して、一列に並んでも十キロになんねえよ、目のまえだぜ。
- 虚しくなる感じだよ。
- 新しいとこ引越ししたのに、頭ちっとも新鮮じゃねえな?
- なんにも変わんなかったのかな。世界一応対の不親切な図書館も、相変わらずだしね。
- 例のあれね。利用者の言葉遣いが悪いって言ったり、質問したら、後むいて上司と相談始めちゃうってやつか。
- ほら、いつだか非常勤の人がきて、こんなにひどいのは、北朝鮮ぐらいじゃないかって、言ったじゃない。そしたら、それ聞いた朝鮮大学の先生が、うちの国の図書館だってこんなに不親切じゃないですよって反論したよね。
- あいつら自動販売機になりたがってんじゃねえの? 私らの理想像でーすって。
- われらの願いは、自動販売機ってとこか。
- まあな。
- なにか言ったら、いったい何を、どうすればいいんですか、だって。逆に反論してくんだよ。
- そのくせ、改善のためのアンケートには答えろ、とか高圧的なことは、平気でやるんじゃねえのかな。
- まさにそのとおり。学生や利用者のことより、上部への報告と、御機嫌うかがいなのね。それでも、教育的配慮と言う点では、事務官はまだ教官よりましなんだからね。
- 教育ってな教官の役目だぜ。
- ところが、学生の処分なんてことになると、杓子定規で、厳しくしろってのは、教官のほうなのね。
- おれも昔見たぜ。盗作問題で社会を騒がせた教授が、大学だって社会の一部だから、学生を甘えさせるな、とか言ってたぞ。自分が辞めなくてすんだのは、大学で一般社会の常識通用しなかったからだっての、気がつかねえふりして、とぼけてるんだ。
- 今でも、教授昇任審査のとき、こんなの論文って言えるんかって問題になったの書いた先生が、処分は厳密にしろって言ってるの見ちゃったな。
- 結局、新しい環境になったって、何にも変わってねえじゃねえの。
- 変わったことあるよ。清潔でモダンな人工空間っての、精神状態をおかしくするらしいしね。周辺の環境も変だよ。郵便物がちょくちょく行方不明で着かないしね。海外から三日でくるはずのEMSが、一週間以上になったりとか、妙なことが多いよ。郵政監察室に言っても、外部で分かる以上の答えはしてくれないしね。
- 前にもそんなことなかったっけ? 朝鮮大学の先生に郵送したレポートが消えちまったじゃん。
- 前はその程度で済んだよね。それから、エイジェントの学生の配置も、変わったみたいだね。プロの方は、相変わらずのポジション守って頑張ってるみたいだけどね。
- あんたに、そんなこと分かるわけねえだろ。
- 感じだけね。でも、昔だったら、首がいくつあっても足りなかったろうに、未だに首がつながってるとは、あり難い御世でござる、なんてガイコツ先生も言ってたっけ。
- また先生か?
- 最近は事件起す方が、大胆で露骨だよね。記事が突然消えたり、背後の演出者は隠れたままとか。どうやら、捕まえちゃいけない犯罪者ってのが、いるんじゃないかね。そんなこと知らないで、うっかり捕まえたりすると、あとで仕返しが大変なんだよな。
- 錯覚してるんじゃねえの。やったことで決まるんじゃねえだろ。お上ににらまれりゃ、誰だって犯罪者になれるんじゃねえの。
- 錯覚なんかしてないよ。僕らの住んでるとこって、外から見りゃ羨ましいぐらい、模範的な全体主義の社会だよね。アメリカとの戦争に負けたとたん、民主主義に変わったはずなんかないよね。韓国や台湾とは違うだろ。
- 戦争に負けたやましさを、ごまかすため、勘違いしたか、自己欺瞞に陥ったんだぜ。自尊心を維持するための態度さ。本来の自分たちは、あんなんじゃなかったんだとかいってごまかしてさ、民主主義者って態度とってるんだ。そのくせ、世の中、批判する時にゃ、いつでも身をひけるように一休みの用意してさ、自己保身と利己主義だけは手放さないってのさ。
- 周り見ても虚しいけど、自分見ても虚しいね。朝鮮文学やってます、なんとか言ってきたけど、そんなもの、学問でも何でもなかったんだよな。そういや、あんたも生きてるとき、似たようなこと言ってたっけね。
- 俺の場合は、やってることが、どの程度の水準かってのが、気になってたんじゃなかったっけ。
- ほんとは朝鮮文学だけでなく、歴史だって、言語だって、朝鮮なんとかって頭につけたものなんて、学問として成り立つはずなかったんだよね。
- そう言いながら、あんただって翻訳出したり、本国で論文書いたりして、やってきたじゃねえの。おれは日本でいっぱい本出したけど、本国と交流する前に、死んじまったんだぜ。
- 本国でどう言われたからって、関係ないさ。そんなこた、彼らにまかしときゃいいんだ。外国の文化を研究するっての、僕らが異質な文化や発想法を、どれくらい理解できるかっていう、僕らの社会における探求だったけど、結局、何にも成果なかったって感じだね。たとえばさ、また例の翻訳のこと。
- 例のって?
- 何人かで翻訳した下原稿を、出版社の編集の担当者に、見てもらったんだ。そしたら、ちょっと語学力が、どうかなって心配だった人の原稿が問題ないって、まず合格したのね。
- そりゃ、その人が、日本語の表現に気をつかったからだろう。編集の人って、読者を代弁してるんで、その人がよくないって思ったのは一般の読者に読めねえ、読む気なくす物だ、ってことじゃねえの。そりゃ翻訳として落第さ。やっぱり、原文がどうだなんて一生懸命になる前に、日本語の表現のことに力を注っげっての。
- うーん。でね、僕たち、少なくとも僕あ、外国文学の翻訳ってな、異質な考え方や、表現の仕方まで含めて、理解しようとする試みの一つだと思ってたの。だとすりゃ、自然な日本語からすると、ちょっと違和感ある表現や、言いまわしだって、生かさなきゃって思ったのね。それは原文に捉われすぎだの、不自然な日本語というのとは、一寸違うかなって思ってたんだけどね。
- そりゃな。だけんど、日本じゃ、常識的な日本語の表現からはずれたものなんか許さねえだろ。
- まあな。じゃあ、僕らは、あんまり原文の持っている細かいとこにこだわらず、おおざっぱに見てから、あとは日本の読者に受け入れられるよう努力すべきだということ?
- そりゃおかしいぜ。原文はそれとして、徹底的に厳密に理解しておいてさ、その伝えようとすることを、把握した上で、日本語の表現に努力しろということじゃねえの。
- あんたいつのまにか、おおざっぱな言い方するようになったね。
- どっか違ってる?
- いや、原文の発想法や表現法が、ぼくらのものと違ってたら、それは、どう訳しても違和感が残るんじゃないの?
- それさ、ただ抽象的に言い合ってても、結論でないぜ。具体的な例でも、挙げてから言わなきゃ。
- あるよ。またまた金素雲に登場してもらおうか。彼の翻訳は名訳だという評判が高いよね。彼のすごい日本語に感動して、ファンになった日本人て多いらしいんだ。ところが、この翻訳を原文と対照するとね、かなり違っているんだ。だけど、それは彼が原文に対する深い理解を持っていて、原詩の味わいを生かすために、原文に則して訳さず、その伝えようとすることを、最大限に発揮できる表現法を使ったからだ、というのね。一見すると原詩とは対応しない日本語になっているだろ。まさに翻訳は第二の創作だ、ということの例なんだとね。普通だったら、これになかなか反論できないよね。いったい原詩を深く味わうってことを、客観的に示すなんて難しいことだし、解釈が人によって違う可能性だってあるからね。
- そりゃそうだぜ。一つの解釈だけが正しいってのはなさそうだぜ。
- 文学ってそんな曖昧なもんなんかね。だけど僕は最近、金素雲が意外に原文を正しく読んでいなかったこと、証明しちゃったんだ。
- そんなことできるか。彼、朝鮮人なんだぜ。彼の読む朝鮮語の詩の読み方に、いちゃもんなんかつけられねえぞ。
- もちろん決着がつかない話で議論しても、何にもなんないよね。僕はもっと単純な、誰が見てもわかるとこで話をしようっての。
- どうやって?
- じつは彼が翻訳した詩を、原文と比べると、彼の原文の読み方が、かなりいいかげんだって分かるんだ。
- どこが?
- 彼はね、自分の使ったテキストの誤植を一切訂正してないの。色々なテキストを比べれば、どれが正しいかすぐ分かるだろう。その程度にしか原文を見てないの。
- だって、昔は原文を探すって、大変だったんじゃねえの?
- だけどね、同じ原詩のテキストを二つ見ているときでも、どっちが正しいかって考えなかったみたいなんだ。適当にどれか一つを選んでるんだ。とてつもない脱落があっても、適当に補ってつじつま合わせてるのね。
- それぐらいありうるんじゃねえの。要は原文の味わいを、全体として正しく把握してるかどうかだろ。
- だけどね、彼がそれほど正確に、原文を読んでなかったことはすぐ分かるよ。たとえば原文のハングルを、似たような他の字と勘違いしてるらしいとこもあるしね。もっと凄いのは、彼は朝鮮語で漢字を、正しく読めなかったふしがあるんだ。ごていねいに、間違えて読んだ漢字に翻訳では日本語のルビまで振ってあるんだ。
- 彼は正規の教育を受けてなくて、猛烈な独学をしたんだっけ?
- そうらしいね。それも日本語の方だろうね。朝鮮語は日常会話以外の教養は、どれほどだったんだろうね? 漢字の読み間違いから推測すると、教養ある朝鮮人の必読書だった『詩経』も見てなかったらしいんだ。
- でも、だからって、彼が朝鮮の近代詩を、日本語に翻訳する資格がなかった、とは言えねえだろ?
- そうだよ。問題にしてるのは、その翻訳の仕方さ。
- だからさ、たまに間違いがあったって、全体として問題になるんかどうかだろ。
- でね、さっき言った原文の読み間違いだけど、あんなに原文を間違えて読んでるのに、翻訳された詩は、ちっともおかしくないのね。
- どういうこと?
- だって、彼の翻訳では文脈なんか関係ないの。彼の訳詩は、雰囲気だけが肝心なんだ。彼の翻訳ってのは、もとの原詩の内容に関係なしに、原詩の中のいくつかの単語を拾い出して、とてつもなく雰囲気のある抒情詩を作り上げるとこにあるんだ。つまり彼には原詩がどんな内容で、どんな文脈をもっているか、ということは関心がないの。原詩の中にある、いくつかの気に入った語句だけを取り出して、それを繋ぎ合わせて、新しく抒情的な詩をこしらえる、というのが彼のやり方だね。だから雰囲気は感じられるけど、何を言ってるかという文脈は、さっぱり伝わってこないの。だから、いくらもとの詩の内容を変えても、翻訳には何の影響もないってこと。
- なんで、彼はそんなに、叙情的な雰囲気にこだわってんだ?
- こだわったわけじゃないだろうけど、日本語では雅語を並べると、なんとなくそれらしい雰囲気の詩らしいものができる、ってことを知ったんじゃないのかな。しかも日本人って、悲哀を帯びた朝鮮人ってイメージも好きだしね。ちょっと違ったかな。
- 要するに、日本人の思っている、朝鮮のイメージに合わせて、翻訳を作ったってことじゃねえの。
- まさかそこまで卑屈じゃないだろうけど、周りの日本人は、そういうの要求したかもね。
- ありのままの他者を見ることは拒否してるんだ。
- とにかく、なぜ元の原文にこだわった翻訳が受け入れられないのか、原文さえ無視すれば、評判のよい翻訳になるかっていう疑問が、有名な翻訳家の仕事で証明された気がするんだ。
- 要するに、読む側は、見たいものしか見ようとしない、ってことじゃねえの。
- それでね、最近思うんだけど、一言で翻訳っても、目的の違うものがあるなってことね。
- それって、出来がいいとか悪いたあ、別のこと言ってるんだろ。
- うん、この百年ちょっとの日本の翻訳って、別に異質な文化を理解する目的でなされたんじゃないみたいね。異質な文化現象の移入には間違いないけど、それは自分たちも、先進国の文化現象に匹敵するもの作れるんだぞ、ってこと示すための、努力の一環だったのね。
- 異質なもの受け入れながら、理解しようとしなかったって言い方、もちっと説明しなきゃ分かんねえよ。
- うん、なんてのかな、要するに、自分らが先進国だと思ってるとこにはあるのに、自分とこにないものを見て、自分たちだって、そんなもの理解できるんだ、自分たちだってそんなもの作れるんだ、って主張したかったんじゃないの?
- だからそれって、日本の近代化の問題だろ。小説だって詩だって、その他もろもろの学問だって、そうやって成立したんじゃねえの。
- だろう、おかげで僕たちの文化が先進国なみになったって言うんだろ。だけど、それは決してもとの文化現象を、その背景から基盤まで含めて理解するということとは違うよね。
- 当然だぜ。要するに初期の翻訳ってな、俺たちが小説や詩を創作するための、基礎的な練習作業みてえなもんじゃねえの。そこじゃ、もとの文化が正確に移されているかなんて、二の次だろ。要するに、てめえらが先進国って思ってるとこのやつに、追いついて、仲間入りさして下さいって言っただけじゃねえの。
- だからね、そういう翻訳って、本質からいえば、翻訳というより、翻案に似てるよね。まあ翻案もどきって言ってもいいかな。そうやって始まった翻案もどきの僕たちの文化は、確かに僕たちの社会では大切なもんなんだろうね。こういう翻案もどきは、日本の文学の一員として重要な役割を果たしているんだから、日本語の表現にも十分神経を使わないとだめなんだ。
- でねえと、誰も読まねえし、売れねえよな。
- そうやって新しい文化現象が成立したんだから、それはそれとして意義があるよね。だからそういう翻案もどきに対しては、本質的には誤訳がどうのこうのって、あんまり問題にならないんじゃないかな。ときどき誤訳を摘発する本が出て売れたりするらしいけど、あれはちょっとずれてるかもしれないね。要は、僕たちの社会での読者に受け入れられりゃいいんだし。
- だから、もとの原作がどこのものであれ、俺たちの周辺の読者が楽しめりゃ問題ねえってことだろ。もとの原作について言うんだったら、せいぜい、読者がもともと持ってる先入観に逆らわない程度の配慮だけはしておけってことだぞ。
- どうも、原作の背景なんかに神経使いすぎると、読者に受け入れられないってことね。あんまり先入観に反することや、なじみのない設定をそのまま移すと、反発かいそうだしね。
- で、あんた何言おうとしてんだ? 翻訳するとき、あんまり原文にこだわんなってこと?
- ち、ち、違うよ、反対。僕が今まで考えてきた翻訳って、これとは全然違うことだったなってこと。僕は外国文学って、異質な文化をどう理解するかってことが中心だったから、それを紹介する翻訳では、異質な思考方式も、そのまま反映させるやりかたが、それに相応しいって思ってたの。
- するってえと、翻訳する時、妙ちくりんな日本語が登場するってんだろ?
- それこそが、異質な文化の特色の一部の反映だからね。要するに、僕たちの先入観にさからう違和感の存在そのものに、異質な文化、そこでの思考方式の特色が現われているんじゃないか、ってことなの。
- なんだっけ、これまでの翻訳、あんたの言う翻案もどき、それってさ、準日本文学ってのか、準創作って言った方がいいかもしんねえな。だってさ、もともと外国のものだって言ってるけど、要は、俺たちの社会での読み物としての性格が重要なんじゃないか。だから、そこに含まれてる異質な思考方式や習慣なんてな、ちょっと変わって面白そうな、興味を引くための薬味みたいなもんだろ。それでもさ、訳すときの苦労じゃ、どっちも大した違いはなさそうだけんどな。
- もちろんだよね。ただね、最後には僕たちの社会での読み物としての要素が第一の関心事だってことと、先方の文化現象より訳者の自己表現が第一って点で、準創作って性格になるんだよね。
- だけど、見かけだけじゃ、そいつと、あんたのいう異質な思考方式をどうのってのと、区別つかねえんじゃねえの。
- そうかもね、だから翻訳は第二の創作だとか言って、訳者の自己表現に重点を置くやつと、若気の過ちずるずる同棲って、先方の文化にのめり込んだやつとの、翻訳の違いね。後のほうのやつは、できるだけ訳者の存在を消そうとするんじゃないかしら。
- 見かけじゃ、どっちも訳者の個性が強烈に出ちまうんじゃねえの。どっちにしろ、理想的で完全な翻訳などねえよ、って言えるんじゃねえの。
- 理想的で完全な翻訳、って言い方はあいまいだよね。もし文学が、ある特定の言語の特質を極限まで生かした技巧の産物ってんなら、それを異なった言語で再現するなんて、元来不可能なのはあたりまえじゃないの。だから、原作をネタに、翻案もどきの準創作をするか、ずるずる原作に引きずられるかの二通り正反対のやり方があって、それを別個のものとして区別する必要があるんじゃないかってこと。いっしょくたにすると、結論のないお喋りにしかなんないからね。
- なんで、そんなことにこだわってんだ?
- そりゃね。別に小説だの詩だの、翻訳のこと自体が気になってるわけじゃないよ。何で、まだ原文もまともに読めない人に限って、朝鮮の詩や小説をすぐ訳したがるんだか、その訳がだんだん分かって来たってこと。
- 西洋のものの翻訳ってな、俺たちだってそんなの書けるし、翻訳だって出きるってことを見せるためだったんだろう。だから、そいつらは準創作だったわけだ。だったら朝鮮のものなんか、何のために翻訳するんだ?
- 準創作の翻案もどきは、先進文化と肩並べたい、彼らの仲間入りしたいって欲求からやられたんだよね。じゃあ、先進でないとこ、つまり後進、もっとあからさまにいえば未開な地域に対しては、たぶんそんな欲求、なかっただろうね。だから彼らの文学に対する関心ってのは、こんなとこにも自分たちと同じような作品がありうる、ってことに対する驚きだったんじゃないかね。
- そういや、朝鮮の文学の翻訳を読んだやつの感想って、いつも同じなんだな。朝鮮にもこんな素晴らしいものがあったということ初めて知りました。これからも関心を持って読んでいきたいと思います、ってんだ。
- そうそう、要するに、こんなところにも日本の文学に匹敵する作品があって、日本語に翻訳できるだけの水準を備えている、ってのが驚きなのね。自分たちより進んでると思ってたら、とっても出てこない反応だよ。
- まあ、見下してなきゃ、なかなか起こんねえ発想だろな。で、それが、朝鮮の詩や小説訳したがるってことと、どうつながんだ。
- だからさ、そうやって軽くみてるから、少々実力が怪しげでも、翻案もどき準創作の欲求を充たすのには、うってつけの材料ってことになるの。だから、この現象自体はね、翻訳もどきの文化の伝統、つまり日本の近代化の伝統の中で成立してるんだよね。
- てなことか。いつまでたっても、相手を理解するってのには距離がありすぎんだ。
- だからさ、過去の歴史のことを論じるときにも、すぐ朝鮮人を呼んできて話をさせるじゃない。けど、そうやって朝鮮人を利用してること自体が、過去の植民地時代のやり方だってことに、気付いていなのね。自分達のイメージに沿った役割しか与えないんだから。
- 今だって、「雨の降る品川駅」の「日本プロレタリアートの前だて後だて」ってのが、植民地支配者の発想を抜け出てないってこと気付いてねえかもな。
- 日本人だけじゃないだろうけど、自分中心でしか見ないからね。
- 歴史に対してだって同じことだよな。
- だよね。もし過去の歴史反省するってんだったら、すぐに朝鮮人なんか呼んできて、本人の専門でもないこと喋らさないで、朝鮮人には彼らなりの歴史における反省から何が出てきたのか話させ、互いにそれを突き合せりゃ、過去に対する反省を共通のものとすることができると思うんだけどね。
- まったくだぜ、朝鮮人に、いつも日本の過ちを追及することしかやらせねえっての、歴史の主体は日本人だけだって言ってるのと同じことなんだぜ。
- 文学だって、いつも日本の枠組みで朝鮮のもの見ないで、それぞれなりの特質を認めて接したらどうかと思うんだけどね。小説だの詩だのといってるけど、みかけは同じでも本当はかなり違うよね。
- その違いってどこにあったっんだっけね。
- 文化現象進化の中立論って知ってる? 遺伝の場合と同じでさ、文化現象ってのは、いつでも絶えず新しい現象が発生しては変化してゆく可能性があってさ、そいつらが偶然やら何やらが関係してさ、残るものが残っていくんさ。不適応なものは消えてくけど、害にも益にもならぬ、どうでもよいものは大抵は生き残るんだよね。
- 世の中に害がなけりゃ、あってかまわないってんだろ。
- 例えばさ、色盲が文明地域で多いのは、生存に適しているからでなく、生きるのに関係なくて、どうでもよいからだよね。色盲は赤や緑を識別する遺伝子の乗っかってる染色体の癖で、かなり頻繁に突然変異が出来やすいだろ。だから、別に先祖に色盲いなくたって出て来るよね。今の世の中じゃ、色の識別なんて生死に関係ないから、どんどん増えていくんだよね。ほっといたら、将来は色の識別できない人の方が多くなるかもね。
- それって、文学とどういう関係があるんだ?
- ほら、僕らが小説だ、詩だといってるけど、そのジャンルの中でも、文化的な外のジャンルでも、どうでもよいものが勝手に生じては残ってくんじゃないかってこと。ただそん中で、もし出来たもんが、社会で許されないものだったら、生き残れなくて消えてくってこと。
- まあな。
- だけど、この話ね、普通とは逆のこと言ってるんだぜ。普通はね、社会の発展形態に応じて、様々な文化形態が生じてくるって言ってるからね。生存に不適切なやつが、淘汰されて消えて行くという言い方は変わんないけど、生き残るのは、最適なものだって言ってないからね。要するに、特に不都合のないやつは見逃されて残るってこと。新版構造主義文学ってなもんがあったらさ、そこでは近代文学の発生について、その形態自身についても、その原因や要素を一義的には決めず、その機能が同じなら、さまざまな発生の仕方を認めるなんてことになるんじゃないの?
- たとえば?
- 今ね、韓国にも日本にも小説ってものがあるだろ。今では似てるよね。けどね、その発生をたどっていくとさ、かなり由来が違ってきそうなんだ。進化論の比喩でいうとさ、現在は見かけが同じ人間でもさ、その発生の初期にまでさかのぼって行くと、たとえば一方のはチンパンジーの先祖にたどりつき、他方はイグアナの先祖のとこに到達するとかいったようなことさ。
- イグアナ? 何言ってんだ?
- 実は、近代の文学発生のころの文体の成立をみると、どうやら、朝鮮は日本とはまったく近代文学の文体の発生の様子が違ってるみたいなんだ。
- 俺の生きてた頃、まだそんな話なかったぜ。
- そりゃ最近の研究だからさ。どうも、その発生のしかたの違いがさ、現在の小説のありかたの違いにも、反映してるんじゃないかってことね。
- そういや、韓国の小説って、かなり日本と違ってたな。今でもかな。
- 今でも事情は変わってないよね。翻訳するときに一番苦労するのは、作品として何を選ぶかだからね。手当たり次第に選んだら、大抵の日本人は読まないよね。面白くないから。
- 何で、日本人には面白くねえんだ。
- そりゃ、今でも小説の社会的役割が根本的に違ってるからじゃないの。
- 社会的役割って? 昔の士大夫の精神を引きずってる作家たちの意識ってこと?
- おっと、だからリアリズムなんてのが、最近まで韓国でもてはやされてて、政治や社会の問題を扱わないと相手にされないって風潮だったよね。
- 俺はだからキム・スンオクとかチェ・イノとか、そっからはみだすやつを評価したじゃないか。
- だろ、韓国での主流では、あんたの言う、読者を楽しませようって作家はだめだったのね。どこか、壮士としての演説やら啓蒙家としての口調が覗いてないとだめなんだ。
- でも、最近はそれもすたれたってんだろう? だったら、それも変わったことになるじゃねえの。
- うん、政治や社会問題はだめになったね。だけどやっぱり同じさ。読者を楽しませるサービス精神が相変わらずさっぱりないのね。深刻ぶって面白くない書き方するみたいなとこまだあるよね。
- 要するに、読んでるやつを面白がらせるという精神が不足してるんだろ?
- そうなんだ。小説を書くことって、知識人として社会で認められるための厳粛な行為なんだね.。
- そんなこと聞くと、いかにも面白くなさそうって感じするぜ。
- けっこう面白いよ。外国文学の研究って、そんなことまで対象にしちまうから、ちっとも関係ないさ。ついでに、外のことじゃなくて僕たち自身、日本人のことも見えてきちまうのね。
- そりゃそうだぜ。結局、てめえ自身のことが見えてくるってんだろ。
- そんでね、前から言ってんだけど、中国も含めて朝鮮・日本の文学をいっしょにして眺めるとさ、妙に色んなこと見えてくるよね。たとえばさ、探偵小説とか空想科学小説ってのが朝鮮にはないのね。
- そうだっけ? 金來成っての、いたじゃない。あんたも論文に書いてたぞ。
- あれは朝鮮で例外的に知られた探偵小説家だね。だけど本格的な探偵小説家って、彼しかいないんだ。それでもいいけど、彼の作品と、江戸川乱歩や中国の程小青の作品を比べて見ると、面白さが全然違うね。程小青の作品は、数も多いし、かなり読者を楽しませるサービス精神心得ているけど、金來成の代表作 「幻想殺人」なんて、初めっから犯人を指摘しておいてから、どうやって彼を逮捕するかの駆け引きだけだしね。「白仮面」って太平洋戦争の時に書かれたスパイ物じゃないか。
- 空想科学小説はどうだったっけ?
- 朝鮮ではこれが全く空白なんだ。僕は「宇宙小説アルゴル」って、本格的なファンタジー物知ってるけど、肝心の韓国人がこの作品、知らないんじゃ、話になんないんだよね。中国なんてさ、昔からいっぱいあって、倪匡(ニークァン)ってのは今の人だけど、いっぱい書いていて人気あるみたいだしね。彼の「藍血人」なんてさ、土星人が登場してね、日本を舞台にして、めちゃくちゃ暴れまくって、まるで香港映画のアクション物だよ。そういや、近代文学の大家、老舎の初期作品「猫城記」だって、火星に行ったら、そこの人類は猫だったという、変わった話だよね。当時の中国を風刺したのが見えちまうけど、それなりに面白く読めるじゃない。台湾人なのかな、張大春にもちょっと暗いけど人造人間の悲しみを扱かったものや、反未来小説みたいのがあるね。大陸の少年ものでは、たいてい外国のスパイやテロ団が登場するね。でも秒速四萬キロであっという間に銀河系を飛び出して、ケンタウルス座まで八年も宇宙をさ迷うなんてあほらしい話、僕は嫌いじゃないね。
- その代り韓国じゃ、武侠小説ってのがあったんじゃなかったっけ?
- そうそう、チャンバラ物があったよな。この数年、ファンタジー小説やらなんやらに圧されてさえないけど、昔はマニアはそればっかり読んでたね。でも変なんだ。あんなにマニアがいたのに、名のある武侠小説の専門作家がいないんだ。それぞれの世代で、みな読んでた作家が違うみたいだからね。吉川英治だの中里介山なんて誰にでも知られている名前がないじゃないか。韓国の人に武侠小説の作家の名前を聞くと、金庸だの古竜だの結局中国語の作品の作家ばっかりじゃないか。
- 何で今でも韓国には、本格的な推理小説や空想科学小説が出てこないんだろう?
- 韓国の人は、その社会の中にいるから、そんなこと考えもしないかもしれないね。おそらく、そういう作品を読んだり書いたりするのが好きじゃないってことじゃないの。そのくせ、文学の研究者は、そんなのが理論的には大切だって思ってるらしくて、論文だけは書くんだ。マンガだって、今じゃとてつもなく高級なジャンルになってるじゃないかな。マンガの研究書なんて、日本じゃ考えられないぐらい豪華版なんだよ。
- じゃ、なんでそういう作品は書いたり読んだりする気にはならねえんだ?
- 僕ね、一度、ある韓国人に聞いたの。そしたら、自分達はね、頭を使ってそんなめんどくさいこと読むような忍耐力がない、って答えてくれたんだ。要するに論理的に考えたり、推理したり、知的なことに関心を示すってことが苦手だってことなんだ。
- おいおい、そんなこと一般化すると、また問題引き起こすぞ。
- だけどね、これは韓国人が言ったんだぜ。それに韓国の社会全体で、推理小説もSFもまだ公民権確立してないのは事実だからね。
- するてえと、そもそもなぜ韓国の人はそういうものを認めようとしないか、ってことが問題になんねえのか?
- だけどさ。そんなことやってどうするの? 日本や中国からみたら変かもしれないけど、そういう社会がちゃんと成立していて、外国ともつきあうことが出来てるのは事実だろう。それに、考えるんだったら、逆に日本や中国にある、そういうものの代りに韓国には何があるかって考えることだってできるだろ?
- そういや、仮想歴史物ってのも韓国にはあったぞ。
- 歴史的にそういうものが発生しにくい社会的根拠を探し出すことはできそうだよ。だけどそういうことより、もうすでに条件の変わった今でも、それらがないんだから、その空白が何で埋められてるかってこと、つまり、それらに対応する相補的なものがあるかないかってことを探る必要があるんじゃないかな。単に、あるとか、ないとか言ったって、それだけじゃね。
- そうだ、単に、あったりなかったりってんだったら、中国や日本にある演劇だってねえな。落語も漫才もねえぞ。そういやそうだ。死ぬ前に中国へ行ったとき、列車の中でラジオかけっぱなしで、相声っていう漫才を放送してたぜ。
- だから、なぜないんだということ言い出せば、無いものだらけさ。だから、その理由考えることは出来るだろうけど、それはそこにいる個々の人間の問題ではなくて、そういうものがない社会の問題だろう。だからさっき、文化現象進化の中立論のことちょっと言ったじゃない。発想を逆にするとさ、僕らが今さ、やれ落語だ、漫才だ、マンガだ、推理小説にSFなんてものがいっぱいあって、社会をにぎわしているのは、そんなもの社会にとって屁にもならない存在だからじゃないの。あったってなくたってどうでもいいから、いくらでも発生しうるし、存在が許されてるってことじゃないの。
- その話、まだ厳密性に欠けてるぞ。文化現象進化の中立論を唱えるんだったら、もう少し様々な文化現象の、突然変異の発生の様子を実証しておかなきゃなんねえだろ。
- だからさ、もう一度繰り返えすけどね、朝鮮で、そういう一見くだらない娯楽の読み物が生き残らなかったのは、彼らの頭の構造がどうだということではなくて、環境がそれらの生存に不利だったからということさ。だから、なぜそういうジャンルが許されなかったか、という社会状況の問題を歴史も含めて解明するのと、現在でのそれらの相補的存在の探求をすればいいんだよ。
- たしかに事実として、韓国はそんなもんねえんだから、個々人がどうだという話にはなんねえのかな。だけど、日本にゃそんなもん全部あるんだ。するてえと、その社会の中で、例えば推理小説読まない人ってな、比較的頭を使うのが嫌いな人ってのは言えるかもしんねえな。
- そうそう、僕の言いたかったこと、まさにそのことだったの。日本人で朝鮮の文学や語学や歴史やってる人で、今みたいなことに着目した人まだいないみたいだよね。なぜだか、あの人たち、朝鮮や韓国のことやっていて幸せって顔してるんだ。外国の文化の一端を研究してるんだったら、もっと学問的な探求したら良いのにと思ってたけど、一向に研究成果が何にも出て来ないのが不思議だったんだよね。
- そういや、朝鮮関係の研究者って、アマチュアとちっとも区別がつかねえよな。わたし好きなんです、とかいう感じで、アマチュアが趣味で書いてる語学の本の方が、研究者のより水準が上ってこともありそうだしな。
- それでね、何で彼らが、朝鮮の文学やら語学やら歴史やらに関わって、幸せそうなんかってことが、さっきの話と関係あるんじゃないかってこと。
- ん? 文化現象進化の中立論?
- その文化現象の多様性と、その存在の限りないどうでもよさね。日本にゃ色んな物があってさ、それぞれが趣味で、色んなもの読んだりやったりしてるだろ。だから、日本の社会では、様々な面での生き方があるの。そのうちで、知的な興味ない人はSFなんか読まないだろうし、頭使って考えるの嫌いな人は推理小説読まないかもしれないし、言葉の知的遊びに関心のない人は落語や漫才なんかにも関心ないかもしれないよね。
- 極端な言い方すりゃそうなるんかな。でも逆は言えないな。漫才好きでも知的でないやつっているからな。
- ところが、そのすべてが、朝鮮では欠如してるのさ。だからさ、もしかすると、日本人で朝鮮関係を研究領域に選んだ人って、その欠如にひかれた人間、つまり、精神的にそういうことがすかっり欠如してる人間だ、って言えないかな?
- おっ? 日本人では、知的好奇心が希薄で、頭の回らぬやつらが、朝鮮関係に携わっているってこと?
- どう?
- そうか、思い出したぞ。昔ね、それと同じこと面と向って言われた人がいるんだ。
- やっぱりそうなんだろうね。韓国じゃ、どんな人が勉強しに来るかって期待しながら見てるのに、一向に勉強するやつがやってこないで、どっかで聞いたような知識を喋って、コネ作るのうまいやつばかりだからね。そりゃ知的好奇心があって、しかもそういう雰囲気好きなのもいるだろうけど、逆は必ずしも真ならずだよね。
- 確かだぜ、学会政治や自己宣伝やって、あちこちにコネをつけることがうまいの多いぜ。朝鮮の文化を研究対象にすること自体は悪くないさ、それなりの研究の成果を出してくれりゃね。なんでアマチュアと張合うことしかできねえかっての。
- でもね、こんなの別に朝鮮だけじゃないよね。学問やってる人って、あんがい信用できないかも知れないって思うこともあるんだ。
- そりゃ、どこの世界だって色んな人間がいるぞ。いちいち言ってたらきりないぜ。
- うん、でもね、人間じゃなくて、その学問の内容のほうを問題にしたいの。
- 内容って? 素人は他人の学問に口だしなんか出来ねえんだぞ。
- ほら、少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽ろんずべからず、ってのがあるだろ。
- ああ、朱子の偶成ってんだ。そういや、あんた授業で朱子のことやってたっけ。
- 古典文学と朱子学のことでね。そん時、分かったんだけど、この朱子の偶成って、朱子の文集のどこ探しても載ってないんだよね。ほかにどこをどう探しても見つかんないし、しかも中国人で、この詩、知ってる人いないよね。
- そうだったっけ。日本人と韓国人は知ってるな。教科書に出てるしな。
- しかも内容も変じゃない。朱子の言ってることと違うし、詩の中の典故も使い方が違うし。
- 要するに、この詩は朱子のじゃねえぞってんだろ。その話、前にも言ってたじゃねえの、たしか聞いたことあるぞ。
- あんときゃ、おかしい、おかしいって言うだけだったけど、あんたが死んでから論文が出たの。
- へえ、そんなこと調べる物好きがいたんだ。で結論は?
- もちろん、朱子のじゃないってこと。しかも元々の出典が傑作なんだ。江戸時代の戯作なんだ。同性愛を扱った滑稽詩だったんだ。少年ってのは、お稚児さんのことだったのね。あんたの可愛がってるお稚児さん、すぐ年とって髭が生えて来たりするよ、早いうちに可愛がっておきなさいってなことかな。
- おもしれえな。そんなんが国定教科書に堂々と載ってたんじゃねえか。
- だろう? だのに、未だにこの詩はあちこちの本に載っているよね。しかも、もとの出典がどうであれ、そうやって学問を勧める詩として読めるんだからかまわないって人もいるのね。
- 言えてる。なら、ああら有難や、親にも見せぬ観音様の御開帳、なんて猥褻なのが、将来は、深遠な仏教歌として、高校の教科書に載るんだぜ。
- まあまあ、それはともかく。僕が変に思ってるのは、日本だって韓国だって、朱子学の権威だっていう学者が、わんさかいたんじゃないの。だのに、この詩が偽物だって言う人が、この百年、誰もいなかったっての妙だよね。びっくりしたのは、日本と朝鮮の朱子学について、分厚い本を書いた先生の、漢文の解説にも、この偶成が載ってるんだよね。ひとつも疑ってないんだ。出典も調べてないんだね。
- そんなもんさ。たぶん、詩の内容を朱子の思想と突き合せるってことには興味なかったんだ。詩は詩として、いったんお説教して、次は朱子がどんなに偉いお方かって説教するだけ。肝心の朱子の思想が何かなんて、考えたこともないんだぜ。知ってるのは、文集の例文や人間関係とかいうことだけ。
- だから、この詩を見ても、朱子の言ってることと違ってるぞ、って変に思うことなんかなかったんだよね。
- だから、偉そうにしてるやつって、信用できねえってことよ。文化だって思想だって、ただ商売人として輸入品の宣伝してるだけじゃねえの。品質についての保障は製造元で責任を負います、ってなことだぜ。
- 要するに通俗研究って、そんなものじゃないの。それでね、その文化っていえばさ、異質な文化を理解するには、その地域の言語を習得しなければならないって言うだろう。ほんとかな。
- そんなことねえよ。言葉に関係ねえことだっていっぱいあらな。
- たとえば?
- 考古学とか建築とか陶芸とか美術とかさ。物を調べると分かる分野があるじゃねえの。
- そうか、言葉を使わなくても分かることって、かなりあるか。じゃあ、言葉を学ぶと、どこが違ってくるんだろうね。
- その地域の言葉勉強したって、文化が分かるようになるってこたねえよ。言葉なんかいくら勉強しても、それだけじゃねえの、何が出てくんだ?
- だって、歴史だって思想だって文学だって、みんなその地域の言語を学んでから調べてんだろ?
- だけんどさ、その歴史やってるやつの読んでるのって何なの? 昔の記録とか、何年に何が起こりました、誰が何をしました、何を考えました、ってなことが、その言語と何の関係があるっての?
- うん? だけど、他の言葉で書かれたものないから、やっぱり、そこの言葉勉強しなきゃ分かんないんじゃないの?
- だろ? それだけのことじゃねえの。他の言葉で書かれたものないから、仕方なしにそこの言葉勉強して、そこの言葉で書かれた文献読むってえの、それこそ、そこの文化を理解するってことたあ関係ねえだろ?
- 確かにね。ただ単に、その言葉で書かれた文献でしか読めないから、それを読むってことだけだったら、いくら勉強したって、単にそこの地域のことがらを知ることにしかなんないね。別に、その地域の文化を理解するとか、その地域の人たちの考えを理解する、ってこととは関係ないかもね。
- だろ。そいでさ、ただ外国語を勉強してさ、それで書かれたもの読んだり、そこの人と話したりしたってさ、それだけじゃ、そこの地域の文化を理解するとか、そこの地域の人々を理解するってのにゃ、すぐ繋がんねえんだよな。そこの言葉学んで、その先何するかって考えねえとね。
- 確かにね、今でもそうかもしれないけど、昔はさ、彼らの気持ちを理解しようとして、朝鮮語を一番熱心に勉強してたのは、警察の人たちだったかもしれないよね。ただ支配のためとはいえ、一生懸命だったろうし、熱心さからいえば、彼らにはかなわないかもね。
- だからさ、外国語勉強してるってことだけじゃ、何にもなんねえんじゃねえの。
- そうさな、外国語を勉強したくせに、勉強しないで理解してる人の水準にも達してなきゃ、お話にならないよね。でもさ、専門の学問として言葉やってる人はどうなの?
- 言葉やるって? その地域の言語調べて分かるのは、その言語の構造だけじゃねえの。そんなんで、その言語使ってる人たちの考えや気持ちがわかるんだったら、死体解剖すりゃ魂が見つかる、ってことになんじゃねえの。
- だけど、解剖すりゃ、人間の体の組織の構造や働きが分るじゃないか。
- だからどうだっての。そいで、その人の考え方や、気持ちの持ち方が分かるってのか?
- 確かにね。だから、あんまり教養に関係なさそうに見えるんかな。文化なんて興味ないみたいだからな。
- 自分以外の文化に、理解示そうってのは、あんまし、いねんじゃねえの。
- でも、それ、日本人だけじゃないよ。日本のことなんかにゃちっとも関心ないくせに、自分とこのこと、日本人に教えたがるやつっているじゃないか。なんであんなに、自分たちのこと教えたがるんかな。
- 日本人だって、外国にいきゃ、そんなのいっぱい、いるんじゃねえの。
- 昔は、言語やってると、その言語使ってる人たちのこと理解できるようになる、って気がしてたけど、どうも違うね。みんな自分のために、他者を利用してるだけなんかね。
- あんまり大まかなこと言ったって、何にもなんねえけどね。
- そういや、一つあるよ。あのね、僕の周辺で学生だけじゃなくてね、翻訳やってる専門のやつでもね、時々みょうちくりんな翻訳するのに出会うことあるんだ。
- そりゃ誰だって、変な翻訳するこたあるぜ。
- それでね、その変な訳に出会ったとき、すぐさま聞くの。もしかすると、それ、例の辞書使ったんじゃないのって。するとずばり、例外なしにそれが当たるんだ。
- 例の辞書って? あの俺がやりかけて止めたやつ?
- そうそう、あれね。あんたの仕事は一向に進まなくて、そのうちあんたは死んじまうし、そいでね、その後ひきついだのが、商売上手なやり手だったってわけ。出版社も大手だし、学生やらなんやら朝鮮語の周辺にいる人間を大量動員して作ったのね。いま一番人気があって売れてるんじゃないかな。
- そうか、俺が死んでから、そんなことになったんだ。
- ところが中身が面白いのね。昔から辞書には誤植がつきものだよね。ガルソンがガルコンになったり、ニムラサキなんてみょうちくりんな新種の蝶々が登場するってのはご愛嬌だけどね。この辞書のは誤植なんてものじゃないのね。誤訳奨励賞ねらったんかなって思っちゃうんだよね。
- でも、日本で出てる朝鮮語の辞書がいいかがげんてな、前にもあったじゃねえの。ほら何回も文部省から科学研究費を貰って、やってますって宣伝し続けて、出版社はそのため倒産して、別の出版社で出ることになった、あのばかでかいやつよ。
- ああ、あのなんとか大辞典というやつね。僕は古本屋に売って元とったけどね。あれも何だい、自分で勉強しましたってことを一生懸命書き込んじゃいるけど、肝心の朝鮮語の使い方になると、さっぱりなんだよね。あんなの見るんだったら、本国の小型の辞書のほうがましだよね。
- 確かだよな、ときどき面白いこと書いてあったけど、肝心の本文の方は、例文の採り方一つとっても、信じられないほどひでえよな。
- あれが出たとき、誰かが言ったよな、これで韓国の学者はかなり安心しましたねって。何年も新聞などで大きく取り上げてきたから、どんなものが出るかって、関心持ってたけど、実際に見たら、なーんだってね。
- だめなんだよな、まともな研究者ってどこにもいねえんだ。
- あんたはそういうけど、僕は『コスモス朝和』は評価してるんだよ。姿勢がはっきりしているしね。少なくとも例の辞書みたいに、でたらめな説明をしてないからね。といってもあんたはあんまり仲よくなかったから、良く言わないかもしれないね。
- そんなことねえよ。俺はあの辞書の日本語の使い方がぞっとしねえっての。水準は認めてるんだぜ。あんときゃ、色々うまくいってなかったけどね。そいで、君はまだ生きてるんだから、そういう辞書の間違い調べて、発表したらどうなの。少しはましになるんじゃねえの。
- 僕はそんな暇ないよ。辞書の点検なんて僕にゃ興味ないし。それに、このこともうインターネットで少し流してる人もいるみたいね。そういや、ある先生がこの辞書のこと、『お笑い韓日辞典』って言ってたな。
- おっと、それいい線いってるぜ。あんた、今さ、台湾や大陸に進出してる吉本興行さ、韓国進出する時、ギャグのネタ本として絶対必需品になるぜ。
- 確かに読んで大笑いの例文があるのは事実だね。貴重な例文だよ。英語だったら習いたての中学生ぐらいの作文が辞書に載ってるってことだからね。でも変なんだよね。自動車なんかだったら、リコール制度があってさ、販売者側の責任で不良品の買い戻しをするじゃない。この辞書に関しちゃ何の音沙汰もないんだよね。
- どうせ、関係者たちの談合で、儲けるだけ儲けましょうってことだろ。そして密かに、欠陥直して、それはそれとしてまた売りつけて儲けようってんじゃねえの。いや、違うかな。こうやって、学習者にとんでもないこと憶えさせて水準落しときゃ、教える側との差がますます開いて教師が安心してられるってことかな。
- どうだろうか。直すにしちゃ、あんまりにも量が多すぎる気もするし、本人たち、気がついてるんだろか? 気がついてなきゃ、研究者の資格ないってことだし、知ってるのに知らんぷりしてるんじゃ、研究者としてのモラルがないことになるよね。
- 教えてるやつでそんな辞書使ってるなやつがいるんかな。
- いるよ。ほんとなら本国の辞書使わなきゃなんないはずなのに、こんなの使ってるどころか、ネイティブの人に、単語の意味を日本語ではどう言うんだとしつこく聞いてる人がいるからね。もとの言葉でどう説明するかだけ聞けば済むのに、なんで彼らに日本語で説明させなきゃなんないんだろうね。どんな時でも、相手の言葉で考えるってことなんか一切考えないで、いつも、それは日本語では何て言うんだろう、ってことしか考えてないのね。
- 要するに、いつでも、自分とこの文化の枠組みでしか、相手を判断する気がないってことじゃねえの。
- それでね、いったいどうしてこんなことが起こったのか、そのことも気になってね。
- そりゃ簡単なことじゃねえの。さっき翻訳のことで言ったことと同じだぜ。
- どういうこと?
- 要するに、俺たちの近代化って、先進国だかでの文化を取り入れ、それらしき制度を作っただろ。向うにあるもんは真似できるよな。だけどないものはだめなんだよな。
- ないって?
- だからさ、例えば朝鮮の文化に対することさ。言葉に関してもだよ、こうした辞書を作るってのは真似だけじゃできねえよな。自分でやんなくちゃだめだぜ。そういうことはだめなんだ。植民地主義を批判するって言いながら、オリエンタリズムとかなんとか言ってさ、批判までまたよその借り物だろ。俺たちの水準はオリエンタリズム以前でしかないんだぜ。
- まあそんなことになるんどろうけどね。でもね、僕はそんな辞書を、おおっぴらに批判する気はしないけど、将来の研究者に対してね、仕事の材料を作ったってことでは、評価はしてるんだよ。
- 何で?
- だって、そんな辞書が出たってのは事実だろ。証拠が残ってんだから。将来の人間から見りゃ、今の言語の研究者がいかに水準が低いどころか、でたらめだったかってこと、一目瞭然じゃないか。
- そりゃいえるな。
- そいでさ、学会でもどこでも論文の審査だとか言ってさ、感心してるのは、伝統的な方法論を踏まえてるとか、うんとこさ例文集めてるとか、わんさか参考文献見てるとか、そんな形式的なことばっかりなんだ。
- どうせ中身なんか読む気もないんだ。まるでビーズ玉やガラス玉に眼を耀かせてる未開人ってイメージはてめえら自身のことだったって見せつけてるようなもんだぜ。
- だからさ、やってるこた、政府の役人たぶらかして、補助金もらったり、大手の出版社にコネ作ったりとか、いかさま師よろしく世の中わたりあるくことだけは一人前ってこと。
- もしかしたら、俺たち勘違いしてたんかもしんねえな。みんなお互いに研究なんかしてないの知ってて、示し合わせて談合して、よいしょ、どっこいしょって、互いに持ち上げ合ってたんだ。そんなことも知らないで、言語を研究するんだったら、その言語によって支えられる思想や文化の問題につなげなきゃなんねえだとか、研究だの論文の水準がどうだの言って。あいつら裏でせせら笑ってたろうな。世間知らずめって。
- だからさ、そんなのは通俗研究どころか、低俗研究にしかなんなかったんだよね。
- やってるこた、いつも、権力あるものや勢力あるものにへばりついて、世の中わたりあるいてるだけだぜ。
- まるでコバンザメみたいだろ。わが吸盤の優秀さもて世の中を渡りけりってわけね。
- なんでえ? まるでポルノ小説じゃねえの。
- ん?