三枝壽勝の乱文乱筆


猿の惑星にも学問はあるか − 通俗研究 錯乱狂気 −

『総合文化研究』4号、東京外国語大学総合文化研究所、2001.3.25
久しぶりやんけ。何年ぶりやろか、東京の電車ん中で毛づくろいしたりエサ食うとるやつゴッツ多なったな。
− 大学だって同じさ。教授会なんか見てみろ、歯むきだして手叩いてるやつがいっぱいいるぞ。縁日のシンバル叩いてる人形さ。
あほなこと言いくさって。そやそや、おまえ学会追い出されたんやて?
− 追い出された?ああ、菅野さんと一緒に幹事辞めさせられたって話ね。
おい、こんなところで実名出してええんか。お前の話はホンマかウソか分からんことになっとんのとちごうたんか?
− まあな、あんただってあんたのこと自分だと思ってるやついたとしてもそれはあんたと違うんだからね。とにかく俺の論文審査するやついないだろうから発表も出来んだろうし、事実上追い出されたんだろうね。でも追い出されたことは何も恥になることじゃないさ。追い出して後釜にすわった方はちょっと見苦しいかもな。
そやけどお前の話を聞いたら関係ある思とる人間は腹立てたり傷ついたりするやろが。
− 傷つけるのが悪いんだったらその前にてめえだってさんざ人を傷つけてたってこと分かってほしいね。他人の事情も斟酌できず、他人の気持ちも分からず、無神経に傷つけてきたやつらが、お前は人を傷つけたなんてこと言っていいのかよ。
せやからあんたらが学会追い出されたいうのはほんまのことやったんや。二年前に自分から言いよった通りお前のほうが評判悪くて悪者にされるって予言があたったやんけ。
− 研究のことしか頭にない人間を追い落とすなんて簡単だよ。綱渡りしてる人間を下から棒で叩き落とすみたいなもんさ。しかも本人たちはうっかりして棒が触ってしまって、なんて知らんぷりしてりゃいいんだから世話ないよ。まあ闇にまぎれて後ろから切りつける卑劣なやつらはどこにでもいるってことさ。
そんで理由はなんやったんや。
− 理由なんてあるわけないじゃないか。ようするに任期が切れたということ、新たに任期更新しなかったというだけのこと。だから自然に解任されたってこと。どこにも不正はないということよ。更新しませんというハガキ一枚もらってないからね。
なんや、おまえんとこの大学でも似たよなことあったいうて聞いたな。
− ああ、外国人教官のこと?どこで聞いたんだ?外国人任用法で採用した教官を何回目かの任用再延長のあと期限切れで首にしますって。期限がついてるんだから任期満了で首にするのは規則に反してませんってね。すでに十年近くもうちで働いてきた教官だぜ。うちの大学は外国語の教育を基礎にして異文化理解をめざすところだっていってるんだぜ。すばらしいとこだよ、こんなこと言いながら異文化理解やってんだぜ。
任用法って?
− 最初公務員として外国人採用するとき日本人とまったく同じにできないってんで任期をつけたんさ。実はつけなくたってよかったし、つけても大学によって期間は違うけどね。普通は任期が来たらまた延長すればいいので実質は日本人と同じだとか言ってね。どっこい日本人は途中でやめさせられないけど外国人ならこれを楯に途中でも首切れるってのさ。外国人差別ね。日本人にも任期つけて同じにすりゃいいんだ。でなきゃ初めっから任期なんかつけなきゃいいんだ。うちの大学は率先して同じにすべきだったんじゃないかね。そうすべきだろ。うちってな妙なこと色々あるぜ。
なんやね?
− とにかくあるんだ。学生が俺を告発したんだぜ。
何のこっちゃ。
− ガッコにずっと来てなくて在学期限切れて除籍になりかけた学生がいてね。
ほいで?
− いったん退学願い出した後すぐさま復学願を出すと、これまでのこと帳消しになってまた初めっからやり直しになるんだ。まるまる在学期間が延びるんだぜ。
そんなん許可せんかったらええやんか。
− なんせ思いやりあるガッコだしね。規則には違反しとらんちゅうのさ。
また規則か。どいつも官僚ばっかしやんけ。
− 俺ゃ、そんなこと許せんちゅってハンコ押さんかったんね。結局ほかのセンセがハンコ押して復学したんさ。
そいで?
− 恨み買ったみたいね。新学期の最初の授業の日、俺の言ったこと録音してから、とんでもない教師だってんで文部省の大学課だかに告発したんだね。
なにしとうんや。
− ところが文部省じゃ、そんなことはおたくの大学に言いなさいってんで、今度は学長んとこに持ってったの。で、俺ンとこにも連絡来たのさ。
で?
− 俺ゃ、どうでもいいよって言ったの、処分されてもいいし、辞めるんだったらいつでも辞めますからって。
そいで?
− 本人が告訴取り下げたとかで立ち消えになったみたいね。ハンコ押してメンド見てくれたセンセのバックアップ期待してたのにあてがはずれたみたいね。
なんやシンキくさい話やな。
− 俺はどうでもよかったんだけど、その頼りにされてたセンセかなり慌てたみたいね。メンドみた学生が問題起こしたんでこれはヤバイぞって身の危険を感じたんじゃないかな。
なんやそれ。お前んとこはヤクザの世界か。ほんまにお前ってやつはどこいっても恨み買うてばかりなんや。
− そうかね?
どこいっても悪口言われとるらしいやんか。いまでも例のストーカー続いとんか?
− ああ、相変わらずさ。何のためだかわからんけどね。
どっかで恨みこうて密告されたんとちゃうか。
− 何十年もつきまとって離れんってのはちっとやそっとの組織じゃできんよね。
わしなんか話聞いただけでオトロシなるわ。よう殺されんかったな。
− まあな。とてつもない装置いっぱい持っとったな。だんだんハイテクで進歩しとるけど。
そないなことどないしてわかるんや。
− やられりゃすぐ分かるさ。外国にあって日本にだけない物なんてあるはずないだろ。あれば使うに決まってるじゃないか。
とにかくお前はごっつオトロシい悪者にされとうんちゃうか。いっぺんあそこの記録見せてもろたらどやねん。
− そうかもしれんね。どこにでも密告するやつぁいっぱいいるかもね。昔、韓国の新聞で下宿のおばさんとケンカしてスパイだって告発されてとんでもない目にあった学生の話を読んだっけ。韓国じゃ新聞に出たりしてわかるけど日本じゃ永久に真相が分かるこたないよな。
とにかくあんまり恨みかわんよにしゃええんや。人権侵害や言うても侵害したもんの人権は尊重されるやろうけど、侵害されたもんの人権なんて誰も関心持たへんしな。
− なんでそんなこと言えるんだ。
そりゃそやないか。人権いうのは人間として認められてるやつにしか適用されんのや。人権侵害されるっちゅうのは人間として認める必要ないゆて思われとるから起こるんや。お前の場合やて、もう普通の人みたいに人権や言う資格なんかないやつやゆうて通達が回っとう可能性があるやろな。
− 確かに昔から権利の元になる資格や身分をまず剥奪したり否定してから迫害がなされてたよな。でも気にしとったらきりないぜ。こんどの学会追放の時だってさ、関係あるのかないのか、俺の悪口さかんに言ってたやつがいたっていうからな。
どんなこと言うとったんや?
− 内容は全然知らんよ。本人が俺に面と向って言ったことないし、その話聞いたやつが俺に告げてくれたこともないしな。すげえこと言われてるぜってことだけ聞かされたんだ。俺は自分が何言われているかなんて関心ないから、へえ、そうっ、て言うだけだったけど。だけどちょっと変だよな。
何がやねん?
− そいつはね近代の朝鮮史の専門家だぜ。日本がいかにデマをとばして朝鮮人虐殺をやってきたかってなことを告発するのも仕事のうちだったはずなんだぜ。その本人がてめえの方からデマや流言飛語をとばして人を村八分にするのに一役買ってるってのはどういうことかね?
自分のやっとうことと研究の内容が矛盾することなんて山ほどあるやんか。お前んとこの大学でもおかしなことあるゆうてさっき言うとったやんか。外国人差別するようなやつにも民主的で進歩的なセンセたちがおるんやろ。
− そりゃそうかも知れんけどな。それだったらいったい何のための研究だったんかね。ようするに自分だけ良い子になって自分を売り込み他人を脅すために進歩的な面してたってことだったのかね。なんで噂話をそんなに熱心に広げてまわらなきゃならんのかね。なんだか必死になって劣等感を解消しようとしてるみたいだよ。どだい根性が下劣だよ。だけど噂話ってのはいかにももっともらしい内容をでっちあげるよな?やっぱりって思わせるんだよな。否定したって、火のないところに煙はたたず、とかなんとか言ってね。確かにその材料は実際の事実を使ってるけど、出来あがったのはとてつもない代物だろう。
だからどやっちゅんや?
− ようするに学問の分野でも同じことやってるんかね。事実、事実とは言いながらとてつもない代物をこしらえあげているんじゃないかね。疑いさえすりゃどんなやつだってすること成すこと全て怪しく見えてくるんだから極悪犯人でっちあげるの簡単だよな。結論さえ決まってりゃあとはなんでも裏付けになるってことか。
そんなこっちゃないやろか。しゃあからいったん有るはずないゆうて思いこんだら、目ん前にあるもんでもめえへんし、なに言うても聞こえへんのや。
− だから新聞見てもそこに出てることしか話題にできないんだ。ないことになってることはあるはずがないと思いこんじまってるんじゃないのかね。
あの隠し絵みたいに気がつくまでは絶対に見えへんのや。ふつうのやつはそれで一生終るんや。ぼけっしとうくせにあつかましいやつがいつでも勝ちよんや。
− 俺なんてここに来てからびっくりしたのは外国の文化、異質な文化を理解してるんだったら皆かなり国際的な視野を持ってるんだろなって先入観があったのさ。ところがまったく正反対ね。外国語や外国文学やってますってのは、自分の専門以外は何にも知りませんってことだったのさ。視野が広いどころか極端に狭いってことだったのね。そんなことも知らずに外国語を勉強し、外国文学を研究してる人はとてつもなく広い視野でものごとを考えることが出来ると思っていたんだから錯覚もいいところさ。
なんやね、お前んとこのセンセはグローバルがなんとかかんとか言ってたやないか。
− みんな学術ブローカーたちの宣伝文句だったんじゃないかって思えてきたね。
ええやないか。センセたちが皆視野が狭うたって。とにかく物知りなんやろ。学生たちのほうがもっと視野広いんや。あたりまえやんか。学生たちはほとんど社会に出て行くんや。色んなこと見とかなあかんのや。縁日に並んどる色んな店みんな見物して歩くみたいに、色んなセンセの話ごっちゃごっちゃ聞いて回るんやて為になるんや。
− 異質な文化を理解するってな、外国のことに関する知識を習得し蓄積することじゃないだろって思うけどね。確かにね、かれらは日本人じゃない人たちと友達になってますってか。だけどね、自分と気の合った仲間同士としかつきあわず交流もしないんだ。異質な考え方を持ったものとの対話や議論を避け、同質なものとしかつき合おうとしないで異文化の人間と交流してますって言えるんかね。
そんな大げさなこと言わんでも自分ら同士やってそれほど理解しとらんやないか。
− たしかに会議なんかでも驚くほど他人の意見を理解しようとしてないね。俺は授業のとき毎時間授業中に感じたことや質問、疑問など書かせて見てるんだけど、学生でも驚くほど人の話を聞いてないのがいるね。言ったことを正反対に理解しているのがいるからね。だけど授業だったら次ぎの時間に指摘もできるし、だんだん学生同士の発表や教師の話を聞き取れるようになってくけど、大人はだめだね。教師って物を考える能力のないやつがなるのかって気がすることがあるからね。
いいかげん人の悪口いうのはやめにせんかい。他人のケチばっか言うたってしゃあないぜ。
− 人にケチつけてるわけじゃないよ。俺はね、なんで俺たちはこんな程度の研究者でしかないのかってね考えてるのさ。ちっとは水準を高めようなんていうと学会から追い出されたりして。どうやら質の高い論文だとか独創的な研究ってのは禁句みたいね。そのかわり学問の自由が大切だとか言ってね。ほんとはその学問って何かを聞きたいんだけどね。
そんなこと人に言う必要あらへんのや。黙って自分でやったらええんや。
− そうか。俺は人のこと気にしてるんか。とにかくだ、今うっかりすると大学がジリ貧になるぞ、受験生全部入れたって定員割れするかもしれないぞってのに、なんでこんなにノホホーンとしてられるんかって思っちゃうんだな。
どこいったて変わらへんで。
− うちは語学の教育は最高の水準だとかなんとか言うのがいるんだぜ。いくら定員が満たされなくても水準を下げるわけにいかないって言うやつがいるの。最高?それなんだい?そんなこと自慢になるんかね?
最高や言うんやからかまへんやんか。
− うん、もしだよそんなに水準が高いんだったらだよ、本国の学会でもどんどん研究発表してそこの学問の発展に寄与したらいいよな。ところがだよやってるこた何だい、国際会議の発表てなせいぜい日本おける何とか語の研究の現状についてとかなんとかじゃないか。だからだよ、そのうち本国の政府からうちの国の言語を広めてくれまして有難うなんって表彰されたり勲章もらったりするんだろうけどね。
かまへんやんか。
− かまわないよ。ついでにお金も貰えりゃ悪かないけどね。でもね最高の水準を自認するくせ出してる業績ってなんだい、せいぜいチャラチャラした入門書程度ってのはどうしたことですかね。だったらもちっと水準の高い研究書だしてもらいたいもんだね。シロウトの書いたのさして変わらないものばかりなんだぜ。
あたりまえやんか。語学なんて売れるのは入門書だけやんか。お前みたいに読本だなんて妙なもん出したって年に百冊や。買うの百万人に一人や。そんな儲からんこと誰がすっか。
− いや、だけどね少なくとも本格的な文法書や教科書ぐらいは出してくれてもいいじゃないか。教科書でもまともなのは菅野さんが昔だしたものだけだぜ。でもあれも、もう二十年もたって使いにくくなってるんだよ。早く誰かが出してなきゃいけなかったんだがね。俺は簡単な文学の解説書だしとことあるけど、びっくりしたね。日本人で近代以後の朝鮮文学についてオリジナルの本書いたの始めてだったんだって。えっ、じゃあ、先輩やほかの研究者たちは何してたのってことになるじゃないか。
みんな忙しいんやないやろか。
− ばか言えよ、いちばん忙しいのは俺たちのほうだぜ。俺なんかこの何年か日曜休んだことないぞ。新聞だって見たこと無いし、日本のテレビなんて見た記憶がほとんどないからな。
そんなん自慢にもならへん。お前が能なしや言うとるだけや。
− まあ、要領はないよな。だからだよ、その要領のよい能のあるやつらが言うようにほんとにそんなに水準が高いんだったらさ、それなりのものを早く出しなさいってこと。そのうち、いつか来るであろう約束の日には輝かしい業績が現れるであろう、なんて言われたんじゃ、そのころ俺なんかとっくに死んでるからね。それでさ、そいつらの言ってること聞いてると本当にそんなに素晴らしい水準なんだろうかって気もしてきちゃうよね。
なんでや。
− だってさ、いかにも自分等のやってることが最高だなんていうその言いかた妙だぜ。語学研究の発達の最高段階としての我が研究の現状?なんだそりゃ?もうこれ以上発展なんかできないよってこと宣言してるんじゃないの?ようするに進化の最高段階ってな、もう進化はおしまいってことだよな。だったらね、きゃつらは今の状態が最高に居心地がいいってこと、完全に環境に順応しちゃってるんだよな。だから現状を変える気なんて起こらないんだよ。自分の今の状態が最高に居心地がいいなんてことが自慢になんかなるんかね。進化が最高段階にきて順応の極致ってのは進化がこれで止まっちまったってこと。あとは滅亡するしかないってことだよな。それじゃもうこれ以上変わりようのないミミズや爬虫類と同じじゃないの。もう将来の見込みなんてないってことだろ。最高、最高っていうのは恥ずかしいことだぞ。
でも今そいつら研究や教育がほかよりダントツ水準が高いって言うとうんやろ。
− それでもいいよ。だったら誰でも自由に行き来してほかと比較できるようにどんどん公開したらいいんだ。うちの学生もほかのとこの授業行って聴けるようしたらいいしね。なんだか妙な理屈つけて閉鎖的に閉めだそうとしてる姿はみっともないよ。
お前な、おとなしゅう楽しんでるやつらをあんまり刺激せんほがええんやないか。あんまりチョッカイかけると爬虫類やいうても噛みつきよるぞ。
− とにかくだよ。自分たちの立場しか考えてないみたいだね。教わるほうからいったらいろんなところでいろんなこと聞けるし勉強できるのは悪いことじゃないからね。もっともどこでも自由にいって授業聞いて来いといったって相手のほうで拒否する可能性は多いかもしれないけど。基本的には学びたい人の立場を中心にしてどうやったらその要求を満たせるかを考えるのがいいと思うんだけどね。
お前に何か具体的な提案があるんか。
− いま別にないよ。ただねあらかじめこんな方針がいいとかいって進めるんじゃなくて、皆が基本のところで共通に合意していればことがらが順調に進むんじゃないかってこと。初めっからやる気ないくせハッタリでごまかしていこうってのはどうかなってこと。口だけじゃ何も変わんないからね。
お前のその言いかたやて口だけやんか。
− まあな。最近新聞にどっかの会議の中間報告がでたんだって。そん中に独創性がある生徒を育てるために云々とあったのを見てある人が笑っちゃったと言うんだがね。独創性のある云々という文句自体に独創性がないってのね。昔も創造性、創造性ってさかんに強調するセンセがいたけど、その言いかたにはちっとも創造性を感じなかったね。
そとから見るとみんな自分のこたわからんのじゃ。
− うちでも自分のやってる研究の分野がとっても大切だなんて言い方する人いるよな。だから予算をもらわないといけないとか、スタッフを増やさなきゃななんないなんて。だけど自分の関係してることが大切だ、大切だ、だから金だせって言うの、おれの持ってる品物買えよってすごんでる押し売りとどこが違うんだろうかね。
大切や、大切やいうて脅かしてばかりいるんは政治家の発想や。そやったら自分が好きで好きでたまらんから一生懸命になってるいうほうがよっぽどええんや。
− それは個人的なことだろ。自分が好きでやってることに誰も文句はつけないよ。だけどね自分が好きでやってることに他人や国が金を出せってのはどうかね。本当に好きでやっててしかもすさまじく大切なことだったら自分の財産つぎ込んでやったらいいんだ。最近は誰も彼も自分の金を研究に使うことバカにしてるのはどうしてなんかね。
お前みたいに生活楽しむ能のないやつがそんな言い方すんや。それにお前は能無しやから他になんもでけんやろけど、他のもんは研究は研究、家に帰ったらしっかり趣味持っとんや。
− たしかに俺は自分の専門だって正規に教育を受けた人間じゃないからな、あんまり研究のやり方については発言できないね。調べ物もできないし、学術用語も厳密に使えないよな。でもな、すさまじく厳密な研究者の言ってることがなんであんなにトンチンカンなのかね。それは人の資質とかいったものじゃなくて、どうも俺たちの考えている厳密な研究そのものだってあやしげだっていえないかね。
またややこしい言い方しだしよったな。
− 厳密な概念で用語使って論文書いてそれで何が出てくるっての?俺って学問に向かないんかな。エポケって概念あったよな。あれって自分で追体験して思考実験してやってみりゃたちまち感じるんだけど単なる判断停止じゃないよね。判断停止せざるを得ないから判断停止するんで、自分勝手にここでは判断を控えて保留しておきましょうじゃないはずだよね。判断を下したくとも判断を下しえぬ恐ろしい人間のありかたの限界性とこの世の深淵が見えちまった気がするんだが、何だかみなさんの使い方はほがらかだと言う気がするね。それでも厳密なのかな。
お前そんな話やめにせんか。頭痛うなってくるわ。
− ほらポスト・コロニアリズムとかいってね仕事してる人いるよね。日本だったら自分等の問題から出発するのが原則なんじゃないかな。既にある理論を日本に適用するんじゃなくてね。
ほやったらわい得意やで、昔の植民地支配のことやろが。
− そんなんじゃなくてね、今の日本での話ね。いまでもかなりあちこちで日本は昔のやり方で進出してるんだろうけど、俺はそれについては知らんしね。どっか南米の元大統領が亡命してきたなんていうとやっぱり何かあったんかなって感じるだけだからな。もっと単純なことね。前も翻訳の話したからそれにしよか。むかし朝鮮の民謡や詩を盛んに日本語にして有名になった人がいるだろ。
岩波文庫にもはいっとうやつや。
− そうそう。あの翻訳って未だにまともに検討されたことないのね。最近もどっかの新書であの訳詩集のこと書いた本でたけど、要するに日本じゃとてつもなくすばらしい業績ってことになってるのね。あれを読むと近代の朝鮮の詩が分かっちゃうっての。そのすばらしさったら、もう最初っから日本語で創作された詩と変わらない完璧な日本語の詩になってるってのね。それでね比較文学の有名なセンセがこの訳業は世界の文学史上でもまれな種類のものではないか。韓国の詩を名訳によって日本文学の宝としたってなこと言うのね。彼こそ今考えれば熱烈な、真の意味の愛国者だったのだとまで言いきるんだよ。言ってる人は日本人だけど愛国者ってのは韓国の愛国者ってことだよ。
たいしたもんやんけ。
− 植民地時代の文化的なことがらに関してあんまりにも幸せな発想しかできないんだね。西欧の学問の根拠についてだとか植民地支配の痕跡をいくら詳しく語れたとしても自分等のことには適用できないのね。いまだに朝鮮人の心の持ち方について日本人が規定しようとするのね。だいたいこの翻訳が本当に朝鮮の詩やその詩を歌った人の感情を感じ取ることに役に立ったのかどうか検討してみるといいんだけどね。この詩を読んで朝鮮の詩を原文で読みたくなった人がどれぐらいいたんだろうね。この訳詩で止まってしまいその先に進まないということは結局この訳詩を創作詩として読むことでしかないだろう。多くの人がこの訳を素晴らしい日本語だと言ってるのは詩が優れているのは日本語の詩としてすばらしいということであって、けっして原詩のことをいってるんじゃないよね。ようするにだよ、外国人なのに日本語でここまで表現できたのは偉いぞって誉めってんだよ。日本語で書かなきゃ評価してやんないってことね。外国人が日本に来て必死に日本の詩を勉強してそれらしいものを書いたら素晴らしい日本語の詩として賞賛されたんだよね。だったらその程度で素晴らしい詩ができちまう日本の近代詩ってなんだったんだってことになるんじゃないかしら。
そういや翻訳する時ごっつ日本語にこだわったのほかにもあったやん。
− えっ、ああ、あの朝鮮の古典の時調の翻訳ね。日本の短歌に似てるってんですっかり昔の和歌の感じで訳してしまうのね。するとすごい名訳って言われるのね。だけど和歌と時調ってまったく理念がちがうよね。和歌にしちまうと、あれって驚くよね。そんな文化的背景ないのに昔の朝鮮の社会について誤解しかねないよね。
せやろ。何でも日本の枠組みでしか理解せえへんよになるやろな。
− 翻訳って誰だかが言ってたよな、諸言語の異質性と対決する一つの暫定的な方法だ、翻訳されたものがあたかもその言語で書かれた原作であるかのように読めるってのが最高の賛辞というわけじゃないってことをね。頭が良くて西洋のものならたちまち理解しちまうセンセイたちってなんで自分たちのことになるとトンチンカンなのかね。
そんなん、星ばっか見とうガクシャが足元よう見えんとドブに落っこったいうのと同じやんけ。
− そうかな、俺はねこのごろあんまり頭がよくてガイコクの理論すいすい分かって論文書いてる人信用できんようになってきったんね。
お前の頭がボケてきよったからやろ。
− ナショナリズムってよく言うじゃないか。日本語の民族とか国家の使い分けを積極的に提唱して輸出した人いなかったのかな。
お前はまたオオザッパなこと言いよって、無知暴露すんようなこと言わんときや。
− 俺が最近関心持ってるのはいわゆる通俗文学なんだ、大衆文学ってよばれるのと重なるけどね、あっちのほうなの。通俗っていうとバカにするけど意外に重要じゃないかって思ってるんだ。中国なんてしかつめらしい文学の周辺はどこみたってあほらしい通俗文学で取り囲まれているじゃないか。朝鮮だってそうだよね。圧倒的多数の人間に影響を与えているんだからバカにはできんだろ。マンガだってそうじゃないか。日本で何でマンガの理論が出ないんだ。たぶんこの手のマンガが一番進んでるところが日本だったからだろう。西欧のとは違うよな。もし同じだったらとっくに研究書が出てるよね。そしたら日本でも研究が盛んになってるよな。残念ながら最先進国は日本だったんだね。やっぱりガイコク人がたくさん研究書を書くまでは研究する人出ないんじゃないかな。
そう言うんやったらお前がやりゃええんや。
− 俺はマンガのこと分からんしね。今の若いものがこんなに影響うけてるんだし、誰かやってくれりゃいいと思ってるだけなんだけどね。
わしゃそんなことちっとも興味ないわ。
− そんでね、その通俗文学って普通は探偵小説だ、恋愛小説だ、騎士道小説だなんて分類してさほど深みはないけど広く読まれてるってぐらいにしか見ないだろ。でも中国の通俗文学ってかなり深みもあるって感じするしね、近代の韓国の文学も通俗文学の視点で見るとかなりよく見えてくるんじゃないかって予感があるの。日本は知らんけどね。韓国の場合だったら今世紀初め頃あの薄っぺらい読み捨ての本がいっぱい出てたよね。あんなのが意外にいろいろと問題を提供してくれるんじゃないかってずっと思ってたんだ。そんなかで「長恨夢」については「金色夜叉」との関係で二年前ここの紙面で書いてもらったよな。最近「金色夜叉」の藍本とかいってアメリカで出た読み捨て本が紹介されたっけ。
わしの好きな川上宗薫なんかもやってくれんやろか。
− まあまあ、とにかくその通俗文学って何だっていう話はともかくとして、その特色の一つに意外とその時代の最先端のことがらがいち早く取り入れられているってのがあるみたいね。それで従来は勘違いして新教育やら自由恋愛やら男女同権をいち早く主張した先駆的な作品だなんて評価されたんじゃないかね。どうしてどうしてそんなものじゃないね。時代の最先端をいち早くとりいれて自分の業績を作り上げるってのは単に流行を取り入れたってことでしかないよな。何が書かれているかとか何が主張されてるかってことは著者の思想とは直接関係ないってことさ。ましてやそんなこと著者の思想が進んでるなんてこととはちっとも関係ないってこと。
その話わかる気すんな。
− 文学がそうだろ。だったら俺たちの周辺の研究はどうなんだってこと。学会の最先端の理論と用語をつかってリッパな論文書いてるひといっぱいいるだろうけどね、じつは単なる流行追っかけてるだけじゃないんだろうかってこと。そんなの研究の質とは関係無いよね。あの見かけ上はものすごい厳密さと実証も結局は支配志向の精神の産物じゃないの。今じゃマルチメディアの道具が揃っててそんなの単なる職人の仕事になってきてるよな。もともと職人修業の徒弟いじめの材料だったけど。文学のほうで通俗文学って言うんだったらそういう研究は通俗研究って言ったらいいんだよな?
その話おもろそうやな。
− だけど俺の話もこれで終わりだぞ。
なんでやねん。
− 最初にいろいろ話したじゃないか。何でやってる研究と実際の考えや行動が食い違うんだろうってね。通俗文学って中身を読んだって何もでてこないこともあるよな。要するに皆に読まれてるって現象がかんじんだからね。通俗研究だってそうだってこと。どんな論文書いてるかってのは関係ないのね。ようするに時代に遅れないように流行に乗っかって自分を主張しましょってことだけだからね。通俗研究者ってのは学問の本質だとか研究の質だとかってのは他人を脅かすとき以外には用のないことなんだね。自分の研究とやってることが食い違ったって何にも感じないってのは当然だったんだね。
勝手なこと言いくさって、悔しがってもお前なんかそのどこにも入れんのじゃ、もういいかげんにしさらせ。
− とにかくだ文献や先行研究調べは職人仕事、主題や内容はすでにどっかで公認のお墨付きの分野で安心してできるのが通俗研究の通俗たるところってこと。
せやけどそれどこも悪ないで。
− だから文学だってもう通俗しかないんだったら研究だって通俗ばっかりなんだ。この現状の中からまた学問研究といわれるものが出てくるのを待つしかないってことかな。それまでやってることは外語職業訓練所と通俗研究者養成所の親方ってところか。自分らが思ってるほど研究者なんて世間じゃ評価されてないからね。
言われてみりゃダイガクってお稽古ごとの塾みたいなもんやからな。
− そうだろ。だからお弟子さん沢山とって、あちこちで名前を売りまくって商売やってるところがはやることになるんだ。
中身なんてどやってええんや。世ん中悪うなればなるほどそれ利用して飯のタネにするやつかておるしな。
− 外国の文化や文学だって、そいつをネタに日本での興行が受けさえすりゃいいのね。本邦独占公開とかいって。なんとなく胸にジーンとくる文章でも書いて人を感動させるんだ。
どっかの宗教団体のパンフレットみたいに心にしみ入る文章さえ書けりゃもとの文化なんてどうでもええんや。
− そんなとこかね。だけどその前にまたへんな予言が実現するんじゃないかって心配になってきたね。