三枝壽勝の乱文乱筆


よいどろぶねよさようなら
− 惨酷演戯: 災有酔壷功労無
(むざんやなわざわいのかげさけありてろうくはむなし)

『綜合文化研究』、東京外国語大学総合文化研究所、2003.3.25発行
改定2003.1.22、23、24、2.12


前書き: 今回のものについては編集担当のある英文学の教官から前半を削除せよという依頼がきた。事前に検閲を受けたのは始めてだったが、削除はしないことにした。今回は大学や研究者に対する悪口はほとんど書かなかったが、提出後、原稿の段階で何人か廻し読みしていることを知って、期待にそむかないように少し追加して加えることにした。
- とうとうこの世じゃあんたに会えなくなったね。
- なんや知らんうちに死んでもたな。
- 妙な事件だったね。ミステリーじみてたよ。変死だなんて信じられないよ。
- 何でやね。
- あんたさ、死んでからおれんとこに来たろ。後から気がついたんだ。
- わしゃ死んでからのこた知らんがな。
- じゃ、言うよ。四月の初めだったっけ。前の年の秋にあんたと会ったろ。退院直後のリハビリの最中だったじゃないか。タバコ一本でも即座に死ぬぞって医者に脅かされ、酒もマネゴトみたいに飲んでたよな。あのあと電話したっけ。
- せやったな。春休みに資料調べに行くかもしれんて話したな。
- そんで何か近代史のことで尋ようと思って電話したの。通じなくて、研究室にも電話したけど、やっぱり誰も出なくて、変だなって切ったのさ。したらすぐに天理大学ですって電話じゃないか。びっくりしたよ。何でおれが電話したことわかったんだろってね。だって電話切ったとたんにベル鳴ったからね。
- それわしやないで。わしゃ死んどんやから。
- もちろんさ。学会の事務員の彼女さ。学会から除名されて関係がなくなったけど、死ぬ前一番親しくしてたみたいだからお知らせしますって。
- へえ。
- それでさ、一体いつどうやって死んだのか、聞いても、よくわからないっての。さっき死んでるのが見つかったばかりだって。変だなって、いったい誰に聞いたらわかるんかってったら、死体発見した彼に聞けってのさ。
- 彼って?
- 文学の先生さ。それで電話したよ。宿所で死んでたって。その日は学生のオリエンテーションなのに出て来ないから気になって、あんたの宿に彼が訪ねていってさ、部屋の鍵をあけてもらったらコタツの横に倒れていたってわけ。しかも死後何日か経ってるってね。いったい最後に彼に会ったのは誰だって聞いたら、妙なの。ちょっと言い渋って、自分だってのさ。月曜の新聞は見たらしいとか。あの日は金曜だろ。死後四日経ってるじゃないか。話し方がちょっと変だったね。この後どうするんだって聞いたけど、何にも決まってなかったしね。
- わしのためそりゃ御苦労やったな。葬式もやってもろたんか。
- 後から連絡したら土・日なんで月曜に告別式をやるってのさ。親族だけは土曜に密葬するって。でね、どうせ告別式に来るやつら顔会わせるつもりないし、カンノさんと彼の最初の教え子の二人にだけ知らせてね、土曜にそっと天理にいったんだ。死ぬまで天理なんかに行くかって言ってたのにね。棺おけの中のあんたの顔見たら涙が出たね。傷みがひどかったこともあるけど。定年後のこと考えて資料整理もして準備してたって聞いたよ。焼き場から戻りながら腹たったね。有象無象の来る告別式にはでないけど、花輪ぐらいってんで、いやみだけど死んだ長さんの名前まで入れて連名にしたぞ。気がついた奴いたかな。
- そんな話やったらちっとも変なことあらへんがな。
- これから話するよ。最初の疑問は、何で死んだという知らせがくる直前にあんたんとこに電話する気になったんだろうってこと。
- そんなん偶然やんけ。
- でもな、あっちから連絡してくる直前に、なんでこっちから電話をする気になったんだ? おれが電話を切って即座に連絡が来たんだぜ。おれたち電話なんて何ヶ月に一度じゃないか。単なる偶然かよ?
- そやから?
- だから、そのときあんたがおれのところに来たってこと。死んでから四日で五百キロなら一日百キロちょっとだ。「菊香の約」じゃ一日百里だ、あんたはそこまで速くはないな。やっぱり魂もリハビリ中でうまく歩けなかったんかな。まてよ学会の彼女が電話する直前に飛んできたんだったら一瞬だよな。でもそうしたらそれまで魂はどこほっつき廻ってたんだ?
- 言われてみりゃ、どっか飛んでったような気もせんでもないわ。
- 変だと思ってる疑問がもう一つあんの。あれから一月ほどたってからさ、あんたの死んだこと、自分には関係ないって言って廻ってるやつがいたの。その人さ、あとでも同じこと別の人にも言ってたから、同じことあちこちで言い廻ってたかもしれないよな。変なのはさ、何であんたが死んだことに関係ないってわざわざ言うんだろうってこと。考えたらおかしいよね。その人の住んでるとこはここよりずっと北のほう、天理は南方はるかかなたで、関係ないのはあたりまえじゃないか。
- そん時、何かの集まりで天理に来てたんや。他にも何人か来とった。もうわし何もかもかすれて思いだせんよなったけどな、たしかそやったな。
- ま、そんなとこやろ。たぶんあんたが自宅でひっくりかえって死んだんは、酒を飲まされたからってことなんだろ。リハビリで酒もタバコも禁じられてるのに。飲みゃ命にかかわるって周辺の人間なら知ってたはずだよね。うっかり飲んで死んだってこと? なら、何で自分は関係ないって言う必要があるんだろね? 変だろ? 何か裏があるみたいじゃないか。どっかうさんくさいなって感じがするの。
- うさんくさいって?
- だって、おれだってそんなこと聞かなきゃ、あんたはリハビリうまくいかなくて死んじまったな、ぐらいじゃないか。だけど、普通に考えれば当然関係ないはずの人間が、わざわざ関係ないって言い廻ってるってことになりゃ、何か妙な感じがするのじゃないか?
- そりゃな。
- そこへもってきて最近、この秋、学会の会長だか副会長だかやってたのが、あんたが死んだのは四人の韓国人と酒を飲んだからだって言ってたっての。いったいどうなってんの、この人たち? どいつも、自分には責任がないということばかり言ってんだよね。どうもあんたが自分だけで勝手に死んだんじゃないらしいってことらしいのね。何かがあって、あんたが死んだらしいってこと。しかも誰も自分に責任があるって言いたがらないのね。そのうちの一人は積極的に関係ないって言って廻ってるしね。どうやらかなり疚しいことがあったんじゃないかって感じさ。でさ、最初にあんたの無惨な死に方を発見した彼が、いきさつをはっきり言いたがらなかったことも腑に落ちるんだよね。彼があんたの自宅に確かめに行ったのも、もしかするとっていう心当たりがあったからだろ?
- そりゃ誰だって他人の事故死に関わりたくないのは人情やからな。
- それは赤の他人が死んだ時だろ。ここは自分たちが関わっているのに、関係ないって言い廻ってるのがうさんくさいっての。
- 関係ないって言ってるんやから、関係ないことにさせときや。
- そうだけどね。どんな犯罪者の陳述だって全部が嘘ってこたないだろうしね。どっかに本当のことが含まれているよね。
- 何かの意味では、全部本当のことを言ってるんやないの?
- そりゃ何かの意味ではだろうね。どういう意味なんだろ? 何にも言わなきゃ誰も疑わないのに、わざわざ言ってんだよな。そのやましさを疑わせるうさんくささと、関係ないって言ってることがどこで結びつくかってことね。
- たとえばやんか、人をホームから突き落としても、ひき殺したんは電車やて言うときゃ嘘やないな。
- だからさ、どうやらあいつらが言ってるように,あんたに直接酒飲ませた人間たちがいたってのは本当かもしれないってことね。だけど、だったら何で自分らじゃないって弁明するんだよ?
- そりゃ完全に無関係や言われへん何かがあるからやないか。
- そこに犯罪の真相があるってことね。ぼくはね、あんたはおれたち、つまりカンノさんとぼくのかわりに犠牲にされたって感じてんの。ぼくなんか何にも言ってないのに勝手に学会除名されたけど、あんたは本部にいたから形式的でも役目はあるし勝手に除名できないよな。だけどおれたち三人が憎まれてたらしいから、そばにいるあんたがひっかぶってやられたんじゃないかって思ってんの。こんどの件もくわしいこた分らないけど、あんたが酒飲んじゃいけないことぐらい、皆知ってたはずだよな。だから、半身不随にでもしてやれってんで、酒飲むようにしむけたか、そんなとこに追いやったんじゃないかっての。まさか死ぬとは思ってなかったかもしれないけど、再起不能ぐらいの惨めな状態にでもなれって思ってたんじゃないんかな。行き過ぎて死んじまったけど。
- わし、そんなんで死んだんやろか。
- 刑事事件にならんかもしんないけど、この程度だってじゅうぶん犯罪だろ。
- 犯罪やゆうても、わしが生き返るわけやないしな……。
- そりゃそうだけど、事情を知ってるらしいやつらの下劣さって何だよ。人が死んだんだったら悔やみの一言ぐらいあったっていいじゃないか。直接関係なくても、自分が傍にいてあんたを助けられなかったら、そのことに責任感じてもいいだろうと思うんだけどね。ところが何だい。言ってるこた自分は関係ないってことばかりだ。他人の不幸や痛みに対しては何も感じなくて、てめえの利害に関しちゃ大騒ぎするやつらなんだ。
- 何だか戦後の日本人の知識人みたいじゃんか。おのれらがやってきたことは伏せといて自分はただ犠牲者だって言うたり、戦争や植民地のことは関係ないって言ってたやつらがいたやんか。
- だけどね、今度のことは、その植民地や戦争のことにも関係してる朝鮮のことに関わってるやつらなんだぜ。
- なんだか、おまえまた話蒸し返しとんな。
- そういやいつも同じ話ばかりみたいだな。世間的には社交家で人格円満なやつらが犯罪やらかしてはカモフラージュしてるとか、流言飛語のこと扱ってたやつが自分から人の悪口言いふらしてたってな話を前にしたな。
- 戦争の後で、自分はだまされてたとか、知らなかったとか、ずうずうしいやつらもいたな。
- だから、だまされていたことがそんなに自慢になるかって言われたんだよな。最近も、地上の楽園に帰還させる運動を支援してたやつらが、自分は知らなかった、だまされていたとか言ったとか言わなかったとか。いつまでたっても同じだ。知らなかったって責任のがれるわけにいかないのに。責任ってのは、本人が責任を引き受ける覚悟があるかないかが問題だろにね。単にあいつには責任があるだのないだの、そんな理窟や論理で決まるなんて未だに考えてるやつがいるらしいよな。こういう単細胞の発言こそ無責任なのちっとも分ってないんだよな。
- いつやて、おのれのこと棚上げにしてもって他人のこと批判できる思うとんや。その程度のこっちゃから単純な政治の話にしかならんのやろな。
- まあな、国家的な規模であれ、個人的であれ、犠牲者が恨み骨髄に染み込んで復讐心に燃え上がるってのはありうるよな。
- だけど、そういう犠牲者の感情をてめえらが儲けるために利用したり、じぶんらの宣伝に使おうってのが汚えやんか。
- おれはね、そういう個人的なことや国家の威信なんて事も、そんなにつまんねえことだとは思ってないけどね。でも最近は関心が全然違ったとこに飛んでっちゃうのね。
- たとえば?
- まずな、拉致ってさ、日本だってとっくの昔もっと大規模にやってんじゃないか。強制連行っていうじゃない。朝鮮人に対してならあの何百・何千倍もの規模でな。
- だからって北朝鮮が同じことやっていいってこちゃないやろ。
- もちろん。ただね、日本のやったあれだけのことに対して、かなり批判がされてんのに、根本的に反省した日本人ってどんだけいるんだろうかってことさ。たいていの日本人ってなんにも感じてないんじゃないかな。そのこと大袈裟に言う日本人もいるけど、どうも信用できない雰囲気の人間が多くてさ。おれは政治のことに発言できないけど、要するに日本人のこと見たら、北朝鮮がどういう態度をとるかほぼ予想できるんじゃないかってこと。
- そやからって何もせんでええ言う話にゃならんやろ。
- もちろん、ただちょっと違ったことに関心あるってこと。ほら北の工作員が日本人をさらったってんだろ。あれってさ純粋の日本人が必要だったから拉致したんだろ。それも国家的な事業として。要するにさ、ある国でどっかの人間が必要だと思えば、どこであってもそこまで行ってさらってくるってことじゃないか。こんなこと別に今に始まったことでもないし、北朝鮮だけがやってることじゃないだろうってこと。人間、人間って言うけど要するに国家が必要としている人的資源なんだよな。おれってさ、大昔から人間の歴史じゃこんなこと繰り返されたと思ってんの。ほら文化の伝播っていうじゃないか。おれは皆がちょっと誤解してんじゃないかと思ってんの。複数の文化圏の間で文化が伝わるってとき、皆どう考えてんのかな。素朴にお互いの文化圏のあいだで人が交流して技術や学問を学んだり、使節が文化を伝えにやってきたなんて考えてるんじゃないのかな。
- 昔、日本に中国や朝鮮から人がやってきて先進文化を伝えたり、先方に留学生を派遣して学びに行ったってことじゃないの?
- そんなことがあったことは否定しないよ。だけどね、もっと古くはそんな悠長なやりかたしてなかったと思うよ。戦争やって先方の文明を滅亡させると同時にそこにいた人的資源をそっくりさらって来たんじゃないの。相手が滅亡しなくたって文禄・慶長の役のように陶工をさらってきて日本の陶芸を発展させたこともあるよな。もともと主として官窯だったせいもあるけど、韓国での陶芸なんてあれから未発達で青磁・白磁なんていいながら、肝心の一般家庭での陶磁器なんて最近までお話にならないありさまだったじゃないか。
- それで?
- ようするにさ、民族や国家ってのが、今おれたちが見てるような具合に不変の存在であって、その間で文化現象だけがやり取りされて伝わるって考えは一面的すぎるってこと。文化の伝播にはその文化の担い手である人間の移動も伴うってことだし、その際に民族や国家の構造の変化も伴うってこともありうるんだってこと。そうすりゃ、ある彫刻の様式が伝わる時、なぜ技術の手法だけでなく、その様式の中にもとの担い手たちの顔つきまでそっくり伝わったのかとか、ある文化現象が他の地域に伝わったあと、なぜもとの地域ではその文化が絶滅してしまったのかってことがかなり理解しやすくなるんじゃないの。
- たしかにあてはまりそうなこと多そうやな。おまえ拉致のこと聞いてそんなことしか考えとらんかったんか。
- おれは新聞もテレビも見てないから、ニュースっても駅や電車の広告の表題でしか知らないからそれ以上の中味については知らんし興味もないけどな。
- 人間の歴史なんてその程度かもしれんやろな。
- ああ、歴史が進歩するなんて誤解だよな。人間も人間の能力もさほど変化してないだろ。蓄積して行く技術や知識そして物質的なことは膨大に増えたけどね。
変らないってばさ、さっきあんたが話した中国や朝鮮から人がやってきて先進文化を伝えたってのも最近ちょっと疑ってんだ。
- どこがおかしいんや?
- おかしかないけど、最近日本に来てる外国人見ててなんとなく昔もそうじゃなかったかって想像するようになったってこと。
- なにをや?
- いま日本に来てる人ってさ、本国じゃうまくいかなくてやって来てる人多いじゃない。でね、昔もそうやって本国に居づらくなって流れ者でやって来た人間をありがたがってもてなしたんかなって。
- おまえ問題発言しよるな。
- でもね、なんであの時代わざわざ辺境のこの島国までやってきたんだ? 博愛的使命感? まさか。生活に困ったり政治的に追い詰められて流れてきたんと違うかなって。王仁とか鑑真ってのもなにか本国でいづらくなってこっちに渡ってきたんじゃないんかね。
- そやって未開のここの人間教育したんやいうんか?
- べつに学者ばかり来たわけじゃないだろけどね。でもこの地に物好きで好奇心旺盛な人間が大勢いたから彼らもやりがいがあったんじゃない? ちょうど今でも実用的には何も役に立たないけど韓国語勉強する日本人いっぱいいるから大勢の韓国人が日本に来て仕事してるんじゃないか。
- そやったら、将来な、何百年後になったら、世界でもまれな優秀な表記法を持つ韓国語を日本に伝えた恩を忘れるなやて、あの人たち言出だすかもしれへんな。ほてから両国でまた揉めごと起すんや。
- 揉めごとといや、それについてもまた考えちゃうんだな。
- なんやね、いちいち。
- あんね、近年までさ韓国と日本って何かことあるごとに張り合ってたじゃない? 何でこの二つの国は互いにあんなに意識しなきゃなんなかったんかってことさ。
- なんでや、昔の植民地時代の恨みがあるからとちゃうんか?
- じゃなんで日本人は何の恨みもないはずなのに韓国の悪口言いたがるの? 変じゃない。
- そやな、何でや?
- あのね、たぶんこの二つの国はどちらもちっぽけで互いにあんまりにも似すぎているんだ。だから互いに丁度うまく張り合えるんだ。というのはね、つまりその隣にある中国を見ないようにしてるんさ。中国のことを見ちゃうと自分たちがあんまり惨めだからね。それでどちらもできるだけそっちを見ないようにしてちっぽけな国同士で張り合ってんのさ。じつにくだらないよな。
- おれたちってその程度のけちな人間なんやろな。
- おれたちだけじゃなくてもしかすると人類なんてせいぜいその程度じゃないのかな。
- そやかて、そんなにばかにもできんやろ。言葉を喋ることできんの人間だけやぜ。それから道具を使うことできるんも人間だけやないか。
- あんたびっくりするような古めかしいこと言うね。どこで覚えてきたんだよ。人間だけ、人間だけって、人間以外に何を考えてんだよ? 人間だけが道具や言葉を持ってる? 誰に対して言ってんだよ? サル? チンパンジー? 人間が道具を使い言葉を持つことで進化の上でサルとの違いを生み出した? そんなお念仏は勝手だけど。人間だけが二本足で立って歩き道具を使い言語を使うって! あたりまえじゃないか。人間にとって人間が課題になるってのはさ。だからどうするかってことじゃないのか。サル相手にそんなこと自慢にして何になるんだよ? 人間ってサルを相手にしてしか自己の優位を主張できないんかよ。言葉、言葉っていうけど、言葉を持ってること自体じゃなくて、その言葉をどう使うかその所有の仕方が問題なんじゃないの?
- 言われてみりゃそうやわな。わしらサル相手に何言うてもしゃないわな。
- 言葉の使い方っていや、おれたちの周辺かなり退化してるぞ。電車ん中で喋ってる話題ってなんだよ。どうでもいいことの羅列じゃないか。会議に出てみんなの発言聞いてみろよ。今じゃ言葉を喋ることって低級な脳の活動にしかすぎないってこと一目瞭然じゃないか。ちぃっとはね、言葉を超えた事がらをどうとらえ、考え、そしてどうやってそれを言葉の世界で表現するかってことも考えてよさそうなものじゃないか。だのにそれに対しちゃ全くの無知と低次元の感覚しかないみたいだよな。
- せやけど、最近の会議って、言葉がどうのってほど重要な内容やなんて誰も思うとらんのやろ?
- たしかにな。他人が喋ってるときは聞いてなくて、相手が終ったら関係なしに自分の言いたいこと喋るだけだから。いつまでたっても同じことの繰り返しだよな。話し合いってのは、文字通りお互いがかわりばんこに話するだけ。お互いが何かを考え出すきっかけにしようなんて思ってもいないよな。初めっから結論が決まっていて、予定した結論が出ないと、同じ議題をまたくり返して審議させるんだぜ。まるで拷問だぜ。逆らうやつを精神的に徹底的に参らせるんだ。もう誰も自分の主張する気なくなるよな。
- 会議はしゃぁけど、研究ぐらいまともにしとうやつはおるやろが。
- そいつはおれも知らんけどな、いるかな。研究っても最近は科研費とか補助金とってきて学校に貢献しろって話ばっかりじゃないの。
- 補助金もろてガッコが儲かるんやったらええこっちゃないか。
- ふん。どうせ政府の役人たぶらかして金とってくるってことだろ。要するに利権がらみで誰の役にもたたないことに金つぎこませる公共事業と同じじゃないの。
- あたりまえやんか。お上のご機嫌とらな金もらえんやろ。外国語の研究がどんなに重要かでっちあげてはったりかましたらええんや。
- そりゃ、うちは外国語を基盤にしてさまざまな分野の研究をすることになってるよな。外国語に関する研究というのはさ、その外国語を普及させることでも、その地域の宣伝をすることでもないはずだよな。だのに未だに自分がかかわってる地域のことを知らない人がいるとか嘆いたり、だんだん関心を持つ人が増えればその言語を学ぶ人が増えるだろうと期待したり、なんだか芸能人と同じじゃないか。探求を中心とした研究というのはさ、本人が扱っている地域の言語や文化の研究から、もっと人間の学として普遍的なものに結びつく何かを探り出すということじゃなかったの。
- もちょっと説明せんかい。
- うん、だからさ、皆さ、言語の研究って何を言ってんのかなって。外の人から見れば言語の研究ってのは、ある言語の周辺にある文化的なすべてを含めて言ってるみたいだけど、内の人から言わせると言語学のことでしかないのね。言語学って言語に関する研究のほんの一部でしかないんだけどね。ま、それはそれとして、ある地域で使われているある特定の言葉の本来の意味をしらべるため、用例をたくさん集めて体系的に整理するなんて言ってるね。ある単語の本来の意味なんて言い方をいまでもするやつがいるみたいだよね。ある言葉に本来の意味なんてそもそもあるんかね。言葉なんて使われることによってはじめてその意味が生じるんじゃなかったんかね。
- そやろか。もともと意味をもっとうから、それに合わせて使うやないのか。
- うん? おれと反対のこと言ってるぞ。おれはさまざまな使い方があって、そのように使われることがその語の意味を生み出してゆくってるの。だからいままでなかった意味だって、そのように使われることによって新たな用法が生じるのさ。ある言葉の背後に本来の意味なんてもともと探したってどこにも隠れてないだろって井戸源さんも言ってなかった?
- わしゃそんなん知らんぜ。しゃけど、それで何が変るんや。
- 変わりない? でも辞書の作り方なんかかなり差ができてくるって気するけどね。言葉が決して不変の固有の意味をもって存在してるのじゃなくて、流動的に変化して行く用法のなかで次々と現れては消えてゆく現象として存在してるってこと。どうも最近えらく原始的で不変の本質を前提にして話すやつがいるみたいな気もしてね。
- どっちゃでもええような話してるみたいやけど、もっとわかりやすう話せんのか。
- なんってんだろ。そうだニワトリとタマゴの話あったじゃないか。どっちが先なんだって。いくら考えても結局結論がでないっていうじゃない。なんで今でもこんな比喩使うやつがいるんだろうって思うんさ。こんなのパラドックスでもなんでもないじゃないかってね。いまじゃ進化論もさまざま批判されている時代だけど、ニワトリとタマゴの話って進化論以前、とてつもなく古めかしい発想だよな。
- どこがや。
- ニワトリ、タマゴ、ニワトリ、タマゴって、ずっと続けていくとさ、どうなる?
- きりないやろが、あたりまえやんか。
- どこまできりないんだ。百万年先までいっても、一億年先までいってもきりないっての? なら、この宇宙が出来るまえまでさかのぼって、そのときでもニワトリ、タマゴってやってるの?
- あほなことぬかすな。
- だったら、どっかで終んなきゃなんないじゃないか。どこで終ればいいんだよ。
- どないして終らすんや?
- だから進化論以前の古代人の発想はだめっていったんだよ。
- だったら、どないせ言うんや?
- ニワトリ、タマゴって一代ずつさかのぼるに従ってだんだんニワトリの進化を逆にたどっていくんじゃないか。だからだんだんとその姿が変化してゆくだろ。ニワトリやタマゴをどこまでさかのぼっても変化がない不変のものだと考えるから変なことにやるんじゃないか。ここにはどこにも逆説なんかないんだ。
- しょもない、ちっともおもろないやんけ。
- だから流動的な変化を考慮しない発想とか、あるもの同士の関係を無視した発想はだめだっていったの。あるがままの事がらをそのまま見ることがそんなに難しいのかね。
- 関係やなんて、まためんどくさそうな言い方しくさって。おれとお前の関係ってやつか?
- うん? おれとお前の関係ってと、まずおれとあんたとが前提としてあって、その間に関係が成り立つって言ってるみたいだよな。
- そやないのか?
- その程度の関係なら、関係なんていわなくても、もとのおれとあんたさえわかれば自然に関係は導き出せそうだよな。関係っていうなら、その関係からおれやあんたが発生する過程も出てこないとね。そもそもどっちかを先に前提にして他方を考えようとするのはあまりにも機械的な考え方じゃないかな。
- そやけどわしがまずおるんや言うのどこが悪いんや。
- あ、あんた井出嘉瑠さん以前だな。おれがここに居るぞっていうことだって、そう簡単に主張できるわけじゃないんだぜ。おれは、おれはって、どんどん追求していって、おれが何で自分のこと考えてるんだ、おれは、おれはって考えてるおれがいるじゃないかって、井出嘉瑠さんは楽天的に主張できたけど、実際自分でやってみりゃわかるだろ。そんな気楽な結論だせるわけないよな。せいぜい言えるこた、確かに何かがあるからこの世は何にもないのじゃないなとか、おれはおれでしかないとか、おれはおれ以外のものであり得ない固有の何かであるとか、そんなとこじゃなかったっけ。こうやって進めていっても肝心のおれの正体って何だってのは中々出てこないんだよな。だれだっけ宇井慈武先生だったっけ、私の中で何かが考えているって、その何かが私であるとはっきり言うのは大変だよね。
- けっ、しょもない。そやったら体ん中の寄生虫にでも考えさせたれ。
- まあな、つきつめてもしょうがないってんだったら、とにかくおれって何だなんてことも簡単じゃないよってことにするか? それでもね、おれの正体が何であれ、そのおれの存在を確認するためにはおれではない何かとの関係が要るってことは感じられるよな。我は我ならざるものとの相依性において存在が確かめられるってね。でなきゃ存在の不快ってのから抜けだせなくなっちまうよな。
- けっ、でまかせ言いくさって。で、それが何で関係になるんや?
- あれ? おれってのも、関係の総体じゃなかったっけ? さっき寄生虫って言った? ああ、人間って細胞が複雑に組み合わさってできてるよな。でも細胞一つで生きてる生物もいるよな。
- 単細胞や、誰かみたいやな。
- アメバーみたいなその単細胞の生き物って自分っていう意識あるんかな? どうだろ。おそらくおれたちが考えてるみたいな自己意識はないだろな。なんでって、単細胞じゃ自分で自分を意識するっていう矛盾したことになっちまいそうだからな。
- なんで自分で自分を意識したらあかんのや?
- そいつがおれって何だってことに関わってるんだろうな。
- おのれなんて簡単なこっちゃないんか、何ぐだぐだ言う必要があるんや?
- まあまあ、単細胞が集まって複数の共存形態から、互いの分業、そしてそれが組織となって分化して膨大な数の細胞からなる生物になってさ、その過程で自己意識が形成されてきてるんだろ。細胞の一つ一つに自己意識なんてないだろうし、組織のどこかにあるともいえないとすれば、それらの形成の過程で成立してくるそれらの相互の関係の中のどこかに探すよりほかないだろうね。膨大な細胞の組織総体と互いに規定し合いながらおれが成立してるってことになるんじゃないの。それもどこかを探せば感覚でつかめるような仕方じゃなくて、まさに賢治の言葉にある私という現象としてだよな。だからおれなんて脳やらどっか特定のとこを探したら見つかるもんでもないけど、また物質としての体を離れても成立しないとは言えそうだけど、必ずしも身体そのものに限定されるんでもないらしいから、ちょっとめんどうだよな。
- なんで自分は自分の体に限定されたらあかんのや。
- だって、自分以外との存在、無生物でもいいけど、そんなものも自分の一部って感じるようになることあるからな。目の前の机を叩くと傷みを感じるって実験あったよな。集団の意識だって自分の範囲がちょっと拡大した例になるかもしんないしね。
- 死んでもたわしがわしや言うてるのはその体以外の何かと関わっとういうことか。
- あんたはどっちみちどこにもいないんだから何言うても無駄ね。
- せやったらわしは自分でわしや思うとうけど、ほんまはおまえのことやったいうことやないか。
- あっ、そうそう、よくそんなこと言うことあるよな。おれと誰かとの境目が溶けちまって区別なくなってしまう感覚みたいなの。そういや、ものすごく低次元の幼稚な自然科学ですべての物質は実は同じだったと説明するやり方があるね。
- この世の中のすべての物って、石ころもミミズもブタも人間もみな同じや言うんか。
- ミミズと人間が同じだっていうんじゃなくてさ、その物質を作っている元素が実は同じだっていってんの。
- そんなん科学やのうて昔からあったやないか。すべての物質は水からできとうとか、理だの気だのいうやつや。
- それでもさ、その水って水としては同じだけど、ここにある水とあそこにある水とはやっぱり違うんじゃない? おれが言ってるのはその水の場合でもここにある水でもあそこにある水でも同じものがここにもあそこにも現れているってこと。この世の中の水はたった一滴の水しかなくてそれが世界のあらゆるとこに同時に現れて多様な世界を作ってるっていう具合なの。
- あほくさ。たった一つしかなかったら、わしとおまえみたいに別々にいることやてでけんやろがな。
- だからさ、うんとばかばかしく単純で幼稚な考え方しないとだめなのさ。
- 高級やのうて低次元の考えや言うのか?
- そりゃそうじゃないか。ばかげて単純なやり方すんだから。たとえばさテレビの画面ではどうやって映像が現れるんだ?
- そんなこと知るかいな。
- あれはブラウン管の表面に電子のビームが当るとピカッて点が光るんだけど、そのビームが走査線にそって次々に表面上を動いていくの。何度もビームが表面を繰り返し走査線にそって走るうちブラウン管全体を覆いつくすだろ。すると光ったり光らなかったりする点のつながりで絵が一つ画けるじゃない。いったん一つの絵が終ったら同じことまた初めからくり返すと次の瞬間の絵が現れるだろ。それを一秒間に何回とでもくり返してみろよ。おれたちの目には動く画面として見えるじゃないか。
- それ、世界が一つの元素で出来とうこととどう繋がんのや?
- うん、テレビの場合はけっきょく一種類の同じ電子線がブラウン管に当って光ったり光らなかったりするだけで結果として複雑な動く画面になるじゃないか。それを三次元の立体でやれば似たようなことになんない?
- でもなせやったら、そこで出来んのはただの架空のもんや。この世の物にはならへんで。それになそんなちっちゃな箱みたいなとこで言うても、話はそこだけのこっちゃないか。
- だからね、三次元のブラウン管としてはこのありとあらゆるものを包む宇宙全体を考えるの。そしてこの世でたった一つしかない電子を一人ぼっちでこの宇宙を走らせればいいじゃないか。電子が自分で光ったところは物があると認定されるとこ、光らなかったとこは物がないとこって考えるの。
- あほ抜かせ。そやったら電子が一回端から端まで走るのにどえらい時間がかかるじゃないか。
- いいじゃないか。どうせ誰も見てないんだから。苛々して待ってる人もいないだろ。だから宇宙の大きさをうんと小さくして端から端まで一千億光年として、電子も最初は光と同じ速さで走らせれば片道一千億年で済むじゃない。この宇宙を埋め尽くすほど何度も行ったり来たりさせればこれで宇宙規模の立体的な物の世界が完成するじゃないか。
- いったい何回往復させりゃすむんや?
- さてね、電子は大きさがないから空間をぎっしり埋めるってもね。もっと大きい原子核なら1センチの間に一万かける一万かける一万かける一万個並ぶから、一センチ四方を埋めるにはそれの二乗個だからそれだけ往復させりゃいいだろ、だから宇宙全体を埋めるには……
- いいかげんにさらせ。あんな、でも、そやって莫大な時間をかけてもやっと静止した物の世界が作れただけやぜ。
- いいじゃないか。テレビと同じでそれを何回もくり返してやらせればそのうち動き出すんじゃない?
- おまえ、ええか、そんな気の遠くなるほどの時間をかけてもやっと物がほんのちょっとしか動かんのやないか。そんな悠長なん待ってられへんがな。
- あんた、誰が待ってんだよ。おれたちだってそん中でそうやって作られた物の一部でいっしょに変化してんだから何にも苛々するこたないじゃないか。実はね、あんたが心配するほどそんなに時間は経ってないと思うよ。だって電子は未来の方向にも、過去の方向にもどっちにも走るからけっきょく往復したときには時間は進んでないってことにもなりそうだからね。
- 一体、そんなこと考えてどないすんや? どこがええんやねん。
- あのね、これってねただアイデアを言っただけ。ほんとはもっとややこしいんだ。ただね、こうやって考えるとさ、なんでこの世の中にある無数の電子がすべて質量も大きさも同じでどれもこれも区別がつかないのかってことが一旦は説明できるってことじゃない。だってこの世の中にある物質の元になるものがどれも同じ性質でなきゃなんないなんて初めっから決まってないかもしれないもんね。
- ほんまに暇人や。どこのどいつがそんなあほらしいこと考えるんや。いっそ何もかも無くしてしもたれ。
- そう? そんならこの世の中から何もかも無くしたっていいんだぜ。
- そやったらもうなんもややこしいこと言わんでもすむやろがな。
- どっこい、今この世の中を何もない真空から導こうって話が流行らしいからね。真空ってかなり複雑なんだぞ。むかし数学でも何にもないところから数を作りだそうって話があったっけ。
- 何もなしにどうして何かが出てくるんや?
- なんにもないことってのは一つの概念ね。名前をつければ空集合ってこと。その空集合と空集合の関係、つまり自分自身との関係を新しい概念と認めちまえば、あとは次々と互いの関係同士で新しい概念ができるから、それぞれに零、一、二、三って名前をつければどんどん数が出来てくるってこと。
- なんや分らんけどそれでうまくいくんかい。
- 残念ながら単にこのやりかただと、色んなやり方で作った別の概念が重なって同じ数に対応してしまうし、しかも数によっていわば重なりかたが違ってきちまうんだな。
- おい、いいかげんさらせ。頭痛うなるわ。どだいそれが外国語や文学がどうのこうのと、どこで繋がるんや。
- まあまあ、そうあわてるな。こうやっておれってなんだなんていってるから、あんたともこうやって話できるんじゃないか。どうなの、あんた自分が死んでみた感想どうですか?
- しょもない。けっきょく皆自分のことしか考えとらんのや。人死んでも自分の立場守ることしか考えとらんやつばかりや聞いたらな、もうどうにでもさらせっちゅう気分や。
- 死ぬ瞬間って、あんたどんな気分やった? あっ、これで死ぬんだって、自分の姿が見えたとかさ、臨死体験の話で儲けてる人もいるみたいだけど。
- 臨死体験? 知らんがな。何で死ぬ瞬間だけ自分の姿が見えにゃあかんのや。自分の姿なんて夢でしょっちゅう見てるやないか。夢の中の出来事でも自分の動きは見えるんや。死にかけの時だけ特別で夢んなかで自分の姿見とんのはちっとも話題にならんのか?
- そりゃそうやな。どこでも話題はいつも流行ばかり追っかけていて、あんまり冷静じゃないって感じだよな。だからさ、目の前にある対象をありのままに見て扱うことだけでもまだまだ色んな可能性が残されてるんじゃないかってことね。外国語の話? さっきも言葉のこと言ったじゃないか。目の前のことほったらかして言葉の本来の意味だとかさ。やみくもに頻度調査やれば言葉の使い方の実態がわかるだなんてゴミ箱あさりの犬みたいな学者もいるな。
- おまえいつか言ってなかった。最近はそんなこともできない研究者がいて、出来の悪いやつらは皆古い時代の言葉の方に行かせるって?
- ああ、中期語とかいって一五世紀以後の朝鮮語ね。まだまだ新しい方向探り出せるだろうに、相変わらず先人のやった整理の仕方使ってお茶を濁して、朝鮮語のこと知らない研究者あいてにはったりかましてるよね。あいつらだいたい中期語って、例のハングルの創製のことどう考えてんだろね。
- 例の世宗大王のすばらしい業績で、子音や母音の字母の原理の話だとか、朝鮮語音韻の把握や表記法の画期的だって話はよう聞いたけどな。
- 何百年経ってもごますりとへつらい根性だけなんだ。偉大な王様のなされた偉大な業績ってね。いつまで経ってもサル的段階を抜け出すことなんかできないんだ。日本でも万葉集がさまざまな階層の人の作った当時の歌の記録だって言い方してたよな。まるで当時の日本語が日常語ばかりでなく文化的なことがらにたいしても、抽象的なことがらにたいしても、かなり高い水準に達していたという言い方だよな。欠けていたのはその日本語を表記する手段だけで万葉仮名によってその日本語がやっと記録されるようになった、ってなぐあいだよな。表記法がないのに言葉の文化だけが高度に発達してただなんてよく言えたもんだよ。
- しゃぁけど表記手段が発明されたおかげで記録が可能になったんは事実やないんか?
- それだったら、明治からのいわゆる言文一致運動といわれてんのはどうなんだ? あれを、すでに存在していた日本語表現をどう表記するかだけの問題だったなんて、誰も言わないよな。あの動きは文体や語彙も含めて新しい時代における新しい表現の創造の課題を追求していたんじゃなかったんかね。新しい時代における言語の記録は単に表記法の問題なんかに収まるちっぽけなことがらじゃないんじゃないかね。世宗大王たちが始めたハングルの創製って、単にそれまですでに存在していた朝鮮語の記録表記の問題なんかに限定されるものじゃなくて、同時に進行した諺解本の作業と一緒に考えなきゃならないんじゃないの。こんなことサル的段階だってすぐ気がつくことがらじゃないの?
- もちっと詳しう言うてくれんとわからんがな。わしサルなんか?
- あんたはサルじゃないよ、ただの死人だよ。つまりさ、万葉集だって世宗大王たちの仕事だって、その作業の中で、いかに日本語や朝鮮語を表記するかという課題と同時に、いかに日本語や朝鮮語の表現の可能性を追求できるか、あらたな表現、あらたな語彙の創出という作業も同時進行していたんじゃないか。そこで初めてそれまでなかった日本語や朝鮮語の表現が作り出されたってことじゃないかっての。
- そんなことそれほど強調せなあかんことなんか? あたりまえみたいに思えるけどな。
- でもこんなこと言ってるやつ見たことないな。だってここで言ってることも、おれとしちゃ、けっきょく同じ言い方なんだ。ある時代の言語は言語として固定したものとして設定し、単にそれを表記するという形式的問題じゃなくて、表記と言語を互いに流動的な関係としてとらえるということだからね。
- でもそんなことやってるやつがおんのにお前だけが知らんのとちゃうか?
- それだったら問題ないけどね。だったらおれの周辺でも、もっと中国語真剣に勉強するやついてもよさそうだけどな。だってね、今いった問題ね、朝鮮語だけじゃなく中国語も知ってると納得できる現象が多いような気がするんだけどね。誰もそんなことで悩んじゃいないみたいだよ。やっぱりいないのかもしれないって思っちゃうんだよな。研究方法の問題なんてもんじゃなくてそれ以前の研究するやつのあたまの問題だろうね。
- そんな他人の研究にちょっかい出すのやめとけ。お前はお前のやることだけやっとりゃええんや。文学の話もちっとはしたれや。
- 事がらがいっぱい入り乱れて整理ができない気もするけどね、でも言ってることはやっぱり同じことみたいだね。おれの扱っるのは小説を中心にしたこの百年ぐらいの作品だけど、その作品そのものの出来ぐあいなんてことにはあんまり関心ないからな。その時代とのかかわりにおける作品の問題だからね。前にちょっと近代の作品における文体の成立のことやってみたけど、あんまり細かくなりそうでおれの手に負えないような気もしたな。一回でとまっちまったけど。めんどくさくなって、近ごろもっとおおざっぱなことばかり考えるようになってしまったな。
- 李光洙やとか李泰俊とかいうのもうやらへんのか?
- 作家とか作品の研究を本国の人間と同じようにやるってのに根本的な違和感があるな。おれのやったのはまだ本国でも手がつけられてないことばかりだったけど、それなりに外国の文学をどうとらえることができるかという課題として意味あったかもしれないよ。だけど本国の人間が自分たちの文学として取り上げ出した課題を同じように並んで調べることなんか、外国文学の研究として何のためになるのかあまりわからないね。本国で有名になった作家や研究者にへつらってインタビューやったり対談やったりとか、仲良しになったこと言いふらしたりしても、それは主体的な外国の文学の研究には結びつかないよな。異質な文化の理解という課題を前提としているかぎり、もうちいと距離をおいて冷静なほうがいいって気がすんの。
- だからといって本国の人と同じようにやってあかんとはいえんやろ?
- そりゃおれの関心とは違ったところでやってるってことだから。でも本国で関心を持たれ重要視されたあとで、作品や作家のこと競争して調べて何になるんだろって思うけど。
- 本国の研究に寄与するんやからごちゃごちゃいうこたあらへんのや。
- まあな。おれのほうは、それよりも何でそういう作品や作家が受け入れられるのか、人気があるのかってことを考えるほうに関心が移ったね。
- おまえはねじけとうから何で関心がないんやろってことも問題にするんやないの?
- それもあるし両方だな。無いってことでいや、文学だけじゃなくて、何で朝鮮では演劇がなかったのかとか、語り物がパンソリ一つだけなんだとか色々あるよな。文学じゃ、何で探偵小説や空想科学小説が歓迎されないのかってのもあるしね。日本や中国では探偵小説もSFもかなり生産され消費されているのに、韓国じゃ一部の読者と作家の範囲に限定されてるからね。それぞれの現象についちゃ昔だったら社会経済的な理由で説明したんだろうけどね、それじゃうまくいかないとこがあるね。どうしてって、そういう背景がなくなった後まで同じ状態が続いているからね。一度ある傾向ができると条件が変ってもその傾向が維持されるってことね。
- しゃぁけど、そのかわり韓国で歓迎されてるものがあるってこたないんか?
- それがおそらく武侠小説ってやつかな。日本じゃ時代小説ってのがあるから韓国独自って言えないけどね。でも日本の時代小説と韓国の武侠小説はまったく違うよな。これは中国の武侠小説とのつながりを見たほうがいいだろうな。中国では武侠小説を民族固有のジャンルだという人もいるし、とくに新派の金庸のものは将来中国の古典となるだろうという人もいるんだ。外国の人間が理解してくれなくても自分たちが好きで大切にして読めばいいじゃないかって言い方でね。韓国では中国の武侠小説の主要なものはかなり翻訳されていることと、韓国で書かれた武侠小説の舞台がほとんど中国であるというのが注目すべきことかな。
- 舞台が中国やいうと昔習ったけど古典の小説の舞台も中国やて聞いたな。
- うんハングルで書かれた物語の舞台はほとんど中国だよね。漢文のものでは金?新話などは朝鮮が舞台だし、ハングルでも洪吉童伝や春香伝などは朝鮮が舞台のだけどね。武侠小説も含めてなぜこれらの舞台が中国なのかは韓国の文学の問題点の一つだね。
- というとまだあるわけや。
- ほか何があるかな。うん文学の担い手の問題があるな。これは一見外的なことがらだけど、旧時代の学問の担い手だった士大夫の両班たちのうち近代文学の担い手になった人間がいるかいないかを考えると旧時代と近代の連続性の問題がでてくるよな。
- で結果は? ふつうは近代直前の日清戦争のころから新しい文明の動きがあって近代に移行したなんて言うてたけどな。
- そんな単純じゃないだろな。詩は簡単だ。抒情詩を書いた詩人にもと支配層の両班出身はいないらしいね。両班出身の李陸史とか趙芝薫や朴斗鎮などの詩は理念的な傾向があって李陸史以外は読んでも面白くないね。小説のほうはどうやら両班出身はいないと見ていいよね。例外に洪命憙がいるけど、書いた作品が林巨正という武侠小説に近いもので近代文学の作品とはみなせないな。
- そんな話がどやいうんや。
- 担い手が連続してないということは、文学の歴史が断絶しているということだろ。外部の影響なしにこういう変化が起こるのは革命などで社会の中心勢力が交替した時なんだろうけど、朝鮮はそれに当るものが日本の植民地化ということになるよな。
- ということは近代文学の担い手は日本の植民地支配に支えられてたということになるやんか。
- あんまり単純にいうと誤解が生じるけど、無関係とはいえないだろう。ただこう言うと、すぐに早まって近代文学の担い手は日本に協力した民族反逆者か、なんて言うやつがでてくるかもしれないけど、そんなに単純なもんじゃないってことね。
- もったいぶった言い方しよって。けっきょくは同じことになるんやないのか。
- そういった次元の問題はあんまり重要じゃないってこと。名前売って原稿料稼ぐ人にまかせておけばいいの。担い手の問題ってのは旧時代のハングル小説でも問題になることなの。
- 担い手っていったい誰のこと言うとんや。
- 一般には書き手と読者だけど朝鮮の場合必ずしも字を読める人が享受者とは限らないから、その本を読んでもらって聞く人たちも含まれるね。そしてさっきの言ったハングルで書かれた物語の舞台がほとんど中国だという問題はさ、この担い手たちの範囲が限られていたので結局同じような形式のものしか現れなかったと見るのか、あるいは朝鮮で物語の伝統があってこの形式がここにも引き継がれてきたのかっていう問題ね。
- その二つのどこが違うんや。どやって区別するんや。区別でけへんかったら言うてもしゃないで。
- 確かに。普通は伝統って言ってんじゃないかな。おれが担い手のこと言ったのは近代において小説の発生の時期のことが頭にあったからなのね。そのときには奇妙なことかもしれないけど、新しい時代の小説というか物語はふつう言う文学の分野じゃなくて、もっと俗なところから始まっているらしいの。そして書き手もそんな文学などという高級な意識じゃないとこから出発してるらしいからね。それで昔のことも考え直したらどうなるかって考えたの。
- せで、結果はどうなったんや。
- おれの専門じゃないから、自分じゃやってないのでわからないよ。誰かやってくれってとこね。ただ区別があれば分るけど難しそうだな。ハングルで書かれた物語がいくつかの類型に分類できればそれぞれの担い手の問題を考えられるけど、いまのところそういうことはなさそうに思えるし。だとすると区別ってのは、そういう物語を担った人とそんなものに一切関係なかった人との区別しかでてこないよな。後者は文字文化にまったく関係ないから文学の世界に登場しないかもしれないよね。
- けっきょく何もでてこん言うこっちゃないか。
- その問題だけ考えるとそうなるけど、問題はそれだけじゃないからね。
- せやったらそっちのほうから話さんかい。ややこしい言い方すな。
- そう焦るな。そんなら結論急いでもっと別な話にしようか。
- なんやね。
- 朝鮮の古いハングルの物語にかなり頻繁に見られる傾向が現在まで尾を引いてるってこと。
- そういうの伝統言うんやなかったんか。
- 伝統と言いきっていいんかな。はっきり言っちまうと問題を起すしな。
- 何や、あんまりええ話じゃなさそやな。
- 良い悪いの問題じゃないだろけどね。実は陰謀モチーフとでもいうもんなの。
- 陰謀いうてあの政府転覆とか暗殺とかいうやっか。
- そんなんじゃなくてね、かなり限られたタイプなの。要するにある特定の人物についてありもしない事をでっちあげて誹謗・中傷して陥れるという型なのさ。それが頻繁にあらわれるんでかなり印象的だということ。
- 一般的な陰謀でのうて、限られとるんやったらかなりおもろそやな。
- うん、だから古いハングルの物語の担い手の問題はこっちでも話題になりそうなんだけど、この問題は近代の文学にも繋がるんでもっと興味深いってわけ。
- 何や、今の文学にも関係あるんか。
- まあな、おれは朝鮮の文学作品を皆読んでるわけじゃないし、最近読んでるのが通俗文学の部類だから、朝鮮でほとんどないって言う探偵小説やSFやら、またさっき言った武侠小説なんかが多いけどね。そこでもやっぱりこの傾向がみられるのさ。
- おもろい話やな。でもおまえが言ったの、みな俗なもんばかしやな。もっと高級なんではどなんや。
- それがねそっちの方でもやっぱり出て来たんだよな。金南天っていうかなり鋭い評論も書いて有名な人の小説にも同じモチーフが使われてたね。もっと前の有名な李光洙の『無情』にだって中心的な事件として登場するしね。いずれにもせよ、同じ文学って言葉使ってるけどその内容ってかなり違うんじゃないかな。
- そやったら、そのありもせん事実をでっちあげて人を陥れるって話、昔から朝鮮人の書く物ではおなじみだってことやな。もしかしたらそれ朝鮮人の性格と関係あるんやないか。
- おっと、そんなこと言ったら大変だよ。作品に出て来ることがらを直ちに担い手たちの性格に結びつけるってのは学問とは関係ないことだからね。もしそれやるんだったら、日本で朝鮮のことやってる人間に適用したほうがよさそうだよ。
- おまえまえに書いてたやつやろ。日本人で朝鮮関係を研究領域に選んだやつらって精神的に何か欠如してるやつらだってこと。
- うん要するに自分の力で物を考えるって能力の極端にないやつらが朝鮮関係に進んだんだよな。そこへ今の話つなげるとさ、そういう欠陥人間たちが人を陥れることにかけては人一倍熱心だってことになるかもしんないね。自分のこと宣伝し保身することも人一倍、そしてあることないこと嘘言って他人のこと陥れ世渡りしてんのね。そういや、ソウルの大学の教授にさ、おれがくだらぬ干渉をしたのでうちの大学の人事がだめになったって言ったやつがいるんだ。なんでそんな嘘が平気で言えるんだろね。
- そういや、おまえが学会除名されるころあんたのこと悪く言ってた現代史の有名人や、なんであんなことになったんや?
- おれが何言われたんかは未だに知らんよ。ただ何か言い出す直前までのことなら、あれかなって思い当たることないでもないけどね。
- 何や、けんかでもしたんか?
- そんなんじゃないよ。いつだったかおれが、今の朝鮮研究がなんでこんなにだめになったのかは研究やってるやつの問題じゃないか、それには初期に活動してた日本朝鮮研究所ってところにいた人間が何やってきたか調べる必要があるって言ったのさ。おれが聞く所によればある時は共産党、ある時は朝総連、そしてその後は日本の外務省だっかと密接になるって具合に、その時その時で時流にのって世渡りしてんのね。自分たちが変身するたびにほんとはその根拠を明らかにしなきゃなんないだろうけど、一度もそういうこと明確に表明したことないんだ。だからおれはそこにいたやつらの思想のことを問題にしたの。そしたら彼女がおれにそのこと調べろっていうの。初期からそこに関わった人の生き残りがいるから彼にインタビューしろってね。話がずれちまってんだ。おれはその人に自分の問題として反省することができるかどうかの問題提起をしたつもりだったんだけど。彼女勘違いしてんの。自分も関わってきたその研究所が何かとてつもなくすばらしいことやってきたと思ってんの。
- そやったら、自分で調べてまとめりゃええやないか。
- そうだよな。したら自分がやったら八百長になってしまうっての。やっぱり勘違いしてんのね。その後、おれにしょっちゅう電話してきてね、いつ調べるんだって催促すんの。おれいつだって忙しいよね。いまだって土日も出勤じゃないか。暇人にはほかに考えることなんかないらしいんだね。いつだか夜遅く帰ったらその途端また電話かかってきたの。おれ苛々していま忙しいんだって言ったんだよな。すると怒って電話切っちまったけど、おれの悪口言い出したのその直後からじゃないかな。
- なんやくだらん話やんけ。けどな朝鮮やってるやつに思想のこと言うても無駄やぜ。あいつら人を脅かすときにしかそんなん必要ない思うとんやから。
- だろ。どうして朝鮮に関わってる奴って程度の低いやつばかりなんやろって思うよ。それ言うとお前も同じじゃないのって言われるだけだけどね。だけどね、おれは人を陥れたりなんかしないよ。言い方が乱暴で振る舞いが上品じゃないけど下劣な行動なんかしてないと思ってるけどね。
- ま、勝手に思うてけつかれ。思うだけやったら自由や。
- そうさね。朝鮮やってるやつのことなんか言ったって何にもならないよな。でもね、なら朝鮮以外のことやってる人ならましかって言うとそうでもなさそうだしね。
- そやそや、おまえ今日はおまえんとこの大学のこと一つも言わんかったな。
- もう疲れたんだよな。言ったって、ああまたかってパンダみたいな反応しかしないしね。
- そんでもなんか言うとかなあかんのやないのか。
- でもね、もう言う気もしないよね。日本に来た韓国人があちこちの大学や図書館にいって、日本ってどこに行ってもこんなに親切なのかって思ったって言うの。ところがうちに来たとたん、あっ、日本にもこんなに不親切なとこあったんだって、安心したってんだけどね。
- おまえんとこほんまにひどかったな。
- でも最近気の毒になってきてね。あんまり言う気なくなったの。
- 誰が気の毒やいうてんや?
- 事務の人たちとかさ。でも教官は相変わらずだって気がするよ。
- どこが?
- だってさ、もう国立大学なくなるんだぜ。だのに未だにボケッとしてるんだ。もう日本の大学の使命なんてなくなってんだよ。富国強兵のため知識をかき集めたり人的資源の養成なんていう役割もなくなったしな。
- 百年以上たっとうしな。もう日本じゃそんなもんなんもいらんのや。
- 日本だけじゃなくて世界中どこでも似たもんじゃないかな。大学の教授だなんてありがたがってるとこまだあるんかな。
- 韓国はちゃうぞ。
- そうかな。だのに教官たちのボケぶりってなんだろね。
- それな、ボケとんとちゃうぜ、もっと悪質なんとちゃうか。
- あ? またそれ利用してるやつがいるってこと?
- どうせ大学や世の中のことなんか関係のうて、てめえの利益ばっか考えとうんとちゃうか?
- そうかもしれんね。狼が来たぞって喚いている少年みたいに人を脅かしてばかりいてね。
- そのくせ、都合が悪うなるととぼけて知らん顔しとんや。学問の自由がどうの、民主主義がどうの、平和がどうの言うて、なんたら運動やっとうやつっていつも自分ら一味の利益しか考えとらんやないか。
- あんたも解同にかかわってたから、ちぃっとはそんなとこ見てんだよな。
- いまにも世ん中潰れっぞとかいかにも大変だって人を煽り立てといて自分はいつも後ろでぬくぬく安泰なんや。
- まあ言ってもしかたがないだろな。みんな自分の都合しか考えてないしね。いつだかドロボー捕まえたら学校からは何で警察に報せたんだって文句言われるし、またどうやら捕まえちゃいけない人間を捕まえたらしくある所からは恨みを買ったらしいしね。このごろは一切何にも言わないことにしたんだ。
- まだなんかあったんやな。
- たとえば土曜や日曜に研究室にいるとさ、誰もいないと思って鍵開けていきなり入って来る人いるんだよな。誰かって聞くとなんとかの点検ですって。それなら平日に事務官の立会いで回るの原則だろ。
- そやかて許可うけてやっとうかもしれんやろ。
- それからね、非常階段の外から鍵あけて入ってくる若者もいるよね。あの鍵って守衛さんしか持ってないはずだよな。どこで手にいれたんかね。
- おまえあんまりいろんなこと見すぎやな。
- どんつきの端っこだから色々観察してんのさ。新キャンパス引越し直後のクリスマス時分、作業用の鉄骨のはしごを八階まで攀じ登っておれの部屋のまえの手すり乗り越えてきたやつもいたしね。命知らずだよ。
- 表彰もんやんけ。
- 夜更けに教官の名を騙って非常勤控え室で電話してるやつもいるしね。
- 誰か中で犯罪の手引きしとんのと違うんか?
- 知らんね。おれあんまり真面目なことに関心なくなってね。
- 昔から不真面目の不良やったくせに何ぬかしとんや。
- ふん、入試でアラーキーのもの使おうって提案しかけたんだ。
- いっぱつで落とされたやろが。
- まあ、冗談だったけど今でもそのとき買った彼の本はあるな。処分しにくいな。
- わしゃそんなん興味のうなったわ。
- それから合格発表のこと、いつの間にやら受験番号だけの発表だろ。昔は名前もでてたよね。プライバシー擁護とか言って名前を出さなくなっちゃったよな。
- わしがいたときは両方発表しとったぞ。
- そうさ、番号だけだったら不安な受験生からの確認の問い合わせが殺到して事務が大変なの。
- なら、名前もだせよ。
- でもお上のお達しで名前は駄目だっていうの。だからおれはねプライバシーも守ってしかも名前も出せる提案しようとしたんだけどね。みんな笑って取り上げようとしなかったな。
- どないすんや?
- 受験する時、本名のほかに暗号名を登録すりゃいいのさ。暗証番号みたいにね。ただしあんまり難しかったり長いと事務処理大変だから、カタカナで八文字以内とかすりゃいいのさ。
- それ競馬の馬の名前やんか。ほたらガイダイノホマレとかタフスノダイオーとか登録すんやな。
- そうすりゃ、番号のほかに自分しか知らない名前の発表だから問題ないだろ。
- カッコいいガッコだって受験生増えるかもな。
- 競馬の好きなやつがね。
- 近くに競馬場ないんか?
- あるさ、競艇場まであったな。
- ならそれでええやんか。どっちゃにせ、おまえそやって人おちょくっとるから皆に憎まれるんやろが。
- 教授会にも出てないんで皆の顔も忘れたな。
- 教授会も出とらんのか。まさか自分を陥れたやつと同席したくないって言ったんやないやろな。
- まあまあ、どうでもいいことだしさ。
- とにかくおまえは日本にもおられんようになったんや。これからどないすんや。どこ行っても憎まれっぱなしやろ。
- おそらく。だからこれから死ぬまでまたひいひい言って生活のために苦労しなきゃなんないだろうな。でさ、おれたちの周辺の人間見てても何でこんなに西欧のことばっかり関心あるんだろって思うよね。前には、要するに輸入業者や興行師で自分の名を売ったり儲けることしか頭にないんじゃないかって言ったよね。たしかに自分で考えるっての苦手らしいね。他人の言ったことを批判して良いの悪いのってこと書いて原稿料稼ぐのはうまいけど、自分で新しい思想を創り出すってのはないよね。そのくせ遠くの国の流行には敏感なの。
- やっぱし西洋のものにはかなわんのやろ。
- だからいつまでたってもコンプレックスが抜けないんだ。でね、おれ考えたんだ。なんでこんなに西欧に憧れるんだろうかってね。なんだかんだ文句言いながら結局じぶんたちのやっていることって皆あっちのものばかっり、自分らのものでも西欧で評価されると嬉しがるんだ。中国はちょっと違うんかな。金庸の作品に対する中国人の意見って自分たちが楽しめばいいじゃないか西欧人に分んなくてもいいって言ってるんだからね。
- なんでそんなことになるんやろ。やっぱり近代化が遅れたから、進んでいる文化に対する劣等感やないやろか。
- おれはね、もっと大昔、太古の時代からの記憶の痕跡じゃないかと思ってんだ。大昔、人類がアフリカからユーラシア大陸に進出してきて地中海の周辺に定着しただろ。そのあと人口が増えてだんだん生存競争が激しくなったんだろうね。そのとき能力なくて生存競争に負けたやつらは東や北に追われて逃げていったんじゃないかな。そいつらアジアや遠くアラスカを通ってアメリカ大陸まで逃げて行ったんさ。だからおれたちアジアの隅っこにいるやつらってさ、昔文明の中心地を追われた劣等民族の負け犬の子孫なんだよ。それで大昔追われた懐かしいふるさとに対する想いがいつまでたっても抜けないのさ。
- それどっかで証明したやつおんのか?
- そのうち似たようなこと違った言葉で誰かが言うんじゃないの? 今の話、おれたちだけでなく西欧のやつらの記憶にも残ってんじゃないかって思うの。植民地時代の初期、スペイン人が中南米の現地人を何千萬単位で殺して絶滅させたろ。それって大昔逃げて行くのを追っかけて皆殺しにできなかった腹いせを何万年後にやっと果たしたってことじゃないの。今でも盛んに戦争やってんじゃん。あれも昔逃げ出すのを見逃して殺せなかった悔いを晴らしてんのさ。今からでも遅くない、あの出来そこないのやつらを地球上から絶滅させろって。太古の記憶がそうさせてんのと違うだろうか。
- おまえな、いつまでも勝手なこと言いくさって。まっ先に飢え死にするんはおまえや。
- そうなったら恨みはらすため化けて出てやるさ。どいつもこいつもまともな死に方できないようにな。