三枝壽勝の乱文乱筆


菅野さんを送る言葉

これは東京外国語大学の朝鮮語学科の創設者であり日本での朝鮮語研究の中心的存在である菅野裕臣教授が一九九八年三月に退官するとき、退官教官を送るパーティで述べた送る言葉の全文収録である。この送辞を述べている間、学長をはじめ全教職員が内容に驚愕し顔をこわばらせ体を引きつらせて緊張していた。終った後ある教官が、東京外国語大学始まって以来こんなに面白い話を聞いたのは初めてだと言った。しかし翌日出勤した私に事務員は言った。昨夜何もなかったのですかと。何か血まみれの殴り合いでも起こると期待していたみたいだ。その実、パーティ終了後私は菅野さんと二人でしんみりと酒を飲んで別れたのである。そしてその翌年から東京外国語大学では退官教官を送るパーティは廃止された。
菅野さんが1977年に外大に赴任して以来20年.長い間ごくろうさんでした.
菅野さんといえばなにかと話題になることが多いのですが,そのうち幾つか思いつくことをお話してお送りする言葉にかえさせていただきます.
菅野さんに関してなにが印象的かといえばとにかく普通と変わっている,常識をはずれた点があまりに多いと言うことでしょう.一言でいえば常軌を逸しているということです.
まず第一は,語学に対する執着です.どうやら幼い頃かららしいですが,今でも機会があるごとに新たな外国語に挑戦してます.そのすごさというのは習ったところはすべて記憶した上で次々と積み重ねてゆくという人間わざとは思えない能力です.また注目されるのは,おそらくモンゴル語を除いて殆どの言葉が独習だということです.菅野さんが昔外大を受験したとき選択した外国語のロシア語もNHKのラジオ講座で勉強したと聞いています.
第二は彼の事務能力のすごさです.菅野さんが以前九大で助手をしていたとき,上に助教授の先生がいるのに,菅野さんがあんまり有能なので周りでは菅野助教授××助手と呼ばれるほどでした.朝鮮語の教材が皆無なころタイプ,手書き,複写などで教材作成,各種の地図まで手書きするなど旺盛な仕事ぶりでした.ただ菅野さんの困るところはその能力を他人にも要求することです.菅野さんには普通の人の苦労に対する思いやりが不足しているようです.私が以前九大で図書館の仕事をしていたとき図書カード作りでは,菅野さんの考案した朝鮮語のローマ字転写を使ったのですが,やたらシフトが多くてたちまち小指がだめになってしまうというものでした.
要するに菅野さんは原則主義なんだと思います.研究や教育でも潔癖な原則主義で自分とは仲の良くない研究者でも,自分の教え子がその人の授業を聞きに行く事は薦めました.ただし自分では紹介も挨拶もしないということを付け加えながら.
日本における朝鮮語関係の学科の多くが、彼の常軌を逸したすさまじい努力のおかげで創設されました.九州大学,東京外大,神田外大以外にも彼が関与して作ったところはかなり多く,うちの野間,伊藤教官もわざわざ菅野さんの教えをうけに大学を入りなおしてきた教え子です.
ほめ言葉ばかりだと奇麗事で何かはぐらかしたことになりそうですので,最後に菅野さんの人間関係についても触れておきます.彼が手紙魔であることは皆さんがよくご存じの通りです.手紙は読む人には面白いかも知れませんが,当事者の身になればたまったものではありません.手紙だけでなく菅野さんは他人に反発され憎まれることをかなり大胆に行う人です.離れていると何を言われるか分からぬし,近づくと面と向かって罵倒される.こうして反発を買っては嫌われるわけですが,しかし菅野さんの常軌を逸しているところは,菅野さんは人から反発されればされるほどファイトが湧くところです.ちょうど伝説に出てくる怪物のように.そうして,とばっちりは傍にいるものにかかってきたのです.
思い出話をします.もう遠い昔のことです.菅野さんが赴任したあと半年して、今は亡くなった長璋吉氏が赴任し,その次が今は天理大にいった池川氏,そしてその後が私でした.どういうきっかけだか菅野さんが怒り荒れ狂った時期がありました.私たち三人がいつも一緒で団結していたのでよけいいきりたっていたかもしれません.私たちも二年ほどは本が一冊も読めないほどの打撃をうけていました.いつも三人は連れ立って菅野さんの来そうにない所を求めてさまよっていました.昼は新庚申塚にあった喫茶店仔熊 ― 最近取り壊されました ― でしょぼくれ,夜は巣鴨の桃花源の後ろの裏通りの飲み屋でひっそりと飲みながら話をしたものでした.
こんな状態が続いてついにしびれをきらせた菅野さんは、一対一の決闘状を各自に送り付けてきました.年末,まず私が菅野さんのいた公務員宿舎をおとづれました.部屋で向かいあっていても話しが弾まずぎごちない雰囲気でした.菅野さんが,君酒のむ?とか何とか言ったような気がします.ふと気がつくと私はこたつに足をつっこんだままひっくり返っていました.見ると二人の回りはビールやら葡萄酒の空瓶がずらりと並んでました.あっ電車がなくなるってんで飛び出し、乗り換えの駅で下りられず何度も行ったり来たりしながら帰りました.あとで聞くと二人とも酔っ払ってひっくり返り時々替わり番こに起き上がっては何やらぶつぶついってはまたひっくり返っていたそうです.そして正月には長さんと池川君の番でしたが,熱を出したり風邪をひいたりとかでおじゃんになりました.怯えが度を越していたようでした.
あの頃から見ると別世界のようです.あのころは学内でよく「大変ですね」と同情されました.最近は「菅野さん大丈夫ですか」「おからだの具合どうですか」という風に変わってきました.どうしてこんなに変わってしまったのでしょうか.こうやって皆さんから気遣われ心配される菅野さんをみていると,昔の彼はどこへいったんだという感慨が湧いてきます.と同時に,だとしたらあの頃の私たちの人生はなんだったんだと絶望感にも襲われ私達の失われた人生を返してくれと訴えたくもなるのです.
もちろん菅野さんが最近入院したから心配してくれるのですが,だが,まてよ.これは学内の人たちの陰謀かも知れなのです.菅野さんは他人が反発し嫌われれば嫌われるほどファイトを出すわけです.この秘密がついにばれてしまったのかもしれないのです.菅野さんが元気なくなって入院したのだって、もしかしたら.菅野さんだまされてはいけません.くれぐれも油断しないように.聞くところでは退官後,菅野さんが赴任する予定のところでも,菅野さんに対する風当たりはかなり強いとか.どうやらすんなりとはいっていないらしいですが,だとしたら菅野さんは大いに頑張ることが出来るわけです.今菅野さんは朝鮮語の文法に関するとてつもなく大部な著作にとりかかろうとしているとのことです.これからもさらにいっそう常軌を逸した旺盛な活躍ぶりで傍にいる者を顰蹙させながら頑張ってほしいと思っています.
どうも長い間ごくろうさんでした.妄言・暴言お許しください.ありがとうございました.