三枝壽勝の上海通信


上海だより 11月 (2003/11/07)

 十一月に入ったのに一向に冷え込むということがない。昼間の気温は相変わらず25度上下で 少し動くと汗をかく。といってもほかの人はセーターを着たり厚着している人が多いところを見ると 私だけが寒さを感じないのかもしれない。サンダルでも運動靴でもいまだに裸足である。といっても明日は気温が急に10度も下がるというから寒くなるのかもしれない。

 相変わらずの単調な生活だが 一層忙しくなった。先月紹介した巨大スーパーは 現在私が通っているものだけでも3軒もある。どれも駐車場つきの大きなもので、一つは外資系とかでウナギや握り寿司まで売っている。私は市場のほかに超市すなわちスーパーもふくめて10件以上も通っていることになる。毎日 朝7時前に10分ほど野菜の仕入れに市場にゆき、夕方は早めにスーパーへ その他の買い物にでかける。これと三度の食事にかける時間が 一日で一番の比重を占める。むかし 桑の葉を食べる蚕とか雀の雛の話を聞いて こいつらのやること食べることしかないのかと思ったが、なんだ人間だって同じじゃないかと思うようになった。といっても 私は毎度の食事に野菜だけでも10種類以上食べているから 人よりかなり多いかもしれない。といっても ただ材料を放り込めばよいだけだから 単純きわまりない。東京にいるときには毎日かぼちゃを食べていて黄色くなったが、現在とくに体が緑色に変色するようなこともない。

 といっても苦労はある。何も施設のない部屋で 電気釜ひとつ使って全てやるのが そもそも無理なのだ。普段はご飯を炊き、ときどき蒸すのに使うのなら問題ないが、毎回茹でるのにも使うというのが危なかった。お湯があふれて電気釜がショートし すでに二つも台無しになった。買いなおしをして 今のは三つ目だ。ただし今のはかなり原始的な構造のものにした。お湯が溢れても器械にしみこまないようになっていて具合がよい上に値段も安い。電気製品の修理をするところが見つかればよいのだが、どうもあの廃品回収所のようなところに行って聞く勇気がない。とにかく毎日朝起きてから寝るまで じっとして休むということがない。なぜそんなに忙しく動き回っているのか自分でもわからない。新聞はほぼ毎日買っているが ほとんど目を通すことがない。表題も読まない。テレビやラジオもほかの事をしながらかけているだけ。いつも同時に二つのことをしている。起きて洗濯機をかけている間 食事のしたく、それもつぎつぎと空いた食器や皿を洗いながらだ。おかげでミネラルウォータの給水器、例の瓶を逆さに立てて下のコックをひねるとチョロチョロ水やお湯がでるやつだ、これを使っているのを忘れてほかの事をしている間に瓶の水がすっかり流れ出し 床が水浸しになったことが二度も続いた。食事の支度で水仕事で濡れた手で電気釜のコンセントを差し込んだら感電して手がしびれた。220ボルトで日本で感電した時よりショックは大きかった。といってもこの電圧は韓国と同じ。かつて運動圏の人たちが捕まって体験したのにははるかにおよばない。彼らのように身体を電熱器のニクロム線のようにされると体の中でやけどをしてしまう。もちろんローストチキンになるほどの電流を通したわけではないだろうが。

 毎日こうやって買い物が唯一の外出で気晴らしになったはよいが、むだな買い物をするようになった。あるとき気づいたら 一回に買った食料品の値段が自転車の値段を超えていた。なんだ日本と同じじゃないか。これから金遣いが荒くなった。今は自転車の代わりに電動自転車を買って毎日走っている。値段は自転車の十倍。ここへ来た当初、動力のついた自転車と思ったのは間違いで、電池で走るモーター付きの自転車だった。まず静かなのが気に入った。自転車をこぐ時に出るほどの音もしない。実に音もなく静かに走る。最高速度20キロというのがまどろっこしいがそれでも自転車よりは早い。もちろんもっと性能のいいやつがいくらもあるが、店の人が、私の買ったのを見ている他の客に、年寄りだからあれで良いんだよってなことをいうのが聞こえたから、まず安全なのかもしれない。最初免許などがいるのか心配だったが、何もいらない。自転車のときより簡単だった。ここでは法律がどうなっているか誰も気にしないから 本当のところはどうなっているのかわからない。子供がタバコを吸ってはいけないという法律もないらしい。電動自転車の難は急な加速がきかぬこと、無理な使い方をするとバッテリーがすぐあがってしまうことだ。信号の変わり目の時にちょっと不安だが、この電動の良いところはバッテリー節約のために普通の自転車と同じようにこいでも走ること。だから加速したいときは全速力で自転車をこげばよい。その勢いで走ればかなりのスピードがだせる。といっても普通に使っても連続50キロしか走れないし、20キロも走るとかなり速度が落ちてくる、毎日部屋に持ち込んで充電するのが原則みたいだ。バッテリーはサドルの下方に斜めになっていて取り外しができる。重さが25キロだ。運ぶだけでも運動になる。充電時間はだいたい使った時間の倍はかかる。それでも自転車のときより遠くに買い物に出かけるようになった。

 ほかにも買いもののレパトリーがふえた。衣料品売り場でジャンパーやジャケットが大量に並んでいる。どれも安い。眺めていたら店員がよってきて何か言ってる。ここにあるの全部特大だからだめだよと言ったら、おばさんがそんなことないMもあるよといってさかんに探している。引きずり出したのをみたらたしかにMだ。洋服かけについているマークは全て特大なのに実物ではサイズが色々なのだ。おかげでコールてんの上着を一つ買わされた。別の日、こんどは上着にあうズボンを物色していたら おばさんがやってきて サイズはいくらだと言いながらメジャーを腰に当てて計りだした。あそこの試着室で履いて見なというので入ったら、カーテンはあっても外から丸見えの試着室だ。履きかえているとき前のボタンがとれて落っこちた。だめじゃないかといったら、大丈夫すぐ縫い付けるからというのでまた買わされてしまった。寸法直しは目の前でたちまち出来てしまった。スーパーにはCDもある。いろんなものを買ったが、音楽はいいが映像だと見る時間がない。童謡も買った。意外だった。なつかしい内容だった。まさかと思っていたが 台湾で買ったのと同じ内容のものがこちらにもあった。おそらく台湾で作ったものかもしれない。日本の唱歌が入っているやつだ。もちろん日本の唱歌の中には西欧の音楽のメロディーに歌詞をつけた、「ちょうちょう」 とか 「きらきら星」 とかいっぱいあるが、「ぽっぽっぽ はとぽっぽ」 とか 「今は山中 今は浜」 とか 「もしもし亀よ 亀さんよ」 とか 「うらの畑でポチがなく 正直じいさん掘ったれば」 などは日本のものだ。とくに強弱強弱の二拍子の繰り返しによる典型的な唱歌は日本のもののはずだ。台湾なら日本のものを翻訳したり替え歌で歌っても納得するが、大陸でも同じものが有ったのは意外だった。もしかしたら何かの間違いでそのうち禁止されるのかどうか。なんでもありの中国だから先がよめない。といってもこういう唱歌、日本人だってもう知らない人が多いだろうから 中国で日本製だと意識しなくてもよいのかもしれない。韓国だけは気にするかもしれないけど。もしかすると中国でこういうものを識別するだけの力がなくなっている可能性もある。ある人から教えてもらったが 中国で朱子の 「偶成」 なる詩が載っている本があるという。もうこちらの学者の実力がその程度に低下しているのかもしれない。こちらでどの程度の学問がなされているのかはよくわからない。「朱子語類」 の注釈書というのを買ったが中身はあの膨大な本文のうち後ろの方の104巻以降であった。彼の思想はどの程度論じられているのだろうか。買い物の話がそれてしまった。最近かなりあたらしいさまざまな買いものをしたがなぜだろうか考えた。退屈だからかなとも思ったが、もしかするとその程度には言葉が通じるので喋るのが面白くなったのかもしれない。まるで幼児だ。

 ここで前回の報告の補足をしておく。古本についてはこちらの人も困難を感じていたらしく 古書をいかにして手に入れるかという参考書が出た。かなり分厚い 『中国古旧書報刊収蔵交流指南』 というもので 案の定 前回紹介した古書関係の新聞や古書市が中国全土にわたって紹介されていて 連絡場所や過去の記録などが載っている。ただこの本、誰が買って利用するのだろうか。もしかすると外国人むけに出版されたのではないだろうか。外貨獲得のため? 私は最近市の中心部に出ることもないのであまりわからないし、時間がないので本をよむどころではない。せいぜい一日のうち寝る前の10分ほどの時間に活字に目を通すことが出来るかどうかという程度だ。だから新聞を読む気にもならない。そこで新聞売りのスタンドで最近は別の種類の新聞をよく買うようになった。種類はかなり多いがどれも表題に 『故事』 という字が入っている。『民間故事伝奇』 『故事経』 『故事千家』 『幽黙故事薈萃』 などなど10種類以上もあり スタンドによって違うのもある。どれもこれもタブロイド版で似たり寄ったりの印刷だから 印刷所は同じなのかもしれない。要するに日本でいえば低級週刊誌のレベルかな。中身に記事は一切無し。短いお話ばかりで、武侠物、現代風俗、男女関係など要するにあまり高級ではない内容なのだが、どれもこれも短くてばかばかしいのがよい。それに使われている中国語が文法の教科書にある典型的なものであるから おそらく下層の人間の読み物なのかもしれないが、それにしては値段が1元でちょっと高め。普通の日刊は5毛とか7毛だ。といってもこれは週刊だから高くないのかもしれない。大陸で日本人が羽振りを利かせていたころ大陸浪人らしき日本人が中国の武侠の大家に他流試合を挑んで回る話もあった。最後はもちろん日本人が負けるのが。わたしにとってはこれはかなり大きな発見である。近代初期、いやそれ以前からの韓国や日本の読み物を考える上で かなり参考になりそうな世界である。ここではたとえ書物になって定着している物語であっても 民間では登場人物たちがまったく違ったキャラクターとして活躍するらしいし、たえず新しい話が作られているらしい。水滸伝の武大も 地方ではかなり違った話で活躍しているらしい。といっても水滸伝などの物語そのものがこうした色々な話を寄せ集めてできたとすれば、そこから漏れ落ちた話があったも不思議ではないのだが、現在でもそうした話が絶えず生産され続けているらしいというのが驚きである、といってもこちらの人にはどこにも驚くことなどないらしい。

 さて先月の報告から一月の間の出来事では なんといっても有人宇宙飛行の成功が大きな話題であり、西北大学での日本人留学生の 「下流演技」 の話は小さな話題だろう。有人飛行については事前に新聞では誰が第一号の搭乗者になるかという話題も出ていたらしいが 関心がなかった。私は宇宙飛行の発射も帰還も 偶然直後の実況場面をテレビで見た。出発のときも帰還のときも 大勢の人間が鳴り物入りで歓送歓迎をするのを見て 中国の実力がかなりすごいものだという感じを持った。失敗の可能性がほとんどないという自信がなければ出来ない演出だ。この国でこれだけ事前に公開するだけの基盤があることは確かだろう。あの打ち上げ本部の大勢の人間だけでなく その周辺の人員まで含めると かなりの規模で研究がなされていることがわかる。もちろん今回の宇宙飛行は単純な科学研究だけの意義をもっているわけではない。中央指導者周辺の発言からみるように 将来の国際政治のうえで重大な役割を果たすことは疑いないし、そもそも発射が10月16日というのがそれを語っている。1964年10月16日は中国が最初の原子爆弾爆発実験に成功した日であり、1982年10月16日は最初に潜水艦からミサイル発射に成功した日である。今回の発射に際して10月16日が偶然選ばれたとは信じられない。今回の 「神舟5号」 の有人衛生発射は 一連の中国の軍事的、政治的路線の上で計画されていることは確かであろう。

 ただいくらそうだからといって それらの要素だけでこれだけの科学技術を駆使した実験が行えるとも思えない。中国はこれらの路線の要求に応えることができる科学技術の基盤を備えているのであり、それが可能だということはその周辺での科学研究の基盤がかなりあると見なければならぬだろう。最初の人工衛星を打ち上げた旧ソ連の科学技術の基盤には それを支える広い分野での学問の基礎があった。当時のソ連の数学や基礎科学の水準は世界的な水準であった。といっても国家の要請とそれに応じるだけの科学研究は一直線につながるわけではなく、それぞれの分野での独自の論理をもって展開されるわけであり、それが一方ではたがいに支えあっていたということである。現在のロシアが当時と変わってしまったとすれば、この両者の関係が互いに支えあうものに成り得ていないということだろう。それは 国家のほうが一方的に主導し指導して支援をすれば科学研究が発達するわけではないということを意味する。科学研究にはそれなりの独自の論理があり 全てが国家の論理で展開されるわけではない。したがって国家の要求に応じることができる科学研究の水準を保証するためには 国家は自分の要請に応じえない部分の存在もある程度許容する必要があることになる。現在の中国に研究者の研究の自由がどの程度保障されているのか、またはいないのかそれは私にはわからない。しかし今回の打ち上げ成功を支える研究の基盤にはかなり幅の広い研究がありはせぬかと推測される。楊利偉と同じ姓の物理学者 楊振寧が 1950年代に中国人として最初のノーベル賞をもらった時には 中国はまだ自然科学の基礎研究どこではなかったし、彼も国籍はアメリカであった。現在では楊振寧は中国の科学研究での象徴的な存在であり 彼自身にちなんだ研究所もあり 彼自身も中国と密接に関係を保っている。中国が変化したのは確かである。

 さて今回の打ち上げでは 出発前の中国最初の宇宙飛行士楊利偉の表情はかなり緊張しこわばった感じを与えたが、帰還後の彼の表情はかなりリラックスしているのが興味深かった。とくに中国政府が一連の行事の手始めに香港を選んだのは 今回の打ち上げ成功の利用価値を最大に発揮できると考えたからに違いない。10月31日 香港到着最初の場面は悪くなかった。香港の旗を振る膨大な人々の中を 彼が奇声をあげる少女たちと握手をしたりサインをしながら歩く姿は 非常にほほえましい場面であった。そこでは彼は有名歌手や俳優と同じようなアイドルの役目をはたしていた。最初の公式歓迎の席でも冗談交じりで聴衆の笑い声が聞こえた。庶民的な感じの彼が各地で公演をし交流を進める中心的な役割を果たしたのは成功だったと見たがどうだろうか。一般の中国人がどう感じたかはっきりとはわからぬ。打ち上げ翌朝の市場は普段とまったく変わらぬ雑踏であった。しかしなぜかわからぬが胸に興奮を覚えたという人がいたのはたしかであり、数日後にもう 『放飛神舟』 という単行本が出ていて本屋の人も驚いていたほどだから 影響がかなりあったのは確かだろう。これからもこの影響は持続しそうな感じがする。SARS防衛に成功したのとあわせて中国はかなり内政的にはうまく行くのではないかと思われる。

 とはいっても この国での政治がどの程度変わりつつあるのかは私にはわからない。断片的に見聞きするところでは 相変わらずのようでもあり 変化しつつあるようにも見える。たとえばある地方新聞に 最近中央から発行禁止になった新聞のリストが載っていたが かなりの量である。常時こうして新聞が発行停止にされているのであろうか。『外灘画報』 には 街頭で不許可集会した人たちが拘束されたことが載っていた。ただし彼らが何を訴えたかについては一切明らかにされていなかった。それでもこれはわざわざこうしたことがあることを特集した記事だった。ある作家が書いた著名な政治家の伝記が遺族によって訴えられ敗訴した。訴えられたのは この政治家が戦争時代日本に協力したという部分であった。作家は本人の書いたものも含めて資料的に確実な根拠に基づいていることを主張したがだめだったという。これらは 中国が依然として変わらぬことを告げているのだろうか、それともこうした事実があることが記事になったことで 変化の兆候とみたほうがよいのだろうか。私にはこうした事柄を判断する力はない。表面的に見れば政治の世界とそれ以外の世界ではかなり格差があるという感じはある。たとえば表面にでる政治家の中に女性が少ないということは、社会性活で女性が男性と同様に働いているのと比べると違っているように感じる。ただしこれも自分の手に負えぬ世界である。

 最近、こちらでの文章を読んでいて感じることがあった。漢語、日本で言ういわゆる中国語、この言葉は話し言葉と書き言葉の違いがすさまじく異なると感じる。単に語彙だけではなく語法が違っている。それもそのはず 書き言葉、書面語に使われるのは古典に使われる語がやたら多い。何千年も前の語法がそのまま書面語には生きているのである。それに比べると日本語や韓国語はなんと単純であろうか。もちろん日本語にも漢語的言い回しというのがあるし、古典的な言い回しがあるが、日本語の古典文献の多数を占める物語などの文体は日常語では使いにくい。韓国の場合は事情が違っていて、そもそも書き言葉の伝統が確立していなかったので、せいぜい近代にはいってから、本格的には解放後にやっと本格的で全面的なハングルによる書き言葉が成立したので、中国や日本のような二重性の要素が生じるわけがない。せいぜい現代語のなかで 話し言葉ではあるが書き言葉としては定着しがたい要素が分離される程度である。日本における朝鮮語の教育はこの点では単純きわまりないと言えなくもない。新聞を読んでも小説を読んでも語彙や言い回しの違いはあっても基本的には同じなのだから。

 中国では長い書き言葉の伝統がある。これが現代でも生きていて 語法的にも典型的な話し言葉にある要素が 書き言葉ではほとんど使われないということになる。といったことが言われるのだが、はたしてどうだろうか。私が漢語に接していて奇妙に感じることはほかにもある。たとえば漢語の文では語が単音節か双音節かのリズムの問題がかなり重大である。単語同士を結合するのに一方が単音節語ならもう一方も単音節の語を選んで結合しなければならない。ところが私たちが見るとそれは単語自体が変わったのだから意味も変わったように感じるのである。たとえばお金という意味の 「銭」 は単音節の稼ぐと言う動詞の後には使えるが、二音節の動詞だとそれを 「財産」 と言い変えなければならないと言われるとかなり抵抗を感じる。これでは全く意味が違ってしまうではないかと。おそらく中国での文章の読み方は 私たちが考えているのとはかなり違ったところがあるに違いない。書面語でも同様で これは書面語だからこう書いてあるが、喋る時には別の言葉で言い変えなければならないとか、逆に言われると抵抗を感じる。もちろん日本語でも書き言葉と話言葉を混在させると奇妙な文章になるのは確かだが。

 ところで書面語、書面語といわれるが、おそらく日本でも中国語を教える時、現代語の書面語の授業の材料は新聞ではなかろうか。おなじく印刷された文章とはいえ、小説や一般の単行本と新聞ではまったく違った印象をあたえる。初歩的な文法を終えれば小説などは読めないことはないが、新聞はまったく無理だという感じがする。小説を読みなれた目から見ると 新聞の文章はすさまじくグロテスクな文章に見える。はたして新聞の書面語というのは何者なんだろうか。という疑問は、新聞の漢語が書面語の典型といってよいのかということである。妙な言い方だが、はたして新聞が読みにくいのは全面的に書面語を使っているからなのだろうかということである。新聞の記事と同じ言葉は、テレビやラジオのニュースでも使われる。つまり話し言葉でもニュースでは同じスタイルの文が使われるということである。逆に新聞でも私が買っている 『外灘画報』 などの高級読者対象のものではスタイルが違うようである。となると極端に違うと感じられる新聞の書面語というのは、書き言葉の特質が現れたというより ニュース報道の文章のスタイルの特色が現れたと見たほうが良いのではなかろうか。特に中国のニュースで重要なのは政治記事である。したがってこの要素を考えた方がこの文章の特色を考えるのに役立つのではなかろうかということである。いまのところ詳しく調べたわけではないので 決定的なことはいえないので予測も含めていえば、新聞記事、特に政治面の文章には固有名詞や特定の言葉の繰り返しが非常に多いように感じる。これは 同じ量の紙面を使っても記事が伝える情報量がかなり少ないということを意味する。新聞が伝える情報が少ないというのは 私たちが新聞記事に期待することとは逆である。しかも少なくなった原因に特定用語や固有名詞の反復があるということは、単に伝達情報量が少ないということとは違う特質である。私たちが知っている範囲で 繰り返しの多い文章というのがないわけではない。古い時代の呪術的な唱え事、宗教的な経文は繰り返しが多い。たとえば大般若経や華厳経を見れば ほとんど同一の言葉の繰り返しで成立しているという印象を受ける。つまり繰り返しを盛んに使う文章というのはそれなりにある役割をはたしているわけである。それは暗記を助けるためでもありうるし、それらの文を唱える事によってある共同体意識を獲得することに役立っているかもしれない。では新聞記事に極端な書面語による特定の言い回しが使われたり、特定な範囲の語の繰り返しが盛んに使われるというのはどういう役割を果たしているのであろうか。ここで、これらの新聞の代表が 『人民日報』 であることは私には示唆的であると思われる。市場の入り口などで売っている新聞には 『人民日報』 は見当たらない。おそらくこの権威ある新聞は 特定の人たちにとっては非常に重要な学習文献となって討論の材料にもなっているのではないだろうか。彼らにとっては様々な活動をするときにこれらの記事を完璧に覚えて使う必要があるのではなかろうか。もしそうだとすれば 新聞の書面語というのは単に漢語における口語に対するものではなく もう少し別の角度からみる必要があることになりそうだ。