三枝壽勝の上海通信


上海だより 10月 (2003/10/10)

 中秋のころになって朝夕かすかに涼しくなったと感じたが、それでも日中は暑くて外に出る気にならなかった。それから約一月たち 桂花つまり木犀の香りが漂って来て すっかり秋らしくなった。上海の植物園には桂花が数千本植わっているとか、さぞかし あたり一面の香りがすばらしいだろうと思うが どこにあるのだか確かめてもいない。といっても今日など最高気温 29度、最低気温 19度だから、早々と半袖を洗濯してすっかり仕舞い込んだ私など うっかり動くと汗ばんでしまう。同じ中国でも今日の北京は最高気温が 16度、最低気温 10度というからかなりの差だ。最近の上海は春に比べると空がかなり青く 空気も澄んでいると感じる。といっても相変わらず雨が多く、短時間だが朝や夕方に小雨の降る日が多い。十月一日からの国慶節の連休中は毎日雨が降っていた。どうしてだかわからないが、この連休の中日の三日 突然道を歩く人のシャツが一斉に長袖になった。そういえば桜などの花は 互いに離れていても一斉に開花する。人間にもある種の本能があって 互いに感応するのだろうか。

 中秋と違って国慶節は国家の行事一週間の連休で マスコミは “黄金周(なんだ、ゴールデンウィークのことだ)” の行楽を盛んに特集していた。一週間の連休とはさすが中国だと思ったら、なんのことはない実質的に提供されている休日は三日だ。一週間の間にはかならず土日が含まれていてもともと休みだからこれだけで五日の休みになる。残りの二日の捻出の仕方はさすが中国らしい。九月の最後の土日を平日出勤として その振り替えとして休みを連休に繰り込んだのである。したがって今年は九月二十七、八の土日を平日扱いにし、そのかわり十月一日から七日までを連休とした。これで日数の帳尻はあうのだが、連休の直前に休日がなくなっているので十日間の連続出勤ですっかりグロッキー状態だった。全国の会社や機関、そして学校などがこの措置をとっている。おかげで連休がいっそうありがたく感じられるというわけなのかな。といっても一般の商店や市場は無関係で 国慶節だからといって休むことはなかった。それどころか 郵便局も連休中も業務を遂行していた。ただし張り紙には国慶節の期間一日から四日までは業務を短縮して九時から五時までとあった。ということは 普段は夜まで窓口が開いているということだ。公社になる前の郵便局が土日は完全に仕事を休んでいたのとは大違いである。

 一週間も休みが続けばまとまって何かできそうな気もするが さすが疲れがたまって休んでいる時間が多かった。連休前のアンケートでも 行楽地に行かず家で休むつもりだという人が半数程度だった。それもそのはずである。人口十四億!!の中国全土が一斉に休日になったのである。いくら半数がじっとしているといっても 残りが旅行や行楽にでかけたらどこも人間で埋まってしまう。とても観光どころではないはずだ。上海の人口は中国全土の人口の1パーセントをはるかに越しているうえ、周辺の農村地帯から来た労働者すなわち民工が数百万はいるだろうから、うっかり市の中心部になど出かけたら身動きできなくなると予想される。実際この期間は市の中心部は交通規制で自動車は進入禁止、バスも周辺で折り返し運行をさせられていた。夜になって特別にイルミネーションが輝く時刻には地下鉄も中心部の駅の出入りを停止し、有名な観光地黄浦江岸の外灘にある地下道も進入できなくなった。かなり統制が厳しいので何か治安上の問題でもあるのかと思ったが そうではなさそうだ。初日に街にでた人の話では、一番の中心街の南京路などは人で埋まってとても歩くどころではなかったという。要するに 人が大勢あつまれば個体としての人間は消えて、全体として流れる液体のようにしか動けなくなるわけだ。しかもその液体が単なる水ではなく粘っこい蜂蜜か、極端にはマヨネーズのような粘液状になってしまうので、とても流れるように動くどころではなくなってしまう。こんな状態で地下道など開放しようものなら 中の流れが完全に淀んでいるのだから 窒息死してしまうということではなかろうか。というわけで連休中の中心街は避けることにして 少し周辺の垢抜けたと言われる地帯をすこし歩いてみることにした。といっても例によって新本や古本屋を探訪しただけだから さほど話のタネにもならない。

 日本では衛星テレビで 北京は天安門前の国慶節の行事を何時間も見たことがある。この国の国家的行事でもやはり軍事的な雰囲気が強い感じがした。ところが上海ではテレビや新聞でこの日の行事のニュースを一度も見なかった。テレビではニュースの時間帯がずれていて見逃した可能性もある。といっても中国中央テレビ局だけでチャンネルが十以上もあり それぞれが違ったニュースを流している。中央テレビ局の視聴者だけで九億とか聞いたことがあるから もちろん世界一視聴者の多いテレビ局である。BBC や CNN など足元にも及ばない巨大メディアなのである。もちろん各地の地方テレビもある。かなり頻繁にニュースを流していたはずなのに ついに中央の行事のことはわからなかった。新聞も同様だった。当地の朝刊、夕刊にも中央での行事のニュースは目に付かず、当地での行事のことが載っているだけだった。どうやら中央での観兵式のような行事にはさほど関心がないらしい。といってもテレビでの歌やバラエティの娯楽番組を見ていると、歌のメロディは民謡調だったり流行歌のように聞こえながら、字幕をみると党や国を讃える内容が多かった。それでもテロップさえみなければけっこう楽しい雰囲気だった。新聞の特集は行楽で、連休中にどこへ行けばよいか、この期間を利用して整形手術をするにはどこがいいかなんて記事もあったような気がする。

 私のほうと言えば 人ごみの中をかきわけ歩き回る気にもならないので休養でもと思ったが 結局毎日出歩くことになった。初日の夜は近くの上海馬戯場に馬戯見学にいった。馬戯というのは要するにサーカスと曲芸と手品を一緒にしたものを指す。実はこの日で上海馬戯見学は二度目である。連休の一週間前にも市内の劇場での公演を見に行っている。このときは舞台での公演なので曲芸が中心だった。さすが世界的に有名な曲芸団だけあって 約一時間半休み時間なしに次々に演じられる曲芸は気を紛らす余裕もあたえず 緊張しっぱなしだった。衛星テレビで見たことがあるのでなじみのある芸もあったが やはり目の前で演じるのを見るのとは違うもので 見事な芸に魅せられてしまった。馬戯場でのものは連休中の客を対象にしているせいか すべてサーカスだった。それもほとんどが動物を扱うものである。アシカ、犬、サル、馬、象などおなじみのものだが、猛獣では二頭のライオンと四頭の虎を同時にあつかうのはさすがだった。フィナーレは動物でなく人間によるオートバイの曲乗りである。球形の檻の中でオートバイが走り回る、昔からおなじみのものだが、さすがだと感嘆したのはあの狭い檻の中で七台ものオートバイを走らせたことであった。やはりここでの曲芸はどれも群を抜いて高度である。十四億も人口があれば とんでもない芸をする人間がいくらでも出てくるのかもしれない。ただ妙な芸を披露する人間は中国だけにいるわけではない。韓国には鼻から牛乳を飲んで目から出す人がいた。この男性は目の涙腺が鼻とつながっていて、目から出る息でロウソクを消すこともできた。こんなのは芸というより一種の畸形といったほうがいいのだろうか。中国には縫い針を投げてガラスを貫通させる人間がいる。これはテレビで何度か見た。少林寺の人間ではお椀をヘソの所に吸い付かせて、そのおわんに繋いだロープでトラックを引っ張っているのをテレビで見た。トラックといえば最近テレビで 耳たぶに繋いだロープでトラックを引っ張っている男を見た。妙な芸である。こんなことをすれば普通なら耳たぶがちぎれてしまうだろうから 引っ張り方にコツがあるのかもしれない。

 ほかに市内の本屋を尋ね歩いた話はすでに触れた。上海で一番大きな本格的な古本屋ということで、すこし不便な場所のアパートの一階を店にしているところを尋ねた。たしかに広く量も多かったが めぼしいものはほとんどなかった。中国では古書をどうやって手に入れているのだろうか気になるので 古書関係の店に置いてある週刊の古書新聞を買ってみた。大きな都市では古書の競売があちこちでおこなわれているらしい。ただしこれはかなり昔のもので骨董品に属すものが中心だ。近代にはいって百年このかたのものは どうやら持ち主が新聞に出す広告によって電話連絡をして売買することが かなり頻繁におこなわれているらしいことがわかった。上海には日曜ごとに開かれる古本の市がある。これは地球の歩き方に紹介されている通りだ。朝の八時からだが 人の集まりかたがすさまじい。いずれにもせよ日本のような古書店があちこちにあるわけではない。

 観光地はどこも人でいっぱいだよと言われていたが、一度ぐらいは、と勇気をだして 連休中だけの特別観光バスが馬戯場から出ているというのを知って切符を買いにいった。その日のは売り切れで、翌日四日の切符が一人分残っているというのでそれを買った。上海の西にある蘇州一日観光のバスだ。朝七時半出発というからかなり早い。予備知識もなしに乗った。最後の一枚だということで指定された席は最後部五人掛けの一番隅だった。それでも中央よりましだ。さすが中国だとおもったのは この最後部五人掛けの中央の切符をもっている乗客が それを嫌って他人の席に坐りこんで動かなかったこと。結局家族づれで来たらしい一員のインテリらしい男がしびれをきらせて、それなら自分が坐ればいいだろうと義侠心をだして解決した。韓国でも昔は人の指定席に坐ることはよくあった。本人が来て自分の席に他人が坐っているのを見ると、こんどはその人が空いている席を探して坐るので順繰りに席が替わっていった。特に年配の女性が坐っているときには絶対に動かないので 本来そこに座るはず人間も最初からあきらめてしまうのだった。この日の観光バスで他人の席に坐って動かなかったのは年寄りでなく若者だった。バスの観光案内の男性も お互いに解決すべきもので自分にはどうしようもないと干渉をしなかった。馬戯場から乗ったのは六、七人だけで、のこりは次の乗り場、上海体育場からだった。すさまじい規模のバス乗り場で 何百台にも思われるバスで広場が埋まっていて それを取り巻く人もまたすさまじかった。

 肝心の蘇州はといえば、結果から言えば人間の塊を見に行くことになったのは当然だったが、やはり参加してよかったと思う。ここの人のマナーの様子を見たのも参考になったが 別に腹がたつというほどでもなかった。どこに停まっても必ずみやげ物を買いに行ってバスの出発を遅らせるのは同じ人間だし、いくら経っても戻ってこないときには置いてきぼりにして出発をするのだった。この日は同じ市内を回る観光だったので 置いてきぼりになった老人夫婦には最後の目的地で再会し無事に戻ることになったが、それにしても あの人で埋まった混雑のなかでよくバスを見つけたものと感心した。回ったのは留園、園林に始まって、虎丘山、そして日本でもおなじみの寒山寺といったところだ。とにかく どこも各地から来たさまざまな衣装の観光客で埋まっているし バスがひっきりなしに次々とやってきて いつも満員だ。うっかり自由行動なんてことになると どこでどう迷子になるかわからないので 案内人のそばにいつもぴったり付いて回った。といっても ほとんどの時間が待ち時間で消費されてしまい 肝心の目的地に着いても駆け足で走り抜けるようにして回るといった感じだった。それでも虎丘山の頂上にある云岩寺の磚塔はすばらしいものだった。中国には石の塔は多いが こういう瓦の塔もあるのだ。もともと十世紀末に建てられたものというからかなり古い。47メートルもあるという塔の最下部をみると 瓦が斜めにめりこんでいて 少し傾いていたらしいと判る。もちろん現在は修復されているから倒れないのだろうが。この古い塔だが 中に入って見学もできるらしい。二十人までの団体で十分以内ならお金をだせば入れるのだ。そして中では大声を出さないなどの制約がある。もちろんこの日は一切見学客を入れなかったが、それにしても制限つきとはいえ こうした古い遺跡でもお金をだせば入れるというのが日本と違っているなと感じる。といっても 韓国ではお金をださなくとも自由に触れる文化財がたくさんあった。安東駅の構内にある磚塔など 日本統治時代からの落書きがびっしり刻み込まれていた。その近くの木造の塔など人が住んでいたし、ある新羅時代の文化財の石塔など民家の狭い庭のなかにあって 洗濯物がかかっていて 家の人がお供えをしていた。もっとも中国はどこにいっても文化財だらけで、いまでも地面を掘れば何かでてくるところだから規模が違うだろうが。最後の寒山寺は月落烏啼霜満天云々の楓橋夜泊の詩で 日本ではあまりにも有名で、中国では日本の影響で人気が出た可能性もあるのかなという感じもした。案内人が盛んに日本でもどうこうという話を盛んにしていた。もちろん今の建物は新しく修復されたものだろうが たしかに木造五重の塔などあまりにも日本のものに似ているし、薬師観音も日本のものだ。といってそれ以上調べる気もしないから 本当のところどうなのかは知らない。夕方暗くなって 八時に元の乗り場に戻った。大部分は途中の体育館で降りたので 最後まで乗っていたのは私ともう一人の二人だけだった。個人で参加したのもこの二人だけだった。

 連休終了まぎわに団体で市内見学をした。上海博物館、世界で三番目に高いという金茂ビルディング展望台、そして観光船で黄浦江を上り下りして周辺のイルミネーションを見物した。上海博物館では今宋の <淳化閣帖> 四冊を展示していて話題をよんでいる。四冊のうち二冊は王羲之の筆跡である。これは今年の春 上海博物館が アメリカのある収集家から 450万ドルという安い!値段で買ったものだという。中国では海外流出した文化財を買い戻す動きがあるらしい。北京の故宮博物館でもおこなっている。骨董品の鑑定というのは専門家でも難しいらしい。故宮で 1995年に 239万ドルで購入した <十咏図> は 後に結局偽者と判定されている。とにかくこの <淳化閣帖> のおかげで上海は書道ブームだという。金茂ビルは私たちが行く前日、世界から集まったプロのパラシューターたちがビルから飛び降りてニュースになったが、私たちが行った翌日には外の壁面を五十分かけて上まで登った男が現れてまたニュースになった。上海にはこうしたビルディングをよじ登っても罰する法律がないので それを制定するかどうかがまた話題になった。

 連休中の出来事というほどのことではないが、人に聞いて大きなスーパーがあるというので行って見た。宿舎のそばから送迎バスが出ているのだが、例によって自転車を使った。約十五分の距離である。たしかに大きい。送迎バスが出ているスーパーというだけあって大きな駐車場もあるし、自転車置き場は何百台もの自転車で埋まっている。車のついたかごもかなり大型だ。中は食料品だけでなく電気製品から自転車、文具、衣類、寝具なども大量に置いてあって 衣類のコーナーには試着室まである。要するにダイエーとかセイユーとかの売り場を一階に並べたような感じだ。感激したのは いままで市場や近くのスーパーでは見かけなかった生の牛肉や魚の切り身があったこと。野菜もほかでは見かけない種類が多いことだ。これだけの規模で高級な感じがするのに野菜は市場より安い。最初は様子がわからず手当たり次第にかごに入れてレジに行ったら 野菜に値段がついてないと文句を言われた。なるほど ここでもパックになっていて最初から値段の付いているものは問題ないが、それ以外は皆計り売りだからそれぞれの売り場でまず値段をつけてもらってからレジに行かねばならない。最初のときはどうしてよいかわからないし、後ろの人を待たせて遠い売り場まで走って行くわけにもいかず、結局レジの台の前の床に置いてあった籠の中に放り込んで逃げてきた。それから ここは原則としてレジでは会員カードをまず見せることになっているらしい。カードのバーコードを読み取ってからレジが始まる。無いと文句をいわれる。仕方ないので並んでいる人や通りがかりの人から借りてカードの読み取りだけをしてもらう。それでも品が多いので連休中は何度も行った。会員カードも作ってもらった。久しぶりにサーモンの切り身を買った。決して日本と比べて安くはないが質はよい。

 生魚を食べて気づいたのは、魚というのがかなり生臭いということだ。もちろんこれは日本にいても感じることだ。しかし中国のようにふんだんに調味料を使いしかも豚や鶏を主に食べるところでは 生魚の臭いはかなり異質な感じを与えるらしいということだ。こちらの人で 猫は魚を食べるので臭いがするから嫌いだという人がいるらしい。食生活の習慣によってそれぞれ臭いにたいする好みというか慣れが違うらしいのだが、それがいったいどういう感じのものだか今まではよくわからなかった。とくに自分たちの文化に関しては感じ取りにくい。何ヶ月かこちらにいて ようやく臭気にかんして自分たちには気づかなかったところがほんの少し見えてきた。日本人は 自分たちでは体臭がないとか 特別な臭いがないと思っているかもしれないが、外部の者から見れば 日本人は醤油臭くてイヤだとか言われているのに気づいていないだけだ。また気づいても、その醤油臭いとか言われるものがどういう感じを与えているのかがよくつかめない。こんど魚の生臭さで気づいたのは、この魚の生臭さがかなり不快な感じを与えるとすれば、それは獲物を飲み込んだばかりの蛇の息をそばで嗅いでいるような不快さかもしれないということだ。日本人同士では生臭さは、その材料ものの臭気ですむが、それが人間そのものの臭気とみなされるときには好悪の伴う可能性があるのだ。とにかく 自分たちが外部からどう感じられているかを自分自身で感じ取るのはそう容易いことではなさそうだ。韓国人はキムチの匂いが他の文化圏の人間にとっては何を連想させる臭気なのか 気づいているのだろうか。

 この巨大スーパーを紹介してくれたのは語学の教師だが、あるとき中国語の語法の説明のとき一瞬ロシア語のことを持ち出して説明を始めた。それはほんの数秒で終わってしまったし、あまりにも場違いなところだったのでそれ以上続かなかったが、ああこの人ロシア語を学んだ人なんだなと一種の感慨を覚えた。今の中国ではロシア語を学ぶものはあまりいないと聞いていたから。どこを見ても英語ばかりだ。中国語、つまり漢語の話にロシア語を持ち出すというのは 例によってアスペクトが話題になったからだ。とはいえ今ここで言語の話をするつもりはない。ちょっと気になったのは 時制とかアスペクトという話をよく聞いたが、はたして人間の言語に時制というのが本質的に関係することがあるのだろうかということ。つまり話をするときに過去の出来事とか、未来の予想とかが話題になることはあるだろうが、そのことと言語そのものの根本的な本質に過去とか未来が関係してくるのだろうかということだ。いま思い出しているのは言語ではなく時間にかんしての話である。もう前々世紀のことになるが十九世紀の末にマクタガートが時間認識に関して根本的にことなった二種類のとらえかたに注意を向けて以後、はたしてその違いをその後の人がどれほど深刻に反省したのだろうかということだ。彼の言ったのは、時間を語る時のやりかたの第一は、数字で前後関係を付けるとらえ方、つまり何年何月何日というぐあいに日付などでとらえるやりかた。これは直線を描いてそこに目盛りをつけて時間を指定する とらえ方だ。このとらえ方ではどの時刻も点としてとらえられるので 現在も幅をもたぬ瞬間の点である。いずれにせよ数字が介入してくるのはこのとらえ方であり、時間を空間的な図式に置き換えてとらえるやりかたといってもよい。第二は、過去現在未来という言い方でとらえられた時間。マクタガートがどう言っていたか覚えがないが、この場合には現在も点としてはとらえられないと思う。そもそも過去、現在、未来というのはとらえる主体のありかたに関係しているので 現在がどれだけの幅を持つかとか持たぬかということも意味をもたぬ。もともとの問題提起には この二つのとらえ方はどのようにつながるのか、対応するのかということも含まれていたような気もするが、いまこうして振り返ってみると関連があるともいえないし、ないとも言えない気がする。関連するとかしないは 関連付ける主体の側のとらえかたによるのだという気がする。ただ今の私には第一のとらえかた、これは自然科学だけではなく現在の社会のすべてにわたって常識的に受け入れられている時間のとらえかただが、このとらえ方はかなり文化的な反省を経過して出来たものではないかということだ。私たち人間の内外界に対する根本的なとらえ方にはこの第一のものは無関係ではないかということだ。つまり私たちからかなり高度な文化的な要素を取り去って根本的な反省をおこなった時には 時間に関しては第二のとらえ方しか残らないのではなかろうかということ。大昔の竜樹からアウグスティヌスを経て近代のカントから最近のベルクソンやフッサールやハイデガーまで 時間はいつも謎をはらんだ話題となって問われ続けて来たが、それらの業績を教科書のように勉強して整理するのではなく、問う主体と一体となった反省の対象としてとらえた時 何がみえてくるかということだ。最近だれだかの本で、時間について根本的なのは現在ではなく過去であるとあるのを読んだが、とにかく それぞれが自分なりの反省から何が見えてくるのかを試みたらどうなのかということだ。おそらくこうした言い方はかなり難しそうな話題にみえながら 意外に本質は単純である可能性があると思う。ただし単純だからといって誰でも簡単にとらえられるということではないが。おそらく言語にとっての根本的なこともこうした反省を経ることによって見えてくることは、判ってしまえば意外に単純であたりまえのことかもしれないが、それまではとてつもなく複雑なことを扱っているように思われるかもしれないということ。とりとめもないことを書いたが きりがないのでうちきります。