三枝壽勝の上海通信


上海便り 6月 (2003/06/13)

北京を初めとする主要都市で起こった非典 (SARS) の非常事態も前回報告してからすでに一月過ぎた。中国の中央で責任者解任事件からでも一月半。事態はかなり落ち着いてきたと言える。昨日は香港で発病者も死亡者もゼロとなった。大陸でも非典は峠をこした。特にここ上海では実質的な患者発生がなかったし、少数の患者も外部から来たものか、外部と接触する仕事をしていたものだったこともあって、最初から北京ほどの深刻さはなかった。今ではマスクをかけている人をみかけることはほとんどない。中心部の繁華街でも同じである。非典は日常生活の中に組み込まれた。日本の領事館も二ユースを流さなくなった。私もあれから新聞を読んでいない。私自身も日常の世界につかりこんでいる。毎日の買い物と食事の支度でかなりの時間を費やしていることには変わりないが、市場には朝7時前にゆくことにした。やはり新鮮なものを買うには朝でないとだめである。洗濯も皆が起きるまえ、6時前には済ませるようにしている。こうして非常事態が日常化した今からみれば、あの大騒ぎを振り返ってみる余裕も生じているにちがいない。私はあまりこうしたことに関心がないので後を追う気にもならないが、いくつか目にとまったことを断片的に報告することにする。
ちょうど前回の報告を送ったころ北京などで出稼ぎの地方出身者の患者のことが話題になりかけていたが、彼らにたいしては治療の援助をする対策がたてられた。また事態が地方に広がるにつれさまざまな流言が流れたようで、前回の 「上海だより」 がでた直後に 上海特派員の新聞記者伊藤彰浩氏が、5月15日付けの 『南方週末』 という週間新聞に面白い流言の記事が出ていると教えてくれた。生まれたばかりの赤ん坊が口を利いたとか、長年口の利けなかった人がしゃべりだして、家々で爆竹を鳴らし線香をたけば非典を払えるという内容である。5月3日湖南・湖北省に始まったこの流言騒ぎはたちまち4日で 14の省に広がったというのである。新聞によればこれと同様の現象が235年前の清末にも起きているという。中国人の非常時における習性の変わらなさを物語っているということだろうか。伊藤氏によれば 中央からはずれた 『南方週末』 や日刊 『羊城晩報』 などには面白い記事がよく載るということである。前回私が利用した 『外灘画報』 も もと 『南方週末』 にいた記者が始めたものだという。
あとで気が付いたがこれらの新聞の記事はホームページを見ると載っているので中国語さえわかれば日本でも読むことができる。私は今ではインターネットによる記事もほとんど見なくなった。どうも規制が厳しすぎるのか、私好みの妙な題名の記事はクリックしても接続できないことが多い。そういえばヤフーも香港のものはここからは接続できない。私が日本で見ていたホームページもここからは接続できないものがある。インターネットの使い方に何かコツがいるのかもしれない。それでも自由に接続させて利用者を泳がせてデーターを蓄積している先進国に比べれば率直で判りやすいのかもしれない。
流言といえばこのころ流言の発生に対する調査がなされる一方で処罰に関する話も持ち上がった。前回紹介したアンケート調査もその後流言とみなされたらしい。そして非典の処置にたいして妨害する言動に対する裁判では有罪判決がすでに出されている。いずれにもせよ前回の報告のころから政治的な対策がかなり正面に出てきたということであろう。

肝心の非典の実態についてどういう結論がでたのかは知らない。かえって日本ではよく紹介されているのかもしれない。ヴィールスの正体が分かったからといって直ちにワクチンなどができるわけでないのは他の病気と同様である。ヴィールスが変形しないとしても少なくとも2、3年の期間が必要である。この病気は発病までの潜伏期が2週間ぐらいというが、感染して発病しない人や回復した人がキャリヤーにとなる可能性はないのだろうか。どうもこれらの可能性がないものとされているらしいが根拠はなんだろうか。野生動物との関係がかなり言われていたが、5月下旬に野生の狸の一種から採取されたヴィールスが今回の非典のものと一致したと報じられた。新聞の写真には可愛らしい狸の写真が載っていた。
もちろんある種の動物から感染したことが分かったとしても、その動物を絶滅すれば解決する問題ではない。自分の気に入らぬものを抹殺するのは国際政治に関しては、ある種の国では正義の思想なのかもしれない。が、たとえ政治の世界ではそれが常識であってもそれが低級な思想であるのには変わりない。いまだに自分と異質な存在との共存の思想は確立されていない状態である。しかし病気に関しては人類の伝染病の三分の一は動物と関係があるという記事も出ていた。相手を絶滅する思想から共存の思想へと発想を転換させることが必要なのは明らかだという気がする。それだけではない、現在の生物の発生がすべてこの地球上の同一の起源に基づくものだとするなら、発生から現在存在している各々の全ての生物にいたるまで経過した時間は同じはずである。たとえ進化の段階が異なるとはいえ、現在に至るまでの時間が全て同じということは、どこかで全ての生物は時間的に同調している可能性がある。たとえ空間的には遠距離にあり直接関係をしていなくとも同時に同じ現象が各地で起こる可能性だって考えられる。もちろんそういうことはありえないのかもしれない。どちらにもせよ現在の時点ですべての生物の存在を同時に視点にいれた発想の必要性を考えてもよいのではないだろうか。それは人類の発生と進化の秘密に関係しているかもしれないという気がする。

今回の非典は中国人にとっては様々な点で大きな影響を与えたと思う。それは決して否定的なことばかりではない。却って彼らにとって得るものが大きかったのではないかとも思われる。医学や政治の世界だけではなく全ての方面においてである。最初この問題が大きく取り上げられるようになり世界的な話題となったころ、中国での中央の責任が取り上げられた。中国はこの病気に対して実態を正しく公表していないと WHO は警告を発した。その警告の根拠が何であったかは今でははっきりしている。四月の初めアメリカの週刊誌に北京の SARS の実態についての記事には 北京の軍医の署名のある書信が引用されていた。北京の解放軍総医院301医院の医師であった蒋彦永である。今年72歳の長老的存在である。現場で SARS の実態を見ている医師として テレビで報告された衛生部長の発表をそのまま見過ごすことができなかったのである。4月4日彼が署名して各地に送ったEメールには 「今日私は病室で全ての医者、看護士は昨日のニュースをみて怒った」 と書いたといわれる。その一つが前述のアメリカの週刊誌に取り上げられその後の中国の態度を変えさせるきっかけとなったのであった。前回の報告で紹介した中国の医師の決意はすでに実行に移されていたことがわかる。現在は退職している蒋彦永医師であるが、その後の記事では生活には何の圧力も制限もないと語っている。ただし外出のときには高級専門家としての待遇をうけ専用の車が送り迎えをしているというのが気にはなるが。いずれにもせよ今回の件では中国の医学関係者たちの態度がかなり印象的であった。

現在こちらの書店や新聞販売スタンドなどで非典予防のパンフレットが置かれている。それらのパンフレットとおなじように薄っぺらな本であるが 『‘非典’時期の中国人』 という本は印象的である。これは CCTV 中央テレビ局で毎週一回土曜に放映している、王志のインタヴュー対談番組 「面対面」 の4月から五月のかけてのものを記録したものである。対談相手と放映日を具体的に紹介すると、李立明中国疾病予防制御センター主任 (4・19)、鍾南山広州呼吸病研究所長 (4.26)、王山北京市副市長 (5.2)、姜素椿解放軍 302医院元専門家組織員 (5.3)、陳馮富珍香港衛生署署長 (5.21)、張積慧広州非典病区看護長 (5.9)。日付をみると必ずしも土曜ではない。この時期集中的に非典の話題で番組を構成していることがわかる。単行本ではここまでだが 放送ではその後も呂厚山北京大人民医院院長 (5.24)、于幼軍深市長 (5.26)と続いている。単行本出版には間に合わなかったのかもしれない。これらの内容は単行本を読まなくともホームページにも同じものが載っているので日本でも簡単に見ることができる。
日付と対談相手をみると判るように、時期は非典 (SARS) が世間で話題となってはいても まだ中央で真相を認め責任者を処分する前である。このことから企画がかなり早くからなされていたことがわかる。そしてこのインタヴューのうち広州での取材は病院に入りはじめて治療の様子を撮影するなどかなりな熱意であった。この頃広州で取材した関係者は北京に戻っても直ぐ職場にもどれず 2週間の隔離状態で仕事をつづけた。これらのインタヴューの意図と目的が何だったかは 読めばほぼ明らかであるが、単行本には視聴者とのやりとりも収録されていて王志の態度も表明されている。すくなくとも中央とか政府の立場で放送するのでなく記者の立場、そしてそれより視聴者の立場に立つのだという。某方面からの圧力はなかったのかという質問もあった。無かったし、あったとしても取材には影響しなかっただろうと語っている。つまりこの番組の関係者はすくなくとも現在の中国での視聴者が知りたがっていることを代弁して番組を組んでいる。たとえば最初の李立明との対談では、しつこく、いったい一般の人間として非典というのはどういう病気なのかとたずねている。つまり専門家の立場としての説明ではなく日常生活をする人間として非典にかかっているのかそうでないのか、どこで他の病気と区別できるのかということ。そして発表されている患者の数についても真相を迫っている。
この時点ではまだ中央の立場にたつものとして明確なことが言いにくかった時であった。中央が責任をみとめたのはこの放映の翌日である。香港の衛生署長に対しては カナダやシンガポールの流行は香港に責任があると明言すべきだと ただしている。この番組は放映中かなり反響が大きかった。それは話題が時宜にかなっていることもあるが、この番組を見た多くの視聴者が感動したらしい。王志自身も対談で何度も涙を流している。私は放映中は言葉が判らず見過ごしていたが、多くの人がこの番組で感動し番組のファンになったという。張積慧との対談などは 彼女の素朴な話そのものが感動をそそるものであったと思われる。彼女は広州での非典の特設病院の看護長であり、4月にはそれまでの日記を一般に公開して話題を読んでいる。つまり広州は北京などで騒ぎが起こるかなり前に非常事態に入っており 彼らはまだ未知の得体の知れぬ伝染病と戦ってきたのである。新聞で話題になったあの重装備の防護服での勤務はすでに2月から始まっている。着替えるのに 30分以上かかる装備では用便もままならず水も飲めないという。最初の患者を迎え入れるとき待機の看護婦が出てこなかった。恐怖で体の力が抜けてしまっていたという。
記者たちがあとで記しているように 北京などの都会で大騒ぎしていることはすでに何ヶ月前に広東省で体験済みのことであった。取材の頃は広州ではすでに峠を越して一段落の状態だったのである。取材陣が北京からマスクなど大げさな装備で広州に着いてみると かえってマスクをかけている人がすくなくて気恥ずかしい思いをしたと述べている。それまで北京では広州の実情にほとんど関心がなかったことがわかる。広州も香港も中央からのほとんどの無関心のうちに独力で手探りの戦いを行ってきたことがわかる。いたるところで関係者は非典、それは戦争だと語っている。敵の見えない戦い、硝煙のない戦い、得体の知れない敵によって味方が次々と犠牲になってゆく戦いを戦ってきたのである。看護長の張積慧は この苦しい戦いのなかで互いの一体感をつよく感じたということを語っている。放映では削られた彼女の発言が単行本には収録されている。この任務のなかであなたはどのように変わったのですか、という質問にたいする彼女の答えである。少なくとも変わったことは、寛容、人と人の間の寛容、これが最大の変化である。以前は人と人との関係というのは総じて比較的狭く、できるだけ自分の立場に立った立場からの考えだったが、今度のことを通して他人の立場から考えるというように、というようなことを語っている。

確実に、こんどの非典の非常時を通じて苦労をした人たちはその苦しみの中から学んでいるようである。視聴者たちの感動もそこにつながっているに違いない。この小冊子から読み取れることの一つは、この非常時の体験を通して多くの人が、人と人とのありかたについて多くのことを学んでいるということではなかろうか。もしかするとこれによって中国人の一体感がより深まったということが言えるのかもしれない。こうい言い方をすると気にさわる人がいるかもしれないが、一つの体験から学ぶということは体験を単に通り過ぎてしまうものとせず、それぞれにとって貴重なものとするという意味であり、率直に評価してよいと思う。傍観者としての私たちにとっての問題は、はたして彼らの体験、学んだことからさらに何を学ぶかということかもしれない。私にとっては、ある個人が、ある組織がまたは体制がどうであるかということにたいして非難をすることには あまり興味がなくなっている。どんな批判、非難を聞いても、私はその発言の前にいつも 「私のように」 ということばが省略されていると聞くことにしている。 「彼はだめな人間」 というのは 「私のように彼はだめな人間」 と同じ内容だと聞くことにしている。学ぶということについて何かいうと 本当に年寄りじみたという感じもしないではない。しかし私たちのすることは学ぶことしかないのではないだろうか。昔の聖人の言葉を引くまでもなく、私たちは一生学ぶしかないし、学ぶということは自分を探求することでしかない。さほど大げさに強調する必要もなければ、見下す必要もないだろう。私たちにとっての大きな間違いは 学ぶ気がないのに教えたがることから来るのではないだろうか。わざわざ外国にまで行って自分に関係あることばかり教えたがるのはどうしてなのだろう。それなのに先方のことからは何も学ぶ気がないというのはどうしてなのだろうか。私には相手から学ぶ気もないのに教えたがる気持ちがよく判らない。もしかすると教えるというのは相手を支配しようという欲望の現われかもしれないという気持ちもする。それなら、たちの悪い政治家とあまり変わらないのかなという気もしないではない。といって学ぶというのは誰か偉い人から、尊敬に値する人から学ぶという言い方も変な感じがする。尊敬に値するとか、偉い人とか評価すること自体が学ぶこととは縁が遠い感じだ。学ぶというのは相手に関係なく成立するのではないだろうか。どこからでも誰からでも学べるし、学ぶことは知識ではないから、伝達できるものを受け取ることとも違いそうだ。

あいかわらず何の意義があるかもわからずこうして異国の地にへばりついているが いつまでたっても色んなことに感じいってしまう。もちろん先にもいったように私は時事問題や政治など大きなことはさっぱり苦手で人付き合いも苦手、できることといったら系統もなしに本を読むことぐらい。先ほどの非典の本だって偶然手にとったに過ぎない。最近使える時間がさっぱりないことに気づいて本を読もうとはしているけどやはりうまくいかない。やっとこさ読んだのが老舎の 「駱駝祥子」 といくつかの短編や随筆など、そしてやっとこ探しだしたマンガの本をぱらぱらめくっている。面白いと思ってみると台湾の作家のマンガだ。
どうも普通の本屋で本を買うのもむずかしいと感じ出して すこしは街をさまよってみようかと自転車を買った。一番安いものに籠をつけて鍵を二つもつけた。面白いのは買う時に鑑札をつけられたこと。つけてない人もいるから義務ではないのかもしれないが、自動車みたいにナンバープレートをつけて走る。鑑札の代金は 10元だから 150円程度だが、かなり手続きが入り組んでいた。まず身分証明書を提出。パスポートを出したらなんだかよく判らないと言われた。その言葉が気に入った。居留証明書をだす。それにもとづいてナンバーを記入した証明カードを作ってくれた。そしてそのあとハンドルの中央とサドルの付け根にハンマーでナンバーを打ち込むのである。なるほど盗難よけなのかもしれない。二箇所も刻みこむのは分解された時のためかな。昔にくらべると自転車の量は減ったという。今度の非典で自転車が売れていると聞いたが 自転車屋で品切れになった様子もない。買って後 直ぐに乗ったが、瞬間にこれは大変だと感じた。重さが全てお尻にかかってきて 乗り心地の悪いサドルですぐに痛くなる。自転車で走ると街の様子がわかりそうなものだが いくら走っても方角がわからない。自動車なら要所要所にある高架道路を走れるが自転車はそうもいかない。そしてここ上海の道路はどんなに広くても直ぐに行き止りだ。先がなければ曲がるよりほかない。曲がるとすぐに路地、うっかり路地に入り込むと店と人でごったがえしの人に巻き込まれて 抜け出た時には方角がわからなくなってしまう。行きに 30分でも帰りに2時間以上かかったこともある。どうして上海の道路は曲がりくねっているのだろう。おそらく昔王様のいる首都だったことがなく 近代に入って開発された街だからかもしれない。京都や北京とは大違いである。さらに大きな道路では車の走るところと自転車の走るところが分離帯で仕切られている。これは走りやすいと思ったのは乗り出した瞬間だけ。歩く人と同じで自転車もてんでん勝手に走る。ということは逆方向に走る車もあるということだ。最初はギョッとした。自転車といってもリヤカーをつけたのも多い。幅の広いのがいきなり前に現れる。同じ方向に走っていても危ない。ふらふらとしょっちゅう方向を変えるので追い抜けない。そして自転車に乗りながらタバコの吸殻をなげる。痰を吐く。うっかり後ろを走れない。速度を緩めたら後ろからきたスクーターに追突された。速度を出せないので危なくはないがヒヤッとする。台湾と同じでライトをつけた自転車がない。あるとしてもただ標識としてであり、ライトの役割はない。だから暗くなると怖くて乗れない。それでもこうやって走ると歩くよりはかなり広い範囲をうろつける。

アパートの隅の塀のうらに薄暗い物置小屋のようなところがあった。中古のCDの店だった。ここで 60年代の 「啼笑因縁」 と 70年代に出たアニメの 17枚セットの全集を買った。後者は台湾で一部見ていたがこれだけ大量に手に入るとは思わなかった。一枚に5つぐらいの作品だからかなりの量だ。DVDだが日本のノートで作動した。気に入ったのは字幕を選択できること。繁体字でも簡体字でもよいし一切字幕なしにもできる。 「啼笑因縁」 は金色夜叉や長恨夢との比較で私の気にしている通俗文学の作品の映画化。他に越劇の 「啼笑因縁」 も買ったがこちらは不良品なのか動かない。動けば京劇みたいな感じのものがみれるはずだが。60年代の映画のほうは原作にくらべ後半が単純になっているが 一昔前の北京の様子などの描き方が面白い。同じ 60年代でも公認推薦の 「青春の歌」 などと比べるとずっと出来がよい感じがする。金で裏切った女につめよって男が殴る場面は小説ではなかったと思うが、金色夜叉や長恨夢と似ていて興味深い。裏切った女が気が狂うのは長恨夢と似ている。ただ最後は死んでしまうが。とにかくこうやって映画にすると三つの作品が近づいてくるのが興味深い。アニメのほうは切り絵や墨絵で絵がきれい。いまのアニメにこんな丁寧な絵はない。中国の伝統的な話が多いがそのなかに中島敦の作品が原作だという 「不射之射」 というのがあった。何でも自分のものにしてしまうところがすごい。そういえば春香伝の越劇も買った。春香と李道令の別れの場面までしか録画されてなかったが、歌い方はまったく中国のものだ。越劇は上海での京劇にあたるものだが、こうやってどこのものでも伝統芸能に取り入れてしまう消化力はたいしたものだとおもう。中国の寛容さというか活力には感服する。そしてどの場合でも何を元にしたかを明記してある。どうやらこちらの伝統芸能に関しても 説明ではいつもどこから来たとか、どこのものを取り入れたとか書いてあるように感じた。日本や韓国ではあまりにも独自性を強調しすぎるのではなかろうか。なんだか萎縮して惨めな感じだ。外から見ると惨めなのに本人が誇らしげにしているところに救いのなさを感じる。といって中国をうらやましく思う必要もない。

今朝市場にいったら日本のネギと同じものを売っていたので買って帰った。買ってみるとかなり大きなものだった。ふだんはこちらでも細いワケギにあたるものをよく見かける。そういえばワケギにあたるものが “葱” で、日本のものは “大葱”、そして玉ねぎは “洋葱” だ。この葱を pa で置きかえるとそれぞれ、“Pa”、“Daepa”、“Yangpa” となり、朝鮮語そのものとなる。朝鮮語のほうは中国語の翻訳になっている。このこと自体は別にどうということもない。一つ一つに意味はないのかもしれない。だがこういう現象が重なるとどうなるのだろうか。とんでもない例では、中国語の “是”。古くは “これ”、唐ごろからは “である” に該当する繋辞。この “是” を “Yi” で置き換えると中国語と同じように “これ” と “が” の二つの意味が対応する。やめよう。こんなことをあまり書くと顰蹙をかいそうだ。