三枝壽勝の上海通信


上海だより (2003/05/09-11)

こちらに来たころイラク侵攻と香港のサースがニュースの中心だった。しかしその時は後者についての関心はさほどでもなかった。上海にいる新聞社の特派員も香港での事態が上海にどのように影響するかで待機中だったが 取材することがなく手持ちぶさたのようであった。ところがいまや 中国はサースによる非常事態の渦のまっただなかである。当然だろうが、すべてのニュースはこの話題を中心にして報道される。こちらではこれを “伝染性非典型肺炎”、これを略して “非典(fei-dian)” と呼んでいる。楊錦麟のような香港のテレビの一部の解説員はサースと言っているが、それ以外はすべて “非典”、 “非典” 一色である。もちろんこうした非常事態の中でも日常生活は依然として営まれている。三十年まえ韓国に渡った時にも感じたが、外から見ている時と、その中にいる時と感じ方の違いはこの日常の生活の存在だ。いくら非常時でも三度の食事は欠かせない。非常時だからといって日常生活を放棄するわけには行かぬし、非常時のことばかりかかずらって生きている者しかいなければ 社会生活は維持できぬわけだ。といって日常生活や日常生活の感覚のみが大切だというわけではない。その一方だけを強調するわけにゆかぬということだ。

外から見る人、あるいは この中にいてもいつでも抜け出すことができる者と、そこから逃げ出すことができず耐えねばならぬ者とは立場が違う。責任をとらなくても済むところで様々な批判をしても虚しさを覚えるだけだ。しかもその論理が “赤色は四角ではない” という命題が正しいなどと言われると議論する前に無力感に襲われてしまう。今回の “非典” でもさまざまな情報があり、様々な批判がありうる。しかし私には中国の対応が根本的に日本と違っているというふうにも感じない。私はいつか東京都の保健関係の責任者からパニックの恐れがあったり、ある特定の組織に関係するときには食中毒の情報を発表しないことがあると聞いたことがある。エイズ訴訟だけが特定の事件だとは思えない。

まだ言葉もよく通じないのでテレビを見ていてもほとんど聞き取れない。相変わらず市場に買いだしにいっては三度の自炊することが一日の仕事のかなりの時間を占め、その合間に学習。それ以外にテレビを見たり活字を見ようとしても疲れて寝込んでしまう。毎日の市場通いだが、それでも変化はある。まず、こんどの “非典” 事件に関係なく毎日通えば段々といろいろ判ってくるから見えてくることもある。最初、市場ではすべて秤にかけて値段が自動的に表示されるので安心できると思っていたが、どうもそうではなさそうだ。最初に買った米が切れたので同じ所で同じものを同じ量だけ買ったら、今度はかなり安かった。買う時に中国人と同じように指をまげて示しながら買ったからとも言えないだろうが、どうも相手を見て適当に単価を入力することもあるらしく思われる。安くなったので文句は言えないが、最近は市場中を一所でなくあちこち歩き回って買っている。こちらでは緑色の野菜は色々あってよいが、他のものは思い通りに行かぬことが多い。かぼちゃはかなり不味い。 “日本南瓜” とか言ってるが日本で売ってるのはカンボジアやベトナム産じゃなかったかな。どの品物も売り切るまで置いてあるのでかなり痛んだのもある。それをうまく より分けないと失敗する。ジャガイモなど文句をつけたら、売り手が真っ黒な手の爪でジャガイモをひっかいて中を見せて大丈夫だと言った。こんな風に売り物に傷をつけたものも また元に戻して買い手がつくまで置いておくのだ。昼間の客の少ないときには野菜にホースで水をかけて新鮮に見せるようにしている。極端に品薄なのがニンジンで、ついぞ満足なものに出会ったことがない。触るとべとつくのはザラで、買って帰ってからみると傷んだ所を削り落としてあったりする。

“非典” が社会問題になってからは、どこでも消毒、消毒で取り締まりが厳しくなった。公共の乗り物や店は毎日消毒済みを確認しないと営業できない。それでも市場はかなり危なそうな感じがする。魚や肉類はスーパーの冷凍ものや料理済みのものを買うことにした。おかげで市場ではみかけなかった牛肉や犬の肉がかなり加工品として売られているのを知った。魚類もけっこうある。といっても現在は非常事態で外出もままならぬので行動がかなり制約されていて、このところほとんど外部の世界は見ていない。厳しくなったのは中国政府で責任者の解任された4月の20日以降だが、上海およびその周辺は発病者が少ないことで発病者の外部からの侵入を防ぐためかなり早くから厳しい政策をとった。おかげで市場に買いだしに行った帰り、身分証明書がないというので正門で守衛に阻止されたことが2回も続いた。野菜をぶらさげた風采のあがらぬ老人はどうみてもそこらの得体の知れぬ爺さんとしかみえなかったのかもしれぬ。二度目は、帰宅する事務委員が見て声をかけてくれたので無事入校できた。その後、大学が4月30日から5月9日まで10日間の隔離期間をもうけ、今までの身分証明書も無効になり、新たに作成した写真入の証明書を首からぶら下げていないと戻れなくなった。10日というのはおそらく当時考えられていた潜伏期間を採用したのだろう。一人でも発病者がでると、その施設はもちろん家族や直接、間接に接触した者がすべて隔離されるのでかなり神経を使う。この10日の間は土曜も日曜もすべて取り消され平日業務である。高校以上のほとんどの学校がこの政策をとった。中国では上級の学校は原則として全寮制だからこの期間は学生は学校に監禁されたも同然となる。この大学でも外国人は特例が認められるといわれたが、出席しないとすぐに連絡が行くことになっているし、夜宿舎にいるかどうかの確認もなされていた。面白かったのは、隔離措置の直前の4月29日に中国語を学びに来ている初級の外国人を集めて行われた説明会だ。注意事項とこれからの実施内容について印刷物も資料も一切なくすべて中国語による口頭の伝達だったことだ。あとで上級の黒人が英語で補足していたが要領をえない話し振りだった。とにかく10日間休みなしというのはかなり厳しい。おそらく休日をもうけると監視がゆきとどかぬので心配だからだろうが、非典にたいして健康第一と言いながらかなりのハードなスケジュールを要求されて教師の方も疲れ気味のようであった。私の場合は新たに作成した身分証明証も威力を発揮せず守衛に阻止された。もめごとを起こすのが面倒なのでいつもは正門を出るとき守衛に挨拶をしておき確認をとっていたのだが、このときは別の門から入った。身分証明を見せたら、こっちへ来いと呼び止める。何か言うのを聞くと、どうやら “お前はどうやってこの証明証を手に入れたのか?” と聞いているのだ。なるほど新しい証明証は身分によって色が違う。職員や売店のおばさんは緑色なのにお前のは若い学生と同じ青なのはおかしいぞ、というわけだった。写真を見れば本人のものだと判るはずなのだが。それからは出る時はともかく入るときは顔見知りの守衛のいる正門を使うことにした。上海の発病者が2人から2人増え4人になった直後の5月5日からは、また一層厳しくなって、買い物に出かけるにせよ、散歩にでるにせよ、正門を出るにはあらかじめ届出をして証明書を発行してもらわねばならなくなった。さすがに、もらう側も出す側もかなり面倒だったらしく5月9日には廃止された。6日にはさらに発病者が2人増え6人になったので、上海市はさらに新たな政策を発表し5月から7月までを特別期間としたが、7日には初めての死者まで出たので 当分の間この状態が変わりそうもない。特に新たに発病した患者がすべて外部からやってきた人であることで 上海市は外部との出入りにかなり神経をとがらせている。

中国で “非典” 騒動がちょうど5月1日から始まるはずだった連休の直前だったことで中国人にとっての影響は並大抵ではなかった。なぜなら五月1日のメーデーに始まり4日までの連休は 都会に住む多くの人が故郷に戻る民族大移動の期間だったからである。里帰りの問題はかなり深刻な課題を抱えているが これについてはあとでもう一度触れることにしよう。メーデーなど大衆的な行事はすべて取り消されたどころか、国際会議、見本市、学会、結婚式などとにかく人の集まる行事はすべて取り消し、旅行はもとより調査、出張などの移動がとりやめになった。もちろん連休に遊びで旅行にゆくのが取りやめになったからといってさほど重要なことではないかもしれないが、旅行会社、劇場、食堂など大勢の人の集まる業種の営業は当事者にとっては死活問題。しかし “非典” という病気が病気だけに命の惜しいすべての人々の自衛の行動はたちまち表面化する。衛生の強調は消毒薬、マスクの売れ行きを爆発的にしている。マスクは上海だけでも一日100万個の生産だという。人ごみを恐れる通勤者はバスを避け自転車を利用するようになり、自転車がまた爆発的に売れている。共同の皿を使ってする伝来の料理が嫌われ “分餐” が奨励され マグドナルドなど個人中心の食事に人気があるという。人ごみに出て買い物をするのを嫌う人が増えネット販売が売れ行きを延ばしているという。おそらくこれらの変化は長期化するであろうし、中国人の習慣を変える結果をもたらすであろう。外部の人間から見れば彼らの衛生観念が換わるのは好ましいことだと歓迎するだろう。上海市では痰を吐いた者に最高200元の罰金が科せられることになった。痰を吐く習慣は北へ行くほど盛んなので上海はまだましなほうだとも言う。

ただこのあらたな病気 “非典” の流行は単なる中国の衛生観念がもたらしたものだとか、政治の欠陥がこれほどの悲惨な結果をもたらしたとは言いきれない。 “非典” SARSの病原体は新型の冠状ビールスであるという。しかもこのビールスの本体がDNAタイプでなく不安定なRNAタイプであることは、将来も対応がうまく行かないだろうという不吉な予感を抱かせる。高級な生物では遺伝の主役がDNAでありRNAでないからこそ安定した形態を保つことが可能である。ところがRNAはまさに遺伝に関する進化論の中立論を地で行く典型であり、たちまち形態を変えてしまう。有効な免疫がうまく成立しにくいのだ。このタイプで良く知られているのはエイズのビールスだろう。この “非典” はまさに20世紀末から話題となりだした 新しい型の病気である。かつて多くの犠牲者を出した病気も 経験則をきっかけにして種痘が発明され ワクチンによる防止が可能になった。しかしこの新しい型の病気に対しては まだ経験則による手がかりを掴むほど多くの犠牲者を出しているわけではない。年齢の高いものと低いもので死亡率に差があるとかいう話が出ている程度の段階だ。おそらく最近終了したという人間のゲノムの解読の結果が使われるようになるのかもしれないが、素人が考えても膨大な労力を要するように思われる。この新たな病気は昨年の秋11月から今年の2月に広州とその周辺で発生し その後香港、北京、内蒙古などに広がったという。最近の新聞では さらにさかのぼって昨年の夏にすでにアメリカで死者がでていたともいう。いずれにもせよこの病気が従来の型、少なくとも細菌によるものだったらかなり簡単であった可能性もある。この “非典” は直接には有効な対策の立てようのない新たなタイプのものである。エイズの蔓延は将来のアフリカの人口を抑制するだろうともいわれている。そして今度の中国における “非典”。人類発祥、人間の文明の発祥の地における新たな型の病気が 果たして人類の歴史に根本的な問題をつきつけている可能性がないと言い切れるのだろうか。

この病気がかなり従来の病気と異なるのは、テレビや新聞を一目するだけでも印象的なほどである。まるで宇宙探検をするかのような重装備の医療関係者、そしてその医療関係者の犠牲者の多さ。これが今回の病気に対する困難さを生み出しているようだ。いつどのようにして感染するかわからぬ不気味さをはらんでいる。おおよそ、接触感染だとはいうが、はたしてマスクがどれほど有効なのか。握手は? こちらの人に言わせると日本人の挨拶の仕方が一番安全だということだ。今日のテレビではセックスでは “非典” に感染しないという外信が紹介されていた。そういえばこちらの週刊誌にマスクをしてキスしている写真が載っていた。

この “非典” に対して日本はかなり早くから対策を立てていたのかもしれない。上海の領事館では4月10日に “ 「重症急性呼吸症候群(SARS)」に関して” という印刷物を在留者に配っている。続いて24日にも同じ内容の注意を配布し、5月8日には緊急メールマガジンを送り、上海およびその周辺での患者の発病者のかなり詳しい情報を知らせた。これによると上海での最初の発病者は香港、広東への旅行者とその家族、残りの4人は北京など北方から入ってきた者である。上海市が外部からの流入防止に躍起になっているのもうなずける。上海を囲む江蘇省、浙江省、安徽省の上海経済圏でも比較的発病者が少ない。とはいえ上海よりも多い。その大部分が北京など汚染地区へ行ったか、またはそこから来た人間と接触して発病している。上海とその周辺が比較的少なく、北京とその周辺で多いという現象、すなわち大都会とその周辺での発病の様子が対応しているのは交通往来の関係もあるが、現在の中国における都会と農村の関係を反映している。現在の中国では若い労働のほとんどが大都会に出稼ぎにでており、農村には老人と子供しかいないというのがおおよその傾向の図式である。この出稼ぎに来ている人々が都会においては不安定な健康と生活の問題を抱えながら、一方では都会における治安問題を引き起こしているという。そして彼らが都会と農村を間を行き来する流動人口でもある。連休に移動するのもかれらの里帰りであり、都会において不安定な健康状態におかれ、今回の “非典” 拡散でも話題になっているらしい。

それでは一般の都会の人々は連休期間なにをしていたのか。連休の前の調査ではテレビを見るというのが一番多く、次にインターネット、マージャン、CDを見る、読書、歌を聴くと続いていた。読書ではカミュの 「ペスト」 だとか 「デカメロン」 など疫病で隔離された状況を背景にしたものが推薦されていた。デフォーだったかのロンドンのペストの記録は翻訳がないのか挙がってなかったが、今の中国と比べてもかなり迫力感じることが出来そうながする。連休あとのテレビだったかでは、親が早く帰ってくるので親子のふれあいの機会が多くなったというのがあった。

こうした話題に対してこちらではどのように反応しているのか、まだ言葉の問題が解決していないし、監禁状態にあるのでテレビと新聞とインターネットしか参考にできないが、どれも時間をかけて見る余裕がない。目についたものを拾っていくことにする。新聞は市場への行きかえりに道端の老人や店の人が見ているのがほとんど 『新民晩報』 というタブロイド版で活字の小さな新聞なのでこれをできるだけ毎日買っている。値段は0.7元。かなり活字が小さくて記事は多い。 “非典” の特集記事はかなり細かく日本の新聞でこんなに丁寧に紹介されているのかなと思うほどである。また週刊新聞でアート紙みたいな紙をつかった高級紙 『外灘画報』 というのを買った。2元と高いがかなり色々なことがでている。いずれも上海のものだ。そのほかに朝刊も買って見たがたいしたものではなかった。中国でこの “非典” が話題になりだしたのは4月20日に中国共産党中央が張文康衛生部党組書記と孟学農北京市委副書記を罷免してからである。これについては香港のテレビで楊錦麟が、党があやまりを認めて辞めさせたのは歴史上初めてのことで画期的だと強調していた。『外灘画報』 5月1日の座談会でも復旦大学の公共衛生の教授が 社会的な進歩であると肯定的に評価していた。もし今回の事が20年前に起こっていたら決して辞めなかっただろうと付け加えながら。この座談会では、現代のようなインターネットを使って情報を得ることができる時代に情報操作の不当が語られている。この時点で上海の発病者が2人と報告されていて、隠しているのではないかという疑惑にたいしても、当局が隠して騙そうとしてもわれわれは騙さないとか語っている。そうして こういう問題に対しては政治主導ではなく専門家が主導しなければならない、あたかも気象予報と同じようなやり方で疫病の現状報告がなされねばならぬとも語られていた。すくなくとも知識を担う上級階層は信頼できそうな感じである。この “非典” がアメリカの生物兵器であるという噂についても触れており、すでに昨年の秋から発生していることから見てもこの話はありえないと語っている。韓国でもこの噂がかなり流れていたらしいのでかなり広く広がっていた話題らしい。そのためか4月25日にアメリカの赤十字が否定の声明を発表している。ただしこうした話はたとえ事実であったとしても当事者が認めるはずがないので 最後まで噂のままで残るしかないだろう。日本の戦後でも様々な事件に関係あると言われたキャノン機関の当事者キャノンは一切の発言を拒否していた。

この座談会では今回の事態にたいして発病地区の隔離政策に対しても警告を出している。少数の発病者が出たことでその地区または職場を隔離した結果、その地区に住む人が大量に感染しては逆効果であるので 正確で適切な対応が必要だと語っている。それと 感染地区の人間に対する差別に対しても警告を発している。差別といえば、確かにニュースを見ていると発病状況の統計には香港、アモイ、台湾は入っていない。統計はいつも 「内地」 と但し書きがついている。そういえば、上海空港でこの三地区の人間にたいしては入国審査が別に行われていたのをみて、まだ外国扱いなのだなあと感じた。それだけ香港の人々の孤軍奮闘ぶりが印象的で涙ぐましくもある。やはり体制の違いがあるのだろうか。香港のテレビではしばしば 「香港心」 という “We Shall Overcome” で始まる彼らの団結と奮闘を歌った曲が流れる。この雰囲気は大陸のものにはない。作詞者、作曲者の名が明記されているのを見ると 単なる替え歌ではなさそうだ。それにつけても大陸の人間の香港に対する冷ややかさを感じる。ところが最近の上海では北京からくる人間に対する警戒心があるのも確かだ。上海市では、列車の警備員のように勤務で北京にゆく者の子供は学校に行けず自宅待機を要求されるとか。そのため父親は子供がかわいそうで家に帰れないという。もっと深刻な話題もあった。 “非典” 発病で入院していた労働者が完治して退院したのに職場では当分待機せよということで働かせてもらえない。彼が一家の経済的支柱なのにこのままでは辞職させられる。9歳の自分の子供も学校で友達から排斥され孤立して鬱々としているといった内容だった。そういえばカナダにいる人からの便りという記事では、中国人の食堂に行くのを嫌って客が来ないので損害が大きく営業を停止したところもあるとあった。

新型の疫病の得体の知れなさが恐怖感をもたらしているようにみえる。もちろん一線で働いている医療関係者にとっては得体の知れないどころでなく 刻々生命の危険にさらされているわけであるが、その家族にとっても精神的負担がかなり大きくなっているように思われる。娘が香港の救護作業に派遣されたという母親は ノイローゼで薬を飲んでも眠れぬようになったと訴えていた。心理的不安はパニックを呼ぶ。北京では市を封鎖するという噂が流れ、当局が何度かそれを否定しているが、市民が買いだめに走り、食料品や医薬品が品切れになった。こういう精神的な緊張や圧力の大きな時期においては性生活の比率が大きくなると 性学専門家という人が述べている。性生活は心理的な恐れを排泄させ心理的な圧力を解放させる。アメリカでも 9.11のあとがそうであった。それは人が共にいる時間を大切に感じるからであり、性愛は愛情と生命の重要な一部であるからだと。

こうした “非典” との戦いはこれからどのような方向に進むだろうか。病原体の構造がいくら解明されても それで予防や治療に直結する保障はない。当分この戦いは持続するであろう。上海市が4月23日に発表した8項目の対策は市に入ってくる乗客に対する体温測定、健康状態申告制度、学校や幼稚園などでの予防措置、交通機関や公共施設における消毒、大型行事の制限措置、会合や旅行や調査活動の制限などと、かなり間接的というか原始的な対策である。これにより小学校ではバケツに入れた消毒液に手をつけ水道で手を洗う習慣が定着した。見方によれば健全で清潔な生活が営まれるようになるだろうということである。それに関しては5月8日に興味深いアンケート調査の結果が発表された。北京、上海、広州の314名の18歳から60歳の人を任意抽出して生活秩序や生活習慣そして労働形態の変化を尋ねた結果である。それによれば、現在も従来の仕事を続けている人は6割に満たないという (北京では54%にすぎない)。13%が仕事をやめ家で休んでいる。32%が出張の機会を放棄したり延ばしている。面白いのは北京では離婚率が減少した。従来は週に70件ほどあったのが、4月には毎週40件に満たない。家で夜更かしてインターネットにつなぐ人が多くなり、読書の時間が増えた。70%が友達など人付き合いが減り電話やメールで交流するようになった。握手が減り、昔の中国式の挨拶も復活した。一部の家庭では めいめい皿の “分餐” や別々のベッド “分床” を始めた。早寝早起きになり、手洗いの習慣が生じた。やたら痰を吐かなくなり クシャミも やたらできなくなった。人付き合いがなくなったので他人との摩擦が減り態度がゆったりしてきた。政府の情報公開に満足しているのは2割にも満たないが 7割が比較的満足している。などなどである。そういえばインターネットの笑い話にこの “非典” という言葉をもじって落ちをつけたものが出ていた。度を越すと顰蹙されかねない雰囲気の中で勇気ある行動である。

なにせこの “非典” に関してはまだわからぬことだらけなのである。この特定の病気との闘いは長期の持続戦を覚悟しなければならないと思われる。中国疾病予防制御センターの責任者が、おそらく “非典” は人類と長期間の共存をするであろうと述べている。これはこの病気に直接的な対応が非常に困難であることを語っている。それに付け加えて、楽観はできぬがこの戦いに人類が勝つであろうという希望をのべている。だが困難は意外なところに控えている。たとえば現在発病した患者は異常なほど厳密に隔離された施設で治療を受けている。一体、治療費はどれほどになるのだろうか。日本の領事館からの通知ではまずデポジットとして20000元用意しなければならず、一日当り2000元を覚悟せよとあった。かなりの出費だがこれは単なる入院である。現在の “非典” で公開された入院費用が明らかにされたのは一件だけで、4月21日退院した患者に対するもので請求額は27万元であったという。日本円で400万円ほどだ。この患者の場合は保険と特別困難者への救助基金で払ったが、そうでないと自己負担になるという。他の病院の医者などに問い合わせをして調べると、治療の内容にもよるが10万元、20万元どころか、重症の場合は100万元になる可能性もあるという。さらに重症の場合呼吸器を使うと抗生物質の投与も必要になり 一日1万元になることもありうる。それが二三ヶ月続けばやはり100万元を超える。などなど、この治療費が中国人には信じられないほどの高額なのである。このため患者が恐ろしさのあまり病院を逃げ出し 雲隠れしてしまうということが起こる。先にも触れた出稼ぎの労働者がこういうことになって、田舎に逃げ帰った場合、地方で “非典” が蔓延する可能性がある。大問題である。政府はこれに対して治療費を援助すると言ったというが、私はそのニュースにはまだ接していない。まだまだ問題は山ほどありそうだ。

いろいろまだ紹介したいこともあるが今回はこれで勘弁してもらう。時間的余裕がなく出典もほとんど明記しなかったこともお詫びしなければならない。

(追記)

昨日、原稿を稿を送ったあと5月10日のインターネットの記事に発病者の出身に関する記事がが二件でました。それによると、山西省では疑似も含めて発病者のうち農民と民工の占める割合が多く、66人の発病者のうち25人は都市に働きにでて発病したという。また河北省では同じく発病者265人のうち学生が50人、流行地区に行き感染した農民45人、民工が42人であるという。民工と言うのは都市にでて働く出稼ぎ労働者に該当する。このことから今回の"非典"の流行には単なる衛生問題と言う医学的な問題のほかに、私が予想したような農村の労働人口が都市に流れ込んでいる最近の中国の社会構造の問題がからんでいることがほぼ確実になったと思われる。中国のことについて全く無知な私がなぜこういう都市と農村の問題が絡んでいると直感したのか良くわからないが、原稿を送った直後にこうした記事が現れうらづけられたことに自分でも驚いている。ここにいるだけで何かある雰囲気を感じ取ってこうした直感が生じるのだろうか。

<<香港心>>
4月 17日 星期四 02:05 更新

【明報專訊】曲・ケ建明、舒文
詞:鄭國江

We Shall Overcome
We Shall Overcome
We Shall Overcome Someday

這一刻 需要愛心
堅忍加決心
要勇氣鬥志人同心
似應戰要應變合作還合群
這一刻 需要鬥心
果敢加勇敢
縱看見這裏滿途艱辛
這裏正要我共獻盡熱能
香港心 顆顆都振奮
那怕劫運厄困 曾努力便無憾
危難互勉 願竭力為人人 用愛心

We Shall Overcome
We Shall Overcome

凝聚毎愛 去熱暖萬心
肩並肩 心照心 照應更親近
為前途 為人人關心

We Shall Overcome
We Shall Overcome

凝聚毎愛 去熱暖萬心
肩並肩 心照心 盡發潛能
多關心 發揮超級愛心 是香港心

We Shall Overcome
We Shall Overcome
We Shall Overcome Someday
We Shall Overcome