三枝壽勝の北京通信


三枝壽勝の北京通信 2005. 2月 (2005/02/11)

 冬至を過ぎて日が段々長くなり、夕方食事の仕度をするときも 手元がそれほど暗くなくなった。しかし 寒さのほうは相変わらず。といっても最高温度が零度を上下する程度で 極端に寒いわけではない。自転車で 15 分ほど走れば体がほんのりとほてってくる。といっても ときおり猛烈な風が吹きあれるときには様子が違う。風に逆らって進もうとすると自転車ごと吹き飛ばされそうになり 前に進むどころではない。こんな日に3時間ほど外をさまようことがあったが 足の先がすっかり凍りついてしまいそうになった。

 自転車の前にレンガを満載した馬車がゆく。追い越すと 先にも同じような馬車が三台も続いていた。広い車道を自動車が猛烈な速さで行き来しているのに、そのかたわらを馬車が往来するなどという風景がなんともいえない。市場に行く線路わきの道は あいかわらずゴミが散乱している。人が踏み固めて出来た通り道の真ん中に ネズミの死体がころがっている。かなり大きく 毛が白っぽい。日本では見たことのない色だ。まさかモルモットではあるまい、もしかするとかなり年配のネズミ? その死骸が 一日ごとに平べったくなってゆく。車道なら あっというまにエビセンのように薄くなって 空に舞い上がってゆくだろうが、ここは人しか通らないし、たいていはよけて通るから変化が緩やかだ。

 二月の九日は旧暦の一月一日、春節である。公式には初一から初七まで仕事が休みということになっているらしいが、店によってすこしずつ違う。日本での年末年始の休みに近い。アパート内の郵便局では 休みは五日間だという。公式の休みが一週間ということは この期間すくなくとも官庁とか会社は仕事をしないので さまざまなところで動きが停止してしまう。しかも 大都会は春節で帰省する人の数が膨大だ。都会の生活を支えている彼等がいなくなれば 都会の生活が維持できない。いやおうなしに動きが止まらざるをえないということになる。しかしスーパーは営業時間を短縮はするが 休みではないらしい。また銀行は 三日連続して休むところ、二日のところ、二日目だけ休み それ以外は営業とか かなりまちまちだ。そして帰省は 春節の一週間ほどまえから始まる。今年は二月の三日、四日が帰省ラッシュだった。といっても 列車の切符が早々と売り切れて帰れないということが話題にはなるが 駅の混雑はさほどでもない。全ての列車が指定席なので 切符さえあればあわてる必要はないということなのだろう。たまには切符に指定席の番号が印刷されてなく 混乱することはあるらしい。おそらく長距離は昔から指定席だったとは思うが、それでも昔は列車に乗るのが大変だったのだろうか。そういえば、かつて韓国で特急列車に乗るときは大変だった。たとえ指定席を買っても その席を先客が占領していると決して席を譲らない。おなじ番号の切符が二枚もあったりした。そんな記憶があったせいか 80年代に韓国の特急に乗ったとき 自分の席に男性が先にきて座っていたのを発見したとき、かなり強硬に席の間違いを主張をした。意外にもその男性はすんなりと立って席を譲ってくれた。見ると腕に刺青をしていたので 一瞬ヒヤッとした。あとで他の乗客から、話しをするときそんなに大声をださないようにと注意された。どうやら私は 60年代から 70年代の韓国式の喋り方をしていたらしい。あのころなら 明洞で道路を挟んで互いに話しが出来るぐらいの大声はあたりまえだった。そのころ日本人は 韓国人同士が喋るのをみて 韓国人はいつも喧嘩していると誤解していた。ところが今ではその韓国人が 中国人に対して同じ印象を抱いているらしい。

 さて、かなり早めに帰省ラッシュがはじまるので 春節の休みは実質で二週間ほどになることになる。市場でも さすが野菜など食料品売り場は仕事をしているが、二階の衣類や古本売り場は 早々と店じまいをしたところが多い。市場の周辺で臭豆腐を売っていた屋台も 焼きいも屋も オデン屋も すっかり姿を消した。四十メートルも先から臭ってきた臭豆腐の匂いがしなくなって 空気まで澄んできた感じがする。休みにゲームでもしようかと盗版のソフトを買いに来た客が カーテンの下りているコーナーの所でうろうろしている。近くの店の人が 「回家だよ」 と教えている。客より先に 店の人のほうが休んでしまったのだ。街路でも 春節の二三日まえから極端に人通りが減った。いつもは人でごったがえしている中関村の電子機器街も 人かげがまばらで閑散としている。車道の上面にある道路情報の電光掲示板では どの通りも 「行駛暢通」 と表示される。 「暢」 の字が 「腸」 に見えてしまう。もちろん通じがよいのだから問題はないが。

 除夜は中央テレビの恒例の新春晩会を見た。もう二十年以上も続いている番組で たいていの中国人はこの番組を見て正月を迎えると聞いたので どんな感じになるか付き合ってみたわけだ。私のように夜が苦手の者には、単に番組だけ見るなら 翌日の再放送のほうが字幕もついていてわかりやすいし気楽だ。眠い目をこすりながら ほとんど最後まで見た。日本でこれに相当するのは 今では落ち目になった紅白歌合戦だろう。この新春晩会も 基本的には現在の中国の体制理念を反映する官製の色彩の濃い健全番組みだが はるかに多彩で楽しめる。歌だけ出なく声相あり、寸劇あり、伝統劇ありと多様なうえ テンポが早くぎっしり詰まっている。民謡だけでも五六の民族が共存するとあっては 同時にいくつかの民族音楽をメドレーで流すし、伝統劇も 京劇以外も含めて同時に演じる。たしかに歌の歌詞だけみていると体制護持の理念で一貫しているが、それにもかかわらず演出はそれなりに技巧をこらしていた。相変わらず雑技の演技も見事だった。舞踊ではたとえば 「千手観音」 と題する一列縦隊のダンサーによるものは、正面からの画像が仏像の不気味さも含めて見事な美しさだった。さらに上から写した映像はまた別様、いわばムカデかゲジゲジ同様、これもグロテスで格別の美しさだった。これらの演技を見ながら感じたのは、こうした芸能の水準は 必ずしも それを支える国家やその他のパトロンの思想とぴったり重なるものとは限らないということだった。どんな思想に支えられた社会であっても その時点ごとに与えられた条件を最大限に生かすことにより 水準を最大限高めることが可能なのだろうという思いだ。というより さまざまな分野でその可能生を最大に生かすということは、必ずしもある理想的な条件を獲得することによって実現されるのではなく、その時点での条件を最大限に利用し生かそうとする努力によって実現されるのではないかということだ。たとえば日本のように宣伝用のコマーシャル番組が優先され報酬のよいところでは 映像、音楽などの分野で優秀な人材が才能を発揮する可能性がある。政府が文学者に対してさらに優遇策をとれば優秀な作品が生まれるだろうと言う話を 韓国でよく耳にしたが、こういう発想はおそらく見当違いで、文学者を怠慢にするだけだろう。

 除夜の夕方は あちこちで花火を打ち上げる音が響いてくる。窓から見ると すぐ前の路上のあちこちで 夜遅くまで花火を打ち上げていた。アパートでは一切禁止の張り紙が貼られ 違反者は法により処分されるとあった。あの連発の爆竹ではないので 花火なのでけたたましい音がするわけではない。それでも 打ち上げ花火は高架鉄道よりもはるかに高く上がる本格的なものだ。花火の中には かなり怪しげな出来のものもあるらしく 新聞には何十万発もの花火が押収されたとか、子供が大怪我をしたとか出ていた。北京の8区内では一切禁止されているらしい。新聞によれば この日の違反行為は 504件、処罰者 523人、怪我人 290人、火災 126件となっていた。それでも死亡者はゼロで 昨年の5人に比べ 状態はよいのだそうだ。違反が環状線の四環道路の外側に集中しているというのも 興味深い。禁止されているせいか 花火を打ち上げると即座に姿を消す人もいる。また子供達が爆竹を鳴らしているのをみたが、火付きは悪いし、かなり激しく跳ね回り 危険だという感じはする。

 翌日の初一日は快晴。朝の路上には ほとんど人がみえない。静かな朝だ。地下鉄もかなり空いている。地下鉄であまり遠くない 地壇の廟会に行くことにした。駅を下りると ほとんどの人は雍和宮の方に向かっている。ついでにそちらも見物しようかと思ってついていったが 結局断念した。まだ開門までかなり時間があるのに 線香をもった人が長蛇の列をつくっているのだ。入場券を売っているところも見つからない。彼等ほど信仰心のない私には さほどの忍耐力もない。また別の機会ということにした。地壇に向かう人はあまりいない。朝が早いせいかもしれない。廟会というのは 要するに日本でいえば祭りの縁日だ。しかし中に入って驚いたのは 例によってその規模の大きさだ。地壇は天壇と違って さほど広くはない。それでも その敷地一面に屋台や出し物がぎっしり詰まっているのだ。最初見たのは射的など 景品目当てのゲームの所だった。一面に様々なぬいぐるみが陳列されている屋台のある一帯を一巡りしたとき、廟会というのはこんな賭博の屋台の集まっただけの所かと誤解した。そこを通り抜けたあと、ついでに地壇を一通り見物して行こうと歩きだしてから やっと気づいた。それぞれの通りにまた各種の屋台がぎっしり並んでおり その周辺にはさまざまな出し物があったのだ。サーカスあり、スケーティングボードの演技あり、歌の舞台あり、世界の蝶や蘭の展示場、雪の彫刻の展示場などと 種類が多い。私にとって幸いだったのは 北門のわきにひっそりと置かれていた 「中国拉洋片絶話」 と書かれた大きな箱を見つけたことだった。小さな字で 「老北京老天橋」 とも書かれている。つまり かつて賑やかだった天橋での見世物の名残だと言っているのだ。これは一種の覗き絵で 箱の表面にあるいくつかの覗き窓から中を覗くと かなり古めかしい絵があって 語り手が節回し良く語りながら、箱の上面の紐を引っ張ると絵が次々に変わって行くものだ。上海の豫園でも 覗き窓が三つしかない小型のものを見たが、そのときは気後れしてついに見ずに終わったのが心残りになっていたものだ。ここにあるものはそれより大型で 覗き窓が八つ ついていた。最初見た時は早朝だったせいか、まだ準備もしていなそうな様子だったので 一回りしたあと、一時間ほど経ってからまた戻ってきた。あいかわらずその近くには人はおらず 語り手が手持ちぶさたそうにぼんやりしていた。五元を払うとさっそく覗き窓が開いて レンズの向こう側に絵が見えた。安物の錦絵のようなもので 上の片隅に題名がある。隋のなんとかとか唐のなんだかとかあり、飛行機の飛んでいる絵もあった。絵の内容も語りの内容もさっぱり分からなかったが、その語りの見事さには圧倒された。張りのある節回しよい声が 朗々とあたりに響く。数枚の絵の解説が終わって 引き揚げられた絵がドスンドスンと落ちてきて もう終わったと言ってるのに さらに見つづけていた。気がつくと私の後ろにはかなりの人が集まっていた。語りの声にひかれて 人が大勢よってきていたのだ。思いもよらず客寄せの役を果たしたことに満足して 私はその場を去った。あとで新聞を見ると この廟会はすでに除夜から始まっていて 私は二日目に見物したことになる。

 除夜から初一の二日にわたって こうやってぼんやりと過すと 多少ここの正月の雰囲気が感じ取れたように感じる。日本での暮から正月にかけてと似た感じだ。日本で旧正月というと暦の上でだけでしか意味がないが ここは全く様子が違う。この日を境に やっと 申年から 酉年に変わるのだ。戻ってからはテレビの正月番組をみながら、映画 16本で 24元の4枚組み DVD で昔の映画 「ジュラシックパーク」 を見た。なぜこうした一種の SF 映画に登場する人物は 背景となっている設定とは ちぐはぐな言動しかできないのだろうか。製作者たちは 設定された未来社会という設定に対応できていないしついてゆけないので あいかわらず陳腐な行動しか提示できないのだろうか。もちろん 琥珀のなかに閉じ込められた蚊の血液から恐竜の DNA を採取して解読し 恐竜を再現させるという設定は まだ現実的ではない。しかし それが実現されるという設定をとれば 登場人物たちはそれに対応しただけの知的な水準と それに対応した行動をとってもよさそうなものなのに それがない。などという不満は見当違いかもしれない。そんなことにすれば事件が起こらず 映画にならぬじゃないかと言われればそれまでだ。事件が発生し物語りも進行するためには 軽薄な思想と行動をとる人物たちが必要なのだろうか。こうした軽薄さは 往々安っぽく低俗な人道主義や道徳、信仰心などの形をとることがある。昔みたアメリカ映画 「月世界探検」 だったかでは 月に向かうロケットの中で隊長だったかが 神の意思に反するとかなんとか悩んでいた。ウェルズだかの原作による映画 「月世界探検」 だったかでは 月征服がまだ実現性ないということでか、まだ幻想的に月の地下に住む人類が登場した。それから何十年もたたずに人類は月に到達している。現実における科学技術の発達のほうが 人間の思想の進歩よりかなり先を進んでいる。この世界では道徳や信仰などが足を引っ張ることはない。思想はかなり冷ややかであり醒めきっている。現在では生物、医学の分野におけるクローン技術による再生人間の問題があるが、こと人間の生命に関するかぎり 常識は技術に追いつけずにいる面が多い。生体移植にともなう臓器提供でもそうだ。まだ死の定義がどうであるか懸命に論じている人々がいる。生体移植に必要なのは生きた臓器が必要なことぐらい 明らかなことではないか。食肉店に陳列されている牛肉のような 死んだ臓器では使い物にならないのだ。だからといって 生きている人間の臓器を摘出するのは犯罪だというのだろうか。人間として通常の活動の持続が不可能と判断された人間にも生命の尊厳を云々するのは おそらく一種の信仰なのだろう。医学上の技術的な面からいえば 人間の生と死の区別はおそらくさほどないのではないかという感じがする。人間に臓器を移植できるということは 生きた人間も一種の物としての扱われることを示している。生きた人間が一種の物として切り貼り加工ができるということは、生命の有無に関わらず共通した技術の適用をうけるということだ。ある人間の臓器を摘出して他の人間に移植するのは 単に技術上の問題にすぎない。人類全体から見れば どの人間が死に どの人間が生き延びるかの個別の問題は さほど問題にならぬかもしれないのだ。もちろん感情的に 自分あるいは自分の身内のものの臓器を提供するのを拒否することはありうる。それも一種の信仰の問題だ。逆にいえば臓器提供に応じること自体だって そこにさほど道徳的に価値ある行動、高貴だとか優れた行為だという必要もないわけだ。臓器提供者を社会的に賞賛しようとする傾向は 現在臓器提供を強制的に義務付けることが出来ない段階での便宜的宣伝にすぎない。人類全体の存続の見地からいえば 臓器提供は強制的に行うことが望ましいのだ。おそらく将来はその可能性が大きい。中国では 血液についてはすでに提供が義務付けられている。献血を行わない学生は卒業ができないし 職場でも待遇されない。おそらく 臓器提供も将来はそうなるのではないだろうか。死の定義とか道徳論議は 現実についてゆけない者の抗弁にしかすぎない。もちろん義務付けられていない状況のもとでは、その現実を認めながら個々の人間が提供を拒否する可能性も認められることになる。おそらく個々の人間の生命など ある人たちが思っているほど神聖不可侵のものなどとは言えないのではないだろうか。

 前回 中国のパソコンやらネットでの買い物について触れたので すこし補足をしておく。こちらのソフトが安いのは確かだが、安いものに正常の値段の品質を要求はできないということだ。こちらの人の話では こういうソフトが完全に作動しなくても まあそんなものだと思って使っているのだそうだ。妙なのは パソコンでは作動しなくても DVD 再生機では作動したり、逆だったり とにかく色々ためしてみる必要があるらしい。例の 「四庫全書」 でも完全な検索のできるものは やはり日本で発売している 100万円以上もするソフトでないとだめらしい。ただネット販売はかなり便利だ。古本のサイトを二週間ほどためしてみた。もし勉強する気があって 長期滞在の可能性があるなら かなり有望である。新刊書店にはありふれたものしかないし 品切れのものは手に入らないが、こうした手に入りにくいものが 古書では簡単に入手できる可能性が大きい。驚くのは毎日サイトに上がる古書の多さと 本の出入りの頻繁さである。これはと思う本は サイトに上がったその日に売れて行く。しかし品切れの本でも 気長に待てば たいてい いつかはどこかの店が出品してくる可能性が大きい。ここは全て規模が大きい。そして本の値段がかなり安い。魯迅の原本でもせいぜい 200元ぐらいだ。1000元を越す本は多くない、ほとんど 20世紀初期のものだ。最近のものはたいてい数十元どまりで、10元以下の本もかなり多い。安いといっても日本に比べてだ。日本は古書が世界一高い国だと聞いた覚えがある。その次がアメリカだというが、アメリカの古書は日本よりかなり安い。古書の値段は土地の値段と連動しているという話がある。日本で古本を数冊買う金でヨーロッパの古本を買えば書斎が埋ってしまうとか どこかに書いてあった。それはともかく 買わないにしても、どんな本が良く売れて行くのか見ているだけでも面白い。何かの間違いなのか、 『王氏宗譜』 (1920年) というのに 8000000 という信じられない値がついていて、しかも売れている。これはどういうことなのだろうか。また本に値段の表示のないのがある。当分は売らないとか 値段は相談のうえ決めるという意味の 「暫不出售」 とか 「面議」 と表示されているのは たいてい 20世紀初期の本である。古書は必要に応じて求める人がいる反面、一種の骨董品扱いだからか。そういうマニアがどこにでもいるのだ。新聞に 日本の古本のネット販売で魯迅の 1930年代の翻訳を見つけて興奮したという記事があった。べつに作者の署名がある本というわけでもないが プロレタリア文学運動盛んなころの日本で翻訳されたもので意味があるということらしい。

 ちょっとの間、古本サイトを覗いたおかげで ここでの銀行の送金や郵便事情をほんの少し垣間見た。郵便による送金はかなり時間がかかる。銀行なら即日入金が確認できる。ところで その銀行での送金は各銀行によって手続きが違うのだ。あるところでは相手の名前と口座番号だけで送金できる。口座番号はハイフンなしの 19桁だ。振込人を書かないということは 誰が送金したか相手にはわからないということだ。必ず別個に通知する必要がある。別の銀行では 振り込み人の身分証明証を要求される。さらに受取人や振込み人双方の住所まで要求するところもある。これだけ銀行によって違っているので 異なる銀行への送金ができないわけも納得される。面白いのは 中国での銀行では一般に申し込み用紙は窓口の中にあるので たいていその場で記入することになる。あらかじめ記入した用紙を差し出せば時間もかからず簡単だと思うが 一般的でない。銀行の窓口での対応はかなり時間がかかる。そのためか窓口のところには椅子が置いてある。私はあらかじめ用紙を貰って書き込んで行ったが どうも歓迎されない。不信感をいだくのだろうか。なんだこれは、あらかじめ準備などして、というふうに仔細に用紙の記入事項を眺めて、これはボールペンで記入してあるから無効である。水性ペンで書きなおせと言ってくることがあった。理由を聞いても答えてくれない。ある銀行では いくら言っても分からないのなら、と言うふうに 係員が替りに用紙に記入してくれた。ある銀行では 送金に際しての伝票の打ち込みに 窓口の係員とは別の確認のための係員がきて カードを差し込みチェックするところがある。その二人が 申し込み用紙やパソコンのディスプレイにでている 19桁の口座番号やパスポートの番号、そして氏名のローマ字を 一字一字ていねいに確認して行く。とにかく忍耐力のある人達だ。そういえば郵便局から荷物を送る時、用紙の送り人と受取人の欄を間違えて反対に記入したことがあった。その場ではその間違いが発見されずそのまま送ったところ 荷物が郵便局に差し戻されてきた。ところがその郵便局では親切にも再度書きなおしの伝票を彼等の方で記入して 私のサインまで代筆して再発送してくれた。あとで連絡が来たので 元の伝票と書きなおした伝票を交換しに行った。これは善意の偽造ということになるが、もし悪意で作為が行われたらどうなるのだろうか。

 郵便物が届くまでの日数は 国土が広いせいで 遠方はかなり時間がかかる。北京市内は発送して二日目、天津は四日目で到着するが、昆明からは七日、成都は十日もかかっている。もし通常の郵便送金にすれば 往復同じぐらいの時間がかかるので かなりの日数が必要だということになる。ただし中国国内は それでも発送すればあとは自動的に送られてくる。同じ中国だとはいっても 香港はかなり事情が違うことを知った。もし香港から物を送ってもらおうとすれが、まず税関の輸入審査があり、これに五日から三十日かかるという。さらに速達で送っても 遅いときは一月以上も時間がかかるのだ。最大二ヶ月だ。これでは 普通の外国便よりはるかに時間がかかることになってしまう。どうやら香港は外国以上に制限の厳しい地域、敵国並みの扱いを受けているのではないだろうか。さらに一般の人がネットで 香港とネットで交流するのが容易でない事情がもう一つある。それは 香港では台湾と同様に漢字が繁体字である。ウィンドウズなどの入力装置ではピンイン入力ができない。すると注音符号による入力ということになるが、この方式はキーボードの左に声母、右に韻母が並んでいるという 原理は簡単だが慣れないとかなり厄介で時間がかかる。普通のキーボードだと上面の数字のキーや付属記号の分まで使ってしまうので 通常の文章を打つときも句読点がすぐ打てず不便だ。日本でのソフトは全てピンインで打てるようになっているのだろうか。とにかく特別地区という香港の特別さをあらためて確認できたような気がした。

 本のほうは いつも同時に何冊か読み始めるが 読み終わったものはそれほど多くない。相変わらず翻訳物が多い。まず J.布洛克曼編 (John Brockman ed.) / 李泳訳 『未来50年 (The Next Fifty Years,) 』 (湖南科学技術出版社) だが、これは各分野の専門家が 50年後にはどこまで進んでいるかを予測したもので、自然科学や数学、医学が中心だが、中には教育や道徳に関するものも含まれている。数が多いだけに一々紹介は出来ないが 分野によっては現在の課題が 50年後にも解決が困難だろうというものから、現在とは様相を異にしているだろうという楽観的なものまで広がりがある。この五十年という時間の幅の持つ意味について Lee Smolin は 「宇宙的未来」 のなかで面白い言い方をしている。「五十年はだいたい一人の科学者が研究を開始してから退職するまでの時間だ。従ってまた彼らが科学の生涯で保守的傾向を産出する時期で、この種の傾向は言い変えれば科学の進歩を引き戻し後退させかねない」 というのだ。おそらく若く固定観念に囚われず 新鮮な発想で出発した研究者も五十年もたつと過去の成果にとらわれ 新しい発想に着いて行けなくなる傾向があるというのだろう。自然科学ではそうかもしれない。しかし私には 文学や人文科学の周辺で若い研究者が新鮮な発想で出発したという例が思い出せない。私の周辺にみられるのは 大家や流行の権威を恭しくおしいただくか、理論など一切なしに世俗的活動に熱を上げる傾向ばかり見てきた気がするのだが どうだろうか。いつだったか、ある日本の大学院で文化人類学を専攻しているという大学院生が 「文化人類学においては」 云々を盛んに繰り返すのをみて、日本ではすでにこの分野が保守的で老人のような若者によって担われているという印象を持ったことがあった。そして一方では 文化人類学に対し 一言で歴史がないと断定してはばからない研究者もいる。学問とは信仰と党派性の問題なのだろうかと 考えさせられたこともある。Rodney Brooks の 「肉体と機器の結合」 という章の 「ダーウィンは彼の年代は将に人類の一般化は直接血統とその発生の関連により動物王国の一部分と見なした − この一点では甚だしくは今日アメリカの理性沙漠または政治迫害の原因である」 と言う件は文意があまりはっきりしないが、それでもどこやら 現在の文明にたいする批判的含みが察せられる。この章で扱われているのは人間と機器の移植問題だが それは現在すでに進行中の分野なので かなり具体的に記述できるのかもしれない。たとえば 「我々は将にプログラムを組み込み結合したゲノムの DNA 序列の目的は細菌ロボット人の培養生産である。我々の三十年での目標は精密に生命系統の遺伝をコントロールし、そうして我々は樹を植え、伐る必要なしにテーブルを製造する、そして最終的には机を自分で成長して出来るようにすること」 だとある。もちろん物に対してこの程度の研究が進んでいるということは 人間自体にたいする研究もかなり進んでいるということだ。Roger C.Schnk の 「我々は更に聡明に成りうるか」 という章だったか、将来知識を伝達する学校はなくなるだろうとあった。良い成績をとって表彰されたり、与えられた問題に対する模範的な回答を提出することを訓練する機関は不要になるという趣旨だ。もちろん 国家がその構成員にそれを要求している限りは消滅しないと思われるのだが。知恵ということでいえば 必要なのは問題を提出する能力であるという主張も印象的だった。人間に対する医学や生物学での研究と関連してだが、曹栄湘選編 『後人類文化』 (三聯書店) というやはり西欧の論文を集めて翻訳した本を見て、posthuman とか transhuman に関する研究があることを知った。どうやら cyborg や robot、そして android などはすでに SF やマンガの世界を抜け出して現実世界で扱われているらしい。この本はまだ読んでないのでこの分野がどんなものか分からないが、はたして現在の人類の単位である個人の能力を発展させる方に力点があるのか、それとも個人がある意味では全体の部分として位置づけられる人類全体としての発展形態のほうに力点があるのか不明だ。私の感じでは 生物進化の方向は現在の人類で最高段階に達したのではなく さらに発展する可能性があるとすると、進化は必ずしも個体の能力を高める方向ではなく、現在ではまだ予測できない形態をとるのではないかと思われる。もし進化が現在の個体の能力を高める方向でしか考えられなければ 最高段階に進化したミミズだとか、チンパンジーといった類の発想になるがこんな進化は考えられない。

 今回読んだ翻訳で刺激的だったのは 斯賓塞・韋爾斯 (Spencer Wells) / 杜紅訳 『出非洲記・人類祖先的遷徙史詩 (The Journey of Man: A Genetic Odyssey) 』 (東方出版社) だ。最新の話題が扱われているわけではなく 遺伝子考古学の分野に関するもので、DNA 解析によって現代人の発生からその全世界への移動を解明したものだ。おそらく すでに類書もかなり多く出版されているのかもしれない。遺伝子の総体ゲノムの解読がすでに一段落したというニュースがかなり前に報道されている。人間の遺伝子の中の DNA に含まれる情報は A、G、C、T 四文字を使った全長三十億 (三億?) 字の暗号であり、それが解読されたということだ。遺伝子により人類の歴史を解明するというのは 世界に分布している人類の遺伝子の情報を解析し互いに比較することによりその系統を解明する作業が基本になっているが、単に互いの系統関係がわかるどころではなく 実に様々な結果を導き出すことができることが述べられている。ワトソンおよびクリックによる DNA のらせん構造が発表されてからわずか五十年足らずで この分野における技術の進歩の目覚しさが伺える。この技術を前提にすると あとは単純な仮定で現代人類の移動の解明が可能になる。仮定の第一は 突然変異の中立理論、これは木村資生の理論だという。遺伝子に書かれた文字は一代ごとに平均して三十個ほどの変異が生じるが、その変異の位置や方向は偶然きまるということだ。この変異のありさまを調べることにより 時間的な流れが決定される。第二の仮定は 変異の解釈は単純なものを採用するということ。たとえば同じ変異を持った遺伝子は同じ起源をもつとみなし、決して多様な道筋をたどって同じ結果に到達するという複雑な仕組みを考えない。この二つの原則を採用すれば、変異の異同をたどっていくことにより全人類の系統が解明され、さらに異なる系統に別れた時期も推定できるということになる。こうした操作は 高校の単純な統計理論程度のものだ。このためには遺伝子の総体をあつかう必要はなく できるだけ人間の形質にかかわりの少なく、系統関係と時間が単純に決定できる部分を選んで調べればよい。女性の場合は mtDNA、男性の場合は Y 遺伝子が使われるという。この研究の結果によれば 女性の系列では8万年ほど前にアフリカで発生した、いわばイヴに到達し、男性の系列では5万9千年前 同様にアフリカ発生のアダムに到達するが、両者の発生時期は一致しない。この違いはさておいて、見事なのはそのあと男性の系列の分析から 現在世界中の人類が共通の祖先をもつということ、それぞれの人種または民族が いつごろどの経路をたどってそこに到達したかが 目に見えるように展開されることだ。まず最初にアフリカを出発したのは 東海岸から 恐らく船を使って海岸沿いに東に向かった人々、これらはインド、東南アジア、そしてオーストラリアの原住民の祖先だ。それより後、アフリカから北上した人類は東西に別れて ヨーロッパと東アジアに向かう。この東アジアに向かった人類の一部は ベーリング海峡から氷河期の氷の上を渡って 北アメリカ、そして南アメリカまで移動する。この移動はかなり新しく 二万年にはならない。さらに新石器時代 農業の発生時期による移動があるが、この時期にはヨーロッパでの人間の移動は顕著でなく 農業の伝播はもっぱら文化の移動によるものらしい。などなど さらに細かいことが様々導きだされる。最初ヨーロッパに移住した現代人は もしかするとネアンデルタール人に出会ったかもしれない。彼等は現代人とは系統を異にした人類であるという結論が 残存 DNA の分析により導かれている。おそらく北京原人やジャワの直立猿人も 現代の人類とは系統を異にするのだろう。先に紹介した 『未来五十年』 のどこかに 現代人の祖先はネアンデルタール人の毛皮を剥いで防寒用に覆ったのではないかと書いてあった。統計処理によるこの遺伝子の分析によれば ある地域ではその統計分布が一様でなく一部の遺伝子が消滅したという結果などもでてくる。この結果の解釈は当然、本来なら子孫を残すべき男性の子孫が存在しないということである。それは 人間の移動に伴って 後から来た人間が 先住民の男性を皆殺しにしたか、階級社会で多くの男性が配偶者を得られなかったことを意味している。この結果、男性の遺伝子においては 本来なら存在してもよい遺伝子の変異の多様な変異が かなり消滅して少なくなっている。男性祖先のアダムがイヴより新しい時期になったのは このことを意味していたのだ。人類の歴史というのは それほど同類愛に満ちたものではなかったということがわかる。あの氷河期に 人類が過酷な環境にもかかわらず北へ北へと進んで行った理由も 狩猟生活における獲物の絶滅と人口の増加が移動を促したとして解釈できる。生態破壊と人類の歴史は一体だったのだ。現代人は その発生から大型の動物を絶滅させながら世界中にはびこってきたのだ。そして農業生産でようやく定住生活が始まり 本格的な集落が生じる。こうした定住による文化遺跡は 古い物でもたった七千年前にしかすぎない。人類の文化の歴史はほとんど初歩の段階にしかすぎないのだ。この本を読み終わって私の頭には、真っ暗な海上を小船にのって東に向かう勇気ある人々の姿と 薄明の極寒地帯をひたすら北上して行く人々の姿が浮んできた。もしこの結果が定説になれば、あと歴史上の空白は 宇宙の発生から生命の誕生までと、類人猿が人間になる過程ということになる。

 さて 遺伝子分析の結果は考古学の結果とかなり整合性があるらしいが、さらに言語の分野でも新しい可能性を提起しているらしい。系統が同じだが現在分散孤立している民族の言葉は 共通の起源をもつのではないかということだ。たとえばアメリカインデァンの言語と漢語、チベット語、コーカサス語、バスク語などなどとの関連性も 議論にのぼりうるという。この分野については分からないし 漢字で書かれた民族名を正確に読む自信もない。ところで私が遺伝子による現代人の移動の歴史について紹介したのは、この結果もさることながら、これにまつわるさまざまなことが頭に浮んできたからだ。この本の著者はこの方面ですでに業績のある学者らしいが まだ三十台半ばだ。かれの文章中 度々出てき 印象的だったのは 「仮定によれば」 という言葉だった。彼は これらの結果があくまで仮定により導きだされた結論ということを強調している。ほとんど確実だと思われるにも関わらず 仮設の上に成り立っていることを強調しているのは、常に仮定が成り立たなくなる可能性を意識しているということだ。これが研究者の態度ではないかと思った。むかし邪馬壱国説で本を書いた古田武彦が インカの土器と日本の縄文式土器の類似しているのを見て、インカ人が東洋から渡って行ったのではないかと書いていたように覚えている。このとき研究者がどう反応したのかは知らない。しかし、いかに学問上の定説に反するからといって その主張を無視するのは公平でないと感じた。たとえ自分の支持する学説から見れば相容れないことであっても、自分にとって未知の ある根拠から別の結論が導き出される可能性は常に存在する。同様に日本で 昔 提起され専門家から無視された例では、安田徳太郎による日本語とレプチャ語の同源説、そして主張者の名は忘れたが癌のウィルス説があった。どちらも うさんくさい学説だと見なされたように記憶している。おそらく公式には、当時の学界で主流となっている学問的手続きを踏んだ論証ではないと判断されたのだろう。いまになって思えば 学問の主流に位置し指導的な役割をはたしている人たちは 宗教的な団体の信者とあまり変わらなかったように感じる。とくに学問的な議論でそう簡単に使えない正しいとか間違っているという言葉を良く使うのは 信仰に関する議論だったからではなかろうか。

 実はこの本を読む直前に 蘇三 『向東向東再向東』 (青海人民文化社) という分厚い本を読みかけていたのだが 『出非洲記・人類祖先的遷徙史詩』 の結果があまりにも見事だったので、あらためてこちらを読む必要がないと思い 読むのをやめてしまった。つまり 『向東向東再向東』 も同じように人類の移動を扱った本であるが、とくに中国人の起源をユダヤ人と結びつけているのである。著者はそのまえに 『三星堆文化大猜想』 を書いて、現在正体のまだはっきりせぬ三星堆の遺跡を残した種族を 中東からやってきた人間という推測しているので、この本はその続編でさらにそれを具体的に書いている。実際に行っている事は 旧約聖書の内容を中国の歴史と対照させているのであるが、それにしても著者の発想と想像力が並々ならぬものと感じる。たとえば古代の文明の発祥地は現在では砂漠になっている所が多い。人間が定着して生活したところは 環境破壊で沙漠化するからである。それでは 現在の地球で沙漠のあるところをみると、赤道の付近よりも回帰線の外側、温帯地方である。このことは 現在の砂漠地帯にかつては人類が生活をしていた可能性が高いのではないか。といったような推測が頻繁に登場する。学問的にはどう評価されるのかはわからないが、彼女の洞察力はかなりなもので かなり読み物としては面白い。しかし中国人がアフリカから北上して東に進んだ人類の子孫であることがほぼ確かなら、あらためて細かい穿鑿をしなくてもよいではないかという思いと、中国語による聖書の翻訳と解釈はかなり読みにくいので読むのを中断してしまった。

 自然科学では 一般に学説の正しさは比較的公平に判断されると見られているかもしれないが、それほど簡単でもない。アインシュタインが三篇も画期的な論文を同時に発表した一九〇五年、このとき彼は一介の公務員で 大学や研究所の研究者ではなかった。それにもかかわらず彼の論文がセンセイショナルに受け入れられたのは 当時の学問の世界の雰囲気が関係している。常識に反することを拒否するどころではなく 実験による事実が常識で理解できないことだらけだったからだ。そのアインシュタインでも 自分が口火を切るのに一役かった量子力学の確率解釈の仮説には 死ぬまで納得できなかった。この仮説は 彼にはあまりに常識に反するということだったのだ。しかし その主張のしかたはやはり研究者らしい。かれは量子力学の確率解釈が 自分の創設した相対論と相容れず矛盾するということを実証するための実験を提案した。彼の死後 この実験により やはり量子論は矛盾を含んでいないという結論になった。学説やそれにもとづく理論は あくまで仮説の上に成り立っているということを認めるのが学問上の態度ではなかろうか。その前提の上にたって論争が行われるのが望ましいと感じる。反論の余地のない真理を主張するのは宗教的信仰告白であること、そういう真理を主張しながら科学的とか論理的と主張するのは迷信と変わらないのではないだろうか。いつだったか放送で 有名なある言語学者 (国語学者だったかもしれない) が 古代日本語における甲乙二つの母音の存在について、これは正しいこととして認められた事実ですからよく覚えておくようにと語っていた。どんなに確実に思われても あくまでそれはある仮説と資料にたいしての適用の結果にすぎない。いつどんなことから 事実と思われることが覆されるか予測できないのではないだろうか。

 ここで紹介した遺伝子の分析による現代人類の歴史について 著者があくまで仮説を強調するのは 学問に従事するものの基本的姿勢であるように思う。私は 将来 同じような分析を行っても 彼の本に書かれたと同様な結果を得るのが難しくなる時が来るだろうという気がする。それは彼の行った紹介した研究が成り立たなくなるのではなく、研究の前提になっている事実が変化するからだ。この研究が成立しえたのは 遺伝における突然変異の中立理論が成り立っているからだ。将来遺伝子工学が発達すれば 遺伝子に書かれた情報は人為的にいくらでも変わりうる。しかも人類が互いに頻繁な移動を行うようになれば ある地域に特定の傾向をもった遺伝子が集中して存在することもなくなる。その意味では この研究はある特定の時期に適応した調査をおこなったことになる。学問的研究が永久に不変ではありえないのは こういう前提を考えると納得できる。学問的に認められているのかどうか知らないが、フロイトの無意識に関する理論も、この理論が一般化した現在の状況のもとでは かつてのように有効性をもたないのは自明である。心理学におけるアンケート方式の調査は その調査の目的を知っている人に対して行っても望ましい結果はでない。すでに目的を知っているということ自体が 回答にバイアスをかけてくるからだ。おそらく無差別抽出によるアンケート調査でも 調査対象となる人間全員にアンケート調査の理論的根拠に対する知識があれば 結果は信用できないものになるだろう。従って現代の文学作品の分析にフロイトの無意識理論を適用するのは場違いということになる。同様なことはたとえば言語学における音韻対応についても成り立つような気がするが専門外なのであまり自信はない。

 中国人の書いたもので 克非 『紅学末路−偽本・偽批・巧偽人』 (重慶出版社) も面白かった、というより また色々と考えさせられた。この本の出来 そのものは今ひとつといったところだが、扱われていることがらは かなり興味深い話題だ。けっして新しいものではなく、もう十年ほども前から論じられていることがらである。つまり現在定説となっている 『紅楼夢』 の原本に対する疑惑が論じられていて、この本はその全面的な否定を主張しているが、詳しいことは省略する。現在中国で出版されている 『紅楼夢』 はほとんど著者として曹雪芹・高鶚の二人の連名になっている。高鶚というのは 『紅楼夢』 の最初の木版本を出版した人物である。現在中国の学界の主流では 最初の著者 曹雪芹の書いた原稿は 80回までしか残っておらず、残りの 40回は高鶚が創作して付け加えたのだということになっている。偽作であると酷評する人もいる。その根拠となるのが一九二〇年代に発見された 「脂硯齋重評石頭記」 と題された 脂硯齋による評についた三つの写本である。脂硯齋という人物が何ものなのか不明なのにもかかわらず、そこに付された評には曹雪芹の伝記的事項と作品中の事柄が結び付けられていたり、作者について言及する個所があったりして、かなり作者に近い所にいた人間、さらには作品製作にかなり関与した人物と見られてきた。ところがこの脂硯齋による評というのがかなり怪しげなもので矛盾だらけであることが論じられているのだ。主張者の中には版本研究に長く携わってきた研究者もいて 主張はかなり緻密なものらしい。

 この本は それらの研究の結果と 自身もその論争に加わったことがあるのでそれも含めて現在の主流の研究者を批判、というより罵倒したものである。この著者は作家であるというが、どうしてこれほど筋道をたてて論じる事ができないのか疑問に思うほど順序だっていない。問題の写本が偽物である理由を述べるのに 脂硯齋が偽造した文書だからであるなどと 結論も論拠もまったく区別なしに語ってしまうのである。その読みにくさをひとまず置いて、主張されている論拠をみると、それはかなりに根拠があり説得力が感じられる。もともと作者の原稿にもっとも近い筆写本というものに評文がついているのが怪しげである。小説に評がつくのは売り物として商品価値を付けるためか、または私的なメモとしてであろう。この筆写本は当然後者であるはずなのに、書き方がそれにふさわしくない。そもそもこの筆写本自体の由来も怪しげでもある。三つのうち一番重要視されている甲戌本の最初の持ち主は胡適だったが、彼は実物を公開しようとしなかった。その出所についても言葉を濁しているが、ある古書店から買ったことが分かっている。彼はこの筆写本に基づいて文章をいくつか書いているが、もしかすると うすうす資料のうさんくささを感じていた可能性がある。とにかくこの論争の結果、現在学界で認められている筆写本が偽造されたものということになれば、現在の 『紅楼夢』 の本文が変わるだけではなく、これまで紅楼夢で仕事をして来た人達の業績の基盤が崩れさる可能性も出てきた。特に脂硯齋の評で有名な 「字字看来皆是血、十年辛苦不尋常」 などは 作者がいかに心血を注いでこの作品を書いたかの論拠として使われてきたが、これが偽作ということになれば怪しげで根拠の不確かな文に左右されて作品評価を行って来たことになってしまうのである。

 私の感じでは この議論は偽作説に有利に思われるが、その結果いかんにかかわらず問題は残る。これまでの 『紅楼夢』 に対する評価が作品本位に行われてきたかどうかということである。はたして 作品を作品の文章に即して読むというのは どこまでの作業を指していうのか再検討の余地がある。それでも これまでの後半四十回は 曹雪芹のものではないという判断には必ずしも根拠がないわけではない。後半が前半の八十回に比べてかなり印象が違うのは多くの人の感じるところだからである。しかしそれだからといって 作者が変わったと断定するのはかなり難しい。同じ作者でもかなり質の違う文章を書くことはありうることだからである。 『源氏物語』 でも 「宇治十帖」 がはたして同じ作者のものかどうか議論があったが はっきりした結論は出せなかったようである。それにもかかわらず 原作に即して読むのが原則であることには変わりはない。『紅楼夢』 の読み方が脂硯齋の評によって左右されるということは、脂硯齋が実在の人物であるかいなかにかかわらず 問題にされてよいことである。外部の要素によって原文を率直に読むことが出来なかった例には事欠かない。たとえば 「少年易老学難成」 で有名な朱子の偶成は偽物であったことが判明した現在では、なぜもとの詩が偽物であったのか見破れなかったのか 不思議になるほどである。詩の主題においても使われた典拠においても およそ朱子らしくないからである。朝鮮関係でいえば 解放後一貫して必読書とされてきた金九の 『白凡逸志』 が李光洙の書いたものであることは 現在では周知のことがらである。ところが李光洙については民族反逆者という評価で 読むのを拒否しながら 同一人の書いた 『白凡逸志』 に感動するというのは奇妙なことである。これでは本当に本文を読んでいたのかどうか疑われてくる。さらに 金素雲の朝鮮の詩の翻訳に対する信仰ともいえる評価があった。原作と比較すればおおよそ翻訳というには遠いものであるにもかかわらず あれほど評価されてきたのは何故だろうか。日本の詩というのはそれほど質の低いものだったのだろうか。しかし、こうした議論をいくら繰り返してもあまり成果はないようである。スコットランドのキルトが実はイングランド人の商魂の産物であったとか、ジャンヌダルクは火刑などに処せられてはいないということがいくら明らかになっても、一般人は真実より伝統、伝説のほうを受け入れるからだ。韓国の国宝 「訓民正音」 の一張目が偽作であることが分かっていても、その写真が全面的に削除されるまでにはかなり時間がかかりそうである。

 私自身にとって 『紅楼夢』 の原本が偽物であろうがなかろうが さほど利害関係があるわけではない。現在まで出版された 『紅楼夢』 に関する辞典はすくなくとも五種類まで すべて脂硯齋本にたいしてかなり重点をおいている。これが偽書ということになれば 将来全面的に書きかえられることになるだろう。二十世紀が脂硯齋評本にたいする評価の世紀であったとすれば 二十一世紀はその書き換えの世紀になるかもしれない。中国は偽書製作の伝統のある国であり 偽書に惑わされること自体を責めるわけにゆかないかもしれない。しかし結果が分かってみれば やはりこの場合も資料はそれ自体に即して読むのが原則であったという教訓が出てくるはずである。そしてこれまで偽書説をかたくなに退けてきた根拠も たんに脂硯齋評本にたいする信仰にちかい思い込みでしかなかったことが明確になると思われる。じつにこうした思い込みがどれほど事実を見る目を覆ってしまうか 強調してもしすぎることはないだろう。最近、英訳でデカルトの 『省察 (第一哲学に対する省察) 』 を読んで見たが、あれほど慎重に思索を進めたデカルトでも神 (その内実がなんであれ) の存在を結論している。彼が行ったのは 本当に疑いの得ない存在を探り出すことであったのか、ほんとうは考えている私という存在の不思議さの根拠をさぐりたかったのではないかという気もしてくるのである。

 こうやって書いてきたことに まさに関連しそうな本を買った。まだ読んでいないが 馬青平 『相対論 / 邏輯自洽性探疑』 (上海科学技術文献出版社) という題名だ。内容は アインシュタインの特殊相対論は論理的に問題があって疑わしいのではないかというものだ。アインシュタインの特殊相対論は有名であり すでに科学の歴史において確立した学説だから、それに対して異議を唱えるのは うさんくさい新興宗教の持ち主ではないかと考えるのは社会的偏見だ。それこそ迷信のなせるわざだ。序文をみると この本がそれほど怪しげなものでなく かなり根拠のある記述をしていることが伺える。たとえばこれまで特殊相対論にたいする反論は四つのタイプに分類できるという。第一は、物理学に対する素養があり 正当な物理学の観点から論理的に考慮した批判。第二は、物理学に対する素養はあるが 批判が非正統物理学に基づいているもの。第三は、物理学の素養がなく 自分の発見した相対論のある種の錯誤に基づいた批判。第四は、道徳的批判でアインシュタインが他人の業績を横取りして論文を発表したというもの。第四のものは当初から問題にされていて、はたしてアインシュタインは他人の同種の理論を知っていたのかどうかが問題にされてきた。本人はこれにたいして知らなかったと答えている。この問題は本人以外知る由もないので さらに追求することはできない。第三は 大部分が誤解に基づくものであまり問題にはならないが、問題は、相対論の擁護者は往々にして第三の批判者に反駁することによって批判が取るに足らぬものであることを主張するところにある。この著者は 批判にたいして本当に反論するなら第一と第二の批判者に対してなされねばならないと言っている。さらにこの著者は このとるに足らぬ素人の批判である第三の批判に対しても 少なからず採用できる観点があるかもしれないので 「無視するのはかまわない、しかし皮肉ったり嘲笑する必要はない」 と述べている。これからもかなりまじめに書かれた印象を受けるが どうだろうか。ちなみにこの著者はかつてアメリカで引用される科学論文の多さでは上位四位にランクされたことがある研究者だということだ。

 今回は少し長くなりすぎたのでここまでにします。