三枝壽勝の北京通信


三枝壽勝の北京通信 2005. 1月 (2005/01/07)

 まず前回の訂正をしておく。単なる誤植でなく私の間違いだったので、断り無しに訂正はしないことにした。前回おしまいのほうで言葉のことを扱ったさい、「操」 の字を使うところを最近では 「靠」 を使うと書いたが、実は 「靠」 ではなく 「拷」 であった。両者は同じピンインなのに 四声が違う。幼い頃から難聴で 文脈のない言葉はほとんど聞き取れなかったが、それは音の大小ではなく 子音が明瞭に区別できず音声がぼやけてしまうせいだった。いまでも前後の脈絡なしに話しかけられると 何を言っているか聞き取れない。しかし今度の例をみると 四声まで区別できなかったということになる。もしかすると瞬間的に聞いた話だったので、それほど注意して聞いていなかった可能性もある。話を戻そう。最近は男女にかかわらず 最近の若者が 「操」 の代わりに 「拷」 を良く使うというのは、もちろん行為を表わす動詞として常用しているということではない。単に驚きや罵りの言葉としての使用のことを言っているのだ。いくら最近の若者の風俗が変わったからといって四六時中会話に行為を表わす動詞としてこの言葉を使っているはずはないのだ。

 訂正ついでに昨年の今頃だったか、新年 (もしかすると春節だったか?) の前日 温家宝だったかが、農村で農民達と餃子を作っていたと紹介したように記憶するが、これも最近のテレビで見るかぎり国家主席 胡錦濤だった可能性が強い。胡錦濤は中国の最高指導者だから 温家宝の場合よりも もっと重大な意味をもっていたことになる。ところで中国では元旦というのは 陽暦にしかつかわず、旧暦の正月の春節のときは 元旦とは言わないらしい。逆に除夕 (除夜) というのは 陽暦の 12月31日には使わないのだ。陽暦と陰暦の行事が 言葉の上でもはっきりと区別されている。

 その正月の元旦には 久しぶりに外出をした。といっても 今住んでいるところからすぐ北西にある 頤和園にでかけただけだ。地図でみると自転車で5分ほどの距離に見えたが 30分かかった。一番見物しがいのある仏香閣が 今年の一月一日から修理のため当分参観を中止するという、まさにその当日に行ったので 単にだだっぴろい庭園を池に沿って歩いただけだ。ただ真冬のことで 池が全面的に凍りついて湖面を自由に歩けるようになっていたのが せめてもの見ものだったろうか。それでも最初は湖面の中ほどまで行く勇気のあるのはほんの二三人でしかなかったが 一時間もすると大勢の人が思い思いに氷上を歩き回るようになっていた。氷の厚さは 10センチほどだった。それほど最近の気温は低い。ほんの二週間ほど前までは最低気温が零下一、二度だったのに いまでは最高気温がその程度で、最低気温は零下 10度を上下している。北京はかなり乾燥しているので雪はあまり降らないと思っていたら 年末の 12月22日に大雪に見舞われた。その雪が完全に解けずにいる年明けの5日に また雪が降った。午後3時ごろ降りだしたと思ったら たちまち一時間ほどで一面が真っ白になった。寒いせいか雪の質はかなりよく べたつかないのでスキーには向いているのではないかと思う。

 寒くなると スーパーや公共機関などあちこちで 入り口に防寒用の暖簾をさげるが、どうも外国人には評判がよくないらしい。入り口の上から床に達するほどの 長く厚いビニールの帯で 幅は10センチほどだ。これを少しずつ重ねて何本もぶらさげれば 外気が遮断されるので 防寒の役目をする。この帯をかき分けて出入りするので 別に問題になることはなさそうだが、このビニールがかなり分厚く 5ミリ以上もあろうというしろものなので 前の人のすぐ後から続いて入ろうとすると跳ね返ってきて 武器のように顔面を攻撃してくるので危なっかしい。これだけでは物足りないのか、あえて入り口の前にテントを設置したり、入り口に分厚いカーテンをぶら下げるところも多い。これは上海では見かけなかった。暖簾と違って幅も広くかなり分厚いので 一見マットレスのような感じがするが、これをぶら下げると内側はかなり暗くなる。これもかき分けて出入りするが、ビニールと違って反対側が見えないので 出入りする人同士が正面衝突したり、内側のドアの片方が閉めてあると それにぶつかってしまう。危険な存在ではある。そういえば日本でも韓国・中国系の食堂街で 入り口をビニールで覆ってある店があったが 由来はこのあたりかもしれない。それにしても 分厚い緞帳のようなカーテンをぶら下げるなど かなり無粋なやり方だと思っていたら、かなり前のテレビ連続劇 「紅楼夢」 をみると、大観園の建物では 冬には入り口に同じような感じのカーテンをぶら下げている場面があった。無粋どころか かなり粋で優雅な風俗なのかもしれない。もちろん大観園でも夏になれば各種の趣向をこらした暖簾をぶら下げている。

 クリスマスや新暦の正月は さほどおおげさに騒がないとはいえ、爆竹の音一つしない靜さは中国らしくない気もする。北京は かなり規制が厳しいらしい。上海では かなり頻繁に爆竹を鳴らす音を聞いた。といっても台北とは比べものにならない。台北では毎日のようにあちこちで爆竹の音を聞いた。店の新装開店ではかならず路上に祭壇をしつらえ 軒に爆竹をぶら下げて景気良く鳴らしていたし、毎日どこかの町内では祭りがあって仮装をした行列が爆竹を鳴らしながら行進していた。爆竹の音もすさまじいが それを手にぶら下げて爆発させている彼等の無謀さにあきれる思いをした。二ユースでは 爆竹を仕掛け花火のように一面にぶら下げて 火花の滝のなかを上半身裸の男がくぐっていく場面があった。もちろん顔面は覆ってあったが それ以外、露出した部分はやけどだらけなのに本人は平気な顔をしていた。そういえば毎年旧暦の1月15日の元宵節には 中正公園で花火や爆竹を盛んに爆発させ 群集がヘルメットなど重装備でその花火を発射する中心に向かって押し寄せていく行事があった。毎年何人かの重傷者が出るらしいが、花火を上に打ち上げず水平方向に発射するのだから 怪我人がでて当然という感じがする。台湾の人はそれほど火遊びが好きなのだろうか。今年は2月9日が春節だ。はたして北京ではどうやってこの日をすごすのだろうか。

 前回 DVD について少し触れた。こちらにはビデオテープというものがなくて すべて光ディスクである。電子機器の普及が遅かっただけ 最先端の部分から始まっているわけである。5年前の台北ではまだビデオテープを大量に見たが それでもディスクによるソフトも出始めていた。ここでは全てディスクだ。DVD の海賊版もかなり技術は高級そうだし、品物が出るのが早い。年末恒例の大型映画は 一昨年の 「英雄」 、昨年の 「無間道」 に続いて 今年は 周星馳主演の 「工夫」 だが、封切りのときにはすでに海賊版が出ていた。例によって一枚6元から8元の値段である。中身についていえば 私はあまり評価できないと感じたが、こういう脈絡のないドタバタが良いという人もいるかもしれない。そういえば日本の DVD の海賊版もかなり出回っているが、もとのカバーについている定価が一枚 5000円以上するのにこちらでの売値は 10元もしないのだ。複雑な気持ちである。

 年末に この 100年来の中国の音楽や芸能を集めた CD の全集が限定販売で発売されるという新聞記事がでた。記事には昔の SP のカバーなどの写真が紹介されていた。昔の SP の復刻ならかなり面白い。さっそく CD の店にかけつけ尋ねたらそんなものないという。それなのに何日か後 同じ店にいったら陳列してあった。かなり大げさなつくりのケースにおさめられていて ずっしりと重い。値段もかなり高い。さっそく買って帰り 中をみて愕然とした。重かったのは資料ではなく CD を収めるケースが厚紙でできていたからであり、収められた歌曲、器楽、演劇、話芸などについての資料は皆無。巻頭の説明をみると この百年間の音楽を年代順に配列したが、演奏はできるだけ最新のものにしたとある。なんのことはない、曲目は昔のものでも現代の演奏にすぎないのだ。もちろん中には昔の録音を使ったところもあるが、それにしても資料的な価値はあまりない。まだこの程度なのだろうか。それに比べると韓国はかなり進んでいた。シンナラレコードなどで SP の復刻をかなり出していた。春香伝の録音も何種類か出ていたし、歌謡曲や童謡だけでなく 弁士の語りなどもあった。シンナラは某新興宗教団体がバックになっているから奉仕事業が可能だったという話もあるが、こういう事業に関心を持つこと自体は悪いことではない。といっても韓国でこれだけ充実した資料が公開される理由はある。昔の録音がほとんど日本でなされているのである。ビクターやコロンビアで録音したものはほとんど日本に保存されているので 資料を揃えるのが簡単だということだ。中国では事情が違うので もしかすると かつての資料が保存されていないのだろうか。おそらくそんなことはないと思う。昔の映画が大量に保存されているところをみると レコードがないはずないと思うのだが、まだそれらをそのまま復刻して発売するほどの関心がないということなのだろうか。

 映画や音楽の CD や DVD なら日本や韓国でもおなじみだから 値段の点を除けばそれほど珍しいものでもない。私が感心するのはそれ以外に CD-ROM による資料のすごさだ。つまりパソコンで使用するものに さすが中国だと思わせるものがかなりある。といっても 私の知っているのは書籍に関連するものでしかなく、圧倒的に多いゲームや語学つまり英語の学習に関するものは私に縁がないので除外することにする。まず文章とその朗読が一体となったものがある。単純なものなら要するに紙芝居だが、内容が膨大になるとそれどころではない。金庸の武侠小説はほとんどこの形のソフトで発売されている。たとえば大河武侠小説 『鹿鼎記』、『天龍八部』 がそれぞれ5枚セットで 25元、『笑傲江湖』 が4枚で 20元などとなっている。つまりあの何冊にもなる大河小説を 肉声で朗読しているのである。画面と朗読が一体となっているので 画面の最後まで朗読すると自動的に次の画面に移行する。ただし時々その連動が乱れることがある。そうなるともう文章を追ってゆけない。漢字の海をあたふたと行き来することになる。ただ別個に本を用意しておけば、耳で聞きながら本を読んで行けばよいだけだから 簡単かもしれない。それでも朗読が乱れると同じページを繰り返して読んだりするので 同じことになるのかもしれない。

 CD-ROM 以外でも、とにかく中国には作品朗読や語りのソフトがかなり多い。音だけのソフトでは 現代文学や古典の朗読がある。論語や孟子、老子、荘子などの経典の朗読なら数種類ある。漢詩も様々である。さらにすごいのは 語り物に属する 評書の類がやたらと多い。たとえば 『水滸伝』 『三国演義』 『西遊記』 『封神演義』 などおなじみの物語も 評書による語りのソフトがある。 『水滸伝』 や 『三国演義』 は 300回連続ではなかったと思う。こういった語り物は地方によって呼び名も語り方も異なるが、まだこうした語りが死滅していないことを意味するのかもしれない。80年代出版の本にでていたから、それよりも前の話だろうが、王少堂という評書の語り手は 水滸伝で有名な武松を主人公にした語り物を 祖父の代から引き継いでいたが、祖父は 20日、父親は 40日連続して語り続けたのに対して、彼は 75日連続して語ったという。要するに内容を語り手が新たに付け加えながら発展させていったということらしい。いまでも夕方のテレビでは評書を語る連続番組がある。ただ評書は北京を中心にしたものらしく 上海では一向にお目にかからなかった。その代わり上海でやたら耳にしたのは 越劇とか滬劇による謡いだったようだ。これは北京の京劇にあたる地方劇だが かなり新しい創作も多く なんでも取り入れるのが特色らしく 『春香伝』 の CD もあった。こうした語り物はべつに中国だけのものではなく 日本でも一昔前までは 浄瑠璃、浪曲、講談などがあったし ラジオでは名作朗読とかいう番組があったし、ナナオレイコや森繁久弥が役割分担して朗読する番組もあった。長いものでは徳川家康というのがあったが 例の大河小説が完結する前の放送だったろうか。ただ それらが単に語られるだけでなく ソフトの形で割安で買えるところが中国なのだろう。

 音の出ない文書だけのものならもっと多い。 『太平広記』 『二十五史』 『資治通鑑』 などは それぞれ一枚に収まっていて 10元である。この手のソフトはかなり大量に発売されていて 重複したものも多い。むかしアメリカで発売されたもので CD 一枚に 700冊とかそれ以上の本が収められているので感嘆した覚えがあるが、あれからもう何十年も経っているのだ。膨大な内容が一枚に収まっていること自体はさほど驚くことではないのかもしれない。ところでそういった資料をまとめてセットにしたものがある。たとえば 10枚セットのものでは 3000種の本や全集を収めた 『家庭蔵書集錦』 とか、8000冊の本を収録した 『世紀蔵書集錦』 といったものがあるが、そのパンフレットが面白い。前者では これらを本で揃えれば6トン、200uの部屋が必要だとあり、後者ではそれぞれ 10トン、300uとなっている。値段はどちらも 300元前後だろう。要するに膨大な資料が収まっているということだ。たしかに前者では 毛沢東、劉少奇、周恩来、マルクスエンゲルス、レーニン、魯迅、老舎、金庸など 大量の全集や選集がそっくり入っているし、あるものでは選集も全集も ともに収録されている。古典や現代文学も全集で収められているうえ、哲学の分野では フロイトからニーチェ、アリストテレスにヘーゲルと なんでもかんでも集めたという感じがする。パンフレットに 今では絶版となったものが 20セットも収録されているとあるが、もしかすると売れそうにもない ぞっき本などをなんでもかんでもかき集めてきたのかもしれない。それでも これだけ大量な内容で値段が 300元なら高くはないのかもしれない。後者はそれに比べるとすこし体系的で 文学や古典に重点をおいていて 前者のようにマルクスやレーニンの全集を入れるといったことはしてない。武侠小説も金庸を除いてほとんど収録されている。そしてこれらの資料は検索も可能だし、画面に出ている部分については機械による朗読をさせることができる。といっても肉声ではないので 漢字一字に一種類の発音しかない。たとえば 「子曰学而時習之不亦説乎」 では 「説」 を 「悦」 とは読んではくれない。しかし朗読や検索なら日本語でもできるのかもしれないから さして驚くことはないのかもしれない。そのほか こじんまりしたものでは 北京大で出した 『中国名著 1200』 という4枚セットがあるが、これは音楽や絵画の他 映画の一場面も入っている。こういったソフトのなかでの圧巻は 『四庫全書』 ではないかと思う。あまりにも有名なものなので原本についての解説はやめておくが、18世紀に編纂された3万6千冊以上の資料が CD 153枚に収められていて、その値段が日本円で1万5千円ほどである。ただし 以上のソフトは どれも原則として中国語版のウィンドウズなどをインストールしたパソコンでないと作動しないから、中国で売っているパソコンを使わないと利用できない。といっても 『四庫全書』 などは かなり前から日本でも使っているという話なので もしかすると日本のマシンでも問題なく使えるのかもしれない。それ以外に 基本言語の設定を中国語にするだけで使えるものがあるのかもしれない。ただし辞書の類は 基本言語の設定を変えても作動しない可能性が大きい。

 ということになると 中国で売っているパソコンが一台あればかなり便利だということになる。しかし安い費用で済まそうと中古を買うのは禁物だという。中古だと 中のマシンが何だかまったく信用できないというのだ。そこで中国人の助けを借りずにパソコンをどうやって買うのか、見物かたがた試しに近くの中関村電子街へ行ってみた。驚いたのは 集まっている人の多さである。平日の午後だったが 海龍大厦という電子製品専門の雑居ビルは人で埋っていた。といっても その半数は売り手側の人間らしい。それにしてもパソコンなどを買う人間がこれほど多いとは予想もしてなかった。陳列してあるパソコンの前で立ち止まると たちまち人が寄ってきてどんな機種が欲しいのかと聞いてくる。どんなのといっても ここの売り場ではマシンに値段もついてないのが多いし、それぞれのマシンの機能など解説したカタログやパンフレットなど皆無だ。一つ一つ指で示して値段を尋ねると それぞれのマシンの簡単な機能と 定価と売値を教えてくれる、さらに要求すれば紙に書いてくれる。そうやって次々と各店頭を回って尋ねてみた。だいたい定価の8割ぐらいである。こうやって次々に違う店を回っているのに 最初にみた店の店員が最後までついてきて執拗に勧誘をしてくる。それを振り切って外に出ると 待ってましたという具合に別の男が寄ってきて パソコンならまだ上の階に専門店があるから見にこいといって エレベーターで7階まで上がらされた。たしかにここにもパソコンを専門に扱う店が 事務所のような構えで並んでいた。やはりおなじようにカタログなどない。いったい店頭にあるものしかないのか それ以外のものも買えるのか聞いてみたら、どんなものでも全て買えるという。どうやら機種を指定すればなんでも奥から出してくれるか 取り寄せてくれるということらしい。リストを要求したら やっと各機種ごとに一行ずつ機能と定価を書いたリストをくれた。それでもたとえば IBM など 同じ系列なら店頭の現物がそのシリーズのどれにあたるか分からない。それは底にある表示を見ればよいという。そう言われても なんとなく胡散臭い気持ちになってくる。とにかくただ様子を見に来ただけだから その程度で引き揚げることにした。しかし これだけ店員につきまとわれると 落ち着いて見ることもできない。あとで中国人に こういった所で偽物を掴まされることがないかどうか聞いたら、ある人は当然その可能性はあるというし、別の人は今ではほとんどそういうことないという。はたして本当はどちらなのかやはり不安である。

 ところである人から インターネットでパソコンの製造元のサイトを見たらどうかとアドヴァイズを受けた。そこで IBM を覗いてみた。各機種の紹介から定価と売値などの一覧があり クリックするとすぐに注文ができるようになっていた。まず気がついたのは海龍大厦でもらったリストと定価の違うことだ。店頭で割引した値段より、製造元のサイトの定価のほうが安いものがある。妙なぐあいだ。これなら街にでかけなくとも ネットを使えば割安で買えるではないか。各々のマシンの詳しい内容を知りたければ それもダウンロードできる。ただし それを開くには中国語のアクロバットリーダーが必要だ。サイトには 質問や提案を受け付けるメイルのアドレスがあるので 購入に信用カードが使えるかどうか質問をしてみた。案の定、何の返事もこなかった。店頭ではどこでもカード支払いは可能だといっていたが、ネットではだめらしい。中国では たいていのところはメイルを使って連絡をしてもたいてい音なしだ。大部分は何の反応もない。メイルはほとんど使用していませんと断り書きをした業者もある。しかし 製造元からインターネットを使って購入するのは かなり有効で安全な購入方法であることを確認した。サイトにあるリストの末尾の購入ボタンをクリックすると次の画面に移り、あとは例によって必要事項を打ち込んで送れば終わりだ。ただし中国でたいてい最後の段階で電話による確認がある。この場合は営業日の一日以内に先方から電話がかかってくる。だから月曜に申し込めば次の日には電話がくる。しかし金曜日なら土日は休みだから月曜に電話がかかってくる。この電話で最終確認をするが、現金支払いですぐに欲しいと言えば その場ですぐに配達してくれる。あとは現金を用意して自宅でまっていればよい。特約店から配達され、その場でパソコンを調整してくれるので 必要なソフトがあれば要求すればたいてい無料でインストールしてくれる。ということで中国のパソコンは二、三日の短期の旅行でもネットを使って安全に購入できることが確認できた。おおよそ日本円で 10万から 15万でそれなりのものが買えるはずだ。

 それなら古本はどうかと こちらも確かめてみた。中国で古書を買うのはやはりネットを使うのが一番効果的だ。潘家園や北京大 そして近くの市場の二階にある古本街などでも古本を買うことが出来るが、どうやら これらの古本の出所がほぼ共通しているらしいことと、あまり高級なものが出ないので 本格的な本を買うのは無理なことが分かった。ところが古書専門のサイト 孔夫子は全国の古書関係者が加入しているもので 日本などの古書サイトと同じだ。品物もかなり多い、たとえば紅楼夢で検索すればほぼ 3500冊の本が出てくる。しかもネットのほうが 街の古本屋よりかなり安い。日本と同じようにまず会員登録をしないと注文ができないが、その後の連絡は実名でなく仮名と愛称を使うので 両者を実名以外に登録しておかねばならない。歴史上の人物や社会的に問題を引き起こすものは拒否されるので あらかじめ注意をしておく必要がある。注文は 本のリストの末尾にある購入ボタンをクリックすればよい。あとは出品業者に連絡がゆき、確認がとれるとメイルで確認がとれたと連絡が来る。日本なら そのあと業者から確認のメイルの連絡がくるが、こちらではそのあたりがはっきりしない。ある業者は購入者に直接連絡してくるし、ある業者は購入者が連絡するのを待っているのかもしれない。それでも古書の場合は電話を使わずともネットだけでやりとりできるので、その点 言葉に不安を感じる外国人には気が楽だ。ただし 注文した本が金を振り込んでから どれだけの時間でくるのか よく分からない。雲南にいる業者が北京に本を送ると どれだけの時間で来るのだろうか。ところで 中国では銀行振り込みの場合、同じ銀行同士でないと送れないので 近くに振り込む銀行の支店がないときは郵便局のほうが便利だ。相手の住所さえわかっていれば送金ができる。急ぐ時は二時間ほどで相手に届く。ただ古書のネット販売は外国からは無理かもしれない。カードが使えれば簡単だが カードによる支払いについて触れていないからだ。それでも すこし長めに滞在する人なら利用できることは確かだ。あとは文化財の流出問題が起こらぬよう ほどほどに利用することだろう。そういえば韓国にも古本のネット販売があるが 今ではほとんどめぼしい古書がないようだ。

 元旦に頤和園にいった以外は 部屋で 1980年代末に製作されたテレビ連続劇 「紅楼夢」 36回を最後までみた。通行本の 「紅楼夢」 の後半 40回が原作者 曹雪芹の意図を歪曲したという態度で 80回以降の筋を作り直しているだけに 結末は普通知られているものとかなり違う。かなり深刻な悲劇となっていて テレビのドラマにしては重みがある。しかもセリフが現代語でないので かなり難しいと思うのだが 中国の人は字幕なしでどの程度わかるのだろうか。前に 「水滸伝」 42回を見た時も その結末の悲劇の深刻さに感じ入った覚えがあるが そちらの方は原作も同様だった。どちらもテレビで放映するものとしては かなり深刻なものに感じる。今度見た 「紅楼夢」 では 主人公の属す賈家が最後に取り潰しにあう場面が印象的だった。おそらく皇帝の周辺での政争ではさして珍しい現象ではなかったのだろうし、原作者 曹雪芹の一族もその処分を受けたというから それも考慮したのかもしれない。取り潰しの命令が下るや たちまち執行官が現れ 全ての家財を封印するやら略奪する一方で 屋敷の人間が上から下まですべて拘束されてしまう。牢に入れられたあと 下のものは奴隷として市で売られるというのが印象的だった。たしかに一時に 700人もの人間を捕まえて閉じ込めておけば手間がかかるし煩わしい。といって 「史記」 に描かれた時代のように皆殺しにするわけにもいかない、となればこのやり方は合理的なやりかただ。

 これを見たあと 故 黄仁宇の 『萬暦十五年』 を読み出した。著者はアメリカ在住の研究者だ。最近中国で読まれている本の著者には 外国在住のものがかなりある。昨年かなり売れたという 『朱熹的歴史世界』 の著者 余英時も アメリカ在住の研究者だ。中国の武侠小説や漫画は 台湾と香港だし、流行小説の三毛や瓊瑤も同様だ。いま中国は 外からの養分をさかんに吸収している段階なのかもしれない。『萬暦十五年』 が最初に出版されてからすでに30年以上も経っているし、日本語の翻訳もあるらしいから いまさら取り上げる必要もない古典なのだろうが、私にとっては縁がなかったせいか かなり新鮮で面白い。萬暦十五年という特定の年に焦点をあてて 各章でそれぞれ異なる人物に焦点をあてて 当時の政治や社会のあり方を記述してゆくやり方は 読み物としてもよく出来ている。「紅楼夢」 の結末を見たあとだけに ここでも政争に敗れて処分される様子が具体的に書かれているところに注意がいってしまった。鞭打ち数十回で臀部の肉が飛び散り死亡してしまうとか、命を取りとめたとしても左右の臀部の大きさが違ってしまったとある。そして 中国の宮殿で皇帝が臣下に謁見する朝の儀式は 雨が降っても雪が降っても一日も欠かさず毎日行われて来たなどと読むと 昔の支配者たちは大変だったのだなと感心してしまう。臣下たちは野ざらしの石畳の上だから 大雨のときはずぶぬれだ。また皇帝のほうも 寝ても醒めても形式的な行事に身動きならぬほど縛り付けられた機械みたいな役目をはたさねばならなかったのだ。それが次第に簡略化され 萬暦のころにはかなり変化している。皇帝萬暦の晩年の諦念についての記述も面白い。道徳的な原則を固執して あえて不敬の罪をおかしても諫言する忠臣というのは 要するに忠臣烈士の名誉を商品として売り物にしているのだという皇帝の感懐は いかにももっともらしい。韓国で 「端宗哀史」 を読むと 正義の忠臣と惡の奸臣との闘争としか描かれていなかったような覚えがあるが、それにくらべると 遥かに透徹した見方だと思う。それでも この正義や忠義の行為が 自身または身内の利益に結びつく打算だという視点でみると 現代までの韓国の知識人のあり方もかなりよく理解できる気がしてくる。道徳的行為というのはある種の打算から行われる利益追求行為だというわけだ。

 以前は過去の歴史でも、現代の政治でも それにともなう大量の虐殺のすさまじさに愕然とすることがあったが、どうもさほど愕然とする必要がないのかもしれないと感じだした。以前なら、あんなに知識人を殺してしまっては、そのあとの社会は誰が支えてゆくのかと心配したことがあるが、韓国をみても中国をみてもさほど影響を蒙っているようには見えない。100年に一人しか出ないような天才的な人間をむざむざと殺してしまえば 後の人類の歴史にかなり損失だと考えがちだが、はたしてそうだろうか。最近の遺伝子の研究でもわかるが、人間と他の動物との違いもさほど大きいものとはいえないらしいし、人間同士の違いなどそれほど差があるという程度でもない。ということは これから先の技術の発達にともなって人間の能力など簡単に変えることができるようになるかもしれない。これまでの天才程度ならいくらでも産出できる時代が来るかもしれないのだ。ましてや 昔から ある生物の集団である種の個体を排除すると 残った集団の中で 排除された個体の役割をするものが現れることが観察されているのだから、実際は少々の犠牲者が出ても 残った集団に対する影響はあまりない可能性の方が大きいといえそうなのだ。こんなふうに考えるのは人類に対する希望を意味しているのだろうか、それとも絶望を意味しているのだろうか。私にはどちらでもよい気がする。それよりも、これまでも偉大な学者とか天才とか言われてきた人たちの業績を理解し引き継いできた人が どれほどいたのだろうかと疑問も湧いてくる。私の感じでは先人の知的な営みについては その成果などほとんど引き継がれていないような気もする。あるのは単に残された業績の表面的な字句を固守する正統派だけのような気がする。物としての遺産を守るだけで 本文のこの部分はどの字が正しいとか、この翻訳のこの部分は誤訳だとか、形式的なことだけが問題にされている。私はこうした作業が無意味だとは思わない。ただこうした作業をする人は黙々と仕事をすればよいだけだ。骨董屋の主人のようにその形骸を売り物にしなくてもよいと思うのだが。