三枝壽勝の北京通信


三枝壽勝の北京通信 2004. 12月 (2004/12/10)

 かなり寒くなってきた。といっても今のところまだ東京での真冬と同じで 最低気温が零度を上下する程度だからそれほどでもない。まだこれから気温は下がり 零下 十五六度ほどになるという。それなら かつて私がいたころのソウルの気温だから しのげないというほどでもなさそうだ。ただ最近のソウルはそこまで寒くなることはないらしく 韓国人には北京の寒さがこたえるらしい。私がいたころのソウルでは 冬 銭湯の帰りに道路を横断しているあいだに もう手ぬぐいが凍ってカチカチになってしまった。出来の悪いオンドルの部屋だと 寝ていても背中だけ温かく 鼻先は凍りつきそうだった。気温はともかくとしても 風が猛烈な日ならかなりこたえそうだ。ただし室内なら 暖房さえ完備していれば 下着だけでもしのげるから 上海にいるときより寒さを感じないでもすむ。といっても電気代が冬になると上がるので かなりの出費は覚悟の上だ。気温が下がると外に出るのが億劫になり 動きがにぶくなったのか、ぼおっとすることが多い。最近もトレーニングウェアを洗濯するのに 他の下着もいっしょに洗濯機に放り込んだおかげで 下着が妙な色に染まってしまった。捨てるにはもったいないし 人に見せるわけでもないので そのまま着ているが、汚れが目立たなくなっただけましだと思うことにした。

 毎日市場にでかけ買い物するのも、三度の食事の仕度するのもめんどうになってきた。なぜ人間は食べなければならないのでしょうか、なんてセリフがどこかにあったっけ。食わねば生きられぬという点では 人間もミミズやゴキブリ、ネズミたち他の生物とちっとも違ってない。爬虫類だったら 一度餌にありつけば、しばらくはじっとして哲学者よろしく瞑想にふけってもいられるのだろうが、いかんせん哺乳類の身では 常にせかせか動き回っていなければならない。軽薄の至りである。ジュラ紀の恐竜の死滅が進化の様相を変化させ こうした地球を軽薄さで蔽いつく結果にしたのだ。エネルギー補給のための食い物とともに水が絶対に欠かせないのも 人間にとって文字通り致命的な限界である。生物の発生が水中で行われた原初の記憶を引きずっている点では 人間もアメーバーや大腸菌と変わり無いのである。現在のところ人類の進化などその程度の段階でしかない。そういえば秋になってからやたらに食べる量が増えて 体重が増加する傾向にある。これはなんだろうか。もしかすると太古の昔、まだ冬眠していた時代の習慣のなごりなのだろうか。世界では相変わらず殺し合いが続いているのも、有機物を摂取することで生存を始めた動物の限界を意味しているのかもしれない。皮膚に植物のように葉緑素でも埋っていれば 無機物を摂取してエネルギーに変えることもできるのだろうが、そうもいかぬとなると 私たちの生存は他の生物を殺すことでしか成立しえないわけである。それが本質的なことだとすると、たえず自分以外の生き物を殺し続けていかないと生存の根拠が薄れるとでもいうのだろうか。

 そういえば1949年の建国以来の 中国での人間の死に方は規模が大きい。五十年には 土地改革ということで殺された地主が 百万人とも三百万人とも言われる。この年の朝鮮戦争で死んだ中国人が 百万人と言われている。そうして人民公社が出来たあとの 五九年から六一年にかけては 餓死者が二千万から三千万に上るという。公式発表では三年間の自然災害のせいだと説明されているそうだ。そうして 六六年から 七七年にかけて十年間の文化大革命の時期は 知識人など二千万人が殺害されている。これだけの数字だけでも 韓国なら人間が絶滅してしまうところだし、日本でも人口が半減してしまう。かつてスターリン時代のソ連で粛清された人間の数が 公式発表でも二千万とか、じっさいはその倍以上もあるかもしれないというのを聞いた時、その規模のすさまじさに驚いたことがあるが、どっこいどうして中国もそれに負けずよくがんばっている。文革をナチの蛮行になぞらえる見方があるらしいが、ナチと違って中国の場合は同族同士の殺害なので その傷はもっと深いという人がいる。ただ地球上での人口は二十世紀に入って倍増しているので その規模が大きくなっても 全体の人口にたいする割合は以前より少ないのかもしれない。もっと人口の少なかった時代では 数万人の死者でも国や民族が絶滅した可能性がある。もし 十万年前にアフリカ大陸から北上してきた現代人の祖先の人口が二百人だったというのが正しいのなら、当時の死者一人は現代の三千万人の死者に相当することになる。だからといって最新の技術を使った大量殺人が残虐でないということにはならないが。

 そういえば 一九八九年の天安門事件だってそうした残虐な事件の一つではないかというかもしれない。中国ではこの事件についてはタブーだという印象を受けるが、しかし全く無視されているわけではないことを感じる。改革開放政策が現在のような状態になったのも この事件の影響が大きいような気がする。おそらく公式には触れられてはいないにせよ 暗々裏にはこのときの主張がかなり影響を与えているのではないだろうか。当時の犠牲者の復権は行わずに 主張の実質的な内容を取り入れたということではないだろうか。私にはよくわからないことだが。といってもこの国は制度が特殊だから 内部でどのように問題が処理されたかは伺いにくい。そういえば、この事件で鎮圧の主力だった人民軍というのは 他の国のように国家を守るという趣旨で成立した軍隊ではない。建前からいえばあくまで共産党を支える軍隊なのであって、この国には国家を守る軍隊というのはまだないのである。

 食い物といえば やはり上海との違いがかなりある。主食が米でなかった地域のせいで 粉食のマントウやチエンビン(煎餅)、パオズ(包子)などの種類が多いようである。上海ではいくら探しても見つからなかったウォトウも こちらにきてからかなり頻繁に食べている。これはトウモロコシの粉を使った主食で、ベーゴマというか釣鐘というか そんな感じの円錐形にかためたものである。もともと高級な食べ物でなく貧乏人の食い物とみなされてきたようだが、いま売っているのはさほど不味くはない。以前はこれが食事の中心だった時代もあるとか。そういえば日本でも 敗戦直後はナンバ(南蛮)粉とかいって代用食の材料だった。小麦粉の替りにこれを使うと なぜか惨めな感じが伴った。このウォトウについては 慈禧太后(西太后)にまつわる話が伝わっている。一九〇〇年に日本など八カ国連合軍の侵入を受け逃避する途中 飢えをしのぐため民家で食べたウォトウの味が忘れられず、後にそれを食べたがった。しかし本物のウォトウは本来それほど美味いものではない、そのまま出したら料理人の首が飛ぶ危険がある。そこで料理人は材料を栗の粉に変え 大きさも小さくして出し 無事に済んだというのである。この話、単口相声にある 「珍珠翡翠白玉湯」 というのにモティーフが似ている。こちらは 明の太祖 朱元璋が まだ王になる前 負け戦で逃げる途中 平民の食事を食べたのが忘れられず、王になったあとで この食べ物を所望して騒動を起すという内容だ。オチがどうなっているか聞き取れるほどではないので結末は紹介できないが。この二つの話は無関係なのだろうか。もしかしたら 慈禧太后の話を 朱元璋の話に変えて作ったのではないのだろうか。どうでもよい話か。食べ物の話に戻って、同じ粉食でも こちらに来てから麺類には手をつけてないのでさっぱりわからない。そして上海ではかなり種類の豊富だったチマキ(粽子)は かなり種類が貧弱のようだしあまりみかけない。また上海ではありふれていた八宝飯という もち米で作った甘い食べ物も全くみかけない。野菜も秋まではかなり種類もあって これなら上海と変わらないと思っていたら、冬に入ってから途端に種類が減った。上海では一年中みられた 葉の小さな鶏毛菜というのも 近頃は全く姿をみせない。この小さな葉っぱの野菜を 上海の市場では一枚一枚ていねいに積んで サイロのような円筒形に積み重ねていた。北京では単に小さな束にしてくくっていただけだ。そのかわりこちらには 成長したアスパラガスの葉を思わせる 茴香をよく見かける。これは餃子やパオズの中に入れるのに使われるのだが、私は普通の野菜と同じようにして食べている、これも季節のせいか 最近のは香りがあまりしないようだ。したがって最近は ホウレン草とかハオズ (蒿子 ヨモギ) などをもっぱら食べている。もともと北京など北方は野菜があまりないところで、二十年まえなら 冬中やさいといえば貯蔵した白菜しかなかったと言う。その風俗が韓国に入っていったわけだが、韓国ではいまでも白菜のキムチの役割が大きいかもしれない。もしかすると北京よりかなり保守的なのかもしれない。

 さて、あいかわらず電気や電話の騒動は続いているが、どうにかこうにか解決するめどがつくようにはなった。電話は月のなかばを過ぎると自動的に代金を払えという (内容らしい) 通知の電話が掛かってくる。今月は家主に連絡せず自分で払うことにして銀行に払いこみに行った。電話の契約者の名前が家主の名前になっていないので 最初は支払いを拒否された。その理由は もし払い込んだ電話が自分の使っているものと違っていたら他人の電話代を払うことになるからだという。それでも さすが中国はのんびりしているのか親切なのか、窓口の女性が席をはずして家主に電話して事情を尋ねてくれた。どうやら同じ家族の別人の名義になっていたらしい。それで、次からはこの名義で申請してくださいといって払い込みが認められた。これでわかったのは、電話代はすでに使用した分の代金をはらえばよいことだ。通常の通話とプロバイダーへの接続料が別々に計算されている。合計 75.33元だった。なんだ、これなら当たり前の支払い方ではないか。だとすると 最初の騒動のとき 代金をはらってないからと電話が不通になったのはどうしたわけだったのだろうか。家主が たったこれだけの代金も払うのが惜しくて払わなかったのだろうか。それとも私が入居する以前の分も含めてかなりの滞納があったのだろうか。よくわからない。

 電気代のほうは前回の騒動のとき家主の家族がカードを置いていったので、それを持って銀行に払いこみに行った。度々足を運ぶのも面倒なので できるだけ多めに払おうとしたが、このカードでは960元までしか振り込めないと言われたので その限界まで支払うことにした。係員がカードをパソコンに差し込み カードに金額を記録するのにかなりの時間がかかった。これをアパートの電気のメーターの下にある差込口に差し込めば 記入された金額がメーターの方に記録され、あとはカードを抜けばよい。カードのほうに記録された数字はゼロになっているはずである。まだ残りの代金が残っているときカードを差し込むと 加算されるのか、それともその前までの金額が無効になるのか分からず不安なので、メーターの数字がゼロになってから差し込むことにして保管しておいた。メーターに赤いランプの数字が現れ 毎日減少してゆく。このまま行けば一週間後の土曜か日曜にメーターがゼロになるという頃、家主が隣室の工事を始めた。隣室も同じメーターからの電源を使用している。その土曜日、おそらく夕方の五時ごろ数字がゼロになりそうになった。そこで午後にはわざわざ外出することにした。電気が止まったら隣室でどんな対応をするか見るのが楽しみでもあったからだ。ところが メーターの数字が5を指した昼すぎに電気が止まってしまった。昼食の準備ができないが、そのまま有り合わせですませ 急いで外に飛び出した。夕方戻ってみると隣室の電気が灯っている。私が戻ってきた気配を察して家主が飛び出してきた。カードはどうしたかという。振込みは済んでいるけど どうやって使うかわからないからそのままにしてあると答え、ついでに、この部屋の工事も私のお金を使ってするのですか一言付け加えた。いやいや、払っただけは自分が返すとか言っていたが、その後何の音沙汰もないし、私もそれでよいと思っている。とにかく電気が通じているところをみると 家主は別のカードを使ったらしい。どうやらカードはどれでも共通に使えるらしい。それなら 以前の騒動のとき何時間も電気が止まったのはどういうわけなのかと また疑問がわいてくる。とにかく私のカードを差し込んでメーターに瞬間現れた数字をみると 今まで通りならあと八十日ほどは無事に電気が使えそうな気配だ。

 あと気になるのは水道だが、これも最近検針の係員が訪問して来た。若い女性だ。数ヶ月に一度検針するらしい。メーターの数字をみてかなり驚いていた。いつからここに居るのかという。三ヶ月になると答えると 水道代がかなりの額になるという。おそらく二千元ほどだという。日本円で3万円だ。一月一万円とはたしかに高い。しかし毎日洗濯機を動かし、バスをつかっているから 水道代が高くなっても無理ではないかもしれない。もしかすると水不足の北京の水が割高かもしれない。北京の人があまり風呂に入らない理由もこんなところにあるのかもしれない。まだ水道代の請求書が来ていないが、家主が見たら腰を抜かすかもしれない。これも自分で払うつもりでいる。ここにきて三ヶ月、やっとどうにか生活する要領がつかめるようになったが、もう予定の滞在期間があまりない。手持ちの金も残り少なくなった。帰りの飛行機代さえ残せばよいと高をくくっているが、これもいざとなればキャッシュカードを使えばよい。

 どたばた騒ぎで あっという間に時間が過ぎてしまった感じだ。まだまだここの様子がつかめないことが多い。最近は億劫になって地下鉄で市内に出かけることもないが、地下鉄の乗り換え口のところにたむろしている男性や女性が通り過ぎる間際に なにか話しかけてくる。何か買えというようにも聞こえたが、やがてそれが 「ファーピャオ(発票)」 だと聞き取れるようになった。領収書のことだ。何も買ってないのに領収書とは変だと思っていたら、領収書を売るということだとわかった。ようするに会社などの会計に提出して金を受け取るための架空の領収書のことだ。カラ出張や架空の経費申請のために使うものらしい。これだけおおっぴらに大勢の人間が関わっているところをみると、ここではかなりこうした架空の出費が蔓延しているらしい。現在の改革開放の精神とは相容れないように思われるので、おそらく以前からあるやりかたの名残だと見たほうがよいのかもしれない。実質何の役にもたたない出費が かつてはかなり大量に横行していたのではないだろうか。

 街路で呼びかけられるといえば、やはり通りを自転車で走っているとき 歩道にいる人間が自転車に向かって何か言ってくる。こちらは走っているし すぐ通りすぎるからよく聞き取れないが、ある時には何か一覧表のようなものをつき出して見せるときもある。そして海淀図書城に行くとやはりいたるところから声がかかる。どうやら光?だか DVD を買わないかと言っているらしい。あまり気にとめなかった。どうせ例によって内容のいかがわしい映像をこっそり売ってるのじゃないかと思った。自分がそんなもの必要としているように見えるのだろうかと 自尊心がすこし傷つきもした。じつはそうではないことは最近になってようやくわかった (一安心)。いつも行く市場の古本街の片隅に DVD をうる店がいくつかある。あまり関心が無かったが ある時ふと覗いてみてびっくりした。市内で売っているものよりはるかに品が豊富だ。というより一般にはとっくに品切れになっているものがかなりあるし、十枚、二十枚というセットものもある。しかも非常に安い。どうやら中身は同じらしいのだが 枚数がかなり少ない。信じられないので 試しに自分の持っているものと同じ物を買ってみた。たしかに中身は同じだが 一枚に収められている量がかなり多い。どういう技術だかわからないが一般に売られている DVD の倍以上収録されていて 一枚で二時間以上だ。あるものは元版が二四枚セットだがこの盗版では四枚に収まっている。六分の一の枚数だ。テレビの連続ドラマもかなりあって 現在でも売られているものもある。しかも一般のものが字幕なしなのにこちらは字幕までついている。ただし問題がないわけではない、画像の質が少し劣るのは仕方がないとして、あるものはかなり不安定で 時々放映が中断することがある。それでも値段が一枚六元で一般の半額程度、圧縮度を考えると十分の一程度の値段で同じ内容が見られる。日本と比較すれば二百分の一で同じ内容が見られることになるのだ。これならなかなかいけると思って、二三日後に市場に行った時また寄ってみたら店が閉まっている。それから一度も姿をみせない。そして街頭でこうした盗版を売っていた店でも盗版が姿を消した。どうやら私が買った時は取締りの直前だったらしい。今回の取締りはかなり厳しいらしく 一月近くなるのに彼等は姿を消したままだ。そして海淀図書城のいたるところにいた客引きもほとんど姿を消した。ただ彼らがまったく仕事を放棄したのでないのはもちろんだ。CD や DVD の店の近くに行くと 赤ん坊を抱えた女性がそっと近づいて買わないかと呼びかける。もちろん品物は別のところだから そこまでついて行かなければならない。ただこうやって取締りの厳しいときに わざわざこういう物を買う勇気が出ない。それでも彼らの姿を見ると なんとなくこちらの方がかえって気が咎める感じになるのはどうしてだろうか。いつの時代でも 正義感の強い政治家が世の中の不正を撲滅するために果敢な取締りをおこなって名を上げるが、それによって膨大な人間が生きる道を失ってしまうのだ。といって私はこういう盗版を推奨しているわけではない。替りの なにか対策が伴っていないとうまく行かないのではないかということだ。日本でもかつては海賊版の本が横行したことがあって アメリカなどから再三抗議された。その後政府の援助で 正式契約した リプリント版が出版されたり、日本の経済が向上した結果 そうした海賊版はほとんど姿を消したようである。いまでは新刊でも古本でもアメリカのほうがずっと安い。そのアメリカの古本もヨーロッパに比べるとかなり高いそうだから、本の値段では日本は割高だということになる。韓国はどうなっているのだろうか。私の印象では海賊版の猖獗を極める地域という感じだったが どうだろうか。もちろん学術書の リプリントはかつてほど流行らなくなったが、パソコンのソフトに関するかぎり 只で複写するのがあたりまえという意識が蔓延しているような気がする。だからコンピュータウィルスの伝染地域になりもするが、それ以外にもハングルソフトのアレアが一向に新製品開発ができず実質的に倒産したように 自分たちの産業の発達を阻害する結果にもなっているように思われる。

 そのほか、上海と違っていることでは すでに触れた新聞のこともある。政治の中心地だからなのか面白い新聞がなく どれもまじめなものばかりなので、まともに読む気がしない。それでも毎日新聞を買うことにはしているが、たいてい他の人が先に読んでしまう。買うのも最近ではもっぱら朝刊の 『新京報』 だけだ。新聞売り場の女の子も 私が行くと、先方からこの新聞を差し出してくる。こうなると毎日通って買わざるを得ない。ほかの新聞が五角とかいうのに この新聞は日刊なのに一部一元と高い。そのかわりページ数は多い。十一月十一日が創刊一周年とかで この日の新聞は広告もあわせて三百五十二ページという馬鹿げた厚さで 値段は二元だった。まじめな内容ばかりで面白くないと思っていたが、それでも探せば妙な記事が見つからないわけでもない。

 北京市では 今年の一月から十月の間にマンホールの蓋が二万一千九十個もなくなったという (11月23日)。北京市のマンホールの蓋全体の三十分の一だという。これ等がみな盗まれたのである。昨年に比べて三千個も多いとあったから 毎年マンホールの蓋が大量に盗まれているということだ。これだけ大量に盗まれるということは それだけ換金するルートがあるようにも見えるが、公のものだけにそう簡単に売りさばくことはできないはずだ。記事にも廃品業者が大胆に回収することはないとあった。マンホールの蓋の窃盗容疑で捕まった人間は 今年だけでも一千人を越すとあったから かなり大量の人間が関わっているらしい。そして彼らは 偸んだ蓋をいったん砕いてから売り払っているらしい。紛失した量の膨大さだけ見れば組織的犯罪の印象を与えるが、実際は零細な こそ泥的な犯罪によるもので、それだけ切羽詰った人間による犯罪だということなのだろうか。そして毎年それだけの蓋を再度用意して補充しているということは 北京市の財政的にかなり無駄な出費を強いていることを意味するが、こうした行為が毎年繰り返されていることは、結果的には北京市がこうした窃盗犯の生活援助を行っていることになっているわけである。それにしてもマンホールの蓋を盗むという発想が私にはなじめない。蓋のないマンホールほど危ないものはない。

 そういえば漢語の教科書に 夜自転車に乗っていて蓋のないマンホールに落ちて重傷を負ったという一文があった。街路が暗く自転車にランプがついてないのだから 危険このうえない。そういえば七十年代のソウルで蓋のないマンホールを見かけて 韓国人に危ないじゃないかと言ったら、即座に韓国人は絶対に落ちませんと答えてきた。落ちないわけないじゃないかと思っていたら 案の定、八十年代だったか蓋のないマンホールに落ちた老人のことが新聞に載っていた。なんだ韓国人でも落ちるじゃないかと思ったが、その記事はその危険性を扱ったものではなかった。落ちたあと いくら助けを求めても反応がなかったので 自力でマンホール内の暗闇をさまよい 飲み水のある場所を見つけ 一週間も生存していたという内容だった。韓国人の生命力の強靭さを印象付ける内容だった。もしかすると 韓国人は日本人などよりはるかに生命力に富んでいるのかもしれないという思いがすることがある。度重なる悲惨な歴史を体験してきただけに それだけそうした例が多くなるのかもしれない。関東大震災の虐殺事件で死体として処理されたあと 生き返って助かったという手記だったか記録を読んだ覚えがある。それから数十年後、朝鮮戦争の時の人民裁判で死刑になり死体として処理された 金基鎮が生き返った話はかなりよく知られている。蓋のないマンホールに暗い街路、そしてランプのない自転車というのが恐い。台北でも上海でもここでも 自転車にランプの付いているのを見たことがない。日本ではたしか違反になるはずだ。むかし警官が電柱の陰に隠れていて 無灯の自転車が来るたびに飛び出して捕まえ成績を上げていたという記事を読んだ覚えがある。違法摘発の件数が増えるほど手当てに反映されるとかだった。二人乗りもよく捕まった。その後 あまり熱心でないように見えるのは、小物の検挙よりも公安関係のほうが点数が高いからだと聞いたこともある。北京では警官が夜乗っている自転車にもライトが付いてないから 違反ではないのかもしれない。

 まじめな記事でも興味深くないわけではない。何時の記事だったか 北京市の胡同のトイレをオリンピックまでに改良するとあった。市内では 最低五百メートルに一つはトイレがあるようにするとあったように記憶する。ということは 五百メートルというのがかなり短い距離ということなのだろうか。かなり急いでいる時 一番近いトイレが五百メートルというのはどんな感じなのだろうか。それでも公のものはこうして改造されるにしても、一般の会社やビルのトイレはどうなるのだろうか。北京大の南にある書店 「風入松」 に行った折、そこのビルのトイレに入ったら、元来 扉の付いていた大便用のトイレの三つとも 蝶番のところから扉を取り外してあった。いくら改造してもこうやって扉が取り外されたのでは いつまでたっても変わらないという感じもする。女性用の方も同じように扉が無いのだろうか。といってもこういう話題は慣習の問題なのかもしれないから、なにが本来のありかたか論じても始まらないのかもしれない。西欧だって一緒に並んで話をしたり 除きこみながら用足ししすることがあるらしいし、日本だってついこの間まで 男性は街頭で用足しするのが当り前だった。もちろん太古の昔、大自然の中では当たり前だったろうが、都会の整然とした街路でもその名残が残っていたのだ。それでよく被害を受ける壁や塀には鳥居の絵を描いてあったが あれは何のまじないだったのだろうか。韓国ではそのものずばり鋏の絵を描いてあったような気がする。男だけではない。女性だって表で用足しするのをはばからなかった。私が小学校のころの東京での話だ。登校途中の道端でおばさんが中腰になって用足ししているのを見た記憶がある。男のタチションベンあたるのは 女性ではああいうかっこうするんだなと思った覚えがある。そういえば朴婉緒の書いた文の中に 人通りの多い明洞のミドパ百貨店の前の道路にしゃがんで用足しする女性の荘厳な表情を述べたものがあった。どっちにしても 改革開放と言いながら政治的にか経済的にか何かの思惑があるときには 伝統がどうのと固執してはいられなくなるだろうから 結局は行き着くところに落ち着くのはたしかだろうが。

 その改革開放のせいかどうかわからぬが、中国のエイズ患者が かなりの速度で増加の傾向を見せているとあった (12月1日)。公式統計では 現在の感染者が八十四万ほどで 感染率 0.07%だから まだまだ少ないが、今年九月までのあらたな感染者の数は約三万人、新たな病人は九千六二十人で、昨年の新感染者二万人強にくらべかなり上昇している。最近の傾向では 麻薬や売血で注射器によるもののほか 一般人や同性愛者の間で広まる傾向があること、女性の感染者が 40%で 統計を取り始めた一九九八年の 15.3%にくらべ急速に増加していることなどがあげられている。地域では麻薬に関係して雲南省が多いが 西のはずれの新疆でもかなり多いのはどういうわけだろうか。売血なのだろうか。概して南のほうが感染率が高いようだが、北では河南省が高く、北京も周辺に比べると少し高い。この統計はどれほど実情を繁栄しているのだろうか。台湾でもそうだったが ここでも長期滞在者は入国の条件としてエイズなどの検査を要求されている。それで 最初は台湾ではかなりエイズの予防に力を入れていると思っていたが 後で聞くとかなり蔓延しているということだった。ここ中国では男女の道徳に関してはかなり旧式で 違反者に対しては社会的に厳しい制裁が加えられてきたところだが、ことこう言う問題に関して建前だけですますわけにゆかぬだろうから 実質的な調査が必要なはずだ。だから建前の上では存在しない男性同性愛者に対する対策も必要となっていて 統計に反映されているのではないかとおもう。聞くところでは 最近の中国での離婚率は十%にもなっているとか。男女の関係もかつてとは様相がちがうのかもしれない。ある大学の博士課程の寮では ほとんどの学生が同棲しているという。二段ベットで暮らしていて 互いに私生活のない寮の学生たちの同棲生活なんてどんな様子なのか分からないが、これも公衆便所の風習と関係しているのだろうか。

 最近の新聞記事で傑作だったのは 牛肉麺 (肉ウドン) の店の看板をめぐる騒動ではなかろうか。私は最初 この記事をみて 何が問題になっているのかわからなかった。記事の横にある写真では 「牛碧蘭州牛肉麺」 とあって経営者はこの 「碧」 を 「緑色食品」 の意味で採用しているというような説明がある。記事によれば この店のような俗悪な店名は絶対に許せないという抗議が殺到していているが、経営者の方では、上海ではすでに正式登録も済ませてありうまく行っている (用得好好的) ので 何の問題もないと言い、さらに 「その実中国の文字の意義は源が遥かで長い時代を有す、一つの言葉に対してもそれぞれの人によって理解が皆違う。ある人が店名についていささか風変わりだといってもそれがその言葉の意味を代表するわけではない」 などと言っている。たかが牛肉麺の店の名前でこんな言語論争が起きるなど さすが文化の伝統のある中国らしいと思ったら大間違いだ。この記事を見せたある中国人は そくざにそっぽを向いて説明を拒んだ。ということはそんなに深遠な内容ではないのだ。問題は店の名の頭につけた 「牛碧」 だこれは 「牛B」 と書いても通じるらしい。漢語でもアルファベットの発音は 韓国語と同じで濁音はないから、無気音か有気音だ。結果としてこの 「B」 は無気音である。言葉遊びでは、多少発音が似ていればたとえ四声が違っていても通用したりするので、類推はさまざま可能だ。たとえば 「鳥」 はかなり猥褻なことばとして扱われることがあるが そのときの発音は頭の子音は 「n」 でなく 「d」 である。というようなことを語り始めたのは、この記事で問題になっている言葉も 一般には表立って堂々と使いにくいある種のことばだということだ。実はこの言葉、一般の辞書で探すのは大変だが、北京語を解説した辞書に載っていることは載っている。ただし見出し語ではなく説明の中でだが 「牛逼」 という言葉があり 穢言、吹牛という説明がついている。吹牛というのは普通の用法では法螺を吹くことだが、もちろんここで問題になっているのはそんな生易しいものではない。ただこの辞書では穢言といっているから 罵りなどの言葉として使われるといった程度なのだろう。一般の辞書ではこの程度にしか出てこないが、おおよそ類推の働く人にはもう分かるではなかろうか。韓国語でも小学生まで使う例の罵りの言葉 「×phal 」 という言葉の元の意味は おおやけの場ではちょっと口にできないものだ。そういえば この口にしにくいこの韓国語に該当する漢語は 「操」であり 小説などでお目にかかることもあるが、最近の若者は 「靠」 を使うらしい。この二つの漢字は頭の子音も四声もことなり 母音が共通するだけなのに 似た音とみなされているというからわからない。漢語の発音を外国人が感じとるのは かなり難しいのかもしれない。ここで問題になっている言葉も同じである。隠語というのは日陰で使われるだけあって 時代や社会によって次々に形を変えて行きかなり多様な変化を示す。日本語でも 『陰名字彙集』 が存在するゆえんである。いま問題になっている 「牛逼」 もあるときには 「逼」 とも使われ 発音がそれぞれ違っていても同じものをさす。そしてそのものずばりなら 「逼」 の替りに 「尸」 の中に 「穴」 を書いた漢字で置き換えてもよい。発音は変わらないが 「穴」 という字があるのでほぼ類推はつくと思う。この妙な字は 『笑府』 や 『笑林広記』 などの艶笑の部分に使われているから由来のある字であるはずなのに 漢和辞典などには出てこない。もちろんワープロでも打てない 日陰あつかいの字のようだ。言葉の由来が分かってみると、たしかに北京でこの店の名前に抗議が殺到したというのもうなずける。日本でも、もし牛丼の店の名前にこの類の言葉が使われたと想像してみればよい。とても食べる気になどならないという人が出るに違いない。ところが中国ではそれを実行した経営者がいたということである。しかし、この記事によれば上海では特に問題にされたことがないらしいので 方言の問題もからんでいる可能性もある。この手の言葉が方言によって違うかもしれないからだ。これは日本でも同じだ。私は親の仕事の関係で引越しが多くて 通った小学校も四ヶ所に上るが、そのたび毎に罵りのことばが違っていたように記憶する。この記事で問題になっているものを表わす言葉だって 東京と大阪ではまったく違っていて三文字が四文字になったりする。そういえば昔テレビで 「名犬リンチンチン」 という名作があって視聴者を非常に感動させた。ところが九州のある地方、どこだか忘れたが、話してくれた人がウドンを鼻からすすって口から出す芸当の持ち主だったことだけは覚えている、そこではこの 「名犬リンチンチン」 というのがとんでもない題名だということで、とても感動するどころではなかったと聞いた。とにかくこんな記事が出た当のこの店では 客の入りははたしてどうなのだろうか。

 最近本はほとんど読んでないので特に話をすることがないが、三聯書店の出している 『読書』 に二ヶ月連載された 李零 「中国歴史上的恐怖主義:刺殺和劫持」 は面白かった。表面上は中国の歴史上のテロリズムの紹介のように見えるが、最近のアメリカを中心とするテロリズムの話題をかなり冷静に扱った内容ともなっている。もう紹介する余裕もないが、結果としては現在のテロリズムが決して新しいものでも特殊なものでなく 昔から何も変わっていないこと、テロリズムという言葉の使いかたが非難の意味を帯びているように見えるが、アメリカを始めとして大国小国の別を問わず テロリズムを否定した行動を取った国家や団体など いまだかって無かったことなど、さもありなんと納得させられる。ただし一方ではこうした冷静な態度が実際の世界で説得力を発揮することはないだろうという気もする。実際に行われている政治では 論理や正義など全く関係はないし、どんなに卑劣だとか欺瞞であると言われても 所詮は宣伝力も含めてあらゆる手段を動員して実力で押し切ることのできる勢力が勝っている。話し合いというのは文字通り時間かせぎに互いに話をしているだけであり、その間に背後で何をどう展開するかの問題でしかないわけである。