三枝壽勝の北京通信


三枝壽勝の北京通信 2004. 09月 (2004/09/10)

 今、私は北京にいる。たぶんしばらくはここにいるだろうから 今回からしばらくこの便りは北京から送ることになりそうだ。

 突然決心して上海を引き揚げてから、次の行く先を北京に決めて手続きをしていたが、どういうわけだかいろいろなことがうまくゆかずだいぶ落ち込んでしまった。といっても完全に拒絶されたわけでもなく、行こうとすれば行くところが無いわけではなかったので、再度の中国行きを断念する必要はなかったのだが、どうも最近は精神状態が不安定でちょっとしたことに動揺してしまい、最後まで行くか行くまいか、行くとすればどこにするか決断がつかず迷いながら成田を発つことになった。

 北京に来てからも落ち着くまでかなり時間がかかった。まず宿がない。事前に上海と北京での滞在費用については予想をたてていたので北京では生活費がかなり高くなることは覚悟していた。大学にある寄宿舎などは 上海で私がいたところに比べ二三倍であることも分かっていた。といっても施設がかなり良いわけでもなく 却って劣るぐらいである。北京にある大学の留学生宿舎のうちには 民族大学のようにホテル並みだとかいわれるぐらいりっぱなところもあるが、それ以外ではそれほどでもなく、まだ二人部屋のところも残っている。部屋では自炊どころかポットで湯を沸かすのさえ禁じられているとか聞かされていたので かなりの不便だとも予想していた。上海では自炊のため かなりの時間をとられたので、多少の不便はあっても外食で時間の節約をはかり、そろそろ中国語の勉強でもまともにしようかと思っていたのだが、まさかその泊るところが全く無いとは予想してなかった。大学内の賓館やすこし高級な宿舎はどうやら白人優先で割り当てられているらしく 常に満員だという。それなら周辺の安い民宿とか宿はどうだろうかと当っても、どこも満員だというのである。そうはいっても高価な観光客用のホテルに泊るほどの余裕があるはずはない。いったいどうしてこんな状態になったのだろうか。

 どうやら北京では現在 外国からくる留学生がすさまじい勢いで増加しているらしいのだ。昨年の北京にいた外国人留学生は 5000人だったのに、今年は 8000人に増えたという。そのうち 4000人が韓国人、2000人が日本人で 残りはその他の国からだという。はたしてこの数字が信用できるかどうか分からないが、おおよその傾向は当っているのではないかと感じる。中国全体での留学生でも一番多いのが韓国人であり、日本人は韓国人の半分ほどと言われているからだ。一言で 8000人というが この数字がどの程度のものか見等がつくだろうか。たとえば東京都では 増えすぎたカラスの公害に対して数年がかりで二万羽以上のカラスを捕獲して 現在では 7000羽あまりになったという。それでもまだカラスが住宅地を飛び回ってゴミをあさったり人間を襲ったりするといって騒いでいる。ところが人口がほぼ同じ程度の北京市における外国人留学生の数はそのカラスの数よりはるかに多いのだ。しかも彼等のほとんどは北京大学、精華大学、語言大学など多くの大学が集中している 北京の西北部の海淀区に集中して住んでいるのだ。したがって彼らは東京都のカラスの何倍かの密度でこの地域に密集して生息しているわけだ。もし中国政府が留学生は全て黒い服を着ろとか、外国人であることを示すマークをつけて歩くことを義務付けたとしたら その光景の異様さはどれほどのものになるだろうか。しかも中国では9月が学校の新年度の始まりなので、8月の中旬から9月末まで新入生など学生が押し寄せる時期だから、これらの学生に対する宿舎の割り当てが一段落したあとでないと 宿舎の空き状況が確定しないというわけだ。したがって私は時期的に一番悪いときにやってきたことになる。

 こうした留学生の増加と無関係ではないのだろうが、この地域に来て感じるのは、いたるところにみられるハングルの氾濫である。通りをちょっと歩くだけでも 飲食店とかカラオケ、喫茶店などだけでなく スーパーやコンビニ、美容院、コンピューターサービスなどなど実にさまざまな店の看板がハングルで書かれている。さすが北京大学では見かけなかったが、留学生が圧倒的に多い語言大学では 大学内に韓国語の通じる韓国食堂がある。もちろんそのほかにウィグル族向けの食堂もあるにはあるが それは中国の回教徒の少数民族用のものであって外国人留学生を対象にしたものではない。しかしハングルで書かれた店のほうは中国内の朝鮮族向けではなく、あきらかに韓国人留学生向けなのである。そして街に出るとなによりもハングルが圧倒的に幅を利かせているのが不動産屋なのである。いたるところにアパート紹介の不動産屋が事務所を構えていて、どれも例外なくハングルと漢語の両方の併記である。これらの店は外国人である韓国人の経営によるのではなく ほとんど中国の朝鮮族によるものだという。聞くところでは以前は彼等の喋る言葉は北のアクセントだったが 今ではすっかり韓国式の発音に変わってしまったという。たしかにちょっと話しているだけでは韓国人と区別がつかない。少し早口になったりすると北のアクセントが出たり、たまにサラミでなくサラミガなどという言い方が出るのでそれとわかる程度である。これだけ韓国語が氾濫しているだけに、ここでは漢語をしらなくても韓国語だけで生活することが可能らしい。というより中国語がまだ流暢でない段階では英語や日本語だけでは日常生活はほとんど不可能だとすれば、ぜひとも韓国語を知っていなければ ほとんどのことが解決できないということになるのである。日本人の留学生の数が韓国人の半分だとすると 日本人向けにも日本語で通じるこうした店があればすべてが簡単に解決するのだろうが、残念ながら中国籍の日本人少数民族などいなのだ。したがってこれは不可能である。中国における韓国人と日本人の位置は根本的に違いがあり、おそらくこの違いは歴史的な由来を持っていると思われる。日本と違って朝鮮はそれほど中国に近いのである。

 というわけで 私も全面的に韓国語の通じるこの世界のおかげを蒙ることになった。さしあたって臨時の宿舎は、まず3日だけ空いているという民宿に入ることができた。バス・トイレ・冷蔵庫・レンジ・洗濯機つきで一日 150元である。決して安いとは言えないが、それでも大学の学生寮の一番高いものと同じ程の値段だから、条件はこちらの方がずっとよい。しかも一月単位の長期の滞在者なら一日 80元になるというのだから益々条件はよい。ただし当面は長期の予約者で空きがまったくないという。偶然空きができたので私が入れたということらしい。どうやらここは おそらく日本人にもよく知られているところらしく、日本人らしい人が出入りするのを見かけた。その三日の間に宿舎を探さねばならないのだ。あちこちにある不動産屋の紹介でさまざまなところを見せてもらった。お化け屋敷のようなところも見せてもらった。ただ私の場合、圧倒的に不利なのは一年以上の契約でないと家主が難を示すということだった。不動産屋のアドバイズでは、こういうときは一年の契約をしておいて 途中で事情を話し代わりに入居する人を探し出してくるか、事情を話して二ヶ月ほどの損兩を払って出るとかの手を使えという。しかし気持ちがかなり落ち込んでいる状態では そういう前提で入居したあと家主と交渉するという勇気がどうも出そうにもない。そのうえ臨時に入っている宿の宿泊期間の延長が不可能とあって 段々あせってこざるをえないし、弱気にもなってくる。やっとこちらの条件を承諾してくれたそうだということで見せてもらった部屋が悪くないので 決めるつもりになった。無理を言って遠方にいる家主にきてもらい契約するということになった日の夕方は 不動産屋で待機することになった。ところがその不動産屋に、以前の借家人が来ていて、どうも何かトラブルがありそうな気配がする。時間が切迫しているときにトラブルに巻き込まれては解決するまで待つだけの余裕もない。もう日も暮れてしまっている。万一のことを考え、さらにもう一軒の不動産屋を当ることになった。幸だったのは、その不動産屋では職員が全員で手分けをして電話をかけまくってくれた結果、ついに条件を承諾した家主を見つけ出し、夜になっているのにそのアパートを見ることができ、即座に仮契約をすることができたことである。問題のアパートのほうにはことわりの連絡をする。翌日の朝、宿を引き払いそのアパートで正式契約をしてようやく住家のほうが一段落した。

 北京大や精華大そして語言大からも近いこのアパートは バス・トイレ・キッチンに冷蔵庫・レンジ・テレビつきの上、家主が貸してくれた電気釜や電気鍋まであるので 生活には不自由はない。部屋は一部屋だがかなり広くて 日本の我が家のように手を横に広げると壁にぶつかるなどということもない。家賃は臨時に3日泊った宿の3分の2だから 安いのかもしれない。電気・ガス・水道・電話代は家主が、一々払うのがめんどうだから一括して毎月一律 300元にして使い放題ということにしたらどうかと提案してきたので、それなら非常に楽だと承諾したが、これがあとで述べるようにさっそく問題を起すことになる。水道の水は信用できないというので 飲み水は大きな瓶に入った水を配達してもらって使うことになった。最初はどこに頼んでよいか分からないので、前の人の使っていた水の瓶に印刷されていた水の製造元に電話したら、近くの配達業者に連絡してくれて さっそく水を運んできた。あとで気がついたが、このアパート団地の中にも業者が店を出しているので そこに頼めばたいして手数もかからなかったのだ。一瓶 18.9 l で 14元だ。部屋の東の窓側の前方には 地下鉄 13号と呼ばれている高架鉄道が走っており、その下を鉄道も走っている。駅までは歩いて5分ぐらいだ。結局また自炊を始めることになったので、まずは市場が問題だが、すぐ近くとまではゆかないが、それでも鉄道の線路を横切って歩いて5分ぐらいのところにかなりの規模の市場がある。この鉄道の線路、踏み切りなどないので 誰もがてんでんばらばらに線路を横切っている。すぐ目の前に列車が近づいているのに 自転車をかかえて渡っている人がいたりして 見ているとはらはらする。上海にいたときに比べれば スーパーや市場が近くにふんだんにあるというわけにいかないので 選択の余地がなくなった。そのうえ上海とちがって このあたり朝がかなり遅い。市場はようやく7時ごろになって野菜を運び入れる人の出入りが盛んになって活気を帯びてくるし、スーパーはようやく9時になって店開きだ。これから時間の使い方をかなり変えねばならない。新聞売りのスタンドなど7時になっても窓をあけてない。アパートでみていると このあたりでは新聞を自宅に配達してもらっている人もかなりいるようだ。ところで買い物をして気がついたのは 北京では上海ほど小額の硬貨が使われていないということだ。ほとんど紙幣である。流通している通貨に差があるのだろうか よくわからない。

 このアパートは建ってからすでに数年経っているのでもう新しいとはいえないが それでもこの付近では高級アパート地帯に位置している。入居してから市場やスーパーに行く時、団地の内側を歩いてまわりながら外に出ると、この団地の中の様子がよくわかる。とにかく街角でと同様に、団地の中にもさまざまな店がある。喫茶店・スーパー・不動産屋・美容院・学習塾・果物屋などのほか郵便局もあって土日も休まず しかも海外にも荷物を送れる。これらの店でもやはりハングルが幅をきかせている。驚いたのは 私のいるところより規模が大きく新しいアパートの入居事務所など ハングルで堂々と看板を出していることだ。おそらく留学生だけではなく かなり大量の韓国人がこの一帯に住んでいるらしい。このあたりのスーパーでも韓国の食料品を専門に売っているのだ。もし最初からこういうことが分かっていれば 宿舎を探すのがもうすこし楽だったかもしれない。街で見つかる不動産屋とちがって こうしたアパート団地にある不動産屋なら即座に手持ちの部屋を確認できるのでないかと思われる。そのほかに幼稚園もあるし、あちこちに公園があって母親や老人に連れられた幼児があそんでいる。若い母親がかなりいるところを見ると 職場に通わず専業主婦の女性も多いのだろうか。そういえば乳母車と押す母親が幼児の手を引いて歩いているのをみたから 子供が二人以上いる余裕のある家庭も多いのかもしれない。そういえば最近の新聞でも 生活水準の高い人達に子供が沢山いることが問題視されていた。彼らは罰金にあたる金を何十万でも払えるし、ある場合には国籍をアメリカにして国内で暮らすという手段をとっている人もいるらしい。どれも法律的には違反ということにはならないが、生活に余裕のある家でこうした傾向がひろまると 中国の人口政策の根本が崩れかねないということらしい。それとは事情がまったく違うが農村でも子供を沢山生む傾向があるという。農村では老後の生活の保障がないので結局子供たちが多くないと生活に不安が残るということらしい。

 このアパートに入って一日目だかに 電話が通じなくなった。家主に電話したが どうも言葉が通じない。入る前にそのことについて 何かちょっと聞いたような気もするが よく分からなかった。仕方なく紹介してくれた不動産屋に連絡してわかったのは、ここの電話は電話会社にあらかじめ払いこんだ分だけの電話が使用できるらしく、継続して使うためには払い込んだ代金が無くなる前に振り込んでおかなければならないらしい。家主が電話代の振込みを忘れていて 電話が切られてしまったのだ。家主に連絡がついて二時間ほどで電話が通じるようになったが、そのあとまた電気についても同様の事件が起きた。朝起きてからしばらくして電気が切れた。冷蔵庫も動かなくなった。こんどは最初から不動産屋に連絡した。そこからアパートの管理事務所に連絡がゆき、さっそく人がやってきた。メーターをみるなり、電気がなくなってるから電気が来るわけないと言う。なんのことかわからない。彼にたのんで家主に電話してもらったが、いったいどうして電気がなくなったというのかわからない。ようやく説明を聞いてわかったのは、この場合もあらかじめ振り込んだ代金だけの電気が使用できる仕組みらしい。家主がいったいいつ振込みをしてくれるのか それもおぼつかない。その上 あいにくその日は日曜日だ。銀行は休みのはずだから普通には振込みができない。また不動産屋に連絡をした。彼らは日曜でも仕事をしていたが、この日は実によくやってくれた。とにかく日曜日に振込みの出来る手段を探し出し 電気が通じるようになるまで事務所で待機してくれた。この日はようやく夜の 10時半ごろになってやっと電気が通じた。いったいどうやって振込みをしてくれたのか、自動振込みを使ったのかもしれないが はたして家主の代わりに誰かを探し出して頼んだのか、よくわからずじまいだった。この騒動でわかったことは、私の入っているこの部屋は他の二部屋の入居者と同じ電気のメーターを使用していることだった。最初家主が電気代など一々払うのが面倒だろうから一括して自分が払おうといったのも、最初から個別に徴収できない仕組みになっていたことが分かってしまえば、さほど感謝する必要なかったのかなとも思ってしまう。それからここでは一旦契約を済ませ契約金も払ってしまったあとでは、家主に部屋の欠陥を直すとかの要求をいくら言っても無駄らしいということもわかった。こういう要求は正式契約を結ぶ前、金を渡す前に要求しておかねばならないらしい。といっても私には現在のこの部屋は 日本での生活を考えるとあまりにも贅沢で 不満は何もない。とにかくこの不動産屋には実にいろいろなことで世話になった。パソコンでダイヤルアップがうまくいかないときも 彼等にたのんで来てもらった。結局この電話線はパソコンを電話器と並列につないだままではかからないことがわかったが、最初は事情がわからず、近くのパソコンサービスセンターに行ってパソコンの点検までしてもらって異常ないことを確認した。どれもこれもすべて韓国語の世界においてであった。こんな生活をしていては漢語の方は全く進歩しないかもしれない。

 また何日か経ってからだ。部屋の戸を叩く音がする。開けると三人の男が立っている。契約書を見せろという。言葉がよく通じないかもしれないことを予想してか、あらかじめ紙に同じ内容の言葉を三カ国語で書いたものを用意してある。英語に韓国語に中国語だ。日本語はない。いかに韓国人が多いかということがわかる。契約書を見せると、家主の名前や家賃などを記入した紙を置いていった。どうやらアパートの管理所からの人間らしい。あとでみると税金を払えと書いてある。また不動産屋に連絡して事情を聞いた。これは家主が払うものだという。どうやら外国人にアパートを貸している家主はそれに応じた税金を収めることになっているらしい。おそらく最近の制度ではないかと思う。中国人自身が自分達の家を持つことができるようになったのでさえまだ十年あまりだから、外国人がこうやって個人で契約してアパートに入れるようになったのはつい最近なのかもしれない。現在の中国の政策の変化が影響しているわけだ。こうやって外国人が自由にアパートに入れるようになった見返りに、税金にあたる金を徴収しているのだ。そういえば最近ではこうした不動産を大量に所有してかなりの財産のある人も多いと言う。アパートをいくつか持っていて、その部屋を改造して民宿として外国人旅行者を泊めている人もいる。以前には考えられないような変化が中国人の生活の様々な面で起きているらしい。

 まだ北京の生活が落ち着いたわけでもなく これからずっとこうして暮らしてゆくかどうか自分でもまだ自信はない。それでも上海から北京にやってきてよかったと思っている。まだ来て日が浅いにもかかわらず上海との違いをかなり感じる。もちろん上海にせよ北京にせよ、その全体を見たわけではないので比較がなりたつかどうかもわからない。単に自分の住んでいたところに関して比べているだけかもしれないので、この大都会そのものの違いにはならないのかもしれないが、それにしても歴然とした違いがあるのは感じられる。もし上海しか知らなかったとすれば現在の北京、しいては中国について誤解を抱いたままで終わってしまった可能性もあると思っている。やはり何事にせよ自分の目で確かめることは大切なことだと思う。上海と北京はたしかに対照的に違っている。

 まず北京について感じたのは道路が広いこと、そして車がかなりの速度で走っていることだった。いまのところ見たかぎりでは、すくなくとも表通りはどこも恐ろしく広くて長い。そしてよく整備されている。上海の道路のように継はぎだらけということもないし、自転車専用の路線も広くて、たとえリヤカーが逆進してきても十分にすれ違える。とにかく 道路も建物もとてつもなく規模が大きいという印象だ。そういえばビルデングの名前も 「○○城」 とか 「○○大厦(ターシャ)」 という名前がやたら多い。なかには 「○○城大厦」 とつけたのもある。建物がとてつもなく大きいのに道路や広場がそれに輪をかけて広いものだから、暑い日差しの照りつける中を歩くと日陰がなくて 痛みを感じるほど暑い。私が見ている地図にはなぜか縮尺がついていないので判らないが、中心部を比較すれば北京はたしか東京よりはるかに広いだろうと思う。しかも道路を歩くと交差点から次の交差点まで延々何百メートル、もしかすると一キロもあって 途中で横に曲がることのできないことがある。だからなのか北京では胡同 (フートン) と呼ばれる路地の果たす役割が大きいのかもしれない。街だけが大きいわけではない。人間も大きい。少なくとも上海では外に出てもそんな感じはしなかったが、北京では背の高い人が多いなと感じる。地下鉄に乗って見回すと 頭上にある吊革の鉄棒より頭が上に出ている人が何人もいる。北京大の構内でも学生たちがたむろしているところに近づくと 見上げるような背の学生が何人もいる。1メートル 80 どころか2メートルはあるのではないかと思うほどだ。こうしてみると日本人は確かに小さい。倭国の倭が矮と解釈されても文句はいえないなと感じてしまう。上海は南方系だから日本人と似ているのだろうか。そういえば顔つきも違っている。北京はどこもかも広くて 規模が大きくて 歩くには非常に疲れるところだ。北京大の周りを自転車で一回りしたが、歩いたら一日かかるのじゃないかと感じるほどだった。とにかく北京で感じたこのスケールの大きさは中国という大国をよく象徴しているようにも思われるのだ。

 私が見た限りではどこも道路が整備されていると感じたが これも最近のことかもしれない。一二年まえまで舗装もされてなかったところが今ではきれいに舗装されているそうだから。表からみると非常に整備されていても 裏に回るとまったく様子の違っていることはありそうな話だ。一度天安門近くの西単にある北京図書大厦という大きな本のデパートに行ったときだ。まだ開店の8時半には早い時間で開いてなかったので 少し近くを歩き、建物の後ろにある胡同に入った。曲がりくねった路地を十メートルも行かないところに公衆便所があったが、それは全くの在来式のもので、囲いどころか何もなしで 男が一人しゃがんで用をたしていた。彼に背を向けて用を済ませたあと外に出て周囲をみると、至るところにゴミが散乱していて、壁にはここで用便するなと書いてあった。だから北京ではとてつもなく新しく洗練されてスマートな面と 古い所が まだ共存しているのはたしかだろう。新しい姿の部分については 私の印象では上海よりもはるかに垢抜けているのではないかと思う。上海の新しい建物については最後まで釈然としない感じを抱いたままで終わったが、今になって思うとあの上海のモダンニズムというのは 前世紀の二三十年代では最先端だったろう、そんなスタイルではなかろうか。現在ではいささかグロテスクな感じさえなくはないあのデザインは どこか旧ソ連のスターリン様式を思わせるところがあるように感じるのだが どうだろうか。それにくらべると北京の新しい建物ははるかにすっきりとしている。空間がやたらに広いせいもあるのだろうか。いずれにもせよ北京が古い歴史をもった都市であるだけに 古いものがすっかり消えてしまうことがありえないことも当然だろうが。今私がいるこのアパートの付近でも、北側と南側では大分様子が違う。そして市場に行く時 越えて行く線路わきには 毎朝、馬車に西瓜などを積んで売りに来る。馬車を挽く馬が同じでないところを見ると、何頭かの馬がこうした行商に使われているらしい。あるときには二台の馬車が通りかかることもある。昼近くなると馬車がかけ足で戻って行くのもなかなかよい風景である。都会の中の馬車ということで、私はふと 1960年ごろ京都の繁華街 河原町通りで荷物を積んで挽く馬車を見ていて 馬の放尿のシブキを浴びたことを思いだした。

 人間が大きいせいなのか 上海にくらべると人間もどことなくおっとりしているような気がしないでもない。地下鉄に乗る時でも上海ほど先を争って乗ろうとはしない。やはり上海はどことなく日本の関西に雰囲気が似ている。その地下鉄はそれほどデザインが優れているようには感じないし、自動改札と手動改札とが混在していて妙な具合だが、上海に比べると乗りやすい。上海では駅についてもその駅名がよく見えないし、次どこに停まるのかもよくわからなかったが、ここではどこについても良く分かるし、乗る前にも至るところに路線図があって 自分がどちら側に乗ればよいかすぐ分かる。実用的という点でははるかに上海に優るように思う。ところでその地下鉄のドアには、もたれると危険だからという注意書きが貼ってあって、例によって人差し指がドアの両側を指さしている。ところがその人差し指の先端に赤い×印があって そこから血が滴っているではないか。それを見て一瞬貧血を起しそうになった。あまりにも生々しい。関西の電車で昔見た 「指詰め注意」 という注意書きの標語をまた思い出してしまった。私が二度目だか三度目に地下鉄に乗ったときには 席に坐っていた若いカップルのうちの男が立って席をゆずってくれた。非常にさわやかだったが、自分があきらかに同情にあたいする老人なのかと考えると複雑な気分がしなくもない。

 まだ来て間もないので 北京の市内については一部の本屋以外には見物もしていない。自転車も買ったが さすがこれだけ広いと自転車で市の中心まででかけようという気もおきない。ただいくつかの本屋を覘いてみただけだが、やはり北京は上海など比べ物にならないということを痛切に感じた。とにかく本格的な本屋が多いことと 置いてある本の種類が圧倒的に多い。市内では有名な王府井の通りの入り口に大きな王府井書店という本のデパートがあり、そこから北に上がると順に商務印館書館、外文書店、そしてかなり北に三聯韜奮図書があり それぞれ本格的な書店だ。そして西単の入り口には北京図書大厦という本のデパートがある。ここは本だけでなく CD や DVD などの売り場もあるが 置いてある商品の量がまたすさまじく多い。といっても私はドキュメントなどの映像資料を探しているからそう感じるのかもしれない。映画についてはすべてそろっているとはいえないかもしれない。本屋では北京大学の付近がさすがである。本格的な本屋が三軒もある。東門の外に万聖書園、南門には風入松書店、そして南西の海淀書城にある国林風であり それぞれ特色があるが、とくに風入松書店はもともと学者が共同出資して創立したことでも知られている。いまでは経営者が替って雰囲気も変わったというが 毎月本の紹介パンフレットを無料で配布しているし、研究者の講演などの行事もある。それで 学術書を買うなら まずは北京大の近くのこれらの本屋に行くのが常識のようになっているらしい。その点でも北京大の学生はめぐまれている。ほかにもそれぞれの分野の専門書の店がかなりあるらしい。古書についてはまだ見ていないが、有名なものでは観光地 瑠璃廠での古書市と 北京市の南西の潘家園での古書市がある。後者は毎土日ごと明け方の四時半から始まるというのもすごいが、出てくる業者の数が 1000人を越すというものすごさである。上海の文廟の古書市など 比べ物にならぬほどの規模である。そのほか北京大の構内でも やはり土日に古書市が開かれる。こちらは業者が 50人ほどで おのおの地面に本を並べたり 台の上に並べて売っている。主として教科書や割引の新刊だが 80年代以前の本もかなり目に付く。北京大でおもしろいのは それとは違う場所で学生がやはり本や DVD を地べたに並べて売る市が開かれていることだ。そこで感じたのだが 学生がたむろしているところに近づくと独特の体臭がする。どうやらあまり入浴をしないらしい。そこで昔読んだ竹内好の中国人の体臭について書いた文章を思い出した。それは昔の中国人についてであるが、やはり中国人は入浴をしないので独特の体臭がすると書いてあったように記憶する。

 まだ来たばかりで やっと住みかを見つけ落ち着きかけたところで 何とも判断はつかないが、それでも北京が大国中国にふさわしい規模の大きな文化都市であり、学術的にもかなりの基盤をそなえているのではないかということをかなり感じさせられた。今はひたすらこのスケールの大きさに感嘆しているところである。